*The Morning Skim:Who knows it*
Thursday, March 5, 2020
アンカラのトルコ政府は侵攻を恐れているのか?By Abdulrahman Al-Rashed
Sunday, January 20, 2019
カショーギ氏の心中に渦巻いた、王室への奉仕の心とイスラム主義への共感 By Ben Hubbard and David Kirkpatrick
For Khashoggi, a Tangled Mix of Royal Service
and Islamist Sympathies
By ベン・ハバード & デヴィッド・カークパトリック (2018/10/14、NYタイムズ)
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1980年代にアフガニスタンで、カショーギ氏は攻撃用ライフルを手に自らの写真を撮影し、
編集者らを後悔させた。しかし彼はその地では戦闘に身を投じなかったとみられる |
Lebanon, BEIRUTより─
ジャマル・カショーギは昨秋、母国での相次ぐ悪いニュースを振りはらってワシントンへと降り立った。
サウジ王室お抱えのアドバイザーとして、また非公式のスポークスマンとしても成功した彼はその後、新しい皇太子によってサウジ国内での文筆活動を禁じられていた─ツイートを発する事すらも。サウジの国営メディア「アラブ・ニュース」の彼の連載コラムは掲載をキャンセルされた。彼は結婚にも挫折した。彼のやっていた王国の支配者への批判行為を圧力でつぶすべく、彼の親戚たちは旅行を禁じられた。
彼が米国に到着した後には、サウジの彼の多くの友人らが次々と拘束されて裁判にかけられ、彼は困難な決断に迫られた─近いうちに帰国するのは危険すぎるが、この状態は永遠に変わらないことだろう。
そのために彼は、米国で新たに批評家として自らを再度立て直し、ワシントン・ポストにコラムを寄稿し始めた─西欧での身の安全を獲得したものと信じながら。しかし身の安全が確保されたのは、その時までだった。
カショーギ氏は、10月2日にイスタンブールのサウジ領事館に入る姿を最後に目撃された─彼はそこで、結婚のための書類を受け取る予定だった。トルコ政府によれば、サウジのエージェントらがそこで彼を殺害して遺体をバラバラにしたのだ、という。
若き皇太子が反体制派の人物の暗殺を命じた可能性は、トランプ大統領とってはサウジとの間にこれまでに存在した温かい関係を有毒なものに転じる可能性があった。そのことは、これら関係国の政府や企業各社などにとっても、皇太子がイエメンでの破壊的な軍事作戦に手を下してきたことや、レバノン首相の誘拐を彼らが看過し続けてきたこと…あるいは、彼がサウジの何人もの宗教家やビジネスマン・異母兄弟の王子たちを逮捕してきたことなどを想起させて、敵を封じるためには皇太子が手段を問わない容赦なき独裁者であることを、再び認識させた。
カショーギ氏の失踪は皇太子に仮借のない新たな光を当てたと同時に、彼のキャリアにおいて、複雑に絡まったシンパシーというものにも衆目が集まった─彼は民主主義にも共感を抱きながら、サウジ王室に対して長年仕えたキャリアのなかでは、政治的なイスラム主義にも共感を抱いていた。
彼は、政治的イスラムへの関心からトルコのRecep Tayyip Erdogan大統領とも個人的関係を築いていたが─Erdogan大統領は、いまやサウジアラビアに詰め寄って、彼の友人を見舞った運命を説明を求めている。
欧米への自主的な亡命は、新聞記者/コメンテーター/編集者として働きつつも、王室周辺における最も著名な人物でもあった60歳のカショーギ氏にとっての強烈な打撃だった。彼は若き日のオサマ・ビン・ラディンをインタビューした人物として国際的注目を浴びて、その後、王や皇太子の腹心の側近としても知られていた。
過去30年のキャリアがうんだ彼のキャラクター(人物像)とは─非常に広範な人脈を誇り、サウジアラビアに関係するあらゆる人物を見知っている、背の高くて闊達な、鷹揚な人物というものだった。しかしワシントンに居を定めたことによって、彼はさらなるアドバンテージを得ていた。彼は友人から<感謝祭>のディナーに招かれたときには、七面鳥とポテトを腹に詰め込む自らの写真をツイッター上で1700万人のフォロワーにシェアしていた。何に対して<感謝>するのか?…について語る順番が来たときに、彼はこう答えた─「なぜならば、私が自由を得て、自由に物を書けるようになったからだ」…と。
カショーギ氏と彼のサウジの指導者たちとのあいだの関係を知る数十人の人々によれば─彼が自由にものを書きたいと願う嗜好、そして彼が、海外から政治的な改革を組織したい、とも望んだことが、彼を皇太子との衝突の道に陥れたのだという。
オサマとアドナン、そして、ムスリム同胞団
カショーギ氏が名声を得たきっかけとは、彼がオサマ・ビン・ラディンの知己を得ていたことだった。彼は、かつてビン・ラディンの故郷の街ジッダで過ごし、そしてビン・ラディンと同様の、非・王室の名家の出身だった。カショーギ氏の祖父とは、サウジ・アラビアの初代の国王を治療した医者だった。彼の叔父のアドナン・カショーギAdnan Khashoggi氏とは著名な武器商人だったが、ジャマル・カショーギ自身は叔父の財産の恩恵というものを受けていなかった。
カショーギ氏はインディアナ州立大学への留学後にサウジ・アラビアに帰国し、英文紙の記者となった。数名の彼の友人たちは、若き頃のカショーギ氏がモスリム同胞団に入団していたことを明かしている。
彼は、後には同胞団の会合への参加を止めたものの、保守的なイスラム主義にも通暁し続けて、反西欧的なレトリックをしばしば論じながらも、誰と友人になるかに応じて、それらを表に出したり隠したりする能力もあった。
彼の新聞社における同僚たちは、彼がフレンドリーで思慮深く、信仰心の篤い人物だったと語る。彼は、ニュースルームでよく共同礼拝を行っていた─と、同僚であったインド人エディターのShahid Raza Burneyは想起する。
1980年代には多くのサウジ人らがそうであったように、カショーギ氏はアフガニスタンでの(CIAとサウジアラビアに支援された)反ソビエトのジハード(聖戦)に対して喝采を送った。そのことゆえに、彼はもう一人の若きサウジ人、ビン・ラディンから面会の招待を受けたときには、そのチャンスに飛びついた。
「そこで彼は、まず第一に、何といってもアフガン・ジハードに共感するジャーナリストだったのだが─それは、当時のアラブ人ジャーナリストや多くの欧米人ジャーナリストらも同様だった」、と、カショーギ氏に彼のアフガン時代に関するインタビューを行ったノルウェー人のリサーチャーThomas Hegghammerは言う。
彼の同僚らも、その点に関しては賛同している。
「ジャマルが一種の過激主義者だった、というのは誤りだ」と、現在、インド紙のエディターを務めるBurney氏はいう。
しかし、戦争における失敗がアフガニスタンの立つ健全な足場を脅かしたことがカショーギ氏を脅かして、また同様にビン・ラディンを後のちテロリズムの道へと陥れた。
「彼は、すべての闘争の後に、アフガニスタンが決してひとつに統合されなかったことに失望感を抱いた」と、カショーギ氏のサウジ人の友人(報復を恐れて彼は匿名を望んだが)は語る。
カショーギ氏のアフガニスタンへの旅と、サウジの諜報部長だったTurki al-Faisal王子と彼との関係は、幾人かの彼の友人たちにも彼がサウジ政府のためにスパイ行為をしていたのではないか、といった疑念を抱かせる。
何年かののち、2011年にパキスタンで米国の特殊部隊がビン・ラディンを殺害したそのあとには、カショーギ氏は、彼の古い知己の死を悼んで、彼が如何なる人物となり果てたかをも悼んだ。
「私はつい先刻…君、Abu Abdullahのために心が引き裂かれて泣き崩れた」と、カショーギ氏はツイートを発した─ビン・ラディンのニックネームを使って。「君は、アフガニスタンでのあの美しい日々には、美しくて勇敢だった─君が憎しみと熱情に屈するよりも前には」。
記者から王室のインサイダーへ
From
Reporter to Royal Insider
カショーギ氏はジャーナリストとしてのキャリアを踏み出した直後にアルジェリアを取材し、第1次湾岸戦争の折にはクウェートにもはいった。彼は、王国のメディアでの出世の梯子を昇ったが、そこでは王子たちが新聞社を所有していて、記事の内容は検閲され王室メンバーが関わるスキャンダル報道は葬り去られた。
2001年9月11日のテロ攻撃の後に彼は、アラブ世界でよく語られていた陰謀説に対しては反論して、ハイジャックされた航空機とは「イスラムの信仰と寛容なる精神と共存の価値観に対する攻撃も行った」と書いた。
彼は2003年にサウジの新聞Al Watan紙の編集長に任命されたが、2か月も経たないうちに、尊敬されるあるイスラム宗教学者が非・モスリムへの攻撃を正当化するために教義を利用した、と非難した記事のために解雇された。彼は2007年に再び職に復帰したが、2度目の職務期間はやや長期にわたって勤めた。
彼は、アブドラ国王の外遊旅行にも同行して、また後にモハメッド皇太子によって逮捕された億万長者の投資家、Alwaleed bin Talal王子とも懇意となった。元・諜報長官のTurki王子は、彼が英国と米国の大使の任に就いた際に、カショーギ氏をアドバイザーとして雇った。
カショーギ氏はその時期に、ヴァージニア州McLeanに、王国から亡命後に彼の住んでいたコンドミニアムを購入した。
海外での蜂起と、母国での改革を支援する
Backing Uprisings Abroad, Reforms at
Home
多くのカショーギ氏の友人らは、彼が王国に仕えていたすべてのキャリアを通じて個人的には選挙による民主主義を信奉していたことや、またムスリム同胞団スタイルの政治的イスラムへの嗜好をも隠し持っていたことを語る。
1992年のアルジェリアでの軍事クーデターが、イスラム主義政党による議会の主導権獲得への望みを打ち砕いたとき、カショーギ氏はロンドンのイスラム主義者の友人と連携して、「アルジェリアの民主主義の友(The Friends of Democracy in Algeria)」なる組織を立ち上げた。
そのグループは英国で新聞広告を掲載し─その中では「あなたが一票を投じるときに、これはアルジェリア人を含む世界中の人々が拒否された報奨金(bounty)である事を想起してほしい」と訴えていた─と(その試みの公的な顔を演じながらも、カショーギ氏の役割を隠蔽していた)彼の友人のAzzam Tamimi氏は述べる。
50歳に達するまで、カショーギ氏のムスリム同胞団との関係とは曖昧なものだった。数人の同胞団のメンバーは、今週、カショーギ氏が常に彼らと一緒にいたように感じていた、と語る。彼の世俗的な友人たちは、そうは信じていはなかったに違いない。
カショーギ氏は、サウジ王室の漸進的な改革以上のものを望んだことはなく、結局、イエメンとバーレーンでの(イランの影響力の阻止が目的だとサウジ人らに信じられていた)サウジ政府の軍事的介入を支持していた。しかし彼はまた、アラブ世界全域で2011年に勃発した叛乱の波にも熱狂していた。
しかし、アフガンでのジハードが辿った道と同様に、アラブの春の動きは、サウジ・アラビアとアラブ首長国連邦が富と資金力で反政府勢力を潰して独裁者を支援し、暴力へと陥ったことで崩壊の途を辿って…彼を失望へと導いた。
「彼はサウジ・アラビアが、そのポリシーを地域全体における叛乱の弾圧を加速するために用いた事を好まなかった」、とカショーギ氏を知るワシントンの中東アナリスト、Sigurd Neubauerは語る。
サルマン国王が2015年に王位に着き、その息子で非公式に頭文字のMBSで知られるMohammed皇太子に巨大な権力を委ねた後には、王国に対する最小限の批判を容認する寛容さもまた色褪せていった。
若き皇太子は経済を多角化し、社会構造を柔軟に改革して、女性の車の運転をも解禁した。
カショーギ氏はこれらの動きを称賛したが、皇太子が強権を行使する方法に苛立ちを表明した。例えば、カショーギ氏がトランプ氏の大統領への選出を批判したときには、サウジの高官らは米国の新政権と彼らとの関係が損われることへの危惧から、彼が物を言うことを禁じた。
モハメド皇太子は権力の全てを駆使して彼の批判者らを追跡し、彼らの旅行の自由を奪い、幾人かを投獄した。カショーギ氏は昨年彼の何十人もの友人が逮捕されて、何百人もの友人が汚職の容疑でリヤドのリッツ・カールトン・ホテルに監禁されるよりも前に、王国を出た。彼らのなかでは少なくとも前の王の二人の王子らを含む何人もの者が、未だに拘禁されている。
カショーギ氏は、ワシントン・ポスト紙にコラムの寄稿を始めて、モハメド皇太子とロシアのプーチン大統領を比較した。彼の友人たちは、彼が書いたそのような記事によって皇太子が彼をブラックリストに載せたのではないか、と推測する。
「モハメッド・ビン・サルマンは彼のある種のイメージを創り出すために何百万ドルもの金を払ったが、ジャマル・カショーギはごく短いいくつかの言葉でそのすべてを破壊していた」、と友人のTamimi氏は言う。「皇太子は激怒していたに違いない」。
しかし、カショーギ氏の筆が止まることはなかった。
彼は人々の多くがサウジの腐敗のスケールの大きさを理解しておらず、石油の富による未来も限定されていると感じつつ、サウジを含むアラブ各国の経済に関するレポートの翻訳を掲載するサイトを計画していた。彼はまた、DAWN (Democracy in the Arab World Now、アラブ世界での民主主義)という支援運動組織をも設立していた。カショーギ氏が失踪したときには彼はその資金を確保して、幹部組織を設立しようと試みていたと友人らは語る。
イスラム主義に傾倒したCenter for the Study of Islam and Democracy(イスラムと民主主義の研究センター)から4月に賞を受賞した際、カショーギ氏はアラブ世界の全てにおいて、民主主義が過激なイスラム主義者や独裁者、エリート(彼らは民衆による政治参加はカオスを招くと怖れている)らによる攻撃の下にあると述べていた。彼は、内戦の防止と、より良いガバナンスのための唯一の手段とは、権力の分担(パワーシェアリング)にあると訴えていた。
モハメド皇太子は「彼自身による判断能力と、周囲の少数のアドバイザーの能力だけに頼りつつ、何百万ドルもの金を未来のプロジェクトのために投じている」─とカショーギ氏は書いた。「それで十分なのか?いな、十分ではない」、と。
彼がワシントンに移住した後、皇太子モハメッドの代理人たちは繰り返し彼にコンタクトをとって、その批判のトーンを和らげるように頼み、帰国することを求めていた…と彼は友人らに語った。しかし、彼は新しい生活をはじめていた。彼と友人のトルコ人のリサーチャー、Hatice
Cengizは結婚して、イスタンブールで新居を構えようと決めていた。
長年の友人であるMaggie Mitchell Salemは彼の身を案じて、ワシントンのサウジ大使館に行くような事があれば、いつでも彼女にショートメッセージを送るようにと頼んだ。
「彼は『ああ、マギー、マギー、君は馬鹿げたことをいってる』といって笑い飛ばした」、と彼女は回想する。
https://www.nytimes.com/2018/10/14/world/middleeast/jamal-khashoggi-saudi-arabia.html
https://news.wttw.com/2018/11/20/trump-declares-support-saudis-despite-khashoggi-murder
https://news.wttw.com/2018/11/20/trump-declares-support-saudis-despite-khashoggi-murder
Trump Declares Support for Saudis Despite Khashoggi Murder
Sunday, September 10, 2017
シャルロッツヴィルに現れた、軍隊でもないのに武装した迷彩服の男たちとは誰なのか?Who were the armed, camouflaged men in Charlottesville who have nothing to do with the military?
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Yingling, in sunglasses |
By Hanna Kozlowska (2017/8/15, Quartz.com)
先週の末、バージニア州・シャルロッツヴィルでの白人至上主義者らによる集会で起きた暴力事件では、松明やナチの記章を振りかざす…落ち着きのない白人の男らの集団から、群衆に突っ込む車が人々を宙に飛ばす有様に至るまでの光景が、多くの人々にショックを与えた。ソーシャル・メディアに拡散した画像の一つとは、迷彩服に身を包んで重武装した男たちが、まるで戦場に出た兵士らのごとく居並んでいる光景だった。
何と驚いたことに!彼らは米軍の一部などではない。彼らは、3年前の今月にファーガソンでの(黒人に対する警察暴力への)抗議デモの前に出現した、重武装の法の執行機関(武装警察)の一員ですらないのだ。彼らは武装した民兵組織(militia)であり…シャルロッツヴィルの抗議デモの秩序を守るために来た、と自称している。彼らがそこで一体何をしていたのかに関して、ここに正確な説明がある─
Who are these guys? この男たちは誰なのか?
これらの武装した準軍事的集団は、強固な反政府的信条を抱きつつ、自らを米国憲法の保護者だとも位置づけている。民衆のあいだでの彼らの人気は共和党政権の時期におおむね減退したものの、専門家らはトランプ政権下における彼らの活動は衰えていない、とも言う。
この民兵組織のリーダーChristian Yinglingをインタビューしたワシントン・ポスト紙によると─これらの光景に映っていた男たちとは、彼がソーシャル・メディアやオンライン・フォーラムを通じて、東海岸の異なるユニットからリクルートしてきた32の民兵組織のメンバーなのだという。イングリング自身はペンシルバニアのLight Foot 民兵団の司令官であり、崩壊した家庭を逃れ、海軍に入隊したという。彼は似たような民兵団をそれ以外の右翼組織の集会でも組織しており、バージニアの民兵団の司令官が彼にシャルロッツヴィルへの出動を依頼したのだ、という。
ある民兵団ウォッチャーは、今回の抗議デモには、これら以外にも他の数グループが参加していたという。
シャルロッツヴィルの事件に参加していた愛国的民兵組織のチャート
Chart of Patriot militias involved in #Charlottesville, via @MilitiaWatch: https://t.co/HjwZmFUsZr pic.twitter.com/oAA8StmUfN
? Hampton Stall ?????? (@HamptonStall) August 14, 2017
Whose side are they on? 彼らはどちらの側を支持するのか?
インリングはシャルロッツヴィルのデモ隊に関しては、両者の側を「jackass(のろま、間抜け)」と呼び、彼らのグループが、そこに、単に言論の自由の権利を謳う憲法修正第一条(First Amendment)を守るために居たのだと語る。彼は、彼の呼びかけに応じた者の数は多くなかった(白人至上主義者と間違われる事を嫌う者が多かったために)という。
シャルロッツヴィルにいたことが報じられた別の民兵団、「Three Percenters(3%たち)」は、抗議デモの発生に際して「解隊(隊列を解いて解散)せよ」という命令を出し、メンバーが一人でもネオ・ナチや白人主義者のデモに参加することは、非難糾弾したと、”The Trace”は報じている。
非常に広範な地域に広がる緩やかな民兵組織である、「Three Percenters(3%たち)」は、最終的には彼ら自身、白人至上主義者からは距離を置くことを決断した。
これらのグループは、長らく右翼的な反政府運動勢力(2016年に野生生物保護区を占拠したグループなども含めた─)と連帯していた。シャルロッツヴィルのデモの起きたその日に、FBIは23歳の男、Jerry Drake Varnellを逮捕した─彼は「Three Percenters(3%たち)」のフォロワーだったと報じられ、オクラホマ銀行で自動車爆弾を爆発させようと計画していた。という。
民兵組織が軍隊にそこまで酷似している理由とはその武器だ─そこには攻撃用ライフルも含まれ─イングリングによれば─それには実弾も装填されている。バージニアでは、銃器の携帯への法的規制が非常に緩いのだ。そこでは、何の許可もなく公然と銃器を携帯でき、州への登録義務もない。バージニアでは攻撃用武器に対する規制も非常にわずかなのだ。
市民の動乱を規制するため、ほぼ30年ぶりに動員されたバージニアの州兵は、人々が民兵のメンバーを彼らと混同することを非常に懸念し、ツイッターでその識別方法を発信した:
.@VaNationalGuard ready to assist local law enforcement in #Charlottesville, can be identified by MP patch #cvilleaug12 pic.twitter.com/xkz2SqZlAR
シャルロッツヴィルで地元の法的執行組織(警察)に協力するバージニアの州兵組織はMPパッチで識別できる
? Va. National Guard (@VaNationalGuard) August 12, 2017
What was their role? 彼らの役割とは何か?
地元の法的執行組織(警察)は、暴力への対処において精彩を欠いていたことで批判を浴びた。ProPublicaの記者によれば、ニューヨーク州からきた民兵のメンバーは、言い争いなどを解消させるために警察よりもアクティブな役割を果たしたという。バージニア州のTerry McAuliffe知事でさえも、ニューヨークタイムズに対して公的勢力を擁護すると語り、その男たちが「我々の州警察よりもよい装備を持っていた」と語った。
https://qz.com/1053604/who-were-the-armed-camouflaged-men-in-charlottesville-who-have-nothing-to-do-with-the-military/
★次の記事「The complete story of what happened in Charlottesville, according to the alt-right」
シャルロッツヴィルで何があったのか─オルト・ライトの証言する完全なストーリー」https://qz.com/1053220/charlottesville-attack-how-the-violence-unfolded-through-the-eyes-of-the-alt-right/
(に続く)
*関連記事
How Militias Became the Private Police for White Supremacists
http://www.politico.com/magazine/story/2017/08/17/white-supremacists-militias-private-police-215498
Thursday, August 10, 2017
アフガニスタンのシルクロードに渦巻く、怖れと嫌悪 Fear and loathing on the Afghan Silk Road - By Pepe Escobar
アフガニスタンのシルクロードに渦巻く、怖れと嫌悪
─アフガニスタンの再建を試みる者は、誰しもその仕事を中断せざるを得ない─
しかし、中国の「一帯一路構想」(BRI)の成功は、その進展しだいなのだ
By ぺぺ・エスコバル ( 2017/6/21,Asia Times)
新たなるシルクロード(New Silk Road)、またの名を「一帯一路」の計画 (Belt and Road Initiative、BRI)とは、ヒンズークシ山脈を超えることがあるのだろうか?
そのゲームについた名前は、<向こう見ずさ>だ。たとえ、それがいにしえのシルクロードを跨ぐ戦略的な地だろうと…また実質的に、BRIの重要な結節点である中国・パキスタン経済回廊(CPEC)の500億ドルの計画に続く道であろうと─アフガニスタンはいまだに戦争の泥沼のなかにある。
2011年を忘れることはかんたんだ─カザフスタンとインドネシアで、2013年に習近平首相がBRI構想の開始を宣言する前でさえ、当時の国務長官のヒラリークリントンが、チェンナイ(*東インドの都市=マドラス)における彼女自身のシルクロード計画を称賛していた。国務省の描くビジョンがヒンズークシで一敗地に塗れたことは確かだ─なぜならそれは、戦さで疲弊したアフガニスタンというものを計画の根幹に想定していたのだから。
2017年のアフガニスタンでの状況の展開は、さらに失望を招くものだった。機能不全という言葉は、2014年の対立に満ちた選挙(*アフガン大統領選)から出現して政府と称しはじめた政権というものを、描写してすらいない。
2002年以来、米政権はこの、唖然とするような未完の「限りなき自由作戦Operation Enduring Freedom」(*)のために、7800億ドルを費やした。そこには完全に、何の成果もみられなかった─アフガニスタンで10万人の犠牲者が生じたこと以外は。(*2001年9月11日のオサマ・ビン・ラディンによるNYでの同時多発テロ犠牲者の報復を含む作戦として米が宣告した対テロ作戦名)
オバマ大統領による鳴り物入りの政策として、アフガン国家再建を目標に据えて行われた2009年の米軍兵力の増派は、予想通りの大失敗だった。GWOT(”グローバルなテロとの戦い”)の枠組みを海外緊急作戦行動(OCO)として再構築したこと以外に、それが成し遂げたものは何もなかった。そこではなにも「clear, hold, and build: 掃討し、押さえ、建設する」ことなどできなかった─事実上、タリバンは至る所に舞い戻っていたのだ。
鉱物資源が掘りたい?
それなら、タリバンに聞け
トランプ政権下の新たなアフガニスタン「ポリシー」とは、同国の東部に、何らの効果も得ることなくMOAB(Mother of All Bombs)爆弾を落とすことと、ペンタゴンの命じた、より一層の兵力の増派というものだ。「限りなき自由作戦」の継続は言うまでもない。
これは驚くべきことではないし─また、レーダーによっても、汎大西洋主義(*NATOなどの加盟国)の主な仲間の諸国でさえも関知できなかったことだが─中国政府のリサーチャーたちは昨今、北京で外国人らと会合して「アフガニスタンの再接続」をテーマに話し合ったのだという。
タリバン政権崩壊後の初代の駐カブール中国大使であったSun Yuxiは、2001年末に爆破テロで権力から追放されて、状況をこのように正確に要約した、「もしも、アフガンを通る道や、接続の可能性が閉ざされているのなら、BRI上の重要な動脈がブロックされているのも同然の状態で、この組織の体には多くの病気をもたらすだろう」と。
アフガニスタンを、如何に再接続し/再構築し/再建するかという課題は、北京のシンクタンクCentre for China & Globalizationなどにとっても眠れぬ夜をもたらす物質のようなものだ。
誰もが、アフガニスタンが最低でも1兆米ドル相当の鉱物資源─銅、金、鉄鉱石、ウラニウムや宝石類の上に鎮座しているだろうとの予測についてはご存知だ。だが、それをどうやって安全に掘り出せるのだろう?
北京政府が抱く投資の安全確保上のジレンマとは、現在進行中のMes Aynak銅山のサーガによって華々しく描きだされているのだ。中国冶金科工集団有限公司は、2008年にカブールの南東40キロのその銅山を買い取った。彼らの投資とは、アフガンでも最大の海外からの投資プロジェクトである。タリバンはそれをこの先8年は攻撃しないことを誓約した。
そんななか、鉄道建設の最前線─それはBRIの鍵でもある─では、2016年に史上初の貨物列車が中国からカザフ・ウズベキスタンを経由して、アフガニスタンのハーラタンに到着した。その交易のフローとは依然として無視できないものだが、未だに定期列車の便は存在しない。
ロシアと中国が主導している上海協力機構(SCO)も、最終的にそこに加わった。その最近の頂上会議では、治安の「劣化」を警告しつつも─インドとパキスタン、そして今や全SCO加盟国による協力のもとで、SCOがアフガニスタンの「全アジア的」な解決を見出すための直接的な関与を行う、と宣言した。
The “Syraq” connection「シラク・コネクション」(*シラク:Syria+Iraq)
アフガニスタンとは、新疆自治区の隣人でもある─そして、同国の深奥の近寄りがたい一部の地域とは、ウイグルの分離主義者で、アルカイダとも繋がりの深い東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)の分子を匿っている(彼らが、ISISからは無視されているために)。
問題を更に複雑化しているのは、ヒンズークシ山脈を貫かねばならない新シルクロードというものが、究極、”Syraq(シリア+イラク)”の偽のカリフ公国(ISIS)の情勢というものに直接、関係せざるを得ないということでもある。
シリア・アラブ軍(SAA)は、イラク国境に向けて仮借なく進軍している。同時に、イラクの人民動員隊ユニットIraqi Popular Mobilization Unitsは、アル・ワリードでシリア国境に到着した。彼らのなかに我々は、米軍の姿を見かける─彼らはシリアで、al-Tanafを占拠している。しかし、ダマスカスとバグダッドの両政府は、al-Tanafの国境をイラク側から閉鎖することに合意した─このことは、米軍がヨルダンに戻る以外にどこにも行けないことを意味する。
ペンタゴンは、このことを軽視できずに賭けに出る可能性がある。ロシアの国防省は、こうした米軍勢力が、最後にはイラク軍とシリア軍部隊を邂逅させぬよう、高移動性迫撃ロケット砲システムHigh Mobility Artillery Rocket System (HIMARS)を用いるだろうともみなしつつある。
レバント地方を通ってBRIを延長すること─そして、古代のシルクロード同様に中国と地中海を陸路でつなぐこと─それは、中国政府にとっての絶対的命題だ。しかし、それにも関わらず─そのことはマイケル・フリン中将自身が(記録によれば)容認したとされる、究極的な事実に正面切って衝突する─つまり、オバマ政権が「希望的決断」を行って、ダマスカスの体制転換を促進するために、「Syraq」全土にわたってISISを「スンニスタン(スンニ派優勢地域)」に到達させることを目標に据えて、ISISを跳梁跋扈させるに至ったということだ。それを翻訳するなら─ISISにレバントのBRIを寸断させる、ということだ。
米国のディープ・ステート(諜報部門)の影響力あるセクターが、このプロジェクトを放棄していないのは確かだ。同時にトランプ大統領は、ISISとの戦いを放棄しない、とも宣言している。根本的な問いとは─シリア政府を撃ち、イランにいるその支持者たちを撃つという「サウド家の方針」が、米国でも優越性を獲得するか、という事だ。
1990年代半ばに、タリバンがアフガンのパシュトゥーン部族地域の戦争領主たちを追撃した際に地方の住民は彼らを支持した─なぜなら、彼らが道路や村々の安全を守ったからだ。彼らは、メッカにいる預言者の彼の敵との戦いを助けるために、天から来た天使のようにみなされた。
この「Syraq」の軍隊どうしの出会いとはとても重要だ、なぜなら、それは新シルクロードの鍵となる結節点を再編成する効果を生むからだ─つまり、テヘラン、バグダッド、ダマスカス、ベイルートといった、結節点となる都市の再編成を─。
「タリバニスタン」をめぐる私の旅(そのうちのいくつかはAsia Timesに書いている)において、私はタリバンが冷徹で、信仰心に篤く、道徳的で、ある種の重々しい曖昧さ(不明瞭さ)に包まれ、実質的に接近不能であるということに気づいた。
しかし、ヒンズークシ地域での、リニューアルされたグレート・ゲームの主な役者たちというのは、タリバンたちからは程遠い者たちだ。それは、「Syraq」のカリファテ(カリフ公国)が崩壊した後に、ディアスポラによって四散したジハード戦士たちなのだ。
ISISはすでに、イラクとシリアの隠遁地にいるジハード主義者たちをヒンズークシに向けて送りだしている。同時に、彼らは、多くの資金と武器を持つ数十名のパシュトゥーン人たち(=何千何万もの潜在的自爆テロリストの候補者たち)をも、活発にリクルートしている。
アフガン人以外にリクルートの対象となる新たな一団とは、チェチェン人や、ウズベク人、ウイグル人らを含んでいる─彼らには皆、ペンタゴンのMOAB爆弾でさえも入り込めない山間地域の景色に溶け込める優れた能力がある。
カブールの世俗化したアフガン人たちは、すでにアフガンが新たに再び変貌したカリファテの要塞になるのではないか、と恐れている。Islamic State Khorasan (ISK)を自称する者たちに対抗する救援部隊に加われるか否かは、SCO─中国、ロシア、インド、パキスタンが主導する─次第なのだ。さもなくば、ユーラシアの統一は、中央アジアと南アジアの交差点をめぐるすべての地域で生死にかかわる危険に遭遇するだろう。
http://www.atimes.com/article/fear-loathing-afghan-silk-road/
─アフガニスタンの再建を試みる者は、誰しもその仕事を中断せざるを得ない─
しかし、中国の「一帯一路構想」(BRI)の成功は、その進展しだいなのだ
By ぺぺ・エスコバル ( 2017/6/21,Asia Times)
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そのゲームについた名前は、<向こう見ずさ>だ。たとえ、それがいにしえのシルクロードを跨ぐ戦略的な地だろうと…また実質的に、BRIの重要な結節点である中国・パキスタン経済回廊(CPEC)の500億ドルの計画に続く道であろうと─アフガニスタンはいまだに戦争の泥沼のなかにある。
2011年を忘れることはかんたんだ─カザフスタンとインドネシアで、2013年に習近平首相がBRI構想の開始を宣言する前でさえ、当時の国務長官のヒラリークリントンが、チェンナイ(*東インドの都市=マドラス)における彼女自身のシルクロード計画を称賛していた。国務省の描くビジョンがヒンズークシで一敗地に塗れたことは確かだ─なぜならそれは、戦さで疲弊したアフガニスタンというものを計画の根幹に想定していたのだから。
2017年のアフガニスタンでの状況の展開は、さらに失望を招くものだった。機能不全という言葉は、2014年の対立に満ちた選挙(*アフガン大統領選)から出現して政府と称しはじめた政権というものを、描写してすらいない。
2002年以来、米政権はこの、唖然とするような未完の「限りなき自由作戦Operation Enduring Freedom」(*)のために、7800億ドルを費やした。そこには完全に、何の成果もみられなかった─アフガニスタンで10万人の犠牲者が生じたこと以外は。(*2001年9月11日のオサマ・ビン・ラディンによるNYでの同時多発テロ犠牲者の報復を含む作戦として米が宣告した対テロ作戦名)
オバマ大統領による鳴り物入りの政策として、アフガン国家再建を目標に据えて行われた2009年の米軍兵力の増派は、予想通りの大失敗だった。GWOT(”グローバルなテロとの戦い”)の枠組みを海外緊急作戦行動(OCO)として再構築したこと以外に、それが成し遂げたものは何もなかった。そこではなにも「clear, hold, and build: 掃討し、押さえ、建設する」ことなどできなかった─事実上、タリバンは至る所に舞い戻っていたのだ。
鉱物資源が掘りたい?
それなら、タリバンに聞け
トランプ政権下の新たなアフガニスタン「ポリシー」とは、同国の東部に、何らの効果も得ることなくMOAB(Mother of All Bombs)爆弾を落とすことと、ペンタゴンの命じた、より一層の兵力の増派というものだ。「限りなき自由作戦」の継続は言うまでもない。
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An Afghan policeman looks at the bloodstains of victims outside a mosque where a suicide bomber detonated a bomb in Kabul, June 16, 2017 |
タリバン政権崩壊後の初代の駐カブール中国大使であったSun Yuxiは、2001年末に爆破テロで権力から追放されて、状況をこのように正確に要約した、「もしも、アフガンを通る道や、接続の可能性が閉ざされているのなら、BRI上の重要な動脈がブロックされているのも同然の状態で、この組織の体には多くの病気をもたらすだろう」と。
アフガニスタンを、如何に再接続し/再構築し/再建するかという課題は、北京のシンクタンクCentre for China & Globalizationなどにとっても眠れぬ夜をもたらす物質のようなものだ。
誰もが、アフガニスタンが最低でも1兆米ドル相当の鉱物資源─銅、金、鉄鉱石、ウラニウムや宝石類の上に鎮座しているだろうとの予測についてはご存知だ。だが、それをどうやって安全に掘り出せるのだろう?
北京政府が抱く投資の安全確保上のジレンマとは、現在進行中のMes Aynak銅山のサーガによって華々しく描きだされているのだ。中国冶金科工集団有限公司は、2008年にカブールの南東40キロのその銅山を買い取った。彼らの投資とは、アフガンでも最大の海外からの投資プロジェクトである。タリバンはそれをこの先8年は攻撃しないことを誓約した。
そんななか、鉄道建設の最前線─それはBRIの鍵でもある─では、2016年に史上初の貨物列車が中国からカザフ・ウズベキスタンを経由して、アフガニスタンのハーラタンに到着した。その交易のフローとは依然として無視できないものだが、未だに定期列車の便は存在しない。
ロシアと中国が主導している上海協力機構(SCO)も、最終的にそこに加わった。その最近の頂上会議では、治安の「劣化」を警告しつつも─インドとパキスタン、そして今や全SCO加盟国による協力のもとで、SCOがアフガニスタンの「全アジア的」な解決を見出すための直接的な関与を行う、と宣言した。
The “Syraq” connection「シラク・コネクション」(*シラク:Syria+Iraq)
アフガニスタンとは、新疆自治区の隣人でもある─そして、同国の深奥の近寄りがたい一部の地域とは、ウイグルの分離主義者で、アルカイダとも繋がりの深い東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)の分子を匿っている(彼らが、ISISからは無視されているために)。
問題を更に複雑化しているのは、ヒンズークシ山脈を貫かねばならない新シルクロードというものが、究極、”Syraq(シリア+イラク)”の偽のカリフ公国(ISIS)の情勢というものに直接、関係せざるを得ないということでもある。
シリア・アラブ軍(SAA)は、イラク国境に向けて仮借なく進軍している。同時に、イラクの人民動員隊ユニットIraqi Popular Mobilization Unitsは、アル・ワリードでシリア国境に到着した。彼らのなかに我々は、米軍の姿を見かける─彼らはシリアで、al-Tanafを占拠している。しかし、ダマスカスとバグダッドの両政府は、al-Tanafの国境をイラク側から閉鎖することに合意した─このことは、米軍がヨルダンに戻る以外にどこにも行けないことを意味する。
ペンタゴンは、このことを軽視できずに賭けに出る可能性がある。ロシアの国防省は、こうした米軍勢力が、最後にはイラク軍とシリア軍部隊を邂逅させぬよう、高移動性迫撃ロケット砲システムHigh Mobility Artillery Rocket System (HIMARS)を用いるだろうともみなしつつある。
レバント地方を通ってBRIを延長すること─そして、古代のシルクロード同様に中国と地中海を陸路でつなぐこと─それは、中国政府にとっての絶対的命題だ。しかし、それにも関わらず─そのことはマイケル・フリン中将自身が(記録によれば)容認したとされる、究極的な事実に正面切って衝突する─つまり、オバマ政権が「希望的決断」を行って、ダマスカスの体制転換を促進するために、「Syraq」全土にわたってISISを「スンニスタン(スンニ派優勢地域)」に到達させることを目標に据えて、ISISを跳梁跋扈させるに至ったということだ。それを翻訳するなら─ISISにレバントのBRIを寸断させる、ということだ。
米国のディープ・ステート(諜報部門)の影響力あるセクターが、このプロジェクトを放棄していないのは確かだ。同時にトランプ大統領は、ISISとの戦いを放棄しない、とも宣言している。根本的な問いとは─シリア政府を撃ち、イランにいるその支持者たちを撃つという「サウド家の方針」が、米国でも優越性を獲得するか、という事だ。
1990年代半ばに、タリバンがアフガンのパシュトゥーン部族地域の戦争領主たちを追撃した際に地方の住民は彼らを支持した─なぜなら、彼らが道路や村々の安全を守ったからだ。彼らは、メッカにいる預言者の彼の敵との戦いを助けるために、天から来た天使のようにみなされた。
この「Syraq」の軍隊どうしの出会いとはとても重要だ、なぜなら、それは新シルクロードの鍵となる結節点を再編成する効果を生むからだ─つまり、テヘラン、バグダッド、ダマスカス、ベイルートといった、結節点となる都市の再編成を─。
「タリバニスタン」をめぐる私の旅(そのうちのいくつかはAsia Timesに書いている)において、私はタリバンが冷徹で、信仰心に篤く、道徳的で、ある種の重々しい曖昧さ(不明瞭さ)に包まれ、実質的に接近不能であるということに気づいた。
しかし、ヒンズークシ地域での、リニューアルされたグレート・ゲームの主な役者たちというのは、タリバンたちからは程遠い者たちだ。それは、「Syraq」のカリファテ(カリフ公国)が崩壊した後に、ディアスポラによって四散したジハード戦士たちなのだ。
ISISはすでに、イラクとシリアの隠遁地にいるジハード主義者たちをヒンズークシに向けて送りだしている。同時に、彼らは、多くの資金と武器を持つ数十名のパシュトゥーン人たち(=何千何万もの潜在的自爆テロリストの候補者たち)をも、活発にリクルートしている。
アフガン人以外にリクルートの対象となる新たな一団とは、チェチェン人や、ウズベク人、ウイグル人らを含んでいる─彼らには皆、ペンタゴンのMOAB爆弾でさえも入り込めない山間地域の景色に溶け込める優れた能力がある。
カブールの世俗化したアフガン人たちは、すでにアフガンが新たに再び変貌したカリファテの要塞になるのではないか、と恐れている。Islamic State Khorasan (ISK)を自称する者たちに対抗する救援部隊に加われるか否かは、SCO─中国、ロシア、インド、パキスタンが主導する─次第なのだ。さもなくば、ユーラシアの統一は、中央アジアと南アジアの交差点をめぐるすべての地域で生死にかかわる危険に遭遇するだろう。
http://www.atimes.com/article/fear-loathing-afghan-silk-road/
Thursday, August 3, 2017
サウド家に生じた白色クーデター?A coup in the House of Saud? By Pepe Escobar
サウド家でクーデターが起きた?
秘密は暴かれた─モハメッド・ビン・サルマンの昇格と、CIAのお気に入りだったナイーフ皇子の降格。それは、事実上の白色クーデターだった By ぺぺ・エスコバル (2017/7/20, Asia Times)
アラブ世界で公然の秘密だったことは、もはや…米国においてさえ、秘密でも何でもない─モハメッド・ビン・サルマン皇太子 "MBS"の王位継承者昇格に伴い、先月サウド家に起きた深い<陥没>というものは、実のところ白色クーデター(*)だったのだ。(*White coup:王の命令による革命、クーデター)
一か月近く前に [私は別のメディアeにも書いたが]、サウド家に近いある中東のトップ情報筋は私に、こう語った─「CIAは前皇太子、モハメッド・ビン・ナイーフ(Mohammad bin Nayef)の降格をひどく不快に思っている。モハメッド・ビン・サルマン(Mohammad bin Salman)はテロリズムを資金援助している。2014年4月に、UAEとサウジ・アラビアのすべての首長一族と王族が、米国にテロリズム喚起の責任を問われて排斥される寸前となったが─ナイーフ皇太子がサウジ・アラビアの政権を引き継いでテロを防止する…という約束のもとに妥協が講じられたのだ」。
その情報筋はさらに、私に─中東諸国の特定の地政学的グループの間で、その時期に広がっていた、という説をしつこく説いた─それによれば、カタールの若き首長Sheikh Tamim al-Thaniに対して、アブ・ダビ(*UAEの首都)の皇太子Mohammed bin Zayedがもくろんだ別のクーデターを、(UAEに居たブラックウォーターとアカデミ傭兵部隊[*]の協力のもとで)米国諜報機関が「間接的に」阻止したのだ、という。Zayedとは偶然にもMBSのメンター(導師)だったのだ。(*共に総帥Eric Princeが率いる傭兵会社)
しかし、ドーハでクーデターが起きる代わりに、実際に起きたのはリヤドでのクーデターだった。その情報筋によれば、「CIAがカタールでのクーデターを阻止したが、サウジ・アラビア人たちは、CIAの選んだ人物で次期国王にもなる予定だった、モハメッド・ビン・ナイーフの降格でそれに応じた。サウジ人たちは恐れている。CIA(の手先であるEric Prince)がサウジにおいても傭兵部隊を王には向かわせるのが可能にもみえるなかで、王政はトラブルの最中にある。このことは、MBSによる防御的反応だったのだ」という。(*註)
今や、およそ1か月が経過して、NYタイムスの一面には、白色クーデターとリヤドでの体制転換の確認情報が溢れている─主に、お馴染みの「(米国の)現政権および前政権幹部の情報によれば」という、ただし書き付きで。
それは、突き詰めれば米国のディープ・ステートのコード=中央情報局が、信頼するパートナーで対テロ担当の元ツァールでもあったナイーフの追放にいかにひどく不快感を感じているかの再確認なのだ。その一方で、CIAはただ単に、尊大で経験も乏しく自信過剰のMBSのことを信用していない。
戦士にして皇太子のMBSは、イエメンとの戦争の指揮責任を負っている─そこには何千もの市民の殺害のみならず、悲劇的な飢餓と人道上の危機も生じさせた。もしも、それでは不足なら、MBSはカタール制裁というものの設計者だった─それには、UAEとバハレーンとエジプトが追随したが─いまや完全にカタール政府が、サウジとアブ・ダビの政府が実質的にでっち上げた法外な「要求」への譲歩を拒否したなかで、彼への信頼は喪失してしまった。
ナイーフは畢竟、カタールの封じ込めには反対していたのだ。
昨今、サウド家とUAEがすでにカタール政策に関しては撤回の道を辿っていたのは不思議ではない─米国の国務長官レックス・ティラーソンが地上にあって圧力をかけたからというよりも…主に米国諜報部による影芝居の活躍のお陰で─米国のディープ・ステート(諜報部門)はペルシャ湾地域での権益の安全を確保したわけだ─カタールのAl-Udeid基地をはじめとした権益を混乱に陥れないように。
向こう見ずな「ギャンブラー」
MBSはワシントンの政界では、いい古された「サウジ・アラビアは同盟国」というミーム(情報の遺伝子)のもとで、ベルベットの子供用手袋を嵌めさせてもらってはいても…あらゆる現実的な目的からみれば、最大の危険人物なのだ。
それはまさに、有名なBND(ドイツ諜報部)の2015年のメモがすでに述べていたことだ─その若き「ギャンブラー」は多くのトラブルを起こそうとしている。EUの金融業界は完全に震撼のただ中だ…彼の地政学的なギャンブルは、何百万の退職者の銀行口座を塵埃のなかに葬り去るかもしれない。
BNDのメモは、サウド家がシリアでいかに征服軍(Army of Conquest)─それは基本的にジャブハット・アル・ヌスラ戦線(すなわちシリアのアルカイダ)のブラッシュアップ勢力で、Ahrar al-Shamの思想的な姉妹組織だ─の資金を賄っていたのかも詳細に物語っていた。
そのメモは、サウド家がいかにサラフィスト=ジハーディストによるテロを援助・扇動して武装させていたのか、を関連づけていた。そしてそのことはサウジ王国に…彼らが米国大統領のドナルド・トランプを同国に招いて(レセプションの余興で)当惑を覚えるような剣のダンスの真ん中で踊るよう誘惑した後に…カタールをテロ国家だ、と自由自在に告発させるに至った。
MBSのカタール封鎖とは、アル・ジャジーラの報道を黙らせることとは関係ないが─それは、サウジのシリアでの敗北と関係がある─そして、カタール政府が(ノースドーム・サウスパーズの巨大ガス田からの液化天然ガスをヨーロッパに売るために)自らイランと同盟を組むベネフィットを優先して─「アサドは去るべきだ」という徹底抗戦主義者を捨てた、という事実とも関係するのだ。
MBSは─その病気の父君と同様に─ハンブルグでのG-20サミット会議をすっぽかした…カタール問題のはらむ当惑の重荷に耐えられずに─それは例えば、カタールの英・仏両国への投資国としての地位を考えれば、すべての責任を彼が負わされるからだ。MBSは「イラン内部での」戦争喚起をもくろんで、スンニ派対シーア派の激しい紛争の火種をターボチャージするとも約束した。
そして、さらにその先の道程にあるのは、MBSがいかにアラムコ石油会社のリスク満載の(民営化のための)最初の公募債の舵取りをするつもりなのか、という問いだ。
それは、アバヤで装った太ったレディ(サウジ王国の比喩)が歌を歌うまでは終わりそうにない。http://www.atimes.com/article/coup-house-saud/
(*註:Sputnikのコラムで筆者はこうも書いている)
…その情報筋は付け加えた、「MBSは何処でも─イエメンでも、シリアでも、カタールでも、イラクでも失敗している。中国も彼に不満を抱く─彼が新疆地区でトラブルを喚起したからだ。ロシアも石油価格の低迷の影にいた彼に不満を抱いている。誰が彼に同盟するのか?唯一の同盟者は彼の父親だが、サルマン王は認知症で全く力がない」。
情報筋は頑固にこうも言った、「CIAがサウジ王国に反旗を翻す可能性は大きい」─それはトランプ大統領と米国のディープステートの一派の間の戦いが全く新たな段階に達したという事だ。 そうした謎解きには” Jared of Arabia”ファクターもある。カタールのクーデター未遂に関わった何らかのインサイド・プレーヤーがいたかどうかは、真面目に推測しようがないが…もしも、本当にそれが潰されたのなら…ジャレド・クシュナーならば内部情報を知っていたかもしれない─彼のコネクションを考えれば。
「 クシュナーは5番街666番地のビジネスで実質的に破産して、サウジの財政的援助を求めている。彼の義父のトランプでさえ、彼の窮状は救えない。だから彼はサウジの求める事ならばなんでもやるのだ…」
秘密は暴かれた─モハメッド・ビン・サルマンの昇格と、CIAのお気に入りだったナイーフ皇子の降格。それは、事実上の白色クーデターだった By ぺぺ・エスコバル (2017/7/20, Asia Times)
アラブ世界で公然の秘密だったことは、もはや…米国においてさえ、秘密でも何でもない─モハメッド・ビン・サルマン皇太子 "MBS"の王位継承者昇格に伴い、先月サウド家に起きた深い<陥没>というものは、実のところ白色クーデター(*)だったのだ。(*White coup:王の命令による革命、クーデター)
一か月近く前に [私は別のメディアeにも書いたが]、サウド家に近いある中東のトップ情報筋は私に、こう語った─「CIAは前皇太子、モハメッド・ビン・ナイーフ(Mohammad bin Nayef)の降格をひどく不快に思っている。モハメッド・ビン・サルマン(Mohammad bin Salman)はテロリズムを資金援助している。2014年4月に、UAEとサウジ・アラビアのすべての首長一族と王族が、米国にテロリズム喚起の責任を問われて排斥される寸前となったが─ナイーフ皇太子がサウジ・アラビアの政権を引き継いでテロを防止する…という約束のもとに妥協が講じられたのだ」。
その情報筋はさらに、私に─中東諸国の特定の地政学的グループの間で、その時期に広がっていた、という説をしつこく説いた─それによれば、カタールの若き首長Sheikh Tamim al-Thaniに対して、アブ・ダビ(*UAEの首都)の皇太子Mohammed bin Zayedがもくろんだ別のクーデターを、(UAEに居たブラックウォーターとアカデミ傭兵部隊[*]の協力のもとで)米国諜報機関が「間接的に」阻止したのだ、という。Zayedとは偶然にもMBSのメンター(導師)だったのだ。(*共に総帥Eric Princeが率いる傭兵会社)
しかし、ドーハでクーデターが起きる代わりに、実際に起きたのはリヤドでのクーデターだった。その情報筋によれば、「CIAがカタールでのクーデターを阻止したが、サウジ・アラビア人たちは、CIAの選んだ人物で次期国王にもなる予定だった、モハメッド・ビン・ナイーフの降格でそれに応じた。サウジ人たちは恐れている。CIA(の手先であるEric Prince)がサウジにおいても傭兵部隊を王には向かわせるのが可能にもみえるなかで、王政はトラブルの最中にある。このことは、MBSによる防御的反応だったのだ」という。(*註)
今や、およそ1か月が経過して、NYタイムスの一面には、白色クーデターとリヤドでの体制転換の確認情報が溢れている─主に、お馴染みの「(米国の)現政権および前政権幹部の情報によれば」という、ただし書き付きで。
それは、突き詰めれば米国のディープ・ステートのコード=中央情報局が、信頼するパートナーで対テロ担当の元ツァールでもあったナイーフの追放にいかにひどく不快感を感じているかの再確認なのだ。その一方で、CIAはただ単に、尊大で経験も乏しく自信過剰のMBSのことを信用していない。
戦士にして皇太子のMBSは、イエメンとの戦争の指揮責任を負っている─そこには何千もの市民の殺害のみならず、悲劇的な飢餓と人道上の危機も生じさせた。もしも、それでは不足なら、MBSはカタール制裁というものの設計者だった─それには、UAEとバハレーンとエジプトが追随したが─いまや完全にカタール政府が、サウジとアブ・ダビの政府が実質的にでっち上げた法外な「要求」への譲歩を拒否したなかで、彼への信頼は喪失してしまった。
ナイーフは畢竟、カタールの封じ込めには反対していたのだ。
昨今、サウド家とUAEがすでにカタール政策に関しては撤回の道を辿っていたのは不思議ではない─米国の国務長官レックス・ティラーソンが地上にあって圧力をかけたからというよりも…主に米国諜報部による影芝居の活躍のお陰で─米国のディープ・ステート(諜報部門)はペルシャ湾地域での権益の安全を確保したわけだ─カタールのAl-Udeid基地をはじめとした権益を混乱に陥れないように。
向こう見ずな「ギャンブラー」
MBSはワシントンの政界では、いい古された「サウジ・アラビアは同盟国」というミーム(情報の遺伝子)のもとで、ベルベットの子供用手袋を嵌めさせてもらってはいても…あらゆる現実的な目的からみれば、最大の危険人物なのだ。
それはまさに、有名なBND(ドイツ諜報部)の2015年のメモがすでに述べていたことだ─その若き「ギャンブラー」は多くのトラブルを起こそうとしている。EUの金融業界は完全に震撼のただ中だ…彼の地政学的なギャンブルは、何百万の退職者の銀行口座を塵埃のなかに葬り去るかもしれない。
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MBS kissing Prince Nayef in June 2017 |
そのメモは、サウド家がいかにサラフィスト=ジハーディストによるテロを援助・扇動して武装させていたのか、を関連づけていた。そしてそのことはサウジ王国に…彼らが米国大統領のドナルド・トランプを同国に招いて(レセプションの余興で)当惑を覚えるような剣のダンスの真ん中で踊るよう誘惑した後に…カタールをテロ国家だ、と自由自在に告発させるに至った。
MBSのカタール封鎖とは、アル・ジャジーラの報道を黙らせることとは関係ないが─それは、サウジのシリアでの敗北と関係がある─そして、カタール政府が(ノースドーム・サウスパーズの巨大ガス田からの液化天然ガスをヨーロッパに売るために)自らイランと同盟を組むベネフィットを優先して─「アサドは去るべきだ」という徹底抗戦主義者を捨てた、という事実とも関係するのだ。
MBSは─その病気の父君と同様に─ハンブルグでのG-20サミット会議をすっぽかした…カタール問題のはらむ当惑の重荷に耐えられずに─それは例えば、カタールの英・仏両国への投資国としての地位を考えれば、すべての責任を彼が負わされるからだ。MBSは「イラン内部での」戦争喚起をもくろんで、スンニ派対シーア派の激しい紛争の火種をターボチャージするとも約束した。
そして、さらにその先の道程にあるのは、MBSがいかにアラムコ石油会社のリスク満載の(民営化のための)最初の公募債の舵取りをするつもりなのか、という問いだ。
それは、アバヤで装った太ったレディ(サウジ王国の比喩)が歌を歌うまでは終わりそうにない。http://www.atimes.com/article/coup-house-saud/
(*註:Sputnikのコラムで筆者はこうも書いている)
…その情報筋は付け加えた、「MBSは何処でも─イエメンでも、シリアでも、カタールでも、イラクでも失敗している。中国も彼に不満を抱く─彼が新疆地区でトラブルを喚起したからだ。ロシアも石油価格の低迷の影にいた彼に不満を抱いている。誰が彼に同盟するのか?唯一の同盟者は彼の父親だが、サルマン王は認知症で全く力がない」。
情報筋は頑固にこうも言った、「CIAがサウジ王国に反旗を翻す可能性は大きい」─それはトランプ大統領と米国のディープステートの一派の間の戦いが全く新たな段階に達したという事だ。 そうした謎解きには” Jared of Arabia”ファクターもある。カタールのクーデター未遂に関わった何らかのインサイド・プレーヤーがいたかどうかは、真面目に推測しようがないが…もしも、本当にそれが潰されたのなら…ジャレド・クシュナーならば内部情報を知っていたかもしれない─彼のコネクションを考えれば。
「 クシュナーは5番街666番地のビジネスで実質的に破産して、サウジの財政的援助を求めている。彼の義父のトランプでさえ、彼の窮状は救えない。だから彼はサウジの求める事ならばなんでもやるのだ…」
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