Monday, April 4, 2011

ザ・イラク・エフェクト The Iraq Effect - By Christopher Hitchens


The Iraq Effect ザ・イラク・エフェクト By クリストファー・ヒッチンズ (3/28, Slate.com)

If Saddam Hussein were still in power, this year's Arab uprisings could never have happened. ─もしもサダム・フセインが未だに権力の座にあれば、今年のアラブの反乱は、決して起こらなかった─
 先月もっとも心を鼓舞したひとつのイメージ…〔シリアとリビアの独裁政治にたちむかって戦う市民たちの勇敢さと尊厳すらも凌駕した…そのイメージ〕とは、ホシュヤル・ゼバリHoshyar Zebariが、ムアマール・カダフィMuammar Qaddafi大佐の堕落した政権に対する強硬策の行使を呼びかけようと、パリを訪問したことだった。ここに、イラクの外務大臣だった人物で、アラブ連盟の新しい首長でもある彼が、ローカル外交の軸をワンマンな独裁者による政治に立ち向かわせよう、との尽力を行ったのだ。5月にはイラクがアラブ連盟サミット会議をホストするが、どのアラブ諸国のリーダーが自らの国の首都を離れてこの会議に参加する勇気があるのかを、見届けるのはとても面白く、大変示唆に富むだろう。こうしたすべての光景は、ゼバリが10年前に…彼の寄る辺のない民衆をサダムフセインの化学兵器の影響から保護すべく…一途に奮闘する亡命軍人だったことを記憶している我々にとっては特に、喜ばしいものだ。

 この─ 豊富な石油資源をもち、厳重に武装し、近隣諸国の内政へのトラック一杯分もの介入歴をもち、自国民に対する全面的な大規模抑圧の歴史をもつアラブの要石の国家〔リビア〕が、今だにサディスティックな犯罪者ファミリーの私的な所有財産であったなら…アラブの春がいかに最後まで行動を貫徹するどうかを誰が想像できるだろう?しかし、それが今現在の状況であるなかで、イラクという国をもうひとつの物差として初めから持っていることがどんなメリットを持つのかは…伺い知れず認知もしがたいことで、その影響の及ぶ範囲の計算すらも、不可能なことだ。そしてリビアをイラクと重ね合わせることによる影響も…同様に、しばしば見過ごされがちではあるが、一様にポジティブな影響を有しているだろう。

 最初のポイントとして、私はエジプト人とチュニジア人、そして他の抗議デモの参加者たちは、イラクの旗を振りながらそれを模倣すべく街頭に出たわけではない…と認める。(しかし、エジプト民主化運動の知的なゴッドファーザー、サアド・エディン・イブラヒムSaad-Eddin Ibrahim(*)は公けに、サダム・フセインの失墜というものを霊感の源として賞賛し、そして…レバノンの「春」の多くの初期のリーダーたちもまた、同様な言葉を用いてオープンに語っていたものだ)こうした寡黙さとは、とても理解しやすい…なぜなら、ゼバリ外相が賞賛したイラクの北部クルディスタン地方のことはおいても、そうした国の解放はその国の民衆たちだけでは完全になし遂げられはしなかったものだからだ。(*Saad-Eddin Ibrahim http://tinyurl.com/3o5um59 ) しかしこの点は、アラブ連盟自身が(彼らの内に)外部からの支援を得ることなく、国の内部から政権転覆されることに対して鈍感な政権が、いくつか存在する…と認めて以来…より一層の論議の的になっている。カダフィの政権はそうした政権の、特に際立った例であり、そしてサダムの政権もまた、シーア派住民とクルド系住民を繰り返し爆撃して毒ガス兵器で攻撃したことでも十分に証明されるように、そのような政権として悪名高いものだった。しかしながら、イラクには既に…初歩的で僅かばかりのものとはいえ、フリー・プレス(自由な報道機関)と、明文化された国家憲法があり、アラブの市民社会として最低限度求められる議会選挙のシステムも備えている。イラクは既に、ビン・ラディン主義者がその揺籃期の民主主義に対して投げつけた…火の試練をもくぐり抜けて、それを広汎に打ち破り、それらに対する信頼を奪った。こうした試練や経験というものは、メソポタミアだけにとって有用なものではない。

 リビアにおけるイラク・エフェクト(イラクの効果)とは:ここに英国の外交官で、カダフィの備蓄していた大量破壊兵器の〔欧米への〕引き渡しの交渉を助けた人物から私が聞いた話がある。彼はどんな意味でもネオコンなどではあり得ない(女王陛下の外交及び英連邦の事務所にはそのような人物はまずまれにしか居ないが)…そして彼は3つのファクターを強調した。

 第1に、そして現況では最低限、欧米は特に優れた諜報能力を持っているため、カダフィを彼の秘密のプログラムについて認知している内容をもとに悪魔化することができた。これに時を経るとともに更に累積的に加わっていったのは スコットランドの裁判所のロッカビー事件(*パンナム航空機爆破事件)への頑固なこだわりだった。(これを、自らに「王の中の王」(king of kings)というようなスタイルを当てはめるような人々からは不完全に理解される金言のごときスコットランドの法律と混同しないでほしい) (*参考記事:http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/09/lockerbie-more-evidence-of-cynical.html パンナム航空機事件・2)

 第3番目に、そしてこのタイミングでとても重要なことは、カダフィがサダム・フセインの運命を打ち眺めて絶望的な恐怖に陥った…ということだ。このことはビン・ラディンの多くの将官らに対して、私の多くの友人らが行った聴取尋問でも広く再確認されている。彼〔カダフィ〕は、結局のところ─国連ではなく─ ジョージ・W・ブッシュとトニー・ブレアとにアプローチした。かくして今、カダフィの備蓄していた兵器は、テネシー州Oak Ridgeの、鍵と錠に閉ざされた内にあるのだ (*http://www.msnbc.msn.com/id/4078175/ns/world_news/ )─その痕跡の要素によって、パキスタンのA.Q. Khan(A.Q.カーン博士…核兵器学者の「死の商人」http://www.globalsecurity.org/wmd/world/libya/khan-libya.htmを犯罪者と定義することに成功しながら─。しかし想定のし得る限り…彼(カダフィ)がそうなることを望んでいなかったと誰が言えるだろうか?

 しかし…彼の毒牙は抜かれても、カダフィは、薄汚れた迷惑者であり続けた。New York Timesが先週、brilliant dispatch(* http://www.nytimes.com/2011/03/24/world/africa/24qaddafi.html?pagewanted=all )でレポートしていたように、彼は西欧の石油企業に、彼自身がロッカビー事件に関して課せられていた150億ドルの弁償金の支払いを強いた、というわけだ。彼は彼の国民を搾取し続けた ─TVに写る民衆が皆、いかに貧しくみすぼらしいかを見てみるがいい─リビアの巨大な富を、個人的な名声を打ち立てるプロジェクトのために浪費しながら。彼のリベリア、ダルフール、チャドへの流血の介入では、もう1機の商用旅客機が爆破されて…今回のそれとは、フランス航空機だった(*http://en.wikipedia.org/wiki/UTA_Flight_772 )─もっと、ずっと以前に彼を戦争犯罪と人道に対する罪で告訴できていたならどんなによかったことか。サダム・フセインと同様に彼は、彼自身を言語道断で、かつヒステリックに「問題」として定義し、リビアの悲惨と地域の苦しみのfons et origo(本源)であると主張し続けた。それならなぜ我々は、恥ずかしそうに、我々は「彼の勢力を」標的にしてはいるが、彼自身を標的にしていないなどと装った主張をし続けているのか?

 英国では、例えば、この論議はこっけいで笑劇じみたプロポーションへと達した。先日、カダフィのバブ・アル・アジズヤの「コンパウンド(複合本部基地)」Bab-al-Azizya "compound" に到達して大損害を与えたのものが英国の巡航ミサイルであることは、誰も疑ってはいないが、しかしDavid Cameron首相は、いくつかの攻撃段階において、おそらく標的とされていたのは独裁者である可能性がある、と述べているのにも関わらず、彼の防衛参謀長Gen. Sir David Richardは「絶対にそれはない」と述べている、なぜなら国連決議がそのような非常時作戦を認めていないからだ。

 ワシントンでは、バラク・オバマ大統領が正当にもカダフィは「去るべきだ」と述べたが、しかしそのミッション自体は、市民を虐殺から守る…という目標の1つだと描写されている。ストレートな語り方、あるいは殆どテクニカルな軍事的説明においてさえもそうなのだ。もしも、指揮統制command and controlという言葉に意味があるのなら、彼らはリビア人たちを余りに長きにわたって指揮し統制してきた、泣き言を言う君主を確かに特定する。

 ホシュヤル・ゼバリは、長期にわたり北部および南部イラクをサダム・フセインの攻撃用ヘリコプターから守った「飛行禁止区域」の先例に関して嬉しそうに語った。しかし彼は、このことにおけるロジックが無情なものであることも完全に知っている。日々、サダムの地上勢力は、それらの航空機を銃撃した。日々、クウェイトとの停戦後合意はより一層すり切れ侵害されていった。日々、イラクは1人の専制君主の気まぐれの惨めな人質となっていることがより明白になっていった。

 現在直ぐにもなすべき仕事は、こうしたレッスンに習うこと、得られた知識を適用できるまでの時間を短縮すること、悪をその正しい名前で呼ぶこと、そしてカダフィに対し、彼自身の死か、あるいは彼の(亡命への)桟橋にたち現れるかの厳しい選択肢を示しつつ面と向かうことだ。彼がこのようなエピソード(状況)から、彼自身の権威の切れはしを維持して立ち現れることは、道義的にも考えられない、そして、そのことを大声で言わないことは、道義的にみても意志薄弱すぎる。ミッション・クリープ Mission creep(*)という、醜悪で不恰好な言葉が突然、それ自身の酷い意味を帯びてくる。アラブ連盟が5月に会合を持つ際には、彼らは自由なイラクの地において、リビアの新しい暫定政府を歓迎しなければならないのだ。そして我々は円を閉じる─そしてこうしたすべての勇敢な人々、旧体制ancien regimeの最も悪しき要塞を打ち崩そうとして倒れた人々の汚名を注ぎ、正しさを立証せねばならない。

*ミッション・クリープ、終わりの見えない展開◆本来は米軍事用語で任務を遂行する上で目標設定が明確でなく当初対象としていた範囲を拡大したり、いつ終わるか見通しが立たないまま人や物の投入を続けていかなくてはならなくなった政策を意味し批判的に使われる言葉.
http://www.slate.com/id/2289587/pagenum/all/#p2

Hitchens poses with Kurdish Peshmerga fighters

Sunday, April 3, 2011

バラク・オバマは「隠れスイス人」なのか?Is Barack Obama Secretly Swiss?- By Christopher Hitchens


国連諸国による、対リビアの「飛行禁止区域」作戦への決議においてオバマ政権の態度は曖昧で後ろ手に回っていたと批判されたが


バラク・オバマは、「隠れスイス人」なのか?Is Barack Obama Secretly Swiss? By クリストファー・ヒッチンズ(2/25, Slate.com)
 
 それがどんなに意地悪な恨みがましい言い方であっても─共和党の新たな下院議長さえ今や、大統領はハワイ生まれで、一種のキリスト教徒だということに対して譲歩した。だからもう、この議論に関してはすべて終わるよう望もうではないか。もっと切迫した質問が今や、出しゃばりながらその姿を現しているのだ:バラク・オバマは、隠れスイス人なのか?という…

 私が、何を言いたいのかを説明させてほしい。中東の専制君主(*ムバラク)は今や、彼の権力の時がすっかり、本当に終わったということを知った。彼はそのことについて─ 彼のチューリッヒやジュネーブの銀行業者が、彼からの送金の受容れや秘密連絡への返答も止める代わりに、彼の資産を「凍結」し始め、その資産の規模や所在を彼が長年食い物にしてきた国の捜査官たちに暴露し始めた─そのときに知った。そして、まさにその瞬間に米国政府もまた、くだんの預金者のことを、正しく選ばれた国家元首であるとこれ以上認めないと宣言した。しかし時としてこの協調行動には、幾分かの「みすぼらしさ」がある。CIA長官のレオン・パネッタは、ホスニ・ムバラクが退陣することを、実際にそれが起きる1日前に米国議会で証言した。しかしCIAのすべてのご愛嬌とは、この機密情報収集が常に、すでに一般大衆に広まっている認識よりも何ビートか後れを取るという事実だ。一般的にはしかし、ホワイトハウスと国務省は彼らのストップウォッチをもっていて、スイスの座標に合わせたリアクションを見せる。

  それは単に公表された声明とシンクロして行われるだけではない。オバマ政権もまた、世界情勢における米国の重みが、スイスのそれと大体同じであるかのように振舞う。我々は事の進展を待つ。我々は用心深さを要求し、また抑制すらも求める。我々は国際的なコンセンサス形成を期待する。そして、スイスの銀行家たちがその乗り馬を替える方法には何か軽蔑すべきものがあるゆえに、ワシントンの政権がその影響を蒙るという状況のなかにも─そしておそらく、それがアメリカの無能さの体現に寄与するなかにも─何か軽蔑にあたいするものがみえてしまう。そのことを除けば、スイスには少なくとも冷笑的態度に徹するという言いわけがあるのだが、アメリカのポリシーはどうやらやっと、冷笑的でもあるがナイーブでもある、という状況に至る。

  このことは特にまた、リビアのケースでも明白となっている。何週間にもわたって政権はエジプトに関してためらいを続け、そしてその行動を─腐臭を放つ古い友人・自らの有効期限を越えて長生きをしすぎた同盟者と関わりつづけるのは困難だとの根拠に基づき─ 最も値の低く、動きの鈍い公分母のもとに修正し続けた。しかしその後に、Muammar Qaddafiの出番がきた…オールラウンドな悪臭を放つ厄介者というだけでなく、さらに長期的な敵として─かくして政権のためらいが、全面的に再開した。2月23日の水曜までには大統領が気持ちを和らげる(鎮静剤的な)発言をしたが、一般的にある「暴力」を非難しつつも、特にカダフィの名前を挙げなかった─世界中のすべての政治家や女性政治家たちがそれを口にしていたが、オバマだけは口にしなかった。そして彼の沈黙は打ち破る価値すらもなかった。彼女自身による数語の言葉をようやく口にしたヒラリー・クリントン国務長官の言葉を木霊のように繰り返しつつ、彼はただ、必要なものは国際社会の一致した意見であると、強調した─まるで、完全な統一見解がなければ何ひとつできないか、あるいはその試みすらできないかのように。そのことは残る全てのカダフィの同盟国たちに、自動的に拒否権行使(決議否認)をもたらした。それはまたアメリカの意見は、たとえばスイスなどの意見と比べてさえ最早、聞くに値しない、といった印象も強調した。クリントン長官はその後、他でもないジュネーブに派遣され、そこで国連人権委員会と会合を持った─すでにカダフィがメンバー国であることで絶望的に汚され、馬鹿げた実体と化していた委員会に。

 オバマの空虚なスピーチがなされたその時までに、寛大さで知られるアラブ連盟はリビアの加盟を保留にし、またカダフィ政権の数人の上級外交官らは、勇敢にもカダフィから離反した。彼らのうちの1人でニューヨークをベースにする人物は、(カダフィによる)市民に対する戦闘機の使用について警告し「飛行禁止区域」の設定を求めた。他の者たちは、航空機がカダフィの側にフレッシュな傭兵を運んでくることも指摘した。地中海では、米国は第6艦隊を展開させており、それはカダフィの空軍を難なく飛行禁止にする(地上に押しとどめる)ことも可能だった。しかし、待て!我々は今だにスイスの海軍本部から連絡を受けていない、彼らからのインプットなしにそれを遂行すれば、必ずや無分別だとみられるのだ。

 明らかにオバマ政権は、自らに関する次のような非難に対して少しは敏感になった: … a)再び、完全に不意打ちを食らった、b)明かに自分身のポリシーを持たない、 c)モラル的に中性的である… そして、その全ての弱々しさの形を最大化したような議論を持ち出した。もしも我々がより堅固な、またはもっと識別可能な立場をとっていたならば、我々のリビアでの外交スタッフは危険に晒されていたかもしれない、とも論じられた。言い換えれば我々は彼らが、もうすでに人質にとられているかのように振るまおうと決意したのだ。もっと力の弱い諸国の政府の多く─リビアにある外国大使館の数と同じぐらいに膨大な在留外国人の人口も擁する国々の─ は既にカダフィの犯罪的行動について非難し、そしてEUは制裁をも検討していたが、しかしアメリカ(火曜日までにそのスタッフを国外退避させるための船すらチャーターしていなかった)はまるで、カダフィ大佐に不本意ながらも拘束された囚人のように振舞うのを余儀ないと感じていた。私はこれまでの先例として、このような感傷的などんな「ドクトリン」があったかも直ぐに思いだせないが、しかしこのことがいかに将来、時間を稼ごうとするならず者国家にとって有用な先例を作ったかはたやすく見て取れる。我々を一人にして欲しい─ あなたの声すら上げないで欲しい─ そうしなければ、我々はあなたの国の大使館の安全性すらも、保証できない─(NATOの同盟国がカダフィに、明白にこう告げることは、今、 行なっても早すぎることではないのだ:「彼がもしそれを試みたならば彼は彼の王位を、また今にも倒れそうな彼の軍隊と、おそらく彼の価値のない生命をすべて1日の午後のうちに失うだろう」、と)

 政府が、カダフィとその酷い息子たちに個人支配されたリビアとその民衆というものの継続を含む未来図をシリアスに思い描いたりしないのなら、それは純然たる、慎重さとリアルポリティークの問題だ─ それと逆の状況を想定させるような政策をとるためにも、原理原則などについて何も言うことはない、ということだ。リビアとは ─人口と地理の面からみれば─ 主に海岸国だ。アメリカには同盟国があろうとなかろうと、空軍力と、隣接海域での軍事力では誰にも引けを取らない。アメリカには人道援助物資と医療援助物資の大規模な航空機輸送と海上での輸送が可能で、それはじきにエジプトとチュニジアの国境沿いで必要になるだろうが、そしてそれは夢に見られたことすらない善意(グッドウィル)を買うことができるだろう。この国は、カイロとチュニスで起きた出来事における、ポイントの定まらない遅滞ぶりによる信用の失墜を埋め合わせるチャンスを得るだろう。この国はまた少なくとも、素晴らしいテーマにおいて偉大なスピーチのできる能力を示した大統領を持っている。しかしその代わりに、革命が決定された日々、重要なその形成期の日々のなかにおいては、我々は無駄なわめき声をあげるカッコー時計に耐え忍ばねばならなかった。
http://www.slate.com/id/2286522/

Saturday, April 2, 2011

リビア:西欧とアル・カイダが同じサイドに!Libya: the West and al-Qaeda on the same side

リビア:西欧とアル・カイダが同じサイドに!Libya: the West and al-Qaeda on the same side (3/18, The Telegraph)」

─アル・カイダとイスラム過激派の主導的勢力がリビアの革命勢力をサポートするとの声明は、西欧の軍事作戦がその思想敵の術中にはまるのでは、という怖れを引き起こした─

 ウィキリークスの公電内容と、独立系アナリストたち、そして報道記者たちは全て、カダフィ大佐の政権に反対する勢力のなかに─特にBenghaziとDernahの町に─イスラム主義運動のサポーターたちがいることを認めている。

 リビア出身のアル・カイダのリーダーAbu Yahya al-Libは1週間前に、反乱を支持するとの声明を発したが、カタールに本拠を置くムスリム同胞団と繋がりのある神学者、Yusuf Qaradawiは、カダフィ大佐の軍の側近らに、彼を暗殺してよいとのファトワ(宗教令)を発した。

 しかし批評家らまた、反乱の主要勢力は、隣国エジプトでもみられたような各種の社会階層にまたがる人々(Cross-section of society)─と同様の、リベラル主義者、愛国主義者、また政権の暴力による個人的被害にあった人、そして民主主義の原則を支持するイスラム主義者、などで構成されていると認めている。

 ウィキリークスの公電中、初めに2008年にデイリー・テレグラフが公開したものによれば、Dernahは特にアフガニスタンやイラクでのジハード戦士を養った土地であるとされる。

 「東部リビアの、失業した、社会的つながりのない、何も失うもののない若者たちがこうして、宗教の名のもとにある過激主義に染まることによって、彼ら自身を、何か彼らよりも偉大なもののために喜んで犠牲にする」、とDernahのビジネスマンは語ったと公電は述べている。
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/africaandindianocean/libya/8391632/Libya-the-West-and-al-Qaeda-on-the-same-side.html

アル・ハシディ氏はかつて、アフガニスタンで外国の侵略者と戦っていたことを認めた Mr al-Hasidi admitted he had earlier fought against 'the foreign invasion' in Afghanistan (3/25, The Telegraph)


 イタリアの新聞 Il Sole 24 Oreのインタビューによれば、リビア反政府勢力のリーダーの一人Abdel-Hakim al-Hasidi氏はかつて彼がおよそ25人の男たちを、イラクで多国籍同盟軍と戦わせるために、東部リビアのDerna地域でリクルートした。そして、彼らのうち何人かはいま、リビアで「Adjabiyaの前線で戦っている」という。 (*写真はAl-Hasidi氏)

 Al-Hasidi氏は彼の戦士たちが「愛国者で、よきムスリムだが、テロリストではない」と主張しつつも、「アル・カイダのメンバーたちもまた、よきムスリムで、侵略者たちと戦っている」と述べた。

 彼によるこの暴露は、チャドの大統領Idriss Deby Itnoが、アル・カイダがリビアの反政府勢力ゾーンで兵器庫を略奪し、武器(対空ミサイルを含んでおり、それはのちに彼らアル・カイダの聖域に持ち込まれた)を獲得している、と述べた後になされた。

 Al-Hasidi氏は、彼がかつて2002年にパキスタンのペシャワールで拘束される前は、アフガニスタンで「外国の侵略勢力」と戦っていた、と認めた。彼は後に米軍に引き渡され、そしてリビアで2008年に解放されるまで拘束されていた。 

 米国および英国の政府筋によれば、al-Hasidi氏は95、96年に数十人のリビア軍兵士を殺害したゲリラ攻撃を行ったLIFG(Libyan Islamic Fighting Group)の元メンバーであるという。 

 LIFGはアル・カイダの一部ではないが、米軍のWest Point士官学校が述べるには、2つの組織は、「ますます協力的な関係」にあるという。2007年に同盟軍がSinjarの街で捕捉した書類によれば、LIFGのメンバーはイラクでサウジ人についで2番目に大きな外国人の戦士部隊をなしていた。 

 今月早く、アル・カイダはリビアの反体制派をバックアップするための支持者を募ったが、彼らは同国を「イスラム的なステージ(段階)」に導くための祝福を先導する、と述べた。

 英国のイスラム過激派勢力もまたこの反体制勢力を支持し、非合法組織al-Muhajirounの元リーダーは、「リビアからのイスラム、シャリアおよびジハード」が、「イスラムとムスリムの敵を、アラーが彼らの友・日本人に対峙させて送った津波よりも、さらにひどく動揺させた」と述べた。 http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/africaandindianocean/libya/8407047/Libyan-rebel-commander-admits-his-fighters-have-al-Qaeda-links.html

アル・カイダの前リーダー曰く:反政府勢力には1000名のジハード戦士がいる Former Libyan Al Qaeda Leader Says There Are 1000 jihadists Amongst Rebels (3/30, Infowar.com)
 

 リビアのアルカイダに繋がりのある組織の前リーダーによれば、対カダフィの反政府勢力のなかにイスラム過激派の1000人のジハード戦士がいるという。それでもNATOはいまだに反政府勢力への武器供与を検討している。

 元ジハード戦士だが、2000年には自身のアル・カイダとの繋がりを破棄したNoman Benotmanは、およそ1000名のジハード戦士がリビアに居るとの推論をWashington Timesのインタビューで語った。彼はそうしたジハード戦士を「フリーランス・ジハーディスト」と呼ぶが、彼らはアフリカのテロリストのセルであるAQIM(マグレブのアルカイダ)の一部だという。

 …彼らは自らを反政府勢力のリーダーとは称さず、あえて民衆にまぎれて浸透し、人々の勢力を損ねないようにしている。Benotmanによると、彼らはリビアでの「イスラム国家設立」を望んでいるように見られるのを恐れている。 昨日ワシントンのキャピトル・ヒルでのインタビューでも同盟NATO軍の最高司令官James Stavridisが反乱勢力のなかでのこうした原理主義者たちの存在を認めた。これは米国諜報部による推定とも合致している。 http://www.reuters.com/article/2011/03/29/us-libya-usa-intelligence-idUSTRE72S43P20110329

*北東リビアで反政府ゲリラをリクルートしているのは、前にLibyan Islamic Fighting Group (LIFG)、と名乗っていたが、その後AQIM(マグレブのアルカイダ)と合体したグループであり、イラク戦争時にリビアから多量のゲリラ戦士をイラクに送っていたのと同じグループである、という(要旨) http://www.infowars.com/former-libyan-al-qaeda-leader-says-there-are-1000-jihadists-amongst-rebels/  

リビアの民衆をサポートせよ、だが武器は供給するな!Support the Libyans but Don’t Arm Them! 


NY市立大の社会学教授が、リビア情勢について寄稿している。米国の各大学の授業ではいま、このような議論が交わされていそうな気配がある


リビアの近隣地域に気を配れば (Looking after Libyan Neighborhood) By John Torpey (3/31, Informed Comment)


 多くの悪さと残虐行為が行われた後に、悪名高い荒廃した地域のこの悪質な麻薬王、トラブルメーカーに対して警察がついに動いた。その近隣において包囲された住民たちはこのところ勇敢に反撃しているが、彼らはおそらくその地でショーを上演している、火器の兵力に勝るギャング街の帝王には抗戦できないだろう。

 そのギャングスターとはもちろん、Muammar el-Qaddafで、麻薬とは石油のこと、そしてその近隣地域とは、アラブの中東だ。

 信頼をなくしたブッシュ政権時代の政策や行動から目を見張るようなシフトを遂げて、オバマ政権は、罪のないリビア人の血が多量に流されぬよう阻止するためのcoalition of the well-meaning(善意からでた同盟)に合流した。2003年にイラクに侵攻した、あの偽の「coalition of the willing(有志連合)」からは程遠く、カダフィ大佐に対抗するその軍事力同盟は、現実的に想像しうる、グローバルな努力にも近いものがある。
 
 国連安保理では何カ国かの反対も確かにあったものの、カダフィが彼の市民たちを虐殺するのを禁ずるための決議案に票を投じた。アラブ連盟─そのなかの何カ国をカダフィ大佐は過去に、不必要に侮辱してきたのだが─はリビアのアラブ住民を守るために外部勢力(*アラブ連盟ではUAEとカタールが国連決議による作戦に参加)を招いた。アフリカ連合諸国は、ロンドンで戦略を練るべく「コンタクト・グループ」のミーティングに参加してきた。地域的なプレーヤーとしてますますその重要性を増しつつあるトルコは、欧米諸国によるいかなる占領もこれに続かないことを再確認しながら、それを条件に同盟のプランに進んで同意した。なぜならこのような合同の軍事的意思決定から生じかねない複雑な状況にも関わらず、この作戦の「コマンド(司令)およびコントロール」はNATOに引き渡されているからだ。そして勿論、反対国の多くは外部的なサポートを弁護した。

 米国はこの戦場に軍事力を行使することのできるベストな存在なのにも関わらず、他の国々が主張してオバマ大統領も同意したのは米国が地上軍兵力を送らない、ということである─もしもその軍事作戦に「何週間かではなく、何日かでも」同国が巻き込まれた場合においてもだ─そして米国は全般的な意味で、この作戦の指揮ではバックシートに控えようとしている。勿論オバマは、米軍がもう一つのムスリム国家での作戦に巻き込まれることに対しては過度に口を閉ざし、そしてこうした他の国々がこれに関与することを決めた後になって漸く、米軍の兵力も善き動機のために用いられるということを認めた。

 わずか数年前の見方では、こうした行動全てが非常に目立つものだった。少なくとも金融危機が起こるまでは、メディアのインクの海は「米帝国」のキャラクターと(それが蒙った)偶発的な災難に関する報道で満ち溢れていたものだ。ローマ帝国と比べれば…第1帝国はその全盛期に彼らの知る全ての世界へと覇権を拡大した。そしてブッシュ政権はこれと競っていたようにも見受けられた─イラクに目をやれば、そこは同政権が民主的国家建設のファンタジーを実現するための遊び場のようでもあった。

 米国の軍事力は依然として、世界の残りの国々の軍事力の総体よりも大きな、過度のものである。しかしそれは主に、今現在、戦われているような種類の戦争とはあまり関係のない…テクノロジカルな問題である。かくして、他の富裕な社会とも同様に、米国は全て志願兵からなる兵力(徴兵制による大規模な軍隊ではなく)によってやっていける。今、戦われている戦争とはしばしば、「選択による戦争(War of Choice)となることが多い、なぜなら誰しもが、正常な意識を持っていれば米国を攻撃しようとは考えないからである。こうした戦争は、世界の多くの荒廃した地域での紛争や暴力を抑えるために行われる。

 どの近隣地域を選んで軍事介入するかが、利益に誘導されるものであることは、勿論だ。第1次湾岸戦争の間には、反対者たちは問いかけた、「クウェイトの主要な輸出物がもしもブロッコリーだったら、どうだったか?」と。彼らには一理があった。軍事力が行使されるいかなる状況についても、多くのハードな(厳しい)質問がなされるものだし、力の濫用への疑問には常に答えがなされるべきだ;海外での軍事介入というものは本来、自国自身への明確な、現存する危険性のある敵勢力に対峙している状況がなければ、疑念の持たれるものである。

 それでも我々はリビア情勢に関しては国際情勢の曲がり角を曲がってしまった。我々が未来の日々にこのことを回顧すれば、それは我々がブッシュ以前のインターナショナリズムの時代に戻ったこと、そして米国の外交戦略が第二次大戦後にその設立を助けた国際機関(の数々)に対し再度の貢献を図ったこと、と捉えられるだろう。同盟勢力は、市民の生命の大きな犠牲を避けたのだという善き動機を主張できる。過去における人道的な失敗の亡霊は、最終的には鎮められるだろう。

 現状における困難な事柄とは今、ここから、何をし始めるのかということだ。政権の交代は…皆がカダフィが政権の座から去ることを望んではいるとはいえ…米国政府のポリシーではない。我々は寄せ集めの、訓練のされていない、武器にも乏しい反乱軍に兵器を供給すべきなのだろうか?この種のステップは米国の海外での勢力の記録においても長らく、しばしば逆効果を生む歴史を刻んできた…ニカラグアのコントラや、オサマ・ビン・ラディンなどの例が思い出させるように。我々は現実として、この反乱勢力が誰であり、彼らが最終的に何を望む者なのかも知らない。この地域は既に米国製武器が満ち溢れている。反乱軍を武装させることはとてもリスキーな賭けにみえるが、しかし彼らをここに残して、カダフィの勢力が再結成され彼らをあちこちで打ち破るという状態に任せることも難しい。

 グローバル・ドメスティック・ポリシーとしては、恐らく─たとえリビアの人々がそれによって効果的に反撃できなくなるのをみて、我々自身も傷心におちいる可能性があろうとも、武器を多くの未知の勢力に受け渡すことを含むべきではない。我々がもしも彼らに武器を供給したなら、戦闘は彼ら同士のものというよりもより一層…我々自身のものと化してくる可能性があり、そしてそれは路上において逆効果な結果(バックファイヤ)をもたらすだろう。しかし同盟軍は、確実に諜報活動や後方支援、そして政治的支援をおこなうべきで、それによってこの地域の住民が、この地域を彼らにとって最も良いやり方でクリーンアップできるよう望みたいものだ。 John Torpey is Professor of Sociology at the Graduate Center of the City University of New York. http://www.juancole.com/2011/03/torpey-support-the-libyans-but-dont-arm-them.html     

Sunday, March 20, 2011

「地中海クラブ」の戦い/The Club Med war - By Pepe Escobar

「地中海クラブ」の戦い・The Club Med war - By ペペ・エスコバル (3/19, Asia Times)

 国連安保理が、包囲ただなかの反ムアマール・カダフィ運動の人々を支持するために「飛行禁止区域」を設置し、後方支援や食糧・人道的支援・武器供給等をも行う、という決議案1973号を採決したことを思うと、本当に気持ちが高揚してくる。 それは米国の国連大使スーザン・ライスの言葉によれば、「国際社会」が真に「リビアの民衆の、普遍的な人権への追求とともに」立っている、ということの証明なのかもしれない。

 しかしここではもっと、より正しく(道義的に)なってみるべきなのだ。おそらくこの火曜日、ドイツのTV局とのインタビューでアフリカの王の中の王・カダフィ大佐が─「欧米諸国の企業は、それが飛行禁止区域設定に反対するドイツ人たちでない限りは、リビアによるエネルギーの大盤振る舞いにキスしてお別れができるだろう」─と保証した、そのときが形勢の変わる転機だった、と歴史は記録することだろう。(*1)カダフィは露骨にもいった、「我々は彼らの企業を信頼しない、彼らは我々に対し共謀ばかり働いてきた…われわれの石油の契約は、ロシアや中国、インドの企業に与えられるだろう」…それは言葉を変えれば:BRICS諸国のメンバーに、ということだ。

 国連決議案・1973号が賛成10票、反対票ゼロ、棄権5カ国によって採決されたことは興味深い。これらの棄権国とはまさにBRICの4カ国(ブラジル、ロシア、インド、中国)と、それに加えてドイツだった。ブラジルとドイツは何日間にも及ぶ軍事行動への深い疑念を口にして、外交的な解決の方を望んだ:しかしロシアとインド、中国の場合には、他のエネルギー関連の思惑も動機だったかもしれない。BRICSのトップの4カ国は(その拡大グループのメンバーとして4月に正式参加する南アフリカは決議案に賛成したが)、どんな大きな決議に際しても同調して投票する傾向がある。

私を石油に連れていって Fly me to the oil
 それゆえ、皮肉屋(シニカルな批評家)たちは、時の試練に耐えてきた信条を呼び覚ます権利があるかもしれない─「それは石油だ、愚か者!」というような。

 リビアはナイジェリアやアルジェリアにもまさるアフリカ最大の石油経済国だ。同国には少なくとも、465億バレルの石油埋蔵量が確認されている (エジプトの10倍に相当する)。それは全世界の埋蔵量の3.5%にあたる。リビアは1日に140万から170万バレルの石油を生産するが、さらにそれを 300万バレルに伸ばしたいとも考えている。その石油は特に、1バレルにつき約1米ドルという極めて安い生産コストのお陰で珍重されている。

 カダフィが欧米の石油メジャーを脅迫したときに彼が意味したのは、フランスのTotalや、イタリアのENI、英国のBP、スペインのRepsol、 ExxonMobilやChevron、Occidental Petroleum、Hess、そして Conoco Phillips などの企業との取引のショーはもうすぐ終わるだろう、 ということだった─しかし、中国の国営石油公社China National Petroleum Corp(CNPC)は、そこには含まれてはいなかった。 中国はリビアを、そのエネルギーの安全した供給の要としてランクしている。中国はリビアの石油輸出の11%を獲得しており、CNPCは3万人以上の中国人労働者(BP社の場合の40人と比べてほしい)を、静かにリビアから本国へと帰国させた。

 イタリアの石油巨大企業ENIは1日に24万バレルの石油を生産しているが、それはリビアの全輸出量の25%ほどを占めている。リビアの石油の85%近くがEU諸国に向けて販売されている。

 それなら、国連が認可を下した、リビアに対する米国/NATO/アラブ連盟の軍事行動というもので(理論の上で)利益を享受する者たちのWho’s who(人名録)には、EUとアングロサクソン系米国石油大手が含まれるに違いない。ウォールストリートはいうまでもないことだ─西欧諸国の銀行に預けられたこうした何十億ドルものリビアの金について考えてみたまえ、そしていまそれは没収されたのだ: そしてもちろん米国とEUの兵器製造企業というものも含まれるだろう。

 それがどのように実施されようと、またカダフィがどんなに長く抵抗しようとも、国連決議1973号はEU、とくにイタリア、フランス、ドイツへの石油の供給を深刻に破壊することと親密に関連し、またそのことはあらゆる地政学的な事柄(特に、米国とEUとの関係にはじまるような)への示唆にも関連してくる。 誰もがカダフィ以後のエネルギー供給の環境においてよいポジションを得たいと願っている。

 国連決議1973のキー・ポイントとは、4番目のポイントだ:「すべての必要な手段を講じて…リビア・アラブ・ジャマヒリーヤ国(ベンガジを含む)での攻撃を通じて、市民と市民らの居住地域を保護すること─しかしその際に、リビア領土内でのいかなる形態の外国の占領軍の活動も排除する」。その「すべての必要な手段を講じる」ということが、飛行禁止区域の枠を超えることの可能性を強調していることは肝要だが、その際にも、地上での軍事侵攻は思い止まるとしている。それは結果においては空からの攻撃をすべてカバーする、例えば巡航ミサイルを発射して、ベンガジへの道路上にあるカダフィ軍の戦車を攻撃することもすべて含んでいる。それはまた、トリポリのカダフィ政権の軍事施設や、彼の本部への空爆さえも含むものだ。カダフィがもしも最後まで戦うならば、その統治の終わりは政権交代によってしか起こりえない。

だが、バーレーンはどうなっているのか? But what about Bahrain?
 ヒポクラシー(偽善)の警報No.1が発令された。アラン・ジュッペAlain Juppeがフランスの外相に返り咲いて、人道主義の価値についてお説教をのたまうのを見るのは喜ばしいことだ。独裁者ベン・アリを追放する民衆の戦いが巻き起こっていた最中のチュニジアで休暇を過ごしていた、シャネル・ブランドの象徴のミシェル・アリヨ・マリーMichele Alliot-Marieに代わる後任として。

 バラク・オバマ政権は─少なくとも公けには─国務長官のヒラリー・クリントン(飛行禁止区域に賛成する)への支持と、ペンタゴンの最高権威者ロバート・ゲイツ(それに反対する)への支持の間でまっ二つに割れていた。オバマ大統領は、彼の持ち札を最後の瞬間まで明かさなかった(カダフィは去るべきだ、と述べたこと以外には。)

 そのように振舞いつつも彼は─ 国連が<アラブ諸国やレバノンと協調しつつ、決議の草案を磨いていた英米(アングロ)諸国とフランスのデュオの協力のもとで>─その主導権をとるようにと、プッシュした。 大統領がそのような方向性を貫いて、彼自身への信頼性を見境いなく主張しつつも、それと同時に彼は「自由を支持するための決断力のある行動に欠けていた」、といわれることのなかに、辛らつな批評家たちが見たのは、それがおそらく狡猾な影絵芝居だということであり─そこでは…それに不快な呼び名を付与することは避けがたいが…国連が新たなる国際的な「有志連合(*イラク戦争当時のもの)」、というものを正当化した(西欧諸国による介入というものに代わって)という印象が残るのだ。人道主義にもとづく非帝国主義、などというものについて誰かアイディアがあるのなら、手を挙げて言ってほしい!

 今やそれはNATOがいかにして、地中海沿岸のフランス軍基地と、シシリーのイタリアの空軍基地、海軍基地を用いて週に3億ドルものコストをかけて作戦を遂行するか、ということにかかっている。ペンタゴンのゲイツ長官は、既にリビアの近海にある米海軍の軍備をも再配備している。 そして彼はオバマに、ペンタゴンにその能力があると確約した─そうでない可能性がどうしてあるのか?─つまり、第3の戦線を開くということが可能でないということが?

 偽善警報No.2を発するときがきた:サウジ・アラビアとUAE、カタール、そしてヨルダンはみな米国/NATOの反カダフィ勢力に協力するかもしれない。 そのうちの3カ国とは、ペルシャ湾岸の湾岸協力会議(GCC)のメンバー国だ。アラブ連盟の加盟国として彼らは先週、飛行禁止区域の設定に賛成票を投じた。こうした4つの専制君主国が、彼らのバックヤードでも彼らの政権に逆らって正義と尊厳と民主主義を求めている抗議勢力と、同じ種類の勢力に対して、彼らの利益のために軍事作戦を支持するなどということは、何と宇宙的な皮肉なのだろう?

 エジプトの暫定軍事政府は、よりセンシブルなことに、既に彼らがこの軍事作戦に参加しないことを宣言している。その代わり、エジプト軍は攻撃用ライフルと砲弾を─ワシントンの同意のもとに─東部リビアとの国境をまたいで送り出している。

 それならば、この問いは避けられなくなる。もしも、サウジアラビアがバーレーンの民衆を抑圧すべく、戦車や軍隊をCausway Bridgeの舗装道路を通じ隣国に送らぬよう、「ノー・ドライブ・ゾーン(運転禁止地域)」を設置しようとしていたなら(バーレーンは既に、サウジ軍に侵攻されてしまっているが)はたして国連は同じような熱意をもって、これに票を投じていただろうか?(*2)
 偽善警報No.3を発するときだ:ワシントンは、オバマ政権のニュー・ブランドのドクトリンによれば、「米国が手を伸ばす範囲(US outreach)」というものを、カダフィのような「邪悪な」「独裁者」に対する民衆の叛乱の場合のみに限定する、といっている。そうした叛乱は結局、国連の支持を得る。そうすれば、ワシントンはバーレーンのal-Khalifas(王族)や、サウード王家のような「われわれの」ろくでなしどもと関わりながら、 「政権の代替」を説くことができる。そして独裁者たちは、殺人を犯しながら逃亡する。

 地中海のボール(又は火花)は今や、カダフィの庭にある。彼の防衛大臣は既に、全ての地中海の航空輸送と海上輸送は危険に晒されている、と警告した─そして、すべての市民と軍事目標が攻撃可能な獲物となると。カダフィは彼のサイドでポルトガルのTV局RTPに対してこう語った、 「もしも世界が我々に対してクレージーになるなら、我々もクレージーになるだろう。我々は反撃する。我々は彼らの命を地獄に晒すだろう、 なぜなら彼らは我々の命を地獄に晒すからだ。彼らには平和は訪れない」

 だから、警戒せよ。偉大なる2011年のアラブの叛乱は、クレージーな状況に入ろうとしている。この地中海クラブ(Club Med)の戦いは爆風か─あるいは怒りの、流血の騒乱になるかもしれない。
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MC19Ak02.html

*1:
http://www.upstreamonline.com/live/article248510.ece?WT.mc_id=rechargenews_rss
Gaddafi blasts Western oil players

*2:
http://www.nytimes.com/2011/03/15/world/middleeast/15bahrain.html?scp=8&sq=bahrain&st=cse
Saudi Troops Enter Bahrain to Help Put Down Unrest
バーレーンのカリファ国王は戒厳令を発した2日後にサウジおよび周辺の国々から2000人の兵力を自国に送った(1200人の兵力をサウジから、800人をUAEから)この兵力は湾岸六カ国(バーレーン、サウジ、クウェイト、UAE,オマーン、カタール)からなる湾岸協力会議のバナーの下にあったが、同会議が初めて行った派兵であり、シーア派のイランはこれを強く非難している(3/14、NYT)
*バーレーンではスンニ派である政府が弾圧しているシーア派住民が多数派を占めているが、同様にサウジにおいても人口の約12%のシーア派住民が石油の豊富な東部地域に住んでおり、サウジ政府はバーレーンの動乱が彼らを刺激することを恐れている。バーレーン政府・サウジ政府にとってはシーア派住民は湾岸の共和主義勢力ともいえ、イランのようなシーア派革命の勃発を恐れている。彼ら共和主義のシーア派住民は単に、この国が立憲主義王政への移行することを求めているが、これらの二カ国は依然、絶対王政を維持している。イラクのシーア派の領袖であるムクタダ・サドルはバーレーンのシーア派に対する 弾圧的な外国兵力介入を強く非難しているが、 イラクのスンニ派の有力者はこの動きは背後でイランが手を引いていないわけがないといっている。http://www.juancole.com/2011/03/sunni-shiite-tension-boil-in-iraq-gulf-over-bahrain.html

*The Proxy Battle in Bahrain
http://www.nytimes.com/2011/03/20/weekinreview/20proxy.html?_r=1&scp=4&sq=bahrain&st=cse

Libya: allied military assets and initial attack sites (3/20, The Guardian)
http://www.guardian.co.uk/world/interactive/2011/mar/08/libya-nato-no-fly-zone-interactive-map

Thursday, February 17, 2011

チュニジアは成長した・Tunisia Grows Up - By Christopher Hitchens


チュニジアは成長した
─初代大統領ハビブ・ブルギバの遺産のもとに、
ジャスミン革命が進歩するように望みたい─ By クリストファー・ヒッチンズ(1/17,Slate.com)

 私は、3年前にチュニジアを訪れたとき、そこにある主要な問題というものが簡単に見て取れるように思った。その国は公けには、近代化、世俗主義、そして発展、を標榜している─ それはずっと昔に、「西欧化」と呼ばれていたものだ─ しかしその国は、その国民たちを真の大人として信用してはいなかった。この国には1956年にフランスから独立し、1957年に共和国となって以来、たった2人の国家元首しか頂いておらず、そしてその2人目の元首は宮殿内のクーデターによって権力の座についた。私は、Zine el-Abidine Ben Ali大統領に会ったことはないが、彼の表面的な身体的特長を識別する試験ならばパスできる、なぜなら彼の顔は見回せばどこにでもみられたからだ。彼は、選挙においては90%以上の票を獲得した:こういうことは滅多に、よい兆候であることはありえない。警官たちの姿がインターネット・カフェにみられた…それもまた、意気消沈させられる兆候だ。これら全ての状況へのオフィシャルな弁明とは、イスラム過激派に対しては特別な対策がとられねばならない、というのだったが─しかし、そのような誘惑的な言葉をいう者たちは…ソール・ベローが「Augie March」の冒頭に書いた言葉を忘れている:「誰もが、抑圧には繊細さも精密さもないことを知っている:もしも、ひとつのものを抑えつけたら、その隣にあるものも抑えつけねばならない」 *写真はチュニジアの宮殿の大統領護衛隊

 それでもチュニジアは、すべての建物に彼の名前をつけるような途方もない専制君主がいたり、巨大だが無駄の多い軍隊がのさばっていた国のようには見えない。隣国のリビアやアルジェリアなどと比べれば… Muammar Qaddafiの個人的な、過剰な誇大妄想狂的な独裁主義や、全面的な内戦(アルジェリアの場合は最近の記憶でも15万人の命を奪った)等を防ぎながら、チュニジアは比較的良くやっていた。そして、その政治的な空気には、表立った恐怖政治のようなものよりも、活気を奪われた、体制順応的なものがあった。おそらくチュニジアの群衆があれほど素早く動員され ─軍のリーダーシップを、数日間で警察から分離し─すぐさま結果を出せたのは、単純に彼らにはそれができると判っていたのだろう。そこには…たとえばイランの聖職者たちと対立した抗議の群衆が遭遇していたような状態…全面的な抑圧と流血が起きる可能性などは乏しいようにみえた。かくして、そして悲しいことに、チュニジアの出来事はこの地域の他の国々での、草の根の動きの先駆けになるというのは尚早だろう。(それでも、カダフィ自身がこの反乱に取り乱したリアクション(回答)を発したこと…「ボルシェビキ、またはアメリカの革命」…に対する恐ろしい予見に怒り狂っているのは実に心強い。彼がつまり、うろたえていることがよく分かる。

 私は、エドワード・サイードが私に、チュニジアへの旅行を楽しむように、と言ってくれたことを思い出す:「クリストファー、あそこには行ってみるべきだ。あの国は、アフリカで最も穏やかな国だ。イスラム原理主義者たちでさえも、とても礼儀正しい(高度に文明化されている)のだ」そして確かに…そこにはただ、少しだけ人を惑わせるようなdouceur de vie(人生の楽しみ)がある─それは地中海沿いの街や村々のフランス風の道路や広場などに、何世紀にもわたるイスラム教の研修センター都市の風光明媚なKairouan(カイルアン)の街や、TunisとEl Djemのなかにある息を呑むようなカルタゴやローマの遺跡にあり、また南東の海岸沖にある歴史的なユダヤ人の島Djerba、といった場所にある。2002年の4月にEl Ghribaの古代のシナゴーグでアル・カイダがトラック爆弾を爆発させたときには、政府は迅速な団結を表明してその再建に着手したし、またチュニジアの議会にはこの地域では珍しくもユダヤ人の上院議員もいる。道路脇ではジーンズ姿の若いカップルが伸び伸びと手をつないでおり、そして私は、ベールやブルカはもちろん、ヘッドスカーフもめったに見ることがない。

 私は先週、若い女性の抗議デモの参加者が(メディアに)インタビューされていた際、彼女とその友人たちを「Bourguibaの子供たち」、と描写していたことに興味を覚えた。この国の最初の大統領であり、独立運動の頑強なリーダーだったHabib Bourguibaは、フランス啓蒙主義からの強い影響を受けていた。彼は世俗主義を自制心(克己)の要素として、多くの人々の心に定着させた。彼はラマダンの断食を公けに破り、こうした長い宗教的休日は近代的な経済への望みを弱体化させるものだ、といった。彼は顔を隠すベールに対しての軽蔑を表し、女性の権利を保護する数々の法の制定を支援した。1967年の戦争中には、彼はこの国のユダヤ人コミュニティに対する蜂起を防ぐべく確固たるその立場をまもり、他のアラブ諸国の首都においておきていた恥ずべき光景の発生を避けた。他の多くのアラブ諸国より以前から、チュニジアはイスラエルとの真摯な平和条約のなかに利益を認めた(同時に、チュニジアは1982年にPLOがベイルートから駆逐されたときにはそのホスト国となった)。

 Bourguibaのことは過度に理想化せずにおこう─彼は、時おり「変人」とも呼ばれたし、誤ったアドバイスに従ってリビアとの「連携(Union)」を提案したこともあった─しかし彼は、チュニジアの世俗主義と女性の開放を、彼自身の仕事として支援したたのだといえる─単に、西欧の資金援助者たちを喜ばせるだけのためにではなく。来る数週間のうちに…Ben Ali政権のペロン風のけばけばしさが実質的にそれ(Bourguiba)のことを否定した後の今日…このBourguibaの成し遂げた達成がどのように持ちこたえるか、には強く興味をそそられる。
 私はここに滞在中に、Mongia Souahiという名の女性の神学教授と話すために、"Zitouna"、または"オリーブの木の"モスク、と呼ばれるモスクに附設されたTunis大学を訪ねた。彼女はなぜ、ベールがコーランの中で何の権威も持たないのか、ということを説明している複数の学問的著作の著者だ。その彼女の著作に対する回答の一つは、Rachid al-Ghannouchiというチュニジア人のイスラム原理主義者によるもので…彼は彼女をkuffar、または不信心者と呼んでいた。これは誰もが気づくように、彼女の人生を背教者として犠牲にすると宣言する前触れでもある。私は、Ghannouchiと彼の組織Hizb al-Nahda(日曜日のNew York Timeでは「前衛的」と描写されていたが)に会うことをやや警戒した、そして彼が、ロンドンから故郷に帰ろうとしている途上であることを知った。今日までに起きた(チュニジアの)反乱には、神政主義による微妙な色合いは目だって見られないが、しかし私がエドワード・サイードと語ったときには「al-Qaida in the Islamic Maghreb(イスラム的なマグレブのアル・カイダ)」という名前はまだ知られていなかったし、そしてDjerbaにおけるテロ攻撃も、まだ先の日のことだった。我々は、チュニジアでの革命がその枠を超越して、Bourguibaのレガシーを…否定するのではなく…その許に、より良いものへと発展することを熱望するべきなのだ。
http://www.slate.com/id/2281450/

*この記事は1月17日掲載だが筆者の予測に反して、この直後にチュニジアの革命の余波がエジプトの革命運動を引き起こした…両国の反政府運動家たちにはもともとFacebookを通じた強い繋がりがあった
*写真: Hitchens

Tuesday, February 15, 2011

「ムスリム同胞団」のブギーマンを恐れるなかれ!Fear Not the Muslim Brotherhood Boogeyman - By Juan Cole


西欧で「過激派」とみられがちな、ムスリム同胞団の実態についての記事がふえている…


「ムスリム同胞団」のブギーマンを恐れるなかれ!By ホアン・コール(2/15, The Truthdig.com)

*ブギーマン:子供をさらうお化けのこと

*写真はタハリール広場の抗議運動に参加したムスリム同胞団リーダーたち 
 
 アメリカのメディアによるエジプトのムスリム同胞団についてのヒステリー状態は、無知なだけでなく、デマゴーグ的だし、偽善的だ。
 アメリカは、その目的にかなう場合は、他の国においてもムスリム同胞団の支部を積極的にプロモートしてきたし、そこにはアフガニスタンやイラクも含まれている。さらに、イスラム世界の中では、トルコとインドネシアの民主化への移行のケースなども、イスラム原理主義者の政党が自らを民主主義的な性格の団体に変貌させた例として、我々に何かを教えてくれている。

 2005年というつい最近まで、実利主義的なムスリム同胞団は議会の下院議席の約20%を占める88議席を持っており、それゆえ、ある意味でエジプト政府のジュニア・パートナーでもあった。彼らはそれだけエスタブリッシュ(既成権力)化していたために、2008年の4月6日のFacbookによる抵抗運動キャンペーン(エジプトの繊維工場労働者の賃上げと労働環境改善を求めた)に対する支持は、拒否した。そのキャンペーンから「4月6日委員会」が発生して、彼らが今年1月25日の街頭デモを呼びかけるにいたった。ムスリム同胞団は今年の抗議運動に対しても、その最後の瞬間というものにだけ参加し、そのリーディング・フォースにはならなかったことの理由だ。

 日曜日(2月12日)には、ムスリム同胞団は軍の新政権に対して、過去3週間に収監された若い抗議運動家たちを含む、すべての政治犯を釈放するよう要求した。そのリーダーはさらに、政府が市民の自由を奪うことを許してきた非常事態法の停止を求めた。彼らはまた、新しい閣僚が前政権の汚職を捜査すべく任命されるよう求めた。

 土曜日(2月11日)に同胞団は声明を出し、エジプト軍の最高指令が国の安定化と民主化への任務につくことを賞賛した。原理主義者グループは彼らがエジプトの支配権を追求することを否定し、また来たる大統領選に立候補者を出さないことも誓い、新たな議会を支配するための戦略は何も持っていないと断言した。

 ムスリム同胞団は度量の大きさをみせた─なぜなら、彼らが宗教政党として選挙戦を戦うことを禁じている憲法の条文が廃止されるか否かは不明で─そしてそれは過去にもあったように、他の政党がポピュラーな同胞団にも同じ選挙区内で出馬してほしいかどうかにかかっている。さらに、エジプトでの世論調査では、同胞団がたとえそれを目的としても、議会の多数派を制する可能性の兆候がないことを示している。(*2/5-8のカイロとアレクサンドリアでの世論調査では支持率は約15%だった:http://www.worldtribune.com/worldtribune/WTARC/2011/ss_egypt0137_02_11.asp彼らのリーダーたちの幾人かは、イスラエルとの和平合意の是非に関して国民投票をすべきだとも主張している。しかし依然として有力なエジプト軍が、そうしたステップを容認するとは恐らく考えられず、そしてもしそれが行われても、世論調査では和平合意が勝つであろうことを示している。どちらにしても、同胞団はアヤトラ・ホメイニが1979年のイラン革命において「民主主義」という言葉をイスラム的ではないと言って拒絶した際、好んで使ったような物の言い方をする事はない。

 「前・連邦判事」と呼ばれるAndy McCarthyなる人物がメディアのあちこちに出ては、ムスリム同胞団について、ひどく不正確なことを主張していたようだ。そして、教皇Innocent3世が1213年に破滅的な第5次十字軍を送り出した時以来の、エジプトについての深い無知をさらけ出した。McCarthyは、同胞団がエジプトのサダト大統領を1981年に暗殺したとし、またアル・カイダのAyman al-Zawahriはこのグループに所属しており、ガザの原理主義政党のハマスもエジプトの同胞団の支配下にあると主張していた。彼が何百万ものアメリカ人に主張したこれらのことは全て、お笑いを誘うような間違いなのだ。

 同胞団は1928年に、学校教師だったHassan al-Bannaが復興運動の一環として創始したが、それは英国の植民地主義による影響にも抵抗した。Paul Barmanや他のネオコンたちによる主張にも反して、al-Bannaはヒットラーとムッソリーニを忌まわしい人種差別主義者として完璧に非難し、そして彼の運動はヨーロッパのファシズムとは何のかかわりもなかった。第2次大戦中の英国によるエジプトの再占領に対抗して、その組織は1940年代と50年代の初めにはテロリストの分子を育てた。しかしその暴力に対する強い弾圧が組織を地下運動化し、周縁化した。

 1970年代には、サダト大統領が同胞団を再起させ、暴力の行使を回避させ、市民社会の一部となるように規定し、政府は投獄されていたそのメンバーを開放し、彼らを比較的自由にした。彼らが誠実に守ったこの取引が、今はアル・カイダNo.2であるal-Zawahriのような過激派をして彼らと決別させ、彼らに対して強く弾劾させるに至った。偉大なる中東専門家のSean Hannityに対して、偉大なる中東専門家のMcCarthyが言い張っていたことにも反して…サダトは同胞団によって暗殺されたのではない。サダト大統領は彼と、同胞団とを共に拒否した、過激主義者によって暗殺された。

 同胞団は、エジプトでさえも権力分散化されている組織だ。それは、国際的に組織されてはいない。たとえばヨルダンのムスリム同胞団は、本質的にはエジプトの組織とは別の組織だ。ハマスは、その遠い源流は1930年代の同胞団の変節者たちにあるが、今はカイロから何の指令も受けていない。その他にムスリム同胞団の系統を分かつ組織といえばイラクのイスラム党があり、それはジョージ・ブッシュによる侵攻とイラクの政権運営に協力した。ムスリム同胞団は原理主義組織だ。それは女性の権利に対して比較的敵対的で、またエジプトを市民による世俗的な法律から、保守的な文語調の中世のイスラムの伝統へと回帰させるとのヴィジョンを抱いている。彼らの文学は最悪の種類の反ユダヤ主義にいろどられている。しかし何十年もにわたる抑圧はその運動を破壊しなかったし、今より一層の弾圧がより効果的だと信じられる理由はどこにもない。

 その他に、この問題に対処するべきと実証された方法がある。イスラム世界において、過去10年間の間に民主化という意味で成功したサクセス・ストーリーは、トルコとインドネシア(*http://www.pbs.org/wnet/religionandethics/episodes/march-19-2010/islam-in-indonesia/5898/ )での例なのだ。この両国では原理主義的な傾向はリベラルなものに変わり、議会選挙のプロセスにおいて国内的なものに変化した。ムバラクの政権は機能しなかった。トルコとインドネシアでの民主主義は、機能した。今回だけは、勝利した者たちと共に行こうではないか。
http://www.truthdig.com/report/item/fear_not_the_muslim_brotherhood_boogeyman_20110215/

エジプトのブンブン同胞団… Egypt’s Bumbling Brotherhood-By スコット・アトラン (2/2, New York Times)
 エジプト人たちが、彼らの未来の政府をめぐって衝突していたとき、アメリカ人やヨーロッパ人たちは繰り返し、彼らのムスリム同胞団に対する恐怖を表明していた。「政府を打ち樹てても、すぐさま民主主義の運動は打ち樹てられはしない」と、英国前首相のトニー・ブレアは月曜日にいった。「君たちのなかには他の勢力がある、特にムスリム同胞団だ、彼らはこれを違う方向にもっていく」
 その前日、米議会の下院議長John Boehnerは、エジプトでの制度的改革を行う間に同胞団と他の過激派勢力が権力を握ることを避けるため、ホスニ・ムバラクがエジプト大統領として留まることを望むと表明した。

 しかしここに、少なくとも多くのエジプト人たちが実態と見るものがある。1928年に、西欧に触発されたナショナリズム運動がエジプトを外国勢力から開放することに失敗した際、これをライバルとみなしてイスラムの力を復興を求めたムスリム同胞団が設立された。しかし83年間にわたり、彼らは全ての機会を無駄にしてきた。今日エジプトでは、同胞団にはおそらく8千万人の人口中、10万人の熱心な信奉者がいる。そして彼らが、1月25日の最初のカイロでの蜂起の支援に失敗したことは、今やアラブ世界全体に広がる蜂起のスピリットに対して彼らを脇役に追いやった。

 この過ちは、元外交官でノーベル賞受賞者のエル・バラダイを支援しようと彼らが決めたことで、さらに悪化した。同胞団のスポークスマン、Dr. Essam el-Erianはアル・ジャジーラに対して語った、「政治グループらが、政権と交渉するためにエル・バラダイを支援している」。しかし、エル・バラダイがタハリール広場に歩み入ると、彼が西欧メディアで有する巨大なパブリシティにも関わらず、多くの人が彼を無視し、彼のもとに集まった人々の数は少なかった。火曜日にDr. Erianはいった、「エル・バラダイが暫定政権を率いるべきか否か、彼を支持すべきかどうかは分からない」… こうした日和見は多くのエジプト人たちを冷笑させる。

 水曜日、軍が抗議の群衆を追い出すために、ムバラクの支持者らと平服の警察官たちをバリケード内に入れた際に、同胞団はチャンスを得ていたかもしれない。彼らは、デモの群衆を抑圧しようとする試みへの抵抗で、組織的な粘り強さをみせることで、その失った梃子の力を取り戻せたかもしれない。
 しかしながら、同胞団は多くの人々の支持を得られそうなこの歴史的瞬間には到着しなかった。エジプト人たちの間での彼らへの支持は ─しばしば20%から30%の支持率といわれるが─ それは、世俗的な反体制グループに対する何十年もの弾圧という状況のなかで、たまたま起きた状況的偶然のなす支持率、という以上のものではない。

 英国の支援を受けた旧国王King FaroukやGamal Abdel Nasser大統領(在任1956-70)、 Anwar el-Sadat大統領(在任1971-80)らも、新聞編集者で人権運動家のHisham Kaseemがムバラクの元で最後まで経験したことと同じ問題に直面した。「もしも人々がカフェで会って、政権が嫌うような話をしたなら、ムバラクはすぐさまカフェを閉鎖して、我々を逮捕するだろう」、とKaseem氏はいう。「しかし、モスクは閉鎖できない、だから同胞団は生き延びたのだ」。もしも、エジプト人たちが政治的に息抜きできる場を与えられたなら ─とKaseem氏はいう─ 同胞団の重要性はたちまち失せるだろう…。「この蜂起では、同胞団の姿は殆ど不可視だ」、と彼はいう、「しかし、アメリカやヨーロッパなどの、彼らをブギーマンとして恐れる人々にとっては違う」。

 海外の多くの人々は、同胞団が貧しい人々のためのヘルス・クリニックや慈善事業を行うことにより、政治的な影響力を得ているもの、と信じている。しかしエジプトで真に貧しい人々は、政治的に余りアクティブではない。そして、同胞団のGuidance Councilの元メンバーのAbdel Moneim Aboul Fotouhによれば、同グループは人口1800万の都市カイロにわずか6つのクリニックしかもっていない。他の多くのクリニックは、単に多くのエジプト人がイスラム教徒だという意味のみにおいて、イスラム教系列である。そうしたクリニックに資金援助をするやや富裕なビジネスマンたちは、彼らのビジネスを政府の圧力から守るというだけの目的では、同胞団のことを避けがちである。

 同胞団は、その源流が民兵組織として作られたとはいえ、今日ではそれは政治闘争における暴力の行使を否定する。このことが、彼らをアルカイダによる敵意の対象にする。1月26日に、前のエジプトのイスラム主義ジハードのリーダーでアルカイダの代表的戦略家であるAyman al-Zawahriは、同胞団の議会選挙への参加を望み、核武装を否定する意志を強く非難した。彼は「お前たちは、イスラムに対して誤った同盟関係にある」と彼は同グループを非難した。「お前たちはシャリア法のルールを忘れ、お前たちの国での十字軍の基地を歓迎し、お前たちが禁じられている核兵器で十分に武装した、ユダヤ人の存在を認めている」 ~(後略)
http://www.nytimes.com/2011/02/03/opinion/03atran.html?sq=bumbling brotherhood&st=cse&scp=1&pagewanted=all 
 
エジプトの暫定政権を握った、軍部のリーダーたちとは誰なのか?

エジプトの火山の下で By ぺぺ・エスコバル(抄訳)(2/15、Asia Times)

(~前段省略)
我々のコミュニケは、君らのよりも大きい

 …軍の最高評議会の、このコミュニケ・ジャンキーたちは一体、何をするつもりなのか?街の群衆は彼らがみな、ムバラクの取り巻き連中だったことぐらい知っている。彼らは大方、皆70代だ…それは、クーデターのリーダーで国防大臣・陸軍元帥のMohammed Hussein Tantawi、75歳に始まる…彼はペンタゴンのロバート・ゲーツ長官とはとても親しい間柄だ(決定的なことは:Tantawiはムバラクの親衛隊である共和国防衛隊の司令官から、トップに上ったのだ)

 彼らは皆、米国がその毎年ごとに行った何十億ドルもの「資金援助」を通じて、軍が所有し、エジプト経済の全産業を支配する巨大なビジネス王朝の、ステークホルダーの地位に押し上げた者たちだ。このシステム全体を捨て去らない限り、新生エジプトが生まれる手立てはない─それゆえに、街の群衆は軍を迎え入れざるを得ない…行く手に待ち受ける巨大な花火以外は。今この時においては、将来対立しあう可能性のある相手とも、互いに学びあわねばならない。「秩序ある権力移譲」を抜け出て…Mohsen el-Fangari大佐によれば「平和的な権力委譲」へとはいることで、「選挙によって選ばれた市民の政府による支配と、自由民主的国家の設立」を可能にするべく。それはすべてがJimi Hendrixのパープル・ヘイズのようだ。軍が文民主導の暫定政府にスムーズに権力を受け渡すことなど、考えるのはやめたほうがいい。

民主主義を爆撃せよ、ベイブ

これは若者主導の革命だったというだけではなく、今や巨大な労働階級に率いられた運動だ。次のステージでは労働階級─そして小作農民たちが─加速的に決定権を握ることだろう。ブロガーのHossam El-Hamalawyがいうように、「我々はTahrir広場を今や、工場にしなければならない」。政権による最後の弾圧は、労働ストライキが野火の如く広がったときに起こった。そして地下運動からの直接民主制の概念化が進んで、国の永久的な革命を引き起こした。「西欧」は震えおののいた。

 同時に、1月25日のリーダーたちは、ワシントン、テル・アビブとリヤドを意識していた─そしてムバラク主義の買弁たちの階級が─エジプトの民主化を絶対的に阻止するだろうと。最終的には、Walhallaの賄賂から法律や選挙のプロセスにおける、陰なる操作までのすべてが起こりうる。例外はたった一人の軍幹部が大統領に出馬することだ─それはたしかにCIAの遺産の「拷問のシーク」スレイマンではありえない、しかしたぶん軍の参謀チーフのSami Anan、63歳だろうか─彼もまた米国で多くの時間を過ごし、ペンタゴンにはTantawi以上のコネを持っている。

~(後略)
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MB15Ak01.html