Tuesday, May 31, 2011

核兵器の拡散を抑制したい?それなら、民主主義をおし進めよ。Want To Stop Nuclear Proliferation? Encourage Democracy.By Christopher Hitchens

Want To Stop Nuclear Proliferation? Encourage Democracy.
Ignore the shady people promoting sinister theories to the contrary.
核兵器の拡散を抑制したい?それなら、民主主義をおし進めよ。
…悪意のある逆の理論を主張する怪しげな奴らを気にするな。
By クリストファー・ヒッチンズ(5/23、Slate.com)
 (写真:Dr.A.Q.Khan)

 核拡散によって不当に利益を得る者たちの側から、よい行為についてのレクチャーを受けることはとても不愉快だが─しかし、もしもあなたがそこでじっとして、自分の嘔吐した物を飲み込めるなら、そこで学べるレッスンというものもある。

 4月27日にNew York Timesは、「王の中の王 "King of Kings"」、狂気の扇動者の娘、Aisha el-Qaddafiの長いインタビュー(*)を掲載していた。Saddam Husseinの法的弁護団のメンバーとしても働いた彼女は─その経験からは彼女はほとんど何も学ばなかったようだが─まさに国際刑事裁判所にも名前を言及された経験をもっているわけだ。反乱的な裏切り者たるリビア人たちの特性をあれこれと語りながら、彼女はどうにか過去についての興味深い回想を織り交ぜていた:

 彼女は、彼らの運動を彼女の父親が支持していたアラブ人たちの「裏切り」について、また彼が大量破壊兵器を明け渡した西欧の同盟国らについて不満を述べていた。「これが我々の得た報酬なのか?」と彼女は問うた。「このことによって、大量破壊兵器を持つすべての国が今後それを保持し続けるかもしれないし、あるいはそれをより沢山作ることによって、リビアのような運命を辿らないようにするかも知れない」(註:リビアのQaddafi大佐は、ブッシュ政権によるサダム・フセイン政権の転覆をまのあたりにし、核開発プログラムを断念、2003年に核備蓄を全て米国に明け渡し、外交路線を急に親欧米に転じた…)

 先週の末にNewsweekに寄稿された記事 http://www.newsweek.com/2011/05/15/pakistan-s-a-q-khan-my-nuclear-manifesto.html で、パキスタンの有名なA.Q. Khan(博士)が同じような論点を主張していた─核兵器を第3国に売る上での彼の役割には少しも触れもせずに…。その論点とはこうだ:

 核保有国として、軍事攻撃や占領にさらされた国、あるいは国境線を引きなおされたような国がひとつも存在しない、という事実を看過するな。もしもイラクとリビアが核保有国であったなら、それらの国が我々が最近目にしたような仕方で破壊されることはなかったろう。もしも我々(パキスタン)が1971年以前に核の保有能力をもっていたら、我々は我々の国土の半分─ 現在のバングラデシュを、不名誉な敗北の後に失うことはなかったろう。

 私が今、彼らの言葉を引用した二人のいかがわしいキャラクターはもちろん、手前勝手な理論を展開しているのだ。(肩をすくめさせるKhanの主張は、我々に─パキスタンがいかにバングラデシュの民族虐殺でその通常兵器を改良することができたか、そしてさらに、インドの街々を破壊するとの脅迫にさえも用いることができたかを、静かに思い出させる)しかし、この論議は色々な形で、より尊敬できるフォーラム(公開討論の場)でも繰り返し言及された。広く過大評価がされているMohamed ElBaradeiは、その最新著『The Age of Deception』において、大方の”ならず者国家”の核兵器に関する非行行為はアメリカ合衆国のせいだとしている。たとえば、リビアの保有した核兵器… 彼がIAEA(国際原子力委員会)での任期中になんとか無視し続けたすべての存在は…1986年の米国によるトリポリ空爆への返答、として「本当に」獲得されたものだといっている。彼はQaddafiとの会合で、Qaddafiが「彼がリビアを発展させたい、との願いを誠実に語った」とも言及している。

 カーネギー国際平和基金のGeorge Perkovichもまた、そのElBaradeiの著書についての優れた書評 http://www.washingtonpost.com/entertainment/books/mohamed-elbaradeis-the-age-of-deception-on-nuclear-diplomacy/2011/04/21/AF6rlmAG_story.htmlの中で、彼のイランと北朝鮮に対するこの上なくお目出たいナイーブぶりを引用している。イラン上層部のMullah(宗教指導者)らが…もしもMahmoud Ahmadinejad大統領がワシントンとの何らかの合意を達成したならば、彼の後につこうと計画している、と知って彼はこうコメントする─「私は溜息をついた。テヘランはワシントンの政治に追従するべく、余りにも時間を費やしすぎたと私は思った」。そんななか、一方でKim Jong-ilの政権は「孤立し、窮乏し、米国によって深く脅かされていると感じているが、それでもなお反逆し続ける」。確かに、反逆ぶりは十分だ─ そのミサイルを発射テストのために核非保有国である日本の本土の上に警告なく発射し、太平洋の水面に「着水させ」ようとするとは。

 これらの、緩く連携した繋ぎ目が─もしも米国がより寛大な戦略を選び、独裁者たちに核保有に走らせるようなニーズや怖れへの、より一層の認識を示したような場合に─それ自身、より理性的な振る舞いをするかどうかは、シリアスな論議となる。我々はひとつ、確かなことを知っている。これまでに、政権転覆へのざらついた問いに直面することなく、核開発プログラムを放棄した国はないということだ─そうした国々はこのことを自発的に行えるか、或いは強迫的な衝動のもとで手をつけるか、のどちらかだ。それを行った二つの偉大な国々の例といえば、ブラジルと南アフリカ─冷戦の最後の時期に核開発の長い道のりを辿り始めた二つのとても影響力のある国々だったが、核兵器がより温かくより緊密なグローバル・ファミリー(国際社会)への合流への障害となる、と決断した国々だ(廃棄された核兵器のパーツから作られた「swords into ploughshares」の彫刻http://www.unis.unvienna.org/unis/en/visitors_service/art_tour_swords2ploughshares.htmlは、1994年にIAEAのオフィスに贈られた)

 これまでに、ブラジルか南アフリカを外部勢力によって脅かした者は存在しない。むしろ核の放棄は、これらの二つの旧独裁国が民主的な変貌に同意したことの一部分だった。飴から鞭へとポリシーを転換しながら、Saddam Husseinが狂気のもとで国連決議遵守を拒否したことは、彼の国が強制的かつ包括的に「(国連の)査察を受けた」ことを意味していた。これはリビアの(Qaddafiの)場合には、トニー・ブレア英国首相とジョージ・ブッシュ大統領に接近して、兵器(膨大な貯蔵原料と、余り多くない最終製品または使用可能な兵器類…)の「明け渡しを」行った。これらの発見品に対する査察は、これらの物の非常に多くが我々の「同盟国」パキスタンのみから来ていたという事実を認識させた。結果として、A.Q. Khanのネットワーク… それは北朝鮮と、おそらくシリアとも取引しており…またElBaradeiと IAEAの注視の目をも逃れていた─ が確認され、そして部分的にシャットダウン(閉鎖)された。核拡散防止のタームにおいては、このことの過程は何らかの成功事例として捉えられるべきだ。同じことが最近のイスラエルによるシリアの秘密施設の破壊にもいえる─それはIAEAによって、遅ればせながら核施設であったと認められている…それに続く、困惑したシリアのBashir Assad大統領による抗議をなんら引き起こしもせず。

 残るケースを吟味してみると、核兵器開発プログラムと政権のキャラクターとの継続的な関連性に気づかずにいることは不可能だ。北朝鮮の核兵器とはその国の、いじけた発育不良の、飢餓に瀕した、孤立したキャラクターと、同国が引き続き半島における黙示録的な結果に至る危険性を冒し続けるという意欲の完璧なシンボルである。イランの開発プログラムとは、明かにMullahたちが地域的な軍事的脅迫を行う政策を推し進めるよう設計された(そしておそらく、彼らのより一層、非理性的なメシア[救世主]思想と、反ユダヤ主義の衝動を楽しませる)ものである。しかし北朝鮮は、すでに通常兵器だけでも韓国の大半を破壊できるポジションにあり、そしてテヘランも、現存の軍備でより小さな湾岸諸国を容易に脅迫することができるし、それを行っている。パキスタンも引き続きインドをそれ自身の兵器庫で脅し続けることが可能だが、しかしニュー・デリーからの反撃によるセカンド・ストライクがその国を完全に破壊できる可能性への弱みをもつ。かくして未来における対立と、潜在的な脅迫の方向性は、すでに独裁政権自身の手によらずに決定されている。Aisha Qaddafi とA.Q. Khanがもっと別の方向性からの脅威をほのめかしたり、核の兵器庫がそれらの独裁政権の安全性を無期限に保障することができて、そうするだろう等というのは間違っている(そうしたロジックは結局のところ、テヘランの核施設への先制攻撃へのライセンスを与えることになるだろう)。違法に獲得された核兵器は、近隣の国々と国際法に対する大きな脅威かつ、重荷であり続けるが、歴史はそれが攻撃的な国(犯罪国家)にとっては殆ど支持し続けられず、長期的にみても、その国の専制君主のライフスパンを短くする傾向があることを示している。これまでのところ、武装解除と民主主義化が、彼ら自身を自然な同盟者に見せてきた、ということはよいことだ。
http://www.slate.com/id/2295332/
(*Aisha el-QaddafiのNYTのインタビュー
http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/africa/27aisha.html

Wednesday, May 4, 2011

マッドマンの死- オバマが次に何をするのかが、オサマ・ビン・ラディンの遺産(レガシー)を決める Death of a Madman- By Christopher Hitchens


マッドマンの死- オバマが次に何をするのかが、オサマ・ビン・ラディンの遺産(レガシー)を決める - By クリストファー・ヒッチンズ
Death of a Madman- 
What Obama does next will help define the legacy of Osama Bin Laden (5/2、Slate.com)


 パキスタンには、快適で小さなアボタバード(Abbottabad)のような街というものが、数ヶ所ほど存在する。Rawalpindi(パキスタン軍の高級将校たちの要塞都市で、2003年まではKhalid Sheik Muhammedの安全な棲み家でもあった…)から続く山々に向かう道沿いに数珠のように連なる、Muzaffarabad(*ムザファラバード:パキスタン領カシミールの州都)や Abbottabad(アボタバード)には…夏も冬も涼しく、素晴らしい眺望と、慎重なるアメニティがある。彼自身の名をAbbottabadの街に与えた、Major James Abbott(アボット少佐)のような英国人植民者らは、それらを「ヒル・ステイションhill stations*」と呼んだが、それは将校らの休息とレクリエーションのためにデザインされていた。そのアイディアの持つ魅力(そのロケーション自体といった)は、パキスタンの将校たちの間でも生きながらえて来た。
(*カリド・シーク・ムハマッド:911テロの主な計画立案者。
*ヒル・ステイション:アジア南部地域の植民地にイギリスが設けていた避暑地で、役人やその家族が利用した)
 もしもあなたが今、Abbottabadの、壁に取り囲まれた結構快適な屋敷に滞在していると私に言うならば、私はあなたが、毎年数十億ドルの資金援助を米国から得ている軍の組織から、尊敬すべきゲストとして迎えられていると告げられるだろう。その純粋なあからさまぶりというものが、一息つかせてくれる。

 そこにはおそらくパキスタンの、アル・カイダとのオフィシャルな共犯性の決定的な証拠が得られたという些細な満足感があるが、しかし全般的には、拍子抜けしたという感覚を強めるだけだ。結局のところ、アメリカがビン・ラディンに餌を与えている同じ手に、惜しげもなく餌を与えていたことを知らなかったのは誰なのだろうか?そこには、小さな勝利もある、我々の古い敵(オサマ)は英雄的なゲリラ戦士などではなく、失敗したならず者国家を支配する、腐敗した、悪質な寡頭政治のクライアント(得意客)だったということだ。

 しかし再び言うが、我々はこのことを既に知っていた。少なくとも我々は、彼の最もよく知られた残虐行為の10周年を記念するにやにや笑いのビデオがもたらされるのを、我慢する必要はない。しかし考えてみるがいい、彼は最近、いかなるテーマに関するコミュニケも発表していなかった(このことは、少し前には私に…彼が本当に死んではいないか、あるいは偶然、以前に殺害されているのではないのか、という疑問を持たせた…)、そして彼のグループと彼の思想による最も憎むべき仕事は彼の後継者の世代によって、たとえばイラクにおける彼の比類なく無慈悲なクローン、Abu Musab al-Zarqawiらによって実行された。私は私が、ビン・ラディンがZarqawiの場合と同様に、最後のわずかな瞬間に、彼を発見したのが誰なのか、裏切り者は誰だったのかを知る、少しの間合いを持っていてほしかったと願っているのに気づく。それは、何かを意味するだろう。そんなに大したことではないが、何かを。

 人々が「iconic 聖像のような」ということばで苛立たしげに彼を呼ぶとき、ビン・ラディンに確かに並びうるライバルは居ない。彼の容貌の、不思議で、退廃的な、うわべの高貴さと偽の精神性は驚くほどテレビ写りがよい─そして彼のカリスマ性が、最近、ムスリム世界を変貌させている革命の新たな定義というものにおいても、果たして生きながらえ得るのか、は非常に興味深い。しかし、すべての印象のなかで最も執拗に持続するものは、彼の純粋な非理性(irrationality)だ。この男は、自分が何をしていたと思っていたのだろう?10年前に彼は、小さなAbbottabadの街の要塞の壁の中に彼がいることを予測しただろうか、あるいは少なくとも、それを望んでいたのだろうか?

 10年前には ─思い出して欲しいのだが─ 彼は巨人的な影響力を、ならず者の失敗国家・アフガニスタンで行使しており、そして隣国パキスタンにも影響力を拡大しつつあった。タリバンとアル・カイダのシンパサイザーたちはパキスタン軍の上級幹部ポジションにあり、核開発プログラムはまだ余り察知されていなかった。巨額の財政的補助金が彼にもたらされた─しばしば、サウジアラビアや他の湾岸諸国などのオフィシャルなチャンネルを通じて。国際的なニヒリストのネットワークと共に彼は、銀行業とマネーロンダリングの巨大で利潤性の高いネットワークをも運営していた。彼は白昼の下で、アフガニスタンの仏教の宝を破壊しに向かうための重火器をオーダーできた。インドネシアからロンドンにいたる、連携したマドラサ(*イスラム神学校)では言葉を広めていた…まるで未来の殺人者を育てる訓練キャンプの連携であるかのように。

 彼は、すべてのこうした戦略的に熟したアドバンテージを、たった1日でギャンブルに賭けた。そして、彼はアフガニスタンから逃れたのみならず、彼の幻惑された追随者たちが、非常に数多く殺される状況を残した、しかし彼は人目を忍ぶ影のごとき存在であり続けることを選び、成功裏の秘密の「暗殺」に出逢う、または金で買ったり買われたりの裏切りに逢う確率が、日々をより長くしていった。

 彼は、彼自身の気ちがいじみたプロパガンダを本当に信じていたものとみえる ─しばしば、テープやビデオにおいて概略が示されているものを…特にアメリカがソマリアから撤退した後には。西欧は…と彼は言い続けた…腐敗に冒され、ユダヤ人の陰謀団とホモセクシュアルによって動かされている。それは抵抗する意思もない。それは女性化し、臆病になっている。大きな破壊的な一撃の後で、他の大建築物は徐々に、塵埃のシャワーにまみれたツイン・タワーに追随するだろう。いいだろう、彼と彼の仲間の精神病者たちは北米と西ヨーロッパで何千人も殺害することに成功した、しかし過去数年間における彼らの主要な軍事的勝利は、アフガニスタンの女子学生や、シーア派のムスリム市民、そしてチュニジアやトルコの無防備なシナゴーグなどに対するものだった。その背後には、偶々近くに居合わせた人々に対するより無差別な死刑宣告を許す、もっと軽侮すべきリーダーか、司令官がいたのだろうか?

 神政主義的な非理性とは、あまり珍しくはないし、このような敗北を遂げることは、それを魅力のないものにする。大言壮語を吐く者は引き続き、この地域でインスタントな世論調査を行い、人々が彼を聖なるシーク(首長)に看做しているなどといった、たわ言を唱えるだろう。(こうした世論調査が、立憲民主主義を求める地元民の欲求を掬い上げないのは、不思議なことだ。)運がよければ、ビン・ラディンは「本当に」死んではいない、というような発狂したような噂も発生することだろう。よかろう、彼は既に彼の与えるはずだった最悪のダメージを与えた。現実世界で描写できる全てにおいて、彼の戦略はすでに、抗体と敵対者たちを創造してきたか、あるいはこれ以上観察可能な、これに匹敵する状況は存在しないだろう、あるいは最低でも収益最大化のポイントを超えたことだろう。

 Abbottabadの殉教者はもはや感じ得ないだろうが… 彼の、生きながらえ競争しあう下位の人間たちが抱く総統(指導者)コンプレックスは、恐らく今エキサイティングな自由を満喫しているだろう。しかし、あのAbbottabadのシェルター施設の、ユニフォーム(軍服)をきた、匿名のパトロンたちは今だに大いに我々と共にあり、そしてオバマのスピーチは…もしも彼がこの追跡劇を不必要なほど長きにわたる、骨の折れる、費用のかさむものにしたその同じ人々を我々がさらに武装させ、資金援助しつづけるように期待するなら、まったく無意味なものだ。
http://www.slate.com/id/2292687/






Pakistani seminary students in Quetta rallied against the killing of Bin Laden.

(bottom): A Pakistani family looked at the compound in Abbottabad

ムンバイのテロへと繋がる、新たなスパイのリンク New spy links to Mumbai carnage - By Gautaman Bhaskaran


ムンバイのテロへと繋がる、新たなスパイのリンク By ガウタマン・バスカラン (4/22、Asia Times

 1947年にインド亜大陸がパキスタンとインドに分割されて以来、一度も平和的な関係になかったこの両国は数回にわたる戦争をし、何年か前には致死的な核戦争と破滅の一歩手前にも至った。今再び、その緊張が高まる可能性がある。裁判関係の書類が来月シカゴで行われる裁判を前に浮上しているのだが、そこでは2人の男がムンバイでの殺戮事件の頭脳として告発されており、彼らはパキスタンのスパイとして働いていた、と認める可能性がある。

 2008年11月26日、イスラム武装兵士らがインドの金融の首都に海から上陸して、5ツ星ホテルと繁忙な鉄道駅、人々に人気のあるカフェと、ユダヤ人のコミュニティ施設をターゲットとして虐殺を実行した。

 その攻撃によって200人近くの人が死亡、その2倍の人が負傷して心理的な傷を負った。Ajmal Kasabは暗殺者のなかで唯一人生きて捉えられたが、彼は彼と他の者たちがパキスタンを拠点とするテロ組織Lashkar-e-Taibaに属していることを認めた。
 Kasabは法廷で裁かれ、そして今はインドの刑務所で絞首刑を待っている。

  (←*Ajmal Kasab)
 5月16日に、シカゴで開かれる法廷裁判に出頭するはずのパキスタン系カナダ人Tahawwur Hussain Ranaは、ムンバイのテロ…11月の黒い夜に頂点を迎えたその作戦を目的に、武装兵士をスカウトをするための書類を偽造した、との罪を問われている。Ranaと彼の古い友人David Coleman Headleyは、彼らがムンバイでテロの恰好のターゲット探しをしていた際にテロリスト仲間を幇助したとの容疑で、イリノイ州で米国FBIに捉えられた。

 Kasabは法廷で彼がLashkarのために働いていたことを認めたが、インドの捜査当局はそのことには懐疑的だ。彼らはパキスタンの諜報機関ISIもまた、ムンバイの大虐殺に手を染めていたことを確信していた。ニューデリーの政府は、何年にもわたって有名な男たちがISIの為に、あるいはISIの中で働いていた事を知っており─それはパキスタンの、例えばLashkarのような反政府グループとも強い繋がりを持っていた。端的に言って、ISIは死のダブル・ゲームに従事するダブルエージェントを持つ、スパイ組織だった。ISIはまたパキスタン軍とも関係しているが、イスラマバードの政府はこのコネクションを一度も断ち切ることはできなかった。

 今やRanaの裁判は、こうした事の全てを立証するのかもしれない。オブザーバーたちがこの裁判で最も顕著な成果として出るかも知れないと信じるのは、ISIの共謀の事実に関する反論の余地なのない証拠だ。法廷の書類によれば判事たちは、RanaとHeadleyがLashkar と ISI双方のために働いていた事を告白させたと言う。 (*David Coleman Headley→)

 Hadleyは既に彼がISIのために働いていたと認めたが、しかしそれは、大陪審に対する秘密証言として行われた。「私もまた彼(Rana)に告げた…私がISIのためにスパイ活動をして欲しい、と頼まれていたことを」。Hadleyは何もかも白状したと伝えられる。何年か前に、彼は第一に電気椅子を逃れるためにFBIの情報屋となったのだが、シカゴでのヒヤリングにおいて彼は彼のムンバイの流血への関与をすべて白状することが期待される。彼のムンバイ攻撃への視察プランに関して予測される供述は、Ranaの容疑を裏付ける決定的な証拠となるかもしれない。Headleyの証言は恐らく彼がいかにして彼のパキスタン名を変え、Lashkarとの繋がりを培ったのか、ムンバイの予定地をどうやってビデオ撮影したのか、巨大な人口を抱えるメガシティへの出発前にどのように暗殺実行者たちに計画を説明したのか、などを含むだろう。

 Ranaは長年のカナダ市民であり、北米への移民を望む南アジア系男女にコンサルティングを提供していた。彼の会社First World Immigration Servicesはシカゴを拠点としている。Ranaはなぜ、Headleyが移民コンサルタントとしてインドに入国するための書類を得られるべく助けたのかを、最善を尽くして説明しようとした。しかし最近では、Ranaは愛国的なパキスタン人で、ISIには彼の援助が必要だという考えを、強制的に抱かされたのだと述べた。彼はそのため、外交特権による免責を得られるだろうと感じている。

 しかし全く運の悪いことに、RanaとHeadleyがムンバイの殺戮事件の直後、預言者ムハマッドを風刺したデンマークの漫画家を殺害するための計画を話し合っているテープがアメリカの検察官らの手に渡ってしまった。

 RanaおよびHeadleyの告白は、インドとパキスタンの既にぐらついている関係をさらに緊張させる可能性がある。両国は最近、Mohaliで開かれたワールドカップのセミ・ファイナルにおける両国間のクリケット試合によって新鮮な空気を注入されたところなのだが。その際はホームチームが勝利し、そして最後にムンバイにおいて、スリランカチームを相手に優勝カップを奪うこととなった。Mohaliでは両国の首相、Manmohan SinghとYusuf Raza Gilaniが両チームの戦いの観戦に耽った─それが「クリケット外交」と呼び慣わされるに至ったにも関わらず。二人のリーダーは夕食を共にして、平和のために努力を続けることを誓った。

 だが試合から間もなくその努力は、パキスタンのクリケットチームのキャプテン、Shahid Afridiが行った攻撃的な発言のために無駄にされたようにも見える。彼は帰宅した瞬間にインド人が浅はかで心根が狭いと言い、そしてインドのメディアは無意味なことを誇張してドラマ仕立てに扱った、と厳しく非難した。

 興味深いことに、クリケット外交によるその前回の密会すらも失望を招いた。前のパキスタンのリーダーたちもインドに行き、彼らのチームがインドのチームと対戦するのを見た。1987年にはZia-ul-Haqが、2005年にはPervez Musharraf が。こうしたバットとボールのサミットからは、何も生み出されなかった。

 そうだ、勿論AfridiはニューデリーとイスラマバードがMohaliで培ったかもしれない小さな希望を無駄にした。しかし、RanaとHeadleyの裁判において吐き出されようとしている新たな証拠は、平和を見出そうと試みる二つの核保有国をさらに難しい状態に置くことになるかもしれない。

Gautaman Bhaskaran is an author, writer, columnist and film critic based in Chennai.
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MD22Df01.html

「パキスタン・ISI」関連記事…

パキスタンはなぜ、アメリカを憎むのか?──それは我々が頼りだからだ By Christopher Hitchens
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/01/why-does-pakistan-hate-united.html

タリバン指導者の逮捕と、パキスタンが求める「ストラテジック・デプス」By Shibil Siddiqi
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/04/strategic-depth-at-heart-of-taliban.html

この2月、パキスタンでは〔タリバン指導者たちの逮捕〕/ In Pakistan, last February..
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/04/in-pakistan-last-february.html

Tuesday, May 3, 2011

オサマ・ビン・ラディンの逃亡:言い訳と現金の物語 Osama bin Laden's escape: A tale of subterfuge and hard cash - By By Tim Lister

オサマ・ビン・ラディン殺害の約1週間前…WikileaksによるGuantanamo Bay尋問ファイルの公表で
急に不思議な詳細が明らかにされた

Osama bin Laden's escape: A tale of subterfuge and hard cash - By By ティム・リスター (4/28, CNN)
オサマ・ビン・ラディンの逃亡:言い訳と現金の物語

 ─オサマ・ビン・ラディンは2001年12月に、彼のアフガニスタンの隠れ処の周辺に迫った底引き網をいかに逃れたのか?

 それは諜報関係者の間でも、また、私自身も含めTora Boraでの米軍の2週間近い集中的砲撃を目撃した者の間でも、長らく論争の的となってきた。多くのアナリストたちはビン・ラディンが山岳の合間の峠道を通って、ほんの数マイル先のパキスタンに抜けたと指摘してきた。しかしグアンタナモ・ベイ収容所抑留者の供述によるassessmentでは彼が別の方角に向かい、北部同盟のムジャヒディーンたちや、12月8日前後に我々がそのエリアで最初に目にした米軍特殊部隊の少数の派遣部隊の手から逃れたと示唆されている。

 抑留者らにおける評価推定は今週ウィキリークスによって公表され、Washington Post紙やthe Guardian紙その他のメディアにも掲載された。

 それらの内のひとつ、2007年に収集された情報はHarun Shirzad al-Afghaniという抑留者にまつわるものだ。Al-Afghaniは当時、アル・カイダと近い関係を持つHezb-e-Islami Gulbuddinなる武装グループの司令官だった。Al-Afghaniによればアル・カイダのリーダーは、パキスタンの武装兵士で宗教家のMaulawi Nur Muhammadという人物の助けで、そのエリアを逃れたという。そして彼が言うには、ビン・ラディンはJalalabadを目指して、後には遠く離れた北東部アフガニスタンのKunar県を目指して北に向かったという。

ウィキリークス:ビン・ラディンは、現金にがんじ絡めだった

 彼のプロフィールの末尾にある短い幾つかのパラグラフには、al-Afghaniがアフガニスタンの戦争領主Gulbuddin Hekmatyarから「Tora Boraのアル・カイダの勢力と手を結び、オサマ・ビン・ラディンをその地域から隠密に脱出させよ」との命を受けたとの彼の言が引用されている。そのグループは、「Tora Boraにいるアラブ人たちとの無線によるコンタクトを失った」のだという(Hekmatyarは偶然にもいまだにこの地域の重要なプレーヤーの一人だが、タリバンと緩い連携関係を持ち、多くのアナリストが彼をアフガニスタンでのいかなる平和交渉でも重要なパートを担う者とみている)。

 そしてここに、Plan B が浮上する。Al-Afghaniによれば、Maulawi Nur Muhammadが40人から50人の武装兵士たちを、ビン・ラディンと彼の代理人のAyman al-Zawahiriを遠くTora Boraからエスコートするべく送ったという。彼の助力の後には、Abu Turab al-Urdaniと呼ばれるアル・カイダの司令官(偶々、Zawahiriの義理の息子でもある)との会見がこれに続いた。al-Afghaniの供述のアセスメントでは、「Maulawi Nur Muhammadが彼に、彼らのTora Boraから以降の約10ヶ月にわたる逃亡について語った」という。抑留者たちの協力者だったHaji Abdul Abadは─2005年の8月から9月の間にJalalabadで米国の関係者を狙い自爆テロを指揮した者だが─そのUBLの逃亡の詳細が真実である旨を証明したという(UBLは、収監者に関する書類の中でのアルカイダのリーダー名の統一的略称)。

 CNNが確認したその他のグアンタナモ抑留者のアセスメントでは、ビン・ラディンが12月11日に突然Tora Boraを発ったとされている。「UBLは、彼の選んだ少人数の者らと共に、突如Tora Boraを出発した」と、あるパートには書かれている。彼のボディガードらはその1、2日後に出発し、ホワイト山脈の地域の峠道を登ったが、そこで彼らは12月15日にパキスタンの民兵部隊によって拘束された。他の抑留者たちは(ビン・ラディンの護衛の)武装兵士らが、地元のアフガン人司令官らとの交渉に失敗した後の、12月16日前後のエクソダスについて語る。その当時にTora Bora近くに居たCNNのチームは、それら両グループの間の無線でのコンタクトに気づき、それについての報道をしているが─アル・カイダの武装兵士らを追い出すべく派遣されていた貧弱な装備の地元民兵は、明らかにその仕事には余り熱意がなかった。かくしてアル・カイダの上層幹部たちの逃亡は、そのエリアの多くの峡谷や、渓谷を通ってなされた。

 おそらくビン・ラディンは、パキスタンとの国境地帯を渡ることは危険過ぎると考えたのだろう。いずれにせよ、al Afghaniは彼が、馬の背に揺られたKunar 県への旅路を前に、Jalalabad市の近くの安全な家まで旅し、そこで休息を取ったという─Kunarは岩だらけで険しい、暴力的な場所であり、多くの観察者は治めがたい土地であるという─そこでは今でもタリバンとアル・カイダが実質的に存在し、同盟国軍は恒常的に攻撃を受けている。Al-Afghaniは、ビン・ラディンがパキスタンとの国境を渡る前に、Kunarの地に2002年遅くまで滞在したという。

 Al-Afghaniの供述の信憑性を確認することはできないが、彼は2007年2月にJalalabad近郊で拘束されるまで、アル・カイダのcourier(案内人)として、また援助者として真摯な信頼を得ていた。その書類では「この抑留者がアル・カイダの組織構造や作戦について、ユニークな情報をもたらした」とする。そしてそれは、CNNが他のソースから得た情報とも一致する。

 その頃、アル・カイダのリーダーたちと繋がりの深かった男の一人にNoman Benotmanがいる─ 当時、アル・カイダと関係をもつリビアのイスラム武装グループの幹部だった男だ。彼は911の後、ビン・ラディンに近しい別のリビア人Abu Leith al Libbiと電話連絡をとっていた。Benotman はCNN のテロリズム・アナリストの Paul Cruickshankに対し、LibbiがKabul周辺での戦闘への援助を要請した際に、ビン・ラディンの返答は「アメリカ人と戦うものは誰でも、Tora Boraにおいて我々の後に続かねばならない」と語ったのだという(Benotmanは現在、英国の反テロリズム・シンクタンク、Quilliam Foundationのシニア・アナリスト)

 彼がCNNに語った内容では、ビン・ラディンは彼自身の脱出について考えていた時、パキスタン国境の地元の人々を信用してはならないことを知っていたという─その無法地帯では犯罪者や麻薬運搬者が、アル・カイダのリーダーを米国が提示していた2千500万ドルの報奨金のために引き渡そうと考えることを躊躇するわけがなかったと。

 Benotmanは、al-Afghani の示唆したのと同様に─Jalalabad付近の部族がビン・ラディンの逃亡後の隠れ処を提供し、恐らく彼はパキスタンの部族地帯を渡る前に1年近くの間アフガニスタンに留まっていたのではないか、と語る。

 ビン・ラディンのTora Boraからの逃亡は、9月11日の攻撃と、Tora Boraの空爆の間の3ヶ月間のオデッセイ(放浪の旅)における最終ステージだった。抑留者たちのプロフィールから示唆されるのは、9月11日の直後に彼が彼の支持者らと活発に会い、Kandahar とKabulの間を旅し、そして彼の妻たちや家族のメンバーらをKandaharでの米軍の空爆から逃れるよう図っていた事だ。そして彼は莫大な現金を持っていた。ある書類が示唆するのは、彼はTora Bora の要塞地帯に向かう前に10万ドルをJalalabad周辺の地元の部族リーダーに寄贈したという。しかし彼は、熱心な支持者たちが散り散りに逃げ、あるいは拘束された中で─彼をTora Bora から逃亡させた男、Maulawi Mur Mohammedから7000ドルを借りる必要が生じた、とal Afghaniはいう。Mohammedに何が起こったのかは明らかでない。

 個人的なことだが、私が2001年のクリスマスの直前にその地域を最後に発った時、私はCNNの為に働いていたパキスタン人の「フィクサー」と共に旅をした─その地域や、地域の多くの勢力間の同盟関係、競合関係に関して百科事典のような知識を持つ男だった。我々がJalalabadからパキスタン国境へと車で旅したとき、山々が両側から茫っと立ち現れた─Tora Boraを南に、また遠いKunarの原野を北にして。我々のフィクサーは北の方角を指し示して、「そこには、人間が誰一人として足を踏み込んだことのない地域がある」といった。「私は、ビン・ラディンはそこに行ったのだと信じている」。彼が正しかった可能性は大いにある。
http://edition.cnn.com/2011/WORLD/asiapcf/04/27/osama.escape/index.html

参考記事
http://www.washingtonpost.com/opinions/the-biggest-terrorist-catch-of-the-obama-era/2011/04/04/AFBkVPcC_story.html
The biggest terrorist catch of the Obama era

"Guantanamo Files"
http://www.nytimes.com/2011/04/25/world/guantanamo-files-lives-in-an-american-limbo.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=3&pagewanted=all

http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/secret-case-against-detainee-crumbles.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=1&pagewanted=all

サウジ・アラビアによる反革命が「アラブの春」の熱気を奪う Saudi counter-revolution cools Arab Spring - By Jim Lobe


サウジ・アラビアによる反革命が、「アラブの春」の熱気を奪う
─石油価格の高騰を怖れる米国の恭順さが、湾岸でのサウジのアジェンダ実現を助ける─By ジム・ローブ (4/24, アル・ジャジーラ英語版)


「リヤドの政府とその同盟者らが描写する、中東のスンニ派・シーア派間に一層深まっているという紛争のなかで…サウジは地域のイランの最大のライバルとして台頭しつつある」

  いわゆる「アラブの春(Arab Spring)」がその6ヶ月目に入る今、それは深刻な冬の逆風に直面しているかのようだ。ウォッチャーたちのなかには、サウジとその近隣のスンニ派首長の国々を、湾岸諸国に吹きつける凍てつく風を巻き起こしている主な源として非難する人たちもいるが、米国や西欧の「価値観」と彼らの利益との間の食い違いが拡大していることが、この季節外れの悪天候を加速させているのだ。

 かくして米国政府が…バーレーン(米国第五艦隊の母港の国)の多数派シーア派住民へのますます暴力的で無差別な弾圧とは賢明なものかどうかについて、強い疑念をプライベートに表明しつつも、サウジが後ろ盾となるその抑圧に対し明白な非難を述べることに失敗した…ということが、こうしたトレンドの最も露骨な実例となっている。

 より知られていないが─非難さえもされていないことは、木曜日にUAE(アラブ首長国連邦)の政府が同国の法学者協会(Jurist Association)の幹部の会議を解散させたということだ─その会議とは同国での最も顕著な市民社会組織だったのだが…彼らは今月、先に政治的改革を求める嘆願書に(向こう見ずにも)署名していたのだ。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチは、その動きが政府による「平和的な反政府運動への拡大的弾圧」の一部であると述べたが、同国の事実上の国防大臣Mohammed bin Zayed Al Nahyan皇太子は来週、バラク・オバマ大統領に会う予定であると、金曜日にホワイトハウスが発表した。

 もちろん、オバマによるリビアの「政権交代」への拡大する軍事的投資(たとえ不承不承といえども)にも関わらず、彼が手がける─ワシントンをアラブ世界における「歴史の正しい側に置く」ための素直な努力─ というものは、ますます不首尾で偽善的なものに見えつつある。

 米国のみならず─他の西欧諸国もまた─サウジの政策、特に湾岸での政策を効果的に尊重して扱いながら、その地域で最も民主的な変革とは逆の方向へと賭けている(例えばエジプト軍への支持を強化しつつ、同時に実質的な経済援助を廃止するなど)─それによりエジプト軍が同国の防衛や外交政策、特に対イスラエル政策での支配権を維持するよう、明らかに望んでいるのが実態だ。

 そんななかで、より一層理想主義的な…チュニジアのZine Al Abidine Ben Ali大統領やエジプトのHosni Mubarakの放逐に成功したような…初期の「民主主義志向のデモンストレーション」のイニシアチブをとった若者主導の運動は、イエメンやリビアでと同様に、より狭い宗派や部族・親族の利益のために行動するより利己的な勢力に取って代わられて、周縁に追いやられつつある。

 サウジ主導の湾岸協力会議(GCC)が現状においてイエメンのサレハ大統領辞任を仲介しようとしている努力は─ワシントンはその件も何となく、不承不承に認めているのだが─ひとつのエリートのグループが…民主主義的な自由や自治拡大といったことに何らの展望も持たない、別のエリートのグループに取って代わられるだけの結末を生む可能性もある。

 「米国は、現在の状況に関して主に語られる説明(ナレーティブ)、…つまり民主主義者と、抑圧者が今後もこの舞台を演じていくだろう、ということ…そしてそれが、部族vs.部族の争いや、持てる者vs.持たざる者の争い、あるいはより悪くすれば、イスラムvs.十字軍のキリスト教徒の争い…などに取って代わられていく恐れはないだろう…との確信をもっているのか?」と前・米国土安全保障省長官のMichael Chertoffと前CIA長官Michael Haydenは、金曜日のワシントンポスト紙で問いかけている。

石油、武器、そしてイラン問題 

 地域の明らかな反革命勢力であるサウジアラビア王国に対して表された尊重の念は、多くの要素によって説明される─それは少なくとも同国が、米国で石油価格がガロン当たり4ドルの高値に達したなかでの、日和見主義的な世界的産油国という役割だけからなされる説明ではない。米国の政治アナリストたちは、オバマの再選へのチャンスは─現状ではその可能性もとても高いが─来年のこの時期までに石油価格が下がることなしには、政治的に顕著な方策を失うだろう、と警告する。

 「私の支持率は最近の危機のなかで上下しており、現状ではガソリン価格高騰が人々のうえに大きく影響している」とオバマ自身、今週初めにカリフォルニアでの資金集めイベントで述べている。
 石油危機に加えてその大きな影響が及ぶものとして、サウジアラビアとUAEは米国の最新鋭の武器システム(その製造者たちは国内での顕著な国防予算削減の兆候を懸念しているが)を購入しているので、ワシントンと彼ら大口海外顧客との間の関係が緊張するリスク、という結果ももたらされる。

「大方のアメリカ人は、彼らの想像の及ぶ範囲では、米国がサウジにどの程度のレバレッジをもつのかを理解していない」と、前Defence Intelligence Agency (DIA)の中東アナリストで、退任したパット・ラング提督が、先週彼自身のブログSic Semper Tyrannisで語っている。

 「彼ら(サウジ)は米国とのベーシックな関係性のあり方を変えることを決意し、今後はより独立的なコースを取り、これからは地域全体の革命的勢力に対してのレジスタンス(反動的な弾圧)をより奨励していく方向をとる」と彼は言う。

 そして最後に、サウジアラビアは、UAEやバーレーン、クウェイト、ヨルダンの熱烈な支持を受けながらも、地域におけるイランとの第一の敵として台頭している─ リヤドの政権とその同盟者たちはより一層、それを中東のスンニ派とシーア派コミュニティに実存する紛争なのだと描写している。

 彼らがテヘラン政府を、アラブ世界の内政に干渉していると非難することは、パワフルな「イスラエル・ロビー」(*米国の)の耳には心地のよい(音楽のような)ものだ─彼らが辛抱強く培ってきた、スンニ派主導の諸国政府を反イランのもとで統一するという「戦略的コンセンサス」のアイディアが遂に…彼らの分かち合う懸念…この地域での民主化がもたらすかもしれない重大な結果への懸念…という果実となって実ったかのようにもみえる。

 かくして米国議会が、傷つき、沈みつつあるエジプト経済に対し、同国が政治的進化を遂げるこの決定的瞬間において実質的な援助をすることに躊躇するその理由とは、ワシントンが予算カットマニアに牛耳られているという故だけでなく、エジプトの未来の政府がキャンプ・デービッド合意に誠実であり続け、ガザ政策でもイスラエルに協力し続けることを確実化したい、という願望にも、同じく大きく依存している。

 先週、エジプト政府がテヘランとの関係の正常化を開始すると決断したことは、民主的なエジプトというものが余りよい投資先ではないかもしれない、との信念を拡大させた。しかし、アラブの春を冷却させている風は、灼熱の暑い夏に向かう可能性もある、とアナリストたちは警告する(アナリストたちは、サウジによる反革命によって同国内や中東全域で益々深まる二極化が、米国と現状でのその地域の同盟国により大きな加速的リスクをもたらすと信じているが)

 「現状は、特にイランとそのアラブの近隣諸国との間のとげとげしさが拡大していることによって、益々緊急さを増している」と、米国平和研究所が今週発表したルトガース大学のToby Jonesの論文は指摘する。その論文は、もしもワシントンの米政権が、より確実な役割を果たさない場合に、それは「いまひとつの軍事闘争に引き込まれるかもしれない」と警告している。

 彼は、ワシントンとその同盟国が、サウジに対し自制と改革を促してきた静かなアピールは無視されるか、拒否され続けてきたとしつつもこう付け加える… 怖れられているイランの影響力の拡大というものが(サウジによる)自らの予言の成就をももたらすであろうと─それは確かに、バーレーンによって実現した─。Elliott Abramsのごとき著名なネオコン強硬論者が今週、自らのブログにおける「破滅に向かうバーレーン(Bahrain Heads for Disaster)」と題する投稿できっぱりと同意していた点だ─それがサウジアラビア自体を含みつつ、より広範な地域におけるものではないにせよ。

 「リヤドの政府がその現在行く道を守り続けるべきなら、米国は、軍事的な関与についての再考が必要であることを明かにせねばならない」と─ ワシントンは1979年のイラン革命以前と同様、その地域での利益を「水平線の彼方から」保護できるだろう、と指摘するJonesは述べている。
Jim Lobeは Inter Press Serviceのワシントン支局チーフ)
http://english.aljazeera.net/indepth/opinion/2011/04/2011424133930880573.html

関連記事
「US -サウジ」のリビアに関する取引が露呈…反革命の甘い匂いBy ペペ・エスコバル
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2011/04/sweet-smell-of-counter-revolutionby.html 




Tuesday, April 12, 2011

NATO侵攻後のリビア Libya, after the NATO invasion By Mahmood Mamdani


NATO侵攻後のリビア By マフムード・マムダーニ (4/9, English Al-Jazeela)
 

 *写真:リビアのMuammar QaddafiとスーダンのOmar Al-Bashir. The Despot Index


 2010年の国連の人間開発指数(HDI)─それは健康や教育、所得額といった複合的な基準により評価されるものだ─では、リビアは世界で第53位に、アフリカでは第1位にランクされている。

 42年前に王が退位させられたときには田舎の後進国だったこの国は、今日ではモダンな経済と高い識字率を有する。この一つの事実は、カダフィが彼の支配の歴史的な正当性を主張するときの主な論点となっている。

 リビアに関して今日しばしばなされる議論は二分される: 一方の側は抑圧された(リビアの)人々との団結を強調し、もう一方の側はさらなる西欧世界との戦争への反感を含めて語られる。

 西欧の同盟国がリビアに飛行禁止区域を設定した直後にニューヨークタイムズは、米国東海岸にあるカレッジのリビア人の政治学教授の意見を掲載した。Ali Ahmida はカダフィの支配を、上述の今日の二つの議論を代表する二つの時期に分けて論じた─

若いカダフィの印象 Impressions of a young Gaddafi


 その最初の20年間…と彼は書く…革命は普通のリビア人に多くの便益を与えた; 広汎な識字率、無料の医療サービスや、教育、そして住環境の改善。特に女性たちは便益を享受し、彼女らは閣僚や大使、パイロット、判事や医師となった。政府は下流・中流階級からの広い支持を受けた。

[Ali Ahmidaの記事引用:しかし80年代以降に始まったものとして、過度な中央集権や、治安勢力がより抑圧的となり法の秩序が低下したことが、本来のポピュリズムの実験を損ねた。法廷や大学、労働組合や病院は弱まった。70年代には多くのペルシャ湾岸諸国などよりもリビア社会をより民主的にみせていたはずの、リビアの社会を形づくる市民組織は衰退し、または排除された。敵対的な国際情勢、そして石油収入の変動が体制への圧力を強めた。

 英雄崇拝の儀礼は汎アフリカ主義のイデオロギーへと変貌していった。それは暴力をも孕んで行った。度重なるクーデター未遂に伴い反体制分子は打ち据えられ、投獄された。治安勢力は中央・南リビアからの信頼できる親族や同盟者で固められていった。1990年代には経済制裁による犠牲で、ヘルスケアと教育が衰退し、失業率が増加、経済はより石油依存となり体制はより腐敗していった…](http://tinyurl.com/3r39ohv)
 

─(このAhmidaの論ずる)悪い傾向を代表する側とは、デマゴーグ的(扇動的)な政権が英雄崇拝の酒宴を催して、暴力をシニカルに擁護するといったものだ。度重なるクーデターの試みに遭遇した政権は、治安勢力を信頼のおける親族の人間、中央・南リビアからの同盟者たちで固め、このことが政府を同族的な管理体制へと変貌させた。

 私のカダフィに対する最初の印象は、数十年前に読んだMuhammad Haykal(ナセルの有名な報道官だった人物)の回想録に書かれていたことだ。

 Haykalは中国から訪問していた周恩来首相と(エジプト大統領の)ナセルが、国が催したレセプションの最中にかわした会話を回想している。

 軍服を着た若い男を指差して周恩来は訪ねた、あれは誰だ?と。…ナセルは答えた、何故だ?あれは丁度、リビアの王権を転覆(権力を掌握)したばかりのカダフィ大佐だ、なぜそれを尋ねる?と彼はいった。

 周恩来の、それに対する回答は忘れがたい:ああ、彼は今さっき私のところに来て私にこう尋ねた、原爆を購入するにはいくらかかるか、と!…この逸話はカダフィの、よく知られた常軌を逸した性質を集約している。

革命家に休息はない No rest for the revolutionary

 カダフィは彼自身を、反・帝国主義の戦士とみなしており、そのようにして彼はカダフィ・ブランドをアフリカ大陸でマーケティングしてきた。しかし実際にはカダフィの体制は、彼のリーダーシップに崇敬の念を捧げる者ならば、誰彼構わず取り立てた。

 彼の祝儀が与えられた者たちのリストは、雑多なものだ: カダフィがその初期の資金提供者だったウガンダのNational Resistance Armyから、反対者であろうと支持者であろうと鼻や指、手首を切り落とすその残忍さで知られた…シェラ・レオネのRevolutionary United Front 、彼がしばしば唯一の資金提供者であった民兵タイプのグループ…たとえばArab Legion(チャドとダルフールの遊牧性の武装民兵グループの傘組織)などがある。

 カダフィは彼自身を、アフリカの「解放」勢力のCEOとみなしていた。数年前、ウガンダ人たちが憲法を改正して大統領の2年の任期制限を廃止するか否かで論議していた時、カダフィは躊躇なくその国民的な議論に介入した。彼は、「革命運動家たちよ、リタイヤするな!」と宣言した。

 カダフィの西欧に対する関係回復は2003年に始まった。核開発施設を解体して、米国・英国やイタリアの企業 – Occidental Petroleum、BP や ENI といった–の開発付石油契約を招致するために、カダフィは西欧の集団に舞い戻って歓迎された。

 独裁者の外部向けの顔が反・帝国主義者から親・西欧にシフトしたとき、カダフィは米国主導の「テロとの戦争」に加わった。

 しかし、危機が到来して彼のパトロンたちが背を向けたとき、カダフィの元には軍事的反乱を振り切る核兵器もなく、国連安保理で彼とともに立って支持してくれる有力な友もいなかった…  (以下略:…Mahmood Mamdani is professor and director of Makerere Institute of Social Research at Makerere University, Kampala, Uganda)

http://english.aljazeera.net/indepth/opinion/2011/04/201148174154213745.html

アフリカ連合の停戦提案;NATOはミスラータとアジュダビヤを防衛 (4/11, ホアン・コール)

 4月11日、@feb17voicesのTwitterにはこうある:「カダフィ軍の集中的な攻撃ではスティール工場とガス貯蔵タンクの地帯に大きな被害が出たという… 多くの人はミスラータにスティール工場がある事を知らないかもしれない…この街でカダフィに対抗する「反乱勢力」の大半は労働者であることも。今や体制側は特に彼らの生活手段を破壊し、彼らの家族を爆撃している」(*@feb17voicesはJohn Scott-Railton に率いられ、リビア人にTwitterへの電話でのアクセスを供給している革新的なテクノロジー。同様に、エジプトでネット接続が遮断されたときにも人々にアクセスを提供した)

 これと同時に、アフリカ連合の3人のリーダーがトリポリにおける討議のために到着し、カダフィは少なくとも彼らの提案を受け容れると語った。AUのチームは、これまでカダフィと息子たちを温存するいかなるプランも拒否してきた暫定政府評議会との話し合いにベンガジに向かう。

 AUによる仲介の問題とは、彼らが反体制勢力にとって誠実なブローカーとは見られていないことだ。世界が注意を払わなかった内にカダフィは、石油から得た彼の財産(「彼自身の」と私は言いたい)を用いて、アフリカ諸国のリーダーたちから忠誠心を勝ち取って軍事介入するべく、彼の影響力を売り歩いた。国連のリビア介入を批判する者たちは、ダルフールやスーダンにおいては何故そのような人道的ミッションが行われなかったのかと問う─そこではブラックアフリカンのフール族のなかの分離主義者たちが、ハルツーム政府に忠実なアラビア語を話すブラックアフリカンたちに虐殺されていた。その流血沙汰は、そもそも、カダフィのチャドとスーダンへの破滅的な介入によって始められたものだ。現在のダルフール問題は1987年に、カダフィによって武装されたチャドから来たアラビア語を話す雇われ民兵たちが、ダルフールとの国境を越えて軍事ベースを作ったことに始まる。彼らがJanjawid ジャンジャウィードの先駆なのだ。常に地域の帝国主義者であり、破壊者であったカダフィは、その莫大な富を駆使してこの大陸に、彼の支配力を拡大させる武装民兵とゲリラたちを溢れされた。彼は南の隣国チャドの支配権を奪うべく、同国の北部地域で彼の部隊による暴力的な占領を続けつつも、成果のない年月を送った。

 彼自身の領土からは遠く離れてカダフィは、彼のテロリスト訓練キャンプthe World Revolutionary Center(ゲリラ訓練所)を通じて恐怖を拡大した。そこから輩出されたのは、ブラッド・ダイヤモンドに飢えたクーデター屋や戦争屋たち─(リベリアの内戦を起こした)チャールズ・テイラーや、シエラ・レオネのフォデイ・サンコーなどである。カダフィとテイラーはシエラ・レオネの戦争へと介入した。 (*チャールズ・テーラー:http://tinyurl.com/3twrmkd *アハメド・フォディ・サンコー:http://tinyurl.com/3egb3nc )

 何百万もの人々が、その一部はカダフィが自らの野望のために喚起したものでもある戦争で殺された─カダフィは自らの鋳型から、幾世代もの専制主義的で反抗的な革命運動家たちを生み出したが、彼らは彼のクライアントにもなった。莫大なオイルマネーがカダフィに西アフリカの政治体制における安定性を損ない、好き勝手にさせる自由を与えた。

 カダフィはアフリカ連合の経費の15%を負担し、実質的に多くのアフリカのリーダーたちを召使のように使っている。

 カダフィは、チュニジアのZine El Abedine Ben Aliに対する人々の革命には強く反対の立場を取った。もしも彼が力を取り戻し、彼の富を再び掌握したならば、カダフィは隣国チュニジアで目覚めつつある歓迎しがたい民主主義と法のルールを妨害し、そしてエジプトにも食指を伸ばすだろう。市民にむけて無差別に発砲するこの億万長者の連続殺人者と、億万長者のプレイボーイの息子達の末期的にナイーブな支持者たちは、「いや、カダフィはそんなことはしない」、などという。彼らはカダフィがこの30年間アフリカで何をしていたと思っているのか。彼が権力から放逐され、ベンガジの政府が議会システムを樹立できれば、リビアだけでなく全アフリカが大きな一歩を踏み出せる。

 報道メディアのヘッドラインは、カダフィがAUによる停戦と平和維持軍駐留の提案を受け入れた、と書いた。もしも彼がその戦車や重火器を撤収し、市民や街を無差別に攻撃することを止めるのならばそれもよい。実際的な戦争よりも、停戦から平和を確立する方がたやすいだろう。カダフィの血にまみれた過去と多くの殺人は、NATOにおける国連諸国による同盟とアラブ連盟が最大の監視を行うことで、彼が自らの領土をより拡大し、より多くの人々を殺すことの隠蔽する外交を行わないように求めるだろう。

http://www.juancole.com/2011/04/au-proposes-ceasefire-nato-protects-misrata-ajdabiya.html

*リビアの反政府派暫定評議会は、4/11に5人のアフリカ諸国大統領が提案した停戦への「ロードマップ」を完全に拒否…当初の概案も政府勢力が生じさせた死と破壊の後には既に受け容れられない、我々はカダフィと息子たちが政権から去ることを当初から求めていると声明。AUの提案は西欧にも警戒をもって迎えられ、英国のヘイグ外相は「停戦合意は国連決議の要請もフルに満たさねばならない」と語った。

Friday, April 8, 2011

「US -サウジ」のリビアに関する取引が露呈…反革命の甘い匂い The sweet smell of counter-revolution By Pepe Escobar


US─サウジのリビアに関する取引が露呈された Exposed: The US-Saudi Libya deal By ペペ・エスコバル (4/2, Asia Times Online)

 お前はバーレーンに侵攻しろ。そうすれば我々は、リビアのムアマール・カダフィの政権を成敗しよう。これが、簡単にいえば、バラク・オバマ政権とサウード家の間に交わされた取引のエッセンスなのだ。国連外交筋の2つの情報ソースがそれぞれ証言したことなのだが、国連決議1973号の趣旨、リビア上空での飛行禁止区域の案にアラブ連盟が「イエス」を発することと引き換えに…ワシントンがヒラリー・クリントン国務長官を通じてサウジ・アラビアに、隣国であるバーレーンを侵攻して民主的な抗議運動を弾圧するようゴーサインを出したというのだ。

 この件の暴露は異なる2人の、独立した外交官のソースからもたらされた─あるEUの外交官と、そしてBRICS諸国の外交官だ─それらは別々にあるアメリカの学者に対して、および当Asia Timesに対しても伝えられた。外交的な慣例によれば彼らの名前を明かすことはできない。片方の外交官がいうには、「これが我々が1973決議案を支持できないことの理由だ。我々はリビアとバーレーン、イエメンの状況は類似した状況とみなしている、そしてこの件に関し国連事実調査団のミッションの派遣を要請している。我々は、我々のオフィシャルな立場、つまりこの決議案の内容が不透明であり、おそらく好戦的な態度belligerent mannerによるものだったとの見方を続けている」

 Asia Times Onlineが報じたように、飛行禁止区域に関してアラブ連盟が全面的に支持したのは不可解な謎だった。その22カ国のメンバー国のうち、11カ国だけが決議案の投票に参加した。そのうち6カ国は湾岸協力会議(GCC)のメンバー国─つまり米国に支援されたペルシャ湾岸の王国・首長国─サウジ・アラビアがそのトップの国である。シリアとアルジェリアは決議案に反対した。サウジアラビアは他の3カ国だけを決議に賛成票を投じるよう「誘惑」すればよかった。

 翻訳すれば:アラブ連盟の22か国中、わずか9カ国だけが飛行禁止区域の決議案に賛成したのだ。採決は主にサウード家が、アミル・ムーサ議長(彼は次期エジプト大統領になるため、ワシントンにアピールする履歴書を磨くのに熱心だ)とともに率いた作戦であった。

 かくして、当初は偉大な2011年のアラブの革命(叛乱)が存在した。そして、その後は否応なく、アメリカ─サウジによる反革命がやってきた。

利益享受者たちは喜ぶ Profiteers Rejoice

 人道主義的な帝国主義者たち(Humanitarian imperialists*欧米勢力を指す)は大挙して、これは「陰謀である」という都合の良い解釈をとばすだろう─彼らはリビアで、ベンガジでの仮説に基づく虐殺を阻止したとして、きりもみ旋回しながら空爆をしてきたのだが。彼らはサウード家を弁護することだろう ─同家がペルシャ湾岸地域でのイランによる破壊工作(*バーレーンの反政府動乱)を押しつぶすことができたとして─ 明かにR2P("responsibility to protect"(*記事末尾参照)というものは、バーレーンの民衆には適用されなかった。彼らはポスト・カダフィのリビアを新たな…石油もたっぷりとある…人権のメッカ、として重々しくプロモートするだろう─アメリカの諜報機関の資産と、ブラックな軍事作戦と、特殊部隊と、危なっかしいコントラクター(民間警備会社)とによって、より一層完璧化されながら。

 地上における事実は変えられない、と彼らが何を言おうと─アメリカとサウジのダーティー・ダンシングの結果は目の当たりにみることができる。Asia Times Onlineは、既にリビアでの外国勢力による介入で誰が利益を得るかを報じている(参考: http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MC30Ak01.html)そのプレーヤーに含まれるのはペンタゴン…Africomを通じて…、そして北大西洋条約機構(NATO)、サウジ・アラビア、アラブ連盟のアミル・ムーサ、そして、カタールだ。このリストにバーレーンのアル・カリファ王家、また選任された武器契約業者、そしていつもどおりのネオ・リベラルの容疑者たち(彼らは新たなリビアでの資源ビジネス…水資源までも寡占化したいと熱心に狙っている)が加わる。そして我々は、リビアの石油・ガス産業の上を飛びまわる西欧のハゲタカたちに関してすら語っていない。 ここに露呈されたのは、オバマ政権の驚くべき偽善だ─人道的な作戦といいつつ北アフリカとペルシャ湾岸を巻き込む、粗野な、地政学的なクーデターを売りつける彼らの。ムスリム諸国でのもうひとつのアメリカの戦争の例として、それはまさに「動力的(kinetic)な軍事作戦」だ。 …(後略)
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD02Ak01.html

反革命(カウンター・レボリューション)の甘い匂い The sweet smell of counter-revolution By ペペ・エスコバル (4/8, Asia Times Online)  

 アメリカ国防省のロバート・ゲイツ長官は(今日)サウジのアブドラ国王と話すためにリヤドにいる。AP通信は世界のメディアに対し、彼らは「アラブの叛乱」について討議することだろうと報じた。そこにはその他の陳腐な言葉も浮かび上がってくる─「政治的改革」、石油生産、「イランの脅威」など…。しかし、ペンタゴンがこのタイミングでサウード家に会うことが示す言葉は、唯一つ、これしかない:「私は、朝の反革命(counter-revolution)の匂いが大好きだ…」とでも。

 そう、それはナパーム弾よりも偉大なる匂いだ。まるで勝利のような匂いがする。US─サウジによる反革命は、2011の偉大なるアラブの叛乱に対抗して楽々と勝利しつつあるのだ─ 。サウード家はエジプトのホスニ・ムバラクに対しても、最後まで権力の座に踏みとどまるよう望んでいた─それは、ワシントンにとっても同様だった…彼らは動乱勃発の当初、ムバラクの政権は「安泰」だという声明を出し、その後はオマール・スレイマン(拷問名人のシーク)に「秩序ある権力移譲」をさせることに賭けたが、その後、政権の崩壊が明白になって漸く、タハリール広場の民衆に唱和したのだ。

ワシントンが歴史の正しい側に踏み出すことを再び阻むかのように、サウード王家はそれ自身のプランで、King Fahd causeway(ファハド国王舗装道路)を通じて隣国に侵攻し、バーレーンの平和的な抗議の民衆の弾圧をおこなった。これはワシントンとの決定的なやりとりによる釘がしっかりと打たれたからこそ可能だったのだ;「我々(サウジ)は、リビアでの飛行禁止区域実施の決議にアラブ連盟の一票を入れさせよう;これと引き換えに、我々にバーレーンの始末をつけさせてほしい」(4/2の記事参照 http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD02Ak01.html)

 ゲイツとアブドラが今、複雑なる「US outreach(アメリカの手の及ぶ範囲)」(つまりこうしたアラブの独裁者が、市民を虐殺しつつ平気で立場を維持できること)や「政権交代」(つまり彼ら独裁者が、犬にくれてやりたいような他の国の為政者を陥れること)に関して討議をしているとを知るにつれ─ 時局の連結点というものが、ワシントン/サウード家が今や全ての前線(フロントライン)にあって─歴史の誤った展開面と、そして全てを操作する位置にあるのだということを、説き明かしてくれる。

 サウード家とカタールは今や、リビアの「transition(政情の推移)」を微妙に支配している。こうしたカタール─サウジの同盟は今や、イスラエル─サウジの同盟の鏡像(ミラー)でもある。サウード家はまた、イエメンの政情の推移も支配している─今や、バラク・オバマ政権は、アリ・アブドラ・サレハ大統領を犬の餌のように捨て去る決断をした(なぜなら彼が、彼の民衆を十分に殺害し、その平和的な革命運動を弾圧できなかったからだ)。かくしてサレハは今や、アメリカの「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」との戦争においては、価値のない「ろくでなしの男」になってしまった。イエメンの抗議運動(彼らは、サウジ人を信頼をしていない)が、腐敗した・親アル・カイダのAli Mohsen大佐(*)からの支持を受けていようと。アメリカCIAは、サレハの後継者を嬉々として受けいれようとしている。 (* Ali Mohsen大佐:Yemen軍の幹部で、政権の軍事アドバイザー。サレハ大統領の異母兄弟。3/21に他の将校らとともに反政府勢力を支持すると発言、大統領に叱責された。80年代のソビエト・アフガン戦争でイスラム過激派のリクルーティングに協力した)

 今や、北大西洋条約機構(NATO)よりもタカ派の強硬論者となったカタールは、それに応じた報償をも得ている。あるカタールの外交官は、アラブ連盟の楽観主義者の議長アミル・ムーサ(ムーサはエジプトの次期大統領などにグレードアップしたいと欲している)の後を継ぐはずだ。それなら次は何だ?カタール人がNATOの議長になるべきなのか?ううむ、彼らは2022年のワールドカップを買収するに十分な金ぐらいは持っていた。

 ゲイツとアブドラはまた、ペンタゴンのAfricom(*)の目を見張るような成功についても討議するかもしれない─それは2008年末に任務を始めたに過ぎないが、しかしすでにアフリカにおける、最初の大きな戦争に巻き込まれている。Africomの司令官Gen. Carter Hamが今やその戦争に関して、アフリカ連合(AU)の数十カ国のメンバー国に対し(彼らは当初、Hamが彼らの領土で指揮権をとることを決して望まなかったが)説明する必要があるなどと、誰が構ったりするだろう?ゲイツでさえも、リビアにおける戦争など、アメリカの外交戦略にとって優先事項とはいえないと認めていたのだ。(*United States Africa Command:米軍の、エジプト以外のアフリカ53カ国における軍事戦略の総司令部。本部はドイツ・シュツットガルドにある)

 サウジの新聞「Arab News」によるとサウード家の閣僚会議は、バーレーンのal-Khalifa王家によるサウジ人への謝意の表明 ─ サウジ人が賢明さとリーダーシップをもってバーレーンの内政に干渉し…バーレーンに侵攻し「バーレーンに平和と安定を取り戻してくれた」と彼らに謝意を表した感傷的な声明─ そのことに対する「返礼としての謝意を」表したのだという。そしてその後に、誰もがイランに対して非難を叫んだという。(*イランのシーア派がバーレーンのシーア派住民の抗議運動を誘導したとされる)

包括的になるべき時だTime to be inclusive

 バーレーンのカリファ王家は、彼ら自身の民衆を覆すことに絶対的に成功する。彼らがもしその国民の70%をペルシャ湾に投げ捨てて、そうして支配者の安泰を維持するならばの話だ。彼らは同国唯一の反体制的新聞- al-Wasat -を閉鎖して、王家支持派の新しいエディターのもとにそれを再開させた。

 人権運動家やジャーナリスト、ブロガーたちは姿を消した─あるいは、姿を消された。ビジネスマンと政権幹部たちは、ストライキを実施した労働者たちを銃撃しなかったとして脅迫された。もはや誰も、ツイッターやFacebookをやっている者はいない。混合的な居住地域に住んでいたシーア派の家族らは、検問所でとめられるたびに脅迫を受けるので、引越しをし始めた。人々は、暗号を使って電話口で話している。オバマ政権に関する限りバーレーンは、もはや存在すらしていない。

 バーレーンの7世紀の先祖にさかのぼれば、それはドバイの獲得物だった。ドバイは今年、4%の経済成長をした─アラブ世界の「動乱」に利益を得て。そしてアラブ首長国連邦(UAE)の人口は826万人に達しつつある─外国人労働者が流入しているが、その多くはバーレーンからだ。

 カタールとUAEは、リビアでのNATOの飛行禁止区域という信用詐欺における「有志同盟」の小さな、代表的でない国々だ。いまや英国人らはこうしたアラブの二つの模範的民主国家に、東部リビアの「反乱勢力」─有象無象の群集─を訓練するようにと「要請して」いる…そのため彼らは、何らかの停戦が交渉で達成されるまでの間は、この砂漠地帯に隣接する場所で、砂漠の砂粒にしがみついていられるだろう。

 翻訳すれば:「民間警備会社」は英国にとっての、いいビジネスだ─傭兵という形で…その中には特殊部隊の経験者もいる。彼らのサラリーはまもなく、カタールとUAE、ヨルダンによって支払われる…プレイステーションの王様 King Playstationに支配された国の、「治安軍のオフィサー」たちで溢れかえった国土で。このことは再度証明する─そこにはたった一つの…非国連決議1973…が承認した市街地でのゲーム:つまり政権交代 だけがあるのだと。

 2011年の偉大なアラブの反乱の行く末が、石油生産や、移民の流出、イスラエルとの関係性、政治的モデルとしてのトルコの引力、そして未来のアル・カイダのフランチャイズ、といったことに繋がるとは誰も予測できないだろう。しかしワシントンの国家防衛ポリシーがいまだに、オリエンタリストが抱く阿片への夢のごとく見えたり感じられる中では、我々はアラブ世界に対して、ローカルな買弁的な独裁者・専制君主を通じて関わることしかできないだろう。そんな阿片よりもずっとす早く、我々はもうそれに夢中になっているのだ。
 
 それなら何故、すべてを我々に併合しないのだろう?アメリカは、石油の豊富な51番目の州にも上手く対処できるだろう。経済刺激策の話をすればいい。米国市民たちは、彼らの税金の徴収のごとく、石油を入手できるだろう。いまや、仲介業者をカットすべき時だ。アラブ世界では、あの哀れっぽいアブドラやカリファ王家といった者たちよりも、オバマに対して答えることを誰が愛さないだろう?
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD08Ak01.html


*R2P:responsibility to protect
 「独立国家の主権は必ずしも特権ではないが責任であり、国家はその国民を、民族虐殺、戦争犯罪、人道に対する犯罪、エスニック・クレンジング(これらをMass Atrocity Crimes─大規模残虐犯罪と総称する─)から守る責任がある」との見地の元に…独立国家がこれを守れない場合、国際社会がその遂行を援助しなければならないとする考え。そのRtoPとは、国際社会にとってのノーム(規範)であって法ではない。国際社会は経済的、政治的、社会的手段によって現状の危機に対処し、外交的または強硬な手段、あるいは軍事介入をその最後の手段とし、犠牲となった人々の安全と正義の再建、大規模犯罪の起因の解明をはからねばならない…とする。
…ルワンダ虐殺が阻止できななかった際、当時のコフィ・アナン国連事務総長が嫌疑を唱えたのが端緒。2000年には、カナダ政府がInternational Commission on Intervention and State Sovereignty(介入と国家主権に関する国際委員会、ICISS)を設立、翌年に報告書「The Responsibility to Protect」をリリース。アフリカ連合(AU)は、これを組織理念にもりこんでいる。2006年には国連安保理が国連決議1674の一部として採択。2009年に国連事務総長藩基文が新たな報告書を発表し、これを更に推進させている。(出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Responsibility_to_protect

ウェブサイト:http://www.responsibilitytoprotect.org/

*3/7The IndependentのRobert Fiskによる記事
 …「アメリカはリビアへの武力介入長期化を必死に避ける代わりに、サウジにリビア反政府勢力への武器供給を求めてきた。もしもサウジが行えば、その武器がたとえ米国製であっても、ワシントンは武器供給の責任を問われない、唯一のアメリカのアラブ同盟国である。サウジもバーレーン同様に東部に反体制派のシーア派住民を抱えるが…バーレーンでの動乱とも呼応してQatif県には治安勢力が派遣され、全土で民衆のデモが禁止された。それでもシーア派は2万人のデモを計画、軍の発砲を防ぐため最前列に女性を並ばせるという… もしもサウジが、リビアに銃やミサイルを送れとのアメリカの要請に従ったなら、オバマ大統領はサウジ政権によるサウジ北東部シーア派住民の弾圧への暴力行使に、とても口を出せなくなるという…」 http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/americas-secret-plan-to-arm-libyas-rebels-2234227.html



バーレーンに侵攻したSaudi軍の戦車