Monday, January 23, 2012

影の取引が、カダフィの富と体制を助けた Shady Dealings Helped Qaddafi Build Fortune and Regime


"リビアの革命"によって、無残にも撲殺されたカダフィ大佐、彼は本当は誰に、なぜ"成敗"されてしまったのだろうか…英仏米が先導し、アラブ連盟も協力したNATO軍?欧米石油資本?反体制勢力とは本当にリビアの民衆だったのか?─2011年3月にNYTが報じたカダフィ大佐と欧米石油企業の密約の気になる記事

いかがわしい影の取引がカダフィの富と体制の維持を助けた - By エリック・リヒトブロウ、デビッド・ロード、他 (2011/3/24, NYタイムス)

 2009年、カダフィ大佐の上位の側近たちは、リビアの油田で事業活動を行っていた国際的なエネルギー企業15社の幹部を呼びつけ、異常な要求を行った─それは、彼の国がパンナム103便の撃墜(1988年の)や、その他のテロ事件において果たした役割に対して支払う15億ドルの(欧米への)賠償金を、彼ら石油企業が拠出せよ、というものだった。国務省が記録したそのミーティングの要旨によれば、リビア政府高官たちは彼らを、こう言って脅した─もしも彼ら企業が従わないなら─そのことは油田のリース事業において「深刻な結果」を招くだろう、と。

 多くの企業は、その言葉をきいて躊躇した─テロ行為の犠牲者らの遺族とリビア政府が法的な和解をすることなど想像しがたい、として。しかし、米国を本拠とする数社を含むいくつかの企業は、ビジネスを続けるための代償として、リビアの強要を受け入れるようにみえた…と、石油業界の幹部たちや米国政府の役人たちは証言し、国務省の関係書類は記している。そのエピソードや、よく似た他のエピソードが─2004年に米国がカダフィ大佐の政府との交易を再開して以降の…腐敗やキックバック(賄賂)に満ちた、力づくの戦術や政治的パトロナージュが蔓延するリビアの文化を反映していた、と政府関係者らは語る。米国やその他の国際的石油企業やテレコム企業、Contractors(契約請負業者)などはリビア市場に参入するにつれて、カダフィ大佐やその忠実な支持者らがしばしば、何百万ドルもの金を「署名料ボーナスsigning bonus」とか「コンサルタント契約料」として引き出していることや─あるいは、権力者の息子たちが、俄か仕立てのパートナーシップ契約を締結しそれらを得ていることを発見したという。「リビアのクレプトクラシー(泥棒政治)ではカダフィ・ファミリー(al-Qadhafi family)自身、もしくは彼らと親しい政治的同盟者らのいずれかが─売買したり所有し得るあらゆる価値あるのものに直接の利害をもっている」、と2009年の国務省の機密公電は(同省独自の「カダフィ」のスペリングを用いて)述べている。

 欧米諸国からの経済制裁が解除されて以来、カダフィ大佐と彼の政府が国際的企業の協力のもとに蓄積してきた富は、彼のその国での足場をさらに確固たるものにした。米国とその同盟国による軍事介入の行く末は未だ見えていないが[*本記事は2011年3月掲載]、カダフィ大佐のもつ財源(彼が軍の兵士や傭兵、支持者らに支払うため用いていると米国政府関係者が信じる数百億ドルの現金を含めて)は、彼が政権からはじき出されることを防ぐか、少なくともそのことを引き延ばしている可能性がある。同国政府がビジネスを継続したい企業を食いものにするだけでなく、リビアの銀行は明らかに…イランが近年テヘランに対する国際社会の経済制裁を尻目に巨額の金を資金洗浄することを助け、見返りに儲けのいい手数料を得ていたことも─Wikileaksの暴露した別の機密文書の中のトリポリからの公電に記されている。その公電によれば─2009年には米国の外交官が、リビア政府関係者にこうも警告したという─彼らのイランとの取引が、リビアが国際社会において強められた立場を…短期的にみこまれるビジネス上の利益の潜在的可能性ゆえに、危険に晒していると。

 経済制裁解除後の最初の5年間には─カダフィ大佐は自国の核開発能力の維持を断念し、テロリズムの断罪へと走った─多くの米国企業はリビア政府との取引に対しては消極的だった。しかし2008年に、スコットランドのロッカビーでのパンナム機撃墜におけるリビアの役割についての合意が最終的になされると、米国商務省の高官たちは自称・米国ビジネスのマッチメーカーとして働き始めた。リビアは…数年前に同国の70億ドルの国債に対する「投資の機会」の責任者だったリビア政府官僚に接近して、長期に亘ったポンジ・スキーム(ネズミ講詐欺)を企み数十億ドルの金を盗み取ったニューヨークの金融マネジャーBernard L. Madoffのお陰で、現金で潤っていた─と、国務省の2010年のエピソードの要約は語る。あるリビアの政府官僚は「我々は、それを受け取っていない」と報告しているが。

 国務省によるとカダフィ大佐は、数多くのビジネスの意志決定に個人的に関わっていた。彼は、政府が外国企業との合弁ビジネスを認可する監視機関として設立した各地方の”riqaba” councl(リカバ評議会)と共に働き、2億ドル以上の事業契約のサインは、すべて自らの手で行うと主張していた。彼はまた、もしも最近まで行われていたような経済制裁が再び課された折に、どうやって現金や投資を隠ぺいするか、を学んでいたという。カダフィ大佐と彼の家族は、彼らに忠実なリビアの部族メンバーの名義で世界中の銀行に口座を開いていたと、リビアの亡命旧王族のメンバーで、カダフィ大佐の多くのビジネス取引にも詳しいIdris Abdulla Abed Al-Senussiは語る。(そうした銀行口座のいくつかに関しては、数十億ドルの金へのアクセスが当局により禁じられた可能性もある)そして、カダフィの親類縁者は贅沢なライフスタイルを享受した─豪華な家を持ち、ハリウッドの企業に投資をし、米国のポップスターとプライベート・パーティーを催して。

  カダフィ大佐が意志決定を行わない場合、同国経済の数々の産業セクターの運営を任せられた彼の息子らの一人がそれを行った。リスク・コンサルティング会社Kroll社の業務執行幹部であるDaniel E. Karsonは、彼が代理を務めていた某国際コミュニケーション企業が2007年にリビアの携帯電話市場への参入をはかった際のあるインタビューを回想する。その当初からリビアの政府高官は彼らに対し、外国企業は独裁者の長男のMuhammad Qaddafiをローカル・ビジネスパートナーとしなければならないと明確化した。「我々はその企業に対して、彼らがすべてMuhammad Qaddafiを通さねばならないことをアドバイスした」、とKarson氏は語るが(彼は、彼のクライアント企業の名を明かすことを断った)。「これは基本的に、小売や、価格、品質、そして納品方法においても守らねばならないことだった」、カダフィ・ファミリーとのビジネスを恐れたその企業はリビアでの投資を断念した、と彼は言う。Coca-Cola社は、2005年に清涼飲料メーカーが瓶詰工場を開設した折に、その支配をめぐって対立したMuhammad Qaddafiと弟のMutassim の間の激烈な争いに巻き込まれ、武力紛争のなかで何ヶ月も工場を閉鎖せざるを得なかったと外交公電は記している。また国務省の記録によれば、イリノイ州の機械メーカーCaterpillar社は、2009年にリビアがカダフィ家支配下の国営企業とのパートナー契約を強要したため、インフラ建設プロジェクトへの機器納入の高収益の取引を閉鎖しようとしていた。抵抗を試みたCaterpillar社は、米国の外交官らが打開策を講じることに失敗した後にリビアでの事業活動を禁じられた。

  カダフィの側近らがリビアで事業展開する石油企業らにロッカビー事件の和解を命じた際には、2009年2月の国務省の公電によると、業界幹部らは「小規模な運営企業やサービス企業であるほど支払いの要求に折れるかもしれない」、との見解を表明していた。数名の業界幹部らや和解に密接に関与した者らはみな匿名を条件に、その支払いが行われたことを語るが、企業名は公表しないよう求めている。その他の企業も同国政府と金のかさむ契約を結んだ。2008年には、カリフォルニアの企業Occidental Petroleumが、リビア政府に30年契約の一部として十億ドルの「契約署名ボーナス(signing bonus)」を支払っていた。同社のスポークスマンは、長期契約における巨額なボーナスの支払いはよくあることだったとする。その前年にはカナダの石油大手Petro-Canadaも、リビアの政府高官から30年間の石油掘削ライセンスを与えられた事と引き換えに同様な10億ドルの支払いを行った事を、外交公電と同社幹部が伝えている。同社は英領 Virgin Islandsのビジネス・コンサルタントで、カダフィ一家とも親しい Jack Richardsを取引締結のローカル・エージェントとして雇ったと、カナダの新聞The Globe and Mailは報じている。Richards氏からのコメントは取れなかったが、彼はカダフィ・ファミリーのサポートを得るために、彼らを英国王室所有の土地に射撃ツアーに連れて行ったという。

 同社はまた、カダフィの息子Seif al-Islamにも言い寄った─Petro-Canada社は彼の描いた絵の展覧会のために出資した(それは美術館に展示を拒否された後、カナダの評論家たちに"ゾッとする"、"陳腐さの勝利"などと酷評されたのだが。)リビアで1億ドル以上の契約を取りつけたモントリオールのSNC-Lavalin社もまた、もう一人のカダフィの息子Saadiのために展覧会への出資を行い、彼をサッカーチームの選手として雇った。ノルウェーでは、リビアとの間に700万ドル以上の明かに違法な「コンサルタント契約」を締結した国営石油会社の幹部2人が2007年に退職し、政府の捜査を受けている。
 George W. Bush政権時にホワイトハウス高官で財務省幹部だったJuan Zarateは、2004年にビジネス取引を再開を決定したことを回顧し、その当時政府高官らはカダフィ大佐をリハビリテイト(国際社会に復帰)させることによる便益が、明らかなリスクよりまさっていると信じていたという。「それは悪魔との取引だった」、とZarate氏はいう。
  「それによる国交(やビジネスの)正常化への希望がまさっており、カダフィの中東の狂犬としての価値は低いが、ビジネス・パートナーとしての価値のほうが高かったのだ」、と彼は付け加えた。「しかし私は、これは人々の誰もが望んでいたような解決方法だったとは思わない」。
http://www.nytimes.com/2011/03/24/world/africa/24qaddafi.html?pagewanted=all

*カダフィは2011年10月下旬に反政府勢力の群集の手に落ちた。そもそもアラブ連盟諸国はなぜ、リビアへのNATO軍の武力攻撃を許可する国連決議案に賛成し、カダフィ大佐の殺害をも許したのか、民衆蜂起したリビアはなぜ国際社会の手で転覆させられたのかと─この直後に、デュポール大のアラブ系米国人の政治学者KM教授に質問してみた─KM教授は、「カダフィ大佐の、あのような無残な殺害方法はアラブ諸国の誰も許してはいなかった」としつつ、そこには次の3つの原因があったと整理してくれた:

1. ここ数年、カダフィ大佐はアラブ諸国全てに背を向けられていたこと
  (2004年以降、欧米に侵攻され体制を強引に転覆されたイラクのサダム・フセインの運命を目にして怯え…カダフィ大佐が核開発を断念、パンナム機撃墜の賠償にも急遽応じて外交政策を親欧米に転じたことへのアラブ諸国の冷ややかな目ということか)
 (3月に、アラブ連盟が「全会一致で」国連でのNATO軍によるリビア侵攻決議を支持した理由には色々の噂もあったが)  
 「確かに全会一致だったのには、何らかの(微妙な)理由もあっただろう」

2. 米国やサウジなどのグループの権益の方向にさからったこと 
 (リビアの石油利権の今後の契約先を、これまでのドイツなどのEU主要国の欧米契約企業を切って、中国・ロシアなどBRICSに移すなどと宣言していた、そのことなども含まれるのだろう)

3.そしてエジプトやチュニジアでおきた革命の余波を受けたことが第3の原因
 (それではやはり、リビアの革命は、所詮は石油の利権が第一、" It's all about oil"?)それに対する答えとは、「それも勿論あるし、その他のこともあるだろう」

 ─リビアの反政府勢力の蜂起とは、本当にリビアの民衆全体の意志だったのか?→「…それについては、リビアは広大な国なので、国内には色々な勢力もあってはっきりしたことは何ともいえない」。
 ─それで、そうした勢力には、アル・カイダの残党も混ざっていたというわけか?→「そうだろう」。
 ─チュニジアやエジプトに始まった革命の波はfacebookなどを通じた若いネット活動家に先導されてきたとも言われて、そこには米国の諜報機関に招かれて指導を受けた者もあったと報じられたが…このリビアの「革命運動」の蜂起にも米国が地下で関わっていたところがあると思うか?→「…それも勿論あっただろう。」
 KM教授の答えは明確で意外にあっさりとしていたが…通常、ネット上では陰謀論のように語られることも、話の切り口によっては 陰謀論でも何でもないように聞こえてくる。

*英国のブラウン政権下では、英国BP社がカダフィ大佐の息子サイーフ・アルイスラムと、巨額の石油、天然ガスの大口契約を結んでいたはず。英国は石油権益と引き換えに、パンナム機事件の容疑者メグラヒをもリビアに返還していた。リビアの国際社会への回帰により英国で期待されていた大きなビジネスが、米国などに簡単に無視された理由は不可解でもある(当時、メグラヒをスコットランドの刑務所からリビアに連れ帰ったサイーフは、リビアがメグラヒの行為の「責任を取ってロッカビー事件の賠償支払いを受け容れた」理由は、単純に国際社会の経済制裁を終わらせる為だったが「それは我々がその犯罪を犯したという意味ではない」と述べたとか。彼はBBCのインタビューで、ロッカビー事件の遺族らを「とても貪欲だ」と非難し、彼らが我々を脅迫することで時間を浪費するかわりにリビアの政府と協力して「同事件の背後の真犯人は誰だったかを発見すべきだ」ともいっていた…(参考記事):
Qaddafi’s Son Says Release of Lockerbie Convict Was Part of Business Negotiations


「地中海クラブ」の戦い

http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2011/03/club-med-war-by-pepe-escobar.html
パンナム機爆破事件(1),(2)
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/09/colonel-gaddafi-with-friends-like-these.html
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/09/lockerbie-more-evidence-of-cynical.html
「US -サウジ」のリビアに関する取引が露呈…反革命の甘い匂い
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2011/04/sweet-smell-of-counter-revolutionby.html

3 comments:

Anonymous said...
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Anonymous said...

I enjoyed your post. It’s a lot like college – we should absorb everything we can but ultimately you need to take what you’ve learned and apply it.

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remede said...

Yes, this one is the extension of the conversation in my latest class. I appreciate you discern my comment in Japanese...