Saturday, May 30, 2009

ブロンクスのモスク信者に強引な囮捜査が?/Informer’s Role in Bombing Plot

10日前、ニューヨーク・ブロンクスのユダヤ教シナゴーグの爆破を計画したとして、4人の男が逮捕された。 ─当局の囮捜査が1年前からモスクに集まる男たちを追跡し、
FBIの情報屋が、”Jihadist wannabes”たちににニセの爆弾を渡したというのだが?



シナゴーグ爆破の陰謀計画と、情報屋の役割 By WILLIAM K. RASHBAUM and KAREEM FAHIM(May 23, 2009 NYT)

誰もがその外国人のことを、“Maqsood” とだけ呼んでいた。彼はいつも、ニューヨーク州Newburghのモスクのパーキング・ロットで、彼のメルセデス・ベンツの座席に座り、金曜礼拝の終わるのを待っていた─そして彼は、若い男達に近づいた─とそのモスク-Masjid al-Ikhlas-の信者仲間たちはいう。
彼は、34歳のShakir Rashadaという男に、一緒にランチを食べに来ないか?と聞いた。また39歳のShafeeq Abdulwaliには、仕事の口があると提案した、たぶん彼の建設会社の仕事だったのだろう。38歳のJamil Muhammedには、彼に携帯電話とコンピューターを与える、と持ちかけたという。

そのパキスタン人の男は時々、モスクのイマーム(導師)のアシスタントに近づき、ミーティングを開くことを提案したり、モスクの寄金者たちの会合で買ったサンドイッチに、代金よりも多額な金を払ったりした。やがて、モスクの年配のメンバーたちは、彼が政府の雇った情報屋だと知るようになったのだ、とモスクのリーダーらはいう。その男の関心は、もっと年若い黒人のメンバーたちや、ビジター達に集中していたようだ、と彼らは言う。
「金の力で誰かに影響力を及ぼすことは、簡単なのだ。」と、そのモスクの長年のメンバーの Muhammed氏はいう。「特に、こうした刑務所帰りの男たちには。」

そのモスクのメンバーたちは、今ではMaqsoodが、NewYorkのユダヤ人センターを爆破しようとした陰謀の咎で今週、逮捕された4人のNewburghの男たちに関わりをもっていた政府の情報屋(government informant)だったことを信じている。政府当局は、その4人のうち何人かはNewburghのモスクを訪れており、また全員が以前刑務所で服役したことがあり、彼らは皆ユダヤ人を殺したいと願っていた、という。そして訴追者は、彼らが実際にNYの街に爆弾を仕掛けた積りだった─彼らの行動はFBIにビデオで録画されていたのだ、と主張する。

連邦政府が訴追したこの事件は、そうしたテロ計画の実行を望む男たちの願いを、より容易にする便宜を図るふりをした政府の情報屋(informant)の行為が中心となって動いた一件だ。そうした情報屋というものは、9月11日以降、州やローカルな当局によって立件された何件かのテロ攻撃計画においても、コンスタントな役割を占めていた。弁護人たちの側がコンスタントに試みているのは、彼らのクライアントたちがこうした情報屋の罠にかかった「dupe(騙されやすいカモ)」だったに過ぎず、もしこうした情報屋の挑発に乗らなかったら、そのような罪は犯さなかっただろう、と主張することだ。

だが、法廷でのこうした申し立ては決まって失敗する。陪審は明らかに、こうした情報屋の行為の影響によって常に犯罪的テロの計画が誘導されていた、というような申し立てには動じることはない─例えば、ニュージャージーのFort Dix基地で兵士達を殺害しようとした5人の男たちのケースや、マンハッタンのHerald Squareに爆弾を仕掛けようとしたクイーンズの若いパキスタン移民たちなどのケースでもだ。そして、今週の爆弾事件の陰謀に関する捜査で、この情報屋によるおとり捜査の罠(entrapment)への反論申し立ての弁護はやはり失敗した。

その情報屋の身元はマンハッタンで水曜日に出された裁判記録においては公表されていない。しかしその件に関するブリーフィングを受けた人物によると、男の名はShahed Hussainで、2004年にニューヨーク州Albanyのモスクで、ピザ屋のオーナーとイマーム(導師)がおとり捜査で訴追された件においても、証言者の中心となった男だ、という。

こうした男たちを弁護する側は、裕福な過激派のイスラム教徒だと名乗っていたHussainが彼のクライアントだった男たちを、パキスタン外交官をミサイルで暗殺する、という究極的に架空のプロットで誘導し罠にかけたと主張する。しかし州法廷の陪審団はこの2人の男に有罪評決を下し、15年の懲役刑に処した。

金曜日にNewburghのケースについて尋ねられたNY警察のコミッショナー、Raymond W. Kellyは、「良心のかけらのあるいかなる弁護士でも、これはentrapment(おとり捜査の罠)だったことを主張するだろう」、と答えた。
「議論は法廷でなされるだろう。だが法的には、おとり捜査を仕掛けられなければこうした犯罪には手を染めなかったとの証明ができない限り、こうした弁護は成功しない。」

政府当局側が提出した訴状では、この情報屋(informant)は単にこの4人の男の暴力的破壊行為の意志に助力を与えただけの人物だとしている。連邦当局は被告の1人James Cromitieがアフガニスタンでの戦争に対し憤りを抱き、米国に攻撃を仕掛け、そして後にはユダヤ人をも攻撃する意志を抱いていたものと断定した。その情報屋(informant)は彼らに対して、自分はパキスタンのテロリスト・グループと繋がりをもっていると語り、そして彼らに(彼らが信じるところの)爆弾とミサイルを与えた。

それらの男たちが、情報屋(informant)が接近するよりも前から本当に安全への深刻な脅威であったといえるのか、と訊かれたNYのFBIオフィスのチーフ、Joseph M. Demarest Jr.はいう、「その(テロ計画)は彼らの企んだプロットであり、彼らが進めようとしていたプランだ。我々は単にそれを容易にしただけだ。彼らは爆弾を欲しがった。彼らはスティンガー・ミサイルやロケット砲を欲しがった、私は彼らが欲しいものをそう呼んでいたと信じる。彼らは本物の爆弾だと信じた包みや鞄をブロンクスのシナゴーグの前に置き去ったのだ」

このCromitie氏の弁護人であるVincent L. Briccettiは、彼が Albany のケースでもHussain氏の役割に気づいていた、と金曜日にNew York Post紙で述べている。
「彼の行ってきたことについて我々は関心がある」とBriccettiはいう。

Albany の事件での法廷記録によれば、Hussainは1993年ないし4年にパキスタンから米国に来た。彼は、色々な仕事を渡り歩き、いくつかのビジネスや不動産を所有するようになった。しかし2002年に彼はAlbany 地域の人々が違法に自動車運転免許を取得することを幇助して金銭を要求した、との容疑で訴追された。

国外追放を逃れるべく彼は政府への協力に同意した─始めはこの自動車運転免許の違法取得に関する囮捜査に協力し、そしてヘロインの密輸事件での囮捜査にも協力した。2003年にFBIは彼をより野心的な捜査に駆りだした。FBIはHussainに、彼らがテロ計画のサポーターではないかと疑っていたYassin Arefという男の意図を探りたいとし、そして最後には彼の友達であるMohammad Mosharref Hossainに、フォーカスを当てるよう依頼した。
連邦政府エージェントの与えた指示のもと、しばしば録音機を携えて彼は男たちに会い、そして彼らに対し自分は「ウェルシー・ラディカル(金持ちの過激主義者)」だと自己紹介した。最終的に連邦政府は今回、2人の男をミサイル入手のためのマネー・ロンダリング容疑、またたぶんその武器を用いてパキスタンの外交官を殺害しようとした容疑で訴追した。
Hussainは2人の男たちを訴追する法廷で長々と証言したが、被告の弁護人たちは彼を捜査活動に熱心すぎる政府機関の道具だったと描写している。

彼は2人の男たちに彼のゲーム計画を話すために会う際、その前には常にFBIのエージェントに会っていたと証言した。
「自分はエージェントのColl が自分に話した内容を、彼らにその通りに話した。」とHussain は、彼とFBIエージェント、そして2人の男とのかかわりに関する尋問で証言した。
「では、あなたは完全に、エージェントのCollが言った通りに行動したわけか?」と彼は弁護人に訊かれた。「その通りだ」と彼は答えた。

Hussainの弁護を、2002年のその逮捕以来2006年まで担当していたlawyerのJames E. Longは、この事に関するコメントを拒否した。ArefとHossainを訴追したAlbany市の連邦裁のattorney、William C. Pericakもまた、この情報屋に関するコメントを拒否した。しかし2人の男の判決の後、彼はいった、「これらの男たちがテロ攻撃を、実際に何%の確率で実行していたかは誰にも推測できないが、Albanyにテロリストがやって来た場合に彼らが協力した確率は100%だ。」
Maqsoodと呼ばれるその男は Newburghに現れるより前、まず始めに、近所のWappingers Fallsの Al-Noor モスクにアプローチしていた、とモスクのメンバーは言う。イマームとそして何人かの幹部メンバーはMaqsoodという男が2007年以来、散発的に礼拝に参加するようになっていたが、彼は派手な男で、いつも彼の不動産ビジネスや資産について自慢していた、と言う。彼は黒のメルセデスに乗りつねに1人でやってきた。

モスクの元会計係のZubair Zohaはその男に、有力な見込み客を探すため、モスクのメンバー全員のリストを見せて欲しいと3回にわたり頼まれたという。しかし彼は大概いつも無視し、払いのけてきた。
彼は2008年の6月ごろには来なくなった、とメンバーは言う。そしてその後、政府が法廷に提出した報告によれば、この情報屋はNewburghで、Cromitieと彼の仲間とのつき合いを始め、爆弾計画に繋がる一連の取引を始めた。

Newburghのイマーム、Salahuddin Mustafa Muhammadはその情報屋が彼のモスクを、レギュラーのメンバーたちとは何の関係もない陰謀計画に関係づけた、として憤っている。彼は計画を非難しているが、その情報屋が現れなかった場合にも、逮捕された男たちが同じ犯罪計画に手を染めたかどうかには疑問を表している。
Muhammad氏はMaqsoodという名の男に疑いを抱いた時、彼自身が違う行動をとっているべきだったかどうか、と自問している。「政府関係者が何かを仕組んでいるらしい時に、政府の機関にそのことをどうやって告げらたらいいのか?」と彼は問うている。
http://www.nytimes.com/2009/05/23/nyregion/23informant.html?hp=&pagewanted=print

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ブッシュ政権以来の対テロ捜査の過剰さが、いまも継続しているのだろうか? 


A BUNCH OF TERROR DUMMIES- HOW FBI DUPED BX. 'PLOTTERS' WITH DUDS (NYPost)
…al-Ikhlas モスクのメンバー達は、情報屋のShahed Hussain, 52才が長らく礼拝者たちをジハードに誘おうとしていたと証言する。「誰もが彼に近づかないよう距離を置いていた。自分達は James [Cromitie]さえもが彼に近付かないよう試みた、だが彼は聞かなかった」と29歳のAbdul Waliはいう。「彼は人々に仕事の口を紹介していた、彼は建設工事の仕事を紹介していたのだと思う。たぶん、彼はそうやって Jamesに近づいた…」
http://www.nypost.com/seven/05232009/news/regionalnews/a_bunch_of_terror_dummies_170636.htm


NYでテロ計画、4人を逮捕 FBIおとり捜査で発覚(日本語記事)
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2604488/4173435

Monday, May 25, 2009

オバマとグァンタナモ政策/Cheney Lost to Bush By DAVID BROOKS

オバマのグアンタナモ収容所閉鎖の決断などもやや足踏み状態にみえるこの頃─   
オバマ大統領の特別なお気に入りとなり、彼のオフィスにも呼ばれた?という保守派 liberalのD.Brooksが提灯記事を書いた‥


ブッシュに負けたチェイニー By DAVID BROOKS

この木曜日に、オバマ大統領とディック・チェイニーが共謀して神話のような話を宣伝していた。その神話とは、我々は過去8年のあいだ、'Bush-Cheney'流の反テロリズム政策の中で生きてきたが、今や我々は、それとは異なった'Obama-Biden'流と呼ばれる反テロリズム政策の時代にはいったとか、いうものだ。オバマもチェイニーも理解している通り、これは完全にいんちきな歴史の歪曲だ。

真実は、といえば、9月11日以降、我々は2年から3年にわたって'Bush-Cheney'のポリシーとも呼べる時代にあったのだ。米国は、見えない死角からの攻撃を受けていた。諜報機関の関係者たちは、彼らに向けられた脅威についてほとんだど何の理解もなかった。ブッシュ政権はそのために、およそ可能な限りの全ての手段を講じ、脅威を発見してそれを予防しようとしたのだ。ブッシュの仲間たちは、自分たちが法の定める範囲で行動している、と信じていたが、今では我々の多くが、彼らに道義的にも問題があり、非生産的な事ばかりやっていた、と気づいている。

'Bush-Cheney'のポリシーの時代はおそらく3年間続いた。ディック・チェイニーにとってそれは黄金時代だったのかもしれない。民主党員にとっては、それは確かに、共和党のやることの周りを永遠にうろつきまわっている時代だった。しかしそれはもう、ずい分前に終わったのだ。

2005年頃までに、'Bush-Rice-Hadley' 時代というべき時代が始まった。徐々に、その時代は開始されそして定着し、ブッシュ政権の何人かの高官たち─ …コンドリーサ・ライス、スティーブン・ハドレイ、ジャック・ゴールドスミス、そしてジョン・ベリンジャーを含んでいた─が'Bush-Cheney'時代の過剰(行き過ぎ)を乗りこえようとした。彼らは全ての戦いには勝てなかったし、法廷による裁定や、公衆の怒りにも突っつかれていたが、徐々にポリシー上における進化をしてきたのは明らかだった。

2003年以降、ベリンジャーとゴールドスミスのような者たちは、過剰な尋問手法を許した法的な決断に反対を挑んで戦った。2006年には、ライスとハドレイがKhalid Shaikh Mohammedを外国の秘密刑務所から連れ帰り、拘留者への扱いを平等化(標準化)すべく、試みた。2007年にはライスは、そのような尋問手法の再開への執行命令の支持を拒んだ。ブッシュ政権の2期目の全ての時期にわたり、政権の高官たちはグアンタナモ収容所の閉鎖の実現を試み、これと並行して諸外国の政府に対し収容者の受入れを求める訴えを発信しながら、上院議員たちに、収容者の米国領土内への移送の許可を求めた。(しかし、GITMO収容所の閉鎖が先決問題であり、その次に収容者をどうすべきかを考えるべきだ、とされた為に、それは実現しなかった。)
チェイニーとオバマは自分らがそうした方向性にはない振りをしていた、しかし「水責め(ウォーターボーディング)」の実行を止めさせたのはオバマ政権ではない。それは、2003年の3月にCIAディレクター達が開始したことの継承だったが、2004年にCIAの調査官による破壊的なレポートが作られた時よりも前だった。

チェイニーが、国土安全問題への(政府の)ポリシーの変更を非難したとき、彼は、オバマ政権を攻撃していたのではなかった。かれはブッシュ政権を攻撃していたのだ。木曜日のスピーチのなかで、彼は公衆を前に、ブッシュ時代のホワイトハウスで彼が何度も行っていたのと同じ議論の多くを繰り返していた…今や、ホワイトハウスの意思決定が益々それとは異なるものになっていた中で。

バラック・オバマの就任は、米国の反テロ戦略に大きな変化をもたらしてはいない。それはそのポリシーに対する公衆の信頼性に変化をもたらしただけだ。

まず最初に、この政権が、テロリズムを真面目に捉えていないという言い方はばかげている。オバマは、ブッシュ政権が末期に醸成していた戦略と同じく、アフガンへの米軍の増派を支持したのだ。彼はパキスタンでの無人偵察機の作戦をステップアップした。彼は反乱勢力と対決するために攻撃的な兵士達を推進し、国内での対テロ作戦では実績をあげた。

テロリスト容疑者の問題に対しては、ジャック・ゴールドスミスが、The New Republic誌のWEB版に“The Cheney Fallacy” (チェイニーの誤信)という記事を書いた。彼は広範な戦略のリストを作った─ グアンタナモ、身柄提出令状、軍事委員会、容疑者の移送、尋問、などなど…。彼はその多くのケースで、どのようにオバマ政権が、ブッシュ政権の末期に徐々に進化してきた戦略を受け継いで、それをプレゼンテーションしているかを示した。

オバマが持っていたもの、そしてブッシュ大統領が決して持っていなかったものとは、他の人々の意見を問題にする、ということだ。ゴールドスミスはその点を上手く記している:「オバマ政権とブッシュ政権の主要な違いとは、テロリズムに対するポリシーには関係がなかったが、むしろそれを如何にパッケージング(包括)するかということだった。ブッシュ政権は自らの足元を幾度も幾度も、撃ち続け、彼らの政策の合法性や有効性が損傷を受ける状態を招いた。オバマ政権はこれとは対照的に、そうしたこと(他者の意見)に集中的に焦点を当てた。

オバマはブッシュが最後に採用していたのと同じ多くの政策を採用している、そして彼はそうした戦略が米国と世界にとって信頼するに足るものに変えた。彼のスピーチの中で、オバマは彼自身の決断を、繊細さと一貫性とをもって説明している。彼は我々の抱える幾つかの問題は困難であり、そこには容易な解決法はないとしている。彼は米国人を大人として扱い、そして、彼らの尊敬を得たのだ。

私はオバマが、彼自身が利益を享受する戦略を創ったブッシュ政権の高官たちに対して、より丁重に、誠意を抱いて接して欲しいと願うだろうか?イエスだ。しかし肝心なことは、オバマは多くの、より穏健で、時がたつにつれてそれが検証されうる妥協的なポリシーを講じてきたのだといえる。彼はそれらを知性をもって保存(維持)し、改革した。彼はそれらを、説得性のある枠組のなかに収めた。そうすることによって、彼は、我々の安全さを以前より低いものにはしない。彼はそれにより、我々をより安全にしているのだ。
http://www.nytimes.com/2009/05/22/opinion/22brooks.html?pagewanted=print



video)Cheney's Rebuttal to Obama
http://video.nytimes.com/video/2009/05/21/us/politics/1194840413908/cheney-s-rebuttal-to-obama.html

video)Obama sets'New directions'on terror
http://video.nytimes.com/video/2009/05/21/us/politics/1194840413735/obama-sets-new-direction-on-terror.html

Sunday, May 10, 2009

イラクを不安にするバース党の残党…/Iraq Resists Pleas by U.S. to Placate Hussein’s Party - By Sam Dagher


昨今、イラクで再燃するテロの原因とは何なのか? 

イラクは米国が懇願するバース党との和解に抵抗する (4/25 NYT)

4月18日に、米・英政府の秘書官ユニットによる戦略交渉団(FSEC)がヨルダンに飛んだ。サダム・フセインの上級将官たち<2003年、バグダッドの最終攻防戦で抵抗を試みた司令官たち>に対して、故郷のイラクに戻り、新生イラク政府と和解するようにとの説得を試みたのだ。しかしイラク人の司令官、ラアド・マジード・アル・ハムダニは、彼らによる要請をすげなく拒絶した。
彼は、米国の仲介による対話が何年も中断していた後に、イラク首相ヌリ・カマル・アル・マリキは単純にこのことに関心をなくしている、との結論を出したのだという。

米国によるこの要請とは───ハムダニ氏は以前には報告されていなかったことがらを説明した…そのことはイラクの状況を安定化させるための最も大きな障害が何か、を物語っている。マリキ氏による彼の政権内の最も熱心な反対者たちとの間の和解への誓いは、昨今激化しつつある宗派主義(セクタリアニズム)や、既に沸騰状態にある政治的緊張にさらに火をつけ、昨今のシーア派に対する爆破テロの多発状態を誘発しているというのだ。

3月28日にマリキ首相のシーア派系政府は、スンニ派のある著名リーダーを、フセイン政権時にバース党の秘密武装部隊を率いていたとの容疑で逮捕した。1週間後に同首相は、40名以上の死者を出した車爆弾による爆破事件を共謀したとの容疑で、バース主義者を糾弾した。月曜日には彼は再度非難声明を出し、バース党は「頭の先からつま先まで憎悪に満ちている」のだと述べた。

それまでのマリキ氏の行ってきた国の再統合への努力は、ワシントンにとってイラクの政治的進展の具合を推しはかる最初のベンチマークだった。その試みとは、バース党の反対分子のうち──政治的な力を獲得する代わりに、暴力の行使は諦めることを望む者たちと、手に負えないような過激派分子(その多くが熱心な宗教信者の)とを分離することを目指した。
昨年早々にマリキ氏は米国の強い圧力の下で、イラク議会でバース党員の公職復帰への制限を軽減する法案を推していた。しかし、15ヵ月後の今もその法律はいまだ施行されていない。

マリキ氏の譲歩はイラクを再び多極化する危機を招き、厳しい戦闘によって獲得された現在の安定状態を損なう可能性がある。
火曜日と金曜日の爆破事件だけでも160人が亡くなった。これらの事件にバース党員が関わったとの証拠は何もない。しかし彼らとジハード主義者の反乱勢力が、この地域、特に昨年はとても静かだったバグダッドで協力関係を増しつつあるのでは、との恐れがひろがっている。

マリキ氏は、米国がフセイン政権時代の役人達(その多くがスンニ派)との和解を求めている圧力にもかかわらず、彼のトーンを変えた。
「彼は、過去のことに由来した感情や、恨みに完全に支配された政治家や宗教リーダーたちと何の変わりもない」と、ハムダニ氏は、彼がおこなった政府との対話に関する質問書への回答の中で、マリキ氏について語った。

首相が強硬な態度に回帰したことには幾つもの要因があるようだ。
1月の地方選挙におおける、マリキ氏の宗派を超えたリーダーとしての成功にも関わらず、彼の率いるダワ党は彼らの政治力掌握のためにはシーア派のパートナーが必要だと考えている。

そして彼のシーア派のライバル達(その多くがイランとの関わりを持つ)は、彼が最近、スンニ派の少数派の支持をも得てその立場を強めるために、バース党の全面的復権を画策していると非難している。
政治エキスパートは、マリキ氏は12月の国政選挙の前に仲間のシーア派を疎外する余力はないだろうと言う。

6年前に、イラクからのバース党員一掃を先導したシーア派の政治家であるアハメッド・チャラビは、マリキ首相のスンニ派の協力を求める現実的な努力にも関わらず、首相は未だにバース党、そして残忍な前政権と関係のあるすべてのものに対して、腹の底からの憎悪を抱いていると述べる。チャラビ氏がいうには、マリキ氏は米国による「イラクの、イランとの敵対的位置の強化(固定化)を図ることで、その国の統一を推し進め、イラクをアラブ世界の一端へと復帰させる」計画の一部としての、スンニ派の旧サダム防衛隊の部分的な復活計画にも疑念を示しているという。

これらの全てのことは、スンニ派のなかの和解推進論者たちを困惑させ、彼らのなかの強硬論者達を力づけている。ハムダニ司令官は、彼が単に旧サダム軍の将官たちと治安維持部門を代表しただけで、他国に亡命中のバース党幹部達の代理として交渉したことはない、という。(*参照: http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/invasion/interviews/raad.html )しかし彼はマリキ政府によるいかなる譲歩の動きも、和解への小さな一歩に役立つだろうといっている。

彼はこのことに、2ヶ月近く前にヨルダンのアンマンのシェラトン・ホテルで、米軍の追撃から逃れているフセイン政権の最後の旧高官で、イラクの反乱軍に資金を援助しているとみられるIzzat Ibrahim al-Douriの代理人たちに会った際に気づいたのだという。二人の男はハムダニ氏による旧バース党員たちの職業と財産権の復活/バース党への禁止事項緩和を求める申し立ての努力に賛同することを伝えるため、Douri 氏が彼らを派遣したのだと話した。ハムダニ氏はDouri氏のバース党リーダーシップにおけるライバルMohammed Younis al-Ahmedからの、さらに好意的なフィードバックも受け取ったという。彼は al-Ahmed氏と直接のコンタクトを持っているという。

しかし、政府のバース党主義者への姿勢の硬化は楽観的見方のかすかな光も消し去った。最近では、Douri氏はすべての反乱勢力が米軍とマリキ政府に反旗を翻すようにとのメッセージを流して彼らを喚起している。

ワシントンの見方では、融和の容易なバース党主義者たちとの和解は、Douri氏を信奉しているような過激派勢力を孤立させる可能性があるという。
そして彼らに対する恐れの感情に足枷をかけられたイラク側と(ワシントンでは)、根本的な見解の相違が横たわっているという。

マリキ政府の”和解委員会”の遊撃手でもあるKamal al-Saedi議員は、水曜日に「バース党主義者の考えることは、陰謀や密かな浸透、クーデターのことばかりで、危険だ」と述べた。
バグダッドの米国大使館はこの和解への話し合いへの、米国の関与に対する質問には回答を避けた。

しかし、ハムダニ司令官は、2008年の3月以来、彼とその仲間たち、そしてイラク政府の間でもたれたアンマンとバグダッドにおける殆ど全ての会合には、英米の関係者たちが参加してきたという。

チャラビ氏は2ヶ月前に、米国防委員会のシニア・アドバイザーであるDouglas E. Lute司令官代理がマリキ首相の側近から、バース党員に対する「リーズナブル」な約束を受け取ったという。
マリキ首相の和解問題のアドバイザーであるMohammed Salman al-Saadyは、こうした約束の事はきいていなかったが、マリキ政権がどの程度の和解を認めるかでワシントンとは根本的に見解が異なるのだと述べる。
Saady氏は、ハムダニ司令官と政府の対話は彼の多くの要求が政府と相容れないために停滞しているのだという。

「憲法によれば、バース党と交渉をもつことは超えられない一線だ。」とSaady氏は言う。しかし彼は政府が、旧バース党員の内、過去に犯したかもしれない罪への説明責任を認め、それらのとの繋がりを棄てる者たちに対しては和解交渉に前向きだと力説する。

北部バグダッドに隠れ住む旧バース党員はインタビューのなかで、もし政府が和解に対して真剣になるなら、憲法を改正し、バース党員の公職復帰の再開を試みることだろう──ソビエト崩壊後に共産党員におこなわれたように、という。
「憲法は聖なる書物ではない─それは改正することができるものだ」と彼はいう。

http://www.nytimes.com/2009/04/26/world/middleeast/26baathists.html?hp

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イラクの昨今の暴力再燃は、4月に米軍によってal-Qaeda in Iraqの"Abu Omar al-Baghdadi" が遂に本当に拘束されたからだとも…このBaghdadiの写真は本物だろう─この写真には真実味が!
http://www.albawaba.com/en/countries/Iraq/245762
Iraq government certain about al Qaeda leader arrest despite denial

Iraq's defense minister on Wednesday stated that the leader of an al-Qaeda-linked group was in custody, dismissing an online statement by the very man denying he was arrested.
According to the AP, Abdul-Qader al-Obedi told parliament deputies that the man captured on April 23 was Abu Omar al-Baghdadi, leader of the Islamic State in Iraq


彼の拘束に続いて多くのテロ事件が起こされ多数が犠牲になり、米英の軍人も漸く彼の拘束の真実性を確信したという 
http://www.guardian.co.uk/world/2009/apr/24/iraq-al-qaida-leader-captured-suicide-bombings
Iraq: dozens killed following al-Qaida leader capture

 反乱勢力のカリスマ、al-Baghdadiの拘束記事に対してあるアメリカ人がレスポンスを書いた… 

- 03:03pm May 16, 2009 GMT

re:"et al.'s legacy"

"LOOK at ya ... Yeah, take a look in the MIRROR... now tell me what you see... Another SATISFIED customer in the front of the LINE for the American dream

I remember when we was both out on the boulevard Talkin' revolution and singin' the blues ... Nowadays it's letters to the editor and cheatin' on our taxes Is the best that we can do Come on

Look AROUND... There's doctors down on Wall Street Sharpenin' their scalpels and tryin' to cut a deal Mean-while, back at the hospital We got accountants playin' GOD and countin' out the pills

Yeah, I know, that sucks ・that your HMO Ain't doin' what you thought it would do... But everybody's gotta die sometime and we can't save everybody ... It's the best that we can do ...WHAT ??

FOUR SCORE and a hundred and fifty years ago Our forefathers made us EQUAL as long as we can PAY ... Yeah, well maybe that wasn't exactly what they was thinkin'... Version six-point-oh of the American way

But hey we can just build a great wall around the country club To keep the RIFF-RAFF out until the slump is through

Yeah, I realize that ain't exactly democratic, but it's either them or us and And it's the best we can do

Yeah, passionely conservative ... It's the best we can do

Conservatively passionate ... It's the best we can do

Meanwhile, still thinkin' Hey, let's wage a war on drugs ... It's the best we can do

Hell, I don't know about you, but I kinda DIG this global warming thing..." (LISTEN) http://www.rhapsody.com/steve-earle/jerusalem "Amerika v. 6.0 (The Best We Can Do)" -Steve Earle