マッドマンの死- オバマが次に何をするのかが、オサマ・ビン・ラディンの遺産(レガシー)を決める - By クリストファー・ヒッチンズ
Death of a Madman-
What Obama does next will help define the legacy of Osama Bin Laden (5/2、Slate.com)
パキスタンには、快適で小さなアボタバード(Abbottabad)のような街というものが、数ヶ所ほど存在する。Rawalpindi(パキスタン軍の高級将校たちの要塞都市で、2003年まではKhalid Sheik Muhammed*の安全な棲み家でもあった…)から続く山々に向かう道沿いに数珠のように連なる、Muzaffarabad(*ムザファラバード:パキスタン領カシミールの州都)や Abbottabad(アボタバード)には…夏も冬も涼しく、素晴らしい眺望と、慎重なるアメニティがある。彼自身の名をAbbottabadの街に与えた、Major James Abbott(アボット少佐)のような英国人植民者らは、それらを「ヒル・ステイションhill stations*」と呼んだが、それは将校らの休息とレクリエーションのためにデザインされていた。そのアイディアの持つ魅力(そのロケーション自体といった)は、パキスタンの将校たちの間でも生きながらえて来た。
(*カリド・シーク・ムハマッド:911テロの主な計画立案者。
*ヒル・ステイション:アジア南部地域の植民地にイギリスが設けていた避暑地で、役人やその家族が利用した)
もしもあなたが今、Abbottabadの、壁に取り囲まれた結構快適な屋敷に滞在していると私に言うならば、私はあなたが、毎年数十億ドルの資金援助を米国から得ている軍の組織から、尊敬すべきゲストとして迎えられていると告げられるだろう。その純粋なあからさまぶりというものが、一息つかせてくれる。
そこにはおそらくパキスタンの、アル・カイダとのオフィシャルな共犯性の決定的な証拠が得られたという些細な満足感があるが、しかし全般的には、拍子抜けしたという感覚を強めるだけだ。結局のところ、アメリカがビン・ラディンに餌を与えている同じ手に、惜しげもなく餌を与えていたことを知らなかったのは誰なのだろうか?そこには、小さな勝利もある、我々の古い敵(オサマ)は英雄的なゲリラ戦士などではなく、失敗したならず者国家を支配する、腐敗した、悪質な寡頭政治のクライアント(得意客)だったということだ。
しかし再び言うが、我々はこのことを既に知っていた。少なくとも我々は、彼の最もよく知られた残虐行為の10周年を記念するにやにや笑いのビデオがもたらされるのを、我慢する必要はない。しかし考えてみるがいい、彼は最近、いかなるテーマに関するコミュニケも発表していなかった(このことは、少し前には私に…彼が本当に死んではいないか、あるいは偶然、以前に殺害されているのではないのか、という疑問を持たせた…)、そして彼のグループと彼の思想による最も憎むべき仕事は彼の後継者の世代によって、たとえばイラクにおける彼の比類なく無慈悲なクローン、Abu Musab al-Zarqawiらによって実行された。私は私が、ビン・ラディンがZarqawiの場合と同様に、最後のわずかな瞬間に、彼を発見したのが誰なのか、裏切り者は誰だったのかを知る、少しの間合いを持っていてほしかったと願っているのに気づく。それは、何かを意味するだろう。そんなに大したことではないが、何かを。
人々が「iconic 聖像のような」ということばで苛立たしげに彼を呼ぶとき、ビン・ラディンに確かに並びうるライバルは居ない。彼の容貌の、不思議で、退廃的な、うわべの高貴さと偽の精神性は驚くほどテレビ写りがよい─そして彼のカリスマ性が、最近、ムスリム世界を変貌させている革命の新たな定義というものにおいても、果たして生きながらえ得るのか、は非常に興味深い。しかし、すべての印象のなかで最も執拗に持続するものは、彼の純粋な非理性(irrationality)だ。この男は、自分が何をしていたと思っていたのだろう?10年前に彼は、小さなAbbottabadの街の要塞の壁の中に彼がいることを予測しただろうか、あるいは少なくとも、それを望んでいたのだろうか?
10年前には ─思い出して欲しいのだが─ 彼は巨人的な影響力を、ならず者の失敗国家・アフガニスタンで行使しており、そして隣国パキスタンにも影響力を拡大しつつあった。タリバンとアル・カイダのシンパサイザーたちはパキスタン軍の上級幹部ポジションにあり、核開発プログラムはまだ余り察知されていなかった。巨額の財政的補助金が彼にもたらされた─しばしば、サウジアラビアや他の湾岸諸国などのオフィシャルなチャンネルを通じて。国際的なニヒリストのネットワークと共に彼は、銀行業とマネーロンダリングの巨大で利潤性の高いネットワークをも運営していた。彼は白昼の下で、アフガニスタンの仏教の宝を破壊しに向かうための重火器をオーダーできた。インドネシアからロンドンにいたる、連携したマドラサ(*イスラム神学校)では言葉を広めていた…まるで未来の殺人者を育てる訓練キャンプの連携であるかのように。
彼は、すべてのこうした戦略的に熟したアドバンテージを、たった1日でギャンブルに賭けた。そして、彼はアフガニスタンから逃れたのみならず、彼の幻惑された追随者たちが、非常に数多く殺される状況を残した、しかし彼は人目を忍ぶ影のごとき存在であり続けることを選び、成功裏の秘密の「暗殺」に出逢う、または金で買ったり買われたりの裏切りに逢う確率が、日々をより長くしていった。
彼は、彼自身の気ちがいじみたプロパガンダを本当に信じていたものとみえる ─しばしば、テープやビデオにおいて概略が示されているものを…特にアメリカがソマリアから撤退した後には。西欧は…と彼は言い続けた…腐敗に冒され、ユダヤ人の陰謀団とホモセクシュアルによって動かされている。それは抵抗する意思もない。それは女性化し、臆病になっている。大きな破壊的な一撃の後で、他の大建築物は徐々に、塵埃のシャワーにまみれたツイン・タワーに追随するだろう。いいだろう、彼と彼の仲間の精神病者たちは北米と西ヨーロッパで何千人も殺害することに成功した、しかし過去数年間における彼らの主要な軍事的勝利は、アフガニスタンの女子学生や、シーア派のムスリム市民、そしてチュニジアやトルコの無防備なシナゴーグなどに対するものだった。その背後には、偶々近くに居合わせた人々に対するより無差別な死刑宣告を許す、もっと軽侮すべきリーダーか、司令官がいたのだろうか?
神政主義的な非理性とは、あまり珍しくはないし、このような敗北を遂げることは、それを魅力のないものにする。大言壮語を吐く者は引き続き、この地域でインスタントな世論調査を行い、人々が彼を聖なるシーク(首長)に看做しているなどといった、たわ言を唱えるだろう。(こうした世論調査が、立憲民主主義を求める地元民の欲求を掬い上げないのは、不思議なことだ。)運がよければ、ビン・ラディンは「本当に」死んではいない、というような発狂したような噂も発生することだろう。よかろう、彼は既に彼の与えるはずだった最悪のダメージを与えた。現実世界で描写できる全てにおいて、彼の戦略はすでに、抗体と敵対者たちを創造してきたか、あるいはこれ以上観察可能な、これに匹敵する状況は存在しないだろう、あるいは最低でも収益最大化のポイントを超えたことだろう。
Abbottabadの殉教者はもはや感じ得ないだろうが… 彼の、生きながらえ競争しあう下位の人間たちが抱く総統(指導者)コンプレックスは、恐らく今エキサイティングな自由を満喫しているだろう。しかし、あのAbbottabadのシェルター施設の、ユニフォーム(軍服)をきた、匿名のパトロンたちは今だに大いに我々と共にあり、そしてオバマのスピーチは…もしも彼がこの追跡劇を不必要なほど長きにわたる、骨の折れる、費用のかさむものにしたその同じ人々を我々がさらに武装させ、資金援助しつづけるように期待するなら、まったく無意味なものだ。
http://www.slate.com/id/2292687/
Death of a Madman-
What Obama does next will help define the legacy of Osama Bin Laden (5/2、Slate.com)
パキスタンには、快適で小さなアボタバード(Abbottabad)のような街というものが、数ヶ所ほど存在する。Rawalpindi(パキスタン軍の高級将校たちの要塞都市で、2003年まではKhalid Sheik Muhammed*の安全な棲み家でもあった…)から続く山々に向かう道沿いに数珠のように連なる、Muzaffarabad(*ムザファラバード:パキスタン領カシミールの州都)や Abbottabad(アボタバード)には…夏も冬も涼しく、素晴らしい眺望と、慎重なるアメニティがある。彼自身の名をAbbottabadの街に与えた、Major James Abbott(アボット少佐)のような英国人植民者らは、それらを「ヒル・ステイションhill stations*」と呼んだが、それは将校らの休息とレクリエーションのためにデザインされていた。そのアイディアの持つ魅力(そのロケーション自体といった)は、パキスタンの将校たちの間でも生きながらえて来た。
(*カリド・シーク・ムハマッド:911テロの主な計画立案者。
*ヒル・ステイション:アジア南部地域の植民地にイギリスが設けていた避暑地で、役人やその家族が利用した)
もしもあなたが今、Abbottabadの、壁に取り囲まれた結構快適な屋敷に滞在していると私に言うならば、私はあなたが、毎年数十億ドルの資金援助を米国から得ている軍の組織から、尊敬すべきゲストとして迎えられていると告げられるだろう。その純粋なあからさまぶりというものが、一息つかせてくれる。
そこにはおそらくパキスタンの、アル・カイダとのオフィシャルな共犯性の決定的な証拠が得られたという些細な満足感があるが、しかし全般的には、拍子抜けしたという感覚を強めるだけだ。結局のところ、アメリカがビン・ラディンに餌を与えている同じ手に、惜しげもなく餌を与えていたことを知らなかったのは誰なのだろうか?そこには、小さな勝利もある、我々の古い敵(オサマ)は英雄的なゲリラ戦士などではなく、失敗したならず者国家を支配する、腐敗した、悪質な寡頭政治のクライアント(得意客)だったということだ。
しかし再び言うが、我々はこのことを既に知っていた。少なくとも我々は、彼の最もよく知られた残虐行為の10周年を記念するにやにや笑いのビデオがもたらされるのを、我慢する必要はない。しかし考えてみるがいい、彼は最近、いかなるテーマに関するコミュニケも発表していなかった(このことは、少し前には私に…彼が本当に死んではいないか、あるいは偶然、以前に殺害されているのではないのか、という疑問を持たせた…)、そして彼のグループと彼の思想による最も憎むべき仕事は彼の後継者の世代によって、たとえばイラクにおける彼の比類なく無慈悲なクローン、Abu Musab al-Zarqawiらによって実行された。私は私が、ビン・ラディンがZarqawiの場合と同様に、最後のわずかな瞬間に、彼を発見したのが誰なのか、裏切り者は誰だったのかを知る、少しの間合いを持っていてほしかったと願っているのに気づく。それは、何かを意味するだろう。そんなに大したことではないが、何かを。
人々が「iconic 聖像のような」ということばで苛立たしげに彼を呼ぶとき、ビン・ラディンに確かに並びうるライバルは居ない。彼の容貌の、不思議で、退廃的な、うわべの高貴さと偽の精神性は驚くほどテレビ写りがよい─そして彼のカリスマ性が、最近、ムスリム世界を変貌させている革命の新たな定義というものにおいても、果たして生きながらえ得るのか、は非常に興味深い。しかし、すべての印象のなかで最も執拗に持続するものは、彼の純粋な非理性(irrationality)だ。この男は、自分が何をしていたと思っていたのだろう?10年前に彼は、小さなAbbottabadの街の要塞の壁の中に彼がいることを予測しただろうか、あるいは少なくとも、それを望んでいたのだろうか?
10年前には ─思い出して欲しいのだが─ 彼は巨人的な影響力を、ならず者の失敗国家・アフガニスタンで行使しており、そして隣国パキスタンにも影響力を拡大しつつあった。タリバンとアル・カイダのシンパサイザーたちはパキスタン軍の上級幹部ポジションにあり、核開発プログラムはまだ余り察知されていなかった。巨額の財政的補助金が彼にもたらされた─しばしば、サウジアラビアや他の湾岸諸国などのオフィシャルなチャンネルを通じて。国際的なニヒリストのネットワークと共に彼は、銀行業とマネーロンダリングの巨大で利潤性の高いネットワークをも運営していた。彼は白昼の下で、アフガニスタンの仏教の宝を破壊しに向かうための重火器をオーダーできた。インドネシアからロンドンにいたる、連携したマドラサ(*イスラム神学校)では言葉を広めていた…まるで未来の殺人者を育てる訓練キャンプの連携であるかのように。
彼は、すべてのこうした戦略的に熟したアドバンテージを、たった1日でギャンブルに賭けた。そして、彼はアフガニスタンから逃れたのみならず、彼の幻惑された追随者たちが、非常に数多く殺される状況を残した、しかし彼は人目を忍ぶ影のごとき存在であり続けることを選び、成功裏の秘密の「暗殺」に出逢う、または金で買ったり買われたりの裏切りに逢う確率が、日々をより長くしていった。
彼は、彼自身の気ちがいじみたプロパガンダを本当に信じていたものとみえる ─しばしば、テープやビデオにおいて概略が示されているものを…特にアメリカがソマリアから撤退した後には。西欧は…と彼は言い続けた…腐敗に冒され、ユダヤ人の陰謀団とホモセクシュアルによって動かされている。それは抵抗する意思もない。それは女性化し、臆病になっている。大きな破壊的な一撃の後で、他の大建築物は徐々に、塵埃のシャワーにまみれたツイン・タワーに追随するだろう。いいだろう、彼と彼の仲間の精神病者たちは北米と西ヨーロッパで何千人も殺害することに成功した、しかし過去数年間における彼らの主要な軍事的勝利は、アフガニスタンの女子学生や、シーア派のムスリム市民、そしてチュニジアやトルコの無防備なシナゴーグなどに対するものだった。その背後には、偶々近くに居合わせた人々に対するより無差別な死刑宣告を許す、もっと軽侮すべきリーダーか、司令官がいたのだろうか?
神政主義的な非理性とは、あまり珍しくはないし、このような敗北を遂げることは、それを魅力のないものにする。大言壮語を吐く者は引き続き、この地域でインスタントな世論調査を行い、人々が彼を聖なるシーク(首長)に看做しているなどといった、たわ言を唱えるだろう。(こうした世論調査が、立憲民主主義を求める地元民の欲求を掬い上げないのは、不思議なことだ。)運がよければ、ビン・ラディンは「本当に」死んではいない、というような発狂したような噂も発生することだろう。よかろう、彼は既に彼の与えるはずだった最悪のダメージを与えた。現実世界で描写できる全てにおいて、彼の戦略はすでに、抗体と敵対者たちを創造してきたか、あるいはこれ以上観察可能な、これに匹敵する状況は存在しないだろう、あるいは最低でも収益最大化のポイントを超えたことだろう。
Abbottabadの殉教者はもはや感じ得ないだろうが… 彼の、生きながらえ競争しあう下位の人間たちが抱く総統(指導者)コンプレックスは、恐らく今エキサイティングな自由を満喫しているだろう。しかし、あのAbbottabadのシェルター施設の、ユニフォーム(軍服)をきた、匿名のパトロンたちは今だに大いに我々と共にあり、そしてオバマのスピーチは…もしも彼がこの追跡劇を不必要なほど長きにわたる、骨の折れる、費用のかさむものにしたその同じ人々を我々がさらに武装させ、資金援助しつづけるように期待するなら、まったく無意味なものだ。
http://www.slate.com/id/2292687/
Pakistani seminary students in Quetta rallied against the killing of Bin Laden.
(bottom): A Pakistani family looked at the compound in Abbottabad