Saturday, May 29, 2010

金銭的悩み、長い沈黙、そしてイスラムへの熱意/ Money Woes, Long Silences and a Zeal for Islam


5/1 のタイムズ・スクエアの車爆弾による爆破未遂事件から、わずか4日…
NYTが総力で集めた…容疑者ファイサル・シャハザドについての噂話…

金銭的悩み、長い沈黙、そしてイスラムへの熱意  
By JAMES BARRON and SABRINA TAVERNISE (5/5, The New York Times)
 


彼らの結婚は、見合い結婚だった:パキスタンの著名な家族の高学歴の子女同士が、共通の友人を通じてお膳立てしたものだ。彼は物静かな性格…;一方、彼女はパーティーで笑い声をあげるタイプだった。

6年前の、ペシャワールでの結婚式では、男たちと女たちは別々にダンスをし、また一緒にもダンスをした、”あの頃にしては珍しかった"、とゲストの一人は語る。"それはとても大きなパーティーで、カタールに住む彼らの家族の友人たちまで来ていた。”

彼らが米国に帰ると、彼の勤務していた化粧品会社エリザベス・アーデンで、同僚たちが小さなオフィス・パーティーを開いた。

その夫、Faisal Shahzadは、彼の妻Huma Mianの写真をコネチカット州スタンフォードの勤務先のオフィスに飾った。彼らは35マイル先、SheltonのLong Hill Avenue に27万3千ドルを支払って新居を購入した。
彼らが新居に移ってくる前から、彼女は妊娠していたのだ、と近隣の住民は回想する。

Shahazad氏が新たな1日の間に、車爆弾について捜査官に語った事によれば、彼は土曜日にタイムズ・スクエアを車で訪れたことを認め…また水曜日までの尋問では、カップルの共同の暮らしの詳細や、彼が過激な思想にはまっていった経緯への推測が浮かび上がってきた。コネチカットとパキスタンの両方で彼らを知る人々は、彼は過去2年ほどの間に変わったという─彼らの家族を知る者のいうところでは、彼は「金銭的なトラブル」に直面して以来、より控えめで物静かになり、宗教的になったという。

彼のあるパキスタンの友人はこういう──昨年、彼は彼の父親…退職したパキスタン空軍の上級パイロットのBahar ul-Haq… に対してさえ、アフガニスタンで戦うことを許してくれるように頼んだのだという。

Haq氏はいま70代だが、その時の会話をよく知る者によれば、彼は(息子の頼みを)頑固として拒み、そのミッションに許可を与えず…イスラムは男が妻子を放棄することを認めない、といって念を押したのだという。

彼の結婚式に参加したあるゲストは、ShahzadについてパキスタンからのE-mailで、こう答えた: "新婚の人間として…彼には過激派になったような兆しは全然なかったし、その手のことにおいては、彼は宗教的なタイプではなかった" ─だが過去2年の間に、彼は仕事を変えたり、2人の子供の父親として務めたりしていた挙句に、"より一層イスラムについて語るようになっていった" ─そのゲストは、車爆弾の未遂事件の後での身の安全を考慮して、匿名を条件に話した。

"不況が彼らに犠牲をしいたのだろうと思う"、と彼はE-mailのなかで書く。2008年か09年頃に、彼らの金の心配が明白になっていき、"Shahzadは経済的問題のなかで彼の道を見失っていった”。JPモルガン・チェイス銀行がSheltonの彼の家をフォアクロージャーを理由に差し押さえ、カップルはその家に衣類やおもちゃを残して、せわしなく出て行った。

2月には、Shahzad氏はコネチカット州のBridgeportに2ベッドルームのアパートを借りた。彼の大家は、彼の妻を一度も見たことはなかったという。Shahzad氏の家族の先祖の村であるMohib Bandaの出身の友人、Faiz Ahmadがいうには─彼が最後にShahzadを見たのは結婚式から1年半後だったが、何かがうまくいっていないと確信したという。Shahzad氏の感じは変わっていた ─独りで座り、余り喋ろうとしなかった。

彼は、"ソファーに腰掛けて完全に黙っていた、まるで心配事があるかのように、そして何か内面的な変化を経験しているかのように”、とAhmed氏はいう。"そして彼は、沈黙、さらに沈黙をし続けながら座っていた。その沈黙それ自体が謎だった。"

あるパキスタン人の男性に対し、Shahzad氏の家族の友人であるその知り合いの人物が語ったことでは─ 昨年Shahzad氏はその友人に会ったときに、友人の手に持ったウィスキーのグラスを…厳格なジハード主義者には典型的な、罪を裁くときのような目つきでじっと見つめていたという。

Shahzad氏は今30歳だが、よくあるフラストレーションの孤をたどり、加速的に宗教的になって行った果てに、暴力に行き着いたようにも見える。彼はパキスタンで生まれ育った…少なくとも3箇所の土地、カラチ、ラワルピンディ、そしてMohib Bandaに住む、特権的な家族により育てられたのだ─ 彼の父Haq氏とは…Ahmed氏によれば、"近代的な考え方をする、近代的な世代の人物のひとりなのだ″、という。

水曜日にインタビューを受けた家族の友人たちによれば、彼らはHaq氏が、パキスタン西部のDera Ghazi Khanの町(そこに彼の家族は小麦の農耕地を持っているが)に隠れているのだろう、という。 Shahzad氏の妻もまたパキスタンに居ると思われるものの、彼女の居場所はわかっていない。パキスタンの日刊紙Dawnは、彼女の父親がカラチで逮捕されたが、パキスタン当局には未だそれを確認できていないとしている。

Shahzad氏は4人兄弟の末っ子だが、軍事独裁者のZia ul-Haq(前大統領)がパキスタンの教育システムに厳格なイスラム思想を持ち込んだ時期より後に生まれた、新たな世代だという。同政権の頃には、同時に強硬派のモスクが資金や土地を与えられ、狭溢でしばしば宗派的な世界観を謳い上げて、若いパキスタン人たちに暗い覆いを投げかけていた。

(Shahzad氏の妻の)Ms.Mianは4人兄妹の長女としてコロラド州に生まれたが、夏休み時にはパキスタンに帰って過ごし、子供時代には、彼女のカタール在住の家族と一緒に住んでいた事もある、と結婚式に出席したゲストは語る。彼女の父親Mohammad Asif Mian氏は、コロラド州のColorado School of Mines in Goldenで1980年代に2つの修士号を取得し、4冊の本を書いているという。

ベストセラーとなった2002年発刊の彼の著書、“Project Economics and Decision Analysis”のなかでMian氏は、家族の忍耐とサポートへの謝辞に加え、こう記している─“コロラド大学のわが娘が、その名前を学長のリストに連ねたことに特別な感謝を捧げたい、このことは私の情熱に大きく貢献した”、と。

Ms.Mianとその姉妹たち、SabaとHinaは共にデンバー地域のカレッジで学び、2003,4年にはBoulderにあるコロラド大学のキャンパスのすぐ外側の家をシェアしていた。

Human Mianは2004年に会計学の学位を取った後に、すぐShahzad氏と結婚し、コネチカットに引越したが ─その地において彼は、Bridgeport大学のMBAコースで学んでいた。また、高度のスキルをもつ労働者に与えられるH-1Bビザの下でElizabeth Ardenの営業アナリストとして働き、売掛債権の管理と分析を担当していたと…MSNBCが入手した履歴書が物語っている。

″…彼女は赤ん坊のミルクや他の全ての物を買う必要があるのに、一人の収入のみでどうやってやりくりしているのだろうか、と自分はいつも驚かされた”と、Sheltonの近隣住人のBrenda J. Thurmanはいう。

Ms.Mianが2008年の末、あるいは2009年の初めに2ヶ月ほど家を留守にしていた際…Ms.ThurmanにShahzad氏は、妻は2人目の子供の出産のためパキスタンに行く、と語っていたという。数ヶ月のうちに彼女は戻ってきたが、彼らは荷物をまとめ、昨年の夏、再び家を出た。2006年にElizabeth Arden を退職したShahzad氏は、コネチカット州ノーウォークの財務マネジメント・サービス会社、Affinion社の顧客レポート・アナリストになった。

今週、ゴミの山が残された彼らのSheltonの家の外には、彼らの生活を物語る手掛かりが溢れていた。そこには裏面にアラビア語の文字が書かれたNairなるブランドの保湿剤の包みや、メイクアップブラシ、Japanese cherry blossomの香りのボディ用芳香剤、赤ん坊へのギフトと見受けられる包装紙やギフトバッグが残されていた…。

“Faisal, Huma and Alishaba”との宛名が書かれた封筒…その中にあるカードには、“あなた方の、新たな小さな女の子のお誕生おめでとう”、とも書かれていた。

どうやって、なぜ、どこでShahzad氏が過激な思想に染まったのかは定かでない。コネチカット州のパキスタン系米国人団体の設立者、Dr. Saud Anwarは、Shahzad氏の名前が車爆弾の関与者として浮かび上がるとすぐに、コネチカットのモスリムやパキスタン人たちのグループを戸別に訪ねてみたが、彼はそのいずれにも所属していなかったという。

しかしDr.Anwarは、Shahzad氏の大学時代のクラスメートとは連絡をとり続けていたのだという…パキスタン生まれのこのクラスメートは、メディアの記者に取材されたくないとDr. Anwarに語ったという…彼はこのカップルとずっと友人だったが、1年ほど前、Shahzad氏が変わっていたことに気づいた。

″彼は人柄が変わっていた…彼は以前より内向的になった”、とそのクラスメートは語った。″彼はより強い宗教的なアイデンティティに目覚めて、物事全てに対するより強い感受性や、より強い意見を抱いていた″─Dr.Anwarはそのクラスメートに、彼の変化は何らかの組織に関わったが故なのかと問うたが、彼が観るには、Shahzad氏は“自分で全てを勉強したようだった”という。

Mmohib Bandaの友人であったAhmad氏は、彼のこうした変化はカラチにルーツがあるだろう、と推測した─Shahzad氏の仲間の一人がそこで、火曜日の朝に、カラチの武装グループと関連があると思われるモスクで逮捕されたとパキスタン当局は発表した。

“疑問なのは、誰がFaisalをその道に誘い込んだのかだ”とAhmed氏は問いかける。“貴方の見た髭面のFaisalは、もう昔のFaisalではない。彼は貴方や、私と同じような人間であり、ハンサムでリベラルで、活動的な人間だったが”、と彼はいう。

パキスタンの情報相によるとShahzad氏は、過去7年間にパキスタンへ13回旅行している。彼の家族を知るあるパキスタンの役人によると、Shahzad氏のパキスタンへの旅行が短期的なものばかりだったなら、彼が原理主義化したはずはない─そうした旅は、結婚式などの家族的な用事に忙殺されがちだからだ。火曜日に提出された彼に対する犯罪容疑の申立書では、彼はこの2月に5ヶ月の旅行から帰国したという。申立て書ではまた、ワジリスタンで爆弾の製造方法について訓練を受けたという。

彼の家族のいま一人のパキスタンの友人、Kifayat Ali氏は、Shahzad氏を“エモーショナル”だったと評し、彼は子供時代にナイフを携帯していたという。彼はShahzad氏が、パキスタンのメディアの見出しを飾る陰謀説や反米的な毒舌記事に触発されて、米国の軍事行動に対する怒りを抱いたのではないかと推測する。

“一人の人間がアフガニスタンやイラクでの残虐行為を目にしたとする”とAli氏は語る、“こうした光景は、人々に影響を及ぼすものだ…”

MSNBC.comに水曜日に掲載されたレジュメでは、Shahzad氏は2001年半ば以降の5年間に、Elizabeth Arden社の3つの異なるポジションで働き、その後、Affinion社で3年間働いた。─Arden社において彼は、“貸倒損失金を47%削減”し、また、“損失分を250万ドル回復した”、と自ら記載している。Affinion社で彼は、“同社の上級顧客であるCitibankやBank of America、 Scotland王立銀行、Peoples Bank、US Bank、Wells Fargoその他、2つばかりの小さな顧客に対して、月々の契約で市場予測を提供していた”、としている。

Affinion社のスポークスマンJames Hart氏はいう、“そこには大分、レジュメのふくらましが見てとれる”、そしてShahzad氏は退社したときにも、“エントリー・レベルから少し、毛の生えた程度”の社員だった、という。

Elizabeth Arden社における前の上司のマネジャーによると、彼はその当時、同社で働く唯一のパキスタン人だったが、宗教的礼拝のための特別な取り計らいを頼んだことはなかったという。彼女が思い出すのは、9月11日にShahzad氏は他の社員たちと一緒に、オフィス内のラジオの周囲に寄り固まって、ワールド・トレードセンター・ビルへの攻撃に関する速報に耳をすませていた様子だという。

"彼はごくノーマルな人間だったと思う”、と彼女は回想する。"物事とは、いつでもそうなのではないかしら?こんな事をする人間とは常に、こんなことをするとは貴方が決して思わないような、ごくノーマルな人間なのでは?”
http://www.nytimes.com/2010/05/06/nyregion/06profile.html

Times Sq.の爆破未遂の事件発生直後にNYタイムスが集めたゴシップ記事のラストには、19人もの取材協力記者名のクレジットが…

*Shahzadの背景動機については、その後もいろいろ報道がだされたが、彼の動機は金銭問題や結婚のトラブル?

 (パキスタンでも以前から彼の何らかの関連のあったらしい者たちが逮捕されたが、Shahzadは訴追され罪が確定すれば終身刑の可能性もあるとか)