Tuesday, December 20, 2011

“新生リビア”の最初の過ち The New Libya’s First Mistake - By Christopher Hitchens


“新生リビア”の最初の過ち-
-ムアマール・カダフィは殺されるべきではなかった、そして彼の息子たちは生きて拘束されるべきだ-
 By クリストファー・ヒッチンズ(10/21, Slate.com) The New Libya’s First Mistake
- Muammar Qaddafi should not have been killed, and his surviving son should be captured.


 深い無力感と、一抹のばかばかしさの感覚に屈しながら、私はこの木曜日の午後にiPadを借りて、それを使って初めてのメッセージを送ってみた。そのメッセージとは、その不愉快なガマガエルのごとき態度で、リビアに生きる民衆の上に40年間以上居座り続けていたMuammar Qaddafi を、その座から引きおろすべく圧力をかけている先陣にあった目覚ましいフランス人らの一人に呼びかけたものだった。どうか頼むから、と私は書いた…(リビアの)国民暫定評議会におけるあなたの友人たちと共に、そしてまた兎に角も結成された他の革命派の裁定機関と共に、Qaddafiの家族たちをこれ以上殺すことを止めて、すでに人道に対する罪で起訴されている彼らをハーグ国際法廷の被告席に送るためのスムーズな道を確保するように仲裁してほしい─と。

 単純すぎるって?ハーグの国際犯罪法廷は彼ら自身、少し前にすでにリビアの問題に対処する仕事の準備を整えているいう声明を出していたのだ。しかし今やもう、Muammar Qaddafiは死んでしまったし、彼の息子たちの一人のMutassimも殺されたと報じられ、そしてその(殺害に関する)合法性や適切さについての何の言葉すらも聴かれていない。リビアのいかなるスポークスマンも、独裁者の醜い死に関する彼らの声明の中で、法廷については何らほのめかしてはいない。米国の大統領は、そのような罪状認否を行わせるといったオプションが一度も提起されていないかのように語っている。そこではリビアから帰国して早々の(クリントン)国務長官が彼の次に話をしているが、彼女は色々と内容の薄い言葉ばかりを発しているななかで、Qaddafiが殺されたことはリビアに変わり目をもたらす助けになるだろう、との旨の言葉を言っている。英国のDavid Cameron首相は、Quaddafiによる長年にわたるテロの国際的な犠牲者たちに言及する暇があったものの、やはり国際法廷への言及は省いていた。

 多くの事柄のなかでも特にこの無言の同意は私に、軍の部隊がQaddafiの出身地の町Sirteに近づいた際には、彼らには何ら全般的な司令が発されていなかったのだと確信させる。「どうしても必要とあれば、彼を殺すがいい、しかし彼を(また他の家族やその他の者たちの名前も挙げて)生きたまま捉えてオランダに送るよう試みよ」といった意味の司令は、何も発されていなかったのだ。いずれにせよ、たとえそのような司令が広められていたとしても、それは余り強制的なものではなかった。

 無節操な政権が終わりを告げるとき、とくにそれが、権力を譲り渡さずにむしろ社会や国家を破壊することを示してから以降、人々がエクソシズム(悪魔祓い)のようなものを期待するようになったことは自然なことだ。モンスターの解剖用の死体を見とどけて、彼がこれ以上戻ってこれないと見とったことによって人々は満足した。それはまた、悲惨さと残虐行為を長引かせるための、「狼男」のようなレジスタンスを続ける、憎悪に溢れたその頭目がもう居ない、ということの再確認だった。しかし、Qaddafiはその死の瞬間には傷ついて戦う能力を失い、恐れにおののく賤民たちの小さなグループの先頭にいた。彼にはそれ以上のいかなる抵抗もできなかった。そして、私が上に記したようなすべてのポジティブな結果といえば、彼をまずは病院に連れて行き、次に拘置所に、そしてやがては空港に連れて行くといったような単純な方策によって達成できたはずなのだ。勿論、彼の法廷の被告席でのひと騒ぎはおそらく大いにポジティブなインパクトをもたらすだろう…なぜなら彼にいまだに信頼を寄せる哀れな迷える魂のごとき人々の妄想も、マッドマンがごく数時間でも法廷でわけのわからない言葉を述べる状況の露出に大しては持ちこたえられないだろうからだ。

 そして、新たなリビアが始まるが、しかしそれは悪臭を放つリンチと共に始まる。報道メディアの特派員たちは最近、反乱勢力がQaddafi忠誠派の人間たちやその資産に対して示した全般的な自制に対しては、とても友好的に騒がしく語っている。そのことは、そのような原則が主要な事柄に生かされなかったことに対しての、より一層の遺憾の念を抱かせる。今これを書いている時点では、Muammarの息子の一人Seif-al-Islam Qaddafiの行方はいまだにわかっていない。もしも彼もまた手に負えないからと殺したなら…あるいは最低でも、NTC(国民暫定評議会)と国際社会が彼らの武装兵士らに、彼を合法的に拘留せよと命じないならば非常に恥ずべき行為だ。 (*下:Saif-Islamが11月中旬に発見、拘束された際の写真)

  このことはSeifや、他のお尋ね者リストの者たちに対する過度のシンパシーの表明ではない。しかし、とくに彼は今は亡き体制の性質に関する膨大な量の有用な情報の宝庫なのだ…そしてまたおそらくは、戦略的な物資の行方に関する情報の貯蔵庫だろう─それはリビアの民衆の正当な所有物である、違法に確保されていた巨額な現金に関していっているのではない。このような証拠の隠滅に賛成することが犯罪に相当することの理由は、ひとつではない。父親Qaddafiの有用性に関しては、この誇大妄想狂に関する検証が進んでいない段階にあって、私はそれが値段のつけ難いもの、というべきであったと思う。そうであるとはいえ、彼の無数の犠牲者たちはそのような満足を、可能な限り感じ取らねばならない… 血を流しながら、支離滅裂となった体が粗雑に引き渡される様子を、パニックのなかで、そして彼の惨めさがその国の安全に全く何も寄与しなかった一発の弾丸で消し去られた様子を目にしながら。

 私はNicolae とElena Ceausescu(ニコライとエレナ・チャウシェスク) が拙速に処刑されたとき、ルーマニアにいた、そして私はUday とQusay Hussein(ウダイとクサイ・フセイン) が、逃げ場のない家のなかで取り囲まれて致命的な射撃と砲弾に倒れたときには、モスルにいた。どちらのケースでも、一般市民たちの感じていた安堵感は手に取るように感じられた。拷問と恐怖の古いシンボルたちが排除されたことの証明には、少なくとも短期的な、(社会的束縛からの)開放の効果があった。しかし私にはこの効果には、急速な減退のゆり戻しがもたらされがちだといえる… それはイラクで、Moqtada al-Sadrの無粋な(洗練されていない)信奉者たちがSaddam Husseinの処刑執行の仕事をになったことによって、確かとなった。この失策にみちた、浅ましきエピソードのあとには、宗派間紛争のいくつもの傷跡がいまだに残されている─ そして私は、もしも同じ様な怒りが木曜日に多くのリビアの民衆のなかで醸されなかったのならば驚くべきことであると思う。それは、修復するにはすでに手遅れだ。しかし、もしもQaddafi一族らの殺害が続いて、ハーグの法廷への召喚への侮辱が無視され続けるのならば、それは恥とすべきことだ。
http://www.slate.com/articles/news_and_politics/fighting_words/2011/10/muammar_qaddafi_should_not_have_been_killed_but_sent_to_stand_tr.html


*註:Qaddafiの息子のSeif Al-Islamは11月19日にトリポリ南東の山間都市Zintanで拘束された。
http://www.nytimes.com/2011/11/20/world/africa/gaddafi-son-captured-seif-al-islam-qaddafi-libya.html?scp=1&sq=Qaddafi's%20son%20Saif%20Islam%20captur リビアの評議会はハーグの法廷の逮捕状は無視、彼は国内で裁判されるべきだと主張しているが日時は未定とか(関連記事)
http://www.nytimes.com/2011/12/21/world/africa/qaddafi-son-seif-al-islam-is-alive-and-held-by-rebels-rights-group-says.html?scp=1&sq=saif%20al%20islam&st=cse

*Legendary ColumnistのChristopher Hitchensは、2011年1月にesophagus cancerを煩っている旨を公表し、化学療法を受けていたが2011年12月16日にヒューストンの病院にて死去。Slate.comの毎週月曜日のコラムFIGHTING WORDS-A Wartime Lexiconは、11/28のものが絶筆となった(これは最終から6本前のコラム)
 http://www.slate.com/authors.christopher_hitchens.html

/////////REST IN PEACE/////////
CHRISTOPHER HITCHENS

Tuesday, August 30, 2011

ノルウェー銃乱射事件への性急な回答 A Ridiculous Rapid Response: Why did so many "experts" declare the Oslo attacks to be the work of Islamic terrorists? By C.Hitchens


ばかげた性急な回答─なぜ、こんなに多くの"エキスパート"たちが、オスロの攻撃はイスラム過激派の仕業だと宣言するのか? By クリストファー・ヒッチンズ (7/24, Slate.com)

 オクラホマ・シティの爆破テロ事件から16年がたった今、我々は一般市民の大量虐殺がおきた際に、すぐさまその犯行の動機を究明しようと反応する癖を、もう少し洗練させているべきだったのだろう。ノルウェーにおける最近の事件において示された、数多くの対照的な要素というものは、その作業をより一層困難にする代わりに、わずかに容易にする。その最新の大惨事の現場に集ったコウモリやトロールたち、それに…Stieg LarssonやHenning Mankell筆者のSlateマガジンの同僚のコメンテーターら)などの人物を加えた多くの人々が、複数の爆発現場についてのより広範な見方を許容しつつも、犯行動機について論ずるための、幅広い分析材料を呈示している。

 世俗的なスカンジナビアの社会民主主義というものが、ここにある─それは現在、アフガニスタンとリビアの地において、西欧の軍事的努力を提供しているもの(NATO勢力として)でもある。これによって、事件の発生当初には、よりオーソドックスな保守派たちがその事と、事件との繋がりに関しても非難するに至った─しかし、たとえそのように勘ぐっても…たとえばノルウェーのジハード主義者たちのグループが…Muammar Qaddafiに対して、また彼の最近のNATO軍への自爆攻撃の呼びかけに対して共鳴しているといえるのか、どうかは分からない…。

 そしてさらに、死傷者を出したその攻撃とは、ノルウェーの与党による若者の運動に対して行われたものなのだ…その頑強なる多文化主義が生み出してくれる…堅固な砦のごとき「グッド・フィーリング(いい気分)」や、ムスリム移民たちに手を差し伸べよう、とする運動というものに、反抗したのだ。これはノルウェーを軍事的なチェスのゲームボードから外そうと奮闘する、テロ勢力の思い描くような第一の目的ではないかもしれない。

 すると再び、この大虐殺の第一容疑者、Anders Behring Breivikが、そこに…彼自身のジャレド・ラフナー(Jared Loughnerの読書リストをともなった完璧な姿で、ノルディック白人勢力の熱狂を背景に現れる。私は、ある人々が、Braivikのフリーメーソンかぶれを「右翼的」だとみなしている事を、印象的に思った。昔は…カソリックのファシズムは、メーソン主義者というものを、ユダヤ人と同じぐらい憎んでいたのだ。(たとえば、チリの大統領、Salvador Allendeはフリーメーソンだった…伝統的な左翼による教会の聖職者の権威への抵抗主義(anti-clericalism…それが死に絶えつつあることが、私には残念なのだが)の中に立ち上がって。そして最後に─それはこの鏡の荒野においては最後とはいえないかも知れないが─ Breivikは、彼自身が熱狂的なシオニスト支持者であり、あらゆるイスラム化を目の仇にしている、とも明確に宣言していた。この後者の側面とはもっと注目されてもよいことだ。ヨーロッパの本当の「ネオ・ナチ」ギャングいうものは、通常、彼らの死ぬほど露骨な反イスラム主義とともに、暴力的な反ユダヤ主義を抱いているものなのだが、オランダのGeert Wilders(*)の一党のような、反移民のポピュリスト政治家たちにしても、それぞれイスラエル擁護の立場に立とうとしているのだ─左翼の多文化主義者からの批判にも関わらず。

 こうしたさまざまな事柄に対する読み間違いや、そして似たようなインジケーター(指標)の数々により、オクラホマ・シティの事件以後におきた反イスラムの魔女狩りよりも一層の、知的なカオスが引き起こされている。スペインの与党の保守派たちは、これとは逆の間違いを犯して…国内のイベリア地方のギャング・グループが、ヨーロッパでの最も致命的な政治的・軍事的ジハード運動のひとつに責任があるのだと(…すなわち、NATO諸国での総選挙の結果に影響を及ぼした結果、イラクでの軍事同盟にも深刻なダメージを与えた"作戦"に関与しているのだという)、誤った非難をした。

 このことへの問いを表現する、ひとつの方法とはこうだ:過激なジハード主義者と、彼らにとってのもっとも毒のある敵対勢力というのは、本当に共生関係(symbiotic relations)をもっているのだろうか?ロンドンやハンブルグでのモスクの祈祷や礼拝のテープからは、あなたは女性を家財道具として扱う必要性への訴え(すなわちホモセクシュアリティの病を根絶するための)や、国際金融でのユダヤの戦略を妨げよとの訴え…その他の”第三帝国”的な思考のファンタジーがもたらす…すべてのマニフェストを発見するだけなのだ。これらによるロジカルな、または病的な結論を急いで推し進めるなら…それはヨーロッパの人間も米国の人間もこれまで見たことのないものを巻き込むだろう::つまり、多民族的な民主主義に対して攻撃を行うには、異なる形態のファシズムの間のどれが最も効果的かという葛藤だ。

 このような思考方法が跋扈しているというきざしは、2001年の9月11日のすぐあとに、Jerry FalwellやPat Robertsonその他の扇動家たちが「オサマ・ビン・ラディンは、神の手業をなぞるために用いられた」Osama Bin Laden being used to trace the finger of God などと主張したときにもみられた。そして、Timothy McVeighを信奉するファンの末裔たちもまた、「9/11 Truth」などの不可解なメディアを通じて、非合法的なグローバル・パワーによる「橋渡し」のセオリーoverarching theory of illegitimate global powerをこしらえようと試み…それが911には世界にむけて露呈し、挑戦を受けたのだ…などといっていたのだ。しかしまた我々は、CIAやモサドが、実際のところはそのターゲットを恣意的に選定したり操作しつつ、共謀(なれ合い)や協力関係を組織してその華麗な仕事を実行し、一方ではより下級のアル・カイダの分子たちは放置して、彼らがより下等な爆破任務を実行するのにまかせているのにも気づかされる。そしてこの悲しき、自己嫌悪の世界というものは…Abbottabad の別荘の静止画像が分解していくのを目にする…彼がかつて大物であった愛すべき失われた日々を思い出しながら、TVのチャンネル・チェンジャーをかちかちさせている、その姿と共に消えてゆくのを…。

 それはさらにまた、オスロのジハード主義者たちのウェブサイトでも、浅ましいスペクタクルに達している─そのサイトとは、当初…自分たちの聖なる戦いも巻き込まれるかもしれない、と感じた者たちによる喜びの投稿の数々と共に準備も万端になっていた…しかしその犯罪の実行者はその日多くの若者を虐殺することを、全く異なる理由から欲していた負け犬だった…ということが明らかになった時に…それは終息して攻撃を止めた。新聞のヘッドラインのライターや、ニュースキャスターたちは、何かを宣言する前に待つべきだったのだ。その殺戮者らが…選択的になった選り好みのうるさい人間たちかも知れない、などと指摘する無神経さを犯すよりも前に。いわゆる「エキスパートたち(専門家)」と呼ばれる人たちは、その犯罪の手口から動機を分析して、模倣(reverse-engineer the motive)するような行為は恥とすべきだった… オクラホマの事件の折にも、Steve Emersonが─このような暴力の極大化には、「中東に関係する特徴がみられる」、などと述べたときのような、誤ちを冒す前に。Ultima Thule(古代の北の最果ての地…)から、ヨハネの啓蒙の黙示録に関する独自の見解を携えてやってくる青ざめたクリスチャンの騎手でさえ…彼がそれまでにそんなものを何ら自慢してもいなかったような…「中東に関係する特徴…」とやらを備えていると言われるのかもしれない。

 そんななかで、シリアの街角や広場の数々、リビアの市民的な抵抗勢力の委員会には、熱意と心配に溢れた人々が満ちている─彼らは、彼らが民主的政治体制への移行や平和的な戦術というものに、また、これまで奪われてきた資金が、長らく放置された社会再建に透明性をもって配分されることや、寄生的な軍や警察のカースト制度を除去することなどに対して賭けを行い、ときには、彼らの生命をも賭けてきたことは、ナイーブではなかったのかどうかを知りたがっている。長らくこのような言葉で懇願をしつづけている中東の人々を前に、我々は、彼らがその実行に同意した際にはすっかり躊躇するばかりなのだ。そんな折に、外国の大使ら*がHamaの街に一晩滞在したということは、明らかに我々にとっての「赤い武功章(red badge of courage )」ものだったに違いないのだが… この過去1ヶ月の間に西欧と国連が続けてきたためらい、というものは、近年の歴史上でももっとも信条に欠けた、幕合いの中間劇というべきなのだ。この大使らの行為が、我々のできる唯一のことであったのなら、それは激しく非難されることだろう。
http://www.slate.com/id/2299959/

註:*Jared Loughner:今年1月アリゾナでG.Giffords上院議員らを死傷させた銃乱射犯。(彼が影響されたと思われる「読書リスト」の件も報道された)
*Geert Wilders(ギート・ウィルダース):過激なイスラムで有名なオランダの極右上院議員
*Jerry L. FalwelやPat Robertson…両者とも米国の超保守的なキリスト教徒政治活動団体のカルト伝道師
*9/11 Truth:911のテロは本当は米政府の陰謀だと主張するネット運動
*Timothy McVeigh:1995年のオクラホマ・シティ連邦ビル爆破テロ犯として2001年に処刑された(が真犯人の囮だったと信じる人もある)
*Abbottabad: 米軍がオサマ・ビン・ラディンを殺害したパキスタンの山岳都市
*外国公使ら:2011年7月7日、南シリアのHamaで50万人の反政府デモがあった直後、米・仏の駐シリア大使ら(Robert FordとEric Chevallier) が同市を訪問してアサド政府を緊張させた
→参考記事US ambassador visits southern Syria

http://middle-east-online.com/english/?id=47767

Tuesday, July 19, 2011

ボート・ピープル:Gaza支援の船団に乗る"活動家"たちへの、幾つかの質問。Boat People- Some questions for the "activists" aboard the Gaza flotilla.-By C.Hitchens


ボート・ピープル: Gaza Flotilla(ガザ支援船団)の「活動家」たちへの幾つかの質問。- By クリストファー・ヒッチンズ (7/4, Slate.com) 

 "Gaza flotilla(ガザ支援船団)"の物語は、毎夏の恒例の特集となりはじめたようにみえる…時折り、アップデートされるその最新情報をまじえながら、メディアの中程のページで、それはハッピーな調子で揺れ動いている。ギリシャの財政危機に関連して、現状に内包された穏やかな緊張感を伝える記者たちにとっての、格好のサイドバー(補足記事)なのだ─ 
 「彼らは本当にやるのか、やらないのか?(※EUやIMFはギリシャの財政危機に再度、救済策を講じるのか、否か?)」 そのことには、さして色鮮やかな特徴(個性)はないものの…我々は殆ど個人的にもそのことを知っていたような気さえしはじめている。「the audacity of hope果敢なる希望(*) 」とか、「free Gaza ガザを解放せよ」(*といった朗らかで清々しいスローガンと、かくも単純で明快至極なストーリーラインは実際、それ自身を物語ってもいる。イスラエルがすでに、あまり遠くない未来には…(こうした人道支援運動に対して)何らかの回答を行うことを、ほぼ保証する態度を取りはじめたことや、前回に同船が出帆した際あれほど身震いするような暴力事件が起きたことを考えても、これがこのシーズンに恒例の─人々のお気に入りの特集記事にならない理由など何もない。

 しかし、贅沢なるこの瞬間に、その船に乗船している「活動家」らに幾つかの質問をするのは不可能な事なのだろうか?(活動家 activistとはずいぶんとニュートラルで、ほとんどポジティブなニュアンスを持つ言葉ではないか?flotillaという名前も、その安心感を与えつつディミヌエンド(デクレシェンド)していく様な音感は「Small is beautiful」といった雰囲気をたたえている。…これまでにこの件について書かれたほとんどの考察とは、その企みの手段や意図に関するものであり、平和的な戦術についての率直な許容を表明している心やさしげなカバー記事ばかりだったのだ。私はもう少し、そのことのもつ政治的な野望や、その事業の暗示する含意を知りたいものだ、と思う。

 flotillaとその指導者らが…パレスチナのムスリム同胞団の支流組織を形成するハマスと密接で道理にかなった協調関係にあることを語るのは安全かつ、フェアなことにみえる。その組織の政治的な指導部とは主に、ガザ自体に本拠を置いている。しかし、その軍事的な連携(コーディネーション)はダマスカスから発せられる─そこでは現在、長い間抑圧されていたシリアの民衆のなかでますます、拡大している各セクションと、Bashar Assadとが戦争状態にある。緊急に人道物資援助を必要とする箇所も多いシリア人の難民キャンプは、シリアとトルコの国境の付近に出現しつつある(後者のトルコ政府は、flotillaの目的について何となく同情的でもある。)こうした状況の下で、「活動家」たちに、シリアの世襲のバース党政権に対する蜂起のなかでは、彼らがどこに立ち現れていたのかと尋ねる対話を開始するのは正しいことではないのか?

 そして再び、この地域でのシリアのもうひとつの代理勢力とは、Hezbollahだ─彼らは「国家の中の国家」を形作り、レバノン領のなかで私兵を維持している。このグループの古参幹部らは最近、国連により、2005年2月の白昼のレバノン前首相Rafik Hariri の殺害にまつわる訴追においても名指しされたのだ。Hezbollahの指導部とその広報宣伝組織は、国連との協力をすべて拒みながら─Assad政権(イランの独裁政権からの、ますます強力な支持に頼る)との間の不朽の連帯を表明している。再びいえば、ハマスの指導部は、このテヘラン-ダマスカスのローカルな枢軸と、せいぜい危なげな妥協をしているかのように見える。確かに…ガザの封鎖を実行する人々(brockade-runners)らのなかの誰かがそのスポークスマンとして、この件への問いにどう思うのかを我々に語ってくれてもいい筈なのだが?この地域で民主的な、多元主義的な革命が広く拡大しているいま─ハマスは、彼ら自身のバージョンの神権主義によってガザを支配している…そしてむしろ、継続している深い変化への希望を横切って立つかのように見える勢力と、連携しているようにみえる。誰がいまこの外見をもっと見苦しからぬ体裁にするために、時間を割こうと申し出るだろう?ガザに関してメディアに出た記事の半分は、それが広大なオープン・エア(露天)の刑務所に似ているという、スタンダードな言い方を含んでいる(そして私が最後にイスラエル占領下にあるその地を見たとき、それは確かに、その喩えに値するものだった─)問題なのは、その思想や、その同盟相手の関係からすると、ハマスにはその地域の警護役としての能力に関しては、余りに過剰なぐらい適任過ぎる、ということだ。

 たった数週間前には、ガザのハマスの政権は─私の数えたかぎりでは─オサマ・ビン・ラディンの死に対して憤激と悔やみを表した、世界で唯一の政府権力と化していた。ギリシャの港の数々を包む小さなさざ波が折り畳み、陽光が照りつける今… これらの「活動家」たちが、彼らのパートナーらの世界的展望のなかのそれらの要素を討論したのかどうか、知りたいジャーナリストは居ないのだろうか? Alice Walkerには本当に、このことに何のコメントもないのか?

 ハマスは多くの政府と国際的組織によって、テロリスト・グループのリストに列せられている。私は、その(テロリストという)特定の言葉が過去に勝手な用法で使われてきたことは認めてもいい。しかし、私にとってもっとも懸念されるのは、ハマスがオフィシャルな関連方針として採択している『ユダヤの議定書(The Protocols of the Elders of Zion)』というものだ。この胸のむかつくような偽書は、20世紀の人種差別思想と全体主義のキーポイントとなる基礎的書物で、その理論や実施方法において、ヒトラーの政権との繋がりも消しがたいものだ。人権への忠誠を宣言する「活動家」が、そのような邪悪な素材の宣伝に色々なレベルで協力しかねないとは、私には異様なことのようにみえる。しかし、この件についてコメントするために彼らが招かれた所を、私はまったく見たことがない。

 その小さなボートひとつでは、いずれの方法でも、ガザ地区の生活の福祉には大きな違いを生み出せないだろう、なぜなら、送られた物資はあまりにも取るに足りない分量だからだ。それ故に、この事業のもっとも顕著な点とはシンボリックなものに過ぎない。そしてシンボリズムは、それが急ぎ足で審査されたときでさえ、あまり魅力的なものではない。その大胆な事業が意図している便益の享受者たちとは…それぞれ、昨今自らの市民たちの血によって眉を吊り上げさせた…中東のもっとも時間逆行的な独裁者らと密接な繋がりをもつ支配的グループなのだ。そのグループははまた、Hezbollahとal-Qaidaの双方との間に、どうにか温かな関係を保ち続けているか、あるいは少なくともそれらに礼儀を尽くした言葉を発している。そんな中で、一度は「民族虐殺を認める令状(warrant for genocide)」だと精確に描写された書類(ユダヤの議定書)が、前述のグループの宣言する政治的プラットフォームの一部を形作っているのだ。そこには、臭いのテスト(smell test)にも合格しないような何かがある。私はこのシーンを伝える記者たちの中に、私をこの件に押し上げてくれる者がいないのかどうか、と不思議に思う。
http://www.slate.com/id/2298332/

 * Gaza Flotillaは、Free Gaza Movement および、トルコの財団 Foundation for Human Rights and Freedoms and Humanitarian Relief (İHH)が主催しているとされる(Wiki)
  *2008年から幾度かにわたって実施された支援船団は実際に欧米のいくつかの活動家団体の協力で行われた
(参考)
 *Gaza Freedom Flotilla: http://en.wikipedia.org/wiki/Gaza_Freedom_Flotilla
 * Free Gaza Movement(BBC) http://www.bbc.co.uk/news/10202678



 *下写真:2010年5月、Flotillaをイスラエル軍兵士らが急襲、親パレスチナの活動家9人(主にトルコ国籍)を殺害した






*"The Audacity of Hope":
American Activists Plan Gaza Flotilla Ship Named for Obama Book 

 →米国の活動家グループ[UStoGaza.org]は、独自に資金を集め、バラク・オバマ大統領の自伝書タイトルに因む「Audacity of Hope」号に乗った50人ほどの米国人たちが、Flotillaの船団の2010年9、10月の8度目の航海に参加した
http://thelede.blogs.nytimes.com/2010/07/20/american-activists-plan-gaza-flotilla-ship-named-for-obama-book/

*"Free Gaza Movement":http://topics.nytimes.com/top/reference/timestopics/organizations/f/free_gaza_movement/index.html

*前回flotillaが出帆した折に発生した暴力事件
Israeli troops raid aid flotilla headed for Gaza, killing nine
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/05/31/AR2010053101209.html?hpid=topnews

What's To Investigate?http://www.slate.com/id/2298332/

*1988年のHamas綱領:32条でユダヤの議定書に言及?
http://avalon.law.yale.edu/20th_century/hamas.asp

*Alice Walker:アメリカの黒人差別を語る女性小説家、スパイク・リーの映画化した小説の原作「カラー・パープル」ではPuritzer賞を受賞

Tuesday, June 28, 2011

彼はなぜBiなのか?…溜息。 Why Is He Bi? (Sigh) - By Maureen Dowd


彼はなぜBiなのか?(…溜息) By モーリーン・ダウド (6/25, NYTimes)

 彼は、そのように生まれついた。

バイ。

 両性愛者(バイセクシュアル)のことではない。超党派(バイパルチザン)のことでも、勿論ない。彼は、二元的な(バイナリーな)人間なのだ。

 我々の大統領は、同時に両方のサイドに立つことが好きなのだ。

 アフガニスタンでは、彼は米軍を撤退させたいと思いつつも、同時に、軍を踏み留まらせたいと思っていた。
 彼は兵力を増派しながら、同時に撤退も行った。彼は、「対反政府勢力counterinsurgency」の戦略には数が少なすぎるが…「対テロcounterterrorism」の戦略には多すぎる兵力をそこに残してきた…彼は二つの戦略を同時に行いたいようだった…我々の仕事は終わった、だが…我々はまだそこに留まる必要がある/我々の仕事は終わっていないが、去ることもできる。
 
 対リビアの戦略では、オバマ大統領は背後から状勢を指揮したいと思っている。彼はカダフィへの敵対心に関与しているものの、議会ではカダフィへの敵対心はもっていないのだといっている。

 国の予算に関しては、彼は支出を抑えたいと望みつつ、支出の増加も望んでいる。環境政策では、彼はエネルギー生産高を増やしたいと願っているが、油田の掘削には消極的だ。ヘルスケアの問題では、彼は国民の誰もが医療保険でカバーされてほしいと願っているが、ユニバーサル・ヘルスケア(国民皆保険)のシステムは推していない。ウォール・ストリートでは、彼はFat cats(金持ち)らを激しく攻撃するが、カクテル・パーティでは彼は、彼らのfat(脂肪)の一部を、彼自身への選挙資金として集金したがっている。

 政治の場では、彼は対抗勢力の人間と友だちになることを好むが、彼らのことをバッシング(非難)もしている。他の人々にとってバイ・パルチザンシップ(超党派であること)とは…彼らの元々の政治的アイデンティティを超越することを指すが、オバマ大統領にとっては…それは、彼自身がすべての他者の政治的アイデンティティを分かち合うことを意味する。彼は彼自身である、ということを除けば、いずれのサイドにも深く連携していないようにみえる。

 彼は、大胆な変革(change)という考えのもとに大統領へと選出された、しかし今や…オサマの捕捉と彼がパキスタンやイエメンで行った無人偵察機での作戦を除けば…彼はそれを安泰なやり方(彼にとっての)で遂行している。彼はいつもと同様に、政治的な責任を回避するが、政治的には完全に曲がりくねった態度を示している。
 
 クリントン夫妻による2008年の選挙キャンペーンを打ち負かすことのできた男(…それはなぜならこの国が、クリントン主義者たちの婉曲語法と詭弁から、逃れたいと願っていたからだ)…は今や、婉曲語法と詭弁の新たなるクリエイティブな地平線を切り開いているのだ。

 オバマは同性婚(gay marriage)の問題では「進化」を遂げているのだが─それは、女の子だったら、誰でもあなたにこう説明できるだろう…それは彼の人間関係恐怖症の、初めの兆候なのだと。

 恐らく、2012年の中間選挙戦に向けて走り出したいま、経済戦略や戦争戦略でのすべての悩みのタネに加えて、オバマは自身の党の内部のホモ嫌い勢力からの否認に、恐れを抱いているのだ。しかし彼は、彼が同性婚に気乗り薄である理由とは、彼のクリスチャン精神の表れだという説明を試みた…彼は滅多に教会に行くこともなく、世俗的人間主義者(ヒューマニスト)、そのものであるにも関わらず。

 火曜の夜にマンハッタンで開かれた集金のためのゲイ&レズビアンのガラ・パーティで、600名以上のゲストの4分の3から何百万ドルもの選挙資金を集めつつ、大統領は「ゲイ・カップルはこの国のすべての他のカップルと同様の法的権利が与えられるに値する、と私は信じる」と─この問題の決定権が各州に委ねられるとの立場を守りながらも宣言した。

 彼はニューヨーク州のカソリックの大司教、Timothy Dolanほどに酷くはない─木曜日に大司教は、今度は「ナショナル・カソリック・レジスター」誌のインタビューで再び、不機嫌そうに答えていた、「あなたはこの件が、これで終わりだと思うのか?今度は重婚者たちも、自分らの結婚する権利を主張し出すと思わないのか?今や自分の妹と結婚したいと思っている誰かが、"自分には、その権利があるのか?”などと問わないだろうか?要するにそれとこれとは、方針が同じじゃないのか?」

 大司教は、このように結論した…「次に起こることは、ご存知の通りこうだ。彼らは野球の各イニングには4回のアウトがある、と主張するだろう。これはクレージーだ」(彼は連邦判事の Scaliaのような口調になってきている)

 オバマの同性婚問題に対する消極性は、我々の知っている彼のプログレッシブな世界観と比べると、大いに、そしてわざとらしいほど一貫性を欠いている。そして最初の黒人大統領が金曜日の夜に、オルバニー(NY州議会)で同性婚の法案を通過させた(州知事の)Andrew Cuomoを…我々の時代の市民権運動における前線のリーダーとして、歴史に名を残させようなどとするなんておかしなことだ(*写真:Gay Marriage認可法案を成立させて大人気の、Andrew Cuomo NY州知事!)

 しかし大統領にとっては「非常に差し迫った緊急性」というものは、ゲイのコミュニティから小切手を貰うためだけに適用されるものであり、今こそ同性婚を認める時だ、と考えるすべての米国人のスピードに追いつこう、というものではない

「Don't ask, Don't tell(*"DADT"=軍における同性愛者差別撤廃のため…そのことを内密にすれば咎めない、とする連邦法…2010年同法の撤廃案が可決されたが現在は保留中、近く施行される)」のもとでは、オバマは今や大衆を率いてはおらず、大衆を追っている。そして、もっと悪いことには…変革への一陣の風に吹き上げられた若い、ヒップな黒人大統領は大胆さと希望(audacity and hope*オバマの自伝のタイトル)においては、二人ほどの老いた白人の保守派…Dick CheneyとTed Olsonにも後れを取っているのだ。
 (*Dick Cheneyの娘のElizabeth Cheneyは、同性愛者だと知られている。*Ted OlsonはBush政権前期の訴訟長官だが、退任後にカリフォルニアの同性婚禁止の撤廃に尽力した人物…) コミュニティ・オーガナイザーとして、オバマはその、感情移入のめざましい才能を進化させてきた。しかし今や、彼はそれを間違った方法で用いている。部屋の中のすべての人々の考え方を知るだけでは、十分ではない。あなたは部屋の中の誰が正しく、彼と共に立つべきなのかを決める必要があるのだ。リーダーとはmediator(仲裁者)やumpire(審判員)ではなく、convener(会議の議長)でも、facilitator(世話役)でもないのだから。

 Chris Christieが時々、そう言うように、「大統領は、姿をみせるべき」なのだ。

 すべての言葉の曖昧さで、オーバル・オフィスの男は彼のアイデンティティをシールドし、本当のバラク・オバマは誰なのかを覆い隠している。

 彼は、ゲイのコミュニティからインスピレーションを得るべきなのだ: いずれにせよゲイたちがすべきひとつのこととは…すべてのコストを支払ってでも、彼らとは何者なのかを宣言することなのだから。

 この国が直面している最も重要な幾つかの課題において大統領は、もう箪笥の中に隠れておらず、カミングアウトすべきだ。

http://www.nytimes.com/2011/06/26/opinion/sunday/26dowd.html?ref=maureendowd

Monday, June 27, 2011

「米国育ちのテロリスト」デビッド・ヘッドリーの多くの顔 The many faces of a homegrown terrorist By Dinesh Sharma

デビッド・ヘッドリーが多重人格というのは本当なのか?

「米国育ちのテロリスト」の多くの顔 By ディネシュ・シャルマ The many faces of a homegrown terrorist By Dinesh Sharma (6/16, Asia Times Online)

(前記事の続き;冒頭略)

 先週、米国生まれのテロリストについて懸念を感じていた人々は、このパキスタン系米国人テロリスト、David Coleman Headleyの心が、コンパートメントに細かく隔離された、複雑な、多重的な分裂状態にあったと知ってショックを受けた─彼は多くの文化的、国際的なボーダーをもまたいだ諜報機関へと入り込んで、彼らを騙していたのだ。(右:David Headleyの法廷でのスケッチ)

 合衆国の司法当局は、最終的に2009年10月に彼を逮捕し、当局は彼とその共謀者とされるTahawwur Hussain Ranaが、デンマークの新聞社Jyllands-Posten(挑発的な漫画を掲載した)への攻撃を謀議した件で告訴した。

 2009年12月には、連邦捜査局(FBI)もまたHeadleyを、2008年のムンバイの大規模な虐殺テロ(164人が殺害された)計画に加担し、テロ組織Lashkar-e-Tayyiba (LeT)への物資援助、そして米国市民の殺害幇助を行った容疑で告発した。
 
 12件の容疑で告発されたHeadleyは、終身刑と莫大な罰金の支払いに直面していた。すると彼は…友人のRanaも、ムンバイ攻撃での役割を負っていたとして名指ししたのだ。Headleyはインド、デンマーク、あるいはパキスタンへの身柄引渡しを逃れ、死刑の宣告から免れるために、司法取引を結んだ。6月6日に結審を迎えた裁判において、Ranaはデンマークの新聞社へのテロ計画幇助とLeTへの援助の二つの罪状で有罪となったが、ムンバイへの攻撃計画における幇助の罪は問われなかった。

 ムンバイ攻撃の計画において、今や盛んに報道されているパキスタン諜報部ISIの関与という事実を再度確認したことに加えて、Headleyの裁判は国内生まれのテロリストの「多重人格」、あるいは「解離性同一性障害」を、白日のもとにさらけだし─心理学者たちや、治安の専門家たちに現実的な実例を提供した。彼の複雑なストーリーに関しては、既にドキュメンタリーも生み出された─HBOのドキュドラマなら理想的でさえあるかも知れない。 (*左:Tahawwur Rana)

 Headleyのプロフィールをさっと一見するなら、そこに彼の異なる人生のフェースにおける、人格上の深い亀裂や分裂、あるいは、全体性の欠如が見出される。Headleyが実際、1992年に多重人格性障害(MPD)と診断されていたことは、驚くには値しない…私は私の臨床的な仮説を検証しつつ、そのことを確認した。しかし、彼の病気とその診断を囲む状況は不透明なままに残されている。

  彼は、ニューヨークとシカゴ、フィラデルフィアのパキスタン系米国人コミュニティで、また同時に彼の先祖の故郷パキスタンでも、Daood Sayed Gilaniとして知られていた。テロリストに転じる前、1980年代と90年代にはHeadleyは、主にバーやビデオレンタル・ストアを経営するスモール・ビジネスのオーナーだった。2001年には、パキスタンからのヘロイン密輸の複数の容疑を受けつつも無罪となり、その後彼は米国麻薬取締局Drug Enforcement Authority (DEA)の情報屋となった。

 DEAに協力して覆面捜査を行いながらも、Headleyは2002年と2003年にかけて、LeTの組織の深層との接触を開始した。「彼は直ぐに手の平を返して…それが彼にとって好都合であるならば、すべての者たちを裏切ったのだ」と、あるテロリズム・アナリストは語る。

 ISIの、より効果的な継っ子組織の一つであるLeTへの度重なる訪問の後に、彼は2008年のムンバイへの攻撃と他のテロ活動の実行の責任を負い始めた。他の治安アナリストによれば、「LeTにとっての夢が現実となった」、のだという。Headleyの中に、LeTは「完璧なテロリスト」を見出した─ 金のある米国人で…米国のパスポートを持ち、いかなる嫌いや尋問にもであうことなしに米国を自由に出入りできる人間、として。

 2006年にHeadleyは彼のイスラム名を棄て米国人としてのアイデンティティを選択し、パキスタン系イスラム教徒たちとのコンタクトを隠蔽しながらインドへの旅を容易にするために、彼の母親の苗字を名乗り始めた。

 その当時、彼の親しい友人らやビジネス仲間らも、彼が何を計画していたかは想像もつかなかった…「David Headleyは気狂いだ…脳みそのある人間にはこんなことは出来るはずがない」、とRanaの妻は語った。

 MPDの臨床的な診断というものは容易に、あるいは少しずつ入手できるものではない─そこには全人口のなかでも非常にまれな、精神病理学的条件が必要となる。しかしこの、1960年に首都から数歩の距離のワシントン・DCで生まれたパキスタン系米国人のジハーディストのケースには、それが当てはまるようだ。

 1992年と、その他のストレスにみちた人生の変遷の時期において、Headleyは米国精神科協会(APA)の診断・統計マニュアルに示されたMPDの全面的な症状を示していた可能性がある。

・アイデンティティが分裂し、2つかそれ以上の顕著な別のパーソナリティによって特徴付けられる…ひとつはパキスタンに根を持ち、もう一つは米国に根を持つ。

・二つ以上の別の人生を送っているため、毎日の出来事に関する重要な個人的情報が分裂している。

・社会的機能、職業的機能または他の重要な分野で、顕著な失意の状態や障害を呈する。

・Headleyの異なる人格は、広く受け容れられる文化的な枠組において、「正常」とは見えない。

 発達心理学的にみると、Headleyの分裂した人格は初めから始まっていたようである。彼はパキスタン人の外交官Sayed Salim Gilaniと、米国人の母親Serill Headleyの息子であり、この両親は共に彼の生まれた当時、ワシントンのパキスタン大使館に勤務していた。

 Headleyは…彼の父が離婚し家族がパキスタンに帰国した後に、子供時代の一部をパンジャブ州の軍エリートの予科学校Cadet College Hasan Abdalで過ごした。熱烈なイスラム教徒として育てられ、学校で彼は過激派思想の強い影響を受けた可能性がある。彼は子供時代の友達で、後に明らさまな共犯者となるRanaに軍学校で出会い、二人は生涯の友人でビジネス上の協力者となった。

 彼の父親のもつイスラム的な世界は、米国において彼の母親が彼に提供した世俗的なライフスタイルと真っ向から対立した。1977年に17歳の当時、パキスタンの政情変化のために、Headleyの米国人の母は彼を、彼女がKhyber Passという名のバーを経営するフィラデルフィアに移した。
 
 波乱に富んだ十代の時期に米国の価値観を試したHeadleyは、母親のオープンな、あるいは「放蕩な」選択に対して反抗しながら、その狂信的思想の兆しを示しはじめて…非イスラム教徒全てが嫌いだと告白していた。 (*写真はHeadleyと米国のパスポート)



 Headley自身は、彼の憎悪がそれほど深く、彼自身を結局ジハードの道に駆り立てる物だとは想像できなかった。彼はISIやLeT、DEAなどの組織内部への潜入に成功し、別人を装うことでインドの治安勢力を避けつつ、同時に米国とパキスタンで何人もの女性にいい寄ったり離婚を重ねていた。
 
 「多くの人々はその人生のなかに矛盾を抱えているものの、人々はそれと折り合うことを学ぶものだ」、とHeadleyの叔父のWilliam Headleyは、記者に語った。「しかしDaoodhは決してそれをしなかった。彼の左半身は、右半身とは会話しないのだ」。

 病気に起因するHeadleyの狂信思想は、彼の気の触れた心のコンパートメントに隠され、しまいこまれていた。 その低いレベルの変化形といえば─通常では国境線によって分たれた異なる文化の間で生活しつつ分裂した忠誠心(divided loyalties)の持つ人々において、より低周波数の、小さな波長で見出されるかも知れないものだ。

 このような自国生まれの反米主義とは、我々の想像するよりもより激しく、米国の下院議員の個人的なブラックベリー端末から送られた猥褻なTwitter画像などよりもずっと危険だ。
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF16Df06.html


「テロリスト」デビッド・ヘッドリーは、米国のスパイか? By スワラジ・チャウカン(12/17.2009 The Moderate Voice.com)

 米国はなぜ、11/26のムンバイのテロ攻撃の容疑者、パキスタン出身のDavid Headleyの、インドの司法当局による尋問を許さないのか?それは、Headleyが米国のスパイでもあるからか?…そのことインドのメディアでホットな話題となっている。 

 Headleyとその共犯者Tahawwur Hussain Ranaは、インドでの公共スペースの爆破を共謀した容疑で10月にFBIによって逮捕された。

 David Headleyは、ワシントンD.C.に生まれた─その地で彼の父Sayed Salim GilaniはVoice of Americaに勤務し、彼の母Serrill Headleyはその秘書だった。パキスタンの首相Yousaf Raza Gillaniのスポークスマン、Danyal GilaniはHeadleyの異母兄弟である。

 インド政府のオフィシャルな情報源によれば、David Headley(本名Daood Gilani)の、カシミール分離主義派Lashkar-e-Taiba (LeT) とのリンクを、米国CIAはムンバイへのテロ攻撃の1年前から察知していたが、彼がインドとの間を自由に旅行している間そのことをインド当局には伝えなかったと、The Times of Indiaは報じている。

 ミステリアスなことに、HeadleyとRanaのビザに関する書類は、シカゴのインド領事館から紛失した。

 そのような訴えはインド亜大陸で抱かれる疑念…テロリストのネットワークがこの地域で(米国の求める国益や秩序に従順ではない国々の)政府の不安定化をもくろむ活動に、米国の諜報機関自身が責任をもつのでは、との疑いに信憑性を与える。長らくカシミールは地政学的な理由から(宗教的理由からではなく)、遠隔地からのテロ攻撃を呼びやすかった。

 ワシントンの不透明なパワー・ポリティックスや、LangleyのCIAにおいて、米国の政策立案者たちは多くの有名な人々を使ってきた─その中には、ダブル・エージェントだったLee Harvey Oswaldや、Saddam Husseinも含まれる。そして今現在の最大のお尋ね者、オサマ・ビン・ラディンを忘れてはならない*(この記事掲載当時OBLは逃走中)─彼は、アフガニスタンでのソ連の帝国建設の野望に対抗する、彼らのお気に入りの戦士だった。

 The Times of India はこう続ける、「(インドの)捜査官たちは、米国の諜報機関がインド当局からその情報を遠ざけ続け、パキスタン生まれのHeadleyのことが、"露呈する"ことを決して許さなかったのだと信じている。」

 「ムンバイ攻撃に関与した容疑でFBIが逮捕した49歳のテロ容疑者:Headleyは、2009年3月にインドを訪れていた─LeTによって実行されたムンバイ攻撃の4ヵ月後だ─しかしそれでも、FBIは依然としてインド当局に、HeadleyがLeTの工作員であることを伝えなかった…明らかに彼がインドで逮捕されることを怖れていた」

 「同じ情報源によれば…もしもHeadleyがインドの法廷でより軽い罰をうけたなら、Headleyが米国のスパイであると同時にLeTのためにも働いていた…と信じられる道理に叶った根拠を、インド当局に与えるかもしれない…と彼らは心配していた」
 「それはさらに、Headleyと米国諜報機関に司法取引があったとの考えに信憑性を与えた」

 「彼のインドへの幾度もの訪問の間にHeadleyはクレジットカードを通じて、米国の銀行からの多くの金と、パキスタンから持ってきたらしきインドの偽造通貨を何十万ルピーもの金に換えていた…」

 「インドの捜査官達は、そのクレジットカードの請求書を米国の銀行で誰が支払っていたか、の捜査を試みてはいない…」

 ワシントン生まれの、パキスタンの元外交官と米国人の母との間の息子Headleyは、インドに幾度も旅行し、ムンバイを含む多くの場所を訪れ、ボリウッド・スターたちと交友関係を結んでいた、とThe Hindustan Timesはいう*中略…HeadleyがDEA(麻薬取締局)の情報屋だった件は推測としている。

 別の記事によればHeadleyはユダヤ人を詐称していたという(Wikipedia
参照)それは何故か?FBIによれば、彼はユダヤ人を装う為、「How to Pray like a Jew」という本さえも所持していた FBIは、彼がインド、パキスタン、湾岸諸国やヨーロッパを頻繁に往復していると知った後に彼を監視下においた。

 インドの人々のなかには、もしもインド国籍の誰かが米国のどこかをテロ攻撃した容疑者とされ、そしてインド政府が米国当局による彼の捜査を拒否した場合、米軍はインドへの軍事作戦を行うだろうか?と問いかける人々がいる。もしそうなれば、今インド政府は一体どうするのだろうか?

 その場合─インドの首相は、彼がついこの間…例のお騒がせ闖入カップルの眼前で…ホワイトハウスで親愛感を込めて握っていた米国大統領の、その手を噛むのだろうか?
http://themoderatevoice.com/56118/terrorist-david-headley-an-american-spy/

*写真:David Headley(2009年頃?)Headleyは今や、米国政府にとって「スター証言者」なのか?

関連記事:
ムンバイのテロへと繋がる、新たなスパイのリンク
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2011/05/new-spy-links-to-mumbai-carnage-by.html

ムンバイ攻撃を共謀?─テロ容疑者、ラナ&ヘッドリーの裁判のゆくえ
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2011/06/chicago-businessman-tahawwur-rana-is.html

Thursday, June 23, 2011

ムンバイ攻撃を共謀?─テロ容疑者、ラナ&ヘッドリーの裁判のゆくえ

「ムンバイのテロ事件」への共謀を問われ…シカゴで行われた容疑者たちの裁判は複雑怪奇に?…

シカゴのビジネスマン、タハウール・ラナはデンマークでのテロ未遂計画幇助で有罪、ムンバイの攻撃計画では無罪との判決下る
Chicago businessman Tahawwur Rana is guilty of Denmark plot but not guilty of aiding the Mumbai attacks (6/9, Chicago Tribune)

 これまでにシカゴで開かれた最も顕著なテロ裁判の場で、木曜日にシカゴのビジネスマンは有罪判決を受けたが…陪審員団は彼を最大の罪─すなわち、2008年のMumbaiテロ事件での共謀罪からは無罪の評決を下した。 (*右図:Ranaの法廷でのイラスト)

 Tahawwur Rana 50歳は、幼なじみの友達David Coleman Headleyをテロ計画において助けたこと…シカゴのノースサイドからパキスタンの部族エリアへと足取りを拡げ、Mumbaiでのテロ攻撃へと及び、またDenmarkの新聞社も襲撃してスタッフを斬首しようとしたテロ未遂の計画も幇助した、との容疑で訴追された。

 HeadleyとRanaは、2009年にシカゴで逮捕されている。

 2日間の審議の後に陪審団はパキスタン出身のRanaに対して、Denmarkのテロ計画でHeadleyを幇助したとの罪で有罪判決を下した。しかし陪審団は、米国人6人を含む170名を殺害したMumbaiのテロ計画では彼は無罪だと認めた。Ranaはまた、パキスタンのテロリスト・グループ、Lashkar-e-Taibaを支援した件で有罪とされた。

 陪審団がRanaに対し…彼がインドのカシミールの分離統治に反対しているパキスタン本拠の過激派グループ、Lashkarの支援で有罪…との決断を下したのは、Rana自身がFBI捜査官に対する逮捕後の供述で、Headleyが同グループのために働いていたと知っていた、と話したことに基づいている。
 RanaはMumbaiのテロ幇助容疑から赦免されたことで終身刑を免れた。しかし彼は依然として懲役30年の宣告に直面し、弁護団は失望を表している。

 「我々は、この件に関する(陪審員らの)熟考に立ち戻ることは出来ない、そのため彼らがどうしてこの判断に至ったのか、よくわからない」とRanaの弁護団の一人Patrick Blegenはいう。「明らかに、我々は甚だしく失望している。我々はRana氏を信じており、そして我々は彼が無罪だった事を信じている。しかし、陪審は異なる判決に達した。我々は彼らの決断を尊重するが、しかし彼らは間違っていたと考える」(後略…)
http://www.chicagotribune.com/news/local/ct-met-rana-terrorism-trial-0610-20110609,0,141351.story

*Terror trial evidence
デビッド・ヘッドリーが、インドで撮影した「テロ攻撃のターゲット候補地」の写真の数々(法廷での証拠)http://www.chicagotribune.com/news/local/breaking/chi-110524-terror-trial-evidence-pictures,0,7248341.photogallery?index=chi-terror24subtah20110524111114


ラナのテロ裁判の終幕…州検察側が数多の証拠を示唆するなかで、ラナの弁護団は"スター証言者"(ヘッドリー)を罵った…
In close of Rana terror trial, defense rips star witness as government points to evidence
By Annie Sweeney, Tribune reporter (6/7, Chicago Tribune)
 

 テロ幇助の容疑で訴追されたシカゴのビジネスマンの弁護人は、彼に対するこの告発が…自らがテロリストであることを認めた人物が死刑を免れるべく試みた、絶望的でっちあげだと訴えた。

 「David Headleyに関しては、何事も単純に済む様な問題はない」、とTahawwur Ranaの弁護人Patrick Blegenは、州政府側のスター証言者に関していう。「彼は、自分にはすべての人々が騙せるものと思っているのだ」。

 最終弁論の場でBlegenはHeadleyの信憑性をひどく非難し、彼がいかにしてヘロイン密輸で2度も告発されたか、家族や当局に対して度々嘘を繰り返しついてきたか、そしてFBIによる抑留中にさえ、大胆にも彼の妻に電話をかけて彼の兄弟に警告するように頼んだか…等々を陳述した。

 「彼は彼のオフィスから、正義を妨害すべくはかったのだ」とBlegenは言った。
だが、裁判官が彼を紹介した直後に、検察側のテーブルから最後の言葉を放った米国の連邦副検事は、強い声で…陪審団に対しHeadlayのバックグラウンド(病気を含め)を超えたその向こう側に注目するように、と求めた。

 「皆さん、一秒たりとも…(このようなことで)この男が(車中の会話において)言っていたことを変えさせてはならない」、とCollinsは政府が残したRanaに関する盗聴録音について語った。「それはあなた方が今、行うべき眼前の仕事から、あなたがたの方向性を逸らしてしまう」

 検察当局はHeadleayには人格障害(人間性欠陥)があると即座に認め、彼のことを酷い、軽蔑すべき(awful and despicable)人間だと呼んだ。しかし彼らは、Ranaを陰謀の内側に据えた長い証拠のリストをも読み上げた─それは、HeadleyとRanaが2009年に、自動車での長時間の走行中に録音された秘密録音を含むものだった。

 シカゴにおける最も顕著なテロ裁判で、50歳のRanaは、彼がHeadleyを支援し─2006年から2008年にかけて5回にわたり彼を、シカゴを本拠に彼の経営する移民ビジネス会社の代理人として旅行させ…インドのムンバイへのテロ攻撃(2008年に170人程の人々を殺害した)のターゲットの候補地探しをさせた…という犯罪の容疑者とみなされた。

 彼は、50歳のHeadleyに同じビジネスの隠れ蓑を着せた上でデンマーク旅行をさせ、コペンハーゲンの新聞社を標的とした2度目のテロ計画の未遂(ムスリム世界の大半を激怒させたモハメッドの漫画掲載への報復を目的としていた)のために偵察を行わせたとの件でも告発を受けた。

 陪審団は水曜の朝からこの件に関する審議を始めた。
BlegenはRanaを合法的なビジネスマンであるとみなしており、Headleyがパキスタンのテロリストから何千ドルもの資金を集めつつ、同時にRanaには金銭を支払って詐欺的に(彼を利用し)ムンバイのオフィスを運営させた、との見地に立とうとしている。

 Blegenは、Ranaがいかなるテロ計画にも真に関わってはいなかった、と主張した。秘密の録音でさえもHeadleyの、信憑性の薄い、その解釈にもとづいたものにすぎないと彼は言う。そしてBlegenは、Ranaが6時間の審問の間に当局の放ったすべての質問にも答えたと指摘した。

 しかし、検察官らはRanaが、虐殺テロで死亡した若いMumbaiのガンマンを祝福し、またテロの計画者の一人(当局に告発されている事件の共謀者)のことをパキスタン軍の名誉に値すると述べている…車内での会話の録音のことを証拠に挙げている。

 また別のやり取りでは、HeadleyはRanaと、インドとデンマークのスポットを含む彼のテロ攻撃のトップ・ターゲットの地について話しているとしている。Collinsは陪審員団に対し、Ranaがそのことを論じ合っている会話中で笑っていると話した。

 州検察側は、その証拠に関する裁判に陪審員団が注目し続けるようにはかるとみえる。多くの証拠の提示と審査の後にも、共同訴追者であるVictoria Petersは陪審員らに対して、彼女が提出した15件に上る証拠を審議するように再度求めている。

 その証拠の一つとは、Ranaが─"Major Iqbal"(イクバル大佐)としてのみ知られる、告発を受けたもう一人の共同謀議者からのeメール内容を…彼がHeadleyに送ったメールの中に貼付けている、との訴えである。しかし、そのもう一人の共謀者もまた、Mumbaiテロ攻撃の1ヵ月後の2008年12月にHeadleyにメールを送り、彼にRanaがどう感じているのか、彼は「怖がっているのか」と質問しているという。

 Headleyが「酷い男(an awful man)」であった、と認めつつPetersは、陪審員団にこう尋ねた、「あなたがたは、政府(検察側)に対して何をして欲しいのか?”II'm sorry、お前たちは軽蔑に値する…我々は、あなたがたの提示する情報(Ranaに関する証拠)になど興味はない”、などと言って欲しいのか?」と。
http://www.chicagotribune.com/news/local/ct-met-rana-terrorism-trial-0608-20110607,0,4532268.story


テロの容疑者に対し、評決は分かれた(要約)(6/ 10, NYtimes)
Split Verdicts for Man Accused of Terrorism

…「テロリストを幇助しようとするすべての者に対する、この評決のメッセージは明白だ」と、政府側の検事Patrick J. Fitzgeraldは声明で述べた。「我々は暴力を容易にする者たちすべてに正義の裁きを下す」

 有罪、無罪のミックスした判決は、30年の懲役刑となるRanaと、政府側の双方に打撃を与えた…検察側の陳述は、死刑の宣告とインドへの身柄引渡しを免れるため、Mumbaiのテロ計画での重要な役割を担ったことを告白した、David Headleyの証言に大きく基づいている…

 Headleyの証言は…彼がRanaだけでなくパキスタン諜報部の幹部らもムンバイのテロ攻撃を幇助したと訴えた際に世界のメディアのヘッドラインを飾った。その告発は米国とパキスタン、インドの関係を悪化させる脅威を与えた─特に、パキスタンの軍事都市に隠れていたオサマ・ビン・ラディンを米特殊部隊が発見した後には─

.....Ranaの弁護団は、Headleyの成人して以降の大方の人生での詐欺行為を列挙し、彼の信頼性を切り捨てることで弁護を行った。Headley氏─パキスタンの外交官とフィラデルフィアの社交家との間の50歳の息子は、テロリストになる以前に多くの実質的な逮捕記録があり、麻薬密輸でも逮捕され、その後は長期の懲役宣告を逃れるため麻薬取締局の情報屋となっていた。

…Rana氏…パキスタン系カナダ人で3児の父親は、デンマークの新聞社の襲撃計画でも類似の幇助をし、告発されている。しかしその計画は実行されなかった。

 Rana氏の家族たちは判決の宣告を聞いて泣いたが、Rana氏は目に見える感情を示さなかった。彼の弁護士の一人は、「彼はショックを感じているのだろう」と語った。もう一人の弁護士Patrick Blegenは陪審員らについて語った、「明らかに我々は失望している。我々は彼らが、解釈を誤ったものと思う」

 Fitzgerald判事は、Headleyに対する判決に関して「それは、まだ当分先のことになる」と語った…
http://www.nytimes.com/2011/06/10/world/asia/10headley.html?ref=davidcheadley

*関連記事:



「米国育ちのテロリスト」デビッド・ヘッドリーの多くの顔http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2011/06/many-faces-of-homegrown-terroristby.html





ムンバイのテロへと繋がる、新たなスパイのリンクhttp://hummingwordiniraq.blogspot.com/2011/05/new-spy-links-to-mumbai-carnage-by.html

Sunday, June 12, 2011

米国-パキスタンの十年来のパートナーシップに入る罅(ひび) Cracks in decade-old US-Pakistan partnership-BY TARIQ A. AL-MAEENA

イスラム過激派に手を貸した米国諜報部員?ビン・ラディン逮捕より前の今年1月の怪しい事件の回顧

Cracks in decade-old US-Pakistan partnership
米国-パキスタンの十年来のパートナーシップに入る罅(ひび)  By タリク・A.アル・マエーナ (2/26 Arab News)

 去る2001年、パキスタンのペルベズ・ムシャラフ大統領が、米国の「テロとの戦い」におけるパートナーシップ推進のためにジョージ・ブッシュ大統領と握手を交わしたその時、ほとんどのパキスタン人は、そのパートナーの手でテロが彼らの国に輸入されるなどとは、思いもよらなかった─

 多くのパキスタン人たちが米国―パキスタン関係を眺めるとき、心の底に横たわる怒りは否定できない─彼らの国とは、米国に苛められてばかり居ながら、その施しに頼る不承不承の同盟国なのだと。この十年間に両国政府がたどった変遷の許でもこうした感情は改善しなかった。今日、この二国間の悪名高き同盟のなかの亀裂は深まりつつある。

 パキスタンにおける疑念を高めた最近の出来事とは、Lahoreの路上で2人のパキスタン人を冷血にも射殺した米国政府関係者、Raymond Davisの逮捕だった。憤怒に駆られたパキスタンの大衆の抗議は、危機をはらんだ両国のきわどい縁を更に緊張させた。群衆の怒りは…Davisが二人のオートバイの男たち(治安勢力の銃器を所持して彼に窃盗を働こうとした、と彼が主張する)を殺害したLahoreの現場の付近を、彼が一人で車で走行していたときに逮捕された事実によっても鎮まらなかった。

 36歳のDavisは元米軍特殊部隊の隊員で、民間警備会社XE Service(旧名Blackwater)に雇われていた。Davisは4年近く前からCIAのために働き始め、そして2009年末にパキスタンに来た。彼は射撃事件の前までは、警備会社の他のメンバーらと共にラホールの安全な家に住んでいた。米国人らはすぐさま、Davisがその外交上のステイタスにより、パキスタンでの起訴を免れるべきだと要求した。毎日が過ぎ行くなかで、Barack Obama大統領の主張のレトリックのレベルは高まり、Davisは外交特権により免罪されるというオフィシャルな主張へと飛躍し、そして彼はそのメッセージを伝えるべくイスラマバードにJohn Kerry 上院議員を派遣した。

 そんな中、パキスタンの匿名の外務省員が、同国政府がすでにDavisには全面的な免罪権はないと決断したと述べた。

 米国上院の外交委員会議長であるKerryは同国の訪問中に、彼の目的が「…レトリックをトーンダウンさせ、米国のパキスタンとのパートナーシップを再度、確認すること」であると、Davisに対する抑留騒ぎの余波のなかで表明した。しかしDavisとCIAとの関係について暴露された新たな事実が、何か一層邪悪なものを示唆していた。
 いくつかの新聞報道が、Davisと「テロリスト活動」及び、パキスタンのタリバンとを結びつける匿名の情報を掲載した。それらによれば、Davisはテロリストの活動を活発に助けて、そそのかしていたという。

 The Express Tribune 紙は、ヘッドラインでこのように喧伝した、「CIAエージェントのDavisは、ローカルな民兵組織との繋がりがあった」。同紙は匿名の「警察幹部」からの情報として、Davisにはテロ活動を首謀した容疑がかけられていたと書いた。

 「捜査によって、彼とTTP (パキスタンのTaleban)とは密接な繋がりがあり、そして、彼は反政府活動を鼓舞するためにパンジャブから若者たちをタリバンに勧誘するための道具だったことが暴露された」。その警察幹部は、Davisがパキスタンの不穏な状況を掻き立てるべく、パキスタンのタリバンと手を取り合っており、同国の核兵器は安全な者たちの手にはない、との論議を主張した。警察のソースによれば、Davisの携帯電話の会話記録はすでに…彼と27人のパキスタンの武装分子たちや、Lashkar-e-Jhangviとして知られるセクト組織との繋がりを証明していたとされる。

 南アジアのニュース・エージェンシー、ANI はこう報じた─ロシアの外国諜報部によれば、Davisは核兵器と生物兵器の材料をアル・カイダに渡していた、と。またDavisはCIAの最高機密文書を所持しているところを発見され、またその地域で活動し、怖れられる米軍のAmerican Task Force 373 (TF373) との繋がりも見出された。

 ANIはSVRが、36歳のDavisの逮捕がこの危機を煽ったと伝えた。彼の逮捕の後に押収された証拠書類は、彼が現在、アフガンの戦争地域とパキスタンの部族地域で非合法な活動をするTF373 のユニットのメンバーであることを示している。

 同紙によれば、その(殺された)二人組とは─Davisの携帯電話がアフガニスタンと国境を接するワジリスタンの部族地域に入ったことが追跡され、そして彼が(その地で)アル・カイダと継続的にコンタクトを取っている状況が見出された後に、彼を追跡すべく送られたISIのエージェントだったと─パキスタン当局が述べたという。

 このSVRのレポート中の最も不吉な点とは、「パキスタンのISIが─Davisの所持していたCIAの最高機密文書が…彼、またはTF373(あるいはこの両者)が、アル・カイダのテロリストに”核分裂性の物質”と”生物剤(生物化学兵器)”を供給していると指し示している点」であり…(ISIによれば)それらは、崩壊寸前の世界経済における覇権をふたたび確立すべく、全面戦争をひき起こそうとする米国自身に対抗するために使われる─と、同紙は付け加えているのだ。

 Lahoreの地方裁判所は、それ以来パキスタン政府に対し、二人のパキスタン人殺害の容疑で抑留中の米国政府関係者が、彼らの主張する外交特権を有するかどうかの審理に3週間の猶予を与えているが…その遅れは米国を失望させ、両国の間にわずかに残る信頼関係の痕跡さえも蝕む可能性がある。

 多くのパキスタン人は、彼らの国内第二の都市で武装した米国人が暴れ回っていることに対して激怒し、もしもDavisが解放された場合には大規模な抗議行動を起こす、と警告した。その最終結果がどうあれ、これが十年来のパートナーシップにとってよい前兆であることはありえない。
http://arabnews.com/opinion/columns/article285164.ece

参考記事

Tuesday, June 7, 2011

悪い駆け引き Bad Bargains - By THOMAS L. FRIEDMAN

911の本当の黒幕、としてのサウジのワッハーブ派批判を、トム・フリードマンはしばしば訴える…

悪い駆け引き Bad Bargains - By トーマス・L.フリードマン(5/10, NYタイムス)

 というわけで、オサマ・ビン・ラディンはパキスタンの特別に建てられた別荘に住んでいた。私は、彼がどのようにしてその家を買う金を得たのかに興味がある。彼はサウジ・アラビアからの年金401(k)を、キャッシュにでも換金したのだろうか?たぶん、パキスタンのサブプライム・ローンの担保金なのか?否、私はそのすべてが、アル・カイダのほとんどの資金と同じ出所からきたことを…我々は発見するだろうと思う─パキスタン軍の用心深い目の許で、サウジの複数の個人からの献金を結合した資金が用いられたのだろうと。

 なぜ、我々はそれを気にする必要があるのか?それは、これが問題の中心だからなのだ。つまり、我々による、9月11日のテロを惹起したビン・ラディンの殺害は正当であり、戦略上でもきわめて重大だった。私は… その資金をまかない、主な計画立案者たちや末端の歩兵らを送りこみその攻撃を真に可能にした…二つの悪しき駆け引きの排除が、簡単なものであれば良いのにと望んでいる。我々は今、サウジ・アラビアとパキスタンの支配者らの駆け引き(彼らは今もつつがなく生き延びているが)のことを話しているのだ。

 サウジ・アラビアの支配者が行った駆け引きとは、アル・サウド一族とワッハーブ主義の宗教的セクトとが交わした古いパートナーシップのことだ。アル・サウド一族は、どんなにその宮殿の壁の背後に隠れている必要があろうとも権力の座に留まり続け、その見返りとしてワッハーブ派のセクトの追随者たちが、その国の宗教的慣習やモスク、教育システムを支配している。

 ワッハーブ派はサウジの政権をひとつの選挙も行わずに祝福し、そしてその政権が、彼らに金と宗教的なフリーハンド(やりたい放題)を与えて祝福している。唯一のマイナス点とは、そのシステムが、「座っているだけの男たち(“sitting around guys” )」─宗教教育を受けただけで、何の職業的スキルももたない若いサウジ男性たちを、安定的に、確実に供給し続けている点だ…そしてこうした男たちは9/11スタイルのハイジャッカーたちや、イラクの自爆テロリスト要員としてリクルートされるに至った。

 そのことを、『イスラムの揺り籠(“Cradle of Islam” )』を書いた文筆家で、サウジ・アラビアの前石油大臣の娘でもあるMai Yamani以上に巧みに説明した者はないだろう。「西欧の10年にわたるテロとの戦いにも関わらず、そしてサウジ・アラビアの米国との長期的な同盟にも関わらず、王国のワッハーブ主義の宗教エスタブリッシュメントは引き続き、世界中でイスラム過激派の思想を援助し続けた」、とYamaniは今週、レバノン紙のデイリー・スターに書いた。

 「サウジで生まれ教育を受けたビン・ラディンは、その倒錯的な思想の申し子だ」、とYamaniは付け加える。「彼は、宗教的な改革者などではない。彼はワッハーブ主義の申し子として、後にワッハーブの体制側からジハード戦士として輸出されたのだ。1980年代には、サウジ・アラビアはワッハーブの教義の宣伝活動に750億ドル以上を費やし…パキスタンからアフガニスタン、イエメン、アルジェリア、そしてそれ以遠のイスラム世界全体において学校やモスク、慈善事業の設立を援助した…驚くなかれ、何千ものアンダーグラウンドのジハード戦士のウェブサイトに扇動された国際的なイスラム主義の政治運動は、サウジ王国に起源を持っている。同じくサウジからのワッハーブ主義の輸出品である9/11のハイジャッカーたちの如く、サウジ・アラビアには未だに潜在的なテロリストの予備役らが残っている─なぜならワッハーブの狂信的な思想工場が無傷で残存しているからだ。故に、本当の戦いはビン・ラディンとの戦いだったわけではなく、それはサウジの国家が援助する思想工場との戦いだった」

 これはパキスタンも同様だ。パキスタンの支配層の行う駆け引きとはパキスタン軍が仕組んでお膳立てしたもので、それはこのように言う:「我々はこの国を君ら文民が支配しているように見せかけ、そして実際には国家予算の25%近くを費やして全ての重要事の支配権を握り…そのすべてをパキスタンにとっての真の安全保障上の挑戦─インドとそのカシミール占領に対して必要な経費だ…として正当化する」。ビン・ラディンが、米国のパキスタン軍への援助を発生させるためのサイド・ビジネスと化すのを見ながら。

 アル・カイダに関するエキスパートLawrence Wrightが今週号のThe New Yorker誌で彼の見解を論じている─パキスタン軍の諜報部門は、「これまで“ビン・ラディン探し”のビジネスに従事していたが、もしも彼らを見つけたなら、それ以降は仕事がなくなることになった」。9月11日以来─と、Wrightはつけ加える、「米国はパキスタンに110億ドルを与えたが、そのうち膨大な額を軍事的援助が占め、多くは同国のインドに対する防衛のための武器購入に不適切に費やされた」

 (アフガニスタンのHamid Karzai大統領もまた、同様なゲームを行った。彼は“アフガニスタンの“安定を模索するビジネス”のなかに居る。しかし彼は、我々が資金援助をし続ける限りは、その探索というものを続けていくだろう)

 この両国に必要なのもは、ショック療法だ。パキスタンにとっては、その不当に大きな部分を軍事援助にあてていた米国からの援助を、K-12(*)の教育プログラムへと振り向け、同時に米国のアフガニスタンへの介入を減らしていく、という意味だ。そして同時に我々が送るべきメッセージとは…我々がパキスタンのその真の敵(我々の真の敵でもある)─との戦いを助ける準備がある、ということ…つまり、無知と文盲、腐敗したエリート層、そして宗教的な反啓蒙主義(蒙昧主義)との戦いだ…しかし我々は、パキスタンがインドに脅かされているがためにアフガニスタンでの「戦略的縦深性(ストラテジック・デプス)」やタリバンとの連携を必要とする、というようなナンセンスな主張に騙されることには興味がない。

 それはサウジ・アラビアも同様だ。我々はアル・サウード家とワッハーブ主義者たちのménage à trois(夫婦と三角関係のもう一人が同居する世帯)に住んでいるのだ。我々がアル・サウード家にセキュリティを提供する代わりに、彼らが我々に石油を提供する。ワッハーブ主義者たちはアル・サウード家に法的正当性を提供し、アル・サウード家は彼らに、金(我々から得た)を提供する。それは、アル・サウード家にとっては実に上手く機能する、しかし我々にとっては上手く働きすぎるということはない。そこから脱出するための唯一の策とは、どちらのグループからも提案されていないこと…つまり、米国の新たなるエネルギー政策だけなのだ。

 それゆえ、私の結論はこうだ:我々は確かにビン・ラディンが死んでより安全になった、しかし、誰も安全になる者はないだろう…もちろん、まともな未来を獲得するに値するサウジ・アラビアやパキスタンの多くの穏健派ムスリムたちにとっても、安全は得られない─イスラマバードとリヤドの支配者たちが、異なる駆け引きを行わない限りは。
http://www.nytimes.com/2011/05/11/opinion/11friedman.html?ref=thomaslfriedman

*K-12:幼稚園(KindergartenのK)から始まり高等学校を卒業するまで無料教育の受けられる13年間の教育期間」のこと[米国・カナダ]

(写真は2009年6月、オバマ大統領のサウジ訪問)


 

 

Wednesday, June 1, 2011

アル・カイダのパキスタン海軍への浸透…を報じたジャーナリスト、Syed Saleem Shahzadが殺害される- Pakistani Journalist Syed Saleem Shahzad is slain


パキスタンのジャーナリスト、サイード・サレーム・シャハザッドSyed Saleem Shahzadが殺害される
─パキスタン海軍上層部のアル・カイダとの関与を暴露後─

 パキスタンのカラチの海軍基地への武装勢力による襲撃と、治安勢力による掃討戦の詳細なレポートを報じた直後に、Asia Timesの記者Syed Saleem Shahzadは誘拐され、拷問により殺害された。911以来パキスタンの諜報部や、タリバン、アル・カイダについて驚くべきインサイド情報を暴露してきたオンラインジャーナルで、パキスタン支局長として常にトップ記事を執筆していた人だ。

 この記事の掲載の後Saleem Shahzadはパキスタンの諜報部から脅迫を受けていると人権団体Human Rrights Watchに訴えていたという(同諜報部は、関与を強く否定している)。6月1日に、彼の行方不明が報じられた後、殺害はあっという間のことだった。カラチでは水曜日に彼の埋葬が行われたと報じられた。


  特にここ数年、Asia Timesを強く特徴づけていたパキスタンの過激派に関する彼の頻繁なレポートは余りにも詳細で、ここまで書いてよいのだろうか?としばしば危惧も感じざるを得なかった(当blogでも何度か翻訳を掲載…)気概と勇気で常に真実を伝えてくれていた、ジャーナリストが殺害されてしまった

(以下は彼の最後の記事の翻訳です)
 

Al-Qaeda had warned of Pakistan strike
アル・カイダ、パキスタンに対する攻撃を警告 By Syed Saleem Shahzad (5/27, Asia Times Online)


イスラマバードにて─
 5月22日に、アル・カイダとの関係性の容疑で逮捕された海軍軍人らの釈放をめぐり、アル・カイダとパキスタン海軍との間で行われていた交渉が失敗した後、アル・カイダが厚かましくもカラチのPNS Mehran naval air stationを攻撃したことを、AsiaTimesは暴露した。

Sayd Salem Shahzad

 パキスタンの治安勢力は、海軍基地がひと握りの重武装した武装勢力による急襲を受けた後に、15時間にわたって同基地での掃討作戦を行った。
 幾人かの攻撃者たちは、何千人もの軍兵士による警戒線を抜けて逃亡する前に、少なくとも(基地の内部で)10人を殺害し、2機の米国製P3-C Orion哨戒機(一機あたり3千6百万米ドルに値する)を破壊した。

 公式発表では武装兵士の数は6名で、うち4人は殺害され2人は逃亡した。しかし非公式情報では、10人の武装兵士がおり、6人が逃亡したとも言う。Asia Times Onlineによる確認では、攻撃者らはアル・カイダの作戦部隊であるIlyas Kashmiriの313 Brigade(第313部隊)から来たのだという。

 先月、海軍のバスへの3回の攻撃で乗っていた9人が殺害されたが、これは拘束されている(海軍の)容疑者らに関するアル・カイダの要求を受け容れるように、との海軍関係者らへの警告の銃撃だった。

 5月2日の、パキスタンでのオサマ・ビン・ラディンの殺害が、アル・カイダの複数のグループのあいだで、カラチ攻撃を行う、というコンセンサスに弾みをつけた─それは彼らのリーダーの死への報復であり、また同時にパキスタンのインド海軍に対する哨戒のキャパシティ(偵察の能力)に打撃を与える、という目的のためだった。

 しかしその深層に横たわる動機とは、海軍組織の内部におけるアル・カイダの同盟者らへの大規模な弾圧に対するリアクションだった。

好戦性の噴火山 Volcano of militancy 数週間前に海軍諜報部は、この国の最大の都市であり、重要な港であるカラチの数箇所の海軍基地の内部で活動する、あるひとつのアル・カイダのセルの動きを追跡していた。「イスラム的な感情は軍の中でも共通して(普通に)みられるものだ」と、ある匿名の海軍上級幹部(メディアに対して話すことを許可されてはいない)は、Asia Timesに語った。

 「我々は、そのことに決して脅かされたりすることはない。世界中の全ての武装勢力は、米国人だろうと、英国人やインド人だろうと、宗教から─ 彼らが敵と戦う上での動機となる何らかのインスピレーションを得ているものだ。そして。、パキスタンは二国主義の概念のなかで建国された─すなわち、ヒンズー教徒とイスラム教徒は二つの別の国民だという考えであり…それゆえ、誰もイスラムやイスラム的感情をパキスタンの軍から切り離すことはできないのだ」、と彼はいう。

 「そうはいっても、我々はカラチの異なる複数の海軍基地が、不穏な仕方でグループ分け(grouping)されるのをみていた。誰も軍の兵士らを、彼らが宗教的儀式を行ったりイスラム教を学んだりしたからとの理由で妨害することはできないため、そのようなグループ分けは軍の規律に反するものだ。それは怪しい活動をチェックするための、海軍における諜報作戦の始まりだった」。

 その軍人は、そのグループ化が軍のリーダーたちの意に反しており、またイスラム武装勢力に対峙する上での米国との繋がりにも逆らうものだと説明した。米国から訪問している米国政府関係者らへの攻撃を示唆するいくつかのメッセージが傍受されたとき、諜報部は行動にでるためのよい理由付けを得て、そして最低10人の人々(主として下級軍人であるが)に関する慎重な評価が行われた後に、彼らは数々の活動の容疑で逮捕された。

 「それが大きなトラブルの発端だった」と彼はいう。
 逮捕された者たちは、カラチの首相公邸の裏にある海軍諜報部のオフィスに抑留されていたが、適切な尋問が始まるよりも前に捜査の担当者は、それらの男たちがどこに拘束されているかを知っている武装勢力からの、直接的な脅迫を受けた。

 抑留者たちはすぐにより安全な場所に移されたが、脅迫はなおも続いた。この件に関与した軍幹部たちは武装勢力が彼らの行う尋問を恐れていたことを信じている─武装勢力はそれによって、海軍の内部の内通者ら…彼らに忠実なより多くの者たちの逮捕に繋がるかもしれないことを、怖れていたのだろうと。武装勢力はこのため、もしも拘束者らが解放されないのなら海軍施設が攻撃されることを、明白に宣言していた。

 武装勢力が常に、容疑者らがどこに拘束されているかを知っていたことから、彼らが確たる内部情報を得ていたことは明白であり、それは海軍上層部への大規模なアル・カイダの浸透を示唆していた。ある海軍の上級幹部会議が召集された際に諜報官僚らは、その件はとても慎重に(機密的に)扱われるべきで、さもなくば結果は破滅的になる、と主張した。その会議の出席者らはすべてそれに同意し、そしてアル・カイダとのコミュニケーションのライン(チャネル)を開くことが決議された。

 Abdul Samad Mansooriは元学生組合の活動家だったが、今は313 brigadeの一員で、元々カラチの出身だが今や北ワジリスタンの部族地域に住んでいる─彼は当局からのアプローチを受け、そして、当局とアルカイダとの間の対話が始まった。アル・カイダは軍人らに対しての尋問を行わずに即時解放することを要求した。しかしこれは拒絶された。

 抑留者らは家族と話すことを許され、よい取り扱いをも受けたが、諜報関係者らは彼らを十分に尋問して、アル・カイダの浸透の度合いについての情報を得たい、という必死の願いを持った。武装兵士らには、もしも尋問が終わったなら抑留された軍人らは兵役を解かれて解放されると伝えられた。

 こうした出来事は、ひとつ以上のアル・カイダのセルが海軍でトラッキング(追跡)されていたことを物語る。こうした問題が公けに訴えられないなら、NATOの物資供給ラインは新たな脅威に直面するだろう、と危惧された。NATOのコンボイは、ひとたびカラチからアフガニスタンに抜けようとすれば日常的な攻撃を受けた─今や、彼らはカラチ港でも危険に晒される。同市の海軍施設をしばしば訪れる米国人らも、また危険に晒されることとなる。

 これにより、更なる弾圧作戦が実施されて、より多くの人々が逮捕された。拘束された人々は多様な民族的バックグラウンドから出ていた。ある海軍司令官は南ワジリスタンのMehsud部族出身であり、Tehrik-e-Taliban Pakistan (Pakistan Taliban) のリーダー、Hakeemullah Mehsudから直接の指示を受けていた、と思われた。他の者たちはPunjab 県と Sindh 県の首都Karachiから来ていた。

 ビン・ラディンがイスラマバードの北60キロのAbbottabadで米国のNavy Seals によって殺害された後、武装兵士たちは大きな行動を起こすための時期が熟した、と決断した。

 1週間のうちにPNSのMehranは、地図や、別の脱出口・接近のためのルートを昼間や夜間に撮影した写真を供給した─それは軍機格納庫(hanger)のあり場所や、表にいる治安勢力からの予測される反撃の詳細を示していた。

 結果として、武装勢力は重度に警戒された施設に入り込むことができ、そこで最初のグループが軍の偵察機をターゲットに破壊し、2番目のグループが最初の攻撃を仕掛け、3番目のグループは他の者たちが援護射撃をするなかで最後に逃亡した。そこで逃げ切れなかった者たちは殺害された。
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/ME27Df06.html
Syed Saleem Shahzad is(was) Asia Times Online's Pakistan Bureau Chief and author of Inside al-Qaeda and the Taliban: Beyond Bin Laden and 9/11


http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df04.html
EDITORIAL-Justice, not words

http://www.huffingtonpost.com/2011/06/01/syed-shahzad-murdered-pak_n_869555.html
Syed Shahzad, Murdered Pakistani Journalist, Buried

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF01Df03.html
Asia Times Online journalist feared dead (6/1)

http://www.atimes.com/atimes/south_asia/mf01df02.html
Asia Times Online journalist missing

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df03.html
Target: Saleem By Pepe Escobar

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df07.html
Tributes to Saleem

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df08.html
Pakistan - silencing the truth-seekers
"Saleem, 40, disappeared on his way to a television interview in Islamabad on Sunday evening. On Tuesday, police said they had found his body in Mandi Bahauddin, about 150 kilometers southeast of the capital. There were indications that he had been tortured. He is survived by his wife, Anita, and two sons aged 14 and seven, and a daughter aged 12.”

http://www.washingtonpost.com/world/asia-pacific/pakistans-spy-agencies-are-suspected-of-ties-to-reporters-death/2011/05/31/AGhrMhFH_story.html
Pakistan’s spy agencies are suspected of ties to reporter’s death

 彼の近著 Inside al-Qaeda and the Taliban: Beyond Bin Laden and 9/11 http://www.plutobooks.com/display.asp?K=9780745331010


R.I.P Mr. Shahzad








*過去のSyed Saleem Shahzadの翻訳記事(当blog)
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/08/baitullah-dead-or-alive-his-battle.html
ベイトゥラ・メスード死す?/Baitullah: Dead or alive, his battle rages
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/11/pakistans-military-stays-march-ahead-by.html
パキスタン軍拡大と、反大統領デモの可能性/ Pakistan's military stays a march ahead

Tuesday, May 31, 2011

核兵器の拡散を抑制したい?それなら、民主主義をおし進めよ。Want To Stop Nuclear Proliferation? Encourage Democracy.By Christopher Hitchens

Want To Stop Nuclear Proliferation? Encourage Democracy.
Ignore the shady people promoting sinister theories to the contrary.
核兵器の拡散を抑制したい?それなら、民主主義をおし進めよ。
…悪意のある逆の理論を主張する怪しげな奴らを気にするな。
By クリストファー・ヒッチンズ(5/23、Slate.com)
 (写真:Dr.A.Q.Khan)

 核拡散によって不当に利益を得る者たちの側から、よい行為についてのレクチャーを受けることはとても不愉快だが─しかし、もしもあなたがそこでじっとして、自分の嘔吐した物を飲み込めるなら、そこで学べるレッスンというものもある。

 4月27日にNew York Timesは、「王の中の王 "King of Kings"」、狂気の扇動者の娘、Aisha el-Qaddafiの長いインタビュー(*)を掲載していた。Saddam Husseinの法的弁護団のメンバーとしても働いた彼女は─その経験からは彼女はほとんど何も学ばなかったようだが─まさに国際刑事裁判所にも名前を言及された経験をもっているわけだ。反乱的な裏切り者たるリビア人たちの特性をあれこれと語りながら、彼女はどうにか過去についての興味深い回想を織り交ぜていた:

 彼女は、彼らの運動を彼女の父親が支持していたアラブ人たちの「裏切り」について、また彼が大量破壊兵器を明け渡した西欧の同盟国らについて不満を述べていた。「これが我々の得た報酬なのか?」と彼女は問うた。「このことによって、大量破壊兵器を持つすべての国が今後それを保持し続けるかもしれないし、あるいはそれをより沢山作ることによって、リビアのような運命を辿らないようにするかも知れない」(註:リビアのQaddafi大佐は、ブッシュ政権によるサダム・フセイン政権の転覆をまのあたりにし、核開発プログラムを断念、2003年に核備蓄を全て米国に明け渡し、外交路線を急に親欧米に転じた…)

 先週の末にNewsweekに寄稿された記事 http://www.newsweek.com/2011/05/15/pakistan-s-a-q-khan-my-nuclear-manifesto.html で、パキスタンの有名なA.Q. Khan(博士)が同じような論点を主張していた─核兵器を第3国に売る上での彼の役割には少しも触れもせずに…。その論点とはこうだ:

 核保有国として、軍事攻撃や占領にさらされた国、あるいは国境線を引きなおされたような国がひとつも存在しない、という事実を看過するな。もしもイラクとリビアが核保有国であったなら、それらの国が我々が最近目にしたような仕方で破壊されることはなかったろう。もしも我々(パキスタン)が1971年以前に核の保有能力をもっていたら、我々は我々の国土の半分─ 現在のバングラデシュを、不名誉な敗北の後に失うことはなかったろう。

 私が今、彼らの言葉を引用した二人のいかがわしいキャラクターはもちろん、手前勝手な理論を展開しているのだ。(肩をすくめさせるKhanの主張は、我々に─パキスタンがいかにバングラデシュの民族虐殺でその通常兵器を改良することができたか、そしてさらに、インドの街々を破壊するとの脅迫にさえも用いることができたかを、静かに思い出させる)しかし、この論議は色々な形で、より尊敬できるフォーラム(公開討論の場)でも繰り返し言及された。広く過大評価がされているMohamed ElBaradeiは、その最新著『The Age of Deception』において、大方の”ならず者国家”の核兵器に関する非行行為はアメリカ合衆国のせいだとしている。たとえば、リビアの保有した核兵器… 彼がIAEA(国際原子力委員会)での任期中になんとか無視し続けたすべての存在は…1986年の米国によるトリポリ空爆への返答、として「本当に」獲得されたものだといっている。彼はQaddafiとの会合で、Qaddafiが「彼がリビアを発展させたい、との願いを誠実に語った」とも言及している。

 カーネギー国際平和基金のGeorge Perkovichもまた、そのElBaradeiの著書についての優れた書評 http://www.washingtonpost.com/entertainment/books/mohamed-elbaradeis-the-age-of-deception-on-nuclear-diplomacy/2011/04/21/AF6rlmAG_story.htmlの中で、彼のイランと北朝鮮に対するこの上なくお目出たいナイーブぶりを引用している。イラン上層部のMullah(宗教指導者)らが…もしもMahmoud Ahmadinejad大統領がワシントンとの何らかの合意を達成したならば、彼の後につこうと計画している、と知って彼はこうコメントする─「私は溜息をついた。テヘランはワシントンの政治に追従するべく、余りにも時間を費やしすぎたと私は思った」。そんななか、一方でKim Jong-ilの政権は「孤立し、窮乏し、米国によって深く脅かされていると感じているが、それでもなお反逆し続ける」。確かに、反逆ぶりは十分だ─ そのミサイルを発射テストのために核非保有国である日本の本土の上に警告なく発射し、太平洋の水面に「着水させ」ようとするとは。

 これらの、緩く連携した繋ぎ目が─もしも米国がより寛大な戦略を選び、独裁者たちに核保有に走らせるようなニーズや怖れへの、より一層の認識を示したような場合に─それ自身、より理性的な振る舞いをするかどうかは、シリアスな論議となる。我々はひとつ、確かなことを知っている。これまでに、政権転覆へのざらついた問いに直面することなく、核開発プログラムを放棄した国はないということだ─そうした国々はこのことを自発的に行えるか、或いは強迫的な衝動のもとで手をつけるか、のどちらかだ。それを行った二つの偉大な国々の例といえば、ブラジルと南アフリカ─冷戦の最後の時期に核開発の長い道のりを辿り始めた二つのとても影響力のある国々だったが、核兵器がより温かくより緊密なグローバル・ファミリー(国際社会)への合流への障害となる、と決断した国々だ(廃棄された核兵器のパーツから作られた「swords into ploughshares」の彫刻http://www.unis.unvienna.org/unis/en/visitors_service/art_tour_swords2ploughshares.htmlは、1994年にIAEAのオフィスに贈られた)

 これまでに、ブラジルか南アフリカを外部勢力によって脅かした者は存在しない。むしろ核の放棄は、これらの二つの旧独裁国が民主的な変貌に同意したことの一部分だった。飴から鞭へとポリシーを転換しながら、Saddam Husseinが狂気のもとで国連決議遵守を拒否したことは、彼の国が強制的かつ包括的に「(国連の)査察を受けた」ことを意味していた。これはリビアの(Qaddafiの)場合には、トニー・ブレア英国首相とジョージ・ブッシュ大統領に接近して、兵器(膨大な貯蔵原料と、余り多くない最終製品または使用可能な兵器類…)の「明け渡しを」行った。これらの発見品に対する査察は、これらの物の非常に多くが我々の「同盟国」パキスタンのみから来ていたという事実を認識させた。結果として、A.Q. Khanのネットワーク… それは北朝鮮と、おそらくシリアとも取引しており…またElBaradeiと IAEAの注視の目をも逃れていた─ が確認され、そして部分的にシャットダウン(閉鎖)された。核拡散防止のタームにおいては、このことの過程は何らかの成功事例として捉えられるべきだ。同じことが最近のイスラエルによるシリアの秘密施設の破壊にもいえる─それはIAEAによって、遅ればせながら核施設であったと認められている…それに続く、困惑したシリアのBashir Assad大統領による抗議をなんら引き起こしもせず。

 残るケースを吟味してみると、核兵器開発プログラムと政権のキャラクターとの継続的な関連性に気づかずにいることは不可能だ。北朝鮮の核兵器とはその国の、いじけた発育不良の、飢餓に瀕した、孤立したキャラクターと、同国が引き続き半島における黙示録的な結果に至る危険性を冒し続けるという意欲の完璧なシンボルである。イランの開発プログラムとは、明かにMullahたちが地域的な軍事的脅迫を行う政策を推し進めるよう設計された(そしておそらく、彼らのより一層、非理性的なメシア[救世主]思想と、反ユダヤ主義の衝動を楽しませる)ものである。しかし北朝鮮は、すでに通常兵器だけでも韓国の大半を破壊できるポジションにあり、そしてテヘランも、現存の軍備でより小さな湾岸諸国を容易に脅迫することができるし、それを行っている。パキスタンも引き続きインドをそれ自身の兵器庫で脅し続けることが可能だが、しかしニュー・デリーからの反撃によるセカンド・ストライクがその国を完全に破壊できる可能性への弱みをもつ。かくして未来における対立と、潜在的な脅迫の方向性は、すでに独裁政権自身の手によらずに決定されている。Aisha Qaddafi とA.Q. Khanがもっと別の方向性からの脅威をほのめかしたり、核の兵器庫がそれらの独裁政権の安全性を無期限に保障することができて、そうするだろう等というのは間違っている(そうしたロジックは結局のところ、テヘランの核施設への先制攻撃へのライセンスを与えることになるだろう)。違法に獲得された核兵器は、近隣の国々と国際法に対する大きな脅威かつ、重荷であり続けるが、歴史はそれが攻撃的な国(犯罪国家)にとっては殆ど支持し続けられず、長期的にみても、その国の専制君主のライフスパンを短くする傾向があることを示している。これまでのところ、武装解除と民主主義化が、彼ら自身を自然な同盟者に見せてきた、ということはよいことだ。
http://www.slate.com/id/2295332/
(*Aisha el-QaddafiのNYTのインタビュー
http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/africa/27aisha.html

Wednesday, May 4, 2011

マッドマンの死- オバマが次に何をするのかが、オサマ・ビン・ラディンの遺産(レガシー)を決める Death of a Madman- By Christopher Hitchens


マッドマンの死- オバマが次に何をするのかが、オサマ・ビン・ラディンの遺産(レガシー)を決める - By クリストファー・ヒッチンズ
Death of a Madman- 
What Obama does next will help define the legacy of Osama Bin Laden (5/2、Slate.com)


 パキスタンには、快適で小さなアボタバード(Abbottabad)のような街というものが、数ヶ所ほど存在する。Rawalpindi(パキスタン軍の高級将校たちの要塞都市で、2003年まではKhalid Sheik Muhammedの安全な棲み家でもあった…)から続く山々に向かう道沿いに数珠のように連なる、Muzaffarabad(*ムザファラバード:パキスタン領カシミールの州都)や Abbottabad(アボタバード)には…夏も冬も涼しく、素晴らしい眺望と、慎重なるアメニティがある。彼自身の名をAbbottabadの街に与えた、Major James Abbott(アボット少佐)のような英国人植民者らは、それらを「ヒル・ステイションhill stations*」と呼んだが、それは将校らの休息とレクリエーションのためにデザインされていた。そのアイディアの持つ魅力(そのロケーション自体といった)は、パキスタンの将校たちの間でも生きながらえて来た。
(*カリド・シーク・ムハマッド:911テロの主な計画立案者。
*ヒル・ステイション:アジア南部地域の植民地にイギリスが設けていた避暑地で、役人やその家族が利用した)
 もしもあなたが今、Abbottabadの、壁に取り囲まれた結構快適な屋敷に滞在していると私に言うならば、私はあなたが、毎年数十億ドルの資金援助を米国から得ている軍の組織から、尊敬すべきゲストとして迎えられていると告げられるだろう。その純粋なあからさまぶりというものが、一息つかせてくれる。

 そこにはおそらくパキスタンの、アル・カイダとのオフィシャルな共犯性の決定的な証拠が得られたという些細な満足感があるが、しかし全般的には、拍子抜けしたという感覚を強めるだけだ。結局のところ、アメリカがビン・ラディンに餌を与えている同じ手に、惜しげもなく餌を与えていたことを知らなかったのは誰なのだろうか?そこには、小さな勝利もある、我々の古い敵(オサマ)は英雄的なゲリラ戦士などではなく、失敗したならず者国家を支配する、腐敗した、悪質な寡頭政治のクライアント(得意客)だったということだ。

 しかし再び言うが、我々はこのことを既に知っていた。少なくとも我々は、彼の最もよく知られた残虐行為の10周年を記念するにやにや笑いのビデオがもたらされるのを、我慢する必要はない。しかし考えてみるがいい、彼は最近、いかなるテーマに関するコミュニケも発表していなかった(このことは、少し前には私に…彼が本当に死んではいないか、あるいは偶然、以前に殺害されているのではないのか、という疑問を持たせた…)、そして彼のグループと彼の思想による最も憎むべき仕事は彼の後継者の世代によって、たとえばイラクにおける彼の比類なく無慈悲なクローン、Abu Musab al-Zarqawiらによって実行された。私は私が、ビン・ラディンがZarqawiの場合と同様に、最後のわずかな瞬間に、彼を発見したのが誰なのか、裏切り者は誰だったのかを知る、少しの間合いを持っていてほしかったと願っているのに気づく。それは、何かを意味するだろう。そんなに大したことではないが、何かを。

 人々が「iconic 聖像のような」ということばで苛立たしげに彼を呼ぶとき、ビン・ラディンに確かに並びうるライバルは居ない。彼の容貌の、不思議で、退廃的な、うわべの高貴さと偽の精神性は驚くほどテレビ写りがよい─そして彼のカリスマ性が、最近、ムスリム世界を変貌させている革命の新たな定義というものにおいても、果たして生きながらえ得るのか、は非常に興味深い。しかし、すべての印象のなかで最も執拗に持続するものは、彼の純粋な非理性(irrationality)だ。この男は、自分が何をしていたと思っていたのだろう?10年前に彼は、小さなAbbottabadの街の要塞の壁の中に彼がいることを予測しただろうか、あるいは少なくとも、それを望んでいたのだろうか?

 10年前には ─思い出して欲しいのだが─ 彼は巨人的な影響力を、ならず者の失敗国家・アフガニスタンで行使しており、そして隣国パキスタンにも影響力を拡大しつつあった。タリバンとアル・カイダのシンパサイザーたちはパキスタン軍の上級幹部ポジションにあり、核開発プログラムはまだ余り察知されていなかった。巨額の財政的補助金が彼にもたらされた─しばしば、サウジアラビアや他の湾岸諸国などのオフィシャルなチャンネルを通じて。国際的なニヒリストのネットワークと共に彼は、銀行業とマネーロンダリングの巨大で利潤性の高いネットワークをも運営していた。彼は白昼の下で、アフガニスタンの仏教の宝を破壊しに向かうための重火器をオーダーできた。インドネシアからロンドンにいたる、連携したマドラサ(*イスラム神学校)では言葉を広めていた…まるで未来の殺人者を育てる訓練キャンプの連携であるかのように。

 彼は、すべてのこうした戦略的に熟したアドバンテージを、たった1日でギャンブルに賭けた。そして、彼はアフガニスタンから逃れたのみならず、彼の幻惑された追随者たちが、非常に数多く殺される状況を残した、しかし彼は人目を忍ぶ影のごとき存在であり続けることを選び、成功裏の秘密の「暗殺」に出逢う、または金で買ったり買われたりの裏切りに逢う確率が、日々をより長くしていった。

 彼は、彼自身の気ちがいじみたプロパガンダを本当に信じていたものとみえる ─しばしば、テープやビデオにおいて概略が示されているものを…特にアメリカがソマリアから撤退した後には。西欧は…と彼は言い続けた…腐敗に冒され、ユダヤ人の陰謀団とホモセクシュアルによって動かされている。それは抵抗する意思もない。それは女性化し、臆病になっている。大きな破壊的な一撃の後で、他の大建築物は徐々に、塵埃のシャワーにまみれたツイン・タワーに追随するだろう。いいだろう、彼と彼の仲間の精神病者たちは北米と西ヨーロッパで何千人も殺害することに成功した、しかし過去数年間における彼らの主要な軍事的勝利は、アフガニスタンの女子学生や、シーア派のムスリム市民、そしてチュニジアやトルコの無防備なシナゴーグなどに対するものだった。その背後には、偶々近くに居合わせた人々に対するより無差別な死刑宣告を許す、もっと軽侮すべきリーダーか、司令官がいたのだろうか?

 神政主義的な非理性とは、あまり珍しくはないし、このような敗北を遂げることは、それを魅力のないものにする。大言壮語を吐く者は引き続き、この地域でインスタントな世論調査を行い、人々が彼を聖なるシーク(首長)に看做しているなどといった、たわ言を唱えるだろう。(こうした世論調査が、立憲民主主義を求める地元民の欲求を掬い上げないのは、不思議なことだ。)運がよければ、ビン・ラディンは「本当に」死んではいない、というような発狂したような噂も発生することだろう。よかろう、彼は既に彼の与えるはずだった最悪のダメージを与えた。現実世界で描写できる全てにおいて、彼の戦略はすでに、抗体と敵対者たちを創造してきたか、あるいはこれ以上観察可能な、これに匹敵する状況は存在しないだろう、あるいは最低でも収益最大化のポイントを超えたことだろう。

 Abbottabadの殉教者はもはや感じ得ないだろうが… 彼の、生きながらえ競争しあう下位の人間たちが抱く総統(指導者)コンプレックスは、恐らく今エキサイティングな自由を満喫しているだろう。しかし、あのAbbottabadのシェルター施設の、ユニフォーム(軍服)をきた、匿名のパトロンたちは今だに大いに我々と共にあり、そしてオバマのスピーチは…もしも彼がこの追跡劇を不必要なほど長きにわたる、骨の折れる、費用のかさむものにしたその同じ人々を我々がさらに武装させ、資金援助しつづけるように期待するなら、まったく無意味なものだ。
http://www.slate.com/id/2292687/






Pakistani seminary students in Quetta rallied against the killing of Bin Laden.

(bottom): A Pakistani family looked at the compound in Abbottabad

ムンバイのテロへと繋がる、新たなスパイのリンク New spy links to Mumbai carnage - By Gautaman Bhaskaran


ムンバイのテロへと繋がる、新たなスパイのリンク By ガウタマン・バスカラン (4/22、Asia Times

 1947年にインド亜大陸がパキスタンとインドに分割されて以来、一度も平和的な関係になかったこの両国は数回にわたる戦争をし、何年か前には致死的な核戦争と破滅の一歩手前にも至った。今再び、その緊張が高まる可能性がある。裁判関係の書類が来月シカゴで行われる裁判を前に浮上しているのだが、そこでは2人の男がムンバイでの殺戮事件の頭脳として告発されており、彼らはパキスタンのスパイとして働いていた、と認める可能性がある。

 2008年11月26日、イスラム武装兵士らがインドの金融の首都に海から上陸して、5ツ星ホテルと繁忙な鉄道駅、人々に人気のあるカフェと、ユダヤ人のコミュニティ施設をターゲットとして虐殺を実行した。

 その攻撃によって200人近くの人が死亡、その2倍の人が負傷して心理的な傷を負った。Ajmal Kasabは暗殺者のなかで唯一人生きて捉えられたが、彼は彼と他の者たちがパキスタンを拠点とするテロ組織Lashkar-e-Taibaに属していることを認めた。
 Kasabは法廷で裁かれ、そして今はインドの刑務所で絞首刑を待っている。

  (←*Ajmal Kasab)
 5月16日に、シカゴで開かれる法廷裁判に出頭するはずのパキスタン系カナダ人Tahawwur Hussain Ranaは、ムンバイのテロ…11月の黒い夜に頂点を迎えたその作戦を目的に、武装兵士をスカウトをするための書類を偽造した、との罪を問われている。Ranaと彼の古い友人David Coleman Headleyは、彼らがムンバイでテロの恰好のターゲット探しをしていた際にテロリスト仲間を幇助したとの容疑で、イリノイ州で米国FBIに捉えられた。

 Kasabは法廷で彼がLashkarのために働いていたことを認めたが、インドの捜査当局はそのことには懐疑的だ。彼らはパキスタンの諜報機関ISIもまた、ムンバイの大虐殺に手を染めていたことを確信していた。ニューデリーの政府は、何年にもわたって有名な男たちがISIの為に、あるいはISIの中で働いていた事を知っており─それはパキスタンの、例えばLashkarのような反政府グループとも強い繋がりを持っていた。端的に言って、ISIは死のダブル・ゲームに従事するダブルエージェントを持つ、スパイ組織だった。ISIはまたパキスタン軍とも関係しているが、イスラマバードの政府はこのコネクションを一度も断ち切ることはできなかった。

 今やRanaの裁判は、こうした事の全てを立証するのかもしれない。オブザーバーたちがこの裁判で最も顕著な成果として出るかも知れないと信じるのは、ISIの共謀の事実に関する反論の余地なのない証拠だ。法廷の書類によれば判事たちは、RanaとHeadleyがLashkar と ISI双方のために働いていた事を告白させたと言う。 (*David Coleman Headley→)

 Hadleyは既に彼がISIのために働いていたと認めたが、しかしそれは、大陪審に対する秘密証言として行われた。「私もまた彼(Rana)に告げた…私がISIのためにスパイ活動をして欲しい、と頼まれていたことを」。Hadleyは何もかも白状したと伝えられる。何年か前に、彼は第一に電気椅子を逃れるためにFBIの情報屋となったのだが、シカゴでのヒヤリングにおいて彼は彼のムンバイの流血への関与をすべて白状することが期待される。彼のムンバイ攻撃への視察プランに関して予測される供述は、Ranaの容疑を裏付ける決定的な証拠となるかもしれない。Headleyの証言は恐らく彼がいかにして彼のパキスタン名を変え、Lashkarとの繋がりを培ったのか、ムンバイの予定地をどうやってビデオ撮影したのか、巨大な人口を抱えるメガシティへの出発前にどのように暗殺実行者たちに計画を説明したのか、などを含むだろう。

 Ranaは長年のカナダ市民であり、北米への移民を望む南アジア系男女にコンサルティングを提供していた。彼の会社First World Immigration Servicesはシカゴを拠点としている。Ranaはなぜ、Headleyが移民コンサルタントとしてインドに入国するための書類を得られるべく助けたのかを、最善を尽くして説明しようとした。しかし最近では、Ranaは愛国的なパキスタン人で、ISIには彼の援助が必要だという考えを、強制的に抱かされたのだと述べた。彼はそのため、外交特権による免責を得られるだろうと感じている。

 しかし全く運の悪いことに、RanaとHeadleyがムンバイの殺戮事件の直後、預言者ムハマッドを風刺したデンマークの漫画家を殺害するための計画を話し合っているテープがアメリカの検察官らの手に渡ってしまった。

 RanaおよびHeadleyの告白は、インドとパキスタンの既にぐらついている関係をさらに緊張させる可能性がある。両国は最近、Mohaliで開かれたワールドカップのセミ・ファイナルにおける両国間のクリケット試合によって新鮮な空気を注入されたところなのだが。その際はホームチームが勝利し、そして最後にムンバイにおいて、スリランカチームを相手に優勝カップを奪うこととなった。Mohaliでは両国の首相、Manmohan SinghとYusuf Raza Gilaniが両チームの戦いの観戦に耽った─それが「クリケット外交」と呼び慣わされるに至ったにも関わらず。二人のリーダーは夕食を共にして、平和のために努力を続けることを誓った。

 だが試合から間もなくその努力は、パキスタンのクリケットチームのキャプテン、Shahid Afridiが行った攻撃的な発言のために無駄にされたようにも見える。彼は帰宅した瞬間にインド人が浅はかで心根が狭いと言い、そしてインドのメディアは無意味なことを誇張してドラマ仕立てに扱った、と厳しく非難した。

 興味深いことに、クリケット外交によるその前回の密会すらも失望を招いた。前のパキスタンのリーダーたちもインドに行き、彼らのチームがインドのチームと対戦するのを見た。1987年にはZia-ul-Haqが、2005年にはPervez Musharraf が。こうしたバットとボールのサミットからは、何も生み出されなかった。

 そうだ、勿論AfridiはニューデリーとイスラマバードがMohaliで培ったかもしれない小さな希望を無駄にした。しかし、RanaとHeadleyの裁判において吐き出されようとしている新たな証拠は、平和を見出そうと試みる二つの核保有国をさらに難しい状態に置くことになるかもしれない。

Gautaman Bhaskaran is an author, writer, columnist and film critic based in Chennai.
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MD22Df01.html

「パキスタン・ISI」関連記事…

パキスタンはなぜ、アメリカを憎むのか?──それは我々が頼りだからだ By Christopher Hitchens
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/01/why-does-pakistan-hate-united.html

タリバン指導者の逮捕と、パキスタンが求める「ストラテジック・デプス」By Shibil Siddiqi
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/04/strategic-depth-at-heart-of-taliban.html

この2月、パキスタンでは〔タリバン指導者たちの逮捕〕/ In Pakistan, last February..
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/04/in-pakistan-last-february.html

Tuesday, May 3, 2011

オサマ・ビン・ラディンの逃亡:言い訳と現金の物語 Osama bin Laden's escape: A tale of subterfuge and hard cash - By By Tim Lister

オサマ・ビン・ラディン殺害の約1週間前…WikileaksによるGuantanamo Bay尋問ファイルの公表で
急に不思議な詳細が明らかにされた

Osama bin Laden's escape: A tale of subterfuge and hard cash - By By ティム・リスター (4/28, CNN)
オサマ・ビン・ラディンの逃亡:言い訳と現金の物語

 ─オサマ・ビン・ラディンは2001年12月に、彼のアフガニスタンの隠れ処の周辺に迫った底引き網をいかに逃れたのか?

 それは諜報関係者の間でも、また、私自身も含めTora Boraでの米軍の2週間近い集中的砲撃を目撃した者の間でも、長らく論争の的となってきた。多くのアナリストたちはビン・ラディンが山岳の合間の峠道を通って、ほんの数マイル先のパキスタンに抜けたと指摘してきた。しかしグアンタナモ・ベイ収容所抑留者の供述によるassessmentでは彼が別の方角に向かい、北部同盟のムジャヒディーンたちや、12月8日前後に我々がそのエリアで最初に目にした米軍特殊部隊の少数の派遣部隊の手から逃れたと示唆されている。

 抑留者らにおける評価推定は今週ウィキリークスによって公表され、Washington Post紙やthe Guardian紙その他のメディアにも掲載された。

 それらの内のひとつ、2007年に収集された情報はHarun Shirzad al-Afghaniという抑留者にまつわるものだ。Al-Afghaniは当時、アル・カイダと近い関係を持つHezb-e-Islami Gulbuddinなる武装グループの司令官だった。Al-Afghaniによればアル・カイダのリーダーは、パキスタンの武装兵士で宗教家のMaulawi Nur Muhammadという人物の助けで、そのエリアを逃れたという。そして彼が言うには、ビン・ラディンはJalalabadを目指して、後には遠く離れた北東部アフガニスタンのKunar県を目指して北に向かったという。

ウィキリークス:ビン・ラディンは、現金にがんじ絡めだった

 彼のプロフィールの末尾にある短い幾つかのパラグラフには、al-Afghaniがアフガニスタンの戦争領主Gulbuddin Hekmatyarから「Tora Boraのアル・カイダの勢力と手を結び、オサマ・ビン・ラディンをその地域から隠密に脱出させよ」との命を受けたとの彼の言が引用されている。そのグループは、「Tora Boraにいるアラブ人たちとの無線によるコンタクトを失った」のだという(Hekmatyarは偶然にもいまだにこの地域の重要なプレーヤーの一人だが、タリバンと緩い連携関係を持ち、多くのアナリストが彼をアフガニスタンでのいかなる平和交渉でも重要なパートを担う者とみている)。

 そしてここに、Plan B が浮上する。Al-Afghaniによれば、Maulawi Nur Muhammadが40人から50人の武装兵士たちを、ビン・ラディンと彼の代理人のAyman al-Zawahiriを遠くTora Boraからエスコートするべく送ったという。彼の助力の後には、Abu Turab al-Urdaniと呼ばれるアル・カイダの司令官(偶々、Zawahiriの義理の息子でもある)との会見がこれに続いた。al-Afghaniの供述のアセスメントでは、「Maulawi Nur Muhammadが彼に、彼らのTora Boraから以降の約10ヶ月にわたる逃亡について語った」という。抑留者たちの協力者だったHaji Abdul Abadは─2005年の8月から9月の間にJalalabadで米国の関係者を狙い自爆テロを指揮した者だが─そのUBLの逃亡の詳細が真実である旨を証明したという(UBLは、収監者に関する書類の中でのアルカイダのリーダー名の統一的略称)。

 CNNが確認したその他のグアンタナモ抑留者のアセスメントでは、ビン・ラディンが12月11日に突然Tora Boraを発ったとされている。「UBLは、彼の選んだ少人数の者らと共に、突如Tora Boraを出発した」と、あるパートには書かれている。彼のボディガードらはその1、2日後に出発し、ホワイト山脈の地域の峠道を登ったが、そこで彼らは12月15日にパキスタンの民兵部隊によって拘束された。他の抑留者たちは(ビン・ラディンの護衛の)武装兵士らが、地元のアフガン人司令官らとの交渉に失敗した後の、12月16日前後のエクソダスについて語る。その当時にTora Bora近くに居たCNNのチームは、それら両グループの間の無線でのコンタクトに気づき、それについての報道をしているが─アル・カイダの武装兵士らを追い出すべく派遣されていた貧弱な装備の地元民兵は、明らかにその仕事には余り熱意がなかった。かくしてアル・カイダの上層幹部たちの逃亡は、そのエリアの多くの峡谷や、渓谷を通ってなされた。

 おそらくビン・ラディンは、パキスタンとの国境地帯を渡ることは危険過ぎると考えたのだろう。いずれにせよ、al Afghaniは彼が、馬の背に揺られたKunar 県への旅路を前に、Jalalabad市の近くの安全な家まで旅し、そこで休息を取ったという─Kunarは岩だらけで険しい、暴力的な場所であり、多くの観察者は治めがたい土地であるという─そこでは今でもタリバンとアル・カイダが実質的に存在し、同盟国軍は恒常的に攻撃を受けている。Al-Afghaniは、ビン・ラディンがパキスタンとの国境を渡る前に、Kunarの地に2002年遅くまで滞在したという。

 Al-Afghaniの供述の信憑性を確認することはできないが、彼は2007年2月にJalalabad近郊で拘束されるまで、アル・カイダのcourier(案内人)として、また援助者として真摯な信頼を得ていた。その書類では「この抑留者がアル・カイダの組織構造や作戦について、ユニークな情報をもたらした」とする。そしてそれは、CNNが他のソースから得た情報とも一致する。

 その頃、アル・カイダのリーダーたちと繋がりの深かった男の一人にNoman Benotmanがいる─ 当時、アル・カイダと関係をもつリビアのイスラム武装グループの幹部だった男だ。彼は911の後、ビン・ラディンに近しい別のリビア人Abu Leith al Libbiと電話連絡をとっていた。Benotman はCNN のテロリズム・アナリストの Paul Cruickshankに対し、LibbiがKabul周辺での戦闘への援助を要請した際に、ビン・ラディンの返答は「アメリカ人と戦うものは誰でも、Tora Boraにおいて我々の後に続かねばならない」と語ったのだという(Benotmanは現在、英国の反テロリズム・シンクタンク、Quilliam Foundationのシニア・アナリスト)

 彼がCNNに語った内容では、ビン・ラディンは彼自身の脱出について考えていた時、パキスタン国境の地元の人々を信用してはならないことを知っていたという─その無法地帯では犯罪者や麻薬運搬者が、アル・カイダのリーダーを米国が提示していた2千500万ドルの報奨金のために引き渡そうと考えることを躊躇するわけがなかったと。

 Benotmanは、al-Afghani の示唆したのと同様に─Jalalabad付近の部族がビン・ラディンの逃亡後の隠れ処を提供し、恐らく彼はパキスタンの部族地帯を渡る前に1年近くの間アフガニスタンに留まっていたのではないか、と語る。

 ビン・ラディンのTora Boraからの逃亡は、9月11日の攻撃と、Tora Boraの空爆の間の3ヶ月間のオデッセイ(放浪の旅)における最終ステージだった。抑留者たちのプロフィールから示唆されるのは、9月11日の直後に彼が彼の支持者らと活発に会い、Kandahar とKabulの間を旅し、そして彼の妻たちや家族のメンバーらをKandaharでの米軍の空爆から逃れるよう図っていた事だ。そして彼は莫大な現金を持っていた。ある書類が示唆するのは、彼はTora Bora の要塞地帯に向かう前に10万ドルをJalalabad周辺の地元の部族リーダーに寄贈したという。しかし彼は、熱心な支持者たちが散り散りに逃げ、あるいは拘束された中で─彼をTora Bora から逃亡させた男、Maulawi Mur Mohammedから7000ドルを借りる必要が生じた、とal Afghaniはいう。Mohammedに何が起こったのかは明らかでない。

 個人的なことだが、私が2001年のクリスマスの直前にその地域を最後に発った時、私はCNNの為に働いていたパキスタン人の「フィクサー」と共に旅をした─その地域や、地域の多くの勢力間の同盟関係、競合関係に関して百科事典のような知識を持つ男だった。我々がJalalabadからパキスタン国境へと車で旅したとき、山々が両側から茫っと立ち現れた─Tora Boraを南に、また遠いKunarの原野を北にして。我々のフィクサーは北の方角を指し示して、「そこには、人間が誰一人として足を踏み込んだことのない地域がある」といった。「私は、ビン・ラディンはそこに行ったのだと信じている」。彼が正しかった可能性は大いにある。
http://edition.cnn.com/2011/WORLD/asiapcf/04/27/osama.escape/index.html

参考記事
http://www.washingtonpost.com/opinions/the-biggest-terrorist-catch-of-the-obama-era/2011/04/04/AFBkVPcC_story.html
The biggest terrorist catch of the Obama era

"Guantanamo Files"
http://www.nytimes.com/2011/04/25/world/guantanamo-files-lives-in-an-american-limbo.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=3&pagewanted=all

http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/secret-case-against-detainee-crumbles.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=1&pagewanted=all

サウジ・アラビアによる反革命が「アラブの春」の熱気を奪う Saudi counter-revolution cools Arab Spring - By Jim Lobe


サウジ・アラビアによる反革命が、「アラブの春」の熱気を奪う
─石油価格の高騰を怖れる米国の恭順さが、湾岸でのサウジのアジェンダ実現を助ける─By ジム・ローブ (4/24, アル・ジャジーラ英語版)


「リヤドの政府とその同盟者らが描写する、中東のスンニ派・シーア派間に一層深まっているという紛争のなかで…サウジは地域のイランの最大のライバルとして台頭しつつある」

  いわゆる「アラブの春(Arab Spring)」がその6ヶ月目に入る今、それは深刻な冬の逆風に直面しているかのようだ。ウォッチャーたちのなかには、サウジとその近隣のスンニ派首長の国々を、湾岸諸国に吹きつける凍てつく風を巻き起こしている主な源として非難する人たちもいるが、米国や西欧の「価値観」と彼らの利益との間の食い違いが拡大していることが、この季節外れの悪天候を加速させているのだ。

 かくして米国政府が…バーレーン(米国第五艦隊の母港の国)の多数派シーア派住民へのますます暴力的で無差別な弾圧とは賢明なものかどうかについて、強い疑念をプライベートに表明しつつも、サウジが後ろ盾となるその抑圧に対し明白な非難を述べることに失敗した…ということが、こうしたトレンドの最も露骨な実例となっている。

 より知られていないが─非難さえもされていないことは、木曜日にUAE(アラブ首長国連邦)の政府が同国の法学者協会(Jurist Association)の幹部の会議を解散させたということだ─その会議とは同国での最も顕著な市民社会組織だったのだが…彼らは今月、先に政治的改革を求める嘆願書に(向こう見ずにも)署名していたのだ。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチは、その動きが政府による「平和的な反政府運動への拡大的弾圧」の一部であると述べたが、同国の事実上の国防大臣Mohammed bin Zayed Al Nahyan皇太子は来週、バラク・オバマ大統領に会う予定であると、金曜日にホワイトハウスが発表した。

 もちろん、オバマによるリビアの「政権交代」への拡大する軍事的投資(たとえ不承不承といえども)にも関わらず、彼が手がける─ワシントンをアラブ世界における「歴史の正しい側に置く」ための素直な努力─ というものは、ますます不首尾で偽善的なものに見えつつある。

 米国のみならず─他の西欧諸国もまた─サウジの政策、特に湾岸での政策を効果的に尊重して扱いながら、その地域で最も民主的な変革とは逆の方向へと賭けている(例えばエジプト軍への支持を強化しつつ、同時に実質的な経済援助を廃止するなど)─それによりエジプト軍が同国の防衛や外交政策、特に対イスラエル政策での支配権を維持するよう、明らかに望んでいるのが実態だ。

 そんななかで、より一層理想主義的な…チュニジアのZine Al Abidine Ben Ali大統領やエジプトのHosni Mubarakの放逐に成功したような…初期の「民主主義志向のデモンストレーション」のイニシアチブをとった若者主導の運動は、イエメンやリビアでと同様に、より狭い宗派や部族・親族の利益のために行動するより利己的な勢力に取って代わられて、周縁に追いやられつつある。

 サウジ主導の湾岸協力会議(GCC)が現状においてイエメンのサレハ大統領辞任を仲介しようとしている努力は─ワシントンはその件も何となく、不承不承に認めているのだが─ひとつのエリートのグループが…民主主義的な自由や自治拡大といったことに何らの展望も持たない、別のエリートのグループに取って代わられるだけの結末を生む可能性もある。

 「米国は、現在の状況に関して主に語られる説明(ナレーティブ)、…つまり民主主義者と、抑圧者が今後もこの舞台を演じていくだろう、ということ…そしてそれが、部族vs.部族の争いや、持てる者vs.持たざる者の争い、あるいはより悪くすれば、イスラムvs.十字軍のキリスト教徒の争い…などに取って代わられていく恐れはないだろう…との確信をもっているのか?」と前・米国土安全保障省長官のMichael Chertoffと前CIA長官Michael Haydenは、金曜日のワシントンポスト紙で問いかけている。

石油、武器、そしてイラン問題 

 地域の明らかな反革命勢力であるサウジアラビア王国に対して表された尊重の念は、多くの要素によって説明される─それは少なくとも同国が、米国で石油価格がガロン当たり4ドルの高値に達したなかでの、日和見主義的な世界的産油国という役割だけからなされる説明ではない。米国の政治アナリストたちは、オバマの再選へのチャンスは─現状ではその可能性もとても高いが─来年のこの時期までに石油価格が下がることなしには、政治的に顕著な方策を失うだろう、と警告する。

 「私の支持率は最近の危機のなかで上下しており、現状ではガソリン価格高騰が人々のうえに大きく影響している」とオバマ自身、今週初めにカリフォルニアでの資金集めイベントで述べている。
 石油危機に加えてその大きな影響が及ぶものとして、サウジアラビアとUAEは米国の最新鋭の武器システム(その製造者たちは国内での顕著な国防予算削減の兆候を懸念しているが)を購入しているので、ワシントンと彼ら大口海外顧客との間の関係が緊張するリスク、という結果ももたらされる。

「大方のアメリカ人は、彼らの想像の及ぶ範囲では、米国がサウジにどの程度のレバレッジをもつのかを理解していない」と、前Defence Intelligence Agency (DIA)の中東アナリストで、退任したパット・ラング提督が、先週彼自身のブログSic Semper Tyrannisで語っている。

 「彼ら(サウジ)は米国とのベーシックな関係性のあり方を変えることを決意し、今後はより独立的なコースを取り、これからは地域全体の革命的勢力に対してのレジスタンス(反動的な弾圧)をより奨励していく方向をとる」と彼は言う。

 そして最後に、サウジアラビアは、UAEやバーレーン、クウェイト、ヨルダンの熱烈な支持を受けながらも、地域におけるイランとの第一の敵として台頭している─ リヤドの政権とその同盟者たちはより一層、それを中東のスンニ派とシーア派コミュニティに実存する紛争なのだと描写している。

 彼らがテヘラン政府を、アラブ世界の内政に干渉していると非難することは、パワフルな「イスラエル・ロビー」(*米国の)の耳には心地のよい(音楽のような)ものだ─彼らが辛抱強く培ってきた、スンニ派主導の諸国政府を反イランのもとで統一するという「戦略的コンセンサス」のアイディアが遂に…彼らの分かち合う懸念…この地域での民主化がもたらすかもしれない重大な結果への懸念…という果実となって実ったかのようにもみえる。

 かくして米国議会が、傷つき、沈みつつあるエジプト経済に対し、同国が政治的進化を遂げるこの決定的瞬間において実質的な援助をすることに躊躇するその理由とは、ワシントンが予算カットマニアに牛耳られているという故だけでなく、エジプトの未来の政府がキャンプ・デービッド合意に誠実であり続け、ガザ政策でもイスラエルに協力し続けることを確実化したい、という願望にも、同じく大きく依存している。

 先週、エジプト政府がテヘランとの関係の正常化を開始すると決断したことは、民主的なエジプトというものが余りよい投資先ではないかもしれない、との信念を拡大させた。しかし、アラブの春を冷却させている風は、灼熱の暑い夏に向かう可能性もある、とアナリストたちは警告する(アナリストたちは、サウジによる反革命によって同国内や中東全域で益々深まる二極化が、米国と現状でのその地域の同盟国により大きな加速的リスクをもたらすと信じているが)

 「現状は、特にイランとそのアラブの近隣諸国との間のとげとげしさが拡大していることによって、益々緊急さを増している」と、米国平和研究所が今週発表したルトガース大学のToby Jonesの論文は指摘する。その論文は、もしもワシントンの米政権が、より確実な役割を果たさない場合に、それは「いまひとつの軍事闘争に引き込まれるかもしれない」と警告している。

 彼は、ワシントンとその同盟国が、サウジに対し自制と改革を促してきた静かなアピールは無視されるか、拒否され続けてきたとしつつもこう付け加える… 怖れられているイランの影響力の拡大というものが(サウジによる)自らの予言の成就をももたらすであろうと─それは確かに、バーレーンによって実現した─。Elliott Abramsのごとき著名なネオコン強硬論者が今週、自らのブログにおける「破滅に向かうバーレーン(Bahrain Heads for Disaster)」と題する投稿できっぱりと同意していた点だ─それがサウジアラビア自体を含みつつ、より広範な地域におけるものではないにせよ。

 「リヤドの政府がその現在行く道を守り続けるべきなら、米国は、軍事的な関与についての再考が必要であることを明かにせねばならない」と─ ワシントンは1979年のイラン革命以前と同様、その地域での利益を「水平線の彼方から」保護できるだろう、と指摘するJonesは述べている。
Jim Lobeは Inter Press Serviceのワシントン支局チーフ)
http://english.aljazeera.net/indepth/opinion/2011/04/2011424133930880573.html

関連記事
「US -サウジ」のリビアに関する取引が露呈…反革命の甘い匂いBy ペペ・エスコバル
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2011/04/sweet-smell-of-counter-revolutionby.html 




Tuesday, April 12, 2011

NATO侵攻後のリビア Libya, after the NATO invasion By Mahmood Mamdani


NATO侵攻後のリビア By マフムード・マムダーニ (4/9, English Al-Jazeela)
 

 *写真:リビアのMuammar QaddafiとスーダンのOmar Al-Bashir. The Despot Index


 2010年の国連の人間開発指数(HDI)─それは健康や教育、所得額といった複合的な基準により評価されるものだ─では、リビアは世界で第53位に、アフリカでは第1位にランクされている。

 42年前に王が退位させられたときには田舎の後進国だったこの国は、今日ではモダンな経済と高い識字率を有する。この一つの事実は、カダフィが彼の支配の歴史的な正当性を主張するときの主な論点となっている。

 リビアに関して今日しばしばなされる議論は二分される: 一方の側は抑圧された(リビアの)人々との団結を強調し、もう一方の側はさらなる西欧世界との戦争への反感を含めて語られる。

 西欧の同盟国がリビアに飛行禁止区域を設定した直後にニューヨークタイムズは、米国東海岸にあるカレッジのリビア人の政治学教授の意見を掲載した。Ali Ahmida はカダフィの支配を、上述の今日の二つの議論を代表する二つの時期に分けて論じた─

若いカダフィの印象 Impressions of a young Gaddafi


 その最初の20年間…と彼は書く…革命は普通のリビア人に多くの便益を与えた; 広汎な識字率、無料の医療サービスや、教育、そして住環境の改善。特に女性たちは便益を享受し、彼女らは閣僚や大使、パイロット、判事や医師となった。政府は下流・中流階級からの広い支持を受けた。

[Ali Ahmidaの記事引用:しかし80年代以降に始まったものとして、過度な中央集権や、治安勢力がより抑圧的となり法の秩序が低下したことが、本来のポピュリズムの実験を損ねた。法廷や大学、労働組合や病院は弱まった。70年代には多くのペルシャ湾岸諸国などよりもリビア社会をより民主的にみせていたはずの、リビアの社会を形づくる市民組織は衰退し、または排除された。敵対的な国際情勢、そして石油収入の変動が体制への圧力を強めた。

 英雄崇拝の儀礼は汎アフリカ主義のイデオロギーへと変貌していった。それは暴力をも孕んで行った。度重なるクーデター未遂に伴い反体制分子は打ち据えられ、投獄された。治安勢力は中央・南リビアからの信頼できる親族や同盟者で固められていった。1990年代には経済制裁による犠牲で、ヘルスケアと教育が衰退し、失業率が増加、経済はより石油依存となり体制はより腐敗していった…](http://tinyurl.com/3r39ohv)
 

─(このAhmidaの論ずる)悪い傾向を代表する側とは、デマゴーグ的(扇動的)な政権が英雄崇拝の酒宴を催して、暴力をシニカルに擁護するといったものだ。度重なるクーデターの試みに遭遇した政権は、治安勢力を信頼のおける親族の人間、中央・南リビアからの同盟者たちで固め、このことが政府を同族的な管理体制へと変貌させた。

 私のカダフィに対する最初の印象は、数十年前に読んだMuhammad Haykal(ナセルの有名な報道官だった人物)の回想録に書かれていたことだ。

 Haykalは中国から訪問していた周恩来首相と(エジプト大統領の)ナセルが、国が催したレセプションの最中にかわした会話を回想している。

 軍服を着た若い男を指差して周恩来は訪ねた、あれは誰だ?と。…ナセルは答えた、何故だ?あれは丁度、リビアの王権を転覆(権力を掌握)したばかりのカダフィ大佐だ、なぜそれを尋ねる?と彼はいった。

 周恩来の、それに対する回答は忘れがたい:ああ、彼は今さっき私のところに来て私にこう尋ねた、原爆を購入するにはいくらかかるか、と!…この逸話はカダフィの、よく知られた常軌を逸した性質を集約している。

革命家に休息はない No rest for the revolutionary

 カダフィは彼自身を、反・帝国主義の戦士とみなしており、そのようにして彼はカダフィ・ブランドをアフリカ大陸でマーケティングしてきた。しかし実際にはカダフィの体制は、彼のリーダーシップに崇敬の念を捧げる者ならば、誰彼構わず取り立てた。

 彼の祝儀が与えられた者たちのリストは、雑多なものだ: カダフィがその初期の資金提供者だったウガンダのNational Resistance Armyから、反対者であろうと支持者であろうと鼻や指、手首を切り落とすその残忍さで知られた…シェラ・レオネのRevolutionary United Front 、彼がしばしば唯一の資金提供者であった民兵タイプのグループ…たとえばArab Legion(チャドとダルフールの遊牧性の武装民兵グループの傘組織)などがある。

 カダフィは彼自身を、アフリカの「解放」勢力のCEOとみなしていた。数年前、ウガンダ人たちが憲法を改正して大統領の2年の任期制限を廃止するか否かで論議していた時、カダフィは躊躇なくその国民的な議論に介入した。彼は、「革命運動家たちよ、リタイヤするな!」と宣言した。

 カダフィの西欧に対する関係回復は2003年に始まった。核開発施設を解体して、米国・英国やイタリアの企業 – Occidental Petroleum、BP や ENI といった–の開発付石油契約を招致するために、カダフィは西欧の集団に舞い戻って歓迎された。

 独裁者の外部向けの顔が反・帝国主義者から親・西欧にシフトしたとき、カダフィは米国主導の「テロとの戦争」に加わった。

 しかし、危機が到来して彼のパトロンたちが背を向けたとき、カダフィの元には軍事的反乱を振り切る核兵器もなく、国連安保理で彼とともに立って支持してくれる有力な友もいなかった…  (以下略:…Mahmood Mamdani is professor and director of Makerere Institute of Social Research at Makerere University, Kampala, Uganda)

http://english.aljazeera.net/indepth/opinion/2011/04/201148174154213745.html

アフリカ連合の停戦提案;NATOはミスラータとアジュダビヤを防衛 (4/11, ホアン・コール)

 4月11日、@feb17voicesのTwitterにはこうある:「カダフィ軍の集中的な攻撃ではスティール工場とガス貯蔵タンクの地帯に大きな被害が出たという… 多くの人はミスラータにスティール工場がある事を知らないかもしれない…この街でカダフィに対抗する「反乱勢力」の大半は労働者であることも。今や体制側は特に彼らの生活手段を破壊し、彼らの家族を爆撃している」(*@feb17voicesはJohn Scott-Railton に率いられ、リビア人にTwitterへの電話でのアクセスを供給している革新的なテクノロジー。同様に、エジプトでネット接続が遮断されたときにも人々にアクセスを提供した)

 これと同時に、アフリカ連合の3人のリーダーがトリポリにおける討議のために到着し、カダフィは少なくとも彼らの提案を受け容れると語った。AUのチームは、これまでカダフィと息子たちを温存するいかなるプランも拒否してきた暫定政府評議会との話し合いにベンガジに向かう。

 AUによる仲介の問題とは、彼らが反体制勢力にとって誠実なブローカーとは見られていないことだ。世界が注意を払わなかった内にカダフィは、石油から得た彼の財産(「彼自身の」と私は言いたい)を用いて、アフリカ諸国のリーダーたちから忠誠心を勝ち取って軍事介入するべく、彼の影響力を売り歩いた。国連のリビア介入を批判する者たちは、ダルフールやスーダンにおいては何故そのような人道的ミッションが行われなかったのかと問う─そこではブラックアフリカンのフール族のなかの分離主義者たちが、ハルツーム政府に忠実なアラビア語を話すブラックアフリカンたちに虐殺されていた。その流血沙汰は、そもそも、カダフィのチャドとスーダンへの破滅的な介入によって始められたものだ。現在のダルフール問題は1987年に、カダフィによって武装されたチャドから来たアラビア語を話す雇われ民兵たちが、ダルフールとの国境を越えて軍事ベースを作ったことに始まる。彼らがJanjawid ジャンジャウィードの先駆なのだ。常に地域の帝国主義者であり、破壊者であったカダフィは、その莫大な富を駆使してこの大陸に、彼の支配力を拡大させる武装民兵とゲリラたちを溢れされた。彼は南の隣国チャドの支配権を奪うべく、同国の北部地域で彼の部隊による暴力的な占領を続けつつも、成果のない年月を送った。

 彼自身の領土からは遠く離れてカダフィは、彼のテロリスト訓練キャンプthe World Revolutionary Center(ゲリラ訓練所)を通じて恐怖を拡大した。そこから輩出されたのは、ブラッド・ダイヤモンドに飢えたクーデター屋や戦争屋たち─(リベリアの内戦を起こした)チャールズ・テイラーや、シエラ・レオネのフォデイ・サンコーなどである。カダフィとテイラーはシエラ・レオネの戦争へと介入した。 (*チャールズ・テーラー:http://tinyurl.com/3twrmkd *アハメド・フォディ・サンコー:http://tinyurl.com/3egb3nc )

 何百万もの人々が、その一部はカダフィが自らの野望のために喚起したものでもある戦争で殺された─カダフィは自らの鋳型から、幾世代もの専制主義的で反抗的な革命運動家たちを生み出したが、彼らは彼のクライアントにもなった。莫大なオイルマネーがカダフィに西アフリカの政治体制における安定性を損ない、好き勝手にさせる自由を与えた。

 カダフィはアフリカ連合の経費の15%を負担し、実質的に多くのアフリカのリーダーたちを召使のように使っている。

 カダフィは、チュニジアのZine El Abedine Ben Aliに対する人々の革命には強く反対の立場を取った。もしも彼が力を取り戻し、彼の富を再び掌握したならば、カダフィは隣国チュニジアで目覚めつつある歓迎しがたい民主主義と法のルールを妨害し、そしてエジプトにも食指を伸ばすだろう。市民にむけて無差別に発砲するこの億万長者の連続殺人者と、億万長者のプレイボーイの息子達の末期的にナイーブな支持者たちは、「いや、カダフィはそんなことはしない」、などという。彼らはカダフィがこの30年間アフリカで何をしていたと思っているのか。彼が権力から放逐され、ベンガジの政府が議会システムを樹立できれば、リビアだけでなく全アフリカが大きな一歩を踏み出せる。

 報道メディアのヘッドラインは、カダフィがAUによる停戦と平和維持軍駐留の提案を受け入れた、と書いた。もしも彼がその戦車や重火器を撤収し、市民や街を無差別に攻撃することを止めるのならばそれもよい。実際的な戦争よりも、停戦から平和を確立する方がたやすいだろう。カダフィの血にまみれた過去と多くの殺人は、NATOにおける国連諸国による同盟とアラブ連盟が最大の監視を行うことで、彼が自らの領土をより拡大し、より多くの人々を殺すことの隠蔽する外交を行わないように求めるだろう。

http://www.juancole.com/2011/04/au-proposes-ceasefire-nato-protects-misrata-ajdabiya.html

*リビアの反政府派暫定評議会は、4/11に5人のアフリカ諸国大統領が提案した停戦への「ロードマップ」を完全に拒否…当初の概案も政府勢力が生じさせた死と破壊の後には既に受け容れられない、我々はカダフィと息子たちが政権から去ることを当初から求めていると声明。AUの提案は西欧にも警戒をもって迎えられ、英国のヘイグ外相は「停戦合意は国連決議の要請もフルに満たさねばならない」と語った。

Friday, April 8, 2011

「US -サウジ」のリビアに関する取引が露呈…反革命の甘い匂い The sweet smell of counter-revolution By Pepe Escobar


US─サウジのリビアに関する取引が露呈された Exposed: The US-Saudi Libya deal By ペペ・エスコバル (4/2, Asia Times Online)

 お前はバーレーンに侵攻しろ。そうすれば我々は、リビアのムアマール・カダフィの政権を成敗しよう。これが、簡単にいえば、バラク・オバマ政権とサウード家の間に交わされた取引のエッセンスなのだ。国連外交筋の2つの情報ソースがそれぞれ証言したことなのだが、国連決議1973号の趣旨、リビア上空での飛行禁止区域の案にアラブ連盟が「イエス」を発することと引き換えに…ワシントンがヒラリー・クリントン国務長官を通じてサウジ・アラビアに、隣国であるバーレーンを侵攻して民主的な抗議運動を弾圧するようゴーサインを出したというのだ。

 この件の暴露は異なる2人の、独立した外交官のソースからもたらされた─あるEUの外交官と、そしてBRICS諸国の外交官だ─それらは別々にあるアメリカの学者に対して、および当Asia Timesに対しても伝えられた。外交的な慣例によれば彼らの名前を明かすことはできない。片方の外交官がいうには、「これが我々が1973決議案を支持できないことの理由だ。我々はリビアとバーレーン、イエメンの状況は類似した状況とみなしている、そしてこの件に関し国連事実調査団のミッションの派遣を要請している。我々は、我々のオフィシャルな立場、つまりこの決議案の内容が不透明であり、おそらく好戦的な態度belligerent mannerによるものだったとの見方を続けている」

 Asia Times Onlineが報じたように、飛行禁止区域に関してアラブ連盟が全面的に支持したのは不可解な謎だった。その22カ国のメンバー国のうち、11カ国だけが決議案の投票に参加した。そのうち6カ国は湾岸協力会議(GCC)のメンバー国─つまり米国に支援されたペルシャ湾岸の王国・首長国─サウジ・アラビアがそのトップの国である。シリアとアルジェリアは決議案に反対した。サウジアラビアは他の3カ国だけを決議に賛成票を投じるよう「誘惑」すればよかった。

 翻訳すれば:アラブ連盟の22か国中、わずか9カ国だけが飛行禁止区域の決議案に賛成したのだ。採決は主にサウード家が、アミル・ムーサ議長(彼は次期エジプト大統領になるため、ワシントンにアピールする履歴書を磨くのに熱心だ)とともに率いた作戦であった。

 かくして、当初は偉大な2011年のアラブの革命(叛乱)が存在した。そして、その後は否応なく、アメリカ─サウジによる反革命がやってきた。

利益享受者たちは喜ぶ Profiteers Rejoice

 人道主義的な帝国主義者たち(Humanitarian imperialists*欧米勢力を指す)は大挙して、これは「陰謀である」という都合の良い解釈をとばすだろう─彼らはリビアで、ベンガジでの仮説に基づく虐殺を阻止したとして、きりもみ旋回しながら空爆をしてきたのだが。彼らはサウード家を弁護することだろう ─同家がペルシャ湾岸地域でのイランによる破壊工作(*バーレーンの反政府動乱)を押しつぶすことができたとして─ 明かにR2P("responsibility to protect"(*記事末尾参照)というものは、バーレーンの民衆には適用されなかった。彼らはポスト・カダフィのリビアを新たな…石油もたっぷりとある…人権のメッカ、として重々しくプロモートするだろう─アメリカの諜報機関の資産と、ブラックな軍事作戦と、特殊部隊と、危なっかしいコントラクター(民間警備会社)とによって、より一層完璧化されながら。

 地上における事実は変えられない、と彼らが何を言おうと─アメリカとサウジのダーティー・ダンシングの結果は目の当たりにみることができる。Asia Times Onlineは、既にリビアでの外国勢力による介入で誰が利益を得るかを報じている(参考: http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MC30Ak01.html)そのプレーヤーに含まれるのはペンタゴン…Africomを通じて…、そして北大西洋条約機構(NATO)、サウジ・アラビア、アラブ連盟のアミル・ムーサ、そして、カタールだ。このリストにバーレーンのアル・カリファ王家、また選任された武器契約業者、そしていつもどおりのネオ・リベラルの容疑者たち(彼らは新たなリビアでの資源ビジネス…水資源までも寡占化したいと熱心に狙っている)が加わる。そして我々は、リビアの石油・ガス産業の上を飛びまわる西欧のハゲタカたちに関してすら語っていない。 ここに露呈されたのは、オバマ政権の驚くべき偽善だ─人道的な作戦といいつつ北アフリカとペルシャ湾岸を巻き込む、粗野な、地政学的なクーデターを売りつける彼らの。ムスリム諸国でのもうひとつのアメリカの戦争の例として、それはまさに「動力的(kinetic)な軍事作戦」だ。 …(後略)
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD02Ak01.html

反革命(カウンター・レボリューション)の甘い匂い The sweet smell of counter-revolution By ペペ・エスコバル (4/8, Asia Times Online)  

 アメリカ国防省のロバート・ゲイツ長官は(今日)サウジのアブドラ国王と話すためにリヤドにいる。AP通信は世界のメディアに対し、彼らは「アラブの叛乱」について討議することだろうと報じた。そこにはその他の陳腐な言葉も浮かび上がってくる─「政治的改革」、石油生産、「イランの脅威」など…。しかし、ペンタゴンがこのタイミングでサウード家に会うことが示す言葉は、唯一つ、これしかない:「私は、朝の反革命(counter-revolution)の匂いが大好きだ…」とでも。

 そう、それはナパーム弾よりも偉大なる匂いだ。まるで勝利のような匂いがする。US─サウジによる反革命は、2011の偉大なるアラブの叛乱に対抗して楽々と勝利しつつあるのだ─ 。サウード家はエジプトのホスニ・ムバラクに対しても、最後まで権力の座に踏みとどまるよう望んでいた─それは、ワシントンにとっても同様だった…彼らは動乱勃発の当初、ムバラクの政権は「安泰」だという声明を出し、その後はオマール・スレイマン(拷問名人のシーク)に「秩序ある権力移譲」をさせることに賭けたが、その後、政権の崩壊が明白になって漸く、タハリール広場の民衆に唱和したのだ。

ワシントンが歴史の正しい側に踏み出すことを再び阻むかのように、サウード王家はそれ自身のプランで、King Fahd causeway(ファハド国王舗装道路)を通じて隣国に侵攻し、バーレーンの平和的な抗議の民衆の弾圧をおこなった。これはワシントンとの決定的なやりとりによる釘がしっかりと打たれたからこそ可能だったのだ;「我々(サウジ)は、リビアでの飛行禁止区域実施の決議にアラブ連盟の一票を入れさせよう;これと引き換えに、我々にバーレーンの始末をつけさせてほしい」(4/2の記事参照 http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD02Ak01.html)

 ゲイツとアブドラが今、複雑なる「US outreach(アメリカの手の及ぶ範囲)」(つまりこうしたアラブの独裁者が、市民を虐殺しつつ平気で立場を維持できること)や「政権交代」(つまり彼ら独裁者が、犬にくれてやりたいような他の国の為政者を陥れること)に関して討議をしているとを知るにつれ─ 時局の連結点というものが、ワシントン/サウード家が今や全ての前線(フロントライン)にあって─歴史の誤った展開面と、そして全てを操作する位置にあるのだということを、説き明かしてくれる。

 サウード家とカタールは今や、リビアの「transition(政情の推移)」を微妙に支配している。こうしたカタール─サウジの同盟は今や、イスラエル─サウジの同盟の鏡像(ミラー)でもある。サウード家はまた、イエメンの政情の推移も支配している─今や、バラク・オバマ政権は、アリ・アブドラ・サレハ大統領を犬の餌のように捨て去る決断をした(なぜなら彼が、彼の民衆を十分に殺害し、その平和的な革命運動を弾圧できなかったからだ)。かくしてサレハは今や、アメリカの「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」との戦争においては、価値のない「ろくでなしの男」になってしまった。イエメンの抗議運動(彼らは、サウジ人を信頼をしていない)が、腐敗した・親アル・カイダのAli Mohsen大佐(*)からの支持を受けていようと。アメリカCIAは、サレハの後継者を嬉々として受けいれようとしている。 (* Ali Mohsen大佐:Yemen軍の幹部で、政権の軍事アドバイザー。サレハ大統領の異母兄弟。3/21に他の将校らとともに反政府勢力を支持すると発言、大統領に叱責された。80年代のソビエト・アフガン戦争でイスラム過激派のリクルーティングに協力した)

 今や、北大西洋条約機構(NATO)よりもタカ派の強硬論者となったカタールは、それに応じた報償をも得ている。あるカタールの外交官は、アラブ連盟の楽観主義者の議長アミル・ムーサ(ムーサはエジプトの次期大統領などにグレードアップしたいと欲している)の後を継ぐはずだ。それなら次は何だ?カタール人がNATOの議長になるべきなのか?ううむ、彼らは2022年のワールドカップを買収するに十分な金ぐらいは持っていた。

 ゲイツとアブドラはまた、ペンタゴンのAfricom(*)の目を見張るような成功についても討議するかもしれない─それは2008年末に任務を始めたに過ぎないが、しかしすでにアフリカにおける、最初の大きな戦争に巻き込まれている。Africomの司令官Gen. Carter Hamが今やその戦争に関して、アフリカ連合(AU)の数十カ国のメンバー国に対し(彼らは当初、Hamが彼らの領土で指揮権をとることを決して望まなかったが)説明する必要があるなどと、誰が構ったりするだろう?ゲイツでさえも、リビアにおける戦争など、アメリカの外交戦略にとって優先事項とはいえないと認めていたのだ。(*United States Africa Command:米軍の、エジプト以外のアフリカ53カ国における軍事戦略の総司令部。本部はドイツ・シュツットガルドにある)

 サウジの新聞「Arab News」によるとサウード家の閣僚会議は、バーレーンのal-Khalifa王家によるサウジ人への謝意の表明 ─ サウジ人が賢明さとリーダーシップをもってバーレーンの内政に干渉し…バーレーンに侵攻し「バーレーンに平和と安定を取り戻してくれた」と彼らに謝意を表した感傷的な声明─ そのことに対する「返礼としての謝意を」表したのだという。そしてその後に、誰もがイランに対して非難を叫んだという。(*イランのシーア派がバーレーンのシーア派住民の抗議運動を誘導したとされる)

包括的になるべき時だTime to be inclusive

 バーレーンのカリファ王家は、彼ら自身の民衆を覆すことに絶対的に成功する。彼らがもしその国民の70%をペルシャ湾に投げ捨てて、そうして支配者の安泰を維持するならばの話だ。彼らは同国唯一の反体制的新聞- al-Wasat -を閉鎖して、王家支持派の新しいエディターのもとにそれを再開させた。

 人権運動家やジャーナリスト、ブロガーたちは姿を消した─あるいは、姿を消された。ビジネスマンと政権幹部たちは、ストライキを実施した労働者たちを銃撃しなかったとして脅迫された。もはや誰も、ツイッターやFacebookをやっている者はいない。混合的な居住地域に住んでいたシーア派の家族らは、検問所でとめられるたびに脅迫を受けるので、引越しをし始めた。人々は、暗号を使って電話口で話している。オバマ政権に関する限りバーレーンは、もはや存在すらしていない。

 バーレーンの7世紀の先祖にさかのぼれば、それはドバイの獲得物だった。ドバイは今年、4%の経済成長をした─アラブ世界の「動乱」に利益を得て。そしてアラブ首長国連邦(UAE)の人口は826万人に達しつつある─外国人労働者が流入しているが、その多くはバーレーンからだ。

 カタールとUAEは、リビアでのNATOの飛行禁止区域という信用詐欺における「有志同盟」の小さな、代表的でない国々だ。いまや英国人らはこうしたアラブの二つの模範的民主国家に、東部リビアの「反乱勢力」─有象無象の群集─を訓練するようにと「要請して」いる…そのため彼らは、何らかの停戦が交渉で達成されるまでの間は、この砂漠地帯に隣接する場所で、砂漠の砂粒にしがみついていられるだろう。

 翻訳すれば:「民間警備会社」は英国にとっての、いいビジネスだ─傭兵という形で…その中には特殊部隊の経験者もいる。彼らのサラリーはまもなく、カタールとUAE、ヨルダンによって支払われる…プレイステーションの王様 King Playstationに支配された国の、「治安軍のオフィサー」たちで溢れかえった国土で。このことは再度証明する─そこにはたった一つの…非国連決議1973…が承認した市街地でのゲーム:つまり政権交代 だけがあるのだと。

 2011年の偉大なアラブの反乱の行く末が、石油生産や、移民の流出、イスラエルとの関係性、政治的モデルとしてのトルコの引力、そして未来のアル・カイダのフランチャイズ、といったことに繋がるとは誰も予測できないだろう。しかしワシントンの国家防衛ポリシーがいまだに、オリエンタリストが抱く阿片への夢のごとく見えたり感じられる中では、我々はアラブ世界に対して、ローカルな買弁的な独裁者・専制君主を通じて関わることしかできないだろう。そんな阿片よりもずっとす早く、我々はもうそれに夢中になっているのだ。
 
 それなら何故、すべてを我々に併合しないのだろう?アメリカは、石油の豊富な51番目の州にも上手く対処できるだろう。経済刺激策の話をすればいい。米国市民たちは、彼らの税金の徴収のごとく、石油を入手できるだろう。いまや、仲介業者をカットすべき時だ。アラブ世界では、あの哀れっぽいアブドラやカリファ王家といった者たちよりも、オバマに対して答えることを誰が愛さないだろう?
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD08Ak01.html


*R2P:responsibility to protect
 「独立国家の主権は必ずしも特権ではないが責任であり、国家はその国民を、民族虐殺、戦争犯罪、人道に対する犯罪、エスニック・クレンジング(これらをMass Atrocity Crimes─大規模残虐犯罪と総称する─)から守る責任がある」との見地の元に…独立国家がこれを守れない場合、国際社会がその遂行を援助しなければならないとする考え。そのRtoPとは、国際社会にとってのノーム(規範)であって法ではない。国際社会は経済的、政治的、社会的手段によって現状の危機に対処し、外交的または強硬な手段、あるいは軍事介入をその最後の手段とし、犠牲となった人々の安全と正義の再建、大規模犯罪の起因の解明をはからねばならない…とする。
…ルワンダ虐殺が阻止できななかった際、当時のコフィ・アナン国連事務総長が嫌疑を唱えたのが端緒。2000年には、カナダ政府がInternational Commission on Intervention and State Sovereignty(介入と国家主権に関する国際委員会、ICISS)を設立、翌年に報告書「The Responsibility to Protect」をリリース。アフリカ連合(AU)は、これを組織理念にもりこんでいる。2006年には国連安保理が国連決議1674の一部として採択。2009年に国連事務総長藩基文が新たな報告書を発表し、これを更に推進させている。(出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Responsibility_to_protect

ウェブサイト:http://www.responsibilitytoprotect.org/

*3/7The IndependentのRobert Fiskによる記事
 …「アメリカはリビアへの武力介入長期化を必死に避ける代わりに、サウジにリビア反政府勢力への武器供給を求めてきた。もしもサウジが行えば、その武器がたとえ米国製であっても、ワシントンは武器供給の責任を問われない、唯一のアメリカのアラブ同盟国である。サウジもバーレーン同様に東部に反体制派のシーア派住民を抱えるが…バーレーンでの動乱とも呼応してQatif県には治安勢力が派遣され、全土で民衆のデモが禁止された。それでもシーア派は2万人のデモを計画、軍の発砲を防ぐため最前列に女性を並ばせるという… もしもサウジが、リビアに銃やミサイルを送れとのアメリカの要請に従ったなら、オバマ大統領はサウジ政権によるサウジ北東部シーア派住民の弾圧への暴力行使に、とても口を出せなくなるという…」 http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/americas-secret-plan-to-arm-libyas-rebels-2234227.html



バーレーンに侵攻したSaudi軍の戦車