Wednesday, August 2, 2017

モハメッド・ダーランの擡頭と権力の正当性の争奪戦 In Muhammad Dahlan’s Ascent, a Proxy Battle for Legitimacy By PETER BAKER  

現在進行中ともいわれるダーランとの「ガザの権力分担」とは何なのか?─ 昨年(2016年11月)のNYタイムスの解説記事

モハメッド・ダーラン(*)の擡頭と、権力の正当性への委任状争奪戦(プロキシバトル)
By ピーター・ベイカー (2016/11/3, NYタイムズ)
  (*より正確には ムハンマド・ダハラーン)

モハメッド・ダーランの住む地は、パレスチナの彼の同胞たちが住む西岸・ガザの占領地帯からは1300マイル離れている。ここUAEのアブ・ダビの彼の広壮な屋敷には、豪華なソファと、丸天井にはシャンデリアがしつらえられている。無限に続く背後のプールの水面とは、その向こうに広がるぎらぎらと輝く水路へと注ぎこむかのようだ。

55歳のダーランが、パレスチナ人たちが未来の国家を思い描いた領土へと足を踏み入れてから5年になる。しかし、かつての有力者であり、亡命先では富豪となった彼は、パレスチナ自治政府大統領のマフムード・アッバスへの対抗からアラブ諸国リーダーたちが権力の移行を模索しているいま、この地域全体を跨ぐ陰謀の中心とみなされている。

イスラエル占領下の西岸では─心臓疾患を抱えて、後継者もない81歳のアッバスが、ダーランを支持する者ならば誰にでも激しい非難を向けている現在─日に日に、西岸地域自らがそれ自体との戦争状態を増幅しているようでもある。逮捕や、粛清、抵抗運動や銃撃戦(*ダーランが過去に行った)さえもが、波乱に富む過去を持つこの古い護衛隊員に新世代のリーダーたる正当性の獲得のための苦闘を強いる。

「私は知っている─アブ・マーゼンもその他の者たちも、ダーランの帰還を恐れているのだ」、とダーラン氏は言う─アッバスに関してはニックネームで、そして彼自身の名を三人称で呼びながら。「彼らはなぜ、恐れるのか?それはつまり彼が、この10年間に自分自身が何をしてきたかを知っているからだ。そして彼は、私がそれを知っていることを知っているのだ。」

パレスチナでは、ハマスが支配権を握った2007年にダーランがガザで治安部隊を率いていた際の、抑圧支配に関して彼を告発する人々がいる─そして、彼をイスラエルの手先だとみなす人々もいる。しかし、彼はアッバスにダーランの帰国を許すよう圧力をかけている、いわゆるアラブ・カルテット(エジプト、ヨルダン、サウジアラビア、UAEの4か国)にとってはお気に入りなのだ。

黒い髪に、ゆったりとした微笑み、1日に90分のエクササイズで無駄のない体形を保つダーランは、この地での最近のインタビューで精力的な魅力を振りまいている。彼は過去の彼自身の、情け容赦のない治安勢力リーダーとしての名声を否定して言う─私は危険な人物に見えるかな?─と、しかし彼はライバルを非難する時には非情になる。

失業が溢れている…とダーランは言う。学校や病院は絶望的な状態にあり、腐敗は蔓延している、アッバスはイスラエルの占領を終わらせることができず、ますます「独裁体制」を行使して反対派を弾圧している、と。

「これらの兆候とは、アサドの政権やサダムの政権が示していたものとも同様だ」と─シリアのアサドやイラクのサダム・フセインの名を挙げて、ダーラン氏は言う。「アブ・マーゼンがやったことは、権力のすべての残り滓を治安維持のマシーンに変えた、という事だ」。

ダーラン氏の声望の乏しさと、ガザ生まれのルーツが彼の西岸での人気獲得を難しくしていることを実感したアラブ諸国のリーダーたちは、静かに権力分担(パワー・シェアリング)の計画を練り始めた。それは、その他の人物、例えばヤセル・アラファトの甥のNasser al-Kidwaを次期大統領に据えて、ダハラーンとその仲間が彼のリーダーシップのチーム(指導層)に参加する、といったものだ。もう一つの可能性とは、マルワン・バルグーティだ─彼は民衆に人気のある人物だが、現在は殺人容疑でイスラエルで収監されている─ダーラン氏は、彼ならば支持できるという。

「私の言うことを書いてくれ─私は大統領に立候補したくはない」とダーランは言う、小さなパイプをふかしつつ、2時間の会話のあいだ英語とアラビア語をかわるがわる交えて話しながら。「このことは、明快になったかな?」

しかし、と彼は付け加える。「私は、どんなチームにでも参加する準備がある。私は兵卒になる積りだ。私は、何にだってなれる。ただしそこには、ヴィジョンと計画と、真のリーダーシップがなければならない。」

だが、それはKidwa氏や彼と似た人物が、そうした取引の提案を受けいれるということを意味してはいない。別のインタビューで、Kidwa氏は(彼は外務大臣を含め、様々な外交上の役割を背負ってきたが)ダーランを否定してこういった、「私は、彼が帰還する可能性は少なくとも現在のところ、余り高くはないと思う」と。「橋が燃やされたなら、それを再建することはおそらく困難なのだ」。

今のところ出馬すべき大統領選の予定はなく、地方選挙も遅れたままだ。アラブ・カルテットの圧力を別方向に向けるために、アッバスは最近、彼をより一層支持する周辺諸国、トルコとカタールを訪ねた。彼は、ダーラン氏を戦略的に出し抜こうと、ハマスのリーダーとも膝を交えた。

「現在のアッバスによる鉄の権力掌握に対しては、ライバルの誰もが彼に真に逆らって立つことなどできない」と、ワシントンのFoundation for Defense of Democracies の研究員で、近く刊行予定のアッバスの自伝の共著者Grant Ramleyはいう。「彼は、いまや彼の王朝の黄昏の中にある。そして、敵の膝をへし折ることにおいてはこの地域でもっとも狡猾な政治家の一人だ。」

アッバスは昨今、自らのファタハ党内から彼のライバルたちを追放し、その他の者たちを逮捕した。火曜日にはまた、彼はダーラン氏の同盟者らを追い出すための動きと解釈される今月末の党会議の開催も宣言した。

緊張は、時には暴力沙汰を招く。先月には正体不明のガンマンが、Fadi Elsalameenの家族の家を60発の弾丸で狙撃した。アッバスに対してかなり批判的なFacebookページを設けているElsalameen氏は、ダーランとは国際的イニシアチブをめぐって共同作業をしたことがあるが、自分は彼の仲間ではないとも表明した。

そのことは、ダーラン氏が真のパレスチナ人ではない、という事ではない。米国のCampaign for Palestinian Rights のエグゼクティブ・ディレクター、Yousef Munayyerは、ダーラン氏は民衆のあいだでは信頼が薄いという。「この人物は、外国勢力がひそかに汚い仕事をやらせるために利用する、怪しげな(いかがわしい)タイプの人物(shady character)だし、彼自身がそれを進んで請け負ってきた」、と彼はいう。

ダーラン氏はガザの難民キャンプに生まれ、10代でイスラエルに対する暴力的な戦いに参加した。11回逮捕され、イスラエルの刑務所で5年間ヘブライ語を学び、後にはガザでパレスチナの治安勢力リーダーになった。

2000年にはキャンプ・デービッドで、ビル・クリントン大統領が和平交渉の仲介を試みたときにも現場に同席した。クリントン氏は回想録の中で、ダーラン氏がパレスチナ側の「最も前向きな」交渉者の一人だったと述べた。

だが、ブルッキングス研究所の副所長でクリントン政権の外交官だったMartin S. Indyk(*)は、ダーラン氏は米国人にはかってアッバスと敵対させ彼を脇に追いやるよう促したのだという。「彼はカリスマチックで、頭が良く、操るのが巧く、ラマッラ―の古いファタハの護衛隊勢力にとっては脅威なのだ」。 (*Indykは米国の右派ユダヤロビーと密接な関係をもち、キャンプ・デービッドの和平交渉を潰えさせたともいわれた人物)

ガザでは、ダーラン氏は捕虜拷問の告発を受けた部隊を指揮し、『ダーラーニスタン』と呼ばれる組織(場所)を作っていたといわれる。しかし、ハマスが支配権を握ったその時、彼が海外に居たことから、彼は戦いを放棄したとも噂された。彼は西岸に移り2011年までアッバスの内務大臣を務めたが─その際に、両者は贈収賄の疑惑に関するやりとりで対立し、ダーランはアブ・ダビに逃れた。

彼はエジプトで、アブデル・ファタハ・アル・シーシ大統領に協力してムスリム同胞団の反体制勢力を鎮圧し、ナイル河ダム計画に関してはエジプト、エチオピア、スーダン間の外交交渉役を担当した。彼はイスラエルとも建設的な関係(強硬派の国防大臣アヴィグドール・リーバーマンとの関係をも含め)を持つといわれる。

イスラエル政府関係者らは、ダーラン氏について一つでもポジティブなコメントを言うならパレスチナ人からの信頼を損ねるがために、彼に関するいかなる論評も避けている。しかし、Institute for National Security Studiesのディレクターで元イスラエル軍諜報部門チーフのAmos Yadlinによれば、同国政府もダーランによる工作を見守っているという。

「彼は、アブ・マーゼン以後の時代にとって面白いオプションだろう」、とYadlin氏は言う。「それは、彼自身ゆえに、というよりも、彼がアラブ世界に持っているとても良いコネクションのためだ」。
ダーラン氏は、リーバーマンには一度も会ったことはないと述べ、汚職に関する告発も拒否したが、ガザで暴力的な戦術を用いたことについては否定しなかった。

「私は、赤十字のリーダーではない」、と彼は言った。「誰も殺されたことはなく、命を失った者も一人もいなかった。しかし、そこにはもちろん間違いもあった。」

彼はまた、蓄財をしたことも認めた。「私が否定しないことは二つある」、と彼は言った。「私が裕福であること、私はそれを否定はしない─決して。そして、私が強いこと、私はそれを否定しない」。彼はこう付け足した、「しかし、私は常に、私の人生のレベルを高めるためにハードワークをし続ける。」

彼は、ガザと西岸地域での慈善事業を賄うために、彼自身の資金やアラブ諸国のパトロンから得た資金を使った。ガザの住民のなかには病気の親類縁者への助けを得るために、Twitterの#Dahlanというハッシュタグを用いて(資金援助を頼み出た)人々もいる。
妻との間に4人の子供を持つダハラーンは、彼自身について、決して休暇を取ることのないワーカホリックだと描写する。彼は私に裏庭を見せながら、それを来客に見せて自慢する以外にそこで過ごしたことはない、とも言った。

「私は、達成することが好きなのだ」、と彼は言う。「私は、達成することに夢中なのだ」。

https://www.nytimes.com/2016/11/03/world/middleeast/muhammad-dahlan-palestinian-mahmoud-abbas.html

*註:関連記事 http://www.pbs.org/newshour/bb/middle_east-jan-june03-palestinian_04-23/
Meeting of the Minds


*7/27には「ガザのハマス幹部と在UAEのダーランがガザ議会でテレビ会議を行った」とか
https://www.nytimes.com/aponline/2017/07/27/world/middleeast/ap-ml-palestinians-gaza-deal.html
Gaza Power-Sharing Deal Moves Ahead With Parliament Meeting
ガザ議会で初のこの会合には数十人のハマスの議員、ファタハの親ダーランの支持者たちも参加した。APのインタビューでは、ダーランはハマスとの権力分担交渉がイスラエルとエジプトによるガザ封鎖を緩和し、深刻な電力危機を解決、ファタハとハマスの内戦の犠牲者の多くの遺族に賠償することを目的とする、と述べた。
昨今、アッバスはガザのハマスを困窮させ、権力委譲を促す強硬手段を行使、ガザ駐在の自治政府公務員の給与を不払いにしてイスラエルに電力供給等公共サービスを停止させている。
万策の尽きたハマスはダーランに助けを求めた。ダーランはエジプトを説得しガザの小発電所に燃料を輸送させ、ラッファ検問所を9月を目途に開放し、アブ・ダビ支配層の資金を戦死者遺族への賠償に充てる。アッバスに忠実なファタハのスポークスマン、Osama Qawasmiは、木曜日の会合を「小さく、個人的で、臨時的な党派的利権を反映したものにすぎず、ハマスのこのレベルの関係性には憐れみを感じる」、といって否定した。


*写真は昨年取材時(悪相になり顔の凹凸が増えたダーラン?