Swat渓谷から Sabrina Taverniseが細やかな最新状況報告をしている
再建のために、タリバンと時をあらそうパキスタンの今…
By サブリナ・タヴェルニシ及びイルファン・アシュラフ (10/10, NYタイムス)
〔パキスタン、ナザラザード〕
戦闘は終わり村人たちは戻ってきたが、ここでの暮らしは未だに保留のままだ。村人たちのバッファローは居なくなり、畑の収穫は駄目になった。多くの地域が未だに停電している。タリバンによって爆破された学校は、山となって残っている。レンガさえもが売りに出されている。
“我々はみなし子のようだ”と、学校の校長、Akbar Khanはいう。“誰も我々のことを尋ねにここを訪れたりしない”
ここはUpper Swat Valley(スワット渓谷上流地域)、北部パキスタンでのタリバン運動の震源地だ。ここより南方の都会のエリアは賑わいをとり戻し日常に帰っているが、パキスタンによるSwat地方でのタリバンとの戦いの真のテストはこの、武装闘争の始まった土地、貧困に蝕まれた地方の村々で起こるだろう。
しかしアクティブな戦闘が終了して2ヵ月以上が経ち冬が急速に近づきつつあるなかで、再建はいまだ始まらず、この土地で人々の信用を取り戻するため達成されたことはほんの僅かしかない、と村人や役人たちはいう。
彼らは、こうした停滞は危険だ、という:つまり政府によるほとんど完全な国民の放棄の状態が、人々をタリバンと手を結ばせたのだ… 人々が自力で生活していくよう放棄されている限り、悪い状態へと逆行するチャンスが大きくなる。
“私は本当に心配しているのだ”と、Swatが位置する北西辺境州の長官Javed Iqbalはいう。”我々に時間的な贅沢をする余裕などはない”
“もしもあなたがより一層、実体的なものを示せないのなら…この国がまた、無政府状態に戻っても驚くべきではない…”と彼はいう。
パキスタン政府は今、Swat渓谷の人々のニーズに応えているとし、その先月の援助金額は推定12億ドルだという。同国への最大の援助国の米国は何10億ドルもの資金をパキスタンに投入しようとしており、援助資金をつのる国際会議も開催された。
しかしこの打ちひしがれた地域の再建資金はほどんど存在しないに等しい、と政府関係者はいう、そして援助団体は治安上の規則に阻まれて現実への対応が遅れている。
“政府は人々が、平常の生活にゆっくり戻りつつあるのだ、と信じている”と、ラホールのForman Christian College経済学部の理事、Pervez Tahirはいう。“現実には、以前から貧しい人々は無視されており、その後もまた、貧しい人々は無視される…”
そうしたパターンは、パキスタンのトラブルにみちた62年の歴史を通じて裏づけられ、とくにこの地域での状況はシビアだった。
戦争の前にはNazarabadの物は皆、壊れていた。村人たちは、街の変電設備のコイルを交換するため寄付をした。水道水は流れないか、屋内に配管設備はなく、教師たちは学校の水道ポンプのために寄付をした。そのためにロビー活動をする有力者は誰もおらず、村は自分たちでそれらを賄うべく取り残された。
そのため、タリバンが最初にFMラジオの放送によって現れて、イスラム教聖職者が人々のニーズが無視されている、と語ったとき、人々はそこに救済をみた。
“欠乏は耐え難いレベルにあったのだ”、とNazarabadの教師、Muhammad Shah Husseinはいう。“タリバンが来た時、そこには希望があった”
しかし、時が過ぎてタリバンの戦略は一層強制的になってゆき、そして彼らが学校を爆破したときに彼らへの共感は消えうせた。
“我々は彼らに、‘人々はとても貧しくて弱い、どうかこの学校を破壊しないでくれ’といったのだ”─と校長のAkbar Khanはいう。
しかしそれは、用をなさなかった。今では生徒たちは、不思議な新しいアウトドアの教室にとまる小鳥のように、小さなレンガの山の上に座っている。ここでは少女たちは未だにまったく学校に行けない─彼女らの学校は破壊された後、一度も再建されていない。そしてローカルな習慣によって、彼女がおおっぴらに外にでることすら眉を顰められる。
Swat渓谷の学校の約20%は破壊されたか、使用不能になっていると国連児童基金(Unicef)はいう。
これまでこの地での主だった対応はテントの配布だった。その事業努力を主導していたユニセフは、寄付者たちからの反応は鈍かったといい、依頼した資金の60%しか集まらなかったという。そしてタリバンの攻撃が7人の国連の職員達を殺害した後…その中には教育担当のディレクターもいた…、戦争に蝕まれた地域での再建事業は休止状態のままだという。
国連は2千万ドルをこの地域の学校再建のための予算に割り当て、先月には何億ドルもの資金を社会開発事業のために投じると約束した。しかし再建事業の責任者であるこの県の役人、Shakeel Qadr Khanは、実際にどのくらいの資金がSwatの再建のために使われることになるか不明だという
何年にもわたるタリバン支配と、軍事作戦の頻発した時期は農業にも犠牲を強いた。Guelarai村の農民Khazwarは、彼の小麦が駄目になり、果物も収穫されることがなかったので、手元には種や肥料を購入するための何の資金も残らなかった。県の農業担当の長官は、彼らの事業を再び軌道に戻すために、およそ8億ドルを農民支援のために投じることが必要だという。
“Swat地域は全てこのことによる苦難を強いられている”とKhazwarはいう…多くの田舎のパキスタン人がこの同じ名前を好んで名乗っている。
ここでの軍事作戦は、過去の軍事作戦のような大規模な破壊や、多くの市民の犠牲者は出さなかった、そして軍はいまやこの渓谷全体のあちこちに基地を建設した。軍の存在はMingoraのマジョリティ住民から歓迎された─それ以前の時期に武装勢力から放棄されたと感じていた人たちによって。
しかし2003年頃に武装勢力が強勢をはっていた村々では、人々はいまや軍にも恐れを抱いている…それは平常な暮らしに戻ることをさらに困難にする。
Hussein氏は、彼の男子生徒の半数以上が学校に来なくなったと見積もる──彼らは軍が、彼らをタリバンに関与したとして逮捕するのではと恐れていたのだという。彼はまた目立つことに神経質になっている…今や彼は軍の拘束下にある親類たちのことを問い合わせている家族たち(その多くが字が読めない)のスポークスマンの役も務めている。
また、急速な速さで進みつつある仕事といえば、地方のMilitia(民兵団)の設立だ。この近隣の政治的リーダー、Jamal Nasir Khanは渓谷の上流地域の村々で何百人もの男をリクルートして、タリバンからの防衛の仕事に就かせようとしている。Khanは2007年に首都のIslamabadに逃れ、この夏に帰ってきたというが、治安の維持が最大の課題だという。
“人々は1ヶ月以内に平常な状態に戻ることを望んでいる─それは無理だ”と、家を出るときは常に米国風のアーミーブーツに空軍ジャケット、M-16ライフルを身に着けているKhanはいう。“それはgenie(魔法のランプの精)が来て状況をよくしてくれる…などというものではない”
Khan氏は完全に軍隊に頼っている。彼は軍の車両に便乗して移動し、彼の食べ物は軍で調理される。そして彼はこの地域で、現実的に独りだ。このあたりの7つのdistrictの役人たちでここから逃れた者のうち、一人として帰ってきた者はなかった。…戻ってきたのはごく少数の高校の教師たちと、医師たちだけだ。
識字率の低さは村人たちを容易に無視されがちにする。Taja Bibiは字の読めない村人だが─彼女の聡明な12歳の娘のRabihatは学校に帰りたいと切望している─彼女はとにかく学校が再開してほしい、いつになるのかとは訊かないから、という。
“私たちには討論もできないし、返事をすることもできない”と、20人以上の人が住む小さな家の汚い床に座って、彼女はいう。
“あの人たちは私たちを、話をする相手にする価値もないと思っている”
Hussein氏にとっては、人々の権利のことを理解できる、教育のある階層を生み出すことがパキスタンの変革への唯一の希望だ。
しかしそれには学校がいる、そして彼の村にあった学校はなくなってしまった。
“我々はルーザーなのだ”、と彼はいった。
http://www.nytimes.com/2009/10/11/world/asia/11swat.html?tntemail1=y&emc=tnt&pagewanted=all