Wednesday, February 15, 2012

クリストファー・ヒッチンズ評伝 Christopher Hitchens Died: Legendary Writer Dies At 62 - By Jade Walker [In Retrospect...]

[In Retrospect...] Christopher Hitchens Died: Legendary Writer Dies At 62

クリストファー・ヒッチンズ死す:伝説的なライター、62歳で死去 By ジェイド・ウォーカー (12/16, The Huffington Post) 

クリストファー・ヒッチンズは、木曜日*2011.12.15にヒューストンで62歳にて死去した。伝説的なライターは2010年、食道がんと診断されていた。彼の死は、Vanity Fair誌が報じた。

ヒッチンズは1949年に、EnglandのHampshere州Portmouthに生まれた。彼の父Ernestは英国海軍の司令官であり母のYvonnneは簿記係だったが、母は彼がCambridgeの私立学校Leys School に入学できるようにとコツコツ貯金をし、後には彼をOxfordのBalliol Collegeへと通わせた。彼ら夫婦は決意を固めて、息子が最上級の教育を受けて、上流階級にはいるようにと仕向けた…The Guardian は報じる。

大学時代においてはヒッチンズは哲学と政治学、経済学を学んだが、心中では学べば学ぶほどに怒りが高まった。ヒッチンズの人種差別への嫌悪とヴェトナム戦争への反戦意識が、彼を政治的左翼へと導いた。彼は結局反スターリン主義的な左翼であるInternational Socialistsのグループに加わり、政治的反戦運動に参加した。

1960年代にカレッジに在籍していたことは同時に、ヒッチンズにより快楽主義的な生活スタイルをももたらした。彼はドラッグの服用は控えたものの、ヘビー・スモーカーかつ、酒豪となった。彼はそのような習慣が彼の物書きの作業を助けたといっている。「書くことは自分にとって大切なことで、それを助けるものなら何でも…それを昂揚させ、長引かせ、深め、時には議論や会話の集中度を高めるものは…自分にとって価値があった。ゆえに自分はそれと知りながら、リスクをとった」と彼は語った。

彼にとって書くこととはまた、彼の感じる憤りと、そして啓蒙の完璧な捌け口だった。英国王室やHenry Kissinger、ローマ・カソリック教会は1970年代の彼のお気に入りのターゲットのほんの一部だった。美食家(bon vivant)でありながら、ヒッチンズは少なくとも年一回は「彼自身の国よりも不運な国」で過ごすことにしていた。そのようにして、彼の初期のキャリアは地球を彷徨することに費やされ、世界のトラブル・スポットでレポートを書き、彼が残酷だとか悪だと感じた物事に光を当てた。New York Times は報じた

1981年に米国に移住して以来、ヒッチンズはThe Nation誌に書き始めた。彼は後にVanity Fairやthe Atlantic Monthly、Slate、Harper’s、The Washington Post 、そしてThe Huffington Post等の多くの出版物のために寄稿し、あるいは編集者を務めた。西欧に対するラディカルなイスラム世界の分子たちがもたらす危険性への確信に触発された彼の驚くべきイラク戦争擁護により、ヒッチンズは広汎な読者層を獲得し、そして2005年9月に彼はForeign Policy誌 とProspect 誌による"Top 100 Public Intellectuals"の一人に数えられた。

Los Angeles Timesによれば、ヒッチンズは2ダースほどの本(*) を書いた─そのなかには "Letters To A Young Contrarian," "God Is Not Great: How Religion Poisons Everything" と、 "Hitch-22: A Memoir"が含まれる。彼はしばしばTVやラジオにも顔を出した。彼はまたUniversity of California, Berkeley、 University of Pittsburgh、the New School of Social Researchにおいて客員教授を務めた。
文化的な論客として、ヒッチンズはけんかを好んだ。彼は幅広いテーマにわたり…政治から宗教、そして彼自身の死すべき運命に関しても手厳しい洞察を行ったが、しかしおそらく彼の最もよく知られた批判とは、1994年のドキュメンタリー"Hell's Angel"と、Vanity Fairに掲載された、Mother Teresaに関するものだったろう。

「(マザー・テレサは)貧者の友ではなかった」、ヒッチンズはいった。「彼女は貧困の友だった。彼女は、苦しみは神からの贈り物であるといった。彼女は彼女の人生を貧困の唯一の治癒策として知られるものに反対して過ごした…それは、女性への権限付与(empowerment)であり、彼女らの家畜のごとき強制的な生殖活動からの解放だった」

彼の、多くの人々が聖人とみなす女性についてのネガティブな肖像のために、何百人もの読者が雑誌の購読契約をキャンセルした。しかしそれでも、彼の死に関するレポートが伝えられると、インドのチャリティー・ミッショナリーは、彼らのノーベル賞受賞者の創立者への攻撃的キャンペーンを行った人物にも関わらず、ヒッチンズの魂のために祈ると発表した。AFPは報じた

2008年には「強化された尋問テクニック(enhanced interrogation techniques)」が全米の論議の的となっていた只中で、ヒッチンズは彼自身waterboarding (水責め)による尋問が本当に拷問かどうかを知るべくそれを体験した。彼は16秒間もちこたえた。
「いまや、いつも…それが溺れるときの感覚を誘発するということが、メディアで─あるいは議会で─論議されているのを見るのは不快なことだ」と彼は述べた。「それは溺れる感覚を誘発するのではない。それによってあなたは実際に、ゆっくりと溺れていくのだ」

常にcontrarian(反骨家)として、ヒッチンズは米国が曝け出すその長所も欠点も全て含めて受け入れ、そして2007年の58歳の誕生日に米国市民となる宣誓をした。そのセレモニーは前大統領George W. Bushの国土安全局チーフ、Michael Chertoffが行った。

Hitchens and Carole Blue
無神論者を公言しながら─あるいは「an antitheist(反・有神論者)」と呼ばれることをより好みつつ、ヒッチンズは組織的宗教が世界の憎悪と暴政の主な源(ソース)であると描写し、多くの人々に理性的な思考をするようにと呼びかけた。彼は人生最後の時期に、宗教的・政治的な人物らと、信仰や神の存在について討論した。

「信仰(Faith)とは意志を明け渡すこと(surrender of mind)だ─それは理性の明け渡しであり、それは我々を他の哺乳動物から区別する、唯一のものを明け渡すことだ」とヒッチンズは述べた 「信じる事は我々にとって必要なことだ…そして我々には懐疑心や理性を明け渡すことも必要だ…あるいはそれらすべてを捨て去って、すべての信頼や信仰を誰か(もしくは何か)に与えたいと切望している…それは、私にとって不吉なことだ。我々の支持する全ての美徳や信仰は過大に評価されている」

"Hitchens with the Kurds on a destroyed Iraqi tank"
- 1st Gulf War period -

2010年に食道がんを宣告された以後でさえ、ヒッチンズは神々や組織的な宗教に安らぎを求めることを拒絶した。彼はもしも誰かが人生の最後に彼が改宗したという人があったなら、それは宗教コミュニティの喧伝する嘘か、あるいはがんとその治療による効果が彼に自分自身を失わせたからだろう、と明言した。
「そんな言葉を発する存在は、癌の脳への転移によって狂乱し、恐怖におびえた存在かもしれない。私はそのような存在になればそんなことを言わないという保証はできない、しかし私自身のように識別眼のある人間だったら、そんなことを言うことはありえない」と彼は言った。

「クリストファーのような人間は他にはありえない。彼は猛烈な知性の男、書物のページ上でも、まるでバーに居るときと同じように活気のある男だった」とVanity Fairの編集者  Graydon Carterは語った。彼の文章を読む者は彼を知っていたように思うし、そして彼を知っていた者たちは、奥深く幸運な魂たちなのだ。

 ヒッチンズには妻のライター、Carol Blueと3人の子供がある
http://www.huffingtonpost.com/2011/12/16/christopher-hitchens-dead_n_1152786.html

*2008年の7月のVanity Fair誌で太鼓腹の59歳のHitchensが自らウォーターボーディング(水責め)を「突撃体験」した記事は衝撃だった。当時、CIAが秘密収容所でテロ容疑者に行っていたことが暴かれ、それは拷問か、そうでないか?が曖昧とされ論議を呼んでいた
"Believe Me, It’s Torture"
http://www.vanityfair.com/politics/features/2008/08/hitchens200808
http://www.vanityfair.com/video/2010/08/594157164001(video "On the Waterboard")




*2007年10月のVanity Fairの企画”On the Limits of Self-Improvement”(コラムニストが健康改善のフィットネスや美顔エステを体験…)
http://www.vanityfair.com/culture/features/2007/10/hitchens200710 










*Slide Show: FROM THE LIFE OF CHRISTOPHER HITCHENS http://www.vanityfair.com/culture/features/2011/12/christopher-hitchens-slideshow-201112#slide=2



*HitchensによるColumn
 Fighting Words/Wartime Lexicon・戦争語彙録” シリーズ(勝手訳)…

マッドマンの死- オバマが次に何をするのかが、オサマ・ビン・ラディンの遺産(レガシー)を決めるhttp://hummingwordiniraq.blogspot.jp/2011/05/death-of-madman-by-christopher-hitchens.html
ばかげた性急な回答─なぜ、こんなに多くの"エキスパート"たちが、オスロの攻撃はイスラム過激派の仕業だと宣言するのか?
http://hummingwordiniraq.blogspot.jp/2011/08/ridiculous-rapid-response-why-did-so.html
パキスタンはなぜ、アメリカを憎むのか?──それは我々が頼りだからだ
http://hummingwordiniraq.blogspot.jp/2010/01/why-does-pakistan-hate-united.html
インドを忘れるなかれ!
http://hummingwordiniraq.blogspot.jp/2010/04/dont-forget-about-india-prime-minister.html
モスクを脅すマウマウ団?
http://hummingwordiniraq.blogspot.jp/2010/09/mau-mauing-mosque-dispute-over-ground.html
"掘削の同盟国”を呼ぶがいい!-アフガニスタンの巨大な埋蔵資源のもたらす問題に、なぜそんなにこだわるのかhttp://hummingwordiniraq.blogspot.jp/2010/07/bring-on-coalition-of-digging-why-are.html
カソリックの大いなる隠蔽:法王の全てのキャリアには、それ自身に邪悪の臭いがある  
http://hummingwordiniraq.blogspot.jp/2010/04/great-catholic-cover-upthe-popes-entire.html
アフガンのアヘン戦争に勝つ方法
http://hummingwordiniraq.blogspot.jp/2008/10/let-me-try-translate-hitchens-how-to.html
彼らは神を信ずる:保守主義者のアメリカ例外主義への信条は、いかに信仰心の問題となったかhttp://hummingwordiniraq.blogspot.jp/2012/08/in-god-they-trust-how-conservative.html
クリストファー・ヒッチンズ/ 9-11からアラブの春まで(The Guardianより)
http://hummingwordiniraq.blogspot.jp/2012/04/christopher-hitchens-from-911-to-arab.html
正しい一杯の紅茶の淹れ方とは?─ヨーコ・オノとジョン・レノンは無視して、ジョージ・オーウェルのティー・メイキングのアドバイスを心に留めよ
http://hummingwordiniraq.blogspot.jp/2011/01/how-to-make-decent-cup-of-tea-by.html

 

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