Monday, June 15, 2009

ムサヴィと改革派の支持者/Tens of Thousands Rally for Mousavi in Tehran by Juan Cole


昨秋、J.コールのレクチャーをきいた…シカゴ中の中東情勢に関心のある市民が質問の列にならんでいた…でもいつも反米的なコールは、すっかり人をくったような喋り方がデフォルトなのだ!? 

ムサヴィを支持する何万人もの抗議者が、テヘランを埋め尽くす(6月9日 by ホアン・コール)

月曜日にテヘランで、最低に酷い出来事が起こった。
ウォールストリート・ジャーナルのFarnaz Fassihiによれば何万人もが、首都を12マイルにわたって横断する最も長い大通り、Vali Asrストリートに溢れたと推定された。そのシーンは、Fassihiに、1978年のシャーに対する大群衆の抗議行動を思い出させたそうだ!彼らは怒りのスローガンを叫び、古い、禁制の、ナショナリストや共産主義者の賛歌を歌った。彼らはアフマディネジャドを独裁者、専制君主だと呼び、攻撃した。

彼らの行動はムサヴィ自身によって鼓舞されていた:アフマディネジャドをなぜ専制君主と呼ぶのか、との問いに答えてムサヴィはいった、「なぜなら彼は法を遵守しないからだ、それならなぜ我々が彼をそう呼んではいけないのか?」イランの革命防衛隊は─(今回)彼らが過去に学生達のデモに対してしばしば行ったような、デモの群集に対する介入を断った。

ニューズウィークのMazier Bahariは、革命防衛隊がムサヴィを支援する、との方針を広範に決定していたと指摘している─ ムサヴィは1980年から1988年にかけてイラン・イラク戦争時に首相であった際には、非常にスキルの高い(卓越した)リーダーだったと多くの人が記憶している。革命防衛隊の彼に対する特別な忠誠心は、以前には、アフマディネジャドが継承した財産(資産)でもあった─そのことは、彼を、彼の牙を失った前任者のモハメド・ハタミ(イラン人は、スマートなナイスガイである彼を「柄(つか)のない短刀」と呼んだ─)とは異なる立場においた。もしもアフマディネジャドが革命防衛隊を失ったら、彼は選挙に勝利できる可能性においてとても無力になるだろう。
─ Bahariはいう、イラン政府の秘密裏の世論調査では、金曜日にムサヴィにとって雪崩のような勝利が起こる筈だった。(註:イラン人の世論調査は大抵信頼できない。)

金曜日のイランの大統領選挙は、この国では暫くみられなかったような熱情をかきたてた。キャンペーンでは幾つかの個人攻撃がみられた、また現職のアフマディネジャドは名誉毀損罪に繋がるような厳しい食物争奪戦(のごとき熾烈な戦い)を開始することで辛辣な批判に答えた。強硬派の宗教家たちが、法律的な意見やファトワ(宗教令)等を発して、右派の候補者に都合のよい投票所の備品の準備をしているといった噂が飛んだ。

2000年と2004年の米国の大統領選で田舎の「RED STATES」と都市の「BLUE STATES」が相い争ったように、イランのREDな田舎の地域はアフマディネジャドを支持し、またBLUEな大都市…タブリーズ、テヘラン、イスファハン、シラーズ…は、前首相のミル・ホサイン・ムサヴィを支持した。

この数夜のあいだ、都市で彼らの支持する候補者のために集まる群衆は、ほとんどカーニバルのような雰囲気を醸し出していた。また月曜日には、スタジアムに、同様にアフマディネジャドを応援する膨大な数の群衆が集まった。もちろん、ムサヴィ支援者の路上での集会は恐らく、そのスタジアムでのイベントに返答するものだったろう─そのイベントをムサヴィ支持者達は彼らに対決するためのイベントだと捉えた。

イランでは、ティーンエージャー達を含む教育水準の高い女性の世代は(現在、投票可能な年齢は18歳以上だ)ムサヴィの背後で彼に投票する方に転じたようにみえ、そして彼のためにパンフレットを作成していた。1978年にあったように、支持者の群れが月毎に、やがては日々増加していき、先週のような集会は月曜日の巨大な集会に花開いたといえる。

それはただの路上の群衆ではない。恐れを知らぬLAタイムスのBorzou Daragahi が暴いたことによれば、イスラム共和国のキーとなるエリート達が、プラグマティスト(現実主義者)なMusaviの支持に転じたという。最も重要なのは、Akbar Hashemi Rafsanjani、前大統領で億万長者(イランの議会とその宗教関係者による「上院 Guardianship Council」との間の紛争トラブルを解決した、便宜委員会Expedience Councilのリーダー)だ。ラフサンジャニは一連の大学を創立し、それらを彼はムサヴィの支援活動に対してオープンな状態においた。そして高度な電子ネットワークをもつくりあげたが、彼は同時にそれをムサヴィの「処分」にも使ったわけだ。おそらくこれがアフマディネジャドがイランで、選挙戦が終わるまで「Facebook」をブロックした理由だろう。

ある強固なアフマディネジャド支持者の宗教家、Misbah-Yazdiは、投票における不正はムスリム社会を守るためには許される、との法律的意見、あるいはファトワ(宗教令)を発したという。ムサヴィの支持者は、特に投票の不正に関して強く監視すると言明している。

先週、水曜日に行われたアフマディネジャドとムサヴィの間の白熱した議論のなかで大統領は、ラフサンジャニの家族が金融上の詐欺を犯したと訴えた。その家族のメンバーはこれに対して、侮辱罪での起訴によって返答している。同じ議論のなかで、ムサヴィはアフマディネジャドに対し、イランについて彼が世界のステージで風変わりで奇妙な声明を出すことや、核開発問題において非協力的態度をとることで、イランを笑いの種にしている、と面と向かい率直に批判した。ムサヴィは特にアフマディネジャドがホロコーストの犠牲になったユダヤ人の数を少なくいう、怪物的な傾向に関して怒っている。

アフマディネジャドは、議論の中で、ムサヴィの妻Zahra Rahnavard─よく知られた「イスラム的フェミニスト」が、学歴を詐称していると訴えた。その訴えに対し、イランのジャーナリスト達が「イランのミシェル・オバマになりたがっている」とする、そのもうひとりの改革派はそれをまた侮辱罪として起訴している。(彼女は夫の選挙戦に対し公的な支援活動を行ったが、これはイランでは稀なことだ)


あなたもご存知のように、この社会の表層の裏側にある個人的なアパートメントのなかでは、信仰心の厚い清教徒的な革命社会の表玄関(が標榜する建て前)が長きにわたり、その他のことがらの追求…ロックミュージックや、インターネット、そしてより健康的なアクティビティ(映画’シリアーナ’が始まるコカコーラ・パーティはBob Baerの想像上の産物ではないのだ─)といったものを放棄していた。しかし今回の選挙では、アフマディネジャドの分裂的人格が新しい個人的(私的)なイランを公的な場に初めて連れ出した、といえる。
http://www.juancole.com/2009/06/tens-of-thousands-rally-for-mousavi-in.html