…Baitullah Mehsud将軍は、パブリシティやプロフィール写真の露出を嫌った …時にはジョーク交じりにカムフラージュの衣装をつけていたとか?
ベィトゥラが生きていようと死んでいようと、彼の戦いは続く─ By Syed Saleem Shahzad (8月8日、Asia Times)
パキスタン、および米国の当局はいまや、パキスタンのタリバン組織のリーダーで、TTP(Tehrik-i-Taliban Pakistan:パキスタン・タリバン運動)の首領ベィトゥラ・メスードBaitullah Mehsudが、水曜日(8月5日)に南ワジリスタンの部族エリアで米軍無人偵察機の攻撃により殺害されたと、先を争って確認しようとスクランブル態勢だ。 「諜報部からの情報にもとづき我々は、Baitullah Mehsudの死亡を断定した。しかし我々は空爆で彼が死亡した事実を、さらに地上捜査で200%確認したい。」と、金曜日にパキスタンの外相Shah Mehmood Qureshiは述べた。
TTPは、Baitullahとその第2夫人が8月5日の無人機の攻撃で死亡したと複数のチャネルで伝えているが、彼の葬儀は既に開かれ、その後継者は金曜日に指名されるという。首都イスラマバードのMehsudジルガ(部族評議会)の会合はこの報道に関してコメントしていないが、南ワジリスタンのMehsudの最大のライバルのHaji Turkestan Bhitniは、米軍がその首に500万ドルの懸賞金を掛けていたMehsudは死んだ、という。 30代半ばのBaitullahはパキスタンでの幾つもの武装攻撃に関わってきたが、2007年12月27日のBenazir Bhutto元首相 の暗殺にも関わったとされる。
もしもBaitullahが死んだなら、タリバンは、彼らの組織とアル・カイダやパキスタン民兵、部族民兵、また特にアフガニスタンのHelmand 県のタリバン組織との間を結び付けていた大きな力を失うこととなり、その打撃は大きい。 長年にわたるタリバン指導者たち(2004年6月に南ワジリスタンで米軍の空爆により殺されたNek Mohammad、2005年6月パキスタン南西部Balochistan で治安維持軍との銃撃戦で死亡したAbdullah Mehsudを含む─)の後継者として完璧なリーダーだった彼の代任を見つけるべく、タリバンは必死の後継者探しを迫られることになる。
過去1,2年間、この小柄で糖尿病を患いながらも大いにカリスマ的だったBaitullahは、彼自身の存在と、南ワジリスタン以遠の地域で、主として中央政府と対立する武装勢力の傘組織TTPの存在を打ち立てた。多くの人が彼をアル・カイダの指導者オサマ・ビン・ラディンよりも大きな脅威とみた。 2001年末の米軍のアフガニスタン侵攻に続く同国でのタリバンの敗走以後、同国に居た有力なアラブ人司令官たちはすべて、国境の向う側の南ワジリスタンに逃亡した。彼らはその後直ぐに彼ら自身の資力と思想を投じ、その同じ思想をわけあい同盟を組む新たな世代を育成した。それは数年を要したが、その成果はNek Mohammad からAbdullah Mehsud 、 Baitullah Mehsudに至る人材によって明白となった。
Baitullah はアフガニスタンのタリバンの貧しい寄せ集め部隊の一兵卒から身を起こした。余り有名でない宗教者の息子だった彼は、マドラサ(イスラム神学校)をドロップアウトした。パキスタンのアル・カイダの首領Khalid Habibや、アル・カイダの最有力のトレーナーAbu Laith al-Libbiは、大志を抱く Baitullah を彼らの傘下にいれ、彼にオフロード車両や多量の武器を与えた。そして重要なことは、ウズベキスタン・イスラム運動の首領、Qari Tahir Yuldashevが彼の2500名の重武装兵力の指揮権をBaitullahに与えたことだ。Baitullahは、彼に最大の思想的なインスピレーションを与えたこのウズベク人と共に住んだ。
2002年、当時の首相Pervez Musharrafの暗殺未遂事件以降パキスタンのジハード運動の外貌は武力鎮圧され、武装兵士たちは部族エリアに逃亡した。彼らの中での著名人物にはジハード戦士の主導者Qari Zafar 、また元カシミール・ゲリラの司令官であったIlyas Kashmiriがいる。 彼らは皆、有名なタリバンの司令官 Mullah Dadullahなどと共にBaitullahによって保護され、Baitullahはそうした活動の途上で、地域で最も影響力を持つ者となっていった。 2007年までにはBaitullah は1年に何百人もの男たちをHelmand県に送り、南西アフガニスタンで外国勢力と戦うタリバン主導の反乱勢力を力づける最大の貢献者となった。彼はまた、パキスタンでのアル・カイダのミッションのため傘下の部族の無法者を自爆テロリストの人材として送りこみ、アル・カイダからの資金供与をひき出した。
もしもBaitullahが死んだのなら、その後継者はパキスタンのタリバンのチーフとして、彼自身が手にしていたよりも一層巨大な一大勢力圏の支配権を継承するだろう。その新たな人物は同時に、パキスタン軍と対決する決戦に直面する… 同国軍はここ何ヶ月か、南ワジリスタンでの武装攻撃を準備すると同時に、Baitullahのライバルの部族民兵の武装を進めている。
米軍Central Commandの現チーフDavid Petraeus大佐はイラクで部族民兵勢力を武装化し、アル・カイダの外国勢力に対抗させることを発案した。このイラクでの経験は、2007年に駐カブールの英国大使Sir Sherard Cowper-Colesの興趣をそそり、彼は同じ作戦で、arbakai ─部族の長老の命に従って村々を守る部族のボランティア民兵たち─を組織化すること考えたが、…その作戦は失敗した。 同様に、パキスタンの治安維持組織はタリバンの打倒のために部族民兵勢力を武装化し始めた。しかし、彼らはタリバン殲滅の代わりに、宿命的に部族同士の抗争に火を点けてしまい、部族間紛争の亡霊の再来が招きよせられた。
首都での会合
この過去5日間、Mehsud部族のメンバーはイスラマバードで、政情不安定な部族支配地域の平和を維持する合同コンセンサスを作るべく、会合を開いた。彼らはBaitullahの生死に関わらず、トップのパキスタン軍人たちや首相にも会い、彼らの現在の戦略アプローチが誤っていると指摘し、その説得を試みたいと考えている。 ジルガ(部族会合)のメンバーには前・議員や現職上院議員、部族の長老たち、国中に(戦乱により)離散している交易業者やビジネスマンたちが含まれている。 Haji Mohammad Khan Mehsudは、2004年(Baitullahの出現以前に)部族長老の権力削減という目的の一環として民兵勢力によって殺されたNawaz Khan Mehsudの息子だ。彼は、Baitullahと同じ南ワジリスタンMakeen 出身である。彼はAsia Times Onlineのインタビューに答えた─ 「我々はBaitullah Mehsudと共にはおらず、彼を支持してはいない。我々は、本当のターゲット以外のあらゆる勢力を攻撃のターゲットとするこの軍の作戦の意味が理解できない。」─ Haji Mohammad Khanは苦悩とともに語った。
「Haji Turkestan Bhitni (*Mehsudのライバルだった)は我々の本拠の南ワジリスタンの出身で、Baitullahに代わるこの地域の新たな軍事的指導者だ。今やTurkestanの人々は Mehsud部族に対する恨みを晴らそうとしている。彼らはTank とDera Ismail Khanにおいて、親Mehsudの人々のすべての本拠の地域に武装勢力を送り、攻撃を実行するつもりだ。」「我々は、軍の高官たちに対して幾度も、我々はこれまでBaitullahと共にあったが、他所の地域で難民として暮らす気はないということを告げた。しかし高官たちは我々の要求には耳を貸そうとしない。Dera Ismail Khan と Tankでの少年たちをターゲットとした謀殺もまた、パキスタン軍が武装化したBhitni 部族の仕業だ。私は当局担当者に、この戦略によって誰が得をするのかと訊いた。もちろん、幻滅した我々の部族の少年たちはBaitullahに共感し、彼に協力することだろう。」とHaji Mohammad Khanは言った。
パキスタン軍は、南部・北部ワジリスタン、および部族支配エリアに隣接する各都市で勢力を強めている。何週間にもわたり、ある地上作戦の実施が延期されているが、Pakistani Inter-Services の広報部 はまた、南ワジリスタンで近い将来に作戦行動の計画があることを否定している。パキスタン軍はここで、極度に困難な地域に直面し、また酷く敵対的なタリバンの支部組織は、予想に反して部族間の違いや互いの反目関係を脇において、統一戦線を組んでいる。
このことに対する回答として、軍は部族民兵勢力をBaitullahに率いられていたMehsud部族にぶつけるべく武装している─ Baitullahは部族システムを壊し、それを実質的に、パキスタン全土で… 自爆攻撃の実行、また盗みや誘拐によって資金を稼ぐ武装ギャング組織に代えたのだ。
昨今、パキスタンの治安勢力は超法規的にMehsud部族の者達を殺害し、その遺体は南ワジリスタンのBaitullahのもとに、「我々に逆らえば逆らうほど、お前たちは自らの部族の者の遺体を集めることになる」とのメッセージと共に送られた。(関連記事"Pakistan wields a double-edged sword”http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/KG18Df03.html を参照。) だがそのような行為もBaitullahを怖気づかせることはなく、彼は即座に彼に逆らって立つ全ての者を処刑した── 最近ではQari Zainuddin Mehsud が暗殺されたのだ。
Asia Times Onlineでは元・エンジニアでindustrialistに転じたHaji Mannan Mehsud に、何故Mehsud部族は、Baitullah Mehsudのグループに内部的アクションをとらないのかと質問した。「なぜなら、政府は不可解なポリシーをもっていて、彼らは我々を支持しないのです」と1995年に4千万ルピー(当時の米ドルで1千万ドル)を投資して南ワジリスタンでバター製造プラントを建設した Haji Mannanはいった。2008年にはその工場は、治安維持の口実のもと、軍によって破壊された。彼はこのことへの補償も受け取ってはいない。 Haji Mannanは続けた、「1999年以前には、国境には何の治安維持部隊も居なかった。それは必要がなかった。部族たちがパキスタンの国境地域の前哨部隊だったのだ。2000年から01年にかけて軍が我々の地域に到来し、部族兵力は彼らを助けて、彼らが必要とした全てのロジスティックスを支援した。Baitullah Mehsudもまた、911以降ですらも、彼らのガイド役だった。
「今や状況は変わり、彼は米国かインドのエージェント(スパイ)だとして非難・追求されている。Baitullah Mehsudに関して、部族の長老たちは短い期間、相談を受けていたが、今や政府はライバルの部族を武装化し、彼らによるMehsudの部族の虐殺を幇助している…彼らがBaitullahと共にいようといまいと。」とHaji Mannanはいった。
ジルガ(部族会合)に関して、上院議員 Saleh ShahはAsia Times Onlineに対し、未だに何の決定もなされていないと語った。 Baitullah Mehsud がプレデター機のミサイルで殺害されたかどうかの事実は近く公表されるだろうが、もし事実なら、パキスタンの混乱した部族エリアと国境をまたいだアフガニスタン側では新しいチャプターが始まるだろう。しかし、Baitullahの遺産は、パキスタンのタリバンと彼らのアル・カイダの同盟者たちに、なおもその戦いを続けさせることだろう。 (*筆者、Syed Saleem Shahzad はAsia Times Onlineのパキスタン支局チーフ)
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/KH08Df04.html
ベィトゥラが生きていようと死んでいようと、彼の戦いは続く─ By Syed Saleem Shahzad (8月8日、Asia Times)
パキスタン、および米国の当局はいまや、パキスタンのタリバン組織のリーダーで、TTP(Tehrik-i-Taliban Pakistan:パキスタン・タリバン運動)の首領ベィトゥラ・メスードBaitullah Mehsudが、水曜日(8月5日)に南ワジリスタンの部族エリアで米軍無人偵察機の攻撃により殺害されたと、先を争って確認しようとスクランブル態勢だ。 「諜報部からの情報にもとづき我々は、Baitullah Mehsudの死亡を断定した。しかし我々は空爆で彼が死亡した事実を、さらに地上捜査で200%確認したい。」と、金曜日にパキスタンの外相Shah Mehmood Qureshiは述べた。
TTPは、Baitullahとその第2夫人が8月5日の無人機の攻撃で死亡したと複数のチャネルで伝えているが、彼の葬儀は既に開かれ、その後継者は金曜日に指名されるという。首都イスラマバードのMehsudジルガ(部族評議会)の会合はこの報道に関してコメントしていないが、南ワジリスタンのMehsudの最大のライバルのHaji Turkestan Bhitniは、米軍がその首に500万ドルの懸賞金を掛けていたMehsudは死んだ、という。 30代半ばのBaitullahはパキスタンでの幾つもの武装攻撃に関わってきたが、2007年12月27日のBenazir Bhutto元首相 の暗殺にも関わったとされる。
もしもBaitullahが死んだなら、タリバンは、彼らの組織とアル・カイダやパキスタン民兵、部族民兵、また特にアフガニスタンのHelmand 県のタリバン組織との間を結び付けていた大きな力を失うこととなり、その打撃は大きい。 長年にわたるタリバン指導者たち(2004年6月に南ワジリスタンで米軍の空爆により殺されたNek Mohammad、2005年6月パキスタン南西部Balochistan で治安維持軍との銃撃戦で死亡したAbdullah Mehsudを含む─)の後継者として完璧なリーダーだった彼の代任を見つけるべく、タリバンは必死の後継者探しを迫られることになる。
過去1,2年間、この小柄で糖尿病を患いながらも大いにカリスマ的だったBaitullahは、彼自身の存在と、南ワジリスタン以遠の地域で、主として中央政府と対立する武装勢力の傘組織TTPの存在を打ち立てた。多くの人が彼をアル・カイダの指導者オサマ・ビン・ラディンよりも大きな脅威とみた。 2001年末の米軍のアフガニスタン侵攻に続く同国でのタリバンの敗走以後、同国に居た有力なアラブ人司令官たちはすべて、国境の向う側の南ワジリスタンに逃亡した。彼らはその後直ぐに彼ら自身の資力と思想を投じ、その同じ思想をわけあい同盟を組む新たな世代を育成した。それは数年を要したが、その成果はNek Mohammad からAbdullah Mehsud 、 Baitullah Mehsudに至る人材によって明白となった。
Baitullah はアフガニスタンのタリバンの貧しい寄せ集め部隊の一兵卒から身を起こした。余り有名でない宗教者の息子だった彼は、マドラサ(イスラム神学校)をドロップアウトした。パキスタンのアル・カイダの首領Khalid Habibや、アル・カイダの最有力のトレーナーAbu Laith al-Libbiは、大志を抱く Baitullah を彼らの傘下にいれ、彼にオフロード車両や多量の武器を与えた。そして重要なことは、ウズベキスタン・イスラム運動の首領、Qari Tahir Yuldashevが彼の2500名の重武装兵力の指揮権をBaitullahに与えたことだ。Baitullahは、彼に最大の思想的なインスピレーションを与えたこのウズベク人と共に住んだ。
2002年、当時の首相Pervez Musharrafの暗殺未遂事件以降パキスタンのジハード運動の外貌は武力鎮圧され、武装兵士たちは部族エリアに逃亡した。彼らの中での著名人物にはジハード戦士の主導者Qari Zafar 、また元カシミール・ゲリラの司令官であったIlyas Kashmiriがいる。 彼らは皆、有名なタリバンの司令官 Mullah Dadullahなどと共にBaitullahによって保護され、Baitullahはそうした活動の途上で、地域で最も影響力を持つ者となっていった。 2007年までにはBaitullah は1年に何百人もの男たちをHelmand県に送り、南西アフガニスタンで外国勢力と戦うタリバン主導の反乱勢力を力づける最大の貢献者となった。彼はまた、パキスタンでのアル・カイダのミッションのため傘下の部族の無法者を自爆テロリストの人材として送りこみ、アル・カイダからの資金供与をひき出した。
もしもBaitullahが死んだのなら、その後継者はパキスタンのタリバンのチーフとして、彼自身が手にしていたよりも一層巨大な一大勢力圏の支配権を継承するだろう。その新たな人物は同時に、パキスタン軍と対決する決戦に直面する… 同国軍はここ何ヶ月か、南ワジリスタンでの武装攻撃を準備すると同時に、Baitullahのライバルの部族民兵の武装を進めている。
米軍Central Commandの現チーフDavid Petraeus大佐はイラクで部族民兵勢力を武装化し、アル・カイダの外国勢力に対抗させることを発案した。このイラクでの経験は、2007年に駐カブールの英国大使Sir Sherard Cowper-Colesの興趣をそそり、彼は同じ作戦で、arbakai ─部族の長老の命に従って村々を守る部族のボランティア民兵たち─を組織化すること考えたが、…その作戦は失敗した。 同様に、パキスタンの治安維持組織はタリバンの打倒のために部族民兵勢力を武装化し始めた。しかし、彼らはタリバン殲滅の代わりに、宿命的に部族同士の抗争に火を点けてしまい、部族間紛争の亡霊の再来が招きよせられた。
首都での会合
この過去5日間、Mehsud部族のメンバーはイスラマバードで、政情不安定な部族支配地域の平和を維持する合同コンセンサスを作るべく、会合を開いた。彼らはBaitullahの生死に関わらず、トップのパキスタン軍人たちや首相にも会い、彼らの現在の戦略アプローチが誤っていると指摘し、その説得を試みたいと考えている。 ジルガ(部族会合)のメンバーには前・議員や現職上院議員、部族の長老たち、国中に(戦乱により)離散している交易業者やビジネスマンたちが含まれている。 Haji Mohammad Khan Mehsudは、2004年(Baitullahの出現以前に)部族長老の権力削減という目的の一環として民兵勢力によって殺されたNawaz Khan Mehsudの息子だ。彼は、Baitullahと同じ南ワジリスタンMakeen 出身である。彼はAsia Times Onlineのインタビューに答えた─ 「我々はBaitullah Mehsudと共にはおらず、彼を支持してはいない。我々は、本当のターゲット以外のあらゆる勢力を攻撃のターゲットとするこの軍の作戦の意味が理解できない。」─ Haji Mohammad Khanは苦悩とともに語った。
「Haji Turkestan Bhitni (*Mehsudのライバルだった)は我々の本拠の南ワジリスタンの出身で、Baitullahに代わるこの地域の新たな軍事的指導者だ。今やTurkestanの人々は Mehsud部族に対する恨みを晴らそうとしている。彼らはTank とDera Ismail Khanにおいて、親Mehsudの人々のすべての本拠の地域に武装勢力を送り、攻撃を実行するつもりだ。」「我々は、軍の高官たちに対して幾度も、我々はこれまでBaitullahと共にあったが、他所の地域で難民として暮らす気はないということを告げた。しかし高官たちは我々の要求には耳を貸そうとしない。Dera Ismail Khan と Tankでの少年たちをターゲットとした謀殺もまた、パキスタン軍が武装化したBhitni 部族の仕業だ。私は当局担当者に、この戦略によって誰が得をするのかと訊いた。もちろん、幻滅した我々の部族の少年たちはBaitullahに共感し、彼に協力することだろう。」とHaji Mohammad Khanは言った。
パキスタン軍は、南部・北部ワジリスタン、および部族支配エリアに隣接する各都市で勢力を強めている。何週間にもわたり、ある地上作戦の実施が延期されているが、Pakistani Inter-Services の広報部 はまた、南ワジリスタンで近い将来に作戦行動の計画があることを否定している。パキスタン軍はここで、極度に困難な地域に直面し、また酷く敵対的なタリバンの支部組織は、予想に反して部族間の違いや互いの反目関係を脇において、統一戦線を組んでいる。
このことに対する回答として、軍は部族民兵勢力をBaitullahに率いられていたMehsud部族にぶつけるべく武装している─ Baitullahは部族システムを壊し、それを実質的に、パキスタン全土で… 自爆攻撃の実行、また盗みや誘拐によって資金を稼ぐ武装ギャング組織に代えたのだ。
昨今、パキスタンの治安勢力は超法規的にMehsud部族の者達を殺害し、その遺体は南ワジリスタンのBaitullahのもとに、「我々に逆らえば逆らうほど、お前たちは自らの部族の者の遺体を集めることになる」とのメッセージと共に送られた。(関連記事"Pakistan wields a double-edged sword”http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/KG18Df03.html を参照。) だがそのような行為もBaitullahを怖気づかせることはなく、彼は即座に彼に逆らって立つ全ての者を処刑した── 最近ではQari Zainuddin Mehsud が暗殺されたのだ。
Asia Times Onlineでは元・エンジニアでindustrialistに転じたHaji Mannan Mehsud に、何故Mehsud部族は、Baitullah Mehsudのグループに内部的アクションをとらないのかと質問した。「なぜなら、政府は不可解なポリシーをもっていて、彼らは我々を支持しないのです」と1995年に4千万ルピー(当時の米ドルで1千万ドル)を投資して南ワジリスタンでバター製造プラントを建設した Haji Mannanはいった。2008年にはその工場は、治安維持の口実のもと、軍によって破壊された。彼はこのことへの補償も受け取ってはいない。 Haji Mannanは続けた、「1999年以前には、国境には何の治安維持部隊も居なかった。それは必要がなかった。部族たちがパキスタンの国境地域の前哨部隊だったのだ。2000年から01年にかけて軍が我々の地域に到来し、部族兵力は彼らを助けて、彼らが必要とした全てのロジスティックスを支援した。Baitullah Mehsudもまた、911以降ですらも、彼らのガイド役だった。
「今や状況は変わり、彼は米国かインドのエージェント(スパイ)だとして非難・追求されている。Baitullah Mehsudに関して、部族の長老たちは短い期間、相談を受けていたが、今や政府はライバルの部族を武装化し、彼らによるMehsudの部族の虐殺を幇助している…彼らがBaitullahと共にいようといまいと。」とHaji Mannanはいった。
ジルガ(部族会合)に関して、上院議員 Saleh ShahはAsia Times Onlineに対し、未だに何の決定もなされていないと語った。 Baitullah Mehsud がプレデター機のミサイルで殺害されたかどうかの事実は近く公表されるだろうが、もし事実なら、パキスタンの混乱した部族エリアと国境をまたいだアフガニスタン側では新しいチャプターが始まるだろう。しかし、Baitullahの遺産は、パキスタンのタリバンと彼らのアル・カイダの同盟者たちに、なおもその戦いを続けさせることだろう。 (*筆者、Syed Saleem Shahzad はAsia Times Onlineのパキスタン支局チーフ)
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/KH08Df04.html
*写真はBaitullahの背に手を回すHakimullah Mehsud
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Pakistan Says Feud Kills a Top Militant (Mehsudの後継者選びで反目、トップの司令官が殺害さる)(8月9日、NY Times)
8月8日、パキスタン政府高官によれば、アフガン国境に近い山岳地帯におけるタリバンのMehsudの後継者をめぐる話し合いの場で、前リーダーMehsudの若くてアグレッシブな側近であったHakimullah Mehsudが、後継者の地位を狙うもう1人の司令官Waliur Rehmanにより射殺された。Rehmanは負傷したともいう。Hakimullahの死が事実なら、タリバンにとってもう一つの大きな打撃となる。こうした内部抗争により、パキスタン北西部のアル・カイダがパキスタンのタリバンの方向性を定めるのに一層大きな影響力を行使する可能性が出る。同グループは、最近アル・カイダとの連携を強め湾岸諸国からの多くの資金を獲得していた。ワシントンの対テロリズム担当高官は、TTPの内部抗争は米国とパキスタン政府がこれに乗じれば、彼らの勢力を弱める機会をもたらすともいう──先の米国の無人偵察機による空爆攻撃では少なくとも、Hakimullah Mehsudもターゲットの1人だった。
会合に出席していたBaitullahの義父は、反目するグループにより拘束されたとされる。パキスタン政府担当者は、この後継争いには今後、アフガニスタンのタリバン総帥オマール師の重要な部下、Sirajuddin Haqqaniが率い、アル・カイダとも繋がりの強いHaqqani部族のグループが介入してくる可能性もあるという。 南ワジリスタンでのこのSara Roghaの会合で2人の後継者候補は口論となったが、地元のMehsud部族がHakimullah を後継者に推すのに対し、外国から来た武装兵士メンバーはRehmanの方を好んでいた。外国勢力とパキスタンのタリバンは相互の依存関係を強めている。2008年のイスラマバードのMarriott Hotel の爆破犯は、アフガニスタンのMehsud部族の部分的支配地域でMohmand Agencyにより訓練されたアフガン人だったが、この爆破を計画し資金援助したのはケニア出身のアル・カイダのメンバー、Usama al-Kinniだったことも、その明らかな証拠である…。http://www.nytimes.com/2009/08/09/world/asia/09pstan.html?_r=1&sq=Mehsud&st=cse&scp=2&pagewanted=all
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/7163626.stmProfile: Baitullah Mehsud
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1706680,00.htmlThe Face of Pakistan's New Taliban
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/20th/2009/06/17.html
国境地帯一の軍事指導者メスードは第二のビン・ラディンか(2009年6月17日)(*写真右側ベイトゥラ・メスード)
*その後、Mehsudの後継者選びに関する報道は錯綜… Hakimullah は重傷ながらも生存、リーダーを継いだという情報も出た─それに対しパキスタンの外務大臣は情報は疑わしいともいっている。次のリーダー決定までの繋ぎの偽情報なのでは、ともいう…。
Hakeemullah annnounced new leader – doubts linger