Thursday, April 29, 2010

サウスパークでも駄目?Not Even in South Park? - By ROSS DOUTHAT

サウスパークでも駄目? - By ロス・ドウザット (4/25, The New York Times)

 9月11日のテロの2ヶ月前、コメディ・セントラルはアニメ「サウスパーク」のなかで、“Super Best Friends” と題したエピソードを放送した─そのマンガの中では、口利きの悪いわんぱく小僧たちが、この世ならぬスーパーヒーローたちから構成されるチームに助力を求めていた。そのスーパーフレンドたちとは、すべて宗教的人物…:イエス・キリスト、クリシュナ、仏陀、モルモン教のジョセフ・スミス、タオイズムの老子…そして預言者モハメッドもまたターバンを被った「5時の影」として描かれており…「炎の力を持つイスラムの預言者(the Muslim prophet with the powers of flame)」と紹介されていた。

 そのころは、未だに寛大で受容的な時期だった。2006年になって、サウスパークのクリエーターTrey Parkerと Matt Stoneが、デンマークの新聞の掲載した(モハメッドを媚びへつらいなく描いた)漫画が世界中に暴動をひき起こした件をパロディーにし、さらにアニメ化しようと試みた際に、モハメッドの姿は米国のTVではもはや放映できないと気づいた。そのエピソードは放送されたものの、“スターの登場する見せ場”自体はブラックアウトされ、「コメディ・セントラルは預言者の姿を見せることを拒否します」、という告知のメッセージに置き換えられていた。

 ParkerとStoneにとって次のステップとは明らかに、我々がモハメッドの肖像を放送できない、ということ自体を茶化すことだった。2週間前、“サウスパーク”では“super best friends”のキャラクターたちを再度登場させた…だが今回は、モハメッドは決して顔を出さなかった。彼はU-Haulトレーラーの中に“現われて”、そして次には、マスコットのコスチューム(クマの着ぐるみ)の中に現われた。こうしたギミックに対し、ニューヨークを本拠にするウェブサイト、revolutionmuslim.comは「Parker とStoneは、2004年にイスラム教を痛烈に非難した故に殺されたオランダの映画監督、テオ・ヴァン・ゴッホと同じ運命を辿るだろう」、と予測した。これを書いたのは、アメリカ生まれでイスラム教に改宗したAbu Talhah Al-Amrikeeだが、彼は彼自身が彼らをテクニカルに殺害するという脅迫は述べなかった。彼の投書とそこに付されたテオ・ヴァン・ゴッホの遺体の写真は「…起こりそうな事の警告」だけだったという。 *U-Haul:トレーラー、トラックのリース業者 

 この受動攻撃的(passive-aggressive)な死の脅迫は、コメディ・セントラルからすばやい反応を引き起こした。先週、放映された続編エピソードでは、預言者の「出現しないことによる出現(non-appearance appearances、見えない出現)」は検閲され、モハメッドに関する全ての言及がビープ音でかき消された。過去の放映についての記録もまた、迅速に洗い落とされた─オリジナルの“Super Best Friends”エピソードはもはや、インターネット上でも見ることはできなくなった。

 ある意味で、「サウスパーク」を黙らせたことは、西欧の社会的機関がイスラム過激派の暴力の前に萎縮している、ということの、これ以上ない不穏な証拠だ。それはドイツのオペラハウスが、モーツアルトのオペラ“Idomeneo”の上演を、モハメッドの斬り落とされた首が出てくる、という理由で、一時的に休演させたことにも劣らず、不味い事態だ。またはランダム・ハウスが預言者の第3夫人を描いた小説の出版をキャンセルしたこととも同様だ。…またはイェール大学出版が、論議の的となったデンマークの新聞漫画を、それらデンマークの漫画の危機に関する本のなかに掲載することを拒否したこととも同じだ。…あるいはそれは、多様な西欧のジャーナリストたちや知識人、政治家たち─イタリアのOriana Fallaci やフランスのMichel Houellebecq、カナダの Mark Steyn、オランダのGeert Wildersも含めて─を法廷の前に…この、多分リベラルな社会だと思われる社会の「人権に関する裁判」の場に、引きずり出させるのと同じだ─イスラムに対する攻撃をあえて行ったとの咎で。

 それでも「サウスパーク」のケースにはなお、特に啓蒙的なものがある。それは単に、ライターや娯楽の演出家たちが突然、新たな超えられない一線を定められた、といったことではない。しかしそれは、イスラムとは我々が線を引ける唯一の場所だということを再度、想起させるのだ。14年にわたる放送のなかで「サウスパーク」が踏みつけにしなかった偶像は存在しなかったし、(セクシュアルな、ス*トロな、冒涜的な)ショックコメディーのノリで描かなかった物もなかった。さほど疲れ果ててはいなかった時期に、そのクリエーターたちはOscar WildeやLenny Bruceの正当な後継者のごとく、しばしば危険を冒しながら文化的な聖なる牛を切り身にさばいていた。

 それでもパーカーとストーンの最も激しい怒りはこのシーンの影にぼやけていってしまう。最新のヒット映画“Kick-Ass”で、11歳の少女が卑猥な言葉を吐きながら、ペドファイル(小児性愛者)の気を引くオトリのいでたちで、悪い男たちをばらしているこの国では、本当に宗教的に一線を越えるような逸脱(違反、transgression)など考えられない。我々の文化には、殆ど侵害できないタブーなどなく、我々の社会秩序ははじめに規範を設定することなど、広範に放棄している─イスラムが関わるところ以外では。そこでは、暴力の脅迫のもとで規範(standard)が設定され、自己保存本能と自己嫌悪がない交ぜになるなかで、受け容れられている。それは、デカダンス(堕落、退廃)というものの現れた姿だ:狂気じみた粗野さ(下品さ)が、「勇猛果敢にも」それ自体の価値や伝統を踏みにじり…それらを素早く、全体主義と暴力のもとにはじき飛ばすのだ。

 幸運にも今日、全体主義を志向する者たちはたぶん、全てのアドバンテージを得るには余りに周縁の存在だ。今はワイマール帝国時代のドイツではないし…イスラムの過激な周縁的(フリンジ)勢力は、実体的な敵というよりも、未だにフリンジに過ぎない。そのことからも、我々は感謝すべきだ。なぜならもしも暴力的な周縁勢力がそれほど多くの萎縮や自己検閲を喚起できるならば、それは我々自身の制度のなかに充分な堕落があって、より強い敵がそれを破滅させられるかもしれない─ということを示しているのだろうから。
http://www.nytimes.com/2010/04/26/opinion/26douthat.html
CNNのビデオ
http://cnn.com/video/?/video/showbiz/2010/04/21/ac.griffin.south.park.threat.cnn

  





*Harlem Line(NYの郊外電車)からみたU-HaulのParking lot

Saturday, April 24, 2010

無神論運動?? - “Athiest movement” とは

*動物行動学者のリチャード・ドーキンズ教授(ヒッチンズとともにローマ法王の訴追を訴えた)は、英国で「無神論運動」 Athiest movementも創始… そのBus Ad(バスのメッセージ広告)は、当初は、福音派教会の宗教広告(街角によくあるメッセージ広告)に対抗して、英国コメディアン協会と共に出資、女性コメディアンとともに始めたとか… ネットで1台分$500といった広告料の出資を募る手法で協力者が拡大し、昨今欧州各国や米国にも賛同の波が広がっている…

→Seattleに登場したAthiest Bus Ad

オリジナルのLondonのBus Ad…2009年1月に800台ではじめたとか。当初のバス・アド広告に出現したメッセージとは"THERE IS PROBABLY NO GOD- Now stop worrying and enjoy your life"(おそらく…この世に神はいない-心配することなどやめて、人生を楽しもう)というコピーだった─
─(その後、現れたアドコピーでは、"Hitchens is probablly not God" という物もあったとか)

Thursday, April 22, 2010

カソリックの大いなる隠蔽:法王の全てのキャリアには、それ自身に邪悪の臭いがある/ The Great Catholic Cover-Up-The pope's entire career has the stench of evil about it-By C.Hitchens

カソリックの大いなる隠蔽 ─ 法王の全てのキャリアには、それ自身に邪悪の臭いがある─ By クリストファー・ヒッチンズ (3/15、Slate.com)

 3月10日、バチカンの祓魔師のチーフ(chief exorcist)のGabriele Amorth司祭(彼は、この困難な職務を25年間務めている)はこのように述べたという─ 「悪魔がバチカン内部で活動している」、「聖なる部屋々々の内に漂う "サタンの煙"について語るとき、それはすべて真実なのだ──最近、報告のなされている暴力と小児性愛のストーリーを含めて」─ これはおそらく、この聖なる教皇区のなかで、何か恐ろしいことが…勿論、進行中であることを追認したものと解釈されている──ほとんど取調べの審問に対しても、完全に物的証拠による説明がなされている。

 子供のレイプ事件に関する現在進行中の──まさに際限のないスキャンダルへのバチカンの継続的関与についてごく最近暴露された事項に関しては、数日後にHoly See(使徒座〔教皇庁〕)のスポークスマンが否定を装いながらも譲歩を示した。Federico Lombardi司祭(スポークスマン)は「それは明らかなことなのだが…」、「聖なる父、法王自身が性的虐待事件に関与していた要素が、あったのか否か、を見出すための試みがなされつつある」と語った…そして彼は愚かにもこう続けた、「それらの試みは失敗した」と。

 彼は二度、過ちを犯している。第一に、誰もそのような証拠を発見するための努力などする必要はなかった:そしてそれは表面化した…なぜなら、それは表面化せざるを得なかったからだ。そして第二に、このローマ・カソリック教会の最高位のレベルを巻き込んだ最悪なスキャンダルの拡大のプロセスは今、始まったばかりなのだ。だがそれは、枢機卿団が主キリストの地上の代理人としてその男を選任したときに、彼に、その当初の(オリジナルな)隠蔽作業への主なる責任が生じたことは、ある意味で避けがたいことなのだ。この"選挙"に票を投じた聖なる投票者たちの一人は、ボストンのBernard Law枢機卿──すなわち
〔児童を虐待した聖職者を再度任命していたにも関わらず〕、マサチューセッツの裁判所が彼の趣味に余りに寛大すぎる事が判明した人物だ‥

 ここには二つの…
別々だが、互いに関連しあっている事柄がある: その一つ目は、このモラル的な悪夢の一つ一つの事例に、法王の個人的な責任が問われるということであり、二つ目は、それらに伴うより拡大した違法行為や、恥辱や、不面目にも、彼のより全般的な制度上の責任が伴う点ということだ。この最初の事実とは、簡単に説明されることで、誰にもそれを否定できない。1979年に、11歳のWilfried F.という名のドイツ人少年が司祭に連れられ、山岳地に休暇旅行に行った。その後彼は、アルコールを与えられ、彼のベッドルームに監禁され、服を脱がされ、彼の告解をきく聖職者の性器を○えさせられた(なぜ我々は、我々自身がこうしたことを“虐待”と呼ぶことを制限するのだろうか?)この加害者の司祭は、当時の大司教(Archbishop)だったJoseph Ratzingerの決断により、「テラピーをうけるため」エッセンからミュンヘンへと転任させられ、そして、彼には二度と子供のケアはさせないとの保証がなされた。しかし、Ratzingerの代理人だった司教代理、Gerhard Gruberが、彼を「司祭の仕事」に戻させるのに時間を要することはなく、そこで彼はまもなく、再び彼の児童虐待のキャリアを再開した。

 これには無論、ふたたび告訴がなされたが、まぎれもなく…後にその申し立ての一部は取り下げられた──Ratzinger自身は、この2度目の事件の再発を知らなかったのだ、として──私はここに、ワシントンの前のバチカン大使館員で、子供のレイプ事件に関する申し立てへのカソリック教会の対応の怠惰さを早くから批判していたThomas Doyle司祭の言葉を引用したい…「ナンセンスだ」、と彼は言った。「法王ベネディクトはマイクロ・マネージャー〔最高経営者でありながら細かいことまで管理して、部下に裁量権を与えないタイプ〕だ。彼はオールドスタイルなのだ。その手の出来事については彼は必ず、すべてに関心を持ってきた。司教代理には、もっとましな言い訳を考えさせたほうがいい、明らかに彼は法王を守ろうとしているだけなのだ」

 これはよくある、菜園の野菜類のようなものなのだ… 米国の、オーストラリアの、そしてアイルランドのカソリック信者達がその子供達に対するレイプ、拷問、またそのことへの隠蔽──レイプ犯・虐待犯たちを教会区から教会区へ異動させることによる事実の隠蔽を──骨折り労苦のすえに包括的に暴露してきた、こうした人達にとってはお馴染みなことだ。これは最近になって、法王の実兄Georg Ratzinger司祭が行なった遅すぎた事実の承認のようなレベル…つまり1964年から1994年にかけて彼が経営していた聖歌隊学校における性的暴行事件について、彼は何も知らなかったが故に──今や彼は当時を想起し、そこで少年たちが手荒く扱われたことを遺憾に思う、と述べたというようなレベルの承認に過ぎない。

 さらにひどく深刻なのは、教会がJoseph Ratzingerを最高位に任ずる前に、彼がより大きなスケールで、正義の遂行の妨害に果たした役割だ。彼は枢機卿に昇進した後、「教理省(かつては宗教裁判として知られていた)」の担当者に任命された。2001年には法王ヨハネ・パウロ2世が、カソリック聖職者による子供のレイプ・拷問事件への調査を担当する自身の部門を設置していた。同年の5月にRatzinger は、全ての司教(bishop)たちに秘密の手紙を送り、そのなかで彼は司教たちに対し、ある犯罪の極端な重大性への認識を喚起した──しかしその犯罪とは、レイプと拷問を報告すること──であったそのような告発は…とRatzingerは詠唱するように語っていた…教会自身の排他的な司法権によってのみ対処すべきものだ、と。事件の証拠を法律機関や報道機関によって共有させることは絶対的に禁止される。そうした容疑は、最高度に秘密の方法によってのみ捜査され──永久的な沈黙によって抑制され──それらの厳重なる秘密は誰もが、聖なるオフィス(教皇庁)の機密とみなすべきで──「(違反者には)、破門の懲罰が課される…(斜体は筆者による)。未だに、子供のレイプや虐待に関与したとして破門された者はいないが、加害行為について暴露した者は深刻なトラブルにみまわれるかもしれない、という。そしてこれが、我々にモラルの相対性について警告を発する、教会のやっていることなのだ! (このLondon ObserverのJamie Dowardによる、2005年4月24日付のより驚くべき2つのレポートを見てほしい─)  http://www.guardian.co.uk/world/2005/apr/24/children.childprotection 
 聖職者たちを法から遮蔽するのみでは飽き足らず、Ratzingerのオフィスは自らによる私的な制限規則をもうけた。教会の司法権は…とRatzingerは書いた、「未成年者が18歳になった日から発効しはじめる」、そしてその後さらに10年間も(制限の期間が)継続する──と。Ratzingerとテキサスの教会を告訴した2人の犠牲者の弁護人であるDaniel Sheaは正確にも、この後者の規則が正義の遂行を妨げる、と描写した。「もし貴方が、事件の事実を知ることができないなら、貴方はそれを調査することはできない。もしもその事実を18年プラス10年間にわたり秘密にし続けることができたなら、聖職者たちはそれ(訴追)から逃れることができる」。

 この身の毛もよだつような訴訟一覧表の次のアイテムは、Marcial Maciel司祭──性的虐待は殆どキリスト教の典礼の一部だ、とすら唱えた過激な反動的団体「Legion of Christ」の創設者──に対する、長期的な訴追申し立てのリバイバルだ。この秘密教団の元上級メンバーたちは、彼ら申し立て人たちの主張がRatzingerによって90年代に黙殺され、無効にされたことを発見したのだ──まるでそれが、当時の法王ヨハネ・パウロ2世により、Maciel神父が「若者に効果のある指導者」と賞賛されていたお陰、だけでなされたかのように。そして今、この長期にわたる暗黒化(不明化)運動の成果をみるがいい。ローマ・カソリック教会は、最も不潔なる不正の隠蔽をかつてその任務としていた、ババリア出身の凡庸な官僚によって率いられているのだ…その男のその職務上の愚劣さとは、いまや彼が汚れた犯罪の波(連鎖)に個人的な責任、そして職務上の責任がある、ということを示している。Ratzinger自身は平凡な人物かもしれない、しかし彼のキャリアのすべてには邪悪のにおいがある──悪魔祓いの力では追い払えずにまとわりつく、システマチックな邪悪だ。今、必要とされるのは中世のまじないの呪文ではなく、正義の適用なのだ──それも、スピーディーな対応で。
http://www.slate.com/id/2247861/

Hitchens, Dawkins try for Pope's arrest
http://www.nationalpost.com/news/story.html?id=2790684&p=1

科学者のリチャード・ドーキンズと作家のヒッチンズは、今年9月に予定されている法王のロンドン、グラスゴー、コベントリー訪問中に英当局は法王を逮捕すべきだと主張、かつてサルマン・ラシュディやシェラレオネの国連法廷を弁護した敏腕弁護士 Geoffrey Robertsonに依頼していると発表──

*"God is not great"のヒッチンズと共に、司法当局にローマ法王の訴追を訴えたドーキンズは、英国の動物行動学者、進化論者──天地創造説やインテリジェントデザイン説などを強く批判している。
The pope should stand trial- By Richard Dawkins
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/belief/2010/apr/13/pope-prosecution-dawkins

Wednesday, April 21, 2010

日本の輝かしい孤立は、危険を冒している?/ Japan’s splendid isolation may be at risk-By David Pilling


日本の気分を、敏感に洞察しているかのようなFTの記事なのだが?

日本の輝かしい孤立状態は、危険を冒している By David Pilling (4/14, Financial Times)

 世界は日本との恋が冷め、日本はその他の世界との恋が冷めた。日本マニア(Japanophiles…この国の効率性の高さや、素晴らしい料理、優美で繊細な美などに抱く、もっともなリリシズムの感情を膨らませている者たち…)との討論はさておき─最近、この国について語られていることは、眉を吊りあげさせたり、穏やかな…抑え気味のあくびをさせたりする。投資家たちは、日本という国は株主価値という概念の金科玉条〔企業は株主のものとの概念〕…を受け容れたがらず、その株価も90年代レベルの4分の1の好況を回復しつつあるというだけで、好況だ…と言いたがる様な国なのだ、とみている。つまりそこでは、関心が喪失している… たとえば、ある東京をベースとする株式ブローカーは、より多くの顧客が彼の投資ノートを読もうとするように、「日本」という言葉をその表題から削除しては、というアイディアを弄んでいた。

 それはそうと、確かに日本は、外部世界に対しては陰鬱で無関心な孤立感(detachment)をもって眺めている。日本は、彼らが自由な資本主義市場への、よりワイドな認識を持っていなかったことを立証されたと感じ、さらにその輸出依存型の経済が、見境いのないそのライバル諸国よりも一層、急激に収縮していることに失望を感じている。その国は、勃興する中国が、まもなくその世界第2位の経済大国の地位を奪うだろうことや、中国が随分前に外交的・地政学的な持ち札で日本に勝ったということを、神経質な諦めとともに認識している。日本は、その旧植民地ながらもその産業界が彼らに追いつき、グローバリゼーションによって起こされる変化への社会の順応性もより高いことが広く証明された韓国をすらも、幾分かの羨望をもってみている。

 国内では硬直した自由民主党からついに野党が政権を奪取してから、わずか8ヶ月が経過し、幻滅感が起きつつある。新たなる明治維新との期待さえ抱いた人々もいたそのことには、大した霊感はなかったことが判明しつつある。そこでは既に、「革命」のリーダーこと鳩山幸夫が辞任するのではという囁きすらある。経済的には、今週、インフレターゲット政策を志向する与党派閥が結成されたにも関わらず、国のリーダーたちは、宿命論的なデフレの受容れ論ばかりを好んでいる。本当に、15年前後にわたる継続的物価下落は、幾人かが予測したようにさほどの危機は招かなかった。しかし名目GDPの減少は日本経済の相対的な低落傾向を、さらに勢いづけている。

 そこには重要な反作用のトレンドがある。アジア全域に旧日本軍が跳梁跋扈していた時期以外には、日本はある意味で、世界に繋がって(プラグ・インして)いた時期は殆どなかった。しかしビジネス界はその未来は海外にある、との結論に達した。野村證券はグローバルな投資銀行となるべく、リーマン・ブラザースのアジアとヨーロッパ部門を入札で仕留めた。第一証券はインドの医薬品メーカー、Ranbaxyを大胆な(高額な、という意味で捉えて欲しいが)国際的な急襲によって獲得した。

 日本文化の海外での影響力は恐らく、これまでになく大きくなっている。東京は10年前に比べてはるかに国際化している。首都東京は、国際便の何本かが今や成田の原野の空港からより便利な羽田への発着に変わりつつあり、よりアクセスし易くなっている。
 
 それでもなお、多くの日本人は厳かな(風格ある)国力低下と気取った孤立状態(stately decline and genteel isolation…)という認識に、より安らぎを覚えるようだ。日本で最もよく売れている本の一冊であるThe Dignity of a Nation〔国家の品格〕は、子供たちへの英語教育をやめて、国際間の交易からも手を引くべきだと薦めている。そのような過激思想まではいかずとも、多くの人々は調子の狂った(不調な)世界からは隔絶されて… 富や社会的礼節を保つ僻地であって何が悪いのか、と問うている。

 確かに、そこにはいくつかのアトラクション(誘引力)がある。この国は、例えば国際的テロリズムからは手をつけられていない。鉄道駅やオフィス、公的機関の建物でのセキュリティーが殆ど不在なことは─、日本以後の世界にとっては─過ぎ去った昔への魅惑的な回帰のようだ。この国は貿易摩擦も顕著に避けてきた。最近のリコール事件が起こるまでは、トヨタはデトロイトの破壊の一途な追及に、実質上フリーハンドを与えられてきた。日本は、巨大な貿易黒字と米国側の赤字の堆積が続くなかでも、中国を襲ったようなバックラッシュは経験していない。仕事や貯金へのアクセスをもつ日本人にとっては、デフレさえもが恩恵となる。「我々は静かに我々の豊かさを楽しんでいるのだ」とある満足した顧客はいった。

 日本は、そして輝かしく安逸な─羨望さえも抱かせる─耄碌(もうろく)(splendidly comfortable – even enviable – dotage)へと滑りこんでいく。しかしそのシナリオには、少なくとも2つのリスクがある。一つ目は経済だ。20年に亘り日本は預金によって財政赤字を補填することができた。その状況は永久に維持できるものではないかもしれない、特に高齢化が進んで預貯金額が減少した場合には。その公的赤字の総額は─国内で認められている総額は─国民総生産の180%に近づいている。マーチン・ウルフは、英国政府は4ポンド使うごとに1ポンドの借金をしている、と警告した。これは日本では子供の遊びだ…200円使うごとに、政府が100円以上借金をしているこの国では。

 2つ目のリスクは地政学上のものだ。日本は、粗暴な近隣国に囲まれている。周囲を囲む殆ど全ての国々との間で領土問題を抱えており、それらの国の多くは戦前の日本の侵略への憤りを維持して(あるいは維持することが有利であると発見して)いる。日本の最強の同盟国である米国との現状のシーソーゲームの最近の原因は、海兵隊基地をどこに設置するかの問題だ。しかし底に横たわる摩擦とは、ワシントンが、東京が一食触発の危険な世界にフルに関わることには気乗り薄なことからくる、長期に亘るフラストレーションから生じるものだ。しかしこれらのいずれも、日本の輝かしい孤立状態が受け容れられないことは意味しない。だが、それがスムースには運ばないだろうことも確かだ。
http://www.ft.com/cms/s/0/fb85d0a2-47f6-11df-b998-00144feab49a.html

*筆者のPilling氏はファイナンシャル・タイムスの現アジア部門エディター、2002年1月-2008年8月まで東京支局長とのことだ 
(*この記事は日経新聞に あまりぴんと来ない和訳ものっていたようだ─タイトルは:「孤立の日本」にリスクはないのか)

Monday, April 5, 2010

黒い未亡人(ブラックウィドウ)の謎掛け?/ The Black Widow riddle- By Pepe Escobar


3月29日、モスクワの地下鉄駅での自爆テロの犯人は、イスラム過激派の夫を殺された17歳と28歳の「黒い未亡人」だった─ <犯人が未だ特定されない3月末のコメンタリー> 

The Black Widow riddle ブラック・ウィドウ(黒い未亡人)の謎掛け- By ぺぺ・エスコバル (3/31, Asia Times)
 それは2人のチェチェンの「ブラック・ウィドウ(黒い未亡人)」だ── 黒い髪で、コーカサス系の顔立ち、25歳よりも若い。彼女らは、パキスタンのワジリスタンの部族エリアで、多くのチェチェン人やトルコから来たウズベク人と共に、Abu Hanifahに率いられたアルカイダのアラブ人によって訓練を受けてきた─中央アジアとコーカサス地方全域に、恒久的な大混乱をもたらそうというアルカイダの長期的計画の一部として。

 彼女らはパキスタンの部族エリアをバルチスタンに抜け、そしてイランのシスタン・バルチスタン県へと達した─アルカイダと、反テヘランのスンニ派グループJundallahの間の取引による恩恵を蒙りながら。イランからアゼルバイジャンには容易に抜けられるが、そこは既にコーカサスだ…そしてそこから南ロシアに出る。月曜日に、静かに2人のチェチェンの黒い未亡人…その匿名の者たちは、予告もなしに自爆テロ犯に身を転じ、そしてモスクワの地下鉄で39人を殺害し、64人を負傷させてshahidas(殉教者)となった。
 この身の毛のよだつ、Robert Ludlumのスリラーから抜け出たような陰謀計画にはひとつの問題がある。モスクワ-Af-Pakコネクションなど意味をなさないからだ。

俺が爆弾を作り、お前が自爆する

 「男の協力者(仲間)」という鍵はモスクワの地下鉄の監視カメラの証拠に支えられていた─当局は自爆テロに関与したと思われる男を特定した。もしも黒い未亡人たちがAfPak(アフガン又はパキスタン)で訓練を受けたのでないなら、明らかに彼女らはチェチェンで訓練を受けた。それはカリスマ的なイデオロギストである指導者、BuryatskyことAlexander Tikhomirovの仕業だった可能性がある。

 BuryatskyはロシアのFederal Security Service (FSB – 元の KGB)のコマンドーの手で、イングーシェチア共和国で3月2日に殺された。そのためこの2つの自爆テロは、復讐行為であった可能性もある。 Buryatskyは有名なDoku Umarov─何万何千人の支持者をもち、コーカサス北部を統合する首長国を実現してその支配権を握りたいと望む男─のNo.2だった。昨年、モスクワはロシア連邦の準自治領であるチェチェン共和国における対テロ作戦での勝利と、その終結を厳かに宣言していた。チェチェンのすべての反乱勢力のJihad戦士はもう墓石の下にいるようだ。

 いや、そんなに早く終わってはいない。先月、Umarovは全てのロシア人に向けたビデオメッセージで、「この戦争は彼らの故郷の地に帰ってくる」と警告を発した。そしてそれは起きた─モスクワの中心部で。そして故郷に帰ってくるのみならず、大胆にもLubyankaの地下鉄駅で─FSB本部の真下で起きた。

 クレムリンとFSBにとって、Buryatskyは2009年11月にモスクワとサン・ペテルスブルグを結ぶNevsky Expressの列車を爆破し、26人の死者と100人の負傷者を出した事件の首謀者; そして2009年6月の、自爆テロによるIngushetia共和国の大統領Yunus-Bek Yevkurovの暗殺未遂事件の首謀者だった。彼は30人の自爆テロリストを養成していた可能性がある。そのうち9人は既に死亡した。FSBは残る21人を死に物狂いで探しているが、彼らはロシア国内、おそらくモスクワそれ自体に居ると考えられている。

Shahidas(殉教者たち)の影絵芝居

 チェチェンの最初の”黒い未亡人"はLuiza Gazuyeva─彼女は夫を殺した犯人と信じていたロシアの軍人を2001年11月に殺害した。2001年遅くになっても未だに、悪名高いチェチェンの戦争領主Shamil Basayevは、Riyadus Salihin と呼ばれ、男女両方から構成されるShahidasの大部隊を組織した。Black Widow(黒い未亡人)たちは2004年まで一連の攻撃を行った。Basayevは、FSBによって2006年7月に殺害された。

 Alix de la Grangeはチェチェン在住のスイス人専門家だが、攻撃ラインをたびたび訪れてチェチェンの女性たちにインタビューをした。彼女は黒い未亡人たちがモスクワの自爆テロ犯人なら、彼女らは「明らかに狂信的な者たちによって薬を与えられ、操られていた。黒い未亡人たちは通常若く、夫や家族を殺され意気消沈しており、そして彼女ら自身に失うものは何もない。イスラム過激派にとって、彼女らを砲弾を抱える使い捨て要員とするのはたやすい。2002年のモスクワのDubrovka劇場での人質事件でもそうだったが、黒い未亡人たち自身はその計画には利害関係をもっていない」のだという。

 モスクワの爆破事件については、彼女らは「男の協力者(仲間)」によって遠隔操作で爆弾を爆破させられていた。しかしde la Grangeは、彼女らがパキスタンで訓練を受けたことはないだろうという。「彼女はそこに行く必要はなかった、彼女は自分のいる地域で必要なものは全て手に入れることができた。そしてチェチェンへの旅行は、国境での厳しい管理のためにとても困難だった」

 De la Grangが言うことは、2005年にジャーナリストのJulija Jusikが出版したLes Fiancees d'Allah〔アラーの婚約者たち〕という研究書の根拠となったのだが、それは女性自爆テロリストの家族へのインタビューで成り立っていた。黒い未亡人は基本的に絶望によって導かれており、アラーへの狂信的な崇敬などに導かれているわけではない。Jusikはまた、チェチェンの男たちはけして自爆テロリストにはならない、と書く。彼らは2001年の爆破事件のキャンペーンで、最初から女たちを用いた。彼女らが用いた爆薬は彼らによって製造され、輸送され、爆破されただろう…彼らはそれには気を使っていた。彼らは黒い未亡人たちを中毒状態(薬漬け、夢中)にさせた。そして彼らは、彼が託した爆発物をリモートコントロールで爆破したのだ。

 それがチェチェンの状況と、パレスチナやイラクの状況との違いの鍵だ。Diyala(イラクの県)では2008年に、16人以上の野心にみちたshahidaが逮捕されたが、彼女らのなくなった家族の男性メンバーの多くもまた自爆した者たちだった。そして米国では5年前に、ベルギー出身の白人女性、Jihad JaneことMurielが絶望からBaquba(イラク)で自爆テロを起こした。

 最初の女性による自爆テロは1985年に起きたものと信じられている。それは急進的イスラムとは何の関係もなかった。数知れぬケースのなかで、女性の自爆テロリストは世俗的だ─マルクス主義者の外見を装ったスリランカのタミール・タイガーや、トルコ領クルディスタンのクルド労働者党員などだ。

モスクワの隠された手
 モスクワはAf-Pakとは何のコネクションもない。アルカイダのゲームがKhurasanに首長国を作ろうとしていて(イランの地方県、Mashhadの西方地域でのように、)それが──再度言うが…中央アジアと東イラン、アフガニスタンの大半部分、そしてパキスタンの北部と西部を統合しようとしていた、といえども。

 FSBはアルカイダに言及せず──その代わり北部コーカサスでトランス・コーカサスの首長国を作ろうとしているジハード主義者たちをすぐさま、非難した。モスクワの地下鉄利用者たちが「コーカサスから来たテロリスト」のプロフィールには至極注意を払っていて、2人の黒い未亡人たちが如何なる疑いの念も抱かれないように、全身Dolce & Gabbanaで着飾っていたにちがいない──という事実に飛びつく者は、僅かしかいない。
 しかしそこには、もっと不穏な可能性がある。もしもこの事件がFSB自身の手で、虚偽の旗印の下に行われた作戦だっとしたら?

 De la Grangeはいかなる攻撃の拳も緩めていない。「2002年のDubrovka劇場においては、その時点でのモスクワでの全ての管理体制が証明していることだが、41人のチェチェンのコマンドーが武器庫から武器や爆薬を持ち出して、警察やFSBの何のチェックも受けずに彼らが車輌で市内を静かに通過したことはありえない」

 偶然ならずも、ウラジミール・プーチン首相が2000年3月に選出されたときにも、殆ど同じ言葉を述べていた。「チェチェン人を、我々はトイレに流してやる」と。彼は彼の諜報機関に、テロリストを見つけるため「下水道をくまなく掃討しろ」と命じたところだった。ロシアで最良の賢明なる科学者たちが、自爆テロはプーチンが、コーカサスの全域─チェチェンのみならずIngushetiaやDagestanの両・共和国に対する抑圧にもターボエンジンをかけるための助けになるだろう、と同意した。
 ことは今や切迫したものになっている。水曜日に少なくとも地方の警察官をふくめた9人の人々が、不穏なるDagestan共和国内で2つの爆弾により殺された。BBCは一発の車爆弾がKizlyarの町の内務省とFSB治安機関の地方オフィスの外で爆発した、と伝えた。そしてこれに、同じ通りでの2つ目の爆弾の爆発が続いた。

 De la Grangeはこのようにいう、「彼〔プーチン〕の行く手にはこの国の強い男(実力者)を演じるステージがさらに2年間ある─テロから国民を救う男として─それは大統領であり続けるための必須の条件なのだ。それゆえこの攻撃は、FSBとプーチン自身の手で組織的に画策されたか、または実行を容易に(幇助)されたものだった可能性がある。チェチェンの反乱勢力の前ではかつてトラブルの多い同盟関係があったが、イスラム過激派とFSBは常にそれを注視してきた。いずれにせよ我々が見るには、モスクワでの犯罪はほぼ全面的にプーチンと、FSBにとって益するものとなる。

 それなら、黒い未亡人たちはロシアの諜報部のために働いて、死んだのだろうか?そしてこれらの黒い未亡人たちが、他でもなく…幽霊だったとしたなら?
http://www.atimes.com/atimes/Central_Asia/LD01Ag02.html


*これはちょっと陰謀説的な記事。
*上写真・犯人のうち、Park Kultury駅で自爆した17歳のDzhanet Abdurakhmanova
と 彼女の夫とされ、昨年12月にFSBに殺害されたイスラム過激派リーダー、Umalat Magomedov
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8600563.stm
(BBC)Doc Uramovのビデオメッセージの動画あり


*上記の陰謀説を裏付けるような記事がネットに掲載された:
燻るプーチン首謀説-モスクワ地下鉄爆破テロ
http://megalodon.jp/2010-0415-2020-16/www.excite.co.jp/News/magazine/MAG18/20100405/153/
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11409
 ロシアでのテロ報道は独特だ。記者発表は限定され、当局(多くはFSB)が影響力のある メディアにリークする。そこが発信源になって次々にメディアにキャリーされ「筋書き」ができる。 その一方、現場の独自取材や内部告発で筋を疑わせる情報が発掘されることもある。
 今回も現場に立ち会った警察関係者の情報として、解析された駅の監視カメラに実行犯に付き添う「スラブ系の2人の女」が映っていたことが明らかになった。スラブ系は白色人種で ロシア人が主。カフカスにも少数いるが、過去のテロ事件からみて筋書きへの疑念も浮かぶ。
 昨年11月に起きたモスクワ発の特急列車爆破テロでも、現場から逃走した「スラブ系の男」が警察に手配された。FSBはこの情報を握りつぶし、カフカス系テロ集団の犯行と断定。 北カフカス地域のイングーシ共和国でも掃討作戦で容疑者らを殺害、拘束したと発表した。 目撃されたスラブ系は「見届け屋」と称される工作員ではないのか。
 スラブ系に限らずテロ現場に諜報機関の工作員とみられる人物が介在した例は少なくない。02年にモスクワの劇場で起きた占拠事件では、犯行グループの中にテルキバエフという人物が いた。FSBの突入作戦の直前に現場から逃走。後に、ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ 氏のインタビューに応じ、「特務機関(FSB)から送り込まれた」と告白した。
 この人物はロシア有力紙の記者証を所持し、政界の実力者ロコージン議員の側近という別の顔を持つ。正体は武装勢力を揺動するため組織に潜入したFSB工作員だった。この告白の翌年、不審な交通事故死を遂げた。
 学校占拠事件でも、ただ一人拘束された実行犯のクラエフ服役囚の裁判で、複数の人質が 「犯人には明らかにロシア人とわかるスラブ系の女がいた」と証言した。しかし、犯行現場から女たちは忽然と姿を消した。
 FSBや軍参謀本部情報総局(GRU)の特務機関が直接、破壊活動に手を染めなくとも、工作員の揺動で「武装勢力によるテロ」という主張がまかりとおる。
 こうした工作活動に、政権中枢がかかわったことを明らかにしようとしたのが、FSB元職員のリトビネンコ氏と、前述のポリトコフスカヤ氏だ。
 モスクワなどで発生した1999年のアパート連続爆破事件では、当時のエリツィン大統領を補佐したしたプーチン首相が、チェチェン独立派の犯行と決めつけ、第2次チェチェン戦争の口火を切って求心力を高め、自ら大統領への階段を駆け上がった。
 だが、対テロ戦の裏で、事件は意外な展開をみせた。アパート爆破未遂の現場で地元警察に逮捕された「スラブ系の不審者」がFSB工作員である可能性が高まった。この事件で、「プーチンに権力を掌握させるためFSBが爆破テロを仕組んだ」と内部告発したのがリトビネンコ氏だった。
 同じく、プーチン氏と旧KGB派の「謀略」を批判的に報道し続けたポリトコフスカヤ氏は、06年10月に自宅アパートで射殺された。翌月、リトビネンコ氏も亡命先のロンドンで放射性物質を投与、毒殺された。いずれも特務機関の関与が指摘される。
 今回の地下鉄爆破テロで、プーチン首相は、「テロリスト」を下水道から引きずり出す」と啖呵を切った。アパート連続爆破事件のときに、「テロリストは便所に隠れても息の根を止める」と発言し、国民の喝采を浴びた過去を意識したのだろう。
 さっそく、プーチン首相はテロ対策を強化するための法改正を明言。 …

Sunday, April 4, 2010

タリバン指導者の逮捕と、パキスタンが求める「ストラテジック・デプス」/ 'Strategic depth' at heart of Taliban arrests By Shibil Siddiqi


*「Mullah Abdul Baradarだといわれる男」はトリックスターのような男の写真だ→ 

タリバン幹部の逮捕の"ストラテジック・デプス"(戦略的縦深性)とは? By Shibil Siddiqi (3/24, Asia Times、抄訳)

 パキスタンは最近、タリバンNo.2の司令官Abdul Ghani Baradar師と、クエッタ評議会 Quetta Shuraの多くのメンバーを含むタリバンの幹部たちを逮捕した。またパキスタン政府が攻撃対象とすることを嫌ってきたはずの、有力なHaqqani族ネットワークのリーダーMohammad Haqqaniを、無人偵察機の攻撃により殺害した。影響力のあるシンクタンク、Carnegie Endowmentなどの多くのコメンテーターたちはこれらの逮捕の裏にある動機の説明に苦闘しているが、しかし彼らはパキスタンがアフガンへの戦略を180度転換したのでは、と期待している。

 その逮捕とは、実際にはパキスタンの思惑のパラダイムの転換というにはほど遠いものだ。パキスタンのアフガニスタンへのアプローチは、2つの単語に集約される:"strategic depth”(戦略的縦深性)…それは20年以上にわたるこの国の戦略ポリシーの、聖なる目的だ。この"戦略的縦深性"は、パキスタンのアフガニスタンとの関係の中心の柱であり続ける。しかしながら、このコンセプトはパキスタンの治安組織からは、国内と海外の機会と脅威のバランスがスライドしたことに伴う成行きの帰結だと、再解釈されている。

戦略的縦深

 軍事的なコンセプトでの"ストラテジック・デプス(戦略的縦深)"とは、現状の、あるいは潜在的にある戦いの前線と、人口や物流活動、産業活動や軍事的活動の集中する、中心地域との間の距離に関係している。そのような深みをもつことは、その国が当初の攻撃に耐えて、攻撃に対抗する軍事力を再結集することを可能にする。

 パキスタンの地理的な狭さと、主な内陸地域やコミュニケーション・ネットワークの存在が宿敵インドとの国境線に近いという事実は、"ストラテジック・デプス(戦略的縦深)"の欠如として、この国の軍事プランナーたちを長年悩ましてきたことを意味する。それは1946年に独立国家パキスタンが帝国の計画ボード上にだけ描かれていた頃にも、インド軍の一般幕僚General Arthur F Smitが、深い憂慮として定義したことだ。友好的なあるいは、(より好ましい)柔軟性のあるアフガニスタンの可能性とは、インドとの関係のなかで一層誇示されるこの"戦略的縦深"という考えのもとに、パキスタンの防衛と外交戦略の方向性を長らく牛耳ってきた想像力に乏しい軍の幹部たちにとってのマントラ(お題目)だった。

 しかしパキスタンはその早い時期には恒常的な国内での危機や国際的な孤立、外交戦略の混乱と軍事的な弱体性などに苛まれて、そうしたことは夢物語〔幻想〕だった。1950年代の終わりから60年代に"common defense posture(共同防衛の姿勢)"という言葉が、戦略的・思想的・宗教民族的な意味で持ち出されはじめた。しかしアフガニスタンはインドと強い同盟を維持し続け、ソ連の影響力の範囲にもあり続けた。

 '79年にソビエトがアフガンに侵攻し、即座に80年代にムジャヒディーンが表面上の勝利を勝ち取るまで、友好的なカブール政府の設立とは捉えどころのない考えだった。その後は、カブールのクライアント政府を通じた"戦略的縦深"は軍のオフィシャルなドクトリンとして受け入れられた。これは90年代の激烈なアフガニスタン内戦に火をつけて、パキスタン政府をして1996年にはタリバンが政権を樹立することをほう助させた… (中略…)

 …2001年9月11日の米国への攻撃に引き続く、米軍のアフガニスタン占領は、パキスタンによる第一の影響力喪失につながった。それはパキスタンのアフガニスタンとの関係に、多くの変化をもたらした。しかし、イスラム原理主義者のパシュトーン人〔=タリバン〕に支配された柔軟なアフガニスタンを放棄する、という考えは彼らにはなかった。米国の前線での同盟者の役割を再開しながら、パキスタンはタリバンといくつかの重要なつながりを維持し、NATO軍が撤退したときに彼らが最終的な勝者として残ることを見込んでいた。

 しかし、変化は醸成されていた。パキスタンの外務省はここ何週間かにわたり、カブールの「多元的な」政府の必要性について語っているのだ──パキスタンがアフガニスタンの政治の秩序についてそのような用語を用いて語るのは、これが初めてだ。しかし本当のプレーヤーたち──軍幹部の本部からそれが持ち出されたのはつい最近だ。
 2月1日に珍しく行われた記者会見で、パキスタン軍の総帥General Ashfaq Parvez Kiani(大将)は、刷新されたポリシーについてのヒントを提示した。「我々はアフガニスタンに"戦略的縦深"を求めるが、それをコントロールしたいとは思わない」、と彼は言った。「平和で友好的なアフガニスタンが、パキスタンに"戦略的縦深"をもたらすと考える」。

 タリバン化されたアフガニスタンを求めることを否定しつつ、彼は付け加えた、「我々はアフガニスタンに、我々自身がしてほしくないことを求めない」──その声明は、タカ派の軍部のチーフとしてのみならずパキスタンのリーダーとして前例のないものだ。大将はさらに、米国とタリバンの間を仲介する用意のあること(1月にNATO本部訪問の折にも同じ提案をしていたのだが)を繰り返した。

リアリティの転換

 少なくとも2つの関連した事項が、パキスタンの"戦略的縦深"への見方を転換させたのだといえる。一つ目は、タリバンがNATOよりも長くこの地で生き続けることは殆ど確実だが、彼らにとって、96年から2001年まで彼らがこの国を支配してきたときのような露骨な軍事的勝利は不可能になった、という遅まきながらの認識だ。

 それには多くの理由がある─ もっとも明瞭なことは、タリバンはもはや統一的な武装勢力ではなく、無名でもなく、前世代のタリバンたちのもっていた理想主義的な実体が再生した組織でもない。さらに、かつてのムジャヒディーンの司令官たちは多くのShades(警察関係の刑事、スパイなど)に自身の防衛のために実質的に投資してきた、その結果現状の体制(Status Quo)に現実的な権益を保持する状態になっている──ちょうど、アフガニスタンで非パシュトゥーンの少数民族(マイノリティ)のほうが今やより一層、政治的にも軍事的にも組織化されているのとも同様に。

 そしてタリバンが西欧やアフガンの近隣諸国に取り入ろう(入り込もう)としてきたこともありえない。彼らがパシュトーン・ベルト地域の外の非パシュトーン地域の中心や、北部アフガン地域に影響力を拡大しようという試みはすべて粉砕され行き詰まりに陥っているようだ──それはパキスタンを継続的に不安的化し、経済的にも血を流させるのだが。

 パキスタンのアフガン戦略の転換の原因としてもうひとつ見過ごされているのは、タリバンの勝利はパキスタンの治安勢力にとって、すでに望むべきものではないということだ。タリバンを権力の座に維持するための経済的、政治的、外交的なコストはあまりにも高価だ。またパキスタンは国内のイスラム原理主義反乱勢力と苦闘しながら、同時にアフガンでタリバンを自由にさせて、表面下に見え隠れするパシュトーンのナショナリストのスパイを放置するような余裕もない。

 「パキスタンにとって、国内で全開状態のイスラム原理主義勢力と直面しながら、アフガンの急進的イスラミストを支持するなどという戦略は意味をなさない」と、Stratforの中東・南アジアディレクターのKamran Bokhariはいう。「メロンを見つめていれば、カンタロープ〔マスクメロン〕でさえ色づいてきて見えるものだ」と、Bokhariは、タリバンがパキスタンの反政府勢力を危険を冒して物質的・思想的に支持していることを、ウルドゥー語の有名な格言で説明した。

 タリバンは依然、パキスタンにとってはアフガンに影響を及ぼすための主要な媒介物だ。しかしBokhariによれば、「パキスタンはもはや彼らに舞台で演じてほしくない」、彼によれば、パキスタンは初めて、アフガニスタンの非パシュトゥーン系勢力にチャネルを開いたのだという。そして彼らは同時にワシントンを通じて、タジク人主導のアフガン国軍(ANA)の訓練に関与を強め、これにますます成功裏に投資しているという─そこには、パシュトゥーン系のタリバンがアフガン国内で最大の政治的、軍事的組織だという事実がある─パキスタンはソビエト撤退後に模索した状況は達成できなかったとはいえ、指揮命令者のポジションを得られるかもしれない。

パキスタンによる逮捕を再考する

 パキスタン政府による最近のタリバン幹部の逮捕を考えよう:逮捕されたリーダー、Mullah Baradarは特に、パキスタンでは彼らの独立したアジェンダを持つと疑われていた。彼らはパキスタンの存在を迂回して、バックチャネルを通じ米国やカブールのカルザイ大統領、国連とも対話を持つと信じられていた。
 パキスタンによる逮捕はこうしたチャネルを突如、閉ざしてしまった。彼らは同時にパキスタンに、将来タリバンとの対話においてタリバンの代表者となりうる上層部リーダーたちをコントロールする能力を与え──あるいは必要な際には(パキスタンの求めに応じて)彼らを借り集めることができた。しかしこの逮捕は、米国とアフガン政府、そしてタリバンにとっての明確なサインなのだ──パキスタンは、自らの出席する場のない交渉のテーブルというものと共に在ることはできないことを、彼らに示した。

 Kianiの言葉によれば、「〔パキスタンの〕戦略的パラダイムは充分に実感すべきだ。」─米国人とKarzaiは共にパキスタンの影響力の最小化に努めてきた。しかしその関与する範囲の広さと深さ、そしてNATOによる占領と撤退への計画になくてはならないこと(不可欠性)から考えて、その努力は成功しそうにない。
 彼らによる〔タリバンの〕逮捕はまたタリバンに対して、アフガニスタンでの彼らによる反乱勢力の組織を(白紙委任し)自由に任せたりしないとの、シグナルも送った。そして彼らは、パキスタンの利益やリスクの完全な分断化を図る必要があった。タリバンに交渉を強要し、パキスタンはタリバンのもつ最大の財産…時間というものを取り崩しにかかっている。どんなゲリラ勢力もそうであるように、タリバンは短期的勝利よりも長期的な消耗戦を好む嗜好を示している。これがすなわち、最も成功する反乱勢力というものが恒常的には敗北を喫しながらも、最後には戦に勝つ…ということの理由だ。

 タリバンと米国の間の仲介者の役割を自身に強制しつつ、パキスタンは"戦略的縦深”の要請に応じた、ある種の交渉結果を形づくることを試みている。アフガンの他の民族グループとの共存を図ることは、アフガンのタリバンにバランスをすっかり喪失させて─彼らが〔パキスタンのタリバンや他の過激派たちとの連携を通じて〕パキスタンに侵入することを防ぐだろう。これによってパキスタンのタリバンを彼らのアフガニスタンの同輩から孤立させる。パキスタンの反乱勢力はこれまでより国境線を超えた活動ができなくなり、そして彼らは反乱勢力にも類似した状況の受け入れを強要させるだろうし、その他の勢力をも決定的に弱体化させ、また排除する結末を得られるだろう。

もう沢山だし、もう遅すぎる?

 パキスタンの極大化主義者の立場からの撤退は、歓迎すべきことだ。しかし彼らはその戦略的機構の沢山の動的パーツを動き出させようとしている。今日のアフガニスタンの民族グループ同士の不信頼は、彼らのパキスタンへの信頼のなさのみに匹敵する。パキスタンの最近の動きはただ──非パシュトゥーン系がずっと不審の目で眺めていたなかにおいて──パキスタンを、タリバンやパシュトゥーン族一般からもさらに孤立化させる。
 
 こうした要素は最終的には彼らによる、パキスタンの影響力を制限するという立場に基づいた充分な反抗として具体化するかもしれない。1980年代にもパキスタンが、将来のアフガン政府との交渉を拒否して過剰な手に出すぎたことも想起すべきだ。パキスタンは赤軍ゲリラの苦境も長引かせつつ、西欧諸国からの援助も延長させて可能な限りの最善の条件を引き出そうとしたが、ソ連の撤退とそれによる西欧諸国の(この地域での)利害喪失のスピードを予測し得なかった。彼らが今や、米国のこの地域の占領に対して同じミスを犯す可能性も懸念されている。

 イランやインド、そしてロシアが抱く、パキスタン及びタリバンに対する不信は…これら2者がアフガンに対する共通のプラットフォームを見出して出会ったときから拡大した。しかし米国、パキスタン、サウジアラビア、トルコの同盟が結託した脅しによる合意を結ばせ、米国は安定化の図られた国を後に残しアフガンから撤退するかのごとく装えるかもしれない。
結局、アフガンの安定とパキスタンの捉え所のない"戦略的縦深"性は引き続き、一方にはアフガンの多くの民族グループの、一方にはその手の負えない近隣諸国の存在するナイフのエッジの上に在り続けることだろう。それは困難な注文だ─
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/LC24Df03.html


パキスタンの態度に変化はない、最近の逮捕は単なる些細な戦略だ (3/25、rediff.com)
 …最近のパキスタンのタリバン上層部の逮捕は、彼らの戦略的転換を表しはしない。現実には、パキスタンは米国の撤退後により友好的な近隣諸国との関係を確保する交渉の主導権を握るためにこれを行った、とカーネギー財団平和研究所のAshley J Tellisは語る。そのドラマチックな逮捕は当初、思われたほどの目醒ましい出来事ではなかった─

 …そしてそれはアフガンの最終ゲームでの最大の敵が、アフガンのタリバンではなくインドであること、これをニュートラルにする必要性──への断固とした確信がその動機となっている。 

 そしてまたこれら一連の逮捕が米国の諜報部の動きに促された、という指摘は完全に偶然の一致に過ぎず(*註: CIAは昨今、無人偵察機でのワジリスタン地域の未曾有の空爆をおこなった)、パキスタンとの間で前もって熟慮計画された逮捕などではなかった、とTellisは指摘した─

 結果として、パキスタンでのタリバンのリーダー層の壊滅も起きてはおらず、パキスタンがその態度を「大転換」させたこともありえない、と指摘した。
http://news.rediff.com/report/2010/mar/25/arrest-of-taliban-leaders-just-pakistans-tact.htm
国連、ベナジル・ブット暗殺の調査報告書のリリースを延期(3/31, Dawn.com)

 …国連が任命した独立調査委員会は昨年7月に、2007年12月のブット暗殺についての調査を開始したが──彼らはこの水曜日に、国連の藩基文事務総長あてにその報告書を提出する期限となっていた。担当者のNesirkyによれば、その報告書は「今や完成して配布を待っており、公けに発表される予定がある」──しかし、藩基文事務総長も未だこれを読んでいない。また、この報告書をパキスタン政府に対するリリースを延期するようザルダリ大統領が要請したため、パキスタン政府には4月15 日以前に見せることはできない、という。イスラマバードの国連スポークスマンは、報告書リリースに伴う安全対策上の予防措置として、水曜日からパキスタン国内の全ての国連施設を3日間に亘り閉鎖することを国連が決定した、と発表した。
http://www.dawn.com/wps/wcm/connect/dawn-content-library/dawn/news/world/12-un+delays+release+of+bhutto+slaying+report--bi-05

Saturday, April 3, 2010

この2月、パキスタンでは〔タリバン指導者たちの逮捕〕/ In Pakistan, last February..


オマール師の側近、カラチにて逮捕 (要旨、2/16, rediff.com)

 カラチ郊外で、Omar師の2番目の部下といわれるMullah Abdul Ghani BaradarがCIAとISIの隠密の合同作戦によって補足された。Baradar師とは、911以前にオサマビンラディンの側近であった人物だ。
 ─NYタイムズはBaradar師の逮捕が、タリバンの単眼の総帥オマール師を含む、他の有力なリーダーたちの逮捕につながることを、米高官たちが期待していると書いた。
 米国の撤退後のアフガン国内での影響力維持のために、ISI内部にはアフガンのタリバンに秘密裏に資金や物資を援助している者が居ると米国側は信じている。パキスタン国内で、タリバンの指導者たちが比較的自由に行動できることは、長年CIAとISIの摩擦の種となってきた。ISIはタリバンの指導者の所在を詳しく知っているのに、CIAにそれを明かさない、との苦情をCIAは申し立ててきた。インターポールによれば、Mullah Baradar は 1968にアフガニスタンの Oruzgan県Weetmak村で生まれた… (以下略)
http://news.rediff.com/report/2010/feb/16/mullah-omars-close-aide-captured-in-karachi.htm

バラダル師の逮捕:ISIとアフガンのタリバンのハネムーン時代は終わった─(2/17, rediff.com)

 専門家は、パキスタン政府とISIはCIAのBaradar師の逮捕を助けたことにより、オマール師の率いるアフガンのタリバンの信頼を失うだろうという(彼らはパキスタン軍によるTTP〔Tehrik-e-Taliban Pakistan〕とAl Qaedaへの攻撃を、常に批判してきた)Baradar師の逮捕は孤立した事件ではなく、パキスタン政府はこれまでに多くのタリバンの重要メンバーを逮捕し米国政府に引き渡してきた。しかしこの地域での国際的均衡は変化しつつあり、米国は「良いタリバン(穏健派)」との対話を進めると決めている。
 パキスタンの諜報機関と接触のあるBaradar師はカラチとやクエッタをしばしば訪れていた。(情報筋によれば)パキスタン政府は彼をオマール師に対するPawn手先として使い、原理主義者グループに亀裂をもたらそうと試みたが、その策略は失敗した─今回の逮捕はそのための結果だと考える専門家もいる。
 アフガンのタリバンは、元タリバンの大使であったザイーフ(Abdussalam Zaeef)を911の後にパキスタン政府が米国に引き渡したにも拘わらず、パキスタン政府に協力しつづけてきた。
 2003年にパキスタン政府はタリバンの閣僚Mullah Abdul Razzaqを逮捕したが、彼は2007年に逃亡に成功した。パキスタンの諜報機関はまた、旧タリバン政府の閣僚Mullah Obaidullah Akhundをも逮捕し、米国に引き渡した。
 2008年2月にパキスタンは自爆テロの教義を広めて恐れられるタリバンの司令官Dadullah Akhundの兄弟であるMansoor Dadullah司令官を、バルチスタンで他の5人のタリバンのメンバーと共に逮捕した…
http://news.rediff.com/report/2010/feb/17/baradar-arrest-the-isi-afghan-taliban-honeymoon-may-be-over.htm

パキスタン曰く:タリバンは'ハキムラは生きている'と繰り返す(2/10, rediff.com)

Hakimulla Mesudがカラチに治療のために向かう途中パンジャブ州で殺害されたとの報道に対し、パキスタンのタリバンTehrik-e-Taliban Pakistan (TTP) はHakimullahが治療や逃亡のためにトライバル・ベルトを出たことは一度もない、と否定した。

 先の報道ではHakimullahはカラチに行く途中、Multan市で殺害され、遺体はオラクザイ・エージェンシー(部族地域)に返されたとされた。しかし南ワジリスタンのLaddah地域を統率するタリバンのShamim司令官は(rediff.comに対し)、「Hakimullah Mesudは死んではおらず、部族エリアをでたこともない。“怪我をした”MesudがMultanを出て逮捕もされず、その遺体が同時にオラクザイに返されるなどということが何故ありえるだろう?」と述べた。
http://news.rediff.com/report/2010/feb/10/pakistan-taliban-reiterates-hakimullah-is-safe.htm

CIA長官、パキスタンでの秘密攻撃によりアル・カイダの土台はよろめいたと語る─ (3/18, Washington Post)

パキスタンの部族エリアにおけるアル・カイダへの激しい攻撃は、オサマ・ビンラディンと彼の高官たちをより深い隠遁に追いやり、彼らの高度な作戦の遂行を阻んだと、CIAのレオン・パネッタ長官は水曜日に語った─
…彼は、パキスタン政府との協同作戦の強化改善と、彼が「CIAの歴史上最も激烈な作戦」と呼ぶものが功を奏したと語り、それが「秘密の戦争」と呼ばれることを半ば公的に認めたといえる─
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/17/AR2010031702558.html?hpid=topnews

インドを忘れるなかれ!Don't Forget About India- Prime Minister Singh's visit was almost eclipsed by the silly Salahi storyーBy C.Hitchens



インドを忘れるな! シン首相の訪米はパーティー闖入者夫婦の馬鹿げたストーリーで殆どかき消された… (2009,11/30 By クリストファー・ヒッチンズ

 軽侮に値するサラヒ夫妻 (*先日の、オバマ大統領のホワイトハウスの晩餐会に招待もなく闖入し、メディアの注目を浴びた目立ちたがりカップル…)に関する報道は、ジャーナリズムを生業とする者の一員であることを、二つの意味で恥だと感じさせた── その一つ目とは、大量のインクや放送時間がこの、安易に報道可能な「突発ニュース」のストーリーに費やされて、多くの報道メディアがこのカップルに最初の「独占インタビュー」を請うことで、自らの尊厳を傷つけたことだ。そして、二つ目のより顕著な理由とは、米国を訪れた重要なゲストに対して重大な無礼を働いたことだ。グレシャムの法則のジャーナリスティックなバージョンにのっとり、ジャンク報道が真面目なジャーナリズムを駆逐して…そしてインドのマンモハン・シン首相の訪米は、この愚かなナンセンス劇で殆どかき消されてしまった。そんな事はいつ起きてもまずかっただろうが、しかしこの訪問とは、特に重要なものだったのだ。それは、イスラム過激派によるムンバイのテロ事件‥〔パキスタンだけが、幾人かの自国の人間をようやく法廷で裁き始めたばかりの事件〕から、一周年に程近い時期に起こった。我々は、アフガンの新戦略に関する討論が主要テーマとされる、ディスカッションの週に入っていたが、インドとインド国民に関する考察を、屑のごときパーティー闖入者のためになされた考察の100万分の1にしか割かなかっのだ。。

 月曜日にニューヨーク・タイムズが掲載した広範囲に及ぶ記事とは、火曜夜にオバマ大統領がウエスト・ポイント海軍士官学校で行ったスピーチの輪郭をなすものと思われる、外交筋からの深いバックグラウンド情報に基づくものだった。その明瞭なパラグラフには、このようにある:

 オバマ大統領の構想する、米国が派遣したアフガンの追加兵力部隊が集結した後に…いかに段階的に撤退していくべきかの計画案の、詳細なブリーフィングを受けた同盟国の政府関係者のひとりはこう言った─その構想では、アフガニスタンでの顕著な米軍の駐留が長期的なものになるという事が、明確化されていたと。その構想にはまたパキスタンに対して、米国がこの地域を諦めたりしないというシグナルを送り、米国の撤退した後にインドがその空隙(真空状態)を埋めることへのパキスタン人らの怖れを宥めようとの狙いもあった─

 そうした解釈が正しいのなら、それは最近、Stanley McChrystal司令官が発表したレポート〔…米国内在住の軍幹部たちが、アフガンにおけるインドの影響力について語っているもの〕の内容とも、一貫している。シン首相の訪問とは、この地域内での米国による戦略の'パキスタン化'の傾向の拡大が…賢明な、または正しい傾向であるかに関する活発な、オフィシャルな議論の機会であるべきだった。

 インドは911よりもずっと以前から、タリバンには反対し、北部同盟を支持してきた。そしてタリバンの敗走後には、国の再建に巨大な援助を行ってきた。同国、はこの地域での巨大な諜報ソースとして、それ自身がしばしば‥我々の戦う相手と同じ勢力の者達による、攻撃のターゲットとされてきた。その国民議会─多種多様な民族から構成される民主主義的な議会…Lok Sabhaは、2001年の秋に大掛かりな車両爆弾のターゲットとなり、また同国のカブールの大きな大使館は、タリバンとアルカイダの同盟勢力による特別な注視の対象となり…そして勿論、我々はムンバイでのテロを忘れるべきではないのだ。我々はインドの、インド亜大陸における巨大な経済・軍事力が、その定期的な選挙システムや、報道の自由、パキスタン国内のイスラム教徒とも同数に近い同国の)イスラム教徒がその元で暮らす世俗的憲法、そしてシリコン・バレーにまで進出して英語を話すビジネス階級の存在に伴われている、ことも忘れるべきでない。

 パキスタンという国は、その発端から「失敗」という呼び名で弄ばれてきたのだが、彼らにとってはインドを同じような言葉で語ることは不可能だ。インド国境、カシミール地方の前線の同国の駐留兵力は、大きな躊躇によってのみ撤退させられるだろう。…圧倒的に強力な、パンジャブ出身の軍人たちに支配された軍隊には、敵対という執着観念しかない。
この同じ軍隊はその次なる執着観念を隠そうとはしない…つまり、カブールにおける親パキスタン的な政権の樹立だ。(このような目的もまた、パキスタン人のアフガニスタンに対する、インドとの戦いにおける戦略的縦深性 "strategic depth”への願望からきている)
 アフガニスタンの最初のタリバン化、というものはそれ自体がパキスタンの諜報機関Inter-Services Intelligence、あるいはISIの公けのプロジェクトであったし、そしてCIAは過去8年間を通じてそれを容認し続け、またはいくつかのケースで、周知の事実を再発見し続けてきた:タリバンがパキスタンの同じ高度な諜報機関から、未だに隠れもない援助を受け続けてきたという事実を─

 この、"war on terror"(対テロ戦争)におけるパキスタンのエリート層への巨大な(米国政府による)資金補助は、かくして、一部は我々の戦っている相手の勢力への支援金に、また一部は、彼らに停戦の振りをさせる為の賄賂に用いられている。ところで、パキスタンの報道機関と教育システムの残り滓というものは、実質上、反米・反ユダヤ的なプロパガンダを大量生産し、その国民に、真の敵とは民主的で世俗的な西欧世界なのだと納得させるマシーンなのだ。そしてそれらの最上部にいるのとは、この国の「国民的ヒーロー」のA.Q. Khan博士…長年に亘って核のブラック・マーケットを政府の協力のもとで動かし、核分裂物質をリビアや北朝鮮のような国々と分け合ってきた人物だ。それでもオバマ政権は、この危機に対する戦略を述べる際、「Af-Pak」というような限定された愚かな略称から外に出ることはできていない。…そのように両国を対のものと見なし、インドを除外することで、政治的・軍事的プランナーたちは自らを視野狭窄に陥らせ、そしてこの地域で我々の大きな同盟者となるべき国のハートをも失望させている(他の目的でも…例えばますます見境いのなくなる中国に対する対抗勢力として、同国を据えるといった意味においても)

 喉をかき切り、学校を焼き払い、女性を石打ちの刑で殺すタリバンたちは、パキスタンとアフガニスタンの村人たちを深夜遅く訪問することで…ひとつの大きな心理的アドバンテージを得ている。「いずれ、アメリカ人とヨーロッパ人はこの地を去る」と彼らは言う、「しかし我々は、常にここに居続ける」のだと。…そこには幾らかの真実がある:この国で行われる議論の多くがいまや、"exit strategy“(撤退戦略)に関する議論だからだ。そして、彼ら(欧米人)のやってきた良き行いの全ても、他のNATO軍の兵力の殆どの非常時部隊らも、もう既にこの国を後にしているのだ。しかしもしも米国が、ニュー・デリーの勃興しつつある巨人と経済的、軍事的そして政治的な同盟を結ぶならば、我々は空威張りすることなく、この地域での我々の存在を長期的に揺るぎない、不変のものにすることができる。それはさらに一層、相互的な友好関係と共通した価値観によって支えられて、賄賂や甘言によって卑しめられることは少ないものだ。そして、パキスタンのエリート層は、どちらが彼らの本当の敵かを決めなければならない:タリバン-アルカイダ同盟か、それともインド-アメリカの同盟かを。そこにはこうしたタイトルの元で、より多くの議論すべき事柄があるのだが…しかし今はまず、この最新のタレクとミシェルのゴシップを伝える報道のスタジオに戻ろう…。
http://www.slate.com/id/2236951