Sunday, April 5, 2009
タリバンがスワット渓谷掌握?/"Swat? Not! - Handing the Swat Valley to the Taliban was shameful and wrong." By Christopher Hitchens
Swat Vallayのタリバン明渡しは恥ずべき過ちだ (3月9日 By クリストファー・ヒッチンズ)
全くあらたな方法が我々の上にやってくることだろう ─ 反動的イスラム原理主義と対決しつつ、我々が「穏健な過激派」と「ほんとうに過激な過激派」とを分離できるならば。
つい2,3日前にも我々はバラク・オバマ大統領が「よいタリバンと、悪いタリバン」を区別しようとしていると、また英国政府が政党としてのヒズボラと、私兵(武装)部門としてのヒズボラは区別できるとしている、と聞かされた。ファリード・ザカリヤ(インド系ジャーナリスト)はこう述べた─ <こうした武装組織を阻止する最善の方法は、彼らに自分ら自身の方法でやりたいようにやらせることだ。なぜなら、彼らのシャリア法(イスラム法)施行への欲求は、彼らのグローバルなジハード(聖戦)への渇望と等しくはないし、部分的にそんな渇望を消しさることにもなるからだ>。
次のようなことの証拠について疑うのは愚かだ:アフガニスタンのカルザイ政権が長年にわたって「オマール師」の率いる狂信的な者たちと、地方に住む地元のタリバンとを区別してきたかどうか、とかいうことを。
いずれにせよレバノンではヒズボラは政党として選挙に参加し、その選挙の結果を遵守しているし、(また彼らは将来、イランとの対話の窓口になるかもしれない代理組織だ。)
イラクでのアル・カイダ系反乱勢力との対決での最初の成功は、アル・ザルカウィやオサマ・ビン・ラディンに敵対心を抱く他のスンニ派勢力を、賄賂で動かしたことで、もたらされた。来たる将来我々の同盟者になる可能性があるそのようなイスラム武装勢力を仲間と造反させるべく、拷問その他の超法規的な方法を行使することに私が反対した多くの理由のひとつは──それがそうした可能性を破壊しかねないからだ。
しかしこうした妥協策への誘惑には慎重であるべきだ。パキスタンでのタリバンとの和平実現への期待に基づく試みとして、同国政府は最近、肥沃で繁栄した近代的な渓谷の一地方…旧Swat公国を、過激な党と、特定の神を暴力的に信奉する人間たちに譲渡してしまった。ここはワジリスタンのように、この国の政府や典型的な辺境が何十年も貧しげに語られてきたような、人里離れ荒れ果てた部族地域ではない。そこは、首都イスラマバードから通勤圏内の近距離にある。タリバンはこの地で選挙に勝ったこともないし…もちろん最近の選挙の結果はその正反対だ。そして原理主義者がこの地の支配権をにぎり、文化的・経済的な忘却運動(音楽演奏の禁止、女子学校教育の禁止、中央政府発行の令状の非承認…)を開始して以降、Swat渓谷地方からは避難民があふれ出ている。(Jane Perlez と Pir Zubair Shahによる3月5日のNYTの優れた報告記事を参照**)。
これらのレポートによれば、既にぼろぼろに破綻したパキスタンの中央権力によるこの譲渡は、過激派勢力を鎮圧するどころか、彼らにより一層力をつけているという。この譲渡が署名されたとき名目上の交渉相手だったMaulana Sufi Muhammadは、より獰猛で年若い部族とその思想に関係があり、そうしたグループの中にはベナジール・ブットの暗殺や、何百校もの女子学校の焼討ち、パキスタン兵士たちの殺害、タリバン支配に敵対した地方の部族リーダーたちの殺害への関与が疑われる者たちがいる。そうした武装勢力が、いわゆる「停戦協定」が意図する停戦期間を守る充分な意思がある、ということも多くの人が証言している。パキスタン政府は平和を購う代わりに、何ら戦うことなく、その地域をより法外な要求を放つための根拠地にするかもしれない勢力に国家の中心の一部を明け渡したのだ。これはパキスタンの国家統一の崩壊などの来るべき悪夢の延期ですらない。すでにそのような分裂の一段階なのだ。
アフガニスタンとイラクではすでに、多くの強硬派のイスラム教徒が選挙で選ばれた政府の支持にまわり、虚無主義者たちに対抗している。またこうした議論に対して決然と武力を行使できるNATO軍、または連合国軍の勢力も駐留している。これはデビッド・ペトラエウス司令官がかつて頼りにし、今も頼りにしている「"awakening" (覚醒部隊)」のような運動の基盤条件としては、充分ではないが、必要な条件といえる。しかし、もしもそうした条件が整ってないからといって、行政的主権をもち戦略的にも重要な広範囲の土地を敵に引き渡すことが、そのようなプランの一部だったことは一度もないし、もしそれが行われたならば、災難というべきだろう。
ファリード・ザカリヤはNewsweekのエッセイのなかで、我々が最も懸念すべき超国家的なテロリスト・グループのなかにアフガニスタン人は一人もみあたらない、との完璧な観察を述べた(彼は、彼自身が気づいているよりも正しい。つまりお尋ね者のハイジャック犯になる可能性のある人間は、いまやアフガニスタン人よりも英国人である可能性がずっと高い。)しかし、この仮説の説得力は、現実にはそういう(国籍の)区別がつけにくいこれらの人間たちに区別をつけたがる矛盾のためすぐに朽ち果てる。
アフガニスタンの原理主義者たちがかつて権力の座にあったとき敢えて行ったことは、彼らの国をアル・カイダに安全な避難所としてさし出し、彼らに空港でも使えるパスポートなどの発行すら可能な内陸の一地域を提供したことなのだ。
これと比較可能な施設もいまや揃いつつある─そしてそれは、我々のかつての同盟者、パキスタンの文明化された一地区で、国内の物事の中心地にもずっと近い場所なのだ。
そのような国家政策の失敗と致死的な暴力拡大の間には、もうひとつの共生状態がある─ジハード戦士にのっとられた国や地方というものは、長らく維持される以前に、極度の貧困や後進性、残忍さの中に後退しがちな事だ。このルールには例外がない。我々には、獰猛な幻想家の一団が、文盲な民衆をたった一冊の本で支配しようとした国で何が起きたかを、再びデモンストレーションする必要はない。そうした失敗は誰が悪いのか?責任のあるMullahたちが自己批判を開始する事は絶対ありえないと、私には断言できる。その代わりに、すべての悪事は十字軍/シオニストの陰謀として非難され、欠乏性疾患と学習障害に苛まれた若い男達は、彼らのフラストレーションをより幸福な国々にいかに輸出するかを教えこまれる。こうして失敗国家がならず者国家になる。これが我々に、こうしたことが我々自身の社会のなかで起きてほしくないと願う、世の世俗的勢力、女性の権利グループ、選挙民グループとの連帯関係を維持しておくべき義務がある理由だ。
ぜひとも、現地の司令官たちの手によって──グループの分裂各派間の戦略的な合意を形成させ、彼らを互いに対抗させ、「分裂と支配」というルールを実践し、悪しき者たちを最悪の者たちにぶつけて競い合わせよう… ”それが戦争なのだ(C'est la guerre.)”。しかしどんな場合であろうと、独占的な暴力を、全体主義者や神権主義勢力に従属させてはならない。そうしたすべての理由から我々は、Swat Valleyのよき人々をタリバンへの従属と言論抑圧の下に陥れてしまったこの恥ずべき決断を── そして特に最悪なのは、それを何の戦闘もなく行った、ということについて長らく後悔すべきだ。
http://www.slate.com/id/2213246/
(**NYTの記事)
Truce in Pakistan May Mean Leeway for Taliban
http://www.nytimes.com/2009/03/06/world/asia/06swat.html?scp=1&sq=Jane%20Perlez%20%20Swat%20Valley&st=cse
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