Monday, April 5, 2010

黒い未亡人(ブラックウィドウ)の謎掛け?/ The Black Widow riddle- By Pepe Escobar


3月29日、モスクワの地下鉄駅での自爆テロの犯人は、イスラム過激派の夫を殺された17歳と28歳の「黒い未亡人」だった─ <犯人が未だ特定されない3月末のコメンタリー> 

The Black Widow riddle ブラック・ウィドウ(黒い未亡人)の謎掛け- By ぺぺ・エスコバル (3/31, Asia Times)
 それは2人のチェチェンの「ブラック・ウィドウ(黒い未亡人)」だ── 黒い髪で、コーカサス系の顔立ち、25歳よりも若い。彼女らは、パキスタンのワジリスタンの部族エリアで、多くのチェチェン人やトルコから来たウズベク人と共に、Abu Hanifahに率いられたアルカイダのアラブ人によって訓練を受けてきた─中央アジアとコーカサス地方全域に、恒久的な大混乱をもたらそうというアルカイダの長期的計画の一部として。

 彼女らはパキスタンの部族エリアをバルチスタンに抜け、そしてイランのシスタン・バルチスタン県へと達した─アルカイダと、反テヘランのスンニ派グループJundallahの間の取引による恩恵を蒙りながら。イランからアゼルバイジャンには容易に抜けられるが、そこは既にコーカサスだ…そしてそこから南ロシアに出る。月曜日に、静かに2人のチェチェンの黒い未亡人…その匿名の者たちは、予告もなしに自爆テロ犯に身を転じ、そしてモスクワの地下鉄で39人を殺害し、64人を負傷させてshahidas(殉教者)となった。
 この身の毛のよだつ、Robert Ludlumのスリラーから抜け出たような陰謀計画にはひとつの問題がある。モスクワ-Af-Pakコネクションなど意味をなさないからだ。

俺が爆弾を作り、お前が自爆する

 「男の協力者(仲間)」という鍵はモスクワの地下鉄の監視カメラの証拠に支えられていた─当局は自爆テロに関与したと思われる男を特定した。もしも黒い未亡人たちがAfPak(アフガン又はパキスタン)で訓練を受けたのでないなら、明らかに彼女らはチェチェンで訓練を受けた。それはカリスマ的なイデオロギストである指導者、BuryatskyことAlexander Tikhomirovの仕業だった可能性がある。

 BuryatskyはロシアのFederal Security Service (FSB – 元の KGB)のコマンドーの手で、イングーシェチア共和国で3月2日に殺された。そのためこの2つの自爆テロは、復讐行為であった可能性もある。 Buryatskyは有名なDoku Umarov─何万何千人の支持者をもち、コーカサス北部を統合する首長国を実現してその支配権を握りたいと望む男─のNo.2だった。昨年、モスクワはロシア連邦の準自治領であるチェチェン共和国における対テロ作戦での勝利と、その終結を厳かに宣言していた。チェチェンのすべての反乱勢力のJihad戦士はもう墓石の下にいるようだ。

 いや、そんなに早く終わってはいない。先月、Umarovは全てのロシア人に向けたビデオメッセージで、「この戦争は彼らの故郷の地に帰ってくる」と警告を発した。そしてそれは起きた─モスクワの中心部で。そして故郷に帰ってくるのみならず、大胆にもLubyankaの地下鉄駅で─FSB本部の真下で起きた。

 クレムリンとFSBにとって、Buryatskyは2009年11月にモスクワとサン・ペテルスブルグを結ぶNevsky Expressの列車を爆破し、26人の死者と100人の負傷者を出した事件の首謀者; そして2009年6月の、自爆テロによるIngushetia共和国の大統領Yunus-Bek Yevkurovの暗殺未遂事件の首謀者だった。彼は30人の自爆テロリストを養成していた可能性がある。そのうち9人は既に死亡した。FSBは残る21人を死に物狂いで探しているが、彼らはロシア国内、おそらくモスクワそれ自体に居ると考えられている。

Shahidas(殉教者たち)の影絵芝居

 チェチェンの最初の”黒い未亡人"はLuiza Gazuyeva─彼女は夫を殺した犯人と信じていたロシアの軍人を2001年11月に殺害した。2001年遅くになっても未だに、悪名高いチェチェンの戦争領主Shamil Basayevは、Riyadus Salihin と呼ばれ、男女両方から構成されるShahidasの大部隊を組織した。Black Widow(黒い未亡人)たちは2004年まで一連の攻撃を行った。Basayevは、FSBによって2006年7月に殺害された。

 Alix de la Grangeはチェチェン在住のスイス人専門家だが、攻撃ラインをたびたび訪れてチェチェンの女性たちにインタビューをした。彼女は黒い未亡人たちがモスクワの自爆テロ犯人なら、彼女らは「明らかに狂信的な者たちによって薬を与えられ、操られていた。黒い未亡人たちは通常若く、夫や家族を殺され意気消沈しており、そして彼女ら自身に失うものは何もない。イスラム過激派にとって、彼女らを砲弾を抱える使い捨て要員とするのはたやすい。2002年のモスクワのDubrovka劇場での人質事件でもそうだったが、黒い未亡人たち自身はその計画には利害関係をもっていない」のだという。

 モスクワの爆破事件については、彼女らは「男の協力者(仲間)」によって遠隔操作で爆弾を爆破させられていた。しかしde la Grangeは、彼女らがパキスタンで訓練を受けたことはないだろうという。「彼女はそこに行く必要はなかった、彼女は自分のいる地域で必要なものは全て手に入れることができた。そしてチェチェンへの旅行は、国境での厳しい管理のためにとても困難だった」

 De la Grangが言うことは、2005年にジャーナリストのJulija Jusikが出版したLes Fiancees d'Allah〔アラーの婚約者たち〕という研究書の根拠となったのだが、それは女性自爆テロリストの家族へのインタビューで成り立っていた。黒い未亡人は基本的に絶望によって導かれており、アラーへの狂信的な崇敬などに導かれているわけではない。Jusikはまた、チェチェンの男たちはけして自爆テロリストにはならない、と書く。彼らは2001年の爆破事件のキャンペーンで、最初から女たちを用いた。彼女らが用いた爆薬は彼らによって製造され、輸送され、爆破されただろう…彼らはそれには気を使っていた。彼らは黒い未亡人たちを中毒状態(薬漬け、夢中)にさせた。そして彼らは、彼が託した爆発物をリモートコントロールで爆破したのだ。

 それがチェチェンの状況と、パレスチナやイラクの状況との違いの鍵だ。Diyala(イラクの県)では2008年に、16人以上の野心にみちたshahidaが逮捕されたが、彼女らのなくなった家族の男性メンバーの多くもまた自爆した者たちだった。そして米国では5年前に、ベルギー出身の白人女性、Jihad JaneことMurielが絶望からBaquba(イラク)で自爆テロを起こした。

 最初の女性による自爆テロは1985年に起きたものと信じられている。それは急進的イスラムとは何の関係もなかった。数知れぬケースのなかで、女性の自爆テロリストは世俗的だ─マルクス主義者の外見を装ったスリランカのタミール・タイガーや、トルコ領クルディスタンのクルド労働者党員などだ。

モスクワの隠された手
 モスクワはAf-Pakとは何のコネクションもない。アルカイダのゲームがKhurasanに首長国を作ろうとしていて(イランの地方県、Mashhadの西方地域でのように、)それが──再度言うが…中央アジアと東イラン、アフガニスタンの大半部分、そしてパキスタンの北部と西部を統合しようとしていた、といえども。

 FSBはアルカイダに言及せず──その代わり北部コーカサスでトランス・コーカサスの首長国を作ろうとしているジハード主義者たちをすぐさま、非難した。モスクワの地下鉄利用者たちが「コーカサスから来たテロリスト」のプロフィールには至極注意を払っていて、2人の黒い未亡人たちが如何なる疑いの念も抱かれないように、全身Dolce & Gabbanaで着飾っていたにちがいない──という事実に飛びつく者は、僅かしかいない。
 しかしそこには、もっと不穏な可能性がある。もしもこの事件がFSB自身の手で、虚偽の旗印の下に行われた作戦だっとしたら?

 De la Grangeはいかなる攻撃の拳も緩めていない。「2002年のDubrovka劇場においては、その時点でのモスクワでの全ての管理体制が証明していることだが、41人のチェチェンのコマンドーが武器庫から武器や爆薬を持ち出して、警察やFSBの何のチェックも受けずに彼らが車輌で市内を静かに通過したことはありえない」

 偶然ならずも、ウラジミール・プーチン首相が2000年3月に選出されたときにも、殆ど同じ言葉を述べていた。「チェチェン人を、我々はトイレに流してやる」と。彼は彼の諜報機関に、テロリストを見つけるため「下水道をくまなく掃討しろ」と命じたところだった。ロシアで最良の賢明なる科学者たちが、自爆テロはプーチンが、コーカサスの全域─チェチェンのみならずIngushetiaやDagestanの両・共和国に対する抑圧にもターボエンジンをかけるための助けになるだろう、と同意した。
 ことは今や切迫したものになっている。水曜日に少なくとも地方の警察官をふくめた9人の人々が、不穏なるDagestan共和国内で2つの爆弾により殺された。BBCは一発の車爆弾がKizlyarの町の内務省とFSB治安機関の地方オフィスの外で爆発した、と伝えた。そしてこれに、同じ通りでの2つ目の爆弾の爆発が続いた。

 De la Grangeはこのようにいう、「彼〔プーチン〕の行く手にはこの国の強い男(実力者)を演じるステージがさらに2年間ある─テロから国民を救う男として─それは大統領であり続けるための必須の条件なのだ。それゆえこの攻撃は、FSBとプーチン自身の手で組織的に画策されたか、または実行を容易に(幇助)されたものだった可能性がある。チェチェンの反乱勢力の前ではかつてトラブルの多い同盟関係があったが、イスラム過激派とFSBは常にそれを注視してきた。いずれにせよ我々が見るには、モスクワでの犯罪はほぼ全面的にプーチンと、FSBにとって益するものとなる。

 それなら、黒い未亡人たちはロシアの諜報部のために働いて、死んだのだろうか?そしてこれらの黒い未亡人たちが、他でもなく…幽霊だったとしたなら?
http://www.atimes.com/atimes/Central_Asia/LD01Ag02.html


*これはちょっと陰謀説的な記事。
*上写真・犯人のうち、Park Kultury駅で自爆した17歳のDzhanet Abdurakhmanova
と 彼女の夫とされ、昨年12月にFSBに殺害されたイスラム過激派リーダー、Umalat Magomedov
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8600563.stm
(BBC)Doc Uramovのビデオメッセージの動画あり


*上記の陰謀説を裏付けるような記事がネットに掲載された:
燻るプーチン首謀説-モスクワ地下鉄爆破テロ
http://megalodon.jp/2010-0415-2020-16/www.excite.co.jp/News/magazine/MAG18/20100405/153/
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11409
 ロシアでのテロ報道は独特だ。記者発表は限定され、当局(多くはFSB)が影響力のある メディアにリークする。そこが発信源になって次々にメディアにキャリーされ「筋書き」ができる。 その一方、現場の独自取材や内部告発で筋を疑わせる情報が発掘されることもある。
 今回も現場に立ち会った警察関係者の情報として、解析された駅の監視カメラに実行犯に付き添う「スラブ系の2人の女」が映っていたことが明らかになった。スラブ系は白色人種で ロシア人が主。カフカスにも少数いるが、過去のテロ事件からみて筋書きへの疑念も浮かぶ。
 昨年11月に起きたモスクワ発の特急列車爆破テロでも、現場から逃走した「スラブ系の男」が警察に手配された。FSBはこの情報を握りつぶし、カフカス系テロ集団の犯行と断定。 北カフカス地域のイングーシ共和国でも掃討作戦で容疑者らを殺害、拘束したと発表した。 目撃されたスラブ系は「見届け屋」と称される工作員ではないのか。
 スラブ系に限らずテロ現場に諜報機関の工作員とみられる人物が介在した例は少なくない。02年にモスクワの劇場で起きた占拠事件では、犯行グループの中にテルキバエフという人物が いた。FSBの突入作戦の直前に現場から逃走。後に、ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ 氏のインタビューに応じ、「特務機関(FSB)から送り込まれた」と告白した。
 この人物はロシア有力紙の記者証を所持し、政界の実力者ロコージン議員の側近という別の顔を持つ。正体は武装勢力を揺動するため組織に潜入したFSB工作員だった。この告白の翌年、不審な交通事故死を遂げた。
 学校占拠事件でも、ただ一人拘束された実行犯のクラエフ服役囚の裁判で、複数の人質が 「犯人には明らかにロシア人とわかるスラブ系の女がいた」と証言した。しかし、犯行現場から女たちは忽然と姿を消した。
 FSBや軍参謀本部情報総局(GRU)の特務機関が直接、破壊活動に手を染めなくとも、工作員の揺動で「武装勢力によるテロ」という主張がまかりとおる。
 こうした工作活動に、政権中枢がかかわったことを明らかにしようとしたのが、FSB元職員のリトビネンコ氏と、前述のポリトコフスカヤ氏だ。
 モスクワなどで発生した1999年のアパート連続爆破事件では、当時のエリツィン大統領を補佐したしたプーチン首相が、チェチェン独立派の犯行と決めつけ、第2次チェチェン戦争の口火を切って求心力を高め、自ら大統領への階段を駆け上がった。
 だが、対テロ戦の裏で、事件は意外な展開をみせた。アパート爆破未遂の現場で地元警察に逮捕された「スラブ系の不審者」がFSB工作員である可能性が高まった。この事件で、「プーチンに権力を掌握させるためFSBが爆破テロを仕組んだ」と内部告発したのがリトビネンコ氏だった。
 同じく、プーチン氏と旧KGB派の「謀略」を批判的に報道し続けたポリトコフスカヤ氏は、06年10月に自宅アパートで射殺された。翌月、リトビネンコ氏も亡命先のロンドンで放射性物質を投与、毒殺された。いずれも特務機関の関与が指摘される。
 今回の地下鉄爆破テロで、プーチン首相は、「テロリスト」を下水道から引きずり出す」と啖呵を切った。アパート連続爆破事件のときに、「テロリストは便所に隠れても息の根を止める」と発言し、国民の喝采を浴びた過去を意識したのだろう。
 さっそく、プーチン首相はテロ対策を強化するための法改正を明言。 …