Sunday, January 30, 2011

エジプトの怒りの日々 Days of rage in Egypt

エジプトの大都市では、警察は完全に姿を消し、治安維持の面では、軍が完全に取って代わった。ムバラク大統領自身が警察に帰宅を命じたという噂もある─
 軍がどちらの味方なのか、当初は色々な憶測が飛んでいた─カメラの前で、群衆と握手を交わす兵士も映し出された。しかし週末以来軍はやや統制を強めてもいるようだ。

  今後エジプトにおける軍勢力は'Turkish model'のように…丁度トルコで建国以来世俗派政権と人々を守る役目を果たしてきたトルコ軍のような位置を保つだろう、と述べる欧米の某アナリストもいた。ABCのマーサ・ラダッツ記者はエジプトにおいて軍は伝統的に民衆に最も尊敬を受ける組織で、また軍は彼ら自身の組織の維持を第一と考えるに違いない、それ故民衆の尊敬を損ねる行為は行わないだろうと予測した…

 また今回抗議の群衆に対し、ポリスが放っていた催涙弾は「メイド・イン・US」と書いてあり、今のエジプトと米国の関係を象徴していたのだという。
 
 …「米国が昔、イスラエルとの関係正常化して以来、エジプトはイスラエルとの関係を保持するための重要な要だ。 スエズ運河を管理し、中東からの膨大な欧米への石油輸送を可能にし、アラブ諸国の安定化の要となってきた。パレスチナの現状の安定化(ガザの包囲維持、物資の禁輸の部分的維持)にも重要な役目を果たしている」 と、アル・ジャジーラのワシントンDC特派員もサマライズしていた。
 オバマ大統領にしてもムバラクにステップダウンしろ、とはいえず ここ数日ももっと改革を進めよ、人々の意思を尊重しろ等と求めるのみだった…

 イスラエルは以前中東戦争の最中に、一時シナイ半島を支配していたこともある。欧米の「陰謀論者」はこのまま、エジプトで政権が揺るがされたらどうでるのか、という憶測をする人もある。現状ではまだそこまではいかないだろうが。イスラエル寄りの人々の間では、実際に反体制の群衆はイスラエルを志向して、外務省の周りに集まった人々はイスラエルに行きたいんだ、などの可笑しなジョークをいう人さえいる。否、イスラエルにとってエジプトの現政権が倒れることによる危機の大きさは計り知れない。ネットを見れば、何だかんだ言っても 英米人にはムバラク政権が倒れて ムスリム同胞団などのイスラム原理主義政権に取って代わられては困る、という本音がみえる…

 しかし米国にはムバラクをもはや無条件で支持するわけには行かない、ムバラクは米国にとって負債になった─と米国の主要紙も警告している

大規模な反乱へのムバラクの返答は、エジプトの軍による支配の終焉を命じるのか(1/29 By Juan Cole)

彼はエジプトの前諜報長官、Omar Suleimaを彼の副大統領に指名した
彼は空軍参謀長の(Ahmad Shafiqを首相に指名した
あなたは、TONE DEAF耳つんぼという単語を綴れるか?

カイロ、スエズ、マンスーラ、アレクサンドリアでは抗議のため、夜になると群衆が戒厳令に逆らい街路にでている。警察はアレキサンドリアとカイロの内務省ビルの周囲で発砲したという。過去数日間に100人ほどが死亡したという。軍は広汎に、デモ隊に対しても、治安勢力の減小がもたらした略奪にも余り手をださずにいる。警察は不在となっている。近隣地域の急ごしらえの自警団が、泥棒や押し込み強盗、強姦者の侵入に対する警備に当たっている。エジプトの博物館でおきた比較的軽度の略奪事件は愛国的な群集が協力しあって阻止し、その後軍隊が警備に到着した。人々の中にはムバラクが中流階級の市民に、法や秩序のない生活がどのようなものかを味わわせるため、警察に自宅待機を命じたのだ、と噂するものがいる。それが真実かどうかは分からない。もしそうなら、階級的な心配事に付け込んで、群集の抗議行動が、強欲なスラム街の住民によるものだという印象を演出しようとの意図があると思われる。
http://www.juancole.com/2011/01/mubaraks-response-to-demand-for-end-of-military-rule.html

エジプトの怒りの日々 
Days of rage in Egypt-By Victor Kotsev (1/29, AsiaTimes)


テル・アビブにて─
「エジプトを水面下で焚きつけているものが何なのかは、よくわからない」、と米国の有力シンクタンクStratforは、3週間前にキリスト教会の爆破テロがこの国を揺るがしていた時、エジプトの国内情勢を分析して書いた。それは3日間にわたる反ムバラク政権の抗議行動が巻き起こった今日、さらにますます本当になっている。木曜日には、いくつかの異なる報道が、衝突による死者は4人から7人、怪我人は多数に上り、860名以上が検挙されたと伝えたが、情勢は動いており、政府官僚は硬く口を閉ざし、ジャーナリストは報道制限にあっているとのことで、信用できるデータをみつけるのは困難である。
TwitterやFacebookのようなソーシャル・ネットワーキングのサイトも度々、部分的に接続できなくなっている。木曜夜までに2000人以上が逮捕されたと人権団体は伝えている。

抗議デモは火曜日─エジプトでは警察への敬意を表すための祝日だった─に始まった。彼らは専制的な大統領Zine el-Abidine Ben Aliが追放されたチュニジアの状況によって鼓舞されていた。NYタイムスによれば、抗議行動は伝統的な抗議行動とは異なり「エジプトの若者たち」に先導されていたというが、これもチュニジアの状況とパラレルだ。

「我々は変化を求めている、チュニジアと同じように」と、一人のデモ参加者、24歳のLamia RayanはいったとAPは報じた。Ben Aliへの反乱を引き起こしたMohamed Bouaziziの焼身自殺の例にならって、エジプトでもこのところ、多くの人々が自身に火をつけようとした。

火曜日のはやい時間には抗議行動は平和的で、警察も非常にその行動を抑制していた。しかし午後以降、何千もの人々がタフリール(開放)広場に流れ込んでムバラク退陣を要求すると、数箇所の都市で衝突が起きた。それに続く何日か、抗議行動の人数は多少小規模だったが、木曜日にスエズ・シティで大きな衝突が起きたといわれる。エジプトの有力な民主的改革派であり、ノーベル平和賞受賞者のMohamed ElBaradeiが抗議行動を主導するため、自ら亡命していたオーストリアから帰国した。

金曜日は決定的な日となると予想された。ムスリム社会では、金曜日には大半の男性が昼の礼拝でモスクに集まるため、聖職者が呼びかければ街頭での抗議行動へと誘引しやすく、デモの実施には都合のいい日だった。しかし、最有力の反政府勢力といわれるムスリム同胞団(Muslim Brotherhood)は、抗議行動の影で、その最大限の影響力の行使を控えていた。

しかし木曜夜にこの情勢は変わり、同胞団は「金曜日はエジプトの国のための、総体的な怒りの日となる」という声明を発した。これは反政府勢力の世俗的リーダーであるEl Baradeiの存在によってさらに煽られる、不吉なサインだった。
何が起こるかの確かな予測はできない。多くの観察者はムバラクが、よく組織化された彼の治安部隊の助けのもとで嵐を乗り切ろうとするだろうと考えている。火曜日にはアメリカのヒラリー・クリントン国務長官が、彼の政府に行動の抑制と改革を求めたにもかかわらず、その政府は「安定している」と描写した。

エジプト大統領がトップとして現れるだろうということは、隣国イスラエルの、大方のアナリストの結論でもある─そこでは現状が大いなる注目をひきつけているが、その政府はエジプトの状況との距離を保とうとしている(過剰なほどのコメントが、イスラエルがエジプト国内の情勢に干渉しているとの陰謀論を支持している)。

それでも、木曜日にあるイスラエルの閣僚はHa'aretz紙で匿名でコメントを語った、「ムバラク政権は軍と治安維持策の確かな基盤の上にたっている…彼らは街頭で勢力と力を行使せねばならず、それを実行せねばならない。私の査定では、彼らにはその力がある」

そしてイスラエルからの旅行者たちは、依然として、カイロに到着し続けている─それはイスラエル政府が情勢には余り心配を抱いていないとのポジティブなサインだ。木曜にDov Nahariという旅行者が地上からYnetに投稿したのは、国際メディアは完全に騒ぎ立て過ぎているということだった。「我々はイスラエルのTVを見てやや怖れを抱いたが、我々はもうこの怖れを克服した」「我々は今も、ピラミッドとスフィンクスの前に世界中からの旅行者と共にいるので、この怖れは和らげられている。警察官もあちらこちらに居るけれど、全てはグレートだ」

しかしもっと確信のないアナリストたちもいる。例えば、木曜日にはStratforが今の状況を1979年のイランに喩える~(中略)
~無論、ムバラクはこれまでにない国民の不満に直面している。昨年11月の議会選挙の際にも、主要野党(ムスリム同胞団を含め)がその第2ラウンドで撤退し、結果として一人も代表を送らずにいる。キリスト教会への攻撃はこの国の緊張状態と過激化を強調した。

貧困レベルは驚くべきものがある。過去2年、世界的な経済危機がエジプト経済にも逆風となったが、現政府の対応は後ろ手に回っていると思われている。Ha’aretzによれば「エジプトの8千万の人口は年々2%ずつ増えている。3分の2は30歳以下で、その90%は失業している。40%の国民が1日2ドル以下で暮らし、3分の1の国民は読み書きができない~(後略)
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MA29Ak03.html

ムバラクは権力に固執、米国は米国人の国外脱出用にフライトを用意U.S. Offers Evacuation Flights as Mubarak Clings to Power (1/30,NYTimes)

~抗議行動の震源地となっているタフリール広場の中心ではデモ参加者が再度結集したが、人々の中には軍の兵士に対して彼らが守護者であるかのように敬意を表している。ある地点では群衆が軍人の身体を担ぎ上げ、人混みの頭上を「人々と軍は一つだ」と唱和しつつ渡していった。
しかし朝の時間が経つにつれ歓喜のトーンは悪い予兆の感覚によって抑えられている。軍のジェット戦闘機とヘリが力の誇示のために広場の上空を飛来し、群衆をコントロールしようと兵士が空にむけて銃を放った。
カイロの別の場所では、目撃者によると武装兵士たちと100台の戦車が、1979年にイスラエルとCamp Davidの和平合意を結んだサダト前大統領が1981年に暗殺された時と同じパレードの会場地点に終結したという。そのときムバラクは副大統領だったが、サダトの暗殺により、彼がそれ以後決して後継者に譲ろうとしない現在の地位に押し上げた~
http://www.nytimes.com/2011/01/31/world/middleeast/31-egypt.html?_r=1&hp

エジプトの若者たちが、ムバラクへの叛乱を先導する By DAVID D. KIRKPATRICK and MICHAEL SLACKMAN(1/26, NYタイムス

何十年もの間、エジプトの専制的大統領ホスニ・ムバラクは彼の政敵に対して賢明なゲームをしてきた。彼はリベラルな知識人たちの小さな、牙のない反対運動による無駄な選挙キャンペーンが民主的プロセスのうわべの外観を創造することを赦してきた。そして彼は彼自身がかつて正当化していた警察国家のやり方と同じ脅迫を行う、非合法化されたムスリム同胞団を、暴力的な過激主義者たちとして悪魔扱いした。
しかしこの永らえた…多くの人が余りにも安逸だという関係性は今週、予期できない第3の勢力、つまりリーダー不在の何千何万の若いエジプト人たちが現れ、ムバラクの30年の支配を終わらせるよう求めたことで、ひっくり返された。

今や、古参の反対野党たちは彼らに追いつこうと必死だ。

「イニシアチブをとって日取りを決め、決行したのは若い人々だった」と国際原子力機関の前理事長、Mohamed ElBaradeiは水曜日にカイロに急遽帰国するすぐ前の電話インタビューで、彼のウィーンのオフィスから少し驚きをこめて述べた。
Mohamed ElBaradeiはノーベル平和賞受賞者だが、1年ほど前に祖国の政界に飛び込んで以来、エジプトの気難しい(手におえない)、非効率的な反政府運動を再活性化するためのパブリック・フェースの役割を務めてきた。そして彼は若者の運動は彼ら自身が達成した、という。「若者たちには忍耐心がなない」、と彼はいう。「正直言って、人々にはまだ用意ができているとは思えない」

しかし彼らの準備ができていたこと─何万もの民衆が催涙弾やゴム弾、拷問で悪名高い治安勢力のオフィサーたちに勇敢に立ち向かったこと─は伝統的な反政府勢力を出し抜き、その座を奪ってしまった。

多くの小さな、合法的政党─20以上もの…彼ら自身の間でやっとひと部屋を満たす程度の数の草の根的支持者を擁する─は新しい変革のための運動に飛びついたが、街頭の若い抗議者たちの間には余り信頼されてはいないのだ。

ムスリム同胞団ですら、それ自身の組織制度と立場の保持のために余りにも防御的になっており、今や新たな若者の運動に乗じて利用することを模索している、とアナリストらやその前メンバーたちは言っている。同胞団はエジプトで政府以外の最大の支持基盤を持つ組織であり続けてはいるが、もはや大衆を街頭に繰り出させることのできる唯一の存在である、と自称することはできなくなっている。

ElBaradei博士は、1年近くにわたり彼の傘グループであるNational Association for Changeに反政府運動を統合しようとしてきた。しかし彼のことを、バリケードの上にいるよりも、大半の人生を海外で過ごす、世界各国を旅するディレッタント(好事家、素人芸術家)としてからかう人もいる。

彼はインタビューで、彼は彼自身を政治的な救済者だと思ったことはなく、エジプト人は彼ら自身の革命を起こさねばならないと述べた。今や彼は、若者の運動が「彼らに必要な自信を与え、変革はあなた字真によって起こることを─あなたが担い手となることを」と知らせたと語る~(中略)

~「いかなる政党も、昨日の"ミニ・インティファーダ(*)の主唱者であるなどと、名乗ることは犯罪的なことだ」、とブロガーで政治運動家のHossam el-Hamalawyは語る。 (*パレスチナの民衆蜂起への例え)

とはいえムバラク氏の政府は、馴染みのあるシナリオに固執している。全ての証拠にも反して、彼の内務大臣は水曜日の動乱に際し、即座にそれが、政府の古き宿敵であるムスリム同胞団の仕業だと非難した。

しかし今回は同胞団は関与を否定し、それはElBaradei博士の傘組織のグループの一部によるものだと述べた。「人々は抗議行動に自発的に参加し、そこでは誰がどの組織に所属するかも分からない」と同胞団のメディアアドバイザーのGamal Nassarは、抗議行動にいかなるグループのサインもスローガンもないことと共に指摘する。

同胞団は、政府の公共サービスの多くの不備を埋めるための、学校や慈善事業の広汎なネットワークを運営している。幾人かのアナリストは、同砲団の制度的な惰性というものが、エジプト人の船を揺り動かすにはスローすぎる動きをもたらしているのではないかと指摘する。

「同胞団は非常な沈黙を維持している」と、カーネギー財団中東センターのリサーチディレクターAmr Hamzawyはベイルートで述べた。「彼らは街頭で起きていることや、そこにいる人々を取り込むことで利益を得る組織ではない」

ElBaradei氏もまた、ムスリム同胞団が西欧でその名が脅威を感じさせるものになった場合、メリットを得るものだろうか、と論じている。その会員にはその慈善事業でメリットを得るフォロワーたちの他に、数多くの大学教授や弁護士その他の専門職の人々を擁している。彼らは60年前に、英国が後ろ盾になっていたエジプトの専制君主に対して叛乱が起き、同君主が多元的な民主主義社会の実現を要求したことに対して、これに支持表明をしたとき以来、暴力的行為に関与をしたり、それを許したりしたことは一度もない。

「彼らは(単に)宗教的に保守的なグループなのだ、そのことには疑いがない。そして同時に彼らはエジプト人の20%を代表してもいる」と彼はいう。「あなたはエジプト人の20%を、どうやって除外することができるのか?」

ElBaradei博士は彼の多くの先任者たち同様に、その国際的名声により、ムバラク政権にとっては刑務所に収監したり、嫌がらせをしたり貶めることのできない難しい批判分子だ。そしてElBaradei博士は、イスラム過激派についての懸念に対して、反体制勢力というものに世俗的でリベラルな、見慣れた相貌を与えることでこれを和らげる。 (写真はElBaradei氏)

しかし彼は、西欧での彼への批判には、ますます声を高めて反論している。彼はエジプトの抗議運動に対するヒラリー・クリントン国務長官の反応には驚愕した、と言う。火曜日の衝突の後の声明で彼女は、エジプト政府に行動の抑制を求めたが、エジプト政府が「安定して(stable)」おり、「エジプトの民衆の正当な要求と利益に応えられる方法を探すように」、と求めた。

「"安定している"とはとても致命的な(悪質な)言葉だ」と彼は言う。「30年にわたる戒厳令、選挙操作に対して安定している、というのか?」
彼は付け加える、「もしも後に彼らが再び現れて、チュニスでそうしたように、”我々はチュニジアの人々の意志を尊敬している”などというならば、すでにそれは遅きに失することになる」
http://www.nytimes.com/2011/01/27/world/middleeast/27opposition.html
*「若者たちが、先走って」抗議デモを誘導したと賞賛する部分はNYタイムスによくありがちな書き方だと他の国のメディアでは批判も…。
*ElBaradei氏はABCのインタビューでもムスリム同胞団について、彼らが過激派ではなく保守派であることを強調し、また国民の20%(のみの)支持層をもつ政党であると延べ、明らかにムバラク政権が他にとって代わられる場合の西側の懸念を和らげようと努力している。警察が姿を消したことについてElBaradei氏は、それを誰が命じたのかはわからないと述べている。
(Muslim Brotherhoodは1928年にエジプトでスーフィ派のHassan al-Bannaによって創始されたアラブ世界最古の由緒ある反体制グループで、Hamasなどアラブ世界全域にその流れを汲む反体制組織がある)
歓喜する抗議の群衆、エル・バラダイへの声援を送る Jubilant Protesters Hail ElBaradei (1/31,NYタイムス)
 要旨:抗議運動の群衆は、ムスリム同胞団に対し、少なくとも一時的にでも、反体制運動のリーダーとする、Mohamed ElBaradeiを支持して欲しいと求めた。これに対し、低姿勢を守ってきた同胞団のメンバーは週末に姿を現し抗議集会に参加─日曜にはElBaradeiが政府と政権交代のため交渉することを支持する、と述べた。
同胞団のリーダーで前国会議員のMohammed el-Beltaguiは、「同胞団は状況のセンシティブさを理解している、特にイスラム過激派に対する西欧諸国の懸念を理解する。そのため、今回は前面に出ることには熱心にならずにいた」 と述べた。 エジプト政府はこれに対し、終日沈黙を守り何のコメントもしていない。

日曜日には抗議勢力は、ムバラクによって副大統領に指名されたSuleiman氏は古い護衛部隊の残骸であると非難、より徹底的な刷新を求める、との要求を発した。2人の元・軍幹部、Suleiman氏と Ahmed Shafik氏の指名は、今後の情勢においても、軍部が中核的な役割を担うであろうこと、恐らく動乱の後の情勢も左右し、次の政権の決定にも、影響を与えるだろうことを示唆している(写真は元情報相長官で、訪問先のワシントンD.Cから急遽帰国したOmar Suleiman氏)
この数日間に看守たちが仕事を放棄した刑務所からの収監者の脱獄なども相次いでおり、Wadi Natrounの刑務所からはムスリム同胞団の34人の囚人が脱出した。しかし金曜日までに彼らは再度拘束された…
http://www.nytimes.com/2011/01/31/world/middleeast/31-egypt.html?_r=1&hp=&pagewanted=all

*(参考記事)「オマール・スレイマン、エジプトの謎のスパイ組織チーフが副大統領に」Omar Suleiman, Egypt's enigmatic spy chief turned vice president: Profile
http://www.middle-east-online.com/english/?id=43958