Thursday, November 19, 2009

“君は、なんて儀式的なんだ!”アメリカのお辞儀の歴史 … "How Ceremonious You Are!" A history of bowing in America - By Juliet Lapidos


オバマ大統領の丁寧なお辞儀
どうでもよいことのようだが、日本人もアメリカ人も、
少し気にかけていた?──

“君は、なんて儀式的なんだ”…
アメリカのお辞儀の歴史 By ジュリエット・ラピドス (11/17、Slate.com)

 オバマ大統領が先週の末、(かなり深々と)日本の天皇にお辞儀をしたことは…彼を中傷する保守派たちに、余るほどの"馬の餌"を与えてしまった。元副大統領のチェイニーもその一人で──彼は、“アメリカの大統領は、誰にもお辞儀する理由はない…我々の友人も同盟国もそれを予測してはいなかったし、我々の敵国は、それを弱さのサインだとみなしている”、といったという。

 日本では、お辞儀はフォーマルな挨拶にともなうスタンダード(標準的)なものだ。そして植民地時代のアメリカを描いた昔のドラマをみたことがある人なら誰でも、お辞儀がかつてこの国でも一度はスタンダードだったことがあるのを、よく知っている。アメリカ人は、いつからお辞儀をやめたのだろう?

 20世紀の初頭よりも後だったことは確かだ…それまでは珍しいものではなかったのだが。身ぶりの歴史をたどるのは困難だが、文字となった証拠を通じて、我々は植民地時代にはかなり多くお辞儀が行われていたことを知る。17世紀の清教徒の牧師たちは、お辞儀を、目下の身分の者が目上の者に会った際に目線を低くして屈むという意味で、熱心に推奨した──それを、“栄誉と尊敬と(そしてさらに)服従の誓いの徴し”、だと考えて。親や教師、家庭教師、そしてダンス教師などが、このような伝統を18世紀を通してばらまいた… 男性は女性に対してお辞儀をするように、目下の者は目上にお辞儀をするように、そして平等な者たちも一定の地位ある者に対しては、お互いにお辞儀をすべきと指導していた。

 独立革命の時代の人々には、その習慣がより民主的でなかった社会の痕跡だとみなされた。たとえばトーマス・ジェファーソンはお辞儀の代わりに、握手を好んだ。尊敬の意を表わす伝統的なサインは、アンドリュー・ジャクソン大統領の頃(1829-37)に、多くの米国人が自意識過剰気味に…階級意識や旧世界の罠を拒否した時期に、いっそう批判の的となった。歴史家のJack Larkinはその著書“The Reshaping of Everyday Life”で、英国人の Frederick Marryatが1835年に、“合衆国ではいつでもどこでも握手が行われているので、新たに知り合った人のステイタス(地位)が識別できない” とこぼしていた、と引用した。Larkinは、この時代にお辞儀とは、主に子供が年配者に帽子を脱いでお辞儀したり(あるいは、婦人がちょっと膝を屈めて会釈するもの<=curtsy>として)行われていたと書いた。

 また別の歴史家、 Amherstにあるマサチューセッツ大学のStephen Nissenbaumは、ニューイングランドの清教徒たちにとってお辞儀は義務であり、真のsubservience(従属の意)を表明するものだったと指摘している。ジャクソン主義者の時代とその延長の時期には、これとは対照的に、お辞儀は "礼儀正しい社会組織(polite society)"のメンバーを象徴するものだった。

 もちろん、お辞儀は20世紀に入っても、エリートの間で行われていた。たとえば、Edith Whartonの登場キャラクターは、互いにお辞儀をしあっている。(そこでは、浅く屈むことがスタイルだったようだ。“New Year's Day”という中編小説の語り手は、若きHubert Wessonが、Mrs. Hazledonに対して挨拶をする際に、彼女の前であまりに深く屈みすぎた、と記している。“まあ、あなた…”と彼女は言う、“あなたはなんて儀礼的なの!本当に。私はあなたがなさるお辞儀が示すほどに、齢をとってはいないわ?”) 

 礼儀の専門家Emily Post は、1922年の彼女の著書“Etiquette”のなかには、お辞儀に関する一章を含めるのがふさわしいと考えた。紳士というものは、ディナーの席で拍手喝采への返礼に立ち上がり、一言二言述べるときや、または上品でフォーマルなディナーの席で、レディやほかの年配の紳士達に対してお辞儀するときには、“立って一礼”(standing bow)すべきだ、と書いた。このフォーマルな身ぶりは、“両脚を揃え、踵をかちっと打ちつける動作”や、“素早く、腰から首に至るまで深く屈する”といった動作も伴ったりした。もしも彼が街の路上で誰か知人に出会ったら、彼は気軽な(インフォーマルな)会釈をすべきだ──彼は帽子をとって屈むべきだが、“簡単で、わざとらしくない(自然で、無理のない)”仕方ですべきだ、ともある。

 それなら、米国社会は厳密にはいつお辞儀を放棄したのだろう…その身振りをカーテンコールのときのみに委ねて?1920年代までに、それはすでに古くさくて陳腐な身ぶりとなっていた。そして第2次大戦の頃までにそれは街の風景から消え、社交界デビューの舞踏会のごとき場面だけに残されていた。
http://www.slate.com/id/2235915
*お付合いの席等の話題によさそうのでUpしたのだが…

http://en.wikipedia.org/wiki/Bowing#Bowing_in_European_cultures
*ヨーロッパでのお辞儀の歴史

冷泉彰彦氏は少し別のことをいっている:
http://newsweekjapan.jp/reizei/2009/11/post-79.php

’オバマはどうして「90度のお辞儀」ができたのか?