Wednesday, July 14, 2010
ペトラエウスと「増派」の神話/ Petraeus and the 'Surge' Myth- By Robert Parry
マクリスタル氏の突然の解任。
後任司令官となったペトラエウス氏の過去の業績を取りざたする記事も氾濫!…
ペトラエウスと「増派」の神話 By ロバート・パリー (6/30、Middle East Online)
もしも今、ワシントンのオピニオン・リーダーたちの間で、何事にも優先するコンセンサスがあるならば、それはイラクで同様な功績を挙げたデビッド・ペトラエウス大将が、アフガニスタンでの失敗続きの戦争を建て直すための完璧なチョイスだ、という見方だろう。しかしそのような世間の一般通念が、もしも誤っていたなら?
もしも2007年にペトラエウスがイラクを継承したことと、ブッシュ大統領が大いに称えた米軍の“surge” (増派作戦)が、イラクでの最終的な暴力の減少とはあまり関係なく、これらの原因がもたらした結果というよりも、単なる偶然だったとしたら?
それならば…バラク・オバマ大統領が昨秋、イラクと同様な兵力“増派"を承認したアフガニスタンでの戦争…では、より一層の人命と金銭的な犠牲をもたらすことすら予想される。ペトラエウスは来年、個人的な失敗を認めるよりも、むしろさらなる兵力増派を求めるだろう、との予測もある。
我々はConsortiumnews.comにおいて、事実や客観的な分析が違った見方の方向性に向かうことを示して、ワシントンの“group think 集団的発想” への挑戦を行った。なぜなら、いい加減な世間一般の通念というものがワシントンの権力の中枢を支配するとき、多くの人命が失われるかもしれないからだ。
イラク戦争は、誤った仮説がいかに破滅的な政策に繋がるかの古典的な例だった。それは確かに、侵攻以前にほとんど全ての重要な人物たちが、大量破壊兵器や、サダム・フセインとアル・カイダのテロリストとの関係についての偽の諜報情報を信じて、それに加担したケースだった。
その後には未成熟な勝利宣言と祝賀が続いていた…MSNBC のアンカーマンChris Matthewsによる、「我々はいまや皆ネオコンだ」という宣言から、ブッシュ大統領による"Mission Accomplished” のスピーチまで。
こうした全ての仮定が間違っていると判ったとき─そしてイラク戦争がとても醜悪なものになっていったとき─イラク侵攻の扇動に便乗していたジャーナリストや政治家たちに対する信頼は殆ど失われてしまっていた。
そして2006年には、シーア派とスンニ派の宗派戦争が残忍さを増してイラクを引き裂き、米国人の犠牲者数は増加し続け、留まるところが見えなかった。
しかし、他でもなく幾人かの要職の人物たちが彼らの落ちた名声を回復したいとの欲求を抱いても、ワシントンは依然としてイラクの雷雲のなかに希望の兆しの光を見ることはできなかった。…そうした機会は2006年の大虐殺のさなかに、自ら出現した。
暴力の悪化にも関わらず、George CaseyやJohn Abizaidといった司令官たちは、米国の「足跡」をできる限り小さくして、イラクのナショナリズムを鎮圧しようという主張に固執した。彼等はそれ以外にも幾つかの仕事のイニシアチブをとった。
そのひとつは、Casey とAbizaidがアル・カイダの主要なリーダーたちを討伐する秘密作戦を行ったこと─ …最も成功したものとしては2006年にAbu Musab al-Zarqawiを殺害したことだ。彼等はさらに、スンニ派の間で高まるアル・カイダの過激派に対する敵対意識を利用して彼らを買収し、Anbar 県での“Awakening”(覚醒部隊)とよばれる運動に参加させた。
The ‘Surge’ Cometh 「増派」の開始
それはブッシュ大統領が、Casey とAbizaidの解任と、ペトラエウスの後任司令官への指名とに相伴って、 2007年1月に約3000名の米軍兵力の‘Surge’増派宣言を発するより前に起きていた。そして“small footprint”(小さな足跡)戦略は、廃案になった。
疑いもなくペトラエウスは、シーア派の原理主義的リーダー、Moktada al-Sadr が全面的停戦宣言を発したこともあって、ラッキーだった(伝えられるところでは、al-Sadr は彼のイランのパトロンからの、地域的な緊張をクールダウンするようにとの要請に応じたのだともいう)
米軍の追加勢力の到着により、‘Surge’(増派)は米軍とイラク人の戦死者数の史上空前レベルへの激増ももたらしていた。
ペトラエウスはまた、イラク人の“military-aged males(軍事的適齢期の男子)”またはMAMSの無差別な殺害や一斉検挙も容認していた。そうした残虐行為がよく記録された例は、2007年12月に米軍がヘリコプターから、ロイター通信のジャーナリストたちを含むイラク人の男たちを爆撃し殺害した様子の、リークされたビデオがある。
2台ほどのカメラを武器と誤認して、米軍の減りは司令部から承認を受けて、バグダッドの通りを何ら、攻撃的様子もなく歩いていた彼らを無差別に殺害した。その殺戮のシーンにはヘリのクルーによるマッチョなジョークとくすくす笑いも伴っていた。
米軍の攻撃者はそこにバンで到着して負傷した通信社の人間たちを救助し病院に連れて行こうとした数人のイラク人をも爆撃した。バンに乗っていた2人の子供は重い怪我を負った。
Wikileaksに “Collateral Murder” として投稿されたこのビデオに、ある米国人は「戦闘に子供を連れてきたことは彼らの手落ちだ」、とコメントした。
イラクのMAMSに対する他の攻撃として、ペトラエウスの司令の下で米軍は同様な無実の一般市民を誤って殺害していたと思われるが、こうした行為はまた実際に、街の武装勢力も確実に一掃していた。
4年間にわたる米軍のハイテク戦争の後、イラク人たちは確実にトラウマと疲弊に襲われていた。何万人もの人々が殺され、不具にされた後、イラクの人々が彼ら自身のサバイバルに目を向けはじめたことは理解に難くない。
ブッシュの“surge” はまた、さらに1000名に上る米兵の命を奪い、戦争全体を通じた米軍の犠牲の4分の1を占めている。
‘Successful Surge’ 「成功した増派作戦」
2008年に暴力のレベルが徐々に減少してきたとき、ワシントンの影響力あるネオコンたちはすかさず、増派の成功、という名の功績を訴えた。ワシントンの報道機関では、CNNの有名キャスターのWolf Blitzerなどが、このテーマを繰り返し唱えていた。
しかし、この新たな世間の一般通念が固定化したとき、実際に戦闘に参加した者たちをあえてインタビューした数人のアナリストたちは、異なる現実を発見していた。ブッシュの戦争初期の判断を誉めそやしたベストセラーを書いた作家のBob Woodwardですら、“surge” は唯の要素にすぎなかったこと…それはおそらく暴力の減少の大きな要因のひとつですらなかったとの結論を導いた。
彼の著書”The War Within”でWoodwardは書いた、「ワシントンでは、世間一般の通念というものがこうした事件を、増派が功を奏したという単純化された見方に翻訳してしまう─しかし、全体のストーリーはもっと複雑だった。最低でもその他の3つのファクターが、増派と同様に重要か、あるいは増派よりも重要だった」
Woodwardの本の内容はペンタゴンのインサイダーから多くの情報を得ているが、アンバール県においてスンニ派がアル・カイダの過激派を拒絶したこと、そしてal-Sadrによる驚くべき停戦の決断、という二つの重要なファクターをリストに挙げている。
そして、Woodwardが最も重要かもしれないと論じている三つ目のファクターとは、米国が新たに採用し始めた高度に機密的な諜報戦略が、反乱勢力のリーダーの迅速な標的化と殺害を可能にしたことではないか、という。Woodwardはその機密戦略の今後の成功を妨害しないため、著書ではその詳細を明らかにしないことに同意している。
しかしこの、より複雑なリアリティ… そして「成功した増派」作戦の暗い面(ダークサイド)というものは…米国での政治的な/メディアでの論議からは、大幅に排除された。侵攻開始以前にはワシントンの報道関係者たちは、疑念を抱くジャーナリストというよりも、はるかにブッシュのプロパガンダ扇動者として振るまっていたのだ。
「成功した増派作戦」の神話に関する、その他の二つの危険な事項は、ペトラエウスがその華々しいリーダーシップのお陰で聖人のように祀り上げられたり、また若さをとり戻したネオコンたちも、再びアフガニスタンでの「増派作戦」を実施すべきだ、と主張するかもしれないことだ。どちらの危険性もオバマが大統領に選ばれてから発生したものだ。
ペトラエウスと、オバマにより国防長官として留任したもう一人の「増派のヒーロー」Robert Gatesは、新大統領に対して特殊作戦の司令官Stanley McChrystalを推し、中央司令部からペトラエウスが肩越しに監督する下で、McChrystalがアフガンでの米軍の指揮を執るようにプッシュした。
出番を迎えたMcChrystalはアフガンへの兵力増派を要求し、そして(Joe Biden副大統領が主唱した)代替戦略には反対を唱えた─その戦略とは、米軍の攻撃的な反テロ戦略による「足跡“footprint”」をより小さくするもので、イラクで「増派作戦」より以前にCaseyと Abizaidが行っていたものに類似していた。
しかし、「増派の成功」に関するメディアの通念や、オバマお抱えのタカ派のアドバイザーGatesやHillary Clinton国務長官などのお陰で、PetraeusとMcChrystalは… 大統領をたやすく後に引けない状況に追い込んだ。彼はさらなる3万の兵力をアフガンに増派し、総兵力を10万に拡大することを容認した。
新たなる派遣兵力にも関わらず、アフガンの「増派」は─ Marja地区の田舎での戦略の行き詰まりやKandahar侵攻作戦の延期により、たいした牽引力を発揮できなかった。それはRolling Stone誌のフリーランス・ライターが、McChrystal や彼の内輪の者たちが、大統領とホワイトハウスのアドバイザーたちに対しいかに軽蔑的かを暴露する以前の話だった。
Rolling Stoneの記事以降、大手メディアの記者たちは当初、オバマがどうすべきかについてはアンビバレントな(相反する)思いを抱いていた。それでもとにかく、辛らつなMcChrystalは、ペトラエウスと同じ位に彼のお気に入りだった。(多くのジャーナリストは彼の反抗的な(非服従の)態度を知っていたが、McChrystalチームに対して取材する継続的な「アクセス」を維持するため、そうした情報を出すことを抑えていた。
しかし、オバマがMcChrystalを解任させぺトラエウスを後任にすえたとき、ワシントンのニュースメディアは賞賛で応えた。それはアフガニスタンの戦場で、ペトラエウスのような魔法を使える人間は他に誰もいないとの考えであり、その証拠とはイラクでの作戦を再現することのなかにあった。
一流のコメンテーターたちが再度考察することを厭うのは、「成功した増派」というような通念や、ペトラエウスがそれを成し得たのは天才だからだといった考えが… 以前にイラクの大量破壊兵器について皆が誤認していたのと同様の"group think" なのではないか、ということだ。
そこにはワシントンの誰もが受け容れたがらない、もうひとつのイラクからの教訓があるようだ: 米軍兵力とイラクの一般市民の犠牲が最も劇的な減少を示したのは、米国が2008年の暮れに米軍のイラクからの撤退を求める'status-of-forces agreement'(軍のステータス合意)を受け容れた後のことだ、という事実だ。
イラクの民衆もアフガニスタンの民衆も、世界中からきた外国人が彼らの国を占領しているということを余り好んでいないようだ。しかしそれはデビッド・ペトラエウスも、そしてワシントンのメディア関係者も…心に留めようとするような現実ではないようだ。
注:Robert Parry は1980年代にAP通信とNewsweek.に対しIran-Contra事件の多くのストーリーを暴露した。彼の最新の著書には、"Neck Deep: The Disastrous Presidency of George W. Bush ”、その他の著書では、”Secrecy & Privilege: The Rise of the Bush Dynasty from Watergate to Iraq"、そして ”Lost History: Contras, Cocaine, the Press & 'Project Truth' がある。
http://www.middle-east-online.com/english/?id=39842
*…筆者のロバート・パリーはイラン・コントラ事件を暴くなど、共和党政権を批判してきた人物…レバノン系のメディアが、中東寄りでやや反米的な英米の論者の記事を載せている
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