Tuesday, June 16, 2009
イランの神権政治/Don't Call What Happened in Iran Last Week an Election - It was a crudely stage-managed insult to everyone involved. By Christopher Hitchens
イランで先週、おきた出来事を選挙と呼ぶなかれ─ すべての人は露骨な"舞台操作"で侮辱された ─ (6月14日 by クリストファー・ヒッチンズ)
私は、先週、イラン・テヘランが包まれた政治的な空気のにおいを伝えるべく、私に定期的な最新情報を送ってくれる、若いイラン人の友達の言葉を引用したい:
…私がアフマディネジャドの最後に催した大きな集会に行ってみた時の印象は、ファシズムとはこういうものでは、と想像していた気配そのものだった。うす汚くしみや斑点だらけの数多くの若者たち、デートをする恋人もできないような奴らが銃を与えられて、お前らは特別な存在なのだ、と吹き込まれていた─
そのことにはこれ以上の表現法はないだろう─ "イスラム共和国”の胸の悪くなるような核心に横たわる、不快な悪臭を放つ性的抑圧の喚起、またはイランのなかの擬似国家、国家の中の国家というものがわずかでも挑戦を受けたと感じて、内にとどめていた力を表に顕わす様子を描写するならば。先週のイランでの事件が(…すまないが、私はそれを選挙と呼ぶことは断固、拒否したい)、そこに参加した人たちや、見守る人たちに対する、露骨に舞台操作された侮辱だったというのには理論的な理由があるし、また現実的な理由もある。理論的な理由とは直ちに劇的な、エキサイティングなものではないが、それはより一層興味深く、重要な理由だ。
イランとその国民はシーア派の神権政府によって、聖別された宗教指導者たちの私的な所有物だと看做されている。このような全体主義的考えは、故アヤトラ・ルホラ・ホメイニ師が普及させた宗教的な’インチキ療法’をその起源とし、velayat-e faqui という名で知られる。この布告のもとでは元来、宗教指導者たちを、孤児たちや貧乏で気のふれた者たちの生命と財産の庇護者であるとし、そしてすべての国民は、黒いローブをまとった宗教国家に庇護された子供のような被後見人だと宣言する。それ故すべての投票・選挙はその定義として、それが始まる前から既に、終わっているのだ、何故なら非常に強力な権利を持つイスラム護憲評議会(Islamic Guardian Council)が、誰が立候補できるのか、できないのかを事前に決定してしまう。この一連の出来事を選挙、と呼んでいる新聞のすべて─ 街頭の集会や、世論調査、投票数のカウントといった情報で補いながら報道するメディアはすべて、アヤトラ達の間では救いようのない笑いの原因でしかない。(”彼らはそれにやられたのか?それは余りにも簡単じゃないか!”)先週起きたすべての汚い出来事を共犯者のごとく伝えたすべてのメディア報道は、恥を知るがいい。そしてまた哀れなわが国務長官─彼女は、この選挙結果がイラン国民の”真の意志と願い”の反映であることを望んでいる、とか述べたのだが─彼女もまた恥を知るべきだ。確かにそのような偶発性は、最初から熟慮の上で仕組まれたものだとは、彼女も知っていたことだろう。
その理論においては、アヤトラたちが最初に選択する候補者は必ずしも、実際に選挙に「勝つ」とは限らず、また「イスラム護憲評議会」のなかでも、誰がベストの候補者を指名すべきか、において意見の相違も存在している。2番目には、そのような状況であるから、それは依然として怨恨を生む。その結果、腐敗したシステムというものでは依然として不正行為が行われる。それはいわば、偽善と同様であり、悪は善の代償を購いうる、という褒め言葉と同じこととなる。殆ど信じがたい野卑さ(畜生性)と残忍さをもって、やがて、その守護者達は携帯電話とテキスト・メッセージのネットワークの遮断へと動く─ それは、かえって公平さの印象さえ与えるのだが、そして彼らの嵐のような"革命防衛隊"の機動部隊が、唯一つの投票の形だけが神聖なる認可を受けるものだ、と宣言する。(最高権力者のアリ・ハメネイは宣言する─、”神の奇跡の手が”すべての投票所におかれている、と─ そして投票の結果が、多くの人々が投票もし終わらないうちに宣言される、彼はそのような事をいつもやってきている。)
この明らかな選挙操作、不正の証拠、一方の側だけの支持は今ひとつの疑念、つまりアフマディネジャドのような文盲の原理主義者が、国家の後ろ盾をうけた国民投票的な多数票をなぜ増大的に得られるかの理由に関して疑いを生じさせる。他のイスラム諸国における、過去2年間に実施されたすべての選挙で起こっている傾向は、このようなものではなかった。モロッコでは2007年に、もっと騒々しく宣伝の好きな「正義と発展の党(Justice and Development Party)」が14%の票を獲得した。マレーシアやインドネシアでは同様に、シャリア法(イスラム法)に対して肯定的な立場をとる党派の市場シェアが拡大している、との予測が偽りであることが立証された。イラクでは去る1月の地方選挙で、バスラ市などの住民の生活を悲惨さに追いやっていた宗教系党派が罰則を課された。隣国のクウェイトでは先月、イスラム原理主義党派への投票数は貧相な結果におわったものの、4人の女性候補者─Rola Dashtiという鮮烈な女性(彼女はすべてのヘッドギアの着用拒否を宣言した)を含む4人が、50名からなる議会のメンバーに当選した。なかでも最も重要なのは、おそらくイランが支援するヒズボラが先週、レバノンが実施した開かれた元気旺盛な選挙で、納得のできる形で予測せぬ敗北を喫した事だろう─ それらの選挙結果は、いかなる集団によっても挑戦を受けるものではない。そして、私が聞いている限り、パレスチナ人が今年、再び選挙を行えるなら(そのような可能性の考えられる一つのポイントがあるのだが)、その場合ハマスが政権をとることは、まずほとんど起こりそうにないのだ。
しかし、彼らがその傘下の代理機関としての政党をもつレバノンのような国においてさえ選挙投票への準備を上首尾に行えなかったような、老衰した、狂信的な宗教的批評者たちは、彼らに対する「多数派」の支持層を育むことで、報道を規制し暴力を独占するような爛れた破産国家からも何とか報償を得られる。私は、このような慰めをオフィシャルに認可することを我々は、拒絶すべきだと思う。私は、「Neither Free Nor Fair: Elections in the Islamic Republic of Iran(自由でも公正でもない:イスラム革命共和国の選挙)」 http://www.iranrights.org/english/document-604.phpという本やその他のAbdorrahman Boroumand Foundationの本を読むことをすすめる。これには、イスラム護憲評議会を喜ばせなかった罪に過去に課された処罰は、単なる資格の剥奪だけでなく、収監や拷問、死であり、それはそうした順序で課されることがあると書かれている。Cyrus Nowrastehの新しい映画 "The Stoning of Soraya M." http://www.thestoning.com/ では、他のやり方で異議をとなえた者たちが、アフマディネジャドの配下の "草の根" 狂信者たちにどんな扱いを受けたかを、じきに見せてくれるだろう。
レバノンの選挙に触れるなら私は、最近、私自身がレバノンの南ベイルートで目にしたヒズボラの集会について語らざるを得なくなる。イラン大使館から公式に参加している使節団を目立つ位置に据えた広いホール、そこに貼られた親イランの政党の最もけばけばしいポスターとは、核爆弾のきのこ雲のポスターなのだ!このよく物言うシンボルの下に書かれたキャプションは「シオニスト」について世間によくある警告である。我々はイランが未だに、核兵器の獲得にはいかなる意志もない、と公式に否定していることを忘れがちだ。しかしアフマディネジャドは最近、イランのミサイルの発射実験を、イランの遠心分離機による核燃料精製の成功に相対するイベントとして賞賛し、そしてヒズボラは確かにイランの原子炉が平和利用以外の用途に用いられる可能性がある、との考えを抱くことを許された。このことは、特にmullahたちがイランを、悪意ある操作(vicious manipulation)でコントロールしている事実が、これ以上イランの"国内問題"とは看做されないことを意味している。国内でのファシズムとは、早かれ遅かれ、海外でのファシズムにつながる。これに今、面と向かうか、後に引き延ばすか、ということだ─ ところで、こうした(操作)というものには、もっと適切な名称を与えて欲しいものだ。
http://www.slate.com/id/2220520/
イランの騒乱の原因とは/Class v. Culture Wars in Iranian Elections: Rejecting Charges of a North Tehran Fallacy by Juan Cole
'都市のアッパーミドル層 vs 農民・労働者の支持層 ' なのか? イランの選挙に関して、在米「中東工作員」コールの禿頭ブログから
イランの選挙における文化 vs 階級の戦争:
「北部テヘラン」に対して宣告されたほら話の拒絶(6月14日 by ホアン・コール)
西欧メディアの記者たちがアフマディネジャドの勝利にショックを感じた理由は、彼らが北部テヘランの富裕層の地域に取材ベースを構えていたのに対して、イラン国民の多数派である農民や労働者達がアフマディネジャドを熱心に支持していたからだ、と評論家たちはいう。それは再び我々が、このグローバル・サウスと呼ばれる労働者階級中心の国で、アッパー・ミドルクラスの報道と期待感とに騙され、犠牲となったことを意味する。
そのような動きは存在したのかもだが、その分析はイランにおいては間違いだ、なぜならそうした分析は階級や物質的な要素に注意を払いすぎて、イランでの文化的戦争に焦点を当てていないのだ。我々は1997年と2001年に、すでにイランの女性と若者たちが、曖昧ではっきりしない文化大臣だったモハメド・ハタミと彼の第2次Khordad movement(ホルダッド運動)を背後で支持し、そして彼が大統領の座を得て…、2000年には議会を掌握したのを観てきた。
ハタミは1997年に、70%の支持票を獲得した。彼は2001年には数多くの競合者たちのなかで、78%の支持を得た。2000年には彼の改革運動が65%の議会議席を獲得した。彼はよい男だった、だが彼のことを組合運動の男、とか農民たちのスターだと言うのは不可能だ。
過去10年余りの短い期間に、イランの有権者たちは個人の自由の拡大に関心を高め、女性の権利拡大、そして文化的な表現の自由のより広範な合法化への関心を高めてきた(高級文化だけでなくイラニアン・ロックミュージックなどに関して。)しかし保守強硬派の過激なピューリタン主義は、人々の望みをすり潰した。
90年代末から2000年代の初めの改革派たちにとっての問題は、彼らが選挙で選ばれ、大統領職を押えたのにも関わらず、実質的にはあまり多くをコントロールできなかったことだ。重要な政府のポリシーや法的規則の決定権は、選挙で選ばれていない政府の宗教政治家達の手にあった。強硬派の神権政治家たちは、改革派の機関新聞の発行を差し止め、改革派の決めた法令を無効にし、社会的・経済的な改革を妨害した。ブッシュ政権はハタミが、彼の改革政策の実行による外交上の、また海外投資等の分野でのいかなる成功の手ごたえも祖国に持ち帰れないように彼を“干した”。そのようにして2004年の議会選挙では、文字通り何千人もの改革派の候補者たちが選挙から締めだされ、立候補を阻まれた。誰が立候補できるかに関してのこうした強硬派のリトマス試験によって、当然ながら強硬派ばかりの議会が生まれた。
しかし2000年には、強硬派が選挙民たちのわずか20%の支持しか得ていない、ということは明らかだった。
2005年までに、強硬派は改革を後ろへと押し戻し、改革派は不満げな表情をうかべて敗退した。彼ら改革派の多数は、彼らのなかの候補者で17%の票しか得ていないKaroubiを支持しなかった。彼ら改革派はしかし、強硬派で、ポピュリストであるマフムード・アフマディネジャドと、現実主義的な保守派の億万長者アクバル・ラフサンジャニの2者の中間の順位を得て逃げ切った。そしてその選挙ではアフマディネジャドが勝った。
アフマディネジャドの05年の勝利はしかし、改革派支持者たちが幻滅し、広範に選挙ボイコットをしたことにより実現した。つまりうんざりしていた多くの若者や女性は投票所には赴かなかった。
そのため、2001年に20%だった強硬派への支持率は、2009年には63%に達した。我々が仮定するのは、8年前に比べて、イランは都会的ではなく、文盲率も高まり、文化的な事柄への興味も低下してしまったのではないか、ということだ。我々は改革派が再度、選挙をボイコットし群れをなして投票日に家に留まっていたのではないかとも考える。
すなわち、これは北部テヘラン 対 南部テヘランの問題ではないのだ。ハタミが勝利したときは、北部テヘランでも支持を得ていたにもかかわらず、大差で勝利していた。
それゆえ、ムサヴィのスムースなアッパーミドル・クラス風の小わざに屈した我々に、罪悪感へのトリップをさせたいと考える傍観者たちは単に、過去12年間にわたるイランの歴史を無視しているのだ。それは文化戦争であり、階級戦争ではなかった。投票権を与えられた典型的なイランの有権者の男女が、保守派や宗教家たちに投票したというのは単純にいって真実でない。事実ムサヴィは実質的に2000年に選挙で勝利を喫した典型的な政治家達に比べてもより保守的だ。80%もの高い投票率のもとで、またイランでの都市圏の拡大、識字率の向上、強硬派の清教徒的保守主義との対決意識の拡大などからも、ムサヴィは現在進行形の文化戦争のなかで勝利をとげる筈だった。
アフマディネジャドが“little people(小さな人々)”のチャンピオンとして振るまったことも、必ずしも彼のポリシーが労働者や農民たち、労働者階級の女性たちにとって良いポリシーだった事を意味しない(そのような社会階級の人々の多くは、彼の政策がそうである事を知っている。)
それゆえ、この罪悪感のトリップを、ここで止めよう。第2波の Khordad運動はこの10年間のよりよいパートのための、勝利の連合のためにあった。その支持者達は彼らが前回勝利を得た時より8歳年をとった、しかしそれは若い政治運動だった。彼らが皆180度転回し、ハタミからアフマディネジャドに支持を乗りかえることがあるか?それは考えにくい。ハタミに群れをなして投票したイランの女性たちは、どこにも去ってなどいない、彼女らはアフマディネジャドの、女性に関する政策的立場には少しも関心を払っていないのだ。
BBCのニュース・インタビューのなかで、イラン女性センターNGOのメンバーである、Mahbube Abbasqolizadeは語っている、「アフマディネジャド氏のポリシーとは、つまり女性は家庭に戻るべきだし、そのプライオリティは家族であるべきだ、という考えなのです」…
*アフマディネジャドは彼の政府組織である、「女性の参加のためのセンター」を「女性と家族の事柄のためのセンター」へと改称した。
*アフマディネジャドは男性が妻に告げることなく妻と離婚していい、という新たな法律を提案した。さらに、男性は離婚後の妻に払う扶助料を今後、支払わなくてよいという法律を提案した。これに答えて、女性グループは100万人の署名キャンペーンを実施し、こうした方法に対抗した。
*アフマディネジャドは社会治安プログラムを実施し、このなかで、女性の服装を監視すること、女性が学校に行くには父親か夫の許可を必要とすること、そして大学に進学を許される女性の人数を限られた割当て数に絞る、QUOTA SYSTEMを導入した。
ミル・ホサイン・ムサヴィは改革派にとってもっともらしい候補者だ。彼らは彼と同じような人物を70%と80%の差で2,3年前にも選挙で選出した。我々は北部テヘランのビジネス・ファミリー(ビジネスマン達)の支持はうけてはいない。我々はそれよりも、全国民の少なくとも20%は存在する、強硬派支持の選挙民たち、唯一のイラン革命の継承者であると自称し、どの票が陽の目を見るかをもコントロールしている、そうしたグループによってこれまで支配されてきたのだ…
http://www.juancole.com/2009/06/class-v-culture-wars-in-iranian.html
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