Wednesday, June 1, 2011

アル・カイダのパキスタン海軍への浸透…を報じたジャーナリスト、Syed Saleem Shahzadが殺害される- Pakistani Journalist Syed Saleem Shahzad is slain


パキスタンのジャーナリスト、サイード・サレーム・シャハザッドSyed Saleem Shahzadが殺害される
─パキスタン海軍上層部のアル・カイダとの関与を暴露後─

 パキスタンのカラチの海軍基地への武装勢力による襲撃と、治安勢力による掃討戦の詳細なレポートを報じた直後に、Asia Timesの記者Syed Saleem Shahzadは誘拐され、拷問により殺害された。911以来パキスタンの諜報部や、タリバン、アル・カイダについて驚くべきインサイド情報を暴露してきたオンラインジャーナルで、パキスタン支局長として常にトップ記事を執筆していた人だ。

 この記事の掲載の後Saleem Shahzadはパキスタンの諜報部から脅迫を受けていると人権団体Human Rrights Watchに訴えていたという(同諜報部は、関与を強く否定している)。6月1日に、彼の行方不明が報じられた後、殺害はあっという間のことだった。カラチでは水曜日に彼の埋葬が行われたと報じられた。


  特にここ数年、Asia Timesを強く特徴づけていたパキスタンの過激派に関する彼の頻繁なレポートは余りにも詳細で、ここまで書いてよいのだろうか?としばしば危惧も感じざるを得なかった(当blogでも何度か翻訳を掲載…)気概と勇気で常に真実を伝えてくれていた、ジャーナリストが殺害されてしまった

(以下は彼の最後の記事の翻訳です)
 

Al-Qaeda had warned of Pakistan strike
アル・カイダ、パキスタンに対する攻撃を警告 By Syed Saleem Shahzad (5/27, Asia Times Online)


イスラマバードにて─
 5月22日に、アル・カイダとの関係性の容疑で逮捕された海軍軍人らの釈放をめぐり、アル・カイダとパキスタン海軍との間で行われていた交渉が失敗した後、アル・カイダが厚かましくもカラチのPNS Mehran naval air stationを攻撃したことを、AsiaTimesは暴露した。

Sayd Salem Shahzad

 パキスタンの治安勢力は、海軍基地がひと握りの重武装した武装勢力による急襲を受けた後に、15時間にわたって同基地での掃討作戦を行った。
 幾人かの攻撃者たちは、何千人もの軍兵士による警戒線を抜けて逃亡する前に、少なくとも(基地の内部で)10人を殺害し、2機の米国製P3-C Orion哨戒機(一機あたり3千6百万米ドルに値する)を破壊した。

 公式発表では武装兵士の数は6名で、うち4人は殺害され2人は逃亡した。しかし非公式情報では、10人の武装兵士がおり、6人が逃亡したとも言う。Asia Times Onlineによる確認では、攻撃者らはアル・カイダの作戦部隊であるIlyas Kashmiriの313 Brigade(第313部隊)から来たのだという。

 先月、海軍のバスへの3回の攻撃で乗っていた9人が殺害されたが、これは拘束されている(海軍の)容疑者らに関するアル・カイダの要求を受け容れるように、との海軍関係者らへの警告の銃撃だった。

 5月2日の、パキスタンでのオサマ・ビン・ラディンの殺害が、アル・カイダの複数のグループのあいだで、カラチ攻撃を行う、というコンセンサスに弾みをつけた─それは彼らのリーダーの死への報復であり、また同時にパキスタンのインド海軍に対する哨戒のキャパシティ(偵察の能力)に打撃を与える、という目的のためだった。

 しかしその深層に横たわる動機とは、海軍組織の内部におけるアル・カイダの同盟者らへの大規模な弾圧に対するリアクションだった。

好戦性の噴火山 Volcano of militancy 数週間前に海軍諜報部は、この国の最大の都市であり、重要な港であるカラチの数箇所の海軍基地の内部で活動する、あるひとつのアル・カイダのセルの動きを追跡していた。「イスラム的な感情は軍の中でも共通して(普通に)みられるものだ」と、ある匿名の海軍上級幹部(メディアに対して話すことを許可されてはいない)は、Asia Timesに語った。

 「我々は、そのことに決して脅かされたりすることはない。世界中の全ての武装勢力は、米国人だろうと、英国人やインド人だろうと、宗教から─ 彼らが敵と戦う上での動機となる何らかのインスピレーションを得ているものだ。そして。、パキスタンは二国主義の概念のなかで建国された─すなわち、ヒンズー教徒とイスラム教徒は二つの別の国民だという考えであり…それゆえ、誰もイスラムやイスラム的感情をパキスタンの軍から切り離すことはできないのだ」、と彼はいう。

 「そうはいっても、我々はカラチの異なる複数の海軍基地が、不穏な仕方でグループ分け(grouping)されるのをみていた。誰も軍の兵士らを、彼らが宗教的儀式を行ったりイスラム教を学んだりしたからとの理由で妨害することはできないため、そのようなグループ分けは軍の規律に反するものだ。それは怪しい活動をチェックするための、海軍における諜報作戦の始まりだった」。

 その軍人は、そのグループ化が軍のリーダーたちの意に反しており、またイスラム武装勢力に対峙する上での米国との繋がりにも逆らうものだと説明した。米国から訪問している米国政府関係者らへの攻撃を示唆するいくつかのメッセージが傍受されたとき、諜報部は行動にでるためのよい理由付けを得て、そして最低10人の人々(主として下級軍人であるが)に関する慎重な評価が行われた後に、彼らは数々の活動の容疑で逮捕された。

 「それが大きなトラブルの発端だった」と彼はいう。
 逮捕された者たちは、カラチの首相公邸の裏にある海軍諜報部のオフィスに抑留されていたが、適切な尋問が始まるよりも前に捜査の担当者は、それらの男たちがどこに拘束されているかを知っている武装勢力からの、直接的な脅迫を受けた。

 抑留者たちはすぐにより安全な場所に移されたが、脅迫はなおも続いた。この件に関与した軍幹部たちは武装勢力が彼らの行う尋問を恐れていたことを信じている─武装勢力はそれによって、海軍の内部の内通者ら…彼らに忠実なより多くの者たちの逮捕に繋がるかもしれないことを、怖れていたのだろうと。武装勢力はこのため、もしも拘束者らが解放されないのなら海軍施設が攻撃されることを、明白に宣言していた。

 武装勢力が常に、容疑者らがどこに拘束されているかを知っていたことから、彼らが確たる内部情報を得ていたことは明白であり、それは海軍上層部への大規模なアル・カイダの浸透を示唆していた。ある海軍の上級幹部会議が召集された際に諜報官僚らは、その件はとても慎重に(機密的に)扱われるべきで、さもなくば結果は破滅的になる、と主張した。その会議の出席者らはすべてそれに同意し、そしてアル・カイダとのコミュニケーションのライン(チャネル)を開くことが決議された。

 Abdul Samad Mansooriは元学生組合の活動家だったが、今は313 brigadeの一員で、元々カラチの出身だが今や北ワジリスタンの部族地域に住んでいる─彼は当局からのアプローチを受け、そして、当局とアルカイダとの間の対話が始まった。アル・カイダは軍人らに対しての尋問を行わずに即時解放することを要求した。しかしこれは拒絶された。

 抑留者らは家族と話すことを許され、よい取り扱いをも受けたが、諜報関係者らは彼らを十分に尋問して、アル・カイダの浸透の度合いについての情報を得たい、という必死の願いを持った。武装兵士らには、もしも尋問が終わったなら抑留された軍人らは兵役を解かれて解放されると伝えられた。

 こうした出来事は、ひとつ以上のアル・カイダのセルが海軍でトラッキング(追跡)されていたことを物語る。こうした問題が公けに訴えられないなら、NATOの物資供給ラインは新たな脅威に直面するだろう、と危惧された。NATOのコンボイは、ひとたびカラチからアフガニスタンに抜けようとすれば日常的な攻撃を受けた─今や、彼らはカラチ港でも危険に晒される。同市の海軍施設をしばしば訪れる米国人らも、また危険に晒されることとなる。

 これにより、更なる弾圧作戦が実施されて、より多くの人々が逮捕された。拘束された人々は多様な民族的バックグラウンドから出ていた。ある海軍司令官は南ワジリスタンのMehsud部族出身であり、Tehrik-e-Taliban Pakistan (Pakistan Taliban) のリーダー、Hakeemullah Mehsudから直接の指示を受けていた、と思われた。他の者たちはPunjab 県と Sindh 県の首都Karachiから来ていた。

 ビン・ラディンがイスラマバードの北60キロのAbbottabadで米国のNavy Seals によって殺害された後、武装兵士たちは大きな行動を起こすための時期が熟した、と決断した。

 1週間のうちにPNSのMehranは、地図や、別の脱出口・接近のためのルートを昼間や夜間に撮影した写真を供給した─それは軍機格納庫(hanger)のあり場所や、表にいる治安勢力からの予測される反撃の詳細を示していた。

 結果として、武装勢力は重度に警戒された施設に入り込むことができ、そこで最初のグループが軍の偵察機をターゲットに破壊し、2番目のグループが最初の攻撃を仕掛け、3番目のグループは他の者たちが援護射撃をするなかで最後に逃亡した。そこで逃げ切れなかった者たちは殺害された。
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/ME27Df06.html
Syed Saleem Shahzad is(was) Asia Times Online's Pakistan Bureau Chief and author of Inside al-Qaeda and the Taliban: Beyond Bin Laden and 9/11


http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df04.html
EDITORIAL-Justice, not words

http://www.huffingtonpost.com/2011/06/01/syed-shahzad-murdered-pak_n_869555.html
Syed Shahzad, Murdered Pakistani Journalist, Buried

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF01Df03.html
Asia Times Online journalist feared dead (6/1)

http://www.atimes.com/atimes/south_asia/mf01df02.html
Asia Times Online journalist missing

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df03.html
Target: Saleem By Pepe Escobar

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df07.html
Tributes to Saleem

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df08.html
Pakistan - silencing the truth-seekers
"Saleem, 40, disappeared on his way to a television interview in Islamabad on Sunday evening. On Tuesday, police said they had found his body in Mandi Bahauddin, about 150 kilometers southeast of the capital. There were indications that he had been tortured. He is survived by his wife, Anita, and two sons aged 14 and seven, and a daughter aged 12.”

http://www.washingtonpost.com/world/asia-pacific/pakistans-spy-agencies-are-suspected-of-ties-to-reporters-death/2011/05/31/AGhrMhFH_story.html
Pakistan’s spy agencies are suspected of ties to reporter’s death

 彼の近著 Inside al-Qaeda and the Taliban: Beyond Bin Laden and 9/11 http://www.plutobooks.com/display.asp?K=9780745331010


R.I.P Mr. Shahzad








*過去のSyed Saleem Shahzadの翻訳記事(当blog)
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/08/baitullah-dead-or-alive-his-battle.html
ベイトゥラ・メスード死す?/Baitullah: Dead or alive, his battle rages
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/11/pakistans-military-stays-march-ahead-by.html
パキスタン軍拡大と、反大統領デモの可能性/ Pakistan's military stays a march ahead