Monday, March 9, 2009

アビグドール・.リーバーマンの鉄面皮/”Avigdor Lieberman's Chutzpah- The right to return cannot confer the right to expel” By Christopher Hitchens  


*イスラエルでは先月17日の選挙で中道派カディマが第一党の座についたが、政局はいまだに紛糾しているようだ…極右リクード党と、狂信的なリーバーマンの右翼政党の連合しかないのか?

「アビグドール・リーバーマンの鉄面皮 ─ 帰還権と追放権の両立はありえない」 By C.ヒッチンズ

私のある信頼すべき友達で、同僚でもある人物が誓っていうには、彼は2年ほど前にイスラエルの占領地帯において、確かに次のような光景を目にしたという。
─ 緊急を要する通行許可を求めていた1人のパレスチナ人の内科医が、急いで隣町に入るために、検問所の所に立つ兵士を説得しようとしていた。
─ その石のような表情の警備兵にむかって彼は、この地の多くのアラブ人が流暢に話せる言葉であるヘブライ語で話しかけようとしたが、何の返事もなかった。そのため、彼は次に英語で話しかけた(英語はこの地域では一種の共通語のような物だ)、しかし、やはり何の効果もなかったという。
相互のコミュニケーションが絶たれた不快な瞬間が経過した後、そのイスラエル兵の知っている唯一の英語の単語が「ノー」であり、また彼の喋れる唯一の言葉はロシア語であることが判明した。

「占領」や、「強奪・奪取」という言葉はとても自由に囁かれているが、あなたの近隣の友好的でない警察官が、あなたの知るいかなる言葉も話さないばかりか、彼が就務する国の言葉すら喋らないような占領下の地域での生活の姿がどんなものか、想像してみてほしい。
ところで、その兵士がユダヤ人ですらない確率は非常に高かったし;またイスラエルでは、何万ものロシアからの移民が存在すること、彼らが偽の「帰還権」を行使するため、出生国を偽る書類を偽造していることはオープン・シークレットでもある。
そのため、曽・曽・祖父母がパレスチナで生まれたような人々にとって、苦難だけを強いられるような生活のみならず、さらに繰り返される侮辱が存在している。

しかし、あなたがもし、旧ソ連のモルドバに生まれて用心棒をしていたアビグドール・リーバーマンのような男であるなら─、あなたは聖なる国(Holy Land )に来て当然な権利のように住みつき、「忠誠の誓い」といった制度(イスラエルにいるアラブ系住民に誓うのではなく、自ら非シオニストだと宣言する正統派ユダヤ教セクトの全メンバーに対して誓うというもの)を提案するような政党のリーダーになることもできる。
そしてこのグロテスクな政党、「Israel Beiteinu」または「イスラエル我が家」と名乗る政党は、いまや権力のブローカーで、そのリーダーはイスラエルの選挙のキングメーカーなのだ。

彼はかつて、イスラエルの移民として短い時期、ユダヤ教ラビのメイア・カハネが率いるヒステリカルなグループ Kachのメンバーだった─ Kachはアラブ人たちの性生活に関して病的な妄想を描き、その集団的「排斥(expulsion)」、またはよくある婉曲表現でいう「移送(transfer)」を唱えたグループだ。(*1)

彼はいまやその地位をより洗練させて、領土と人々の交換を主張しているが、その主張とはほとんど、領土の分割(separation)、または2国家並立案(two-state solution)に近いものといえる。しかしそのような提案を行っても、今だに大量のアラブ人住民をイスラエルの主権のもとに─ 西岸か、あるいはイスラエルの「本土」の中にとり残すことになってしまう。
私は、リーバーマンが「平和のための土地(land for peace)」という交渉を本当に真剣に考えているのかと、疑問に思う─彼はガザからの撤退について、アリエル・シャロンとさえ口論した。そして、もしもそれが彼の自由になるなら、彼は恐らくガザの土地に依然としてイスラエルの入植者を踏みとどまらせるだろう。
彼は、アラブ系イスラエル人(パレスチナ側に住む従兄弟のアラブ人とは違い、イスラエルの旗の下で暮らす特権として市民権を付与され、投票権も持っている)の存在について問いを発しようと決め、議論全体のトーンを変えた。

このとても面白く、かつ看過されたコミュニティについて書かれた最もよい本は、イスラエルの小説家デビッド・グロスマンが1993年に書いた、「有刺鉄線の上で眠る(Sleeping on a Wire)」(*2)だ。その本は啓蒙的なミクロの閃めき─ 例えば、ユダヤ系アメリカ人よりも、より多くのアラブ系イスラエル人がヘブライ語を話すという可能性や、文学や文化の言葉への反映や言葉との関係性についての、啓蒙的な閃きなどを書いている。我々はマイモナデス(Maimonides*中世のユダヤ人哲学者・12世紀スペインに生まれた)が流暢なアラビア語で彼の著作を書いた事もよく知っているが、恐らくこのことはあまり知られていない:

 パレスチナ系イスラエル人との日々の会話は、聖書やタルムードからの表現、BialikやRabbi Yehuda Halevy 、そしてAgnonなどの書いた表現も閃かせていた。詩人のNaim Araidehはこんな言葉をほとばしらせている;「あなたはわたしにとって、ヘブライ語で書くことがどういう意味のあることか知っているだろうか?世界が創造されたときの言葉で書くということがどういうことか?」

これ以上この件については深く語りたくないだろうが、我々はアラブ系イスラエル人の作家で、マルクス主義者のエミール・ハビビ(古典的小説「The Pessoptimist」の著者)の小説が、イスラエルの年間のベスト・ヘブライ語小説賞を受賞したことも思い出す。

ハマスやヒズボラのロケット弾は、ジャッファやその他の街で、こうした人々の上にも降りかかることを付け加えるべきだ─ドゥルーズ系イスラエル人や、アルメニア系イスラエル人などの上にも降りかかるのと同様に。

パレスチナの土地への相矛盾した領土所有を主張する者たちを、何層にも重ねあわせて埋め込み、それらを統合しようとする幾筋かの糸は強く繊細で、古くそしてモダンなものだ。これはグロスマンが彼の本の最後で、なぜそれほど彼のその発見に失望したかの理由でもある─ 1948年に起きたことの記憶はいまだに、ほとんどの成功した裕福なアラブ系イスラエル人にとっても鮮明に残っているという─ ゆえに彼らは未だに身の安全を感じられず、新たな退去令で追放されることを密かに恐れている。1993年には、彼はこのことについてある程度、彼らに何かを再度保証してやれるように思えたという。

今、われわれは凶漢が現れたのをみる─ 彼がイスラエル議会の選挙で選ばれたアラブ人議員たちに関して、彼らがもしハマスに会うなら処刑すべきだとの考えを好み、デマゴーグを流すのをみる。彼は収監中のパレスチナ人政治犯を死海に溺れさせよと要求したことがあり、その支持者達は集会の場で「アラブ人に死を」のスローガンを叫び、ユダヤ人の国に最も長く継続的に滞在するアラブ人たちにとって最悪の恐怖を具現化しようとしている。

しかし、アビグドール・リーバーマンの本質的に全体主義的で宗教審問のようなスタイルは、彼が非シオニストのハレディム(正統派ユダヤ教徒)や、または敬虔なユダヤ人に対しても要求していること─ 市民権の剥奪か、または、忠誠の誓いのいずれかを選択せよ、といっているその主張のより明確なマニフェストでもあるだろう。これはユダヤ人がエルサレムに記憶にないほど遠い昔から存在し、その結果としての彼らの権利はいかなる国やイデオロギーによっても奪われず、それらに依存することもないという考えの根源に対し、斧を振るうものだ。リーバーマンとたとえ一時的といえども同盟を結ぼうとするベンヤミン・ネタニヤフは恥を知れ。「帰還権(離散パレスチナ難民全ての帰還権)」がすでに問われるべきなのと同じく、「追放権」というものが存在するかどうかも、問われるべきものなのだ。

http://www.slate.com/id/2211915

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*1) Kachは違法な過激派グループだという http://www.haaretz.com/hasen/spages/1061172.html
  Avigdor Lieberman said to be ex-member of banned radical Kach movement

*2) "Sleeping on a Wire: Conversations with Palestinians in Israel" (Paperback)
http://www.amazon.com/gp/product/0312420978?ie=UTF8&tag=slatmaga-20&link_code=as3&camp=211189&creative=373489&creativeASIN=0312420978