Sunday, February 5, 2017

保守派がぶつかった知的なクライシス The conservative intellectual crisis By David Brooks

保守派の知的なクライシス The conservative intellectual crisis
  By David Brooks (2016/10/29, NYタイムス)

振り返ってみれば、私にとって、1980年代と1990年代に自分が保守派の運動に加わったことは、とてもラッキーなことだったと思う。私は、National Review誌とワシントン・タイムス、そしてウォールストリート・ジャーナルの社説ページ担当として働いていた。我々の眼前にあるロール・モデルといえば、Bill Buckleyや Irving Kristol、James Q. Wilson、Russell Kirk、そして、Midge Decterといった人たちだった。

こうした人々は政治についての論評を書く以外に、その他の多くのことについても書いた─歴史や、文学、社会学、神学、人生(生活)全般に関しても。その時代には、保守派であること(それは、尊敬される事だった)と、共和党支持者であること(それは一種の安っぽくてちゃち[cheesy]なことのように見做された)の間には、くっきりした違いがあった。

William F.Buckley in his NYC office in 1980
こうした文筆家たちは、しばしば都会のリベラル主義者たちの間に住みながら、リベラルな思想や、リベラル主義の偏狭さに対する疑念を保ち続けていた。Buckleyのような人々は、あらゆる思想的傾向の友人らと付き合いながら、敵対的な雰囲気のなかで一層、シャープに研ぎ澄まされていた。彼らとは、一種のエスタブリッシュメントの裏と表であり、その両者の言葉を使って話すことが出来た。

彼らの多くは貧困のなかで育ち、そのことが彼らに、反・エリート主義のポーズをとる悪癖(今日の多くの保守派の人物がとるような)を手控えさせていた…とりわけ、彼らがもしもプリンストン大出身者(Ted Cruzもそうだが)だったり、コーネル大(Ann Coulterもそうだが)やダートマス大(Laura Ingraham や Dinesh D'Souzaもそうだが)出身者などだった場合に…。年かさの文筆家たちは、文化的・都会的な教養を持つことは、エリート主義の徴しではないことを知っていた。彼らは、文化的な教養というものを社会階層的上昇のツールとして用いた。T.S.エリオットはチープな存在であり、ソフィスティケート(洗練)された会話というものは無料で手に入った。

Bucklyの時代のエスタブリッシュ層というものは、自負心をもって知的・道徳的な行動基準を実践した。それは…新右翼(New right)と共に急に現れ出て、終末論的な論争をしたJohn Birch Societyのようなネイティヴィスト(Nativist)たちをはねつけたし、また、彼らはJoe Sobran(彼は正当にもNational Reviewを解雇された)のような陰謀論好きの反ユダヤ主義者たちなども追放した。 それ以来、保守派の知的な勢力図は、三つの重要な面において変化して行ったのだ…共和党の崩壊に向かう道筋を整えながら。

まず第一に、ラジオのトーク番組やケーブルTV、インターネットなどが、保守派の意見を大衆市場むけの事業へと変貌させていった。小規模な雑誌は、Rush Limbaughや、Bill O'Reilly、 Breitbartといった存在によって圧倒されてしまった。 今日の支配的な保守派の声は、何百万もの人々に向かってアピールしようとしている。あなたはマス・メディアを通じて、社会的な憤り(鬱憤)を利用し、永久的にヒステリーな、単細胞な論客たちによって注目を集めることができる。そうした、右翼がかった聴衆(例えばAnn Coulterが獲得しているような聴衆ら)を捜し求めて、保守主義は…教育に価値を置いたり、TV向けに作られた怒りなどを軽蔑する人々に対して攻撃的な姿勢をとることで、自らを最大限に活用しようとする。

自由市場を擁護・支持するような知的な傾向が、商業主義の力によって崩壊させられたのは皮肉なことだが…しかしそれは、本質的な真実なのだ。保守思想は金銭的な収入の増大を求めた挙句に、低所得者(大衆)向けの安物になってしまった。それは、それ自身の反知性主義的な、利己的なメディア政治家たちの複合体によって飲み込まれた─Glen BeckからSarah Palin…Trumpに至るような。それ故に、現在ではHillary Clintonは大学卒の白人層の間で52%対36%(註:このコラムの書かれた2016年10月の時点の世論調査)という数字で支持されている。

2番目に、保守派のご意見番たちは、何よりもまして政治に重点的価値を置き始めた。保守思想の真の本質とは、政治を限定的な活動とみる事なのだ、そしてその最も重要な領域とは、政治以前のもの─すなわち、良心や信仰、文化、家族やコミュニティといったものだ。しかし、最近の保守思想というものは…ますます、より一層、共和党の発言部門の如きものになっている。

上流社会の保守層のあいだでは─例えば、信仰の重要性というものも、しばしば、政治の次に回されて、聖書の記述の重要性も投票ガイドの記述に劣るものとなっている。今日では多くの白人エヴァンジェリカル(キリスト教原理主義者)たちが、トランプの政治的勝利によってキリスト教的な謙譲の美徳や、慈善の精神・嗜みといったものを進んで脇に押しのけがちになっている。Public Religion Research Instituteによる世論調査では、白人エヴァンジェリカルの72%が、プライベートな生活では非道徳的であっても、効果的な国のリーダーになれると信じている、という─それは、マタイによる教えよりも一層、マキアベリズム(功利主義)的なことだ。

保守思想が、一層プロパガンダ(宣伝)的になるにつれ、パルチザン的な運動はより一層その勢いを失い、創造力や影響力も失っていく。 そのことが、3つ目の大きな変化に繋がる。共和党の硬直的な、アンチ・政府主義的なレトリックによって目を覆われ、保守派たちは我々の時代にとっての中心的な社会問題を認識することが遅れ、それに関して主張を発することにはもっと出遅れていく。

長年にわたって、ミドルクラスやワーキング・クラスの米国人は、賃金の停滞や機会の欠乏、社会的孤立や、家庭制度の断片化に苦しめられてきた。レーガン時代の古びた考え方に隠蔽され、保守思想はこうした人々に提示できるものを、何一つ持たなくなった…なぜならそれは政府というものを、社会の利益(善)のために利用する、という考え方を信じなかったからだ。そして、トランプのデマゴーグがその空隙を埋めた。

これは、悲しい筋書きといえる。しかし私は告白する…私は保守思想のリバウンド(回復)には気の触れるぐらいに楽観的なのだ。それはなぜなら、かつて文筆家Yuval Levingが書いたことのせいだ─「殆どの気の触れた進歩主義者たちというものは若く、殆どの気の触れた保守主義者たちというのは、年寄りだ。」保守思想とは今や、その老人たちによって、あるべき道から逸れている、しかし、その若者層とは、かなり偉大な存在だ。若いエヴァンジェリカルたちの間でドナルド・トランプが好きな者を見つけるのは難しい。殆どの若い保守層は民族的な多様性を好み、Fox Newsのメディア政治家の複合体には懐疑的だ。保守派たちの最良のアイディアといえば、(トランプからは全く無視されたような)野心的な政府のアジェンダの案を創造する、若々しい改革主義者のアイコンたち(youngish reformicons)たちからくるものだ。

トランプの敗退は多くの悪しき構造を洗い流して、新たな成長への立脚点を開くことだろう。私がかつての時代に若い保守派だったことは素晴らしい事だった。そして、たった今その一人になることは、偉大な事だ。

https://www.nytimes.com/2016/10/28/opinion/the-conservative-intellectual-crisis.html



*NYタイムズでは’73年以来、Watergate事件の頃から筆を振るった花形の保守派コラムニストWIlliam Saffireが、保守派が推進しイラク戦争の開戦を招いた誤情報などへの懐疑の高まった2005年に引退 ─Saffireに代わり、同紙のEditorial Boardが「主力のリベラルの読者層にも受け入れられる」保守派ライターとして抜擢したというDavid brooksは、元々、ネオコンのWeekly Standardなどにもいたが、政治、社会学、心理学、教育や文化など幅広いコラムで人気のコラムニストになっている