Thursday, June 25, 2009

イラン改革派の挑戦/Iran's streets are lost, but hope returns By Pepe Escobar


独立系メディア、Asia TimesのPepe Escobalのコラム、最後まで読んだことは少ないけれど…たまには読んでみては?

イランの街頭運動が敗退しても、希望は戻る By ペペ・エスコバル

歴史の天使はイランに住んでいる。…米国在住のイラン人、それがどんなにプログレッシブなマニ教信者のイラン人の類いであっても、このイランの民衆蜂起は米国のCIAが画策した”カラー・レボリューション”の一つだとしか考えようがない、と主張する。

これに対して、イラン人ジャーナリストや、パリ在住のイラン人ディアスポラ(離散イラン人たち)…テヘランから着いたばかりの人びとを含めて…は困惑してこういう:最高権力者のアヤトラ・ハメネイが調停者であることを止め、クーデターを正当化して、イランの体制を全体主義の方向に舵取りするなんて、どうして信じられよう?「イスラム共和国」から「共和国」の意味をうち棄てて…ブレヒト的に捻った言葉でいうなら、実質的に民衆を”廃止”するなんて?

ある、テヘランとパリの間を往復するイラン人ビジネスマンはこういう。「イランの政治闘争がリベラル派v.s.保守派の争いではなく、保守派v.s.聖職者階級を統合するファシスト的傾向との戦いだ、ということを西欧の人々は理解してない、そしてこの”国家の中の国家”という存在とは、Pasdaran(イラン革命防衛隊)のことなのだ。核開発計画もミサイル開発計画も、ともに、Pasdaranのコントロール下にある。そして、彼等とは一体誰だ?彼らはイラン・イラク戦争(1980年代の)の戦士であり、宗教警察だ…彼らは全てを支配している…彼らは全ての建物、全ての道路、全ての近隣地域に密告者をもっている…まるで1930年代ドイツのナチスのように。」

ミルホサイン・ムサヴィ …チャネル(導管、水路)の役目を負う、という地位に、歴史の天使から(首の骨を折るような)危険な速さで、彼自身も知らぬ間に投げ込まれた彼は今、立ち去ることを拒否している─彼自身考えられないことを行ったのだとしても─イスラム共和国的な言い方をすれば、つまり最高指導者に公然と挑戦したのだとしても。

核開発問題の前の交渉担当者で、最高指導者の部下の1人であったAli Larijaniは、彼の立場を翻した:彼は護憲評議会(Guardian Council)の、再選された大統領アフマディネジャドに対する偏向を批判した。聖都QomのCouncil of Experts(聖職者エキスパート評議会)も同様に態度を翻すかもしれない。しかし、パリ在住のイラン人ジャーナリストたちは、前大統領のAkbar Hashemi Rafsanjaniが、(最高指導者ハメネイと)ハイレベルなコネクションをもつとはいえ、護憲評議会に腹心の部下達を配しているハメネイの行いに関して、捜査を強いるのに充分な賛成票を得られるとは思っていない。

この最高の権力を持つIRGC(イスラム護憲評議会)は、決して決定を翻さない。彼らは徹底して、IRGCの戦略センター前主任であるGeneral Ali Jafari<彼は、最高指導者ハメネイ師により、西欧諸国が裏工作した可能性のあったカラー・レボリューション(改革派の革命運動)の暗号メッセージ粉砕の仕事に2007年に任命された>─の命令のもとにしたがう。暴動鎮圧のための特殊部隊─ al-Zahra部隊 (*革命防衛隊の設立当初からのバックボーンで2500名の女性からなるといわれる)とAshura 部隊(*同、300-350の男性からなるといわれる)はBasijの私兵との混成部隊だが、とにかく街頭を制圧しようとする。その抑圧はとても大きなものだ。最近到着したイラン人達がいうには、首都では誰も息すら出来ないという。

注目すべきコメンテーターのMasoud Behnoudは彼のブログの中で、彼のいつもの皮肉の矢を射ることすらできない。彼はこう書いている、「護憲評議会は事態の悪化を和らげられたかもしれない。問題なのは、すべてを彼らの首領であるアヤトラ・[Ahmad] Jannati─に頼っている事だ。そうだ、彼は20年以上ものあいだ、原理主義者の権利の追求の途をたどってきた人物だ…」イランの漫画家、 Nikahang Kowsar は、2009年のイランを1989年の天安門事件のREMIXとして永遠化したいという民衆の意識を読んでいる。

ハメネイ、新たなるサダム
ワシントンに本拠を置くResearch Institute for Contemporary Iran(現代イラン・リサーチ研究所)の代表、Mohsen Sazegaraは、1979年のイスラム革命直後、早い時期に、IRGCの創立者の1人だった。彼は遠慮なくはっきりという─ 彼からみれば、ハメネイは「人生最大の間違いを犯した」、「彼は、革命防衛隊と内務省があれば国を征服できると考えた」。Sazegaraは強調する、「過去120年の間で初めて、イラン人は宗教による助けと、宗教による動機づけなしに自ら行動を起こしたのだ。」

イラン政権の抑圧のマシンについて彼は指摘する、「反対派を殺害する者たち、我々が”白シャツ”と呼ぶ者たちは、革命防衛隊だ。彼らは諜報部門の特殊部隊に属している[彼は上記の Ashura 部隊について言及している]。彼らは、一般市民のようにみえるが、ナイフや鉄棒、武器を持っている。
Sazegaraは、12万人近い革命防衛隊について「軍隊であり諜報員であり、巨大な組織体だ。ハメネイはその創立者たちや革命の英雄たちの幾人かを端に追いやって、自分の腹心たちに取って代わらせた。」IRGCがどの程度民衆の支持を得ているかの推測は困難だ。Sazegaraは7人の軍人達の逮捕に関するしつこい噂を聞いた。彼の友人の1人はやはり軍人だったが、IRGCの大半はイラン人の大半が「クーデター」だと呼ぶものに関して、その呼び方に同意していない、と彼に語ったという。

Sazegaraがいうには、ハメネイ政権は「すでに自らの安全を守る事に心を奪われ、軍事化している。そうした暴力的な政権が、元に戻ることはない。先週の金曜日の礼拝の日に、彼は国中の彼の支持者たちの動員をはかった。自分は50万人の支持者を予測していたが、我々の友人の情報によれば、5万人以下しか現れなかったという。彼の党派の支持者は今回、中立的立場を守っているか、または(行動することを)恥じている。もしも彼がイランの民衆を抑圧しようとするなら、彼はサダム・フセインのような軍事独裁者になり、墓場の王者になるだろう。」

今年フランスで刊行された、「Les Mysteres de Mon Pays (わが祖国のミステリー)」の著者のReza Baraheniは、政府と民衆のあいだの対立は彼にデジャ・ヴの感を与えるという。然し彼は楽観的にこういう、「息子たちの世代は、父親たちの世代に対決している。前の世代たちが、シャーの手から力を奪い取ったように、イスラムの力がこうした反抗者たちの手に移るのに長くはかからない。しかし、これらの(新旧の)ふたつの体制の残忍さは同一のものだ─彼らが、デモクラシーによって体現される近代性に自らを同化する能力をもたないことも、そして彼らが支配する国の異なる未来に抱く恐怖感も同じものだ。

トロント大学の哲学者Ramin Jahanbeglooは、この危機の根は「人々の抱く国や社会の民主化への渇望と、保守派のリアクション」の間にあるという。ムサヴィとカルビは「イスラムのノーメンクラトゥーラは改革が必要な幾つかの部分を残している」と信じている、という。しかし、「反抗者たちは革命者ではない。こうした若者たちが思い出させるのは、この国の一枚岩(monolithic)なイメージというものが、必ずしも、人口の70%が30才以下である国民の大多数の意思の反映ではないことだ。国と民衆の分裂が、これほど大きかったことはないのだ。」という。

それだからこれは、「イランの共和国政体と、その宗教的寡頭政治家たちの間の政治的争いだ。共和国的な直感は、ほとんど公共空間での法的な正当性に対してだけに注意を注ぐが、宗教的な権威は公衆のオピニオンによる法的な正当性の判断に一歩たりとも譲歩することを拒む。」 ‥ゆえに、「イランは、その政治的歴史のなかで先例のない、法的正当性の危機にさらされている。」

パリ第7大学の教授Azadeh Kianは、ムサビの運動組織の構成を強調する、「彼らは組織された社会的グループに所属する、特に中産階級、労働者、トレーダー、そして企業家…他の誰よりも、政治的な目的が経済を独占することにより被害をこうむっている人々…とくに27%から30%のインフレ率、高い失業率(特に、30から50%に達すると見積もられる若年層の失業率)、そしてイランの資本と外国資本が海外に逃避していくことにより被害をこうむっている層だ。毎年イランの労働市場に加わる800万人の若者には何の仕事も用意されていないのだ。

Kianはいかに「イランの中央銀行の、先に辞任した2人の前総裁を含む多くのエコノミスト」が「アフマディネジャドが国を台無しにした」と確信しているか、を指摘する。彼はハタミ政権が蓄積していたすべての貯えを浪費し尽くした;そのいくらかは貧乏な者への給付金として…彼のマシンが田舎の、失業中の若者たちをBasij(革命防衛隊の下部組織の私兵、平服の宗教警察)へとリクルートしている間に。

Kianは、「保守派と彼らの伝統的な中産階級、大いなるバザール商人、そしてQomの大多数の聖職者達は大統領とはもはや同盟を結ばない」という。新しく到着したイラン人たちも、アフマディネジャドは今や、とても辛い状況にある、としてその言葉を裏づけようとする…(以下略)
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/KF25Ak02.html
*の注釈はWikipediaより
(ビデオ)ペペ・エスコバル自身がイラン情勢を解剖するトーク!
Struggle within Iranian elite

Tuesday, June 16, 2009

イランの神権政治/Don't Call What Happened in Iran Last Week an Election - It was a crudely stage-managed insult to everyone involved. By Christopher Hitchens


イランで先週、おきた出来事を選挙と呼ぶなかれ─ すべての人は骨な"舞台操作"で侮辱された ─ (6月14日 by クリストファー・ヒッチンズ)

私は、先週、イラン・テヘランが包まれた政治的な空気のにおいを伝えるべく、私に定期的な最新情報を送ってくれる、若いイラン人の友達の言葉を引用したい:

…私がアフマディネジャドの最後に催した大きな集会に行ってみた時の印象は、ファシズムとはこういうものでは、と想像していた気配そのものだった。うす汚くしみや斑点だらけの数多くの若者たち、デートをする恋人もできないような奴らが銃を与えられて、お前らは特別な存在なのだ、と吹き込まれていた─

そのことにはこれ以上の表現法はないだろう─ "イスラム共和国”の胸の悪くなるような核心に横たわる、不快な悪臭を放つ性的抑圧の喚起、またはイランのなかの擬似国家、国家の中の国家というものがわずかでも挑戦を受けたと感じて、内にとどめていた力を表に顕わす様子を描写するならば。先週のイランでの事件が(…すまないが、私はそれを選挙と呼ぶことは断固、拒否したい)、そこに参加した人たちや、見守る人たちに対する、露骨に舞台操作された侮辱だったというのには理論的な理由があるし、また現実的な理由もある。理論的な理由とは直ちに劇的な、エキサイティングなものではないが、それはより一層興味深く、重要な理由だ。

イランとその国民はシーア派の神権政府によって、聖別された宗教指導者たちの私的な所有物だと看做されている。このような全体主義的考えは、故アヤトラ・ルホラ・ホメイニ師が普及させた宗教的な’インチキ療法’をその起源とし、velayat-e faqui という名で知られる。この布告のもとでは元来、宗教指導者たちを、孤児たちや貧乏で気のふれた者たちの生命と財産の庇護者であるとし、そしてすべての国民は、黒いローブをまとった宗教国家に庇護された子供のような被後見人だと宣言する。それ故すべての投票・選挙はその定義として、それが始まる前から既に、終わっているのだ、何故なら非常に強力な権利を持つイスラム護憲評議会(Islamic Guardian Council)が、誰が立候補できるのか、できないのかを事前に決定してしまう。この一連の出来事を選挙、と呼んでいる新聞のすべて─ 街頭の集会や、世論調査、投票数のカウントといった情報で補いながら報道するメディアはすべて、アヤトラ達の間では救いようのない笑いの原因でしかない。(”彼らはそれにやられたのか?それは余りにも簡単じゃないか!”)先週起きたすべての汚い出来事を共犯者のごとく伝えたすべてのメディア報道は、恥を知るがいい。そしてまた哀れなわが国務長官─彼女は、この選挙結果がイラン国民の”真の意志と願い”の反映であることを望んでいる、とか述べたのだが─彼女もまた恥を知るべきだ。確かにそのような偶発性は、最初から熟慮の上で仕組まれたものだとは、彼女も知っていたことだろう。

その理論においては、アヤトラたちが最初に選択する候補者は必ずしも、実際に選挙に「勝つ」とは限らず、また「イスラム護憲評議会」のなかでも、誰がベストの候補者を指名すべきか、において意見の相違も存在している。2番目には、そのような状況であるから、それは依然として怨恨を生む。その結果、腐敗したシステムというものでは依然として不正行為が行われる。それはいわば、偽善と同様であり、悪は善の代償を購いうる、という褒め言葉と同じこととなる。殆ど信じがたい野卑さ(畜生性)と残忍さをもって、やがて、その守護者達は携帯電話とテキスト・メッセージのネットワークの遮断へと動く─ それは、かえって公平さの印象さえ与えるのだが、そして彼らの嵐のような"革命防衛隊"の機動部隊が、唯一つの投票の形だけが神聖なる認可を受けるものだ、と宣言する。(最高権力者のアリ・ハメネイは宣言する─、”神の奇跡の手が”すべての投票所におかれている、と─ そして投票の結果が、多くの人々が投票もし終わらないうちに宣言される、彼はそのような事をいつもやってきている。)

この明らかな選挙操作、不正の証拠、一方の側だけの支持は今ひとつの疑念、つまりアフマディネジャドのような文盲の原理主義者が、国家の後ろ盾をうけた国民投票的な多数票をなぜ増大的に得られるかの理由に関して疑いを生じさせる。他のイスラム諸国における、過去2年間に実施されたすべての選挙で起こっている傾向は、このようなものではなかった。モロッコでは2007年に、もっと騒々しく宣伝の好きな「正義と発展の党(Justice and Development Party)」が14%の票を獲得した。マレーシアやインドネシアでは同様に、シャリア法(イスラム法)に対して肯定的な立場をとる党派の市場シェアが拡大している、との予測が偽りであることが立証された。イラクでは去る1月の地方選挙で、バスラ市などの住民の生活を悲惨さに追いやっていた宗教系党派が罰則を課された。隣国のクウェイトでは先月、イスラム原理主義党派への投票数は貧相な結果におわったものの、4人の女性候補者─Rola Dashtiという鮮烈な女性(彼女はすべてのヘッドギアの着用拒否を宣言した)を含む4人が、50名からなる議会のメンバーに当選した。なかでも最も重要なのは、おそらくイランが支援するヒズボラが先週、レバノンが実施した開かれた元気旺盛な選挙で、納得のできる形で予測せぬ敗北を喫した事だろう─ それらの選挙結果は、いかなる集団によっても挑戦を受けるものではない。そして、私が聞いている限り、パレスチナ人が今年、再び選挙を行えるなら(そのような可能性の考えられる一つのポイントがあるのだが)、その場合ハマスが政権をとることは、まずほとんど起こりそうにないのだ。

しかし、彼らがその傘下の代理機関としての政党をもつレバノンのような国においてさえ選挙投票への準備を上首尾に行えなかったような、老衰した、狂信的な宗教的批評者たちは、彼らに対する「多数派」の支持層を育むことで、報道を規制し暴力を独占するような爛れた破産国家からも何とか報償を得られる。私は、このような慰めをオフィシャルに認可することを我々は、拒絶すべきだと思う。私は、「Neither Free Nor Fair: Elections in the Islamic Republic of Iran(自由でも公正でもない:イスラム革命共和国の選挙)」 http://www.iranrights.org/english/document-604.phpという本やその他のAbdorrahman Boroumand Foundationの本を読むことをすすめる。これには、イスラム護憲評議会を喜ばせなかった罪に過去に課された処罰は、単なる資格の剥奪だけでなく、収監や拷問、死であり、それはそうした順序で課されることがあると書かれている。Cyrus Nowrastehの新しい映画 "The Stoning of Soraya M." http://www.thestoning.com/ では、他のやり方で異議をとなえた者たちが、アフマディネジャドの配下の "草の根" 狂信者たちにどんな扱いを受けたかを、じきに見せてくれるだろう。

レバノンの選挙に触れるなら私は、最近、私自身がレバノンの南ベイルートで目にしたヒズボラの集会について語らざるを得なくなる。イラン大使館から公式に参加している使節団を目立つ位置に据えた広いホール、そこに貼られた親イランの政党の最もけばけばしいポスターとは、核爆弾のきのこ雲のポスターなのだ!このよく物言うシンボルの下に書かれたキャプションは「シオニスト」について世間によくある警告である。我々はイランが未だに、核兵器の獲得にはいかなる意志もない、と公式に否定していることを忘れがちだ。しかしアフマディネジャドは最近、イランのミサイルの発射実験を、イランの遠心分離機による核燃料精製の成功に相対するイベントとして賞賛し、そしてヒズボラは確かにイランの原子炉が平和利用以外の用途に用いられる可能性がある、との考えを抱くことを許された。このことは、特にmullahたちがイランを、悪意ある操作(vicious manipulation)でコントロールしている事実が、これ以上イランの"国内問題"とは看做されないことを意味している。国内でのファシズムとは、早かれ遅かれ、海外でのファシズムにつながる。これに今、面と向かうか、後に引き延ばすか、ということだ─ ところで、こうした(操作)というものには、もっと適切な名称を与えて欲しいものだ。
http://www.slate.com/id/2220520/

イランの騒乱の原因とは/Class v. Culture Wars in Iranian Elections: Rejecting Charges of a North Tehran Fallacy by Juan Cole


 '都市のアッパーミドル層 vs 農民・労働者の支持層 ' なのか? イランの選挙に関して、在米「中東工作員」コールの禿頭ブログから

イランの選挙における文化 vs 階級の戦争:
「北部テヘラン」に対して宣告されたほら話の拒絶(6月14日 by ホアン・コール)


西欧メディアの記者たちがアフマディネジャドの勝利にショックを感じた理由は、彼らが北部テヘランの富裕層の地域に取材ベースを構えていたのに対して、イラン国民の多数派である農民や労働者達がアフマディネジャドを熱心に支持していたからだ、と評論家たちはいう。それは再び我々が、このグローバル・サウスと呼ばれる労働者階級中心の国で、アッパー・ミドルクラスの報道と期待感とに騙され、犠牲となったことを意味する。

そのような動きは存在したのかもだが、その分析はイランにおいては間違いだ、なぜならそうした分析は階級や物質的な要素に注意を払いすぎて、イランでの文化的戦争に焦点を当てていないのだ。我々は1997年と2001年に、すでにイランの女性と若者たちが、曖昧ではっきりしない文化大臣だったモハメド・ハタミと彼の第2次Khordad movement(ホルダッド運動)を背後で支持し、そして彼が大統領の座を得て…、2000年には議会を掌握したのを観てきた。

ハタミは1997年に、70%の支持票を獲得した。彼は2001年には数多くの競合者たちのなかで、78%の支持を得た。2000年には彼の改革運動が65%の議会議席を獲得した。彼はよい男だった、だが彼のことを組合運動の男、とか農民たちのスターだと言うのは不可能だ。

過去10年余りの短い期間に、イランの有権者たちは個人の自由の拡大に関心を高め、女性の権利拡大、そして文化的な表現の自由のより広範な合法化への関心を高めてきた(高級文化だけでなくイラニアン・ロックミュージックなどに関して。)しかし保守強硬派の過激なピューリタン主義は、人々の望みをすり潰した。

90年代末から2000年代の初めの改革派たちにとっての問題は、彼らが選挙で選ばれ、大統領職を押えたのにも関わらず、実質的にはあまり多くをコントロールできなかったことだ。重要な政府のポリシーや法的規則の決定権は、選挙で選ばれていない政府の宗教政治家達の手にあった。強硬派の神権政治家たちは、改革派の機関新聞の発行を差し止め、改革派の決めた法令を無効にし、社会的・経済的な改革を妨害した。ブッシュ政権はハタミが、彼の改革政策の実行による外交上の、また海外投資等の分野でのいかなる成功の手ごたえも祖国に持ち帰れないように彼を“干した”。そのようにして2004年の議会選挙では、文字通り何千人もの改革派の候補者たちが選挙から締めだされ、立候補を阻まれた。誰が立候補できるかに関してのこうした強硬派のリトマス試験によって、当然ながら強硬派ばかりの議会が生まれた。

しかし2000年には、強硬派が選挙民たちのわずか20%の支持しか得ていない、ということは明らかだった。
2005年までに、強硬派は改革を後ろへと押し戻し、改革派は不満げな表情をうかべて敗退した。彼ら改革派の多数は、彼らのなかの候補者で17%の票しか得ていないKaroubiを支持しなかった。彼ら改革派はしかし、強硬派で、ポピュリストであるマフムード・アフマディネジャドと、現実主義的な保守派の億万長者アクバル・ラフサンジャニの2者の中間の順位を得て逃げ切った。そしてその選挙ではアフマディネジャドが勝った。

アフマディネジャドの05年の勝利はしかし、改革派支持者たちが幻滅し、広範に選挙ボイコットをしたことにより実現した。つまりうんざりしていた多くの若者や女性は投票所には赴かなかった。

そのため、2001年に20%だった強硬派への支持率は、2009年には63%に達した。我々が仮定するのは、8年前に比べて、イランは都会的ではなく、文盲率も高まり、文化的な事柄への興味も低下してしまったのではないか、ということだ。我々は改革派が再度、選挙をボイコットし群れをなして投票日に家に留まっていたのではないかとも考える。
すなわち、これは北部テヘラン 対 南部テヘランの問題ではないのだ。ハタミが勝利したときは、北部テヘランでも支持を得ていたにもかかわらず、大差で勝利していた。

それゆえ、ムサヴィのスムースなアッパーミドル・クラス風の小わざに屈した我々に、罪悪感へのトリップをさせたいと考える傍観者たちは単に、過去12年間にわたるイランの歴史を無視しているのだ。それは文化戦争であり、階級戦争ではなかった。投票権を与えられた典型的なイランの有権者の男女が、保守派や宗教家たちに投票したというのは単純にいって真実でない。事実ムサヴィは実質的に2000年に選挙で勝利を喫した典型的な政治家達に比べてもより保守的だ。80%もの高い投票率のもとで、またイランでの都市圏の拡大、識字率の向上、強硬派の清教徒的保守主義との対決意識の拡大などからも、ムサヴィは現在進行形の文化戦争のなかで勝利をとげる筈だった。

アフマディネジャドが“little people(小さな人々)”のチャンピオンとして振るまったことも、必ずしも彼のポリシーが労働者や農民たち、労働者階級の女性たちにとって良いポリシーだった事を意味しない(そのような社会階級の人々の多くは、彼の政策がそうである事を知っている。)

それゆえ、この罪悪感のトリップを、ここで止めよう。第2波の Khordad運動はこの10年間のよりよいパートのための、勝利の連合のためにあった。その支持者達は彼らが前回勝利を得た時より8歳年をとった、しかしそれは若い政治運動だった。彼らが皆180度転回し、ハタミからアフマディネジャドに支持を乗りかえることがあるか?それは考えにくい。ハタミに群れをなして投票したイランの女性たちは、どこにも去ってなどいない、彼女らはアフマディネジャドの、女性に関する政策的立場には少しも関心を払っていないのだ。

BBCのニュース・インタビューのなかで、イラン女性センターNGOのメンバーである、Mahbube Abbasqolizadeは語っている、「アフマディネジャド氏のポリシーとは、つまり女性は家庭に戻るべきだし、そのプライオリティは家族であるべきだ、という考えなのです」…

*アフマディネジャドは彼の政府組織である、「女性の参加のためのセンター」を「女性と家族の事柄のためのセンター」へと改称した。

*アフマディネジャドは男性が妻に告げることなく妻と離婚していい、という新たな法律を提案した。さらに、男性は離婚後の妻に払う扶助料を今後、支払わなくてよいという法律を提案した。これに答えて、女性グループは100万人の署名キャンペーンを実施し、こうした方法に対抗した。

*アフマディネジャドは社会治安プログラムを実施し、このなかで、女性の服装を監視すること、女性が学校に行くには父親か夫の許可を必要とすること、そして大学に進学を許される女性の人数を限られた割当て数に絞る、QUOTA SYSTEMを導入した。


ミル・ホサイン・ムサヴィは改革派にとってもっともらしい候補者だ。彼らは彼と同じような人物を70%と80%の差で2,3年前にも選挙で選出した。我々は北部テヘランのビジネス・ファミリー(ビジネスマン達)の支持はうけてはいない。我々はそれよりも、全国民の少なくとも20%は存在する、強硬派支持の選挙民たち、唯一のイラン革命の継承者であると自称し、どの票が陽の目を見るかをもコントロールしている、そうしたグループによってこれまで支配されてきたのだ…
http://www.juancole.com/2009/06/class-v-culture-wars-in-iranian.html

Monday, June 15, 2009

ムサヴィと改革派の支持者/Tens of Thousands Rally for Mousavi in Tehran by Juan Cole


昨秋、J.コールのレクチャーをきいた…シカゴ中の中東情勢に関心のある市民が質問の列にならんでいた…でもいつも反米的なコールは、すっかり人をくったような喋り方がデフォルトなのだ!? 

ムサヴィを支持する何万人もの抗議者が、テヘランを埋め尽くす(6月9日 by ホアン・コール)

月曜日にテヘランで、最低に酷い出来事が起こった。
ウォールストリート・ジャーナルのFarnaz Fassihiによれば何万人もが、首都を12マイルにわたって横断する最も長い大通り、Vali Asrストリートに溢れたと推定された。そのシーンは、Fassihiに、1978年のシャーに対する大群衆の抗議行動を思い出させたそうだ!彼らは怒りのスローガンを叫び、古い、禁制の、ナショナリストや共産主義者の賛歌を歌った。彼らはアフマディネジャドを独裁者、専制君主だと呼び、攻撃した。

彼らの行動はムサヴィ自身によって鼓舞されていた:アフマディネジャドをなぜ専制君主と呼ぶのか、との問いに答えてムサヴィはいった、「なぜなら彼は法を遵守しないからだ、それならなぜ我々が彼をそう呼んではいけないのか?」イランの革命防衛隊は─(今回)彼らが過去に学生達のデモに対してしばしば行ったような、デモの群集に対する介入を断った。

ニューズウィークのMazier Bahariは、革命防衛隊がムサヴィを支援する、との方針を広範に決定していたと指摘している─ ムサヴィは1980年から1988年にかけてイラン・イラク戦争時に首相であった際には、非常にスキルの高い(卓越した)リーダーだったと多くの人が記憶している。革命防衛隊の彼に対する特別な忠誠心は、以前には、アフマディネジャドが継承した財産(資産)でもあった─そのことは、彼を、彼の牙を失った前任者のモハメド・ハタミ(イラン人は、スマートなナイスガイである彼を「柄(つか)のない短刀」と呼んだ─)とは異なる立場においた。もしもアフマディネジャドが革命防衛隊を失ったら、彼は選挙に勝利できる可能性においてとても無力になるだろう。
─ Bahariはいう、イラン政府の秘密裏の世論調査では、金曜日にムサヴィにとって雪崩のような勝利が起こる筈だった。(註:イラン人の世論調査は大抵信頼できない。)

金曜日のイランの大統領選挙は、この国では暫くみられなかったような熱情をかきたてた。キャンペーンでは幾つかの個人攻撃がみられた、また現職のアフマディネジャドは名誉毀損罪に繋がるような厳しい食物争奪戦(のごとき熾烈な戦い)を開始することで辛辣な批判に答えた。強硬派の宗教家たちが、法律的な意見やファトワ(宗教令)等を発して、右派の候補者に都合のよい投票所の備品の準備をしているといった噂が飛んだ。

2000年と2004年の米国の大統領選で田舎の「RED STATES」と都市の「BLUE STATES」が相い争ったように、イランのREDな田舎の地域はアフマディネジャドを支持し、またBLUEな大都市…タブリーズ、テヘラン、イスファハン、シラーズ…は、前首相のミル・ホサイン・ムサヴィを支持した。

この数夜のあいだ、都市で彼らの支持する候補者のために集まる群衆は、ほとんどカーニバルのような雰囲気を醸し出していた。また月曜日には、スタジアムに、同様にアフマディネジャドを応援する膨大な数の群衆が集まった。もちろん、ムサヴィ支援者の路上での集会は恐らく、そのスタジアムでのイベントに返答するものだったろう─そのイベントをムサヴィ支持者達は彼らに対決するためのイベントだと捉えた。

イランでは、ティーンエージャー達を含む教育水準の高い女性の世代は(現在、投票可能な年齢は18歳以上だ)ムサヴィの背後で彼に投票する方に転じたようにみえ、そして彼のためにパンフレットを作成していた。1978年にあったように、支持者の群れが月毎に、やがては日々増加していき、先週のような集会は月曜日の巨大な集会に花開いたといえる。

それはただの路上の群衆ではない。恐れを知らぬLAタイムスのBorzou Daragahi が暴いたことによれば、イスラム共和国のキーとなるエリート達が、プラグマティスト(現実主義者)なMusaviの支持に転じたという。最も重要なのは、Akbar Hashemi Rafsanjani、前大統領で億万長者(イランの議会とその宗教関係者による「上院 Guardianship Council」との間の紛争トラブルを解決した、便宜委員会Expedience Councilのリーダー)だ。ラフサンジャニは一連の大学を創立し、それらを彼はムサヴィの支援活動に対してオープンな状態においた。そして高度な電子ネットワークをもつくりあげたが、彼は同時にそれをムサヴィの「処分」にも使ったわけだ。おそらくこれがアフマディネジャドがイランで、選挙戦が終わるまで「Facebook」をブロックした理由だろう。

ある強固なアフマディネジャド支持者の宗教家、Misbah-Yazdiは、投票における不正はムスリム社会を守るためには許される、との法律的意見、あるいはファトワ(宗教令)を発したという。ムサヴィの支持者は、特に投票の不正に関して強く監視すると言明している。

先週、水曜日に行われたアフマディネジャドとムサヴィの間の白熱した議論のなかで大統領は、ラフサンジャニの家族が金融上の詐欺を犯したと訴えた。その家族のメンバーはこれに対して、侮辱罪での起訴によって返答している。同じ議論のなかで、ムサヴィはアフマディネジャドに対し、イランについて彼が世界のステージで風変わりで奇妙な声明を出すことや、核開発問題において非協力的態度をとることで、イランを笑いの種にしている、と面と向かい率直に批判した。ムサヴィは特にアフマディネジャドがホロコーストの犠牲になったユダヤ人の数を少なくいう、怪物的な傾向に関して怒っている。

アフマディネジャドは、議論の中で、ムサヴィの妻Zahra Rahnavard─よく知られた「イスラム的フェミニスト」が、学歴を詐称していると訴えた。その訴えに対し、イランのジャーナリスト達が「イランのミシェル・オバマになりたがっている」とする、そのもうひとりの改革派はそれをまた侮辱罪として起訴している。(彼女は夫の選挙戦に対し公的な支援活動を行ったが、これはイランでは稀なことだ)


あなたもご存知のように、この社会の表層の裏側にある個人的なアパートメントのなかでは、信仰心の厚い清教徒的な革命社会の表玄関(が標榜する建て前)が長きにわたり、その他のことがらの追求…ロックミュージックや、インターネット、そしてより健康的なアクティビティ(映画’シリアーナ’が始まるコカコーラ・パーティはBob Baerの想像上の産物ではないのだ─)といったものを放棄していた。しかし今回の選挙では、アフマディネジャドの分裂的人格が新しい個人的(私的)なイランを公的な場に初めて連れ出した、といえる。
http://www.juancole.com/2009/06/tens-of-thousands-rally-for-mousavi-in.html

Friday, June 12, 2009

ヒズボラがハリリを暗殺したのか?/New Evidence Points to Hezbollah in Hariri Murder

4年前のレバノン元首相暗殺について、"シュピーゲル"(ドイツ紙)がのせた新たな暴露記事は、 レバノンの選挙をひかえた先日、わざとリークされたのではといわれたが…

国際法廷の捜査のブレークスルー: ハリリ暗殺へのヒズボラの関与をさし示す新しい証拠 (5月23日、シュピーゲル)


<冒頭略>…2005年末、ドイツの検察官デトレフ・メフリスに率いられた国連認可の捜査チームは7ヶ月の捜査の後、ハリリ殺害の背後にシリアの治安勢力とレバノンの政府高官がいると発表し、追って4人の容疑者が逮捕された。しかし最終的な具体的証拠はなかった。メフリスの後任のベルギー人、ブランメルツのもとで捜査は滞ってしまった。

国連の特別法廷は確かな事実を追求すべく、2009年の3月1日に開廷した。それはオランダの街Leidschendamに設置され、初年度だけで4千万ポンド(5600万ドル)の予算を与えられ、その51%を国連が、49%をレバノン政府が負担した。その法廷は最初の3年間で最初の判決を予定し、最高刑は終身刑となる。カナダ人のダニエル・ベルマーレ、57歳が主任裁判官に任命され、他の11人の判事はレバノン人。その人選は安全上秘密とされている。

同法廷は最初の公式の判決で4月に、メフリスにより逮捕されていた4人の容疑者の解放を命じた。それまでに彼らは既にレバノンの刑務所で3年以上服役していた。それ以降、Leidschendamの街は死んだように静かで、まるで捜査は今始まったばかりで、何も発表する事がないかのようだ。
しかし今や、捜査が新たに爆発的な新事実を得たらしい。シュピーゲルは同法廷に近い筋からこの情報を得て、その内部文書でも確認した。このハリリ事件はセンセーショナルな展開に発展しそうだ。レバノンでの集中捜査の示すのは新しい事実:つまりその恐るべき暗殺攻撃を計画、実行したのはシリア人ではなく、レバノンのシーア派の”神の党”ヒズボラの特殊部隊の仕業だったというのだ。
同法廷の主任判事ベルマーレと彼の判事達は明らかに、彼らが1ヶ月ほど前から発見していたこの情報の公表を差し控えている。彼らはいったい何を恐れているのだろうか?

シュピーゲルの得た情報によると、この事件の捜査が覆されたのは、サイバー刑事のもちいるシャーロック・ホームズばりの最新鋭テクノロジーを駆使した発見だという。何ヶ月もの苦難の捜査の中、ウィッサム・エイド隊長の率いるレバノンの治安部隊の秘密部隊が、ハリリの暗殺に至る日々、また当日彼をとりまいていた幾つもの携帯電話の番号を割り出した。捜査官達はこれらの携帯電話を"first circle of hell"(地獄の第一の輪)と呼んだ。

キャプテン・エイドの捜査チームは最終的に、8個の携帯電話を特定した…それらはすべて同じ日に北部レバノンの都市、トリポリで購入されていた。それらは暗殺の前6週間にわたり使用され、特に彼ら使用者同士の間でのコミュニケーションに使用された─ある一台だけを除いて…そしてそれらは暗殺の後は一度も使用されていない。
レバノンの主任捜査官、キャプテン・エイド、31歳はベイルート郊外のハスミヤで、2008年の1月25日にテロリストの攻撃によって殺害された。他の3人の人も殺されたこの事件は明らかに捜査の停滞を狙ったものだった。そして再び、ヒズボラの司令部が関わっている事の証拠を示す、レバノンの重要人物への攻撃が過去4年間に数十件も発生した。

ハリリの人気の拡大は、レバノンのシーア派のリーダー、ナスララにとっては茨の棘のようだった。2005年にその億万長者は、人気の面でその革命のリーダーを凌駕した。しかも彼は、その狂信的でスパルタ精神のヒズボラのリーダーが嫌う全てのものをもっていた: 西欧諸国との近い関係、国内の穏健なアラブ人のリーダーとしての顕著な立場、贅沢なライフスタイル、そしてシーア派に対抗するスンニ派の信仰者であるという点だ。ハリリは、ある意味でナスララを代替する人物といえた。

国連の前・調査委員会検察官のメフリスは、彼自身の懸念事項を抱いている。彼は彼自身の知識と信念に基づき、500人以上の証人を審問したが、いまや彼は初めからシリアが犯人との結論寄りで捜査をしすぎた、として批判されている。先日、解放された4人の容疑者のうちジャマル・アル・サイード(レバノンの元治安維持警察長官)は、捜査を誘導したとの容疑で彼を告訴、またメフリスの部下のゲルハルト・レーマンを脅迫の容疑で告訴したという。メフリスは告訴内容を否認、また現在、サウジアラビアに赴任中のレーマンはコメントを拒否している。
スポットライトを浴びているジャマル・アル・サイードは次期のレバノンの法務大臣への昇進が検討されている。
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,626412,00.html

今回の選挙では、ハリリの息子率いる親米派の「3月14日連合」が勝利をおさめたが…選挙前、ヒズボラの勝利の可能性を予測していたイスラエル紙がドイツ紙の記事にこのようにコメントした…

★ヒズボラがハリリ事件の検証への世間の注意を逸らすため、イスラエルを攻撃する?(5月26日、ハーレツ)


今回の6/7のレバノンの選挙でヒズボラと北部イスラエルの国境地域の緊張は高まっているが、イスラエルの諜報部では、今回ヒズボラが緊張をエスカレートさせる恐れはないという予測をもとに、状況を注視している。

中東の情勢はしばしば夏にホットになる。第2次レバノン戦争は2006年の夏に勃発し、’07年の夏の緊張の時期にはイスラエルがシリアの核施設を空爆した…それはシリアからの何ら返答を引き出さなかったけれども。今年、国際社会はイランの核開発をめぐって高まるイスラエルとイランの間の緊張を心配していた。

しかし、北部国境地帯の前哨地域では、イランとの間におけるよりもすばやく緊張状態が発火する恐れがあった。イランとの問題は新聞の見出しとなっていたがワシントンがテヘランと対話を試みている今後数ヶ月の間に何か起こるだろうとの予測はない。(それが起こるときだけイスラエルのイランへの軍事攻撃はありうるが。)

レバノンでは、これと対照的に目くるめく速さで事態が進展し、過去2週間だけでもレバノンでの「スパイ活動の連鎖」が発覚したと報道された。ドイツの新聞シュピーゲルは、国連による前首相ハリリの暗殺に関する特別調査委員会が、暗殺の影にはシリアでなくヒズボラがいた、との結論を出したむね報じた:ヒズボラの上官はイスラエルが同組織のリーダー、ハッサン・ナスララの暗殺を画策していたとし、それは地域の紛争を誘発することだと述べたという。
エジプトは同国内でのヒズボラの活動員の存在を報じ、イスラエルの国防軍は北部地域の緊張に対処するためにGOC の北部指令官Gadi Eizenkotの任期の一年間延長を考慮しているという。
イスラエル国防軍は来週、全土にわたる軍事演習を予定しており、これは幾つかの前哨地域からのイスラエルの都市へのロケット弾攻撃やミサイル攻撃を誘発する恐れがある。

ドイツ紙の報道は、イスラエルにとって完全な驚きとはいえなかっただろう。イスラエル諜報部は国連による当初の推測、つまりシリアが前首相の暗殺の背後にいるという予測を共有していたものの、別の見方もあった。暗殺の3年以上前、2001年末に軍事諜報部に提出されたレポートではハリリがヒズボラに暗殺されるとの予測をだしている。そして暗殺のすぐ後には、MIの高官が少数派の意見として、シリアはでなくヒズボラを疑えという意見書を提出している。

ハリリは日本からの盗難車のトラックに積まれた爆薬により暗殺され、そしてMIの高官の見方では地球規模のテロリスト組織をもつヒズボラだけが、ハリリの動静に関する精密な把握を含めてそのような高性能で金のかかる攻撃を遂行できたという。その高官は、その攻撃がイランの利益にも適い、ヒズボラはシリアに対してトラブルの原因を作ることにも利益を有するとの意見を述べている。

国連の上層部が事実を断定するまで、その報道が選挙の結果に大きな影響を及ぼす事はないだろう。ヒズボラはその話を、選挙の結果を左右するための「捏造だ」と呼び、そして永年のヒズボラの敵でもあるドゥルーズ派のリーダーWalid Jumblatt でさえも、これは外国機関が選挙の操作を狙った干渉行為に過ぎない、との説に同意している。

ヒズボラはこの選挙で議席を得るだろう、そして次期の連合政権を先導するかもしれない。しかし国連の公式声明が出された場合、その結果の構図は塗りかえられるかもしれない。シーア派の一部有権者やライバルのシーア派の党、Amal,そして無党派スンニ派層、ドゥルーズ派やクリスチャンの有権者層も、Saad Hariri率いる反シリア連合に支持を転じ、投票する可能性がある…。

もしそうなれば、ヒズボラは、暗殺の件に関する人々の注意をそらすべく、イスラエルとの争いを激化させるかもしれない。それには前例もある:2006年に国内の武装解除への圧力のもと、ヒズボラは7月に国境をまたいだ侵攻作戦を行い、2人のイスラエル兵を誘拐拘束しそして第2次レバノン戦争を誘発した。

国防機関はヒズボラの勝利の余波として起こりうる現象に関し、さらに論議を続けている。しかし一方で、これはイランがもくろんで達成したことだともいえて、それゆえこれはネガティブな事態だともいえる。
また一方、もしもそんな作戦が必要になるなら、それはイスラエル国防軍のレバノンでの作戦に対する国際社会の圧力を軽減するかもしれない。
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1087985.html

(★関連記事
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/03/lebanese-split-over-hariri-tribunal-by.html

「ハリリ暗殺事件の特別法廷をめぐるレバノン人の分裂」)