Friday, February 3, 2012

"信ぜよ、されど証明せよ" Trust, but Verify - By THOMAS L. FRIEDMAN


"信ぜよ、されど証明せよ" Trust, but Verify By トーマス・L.フリードマン(1/18, NYタイムス)

 先週、私がデスクの上でであった記事のアイテムのいくつかは─イスラム原理主義者のムスリム同胞団が、アラブ世界全域での反乱による初期の「便益の享受者」として現れ出たことに対して…政策の立案に直面しているアメリカの挑戦というものを強調していた。最初のひとつは1月11日付のニュース記事だが、国務長官代理のBill Burnsがムスリム同胞団の政党の党委員長、Muhammad Morsiとカイロで会談したというものだ。そのなかでMorsiは、「米国とエジプトの関係の重要性を信じている」としながらも、「それは、バランスをとらねばならない」と語ったという。

 その2日後には、アラブ世界のメディアを追跡するMEMRI(Middle East Media Research Institute)が、ムスリム同胞団が自身のウェブサイトIkhwanonline.com.に最近、掲載していたという記事をレポートしていた。(*)そのレポートでは彼らのサイトが「ホロコーストの否定」や、「ユダヤ人の特徴とは、強欲で、搾取的で、人間社会の悪の根源である」とする反ユダヤ的モチーフを含む記事をのせていたとし…それらの記事のなかには「シオニストを殺せ」と要求したり、2011年9月11日のカイロのイスラエル大使館への攻撃を称賛しているものもあった─それらのなかには、その事件がエジプトの革命におけるランドマーク的出来事だ、と呼ぶものもあったという(*http://www.memri.org/report/en/0/0/0/0/0/0/5992.htm )

  最後に、エジプトのテレコミュニケーション業界の大立者で、新しい世俗的リベラル政党の創設者でもあるNaguib Sawiris に関するニュースがあった(*)─彼は昨年の6月に、髭面のミッキーマウスが伝統的なイスラム的な衣装(ローブ)をまとい、ミニーマウスが顔全体を覆い目だけを出しているベールをかぶった画像をTwetterで再Tweetしたことで、「宗教に対する侮蔑的行為」を行った、とされ有罪を言い渡されていた。(* http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-16473759 )

  こうしたニュースのレポートには、2つの読み方がある。ひとつは、ムスリム同胞団とその他のイスラム原理主義者たちが、ナイーブな外国人たちに彼らが欲するようなニュースのタイトルを提供して、賢く騙しているという見方だ。もうひとつの見方とは、原理主義者たちはエジプトの新しい議会を支配して、他の政党よりもこの国の民主的体制への移行や、憲法の起草、大統領選出にいっそうの責任を負うなどとは、けっして予測はしていなかったが…彼ら自身のイデオロギーと、これらすべての新たな責任とを折り合わせる方法を見出そうとしている…というものだ。

 私の見方では、これらはおそらく両方とも本当であり得るし─本当だろう、と思う。私の気持ちでは、我々はみなエジプトの原理主義政党の台頭についての怠惰なハッピー・トーク(TVキャスターなどの楽観的な冗談のいい合い)や、怠惰な決定主義(「彼らがアラビア語のサイトで何を言っているかをみてみようじゃないか。彼らは明らかにエジプトをのっとる秘密プランを持っている」などといった…)に対しては、防衛線を張るべきなのだ。

 そのハッピー・トーク部門ではどうか、私にこんなことは言わないでほしい─トルコの与党勢力のイスラム正義と発展党(AKP)の例というものが…原理主義政党が国の権力を民主的に掌握したところで誰も何も恐れることはないことの証明だ、などということを。私にはAKPについて感嘆していることが、沢山ある(最近、テキサス州知事のRick Perry が、AKPは「イスラム・テロリスト」だと指摘したのも、ショックなほど馬鹿げている)しかし私は、AKPが選挙に負けて権力を他の政党に譲った後にだけ、それがイスラムと民主主義との調和を再確認できる例であると示したいのだ:それこそが、真のテスト(検証)なのだ。

   「エコノミスト」誌はその11月26日号で、トルコのAKP政権について、「76名前後のジャーナリストが、いまや(同政権のもとで)裁判にかけられている」と書いていた─中国におけるそれよりも多くの人数が、テロ犯罪容疑によって捉えられている…西欧諸国が気づいていないのは、トルコとはアラブの春の(体制的な民主化の)モデルとして称賛される代わりに、人権が恒常的に悪化している国なのだ、ということだ。

 米国の政策はこのような仮定を基礎とすべきだ─他の政党とも同じく、イスラム原理主義政党というものも、そのなかには穏健派や中道派、そして強硬派も含んでいる─そしてムスリム同胞団の場合は、多くの小規模なビジネスマンも含んでいるということだ。彼らが政府の責任を引き受けた際に、それらのうちのどの勢力が支配するかという問いは、未だに答えの出ていない問いだ。

  アメリカはイスラム原理主義者たちに対する、確実で、静かな、辛抱強い取り組みを提供する必要がある(そこで我々は彼らに「我々は自由で公正な選挙や、人権や女性の権利・マイノリティの権利の保護、自由主義経済や、軍の文民支配、宗教的な寛容性や、エジプトとイスラエル間の平和条約のことを信じている…こうした原則を尊重するならば我々は誰にでも助力をしよう」と告げるような)…そこでは、ナショナリストたちによる反発を容易に招いてしまう可能性はあるだろうが。

 エジプトはイランの辿ったような運命にはない、しかしムスリム同胞団は、ムスリム・バージョンのキリスト教民主主義になるということもありえないのだ。
 そこでは、進化がその途上にある─それは、とても可塑的な瞬間だ─そして、我々にとっては、イスラム原理主義者たちと信念にもとづく取引を確実におこなうことが、最も効果を生み出すための機会だ(そしてまた…イスラエルに対してはさらに、イスラム原理主義者たちはいかなるダブル・スタンダードも監視するだろう…エジプト軍に対しても)。エジプト軍もまた、彼らのエジプトでの新しい役割を模索している。彼らは国の経済的権益を守りたいとの願望と、デモ隊の市民の殺害へのいかなる告訴をも避けて、エジプトの世俗的ナショナリストの伝統的な保護者としてのステータスを維持したい、という願望のバランスをとろうと試みている。我々はエジプト軍にはトルコの軍がかつて演じたような建設的な役割を演じてもらうことが必要だ─民主主義への漸進的移行の産婆役として─彼らにはまた、パキスタン軍のようになられてはならない(それは巨大な予算を正当化する攻撃的な外交政策に殉じて、暴利をむさぼる組織機関と化しているが)

 手短かに言えば、エジプトとの交渉にはたった一人の男に電話すればよかった、というような日々は過ぎた。そこには、複数のプレーヤーたちが一週間休みなく働く、本当に…本当に…本当にソフィスティケートされた外交政策こそが要求されるのだ。
http://www.nytimes.com/2012/01/18/opinion/trust-but-verify.html
*Trust, but verifyはソビエトの諺を元に、V.Leninや、R. Reaganが使ったキャッチフレーズとか…http://en.wikipedia.org/wiki/Trust,_but_verify 

*この神経質なコラムに対して…アメリカ人読者のコメントはだいぶ冷静で、批判的なもののほうが多いようだ…
例)
D. R. Van Renen Boulder, Colorado 「Friedmanが言うように、エジプトの民主化プロセスを操作することが我々の想定されるゴールだなどと考えるのは、民主化プロセスへの軽侮であるのみならず、エジプトの国の主権を侵害している」

WH Virginia 「我々は兵士たちを皆、帰国させて、中東に関わるのをやめるべきだ。米国はもう破産しているし、世界を運営する力なんてない。Friedmanはイスラエルは米国の51番目の州だと思っているみたいだ」

tewfic el-sawy NY
「Friedmanは間違いだらけのグループ・シンク(集団思考)におちいっている。宗教保守政党だろうと世俗派政党だろうと、エジプトの政党は今、国内で余りにも多くの、解決しなければならない社会的問題、経済問題に直面している。そして彼らには時間がなく、彼らには優先順位がある。多くの机上の空論家にとっては悔しかろうが、そこではいまはイスラエルは関係ない」

Gary Misch VA
「ヘイ、トム。AKPがなぜ政権を明け渡さなければならないんだ?彼らは死ぬほど恐れている野党のリーダーシップの一部分を未だに収監していないし、それでもなお彼らには、残りの人間たちに関する終わることのない告訴と裁判が待っている。何故君はその人間たちに関して書かないんだ?」

Phyllis Kahan, Ph.D. New York, NY
「「あなたの記事の前の方であなたは、同胞団に関する悪いニュースには2つの読み方があると書いていた、つまり彼らは"ナイーブな”非・エジプト人らをオトリで釣っているのだと、そして、彼らはエジプトで多数派政党になるとは、全く予想していなかったと。この悪いニュースのなかの、特に悪質なプロパガンダに、彼らによるホロコーストの否定もふくまれると。

私が信じるに、このことの3番目の読み方とは:つまり、こうしたニュースは、単に真実を語っているだけだ、ということだ!」