先週、相棒の警官・ウェンチアン・リウWenjian Liuとパトロールカーに同乗中に暗殺された警官ラファエル・ラモス(Rafael Ramos)の葬儀の場で─警官たちはニューヨークの市長・ビル・デ・ブラシオBill de Blasioに対し、尊敬の念を抱けないとの意志を表明して─文字通り、彼に背を向けた。
組織の多くの人間たちは、市長による反・警察のポリシーというものが、2警官の死を招いたかのようにみなしている彼らを非難した。
組織の多くの人間たちは、市長による反・警察のポリシーというものが、2警官の死を招いたかのようにみなしている彼らを非難した。
NYPD(ニューヨーク市警)というものは、ニューヨーク市でも特別なポジションにある─良くも、悪しくも。1970年代の初頭には司法公聴会の場で市警の組織のあらゆるレベルに(ポリス・コミッショナーのオフィスのなかにさえも)蔓延るシステマチックな腐敗が暴かれた。
その20年後にはNYPDは、シティでの犯罪発生率を劇的に減少させて信頼を獲得した。9/11の事件後には、警官たちが英雄となった。ニューヨーカーたちは(前)市長のMichael Bloombergのポリス・コミッショナ-だったレイ・ケリー(Ray Kelly)に対する畏敬の念を抱いた─彼は自らが、シティとテロリストの次なる攻撃の間に立ちはだかる独りの男のように振る舞っていた。
今や、振り子の揺れは戻りつつある。昨年デ・ブラシオは市長選挙のキャンペーンのなかで、Kellyが命じていた過剰な<ストップ・アンド・フリスク(街角で呼び止め身体検査をする)のポリシーを烈しく非難した。12年間にわたってそれはアクティブに行われていた─そのポリシーは、400万人 のブラックやヒスパニックの若い男たちを相手に実行されていたが…そのうち実質的に犯罪を犯していた者は一人もいなかった。
市長の任期の1年目には市の組織の多くの部門が、デ・ブラシオが警察を悪魔化していると感じていた。彼が警官たちと彼らの困難な仕事というものを、繰り返し称賛していたにも拘わらず…彼らは市長の行動がその言葉を裏切っているようにも感じた。
市長の支持者たちは─このNYタイムズのエディトリアル もそれを最大に物語るように─市警への予算増や、逮捕や召喚などの件数におけるクォータ(割当て)制度の廃止、殺人事件が減少したことなどをあげて、デ・ブラシオが警察にとっての「最大の利益」であると心からいえると指摘している。
しかし彼は、アル・シャープトンAl Sharptonにも信頼をおいていた─シティでも最も支持の分かれる人物の一人であり、選挙によって選ばれた政治家でもない彼は…長年警察を容赦なく批判していた。昨年の夏に市庁舎で行われたイベント─警官がエリック・ガーナーEric Garnerを逮捕しようとして、「チョークホールド(首を絞めて窒息させる)」で死に追いやった事件の後、市が一丸となるために行われたイベントで─市長はSharptonを隣に座らせて、反対側の隣にはポリス・コミッショナーのBill Brattonを座らせた。意図的であろうとなかろうと市長はシンボリックにSharptonをBrattonと対等な位置に座らせていた─Brattonは彼自身、そこに座ったことを後悔すると発言した。
それ以来、市長はSharptonに言い寄り続けている。10月には、彼の60歳の誕生パーティーの席で、市長がSharpton.をこの国における卓越した公民権運動の立役者デ、「市にとっての祝福」であると述べた。
「人々が彼を批判すればするほど、私はなおさら、彼とつき合いたくなる」…と市長は言う。
そこにはまた、De BlasioがSharptonの元スポークス・ウーマンのRachel Noerdlingerの解雇を躊躇した、という一件もあった─De BlasioはNoerdlingerを、彼の妻Chirlane McCrayの参謀役(Chief of staff)として年俸17万ドルで雇ったのだ。
彼はNoerdlingerの内縁の夫Hassaun McFarlanの逮捕や…McFarlanとNoerdlingerの間の17歳の息子、Khariが投稿していたアンチ警察の書き込みで、この二人が警官を「豚」と呼んでいたこと…にも肩をすぼめてみせるばかりだ。
Noerdlinger はKhariが、ブロンクスで知られたドラッグ密売スポットを通り抜けて逮捕されたその後に、「無期限の停職」の処分にされたにすぎない。デ・ブラシオは、処分の発表の後にもNoerdlingerをサポートし続けている。彼は報道メディアに対して、Noerdlingerの個人生活は、“ひどく不快な状態”だと答えた。
市長はさらに…セントラル・パークでの女性ジョギングランナーのレイプ事件(※)の冤罪で訴追されていた5人のティーンエージャー(うち4人はブラック、1人はヒスパニック)が25年間シティの人種的対立の炎を煽ってきたとの一件に、4千百万ドルの和解金をはずむよう策謀した。その構図をさらに複雑にしているのは…彼ら5人がレイプ事件の夜にセントラル・パークで起きた他の30件のレイプ事件にも関与していたグループに属する…などと警察がみなしたにも関わらず、彼らの外には誰も訴追されなかったことだ。さらにまた警察や検察の双方の尋問に答えた5人の証言とは、彼らがジョギングしていた女性を死の寸前まで殴った…などとも示唆していたことだ。
(※"Central Park jogger case" http://en.wikipedia.org/wiki/Central_Park_jogger_case)
(※"Central Park jogger case" http://en.wikipedia.org/wiki/Central_Park_jogger_case)
その裁判を勝ち取るためには、被告たちは…単に彼らが誤って訴追された…と証明するのみならず、警察と検察の(あるいは検察の)故意性を証明する必要がある─ジョギング・ランナーの事件では、5人のティーンエージャーを…彼らが無実だと知りながら訴追したということを。
その和解に際しては、市側は特に─警察にも検察にも悪意はなかったという陳述をした。
そこにはデ・ブラシオによる怒りの宣言が発された─彼の混血の息子・ダンテが、市警察と関わるような場合には、危険を伴うことになるだろう、と…。
人種偏見による"Central Park Five"への冤罪は 25年後に償われた |
「我々の頭上に、未だにぶら下がっている歴史と、我々が直面するかもしれない危険のために…我々は彼を文字通り訓練せねばならない─このシティじゅうの家族が、何十年間にもわたって─彼らを守るために存在する警官たちとのどんな遭遇の場でも、いかに特別な注意を払わねばならないのか…を訓練してきたように…」
「このシティには、日夜…それを感じている余りにも多くの家族がいる。私の子供は安全なのだろうか?と。そしてそれが、我々の近隣での痛々しい犯罪や、暴力といった現実からの安全ではなく…我々の保護者としての信念を持ちたいと望んでいる人々からの安全…だとは?」
白人に比べて、黒人のティーンエージャーや大人たちが警察とトラブルに遭いやすいことは、誰もが否定しないが…デ・ブラシオは、政治的にポイントを稼ごうと、やや行き過ぎを冒したようだ。彼の発言に関して警官組合の頭のPatrick Lynchは─市長が警官たちを「バスの下に投げ込んだ…」といって非難した…そして彼は今後、警官たちの葬儀の場では歓迎されないだろう…とも言わせた。デ・ブラシオは繰り返し…警察を支持するために彼が多くの努力を払っているとも語ったのだが。
そして、最後には、そこには反・警察のデモが発生した─大陪審がガーナーの死に責任のある誰かを訴追する、そのことに失敗した後に。彼らがデモを行う前にBrattonは。抵抗者たちがシティを乗っ取ることは許可しない、と宣言した─道路だろうと、橋だろうと。…その代わりに、彼らにはこれhttp://newyork.cbslocal.com/2014/12/04/more-rallies-planned-after-protests-erupt-following-grand-jury-decision-in-eric-garner-case/を行うことだけが許された。
TVに映し出された、デモ行進する人々のグループは「我々は何を望む?死んだ警官たちだ!」と叫んでいた。他の者らは、ブルックリン橋で2人の警察官を攻撃し殴り倒した、という容疑で逮捕された。
TVに映し出された、デモ行進する人々のグループは「我々は何を望む?死んだ警官たちだ!」と叫んでいた。他の者らは、ブルックリン橋で2人の警察官を攻撃し殴り倒した、という容疑で逮捕された。
マルチレイシャルをアピールして、昨年 市長の座を勝ち取ったデ・ブラシオ一家 |
そうした攻撃に関する市長のプレス・ルームからの最初の反応とは、彼らに関する事実を報じるよりも、むしろ「~であるとされる(alleged)」とだけ描写することだった。
デ・ブラシオの市長選キャンペーン期間中のマントラ(唱え言葉)とは「2つのシティの物語」〈※市の人種的隔離を意味する)というものだった─そして。いまや市長としての、その最初の年が終わるなかで、彼はニューヨーク市の新たなる「Great Divider(大いなる分断者)」となったようにもみえる。