Tuesday, April 12, 2011

NATO侵攻後のリビア Libya, after the NATO invasion By Mahmood Mamdani


NATO侵攻後のリビア By マフムード・マムダーニ (4/9, English Al-Jazeela)
 

 *写真:リビアのMuammar QaddafiとスーダンのOmar Al-Bashir. The Despot Index


 2010年の国連の人間開発指数(HDI)─それは健康や教育、所得額といった複合的な基準により評価されるものだ─では、リビアは世界で第53位に、アフリカでは第1位にランクされている。

 42年前に王が退位させられたときには田舎の後進国だったこの国は、今日ではモダンな経済と高い識字率を有する。この一つの事実は、カダフィが彼の支配の歴史的な正当性を主張するときの主な論点となっている。

 リビアに関して今日しばしばなされる議論は二分される: 一方の側は抑圧された(リビアの)人々との団結を強調し、もう一方の側はさらなる西欧世界との戦争への反感を含めて語られる。

 西欧の同盟国がリビアに飛行禁止区域を設定した直後にニューヨークタイムズは、米国東海岸にあるカレッジのリビア人の政治学教授の意見を掲載した。Ali Ahmida はカダフィの支配を、上述の今日の二つの議論を代表する二つの時期に分けて論じた─

若いカダフィの印象 Impressions of a young Gaddafi


 その最初の20年間…と彼は書く…革命は普通のリビア人に多くの便益を与えた; 広汎な識字率、無料の医療サービスや、教育、そして住環境の改善。特に女性たちは便益を享受し、彼女らは閣僚や大使、パイロット、判事や医師となった。政府は下流・中流階級からの広い支持を受けた。

[Ali Ahmidaの記事引用:しかし80年代以降に始まったものとして、過度な中央集権や、治安勢力がより抑圧的となり法の秩序が低下したことが、本来のポピュリズムの実験を損ねた。法廷や大学、労働組合や病院は弱まった。70年代には多くのペルシャ湾岸諸国などよりもリビア社会をより民主的にみせていたはずの、リビアの社会を形づくる市民組織は衰退し、または排除された。敵対的な国際情勢、そして石油収入の変動が体制への圧力を強めた。

 英雄崇拝の儀礼は汎アフリカ主義のイデオロギーへと変貌していった。それは暴力をも孕んで行った。度重なるクーデター未遂に伴い反体制分子は打ち据えられ、投獄された。治安勢力は中央・南リビアからの信頼できる親族や同盟者で固められていった。1990年代には経済制裁による犠牲で、ヘルスケアと教育が衰退し、失業率が増加、経済はより石油依存となり体制はより腐敗していった…](http://tinyurl.com/3r39ohv)
 

─(このAhmidaの論ずる)悪い傾向を代表する側とは、デマゴーグ的(扇動的)な政権が英雄崇拝の酒宴を催して、暴力をシニカルに擁護するといったものだ。度重なるクーデターの試みに遭遇した政権は、治安勢力を信頼のおける親族の人間、中央・南リビアからの同盟者たちで固め、このことが政府を同族的な管理体制へと変貌させた。

 私のカダフィに対する最初の印象は、数十年前に読んだMuhammad Haykal(ナセルの有名な報道官だった人物)の回想録に書かれていたことだ。

 Haykalは中国から訪問していた周恩来首相と(エジプト大統領の)ナセルが、国が催したレセプションの最中にかわした会話を回想している。

 軍服を着た若い男を指差して周恩来は訪ねた、あれは誰だ?と。…ナセルは答えた、何故だ?あれは丁度、リビアの王権を転覆(権力を掌握)したばかりのカダフィ大佐だ、なぜそれを尋ねる?と彼はいった。

 周恩来の、それに対する回答は忘れがたい:ああ、彼は今さっき私のところに来て私にこう尋ねた、原爆を購入するにはいくらかかるか、と!…この逸話はカダフィの、よく知られた常軌を逸した性質を集約している。

革命家に休息はない No rest for the revolutionary

 カダフィは彼自身を、反・帝国主義の戦士とみなしており、そのようにして彼はカダフィ・ブランドをアフリカ大陸でマーケティングしてきた。しかし実際にはカダフィの体制は、彼のリーダーシップに崇敬の念を捧げる者ならば、誰彼構わず取り立てた。

 彼の祝儀が与えられた者たちのリストは、雑多なものだ: カダフィがその初期の資金提供者だったウガンダのNational Resistance Armyから、反対者であろうと支持者であろうと鼻や指、手首を切り落とすその残忍さで知られた…シェラ・レオネのRevolutionary United Front 、彼がしばしば唯一の資金提供者であった民兵タイプのグループ…たとえばArab Legion(チャドとダルフールの遊牧性の武装民兵グループの傘組織)などがある。

 カダフィは彼自身を、アフリカの「解放」勢力のCEOとみなしていた。数年前、ウガンダ人たちが憲法を改正して大統領の2年の任期制限を廃止するか否かで論議していた時、カダフィは躊躇なくその国民的な議論に介入した。彼は、「革命運動家たちよ、リタイヤするな!」と宣言した。

 カダフィの西欧に対する関係回復は2003年に始まった。核開発施設を解体して、米国・英国やイタリアの企業 – Occidental Petroleum、BP や ENI といった–の開発付石油契約を招致するために、カダフィは西欧の集団に舞い戻って歓迎された。

 独裁者の外部向けの顔が反・帝国主義者から親・西欧にシフトしたとき、カダフィは米国主導の「テロとの戦争」に加わった。

 しかし、危機が到来して彼のパトロンたちが背を向けたとき、カダフィの元には軍事的反乱を振り切る核兵器もなく、国連安保理で彼とともに立って支持してくれる有力な友もいなかった…  (以下略:…Mahmood Mamdani is professor and director of Makerere Institute of Social Research at Makerere University, Kampala, Uganda)

http://english.aljazeera.net/indepth/opinion/2011/04/201148174154213745.html

アフリカ連合の停戦提案;NATOはミスラータとアジュダビヤを防衛 (4/11, ホアン・コール)

 4月11日、@feb17voicesのTwitterにはこうある:「カダフィ軍の集中的な攻撃ではスティール工場とガス貯蔵タンクの地帯に大きな被害が出たという… 多くの人はミスラータにスティール工場がある事を知らないかもしれない…この街でカダフィに対抗する「反乱勢力」の大半は労働者であることも。今や体制側は特に彼らの生活手段を破壊し、彼らの家族を爆撃している」(*@feb17voicesはJohn Scott-Railton に率いられ、リビア人にTwitterへの電話でのアクセスを供給している革新的なテクノロジー。同様に、エジプトでネット接続が遮断されたときにも人々にアクセスを提供した)

 これと同時に、アフリカ連合の3人のリーダーがトリポリにおける討議のために到着し、カダフィは少なくとも彼らの提案を受け容れると語った。AUのチームは、これまでカダフィと息子たちを温存するいかなるプランも拒否してきた暫定政府評議会との話し合いにベンガジに向かう。

 AUによる仲介の問題とは、彼らが反体制勢力にとって誠実なブローカーとは見られていないことだ。世界が注意を払わなかった内にカダフィは、石油から得た彼の財産(「彼自身の」と私は言いたい)を用いて、アフリカ諸国のリーダーたちから忠誠心を勝ち取って軍事介入するべく、彼の影響力を売り歩いた。国連のリビア介入を批判する者たちは、ダルフールやスーダンにおいては何故そのような人道的ミッションが行われなかったのかと問う─そこではブラックアフリカンのフール族のなかの分離主義者たちが、ハルツーム政府に忠実なアラビア語を話すブラックアフリカンたちに虐殺されていた。その流血沙汰は、そもそも、カダフィのチャドとスーダンへの破滅的な介入によって始められたものだ。現在のダルフール問題は1987年に、カダフィによって武装されたチャドから来たアラビア語を話す雇われ民兵たちが、ダルフールとの国境を越えて軍事ベースを作ったことに始まる。彼らがJanjawid ジャンジャウィードの先駆なのだ。常に地域の帝国主義者であり、破壊者であったカダフィは、その莫大な富を駆使してこの大陸に、彼の支配力を拡大させる武装民兵とゲリラたちを溢れされた。彼は南の隣国チャドの支配権を奪うべく、同国の北部地域で彼の部隊による暴力的な占領を続けつつも、成果のない年月を送った。

 彼自身の領土からは遠く離れてカダフィは、彼のテロリスト訓練キャンプthe World Revolutionary Center(ゲリラ訓練所)を通じて恐怖を拡大した。そこから輩出されたのは、ブラッド・ダイヤモンドに飢えたクーデター屋や戦争屋たち─(リベリアの内戦を起こした)チャールズ・テイラーや、シエラ・レオネのフォデイ・サンコーなどである。カダフィとテイラーはシエラ・レオネの戦争へと介入した。 (*チャールズ・テーラー:http://tinyurl.com/3twrmkd *アハメド・フォディ・サンコー:http://tinyurl.com/3egb3nc )

 何百万もの人々が、その一部はカダフィが自らの野望のために喚起したものでもある戦争で殺された─カダフィは自らの鋳型から、幾世代もの専制主義的で反抗的な革命運動家たちを生み出したが、彼らは彼のクライアントにもなった。莫大なオイルマネーがカダフィに西アフリカの政治体制における安定性を損ない、好き勝手にさせる自由を与えた。

 カダフィはアフリカ連合の経費の15%を負担し、実質的に多くのアフリカのリーダーたちを召使のように使っている。

 カダフィは、チュニジアのZine El Abedine Ben Aliに対する人々の革命には強く反対の立場を取った。もしも彼が力を取り戻し、彼の富を再び掌握したならば、カダフィは隣国チュニジアで目覚めつつある歓迎しがたい民主主義と法のルールを妨害し、そしてエジプトにも食指を伸ばすだろう。市民にむけて無差別に発砲するこの億万長者の連続殺人者と、億万長者のプレイボーイの息子達の末期的にナイーブな支持者たちは、「いや、カダフィはそんなことはしない」、などという。彼らはカダフィがこの30年間アフリカで何をしていたと思っているのか。彼が権力から放逐され、ベンガジの政府が議会システムを樹立できれば、リビアだけでなく全アフリカが大きな一歩を踏み出せる。

 報道メディアのヘッドラインは、カダフィがAUによる停戦と平和維持軍駐留の提案を受け入れた、と書いた。もしも彼がその戦車や重火器を撤収し、市民や街を無差別に攻撃することを止めるのならばそれもよい。実際的な戦争よりも、停戦から平和を確立する方がたやすいだろう。カダフィの血にまみれた過去と多くの殺人は、NATOにおける国連諸国による同盟とアラブ連盟が最大の監視を行うことで、彼が自らの領土をより拡大し、より多くの人々を殺すことの隠蔽する外交を行わないように求めるだろう。

http://www.juancole.com/2011/04/au-proposes-ceasefire-nato-protects-misrata-ajdabiya.html

*リビアの反政府派暫定評議会は、4/11に5人のアフリカ諸国大統領が提案した停戦への「ロードマップ」を完全に拒否…当初の概案も政府勢力が生じさせた死と破壊の後には既に受け容れられない、我々はカダフィと息子たちが政権から去ることを当初から求めていると声明。AUの提案は西欧にも警戒をもって迎えられ、英国のヘイグ外相は「停戦合意は国連決議の要請もフルに満たさねばならない」と語った。