Tuesday, August 4, 2009

現代米国の「人種教育」(2)/Racism Without "Racists" By Eduardo Bonilla-Silva


今日の米国は、「カラー・ブラインドな」〈肌の色には関知せず、平等を建前とする)社会、とされるなかで…(ラティーノの社会学者、エドアルド・ボニーラ・シルバは…却って隠蔽されがちな人種差別を「カラー・ブラインド・レイシズム(color-blind racism)」と呼んで告発する。…その意味とは何か?(’08年の米国のソシオロジークラスのテキストより)

「レイシスト」なき「レイシズム」

レイシズムというものに関連して、ここに不可解な謎が存在する。誰も、ほとんど誰しもがレイシストとみられたいとは思っていない;それなのに依然として、レイシズムは事実、堅固に存在し続けている。" (Albert Memmi, "Racism")

第1章: The Strange Enigma of Race in Contemporary America─ 現代米国の「人種」という不可解な謎

 今日の米国では、白人至上主義者の組織のメンバー以外に、「レイシスト」と呼ばれる白人は少ない。大半の白人は、「我々は人々の肌の色など気にしない、我々はその人たちがどんな人たちかを見るのだ── 肌の色とはもはや、マイノリティの人生におけるチャンスを左右する、主要な要素ではないのだ」、などという…醜悪な人種差別の「貌」がいまだに存在しているにも関わらず。 そして終いに、彼らは…ちょうどマーチン・ルーサー・キング牧師のように、「人々がその肌の色ではなく、その人格によって判断される社会」に棲むことを熱心に望む。もっとも辛辣なことに、大半の白人たちは、この国におけるいかなる「人種的問題」というものも、マイノリティ自身、特に黒人たち自身に責任があると主張するのだ。彼らは黒人たちが、「人種」にもとづく不必要で不和を促すような…アファーマティブ・アクションの様なプログラムを維持し続け、白人たちに何か批判されれば常に「人種差別」だ、と叫ぶことで、「Playing the race card(人種というカードを使っている)」と公けに非難する。そして大方の白人は、もしも黒人やその他のマイノリティたちが過去を思い出すのを止め、勤勉に働き、文句(特に人種差別への)をいうことを減らせば、すべての肌色の米国人は「一緒にやっていけることだろう」という。

  しかし、白人たちのそうした「誠実なるフィクション」にも関わらず、人種というものは、米国のほとんど全ての物事に影を落とす。黒人と、ダーク・スキンのマイノリティは実質的に、社会生活のいかなる分野でも白人に遅れをとっている。彼らは経済的に白人の約3倍も貧しく、白人よりも収入は約40%少なく、彼らの持てる資産の総体は白人全体の8分の1 しかない(註)。彼らはまた、白人よりもより劣る教育を受けている─人種的に統合された教育機関に通っていても。居住する住宅に関しては、白人の所有する物件に比べ、黒人の所有する物件の経済価値は35%ほど低い。黒人とラティーノは、住宅市場というものすべてに対してより少ないアクセスしかもっていない─それは、白人の不動産業者や住宅のオーナーたちが、その近隣地域に彼らが入り込むことを成功裡に、効果的に制限しているからだ。黒人たちは商店やレストラン、その他の商業的な取引においても、礼儀のない扱いを受ける。リサーチャーたちは、黒人層が車や住宅のような商品に白人よりも多くの金額を支払っている、との調査結果を提示している。最終的に、黒人とダーク・スキンのラティーノたちは、警察による「人種プロファイリング(racial profiling)」──高度に人種的区別の存在する犯罪法廷システムとも連携した──のターゲットであり、そうしたシステムが、逮捕・立件され収監される者たちや重罪で起訴され処刑される者たちの人種的割合における彼らの過剰性を保証している。
 
 ほとんどの白人が人種の差別はもはや存在しない、といっている国でのこのような極度な人種的不平等とは、いったいなぜ可能なのか?そしてより重要なことだが、白人たちは彼らの告白する「color blindness (肌の色への無関心さ・色盲なこと)」と、米国での「color-coded inequality(肌の色でコード分けされた不平等性)」との明らかな矛盾を、どうやって説明するのか?本書で私はこれらの2つの問いへの解答を試みたいと思う。私は、白人たちが強力な説明を発展させてきたことに関して議論したい─それは最終的には、彼らを今日の人種的不平等への責任、有色人種の地位に関するいかなる責任の嫌疑からも逃れさせる正当化となっている。

 こうした説明とは、私が「color-blind racism(色盲的人種差別)」と命名した新しい人種問題のイデオロギーから発している。この理論は1960年代の末に一貫性を獲得し、主流になったのだが─ ノンレイシャル(非人種的)な社会的ダイナミックスの結果としての今日の人種的な不平等を説明するものだ。「Jim Crow racism(ジム・クロウ法的人種差別主義)」が、黒人たちの社会的立場がその生物的・モラル的な劣等性の結果だ、と説明するのに対し、「color-blind racism」は、そのような安易な議論をすることを避ける。それに対し、白人たちは、マイノリティ人種の今日の社会的地位とは、市場原理(マーケット・ダイナミックス)の結果であり、自然に起きた現象で、そして黒人たちの文化性の限界に起因する結果なのだという道理を唱える。たとえば、白人たちはラティーノ人種の高い貧困率は彼らの弛緩した労働倫理(「ヒスパニックはマニャーナ、マニャーナ、マニャーナ…何でも"明日、明日、いつかそのうち" といって引き伸ばす癖がある」)の結果だとし、あるいは居住エリアの人種別の分離(segregation)とは、異なるグループ間の自然な傾向というもの…(「犬は猫と一緒に住めるだろうか?そうは思えない。ミルクとスコッチ・ウィスキーは一緒には飲めないし、ある種のものはミックスできないのだ」)の結果だとする。

 「color-blind racism」は、黒人その他のマイノリティ人種を人種的に"井戸の底(bottom of the well)" の地位に留めておくメカニズムが変化していくなかで、主流の考え方となった。私はこの本以外の場でも、今日の人種的不平等性は「ニュー・レイシズム」の実践のなかで <…それはとても微妙に制度化(インスティテューショナルに)のされた、明らかにノンレイシャル(非人種的な)ものではあるが>再生産されるものだ、と論じてきた。
人種的不平等が公然たる手段で行われていたJim Crow法の時代(たとえば、「ニガーお断り」と公言したり、投票所でのショットガンでの実力行使などもあった時代)とは対照的に、今日の人種差別は「見えるとも、見えない」手段によって実行される。たとえば居住エリアの人種別分離は、今日にも過去と同じくらいに存在しているが─それはもはや公然たる差別的な方法によっては行われない。その代わり、隠然とした方法…たとえば全ての売出し対象物件を表示しない、といった方法で、マイノリティーと白人が特定の居住エリアに誘導される─ より高額な賃貸料や売出し価格を提示したり、あるいはある物件を全く表示しないことによって─ こうした方法が分離的なコミュニティーを持続するための武器として選択される。経済的分野では、「笑顔による差別("smiling face" discrimination)」(主に、白人が大半のネットワークや特定の人種層むけの新聞上での、「今はお仕事はありませんが、どうぞまた後日チェックしてください」)といった求人広告の表示により、高等教育を受けた有色人種を低報酬の仕事や、限られた異動・昇進の機会しかない職に誘導することが、今やマイノリティをセカンダリー・ポジションに留まらせるための方法なのだ。政治的には、Civil Rights(公民権)の施行は、有色人種の政治参加のために多くの障害を取り去った。しかし、人種的なgerrymandering(勝手な選挙区の改定)、複数の選挙区での重複投票、(不公平な)決選投票や白人中心選挙区との恣意的合併などが地域の選挙で広範に行われ、また都市でのanti-single-shot devices (1人か2人の特定候補に集中して票を投じる事を許さない)などが有色人種を政治から締め出すためのスタンダードな方法となった。 銀行やレストラン、学校の入学アドミッション、住宅の売買取引においても、白人層の特権の維持は、人種的な差別が簡単には読み取れない方法で行われた。このようにして、color-blind racismの輪郭は米国での新たなレイシズムとして、非常に適したものとなった。

 Jim Crow時代のレイシズムと比較して、color-blind racismのイデオロギーとは"racism lite"(軽めのレイシズム)であるかのようにみえる。”Niggers"、"Spics"〔スペイン系アメリカ人〕 "Chinks〔中国人〕”といった露骨な呼び名を使うかわりに、color-blind racismは彼らをやんわりとotherize(異種化)する。(「これらの人々も、人間だ」)、神が世界に住まわせた彼らマイノリティが奴隷の位置にあると宣言する代わりに、それは彼らが、遅れた位置にある存在だと、なぜなら彼らは充分に勤勉に働かないからだとする、そして、異人種間の結婚を(ストレートな人種差別的価値観によって)悪しきものだとし、それを子供たちについての懸念や場所がらの問題、カップルに嫁せられる余計な重荷などから、「問題のあること」だとみなす。しかしこの新たなイデオロギーは、人種的序列維持のための政治的ツールとしては侮り難いものなのだ。Jim Crow法レイシズムが、公民権法制定前の暴力的で公然たる人種的抑圧システムを固定化すべく用いられたのと同様に、color-blind racismは今日、ポスト公民権法時代の隠然たる、制度化されたシステムのイデオロギー的な鎧(武装)として使われている。そしてこの新たなイデオロギーの美点とは、白人の特権の維持をファンファーレを鳴らすことなく、誰がその対象なのか、誰がその報酬を得るのかを名指しせずに、それを助けることなのだ。それは大統領をして「私はすべての人種的な多様性を強く支持する、高等教育における人種的多様性を含めて─」と言わせるが、同時に、ミシガン大学のアファーマティブ・アクション・プログラムが「不正」であり、白人に対して「差別的」なものであるという声明をださせる。こうして白人たちはその、人種的な利益を安全に保護するポジションを「レイシスト」と呼ばれることなく獲得する。color-blindness・色盲的人種差別主義のシールドによって保護され、白人たちはマイノリティへの怒りを表現でき、彼らのモラル・価値観・そして労働倫理を批判し、その果てには、彼ら白人たちが「逆人種差別」の犠牲者だと称する。これが、私が「レイシストなきレイシズム(人種差別主義者なき人種差別)」と呼んでいる、不可解な謎を説明するために、提示したい理論なのだ── (…後略)

*写真は:ニューヨークのプエルトリカン・デーにて(本文内容とは直接関係ありません!the 'photo' is not particularly related to the contents!)
*註: (Collins and Margo, 'Race and the Value of Owner Occupied Housing, 1940-1990' NY. Bard College, Aug.2000)
*Bonilla-Silva著:初版は1962年、第2版は2006年発行。