Sunday, June 15, 2014

第2次イラン・イラク戦争…そして、米国の方針転換The Second Iran-Iraq War and the American Switch


第2次イラン・イラク戦争、そして米国の方針転換 By ホアン・コール(6/13, Informed Comment)

 イランはイラクに直接介入することを決断し、すでに武装戦士たちを送り込んでいる─と、イランの情報筋に基づくウォール・ストリート・ジャーナルの記事が報じている。イランの特殊部隊とは今週、ISISによって先に侵攻されたティクリート(サダム・フセインの生誕地)において、ISISを撃退するイラク軍の支援を行ったのだという。こうした報道が行われたのは─今週木曜日にイランのハッサン・ロウハニ大統領が、「イランは、イラクがテロリストによって奪われるのを傍観してなどいない」と誓った…その矢先のことだったのだ。スンニ派の過激勢力ISIS(イラクとシリアのイスラム国)の武装戦士たちはサマッラのシーア派拠点モスクをも脅かしつつあり…そして、首都バグダッドへの侵攻をも誓っている…。(*写真:イラン革命防衛隊クッズ・フォースのリーダー、Qassem Suleimani がAmerli奪還の戦闘に現わる)

 イランはシリア政府のために、数人のアドバイザーとアフガン人戦士たちさえも雇い入れており…そしてまたレバノンのヒズボラに対しても、Homsの街がスンニ派過激派勢力の手に落ちないように阻止することを促している。イランによる、こうしたシリアへの介入とはアル・アサド政権への支援となり、叛乱勢力の勢いを封じている。イランの革命防衛隊とは、イラクでも、同様の戦術をISISに対して使えるもの。と信じるかもしれない。イランではシーア派が多数派で、シーア派の宗教思想が国の基盤をなしている。イラクではシーア派は60%を占め、2005年に樹立された政府もシーア派のコミュニティから構成されている。イラクにおけるスンニ派アラブ人とは約17%しかいないが…ジョージ・W・ブッシュがスンニ派支配のサダム・フセイン政権を転覆させ、シーア派に権力を握らせるまでは…イラクの中世・近代史の殆どで…スンニ派が、そのエリート階層を成してきたのだ。

 イラクでは、バグダッドと南部イラクにおいてシーア派勢力が優勢だ。シーア派とはちょうど、カソリックの伝統が(キリストの)聖家族を信仰して、聖廟を崇めるのとも同様の信仰を有する。(一方)今日のスンニ派イスラムのサラフィ主義者たちとは、1500年代の(ヨーロッパの)武闘派のプロテスタント教徒により近い存在でもある─彼らは神と個人のあいだに中間的存在を認めず…聖人その他の聖的な存在を祀って祈祷の行われていた聖廟を…現に破壊している。サマッラの聖廟とは─預言者モハメッドの12番目の代理人にして、シーア派でイマームとも呼ばれる─モハメッドの直系の子孫Muhammad al-Mahdiを祀るものだ。シーア派は、千年至福説に従い…12番目のイマームが再来し、世界の不正を糾す…といことを期待している(それはキリスト教徒たちのキリスト再来信仰とも類似する)。2006年にスンニ派武装勢力の攻撃でサマッラの聖廟が酷く破壊されたことは…イラクという国を毎月、3千人の市民が殺害される内戦へと陥れた。バグダッドでは2008年までに、ほとんどのスンニ派の住民が民族浄化の犠牲となり、その街はほとんどシーア派の首都と化してしまった。ISISは、そのプロセスを逆転しようと考えているのだ…。バグダッド市とは、Abbasidカリフ王朝の手で創建されたものだが…西暦762年には、Abbasidカリフは預言者の代理人と称して、初期イスラムの栄光の時代のシンボルともなっていた人物だ。ISISのリーダーたちは、ナジャフのアリ聖廟と、カルバラのフセイン聖廟をも破壊すると宣言しているが、(シーア派にとってのナジャフとは、カソリック教徒にとっての〔バチカンの〕聖ペテロ教会とも同様のものなのだ)。
  

 イラクの領土におけるイラン軍部隊の亡霊が呼び起こすものといえば、最初のイラン・イラク戦争の記憶だけだ。19809月以来、サダム・フセインのイラク軍は石油資源が豊富なイランのKhuzistan県に侵攻し…そして、アヤトラ・ホメイニが1988年夏に休戦協定を受諾した日まで、イランとイラクは、中東での最も長い流血の戦争を戦った。その塹壕戦や海上戦での隠された出会いとは、第一次大戦の恐怖を想い起こさせるものだった。イラクのバース党政府は、前線のイラン軍部隊に対しマスタードガスを使用して…イランへの支持が疑われたクルド族の一般市民に対してはサリンを用いたのだ。 

 米国のレーガン政権は、1983年以降にイラクを支援して…当時はSearle社の当時のCEOだったドナルド・ラムズフェルド(Donald Rumsfeld)をイラクに派遣し…彼は、サダムと握手を行った。侵攻したのはイラクの側だったこと、そしてレーガンがイラクの化学兵器使用のことを知っており…その件をジョージ・シュルツ国務省(長官)が(その声が封じられるまで…)声高に非難した─という状況にも拘わらずそれは、行われたのである。そして当時は軍事的命令を貫くために、シュルツは米国の国連大使に対して、イラクの化学兵器使用を非難するいかなる国連安保理決議も拒否するように命じていた。ペルシャ湾で米海軍は、イランの艦船に対する隠された戦争をも戦って…事実上、バース党軍の遣い走りとなっていた。

 マキアベリアン(策謀家)としてのレーガン政権は…戦争中にはイランに対しても多少の支援を行っていた。レーガンは(…イランが米国のテロリスト警戒リストにも載る国家だったにも関わらず)、対戦車兵器と対空兵器をペンタゴンの倉庫から盗み出して、ホメイニに違法に売却していた。彼は、イランに図ってレバノンのシーア派民兵勢力にも圧力を加えさせ…そして米国の人質を解放させたのだ。また、レーガンはイランからの資金を、ニカラグアでの暗殺部隊へと送っていた(それは米国の打ち立てた残虐な専制独裁主義へと対抗する民衆革命を封殺しようとするものだった)。…この資金供与とは米国の議会が、憲法の〔Boland修正条項〕において禁じていた送金行為だった。その悪しき当事者とは…当時、Fox ニュースに出演して虚偽の証言を振りまいていたオリバー・ノース(中佐)だった。
 彼らは…ニコラス・ケイジばりにナショナル・アーカイブス(国立公文書館)へと潜り込んで(*註)米国憲法のオリジナル文書を破壊し…それを数回続けてシュレッダーにかけて粉砕したのだ。 

 サダムの血塗られた戦争が一体、どの位の人々を殺したのかは明確ではない…。両国の側の犠牲者が、それぞれ25万人を下らないことも明らかだ。余りにも多くの若い男性たちが「失われた世代」となり─イランの政権は、(代わりに)女性たちを労働勢力に…また、大学にも送り込んだ(彼らは…女性たちには社会から隔絶された家庭に留まっていてほしかったにも拘わらず)。イラクでは、多くの未亡人が生まれたが─そのなかには、地位の低い第二夫人の身分に甘んじさせられた者もあり、あるいは単身世帯主(母子家庭などの)となるか…シーア派の慣習としての臨時の結婚をさせられ、テンポラリーな妻となった者たちもいた。イラクの外貨準備高は戦時中にかき消えて、特にクウェートに対する負債額が肥大した…そしてイラクは、1990年代にはクウェートに侵攻して同国を併合したのだ。サダムは彼に、信用貸しをした者たち(creditors)に対しては、犯罪組織のようなやり方で対処していた…。

 第2次イラン・イラク戦争が朧げに迫り来る…という現状のなかで、米国は「アルカイダとの同盟を望む組織」(ISISは、アルカイダ中枢部からは拒絶されたが…)と敵対するために、イランとの間での事実上の同盟を結ぶことだろう。それゆえ米国の立場とは、レーガン時代とは真逆のものと化すことだろう。

 実際のところISISとは…一説には、クウェートその他の湾岸諸国のサラフィ主義者の個人ビジネスマンたちから資金援助を受けているともいい…米国は1980年代における同盟者とは、正反対の極の者たちと同盟を結んでいるのだ。ある意味で…中東戦略における米国のつまづきとは…多くの課題において事実上…イランを支持する側へと転じながらも…それと同時に米国のレトリックが、シリア、その他の地域ではイランの敵を支持している…ということによるものだ。イラクやシリアにおいて…アルカイダにも酷似したグループに対抗する米国/イランの同盟というものは、両国の間の新たな友人関係と、米国の中東政策上の地殻変動とを明らかにする。インディードやロイター通信は、イランの首脳が米国との安全保障協力の可能性を提案している…とも報じる。そして、ひとつ明らかなことは─米国はイランなしには、肥沃な三日月地帯で米国の国益への究極の危機をもたらす…アルカイダの同盟者(やその志望者)たちを、やり過ごすことはできないということでもある。

http://www.juancole.com/2014/06/second-american-switch.html
(*註:映画「National Treasure」とはニコラス・ケイジ主演である)


参考記事
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2821485/Iran-general-said-mastermind-Iraq-ground-war.html
Revealed: How Iraq's military is fighting back ISIS... under the guidance of IRAN'S powerful general

http://www.businessinsider.com/suleimani-was-present-during-battle-for-amerli-2014-9