オサマ・ビン・ラディン殺害の約1週間前…WikileaksによるGuantanamo Bay尋問ファイルの公表で
急に不思議な詳細が明らかにされた
Osama bin Laden's escape: A tale of subterfuge and hard cash - By By ティム・リスター (4/28, CNN)
オサマ・ビン・ラディンの逃亡:言い訳と現金の物語
─オサマ・ビン・ラディンは2001年12月に、彼のアフガニスタンの隠れ処の周辺に迫った底引き網をいかに逃れたのか?
それは諜報関係者の間でも、また、私自身も含めTora Boraでの米軍の2週間近い集中的砲撃を目撃した者の間でも、長らく論争の的となってきた。多くのアナリストたちはビン・ラディンが山岳の合間の峠道を通って、ほんの数マイル先のパキスタンに抜けたと指摘してきた。しかしグアンタナモ・ベイ収容所抑留者の供述によるassessmentでは彼が別の方角に向かい、北部同盟のムジャヒディーンたちや、12月8日前後に我々がそのエリアで最初に目にした米軍特殊部隊の少数の派遣部隊の手から逃れたと示唆されている。
抑留者らにおける評価推定は今週ウィキリークスによって公表され、Washington Post紙やthe Guardian紙その他のメディアにも掲載された。
それらの内のひとつ、2007年に収集された情報はHarun Shirzad al-Afghaniという抑留者にまつわるものだ。Al-Afghaniは当時、アル・カイダと近い関係を持つHezb-e-Islami Gulbuddinなる武装グループの司令官だった。Al-Afghaniによればアル・カイダのリーダーは、パキスタンの武装兵士で宗教家のMaulawi Nur Muhammadという人物の助けで、そのエリアを逃れたという。そして彼が言うには、ビン・ラディンはJalalabadを目指して、後には遠く離れた北東部アフガニスタンのKunar県を目指して北に向かったという。
ウィキリークス:ビン・ラディンは、現金にがんじ絡めだった
彼のプロフィールの末尾にある短い幾つかのパラグラフには、al-Afghaniがアフガニスタンの戦争領主Gulbuddin Hekmatyarから「Tora Boraのアル・カイダの勢力と手を結び、オサマ・ビン・ラディンをその地域から隠密に脱出させよ」との命を受けたとの彼の言が引用されている。そのグループは、「Tora Boraにいるアラブ人たちとの無線によるコンタクトを失った」のだという(Hekmatyarは偶然にもいまだにこの地域の重要なプレーヤーの一人だが、タリバンと緩い連携関係を持ち、多くのアナリストが彼をアフガニスタンでのいかなる平和交渉でも重要なパートを担う者とみている)。
そしてここに、Plan B が浮上する。Al-Afghaniによれば、Maulawi Nur Muhammadが40人から50人の武装兵士たちを、ビン・ラディンと彼の代理人のAyman al-Zawahiriを遠くTora Boraからエスコートするべく送ったという。彼の助力の後には、Abu Turab al-Urdaniと呼ばれるアル・カイダの司令官(偶々、Zawahiriの義理の息子でもある)との会見がこれに続いた。al-Afghaniの供述のアセスメントでは、「Maulawi Nur Muhammadが彼に、彼らのTora Boraから以降の約10ヶ月にわたる逃亡について語った」という。抑留者たちの協力者だったHaji Abdul Abadは─2005年の8月から9月の間にJalalabadで米国の関係者を狙い自爆テロを指揮した者だが─そのUBLの逃亡の詳細が真実である旨を証明したという(UBLは、収監者に関する書類の中でのアルカイダのリーダー名の統一的略称)。
CNNが確認したその他のグアンタナモ抑留者のアセスメントでは、ビン・ラディンが12月11日に突然Tora Boraを発ったとされている。「UBLは、彼の選んだ少人数の者らと共に、突如Tora Boraを出発した」と、あるパートには書かれている。彼のボディガードらはその1、2日後に出発し、ホワイト山脈の地域の峠道を登ったが、そこで彼らは12月15日にパキスタンの民兵部隊によって拘束された。他の抑留者たちは(ビン・ラディンの護衛の)武装兵士らが、地元のアフガン人司令官らとの交渉に失敗した後の、12月16日前後のエクソダスについて語る。その当時にTora Bora近くに居たCNNのチームは、それら両グループの間の無線でのコンタクトに気づき、それについての報道をしているが─アル・カイダの武装兵士らを追い出すべく派遣されていた貧弱な装備の地元民兵は、明らかにその仕事には余り熱意がなかった。かくしてアル・カイダの上層幹部たちの逃亡は、そのエリアの多くの峡谷や、渓谷を通ってなされた。
おそらくビン・ラディンは、パキスタンとの国境地帯を渡ることは危険過ぎると考えたのだろう。いずれにせよ、al Afghaniは彼が、馬の背に揺られたKunar 県への旅路を前に、Jalalabad市の近くの安全な家まで旅し、そこで休息を取ったという─Kunarは岩だらけで険しい、暴力的な場所であり、多くの観察者は治めがたい土地であるという─そこでは今でもタリバンとアル・カイダが実質的に存在し、同盟国軍は恒常的に攻撃を受けている。Al-Afghaniは、ビン・ラディンがパキスタンとの国境を渡る前に、Kunarの地に2002年遅くまで滞在したという。
Al-Afghaniの供述の信憑性を確認することはできないが、彼は2007年2月にJalalabad近郊で拘束されるまで、アル・カイダのcourier(案内人)として、また援助者として真摯な信頼を得ていた。その書類では「この抑留者がアル・カイダの組織構造や作戦について、ユニークな情報をもたらした」とする。そしてそれは、CNNが他のソースから得た情報とも一致する。
その頃、アル・カイダのリーダーたちと繋がりの深かった男の一人にNoman Benotmanがいる─ 当時、アル・カイダと関係をもつリビアのイスラム武装グループの幹部だった男だ。彼は911の後、ビン・ラディンに近しい別のリビア人Abu Leith al Libbiと電話連絡をとっていた。Benotman はCNN のテロリズム・アナリストの Paul Cruickshankに対し、LibbiがKabul周辺での戦闘への援助を要請した際に、ビン・ラディンの返答は「アメリカ人と戦うものは誰でも、Tora Boraにおいて我々の後に続かねばならない」と語ったのだという(Benotmanは現在、英国の反テロリズム・シンクタンク、Quilliam Foundationのシニア・アナリスト)
彼がCNNに語った内容では、ビン・ラディンは彼自身の脱出について考えていた時、パキスタン国境の地元の人々を信用してはならないことを知っていたという─その無法地帯では犯罪者や麻薬運搬者が、アル・カイダのリーダーを米国が提示していた2千500万ドルの報奨金のために引き渡そうと考えることを躊躇するわけがなかったと。
Benotmanは、al-Afghani の示唆したのと同様に─Jalalabad付近の部族がビン・ラディンの逃亡後の隠れ処を提供し、恐らく彼はパキスタンの部族地帯を渡る前に1年近くの間アフガニスタンに留まっていたのではないか、と語る。
ビン・ラディンのTora Boraからの逃亡は、9月11日の攻撃と、Tora Boraの空爆の間の3ヶ月間のオデッセイ(放浪の旅)における最終ステージだった。抑留者たちのプロフィールから示唆されるのは、9月11日の直後に彼が彼の支持者らと活発に会い、Kandahar とKabulの間を旅し、そして彼の妻たちや家族のメンバーらをKandaharでの米軍の空爆から逃れるよう図っていた事だ。そして彼は莫大な現金を持っていた。ある書類が示唆するのは、彼はTora Bora の要塞地帯に向かう前に10万ドルをJalalabad周辺の地元の部族リーダーに寄贈したという。しかし彼は、熱心な支持者たちが散り散りに逃げ、あるいは拘束された中で─彼をTora Bora から逃亡させた男、Maulawi Mur Mohammedから7000ドルを借りる必要が生じた、とal Afghaniはいう。Mohammedに何が起こったのかは明らかでない。
個人的なことだが、私が2001年のクリスマスの直前にその地域を最後に発った時、私はCNNの為に働いていたパキスタン人の「フィクサー」と共に旅をした─その地域や、地域の多くの勢力間の同盟関係、競合関係に関して百科事典のような知識を持つ男だった。我々がJalalabadからパキスタン国境へと車で旅したとき、山々が両側から茫っと立ち現れた─Tora Boraを南に、また遠いKunarの原野を北にして。我々のフィクサーは北の方角を指し示して、「そこには、人間が誰一人として足を踏み込んだことのない地域がある」といった。「私は、ビン・ラディンはそこに行ったのだと信じている」。彼が正しかった可能性は大いにある。
http://edition.cnn.com/2011/WORLD/asiapcf/04/27/osama.escape/index.html
参考記事
http://www.washingtonpost.com/opinions/the-biggest-terrorist-catch-of-the-obama-era/2011/04/04/AFBkVPcC_story.html
The biggest terrorist catch of the Obama era
"Guantanamo Files"
http://www.nytimes.com/2011/04/25/world/guantanamo-files-lives-in-an-american-limbo.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=3&pagewanted=all
http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/secret-case-against-detainee-crumbles.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=1&pagewanted=all
Tuesday, May 3, 2011
サウジ・アラビアによる反革命が「アラブの春」の熱気を奪う Saudi counter-revolution cools Arab Spring - By Jim Lobe
サウジ・アラビアによる反革命が、「アラブの春」の熱気を奪う
─石油価格の高騰を怖れる米国の恭順さが、湾岸でのサウジのアジェンダ実現を助ける─By ジム・ローブ (4/24, アル・ジャジーラ英語版)
「リヤドの政府とその同盟者らが描写する、中東のスンニ派・シーア派間に一層深まっているという紛争のなかで…サウジは地域のイランの最大のライバルとして台頭しつつある」
いわゆる「アラブの春(Arab Spring)」がその6ヶ月目に入る今、それは深刻な冬の逆風に直面しているかのようだ。ウォッチャーたちのなかには、サウジとその近隣のスンニ派首長の国々を、湾岸諸国に吹きつける凍てつく風を巻き起こしている主な源として非難する人たちもいるが、米国や西欧の「価値観」と彼らの利益との間の食い違いが拡大していることが、この季節外れの悪天候を加速させているのだ。
かくして米国政府が…バーレーン(米国第五艦隊の母港の国)の多数派シーア派住民へのますます暴力的で無差別な弾圧とは賢明なものかどうかについて、強い疑念をプライベートに表明しつつも、サウジが後ろ盾となるその抑圧に対し明白な非難を述べることに失敗した…ということが、こうしたトレンドの最も露骨な実例となっている。
より知られていないが─非難さえもされていないことは、木曜日にUAE(アラブ首長国連邦)の政府が同国の法学者協会(Jurist Association)の幹部の会議を解散させたということだ─その会議とは同国での最も顕著な市民社会組織だったのだが…彼らは今月、先に政治的改革を求める嘆願書に(向こう見ずにも)署名していたのだ。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、その動きが政府による「平和的な反政府運動への拡大的弾圧」の一部であると述べたが、同国の事実上の国防大臣Mohammed bin Zayed Al Nahyan皇太子は来週、バラク・オバマ大統領に会う予定であると、金曜日にホワイトハウスが発表した。
もちろん、オバマによるリビアの「政権交代」への拡大する軍事的投資(たとえ不承不承といえども)にも関わらず、彼が手がける─ワシントンをアラブ世界における「歴史の正しい側に置く」ための素直な努力─ というものは、ますます不首尾で偽善的なものに見えつつある。
米国のみならず─他の西欧諸国もまた─サウジの政策、特に湾岸での政策を効果的に尊重して扱いながら、その地域で最も民主的な変革とは逆の方向へと賭けている(例えばエジプト軍への支持を強化しつつ、同時に実質的な経済援助を廃止するなど)─それによりエジプト軍が同国の防衛や外交政策、特に対イスラエル政策での支配権を維持するよう、明らかに望んでいるのが実態だ。
そんななかで、より一層理想主義的な…チュニジアのZine Al Abidine Ben Ali大統領やエジプトのHosni Mubarakの放逐に成功したような…初期の「民主主義志向のデモンストレーション」のイニシアチブをとった若者主導の運動は、イエメンやリビアでと同様に、より狭い宗派や部族・親族の利益のために行動するより利己的な勢力に取って代わられて、周縁に追いやられつつある。
サウジ主導の湾岸協力会議(GCC)が現状においてイエメンのサレハ大統領辞任を仲介しようとしている努力は─ワシントンはその件も何となく、不承不承に認めているのだが─ひとつのエリートのグループが…民主主義的な自由や自治拡大といったことに何らの展望も持たない、別のエリートのグループに取って代わられるだけの結末を生む可能性もある。
「米国は、現在の状況に関して主に語られる説明(ナレーティブ)、…つまり民主主義者と、抑圧者が今後もこの舞台を演じていくだろう、ということ…そしてそれが、部族vs.部族の争いや、持てる者vs.持たざる者の争い、あるいはより悪くすれば、イスラムvs.十字軍のキリスト教徒の争い…などに取って代わられていく恐れはないだろう…との確信をもっているのか?」と前・米国土安全保障省長官のMichael Chertoffと前CIA長官Michael Haydenは、金曜日のワシントンポスト紙で問いかけている。
石油、武器、そしてイラン問題
地域の明らかな反革命勢力であるサウジアラビア王国に対して表された尊重の念は、多くの要素によって説明される─それは少なくとも同国が、米国で石油価格がガロン当たり4ドルの高値に達したなかでの、日和見主義的な世界的産油国という役割だけからなされる説明ではない。米国の政治アナリストたちは、オバマの再選へのチャンスは─現状ではその可能性もとても高いが─来年のこの時期までに石油価格が下がることなしには、政治的に顕著な方策を失うだろう、と警告する。
「私の支持率は最近の危機のなかで上下しており、現状ではガソリン価格高騰が人々のうえに大きく影響している」とオバマ自身、今週初めにカリフォルニアでの資金集めイベントで述べている。
石油危機に加えてその大きな影響が及ぶものとして、サウジアラビアとUAEは米国の最新鋭の武器システム(その製造者たちは国内での顕著な国防予算削減の兆候を懸念しているが)を購入しているので、ワシントンと彼ら大口海外顧客との間の関係が緊張するリスク、という結果ももたらされる。
「大方のアメリカ人は、彼らの想像の及ぶ範囲では、米国がサウジにどの程度のレバレッジをもつのかを理解していない」と、前Defence Intelligence Agency (DIA)の中東アナリストで、退任したパット・ラング提督が、先週彼自身のブログSic Semper Tyrannisで語っている。
「彼ら(サウジ)は米国とのベーシックな関係性のあり方を変えることを決意し、今後はより独立的なコースを取り、これからは地域全体の革命的勢力に対してのレジスタンス(反動的な弾圧)をより奨励していく方向をとる」と彼は言う。
そして最後に、サウジアラビアは、UAEやバーレーン、クウェイト、ヨルダンの熱烈な支持を受けながらも、地域におけるイランとの第一の敵として台頭している─ リヤドの政権とその同盟者たちはより一層、それを中東のスンニ派とシーア派コミュニティに実存する紛争なのだと描写している。
彼らがテヘラン政府を、アラブ世界の内政に干渉していると非難することは、パワフルな「イスラエル・ロビー」(*米国の)の耳には心地のよい(音楽のような)ものだ─彼らが辛抱強く培ってきた、スンニ派主導の諸国政府を反イランのもとで統一するという「戦略的コンセンサス」のアイディアが遂に…彼らの分かち合う懸念…この地域での民主化がもたらすかもしれない重大な結果への懸念…という果実となって実ったかのようにもみえる。
かくして米国議会が、傷つき、沈みつつあるエジプト経済に対し、同国が政治的進化を遂げるこの決定的瞬間において実質的な援助をすることに躊躇するその理由とは、ワシントンが予算カットマニアに牛耳られているという故だけでなく、エジプトの未来の政府がキャンプ・デービッド合意に誠実であり続け、ガザ政策でもイスラエルに協力し続けることを確実化したい、という願望にも、同じく大きく依存している。
先週、エジプト政府がテヘランとの関係の正常化を開始すると決断したことは、民主的なエジプトというものが余りよい投資先ではないかもしれない、との信念を拡大させた。しかし、アラブの春を冷却させている風は、灼熱の暑い夏に向かう可能性もある、とアナリストたちは警告する(アナリストたちは、サウジによる反革命によって同国内や中東全域で益々深まる二極化が、米国と現状でのその地域の同盟国により大きな加速的リスクをもたらすと信じているが)
「現状は、特にイランとそのアラブの近隣諸国との間のとげとげしさが拡大していることによって、益々緊急さを増している」と、米国平和研究所が今週発表したルトガース大学のToby Jonesの論文は指摘する。その論文は、もしもワシントンの米政権が、より確実な役割を果たさない場合に、それは「いまひとつの軍事闘争に引き込まれるかもしれない」と警告している。
彼は、ワシントンとその同盟国が、サウジに対し自制と改革を促してきた静かなアピールは無視されるか、拒否され続けてきたとしつつもこう付け加える… 怖れられているイランの影響力の拡大というものが(サウジによる)自らの予言の成就をももたらすであろうと─それは確かに、バーレーンによって実現した─。Elliott Abramsのごとき著名なネオコン強硬論者が今週、自らのブログにおける「破滅に向かうバーレーン(Bahrain Heads for Disaster)」と題する投稿できっぱりと同意していた点だ─それがサウジアラビア自体を含みつつ、より広範な地域におけるものではないにせよ。
「リヤドの政府がその現在行く道を守り続けるべきなら、米国は、軍事的な関与についての再考が必要であることを明かにせねばならない」と─ ワシントンは1979年のイラン革命以前と同様、その地域での利益を「水平線の彼方から」保護できるだろう、と指摘するJonesは述べている。
(Jim Lobeは Inter Press Serviceのワシントン支局チーフ)
http://english.aljazeera.net/indepth/opinion/2011/04/2011424133930880573.html
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「US -サウジ」のリビアに関する取引が露呈…反革命の甘い匂いBy ペペ・エスコバル
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2011/04/sweet-smell-of-counter-revolutionby.html
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