Tuesday, May 3, 2011

オサマ・ビン・ラディンの逃亡:言い訳と現金の物語 Osama bin Laden's escape: A tale of subterfuge and hard cash - By By Tim Lister

オサマ・ビン・ラディン殺害の約1週間前…WikileaksによるGuantanamo Bay尋問ファイルの公表で
急に不思議な詳細が明らかにされた

Osama bin Laden's escape: A tale of subterfuge and hard cash - By By ティム・リスター (4/28, CNN)
オサマ・ビン・ラディンの逃亡:言い訳と現金の物語

 ─オサマ・ビン・ラディンは2001年12月に、彼のアフガニスタンの隠れ処の周辺に迫った底引き網をいかに逃れたのか?

 それは諜報関係者の間でも、また、私自身も含めTora Boraでの米軍の2週間近い集中的砲撃を目撃した者の間でも、長らく論争の的となってきた。多くのアナリストたちはビン・ラディンが山岳の合間の峠道を通って、ほんの数マイル先のパキスタンに抜けたと指摘してきた。しかしグアンタナモ・ベイ収容所抑留者の供述によるassessmentでは彼が別の方角に向かい、北部同盟のムジャヒディーンたちや、12月8日前後に我々がそのエリアで最初に目にした米軍特殊部隊の少数の派遣部隊の手から逃れたと示唆されている。

 抑留者らにおける評価推定は今週ウィキリークスによって公表され、Washington Post紙やthe Guardian紙その他のメディアにも掲載された。

 それらの内のひとつ、2007年に収集された情報はHarun Shirzad al-Afghaniという抑留者にまつわるものだ。Al-Afghaniは当時、アル・カイダと近い関係を持つHezb-e-Islami Gulbuddinなる武装グループの司令官だった。Al-Afghaniによればアル・カイダのリーダーは、パキスタンの武装兵士で宗教家のMaulawi Nur Muhammadという人物の助けで、そのエリアを逃れたという。そして彼が言うには、ビン・ラディンはJalalabadを目指して、後には遠く離れた北東部アフガニスタンのKunar県を目指して北に向かったという。

ウィキリークス:ビン・ラディンは、現金にがんじ絡めだった

 彼のプロフィールの末尾にある短い幾つかのパラグラフには、al-Afghaniがアフガニスタンの戦争領主Gulbuddin Hekmatyarから「Tora Boraのアル・カイダの勢力と手を結び、オサマ・ビン・ラディンをその地域から隠密に脱出させよ」との命を受けたとの彼の言が引用されている。そのグループは、「Tora Boraにいるアラブ人たちとの無線によるコンタクトを失った」のだという(Hekmatyarは偶然にもいまだにこの地域の重要なプレーヤーの一人だが、タリバンと緩い連携関係を持ち、多くのアナリストが彼をアフガニスタンでのいかなる平和交渉でも重要なパートを担う者とみている)。

 そしてここに、Plan B が浮上する。Al-Afghaniによれば、Maulawi Nur Muhammadが40人から50人の武装兵士たちを、ビン・ラディンと彼の代理人のAyman al-Zawahiriを遠くTora Boraからエスコートするべく送ったという。彼の助力の後には、Abu Turab al-Urdaniと呼ばれるアル・カイダの司令官(偶々、Zawahiriの義理の息子でもある)との会見がこれに続いた。al-Afghaniの供述のアセスメントでは、「Maulawi Nur Muhammadが彼に、彼らのTora Boraから以降の約10ヶ月にわたる逃亡について語った」という。抑留者たちの協力者だったHaji Abdul Abadは─2005年の8月から9月の間にJalalabadで米国の関係者を狙い自爆テロを指揮した者だが─そのUBLの逃亡の詳細が真実である旨を証明したという(UBLは、収監者に関する書類の中でのアルカイダのリーダー名の統一的略称)。

 CNNが確認したその他のグアンタナモ抑留者のアセスメントでは、ビン・ラディンが12月11日に突然Tora Boraを発ったとされている。「UBLは、彼の選んだ少人数の者らと共に、突如Tora Boraを出発した」と、あるパートには書かれている。彼のボディガードらはその1、2日後に出発し、ホワイト山脈の地域の峠道を登ったが、そこで彼らは12月15日にパキスタンの民兵部隊によって拘束された。他の抑留者たちは(ビン・ラディンの護衛の)武装兵士らが、地元のアフガン人司令官らとの交渉に失敗した後の、12月16日前後のエクソダスについて語る。その当時にTora Bora近くに居たCNNのチームは、それら両グループの間の無線でのコンタクトに気づき、それについての報道をしているが─アル・カイダの武装兵士らを追い出すべく派遣されていた貧弱な装備の地元民兵は、明らかにその仕事には余り熱意がなかった。かくしてアル・カイダの上層幹部たちの逃亡は、そのエリアの多くの峡谷や、渓谷を通ってなされた。

 おそらくビン・ラディンは、パキスタンとの国境地帯を渡ることは危険過ぎると考えたのだろう。いずれにせよ、al Afghaniは彼が、馬の背に揺られたKunar 県への旅路を前に、Jalalabad市の近くの安全な家まで旅し、そこで休息を取ったという─Kunarは岩だらけで険しい、暴力的な場所であり、多くの観察者は治めがたい土地であるという─そこでは今でもタリバンとアル・カイダが実質的に存在し、同盟国軍は恒常的に攻撃を受けている。Al-Afghaniは、ビン・ラディンがパキスタンとの国境を渡る前に、Kunarの地に2002年遅くまで滞在したという。

 Al-Afghaniの供述の信憑性を確認することはできないが、彼は2007年2月にJalalabad近郊で拘束されるまで、アル・カイダのcourier(案内人)として、また援助者として真摯な信頼を得ていた。その書類では「この抑留者がアル・カイダの組織構造や作戦について、ユニークな情報をもたらした」とする。そしてそれは、CNNが他のソースから得た情報とも一致する。

 その頃、アル・カイダのリーダーたちと繋がりの深かった男の一人にNoman Benotmanがいる─ 当時、アル・カイダと関係をもつリビアのイスラム武装グループの幹部だった男だ。彼は911の後、ビン・ラディンに近しい別のリビア人Abu Leith al Libbiと電話連絡をとっていた。Benotman はCNN のテロリズム・アナリストの Paul Cruickshankに対し、LibbiがKabul周辺での戦闘への援助を要請した際に、ビン・ラディンの返答は「アメリカ人と戦うものは誰でも、Tora Boraにおいて我々の後に続かねばならない」と語ったのだという(Benotmanは現在、英国の反テロリズム・シンクタンク、Quilliam Foundationのシニア・アナリスト)

 彼がCNNに語った内容では、ビン・ラディンは彼自身の脱出について考えていた時、パキスタン国境の地元の人々を信用してはならないことを知っていたという─その無法地帯では犯罪者や麻薬運搬者が、アル・カイダのリーダーを米国が提示していた2千500万ドルの報奨金のために引き渡そうと考えることを躊躇するわけがなかったと。

 Benotmanは、al-Afghani の示唆したのと同様に─Jalalabad付近の部族がビン・ラディンの逃亡後の隠れ処を提供し、恐らく彼はパキスタンの部族地帯を渡る前に1年近くの間アフガニスタンに留まっていたのではないか、と語る。

 ビン・ラディンのTora Boraからの逃亡は、9月11日の攻撃と、Tora Boraの空爆の間の3ヶ月間のオデッセイ(放浪の旅)における最終ステージだった。抑留者たちのプロフィールから示唆されるのは、9月11日の直後に彼が彼の支持者らと活発に会い、Kandahar とKabulの間を旅し、そして彼の妻たちや家族のメンバーらをKandaharでの米軍の空爆から逃れるよう図っていた事だ。そして彼は莫大な現金を持っていた。ある書類が示唆するのは、彼はTora Bora の要塞地帯に向かう前に10万ドルをJalalabad周辺の地元の部族リーダーに寄贈したという。しかし彼は、熱心な支持者たちが散り散りに逃げ、あるいは拘束された中で─彼をTora Bora から逃亡させた男、Maulawi Mur Mohammedから7000ドルを借りる必要が生じた、とal Afghaniはいう。Mohammedに何が起こったのかは明らかでない。

 個人的なことだが、私が2001年のクリスマスの直前にその地域を最後に発った時、私はCNNの為に働いていたパキスタン人の「フィクサー」と共に旅をした─その地域や、地域の多くの勢力間の同盟関係、競合関係に関して百科事典のような知識を持つ男だった。我々がJalalabadからパキスタン国境へと車で旅したとき、山々が両側から茫っと立ち現れた─Tora Boraを南に、また遠いKunarの原野を北にして。我々のフィクサーは北の方角を指し示して、「そこには、人間が誰一人として足を踏み込んだことのない地域がある」といった。「私は、ビン・ラディンはそこに行ったのだと信じている」。彼が正しかった可能性は大いにある。
http://edition.cnn.com/2011/WORLD/asiapcf/04/27/osama.escape/index.html

参考記事
http://www.washingtonpost.com/opinions/the-biggest-terrorist-catch-of-the-obama-era/2011/04/04/AFBkVPcC_story.html
The biggest terrorist catch of the Obama era

"Guantanamo Files"
http://www.nytimes.com/2011/04/25/world/guantanamo-files-lives-in-an-american-limbo.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=3&pagewanted=all

http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/secret-case-against-detainee-crumbles.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=1&pagewanted=all

No comments: