Saturday, October 3, 2009

《8年目の911…50の問い》/Fifty questions on 9/11 By Pepe Escobar


9/11の未だに解決されない疑問点─
8年目の今、ペペ・エスコバルが新たにピックアップした!


9/11についての50の問い By ペペ・エスコバル (9月11日、AsiaTimes)
  
8年の月日を経たいま、9月11日が完全に再来している… ジョージ・W・ブッシュ政権は舞台から去った。そして“テロとのグローバルな戦い(global war on terror)”は続いている…バラク・オバマの政権によって、それは"海外での有事についての作戦 overseas contingency operations"と改名されたものの。

 オバマの“新戦略”─つまり戦争のエスカレーション(戦争を徐々に拡大する政策)─はAfPak(アフガン・パキスタン戦略)において展開中だ。Osama bin Ladenは死んだかもしれず生きているかもしれない。"Al-Qaeda"は全ての心を捉える幽霊のような存在だ。9月11日─ネオコンたちの"新しいPearl Harbor"─は、若い21世紀の最も暗いジグソーのままだ。

  米国の支配層メディアやエリート政治家たちが真実を明かすように要求したり、2001年9月11日の米国への攻撃について徹底調査を求めるよう、期待するのは無意味だ。ホワイトウォッシュ(誤魔化し、取り繕い)こそが標準のnormなのだ。しかし、いくら既存の権力が、Dr.ズビグニュー・ブレジンスキーの"大いなるチェスボード(Grand Chessboard")の議論《*註:米国のユーラシア大陸での国際戦略を描くブレジンスキーの著書の題》等に光を当てても、前の国家安全保障アドバイザーのブレジンスキーは、ポスト9・11の“対テロ戦争”に関し、米国議会が“歴史をまるで神話のように語っている…”と認めている。

 次に掲げた多くのパートからなる質問は──9/11調査委員会によってもほとんど完全に無視された点ばかりだが…9・11の巨大な氷山の一角に過ぎない。これは、911 truth.orgや、whatreallyhappened.comが根気よく行ってきた問題提起…9/11 truth運動を構成したアーキテクトやエンジニアたちによるもの、イタリアのドキュメンタリー“Zero”による9/11の調査、Asia Times Onlineの読者からのEメール、などによるものだ。

 これらの質問にはどれにも納得できる答えが出されたことがない…オフィシャルな語り口においては。それは米国の市民社会が、圧力を維持できるかどうかにかかっている。この事件から8年がたち、緊急に導かれる根源的な結論とは: 9/11のオフィシャルな証拠は受け容れがたい、という結論だ。

Fifty questions (50の問い…抜粋)

1) 生死不明のままのOsama bin Laden は、なぜ連邦捜査局(FBI)によって、9/11事件の責任ある犯人として未だに公式に訴追されないのか?それは米国政府が…FBI自身も認めるように…結論を導くことのできるひとつの証拠すらも得ていないからなのだろうか?

2) なぜ当局は、19人のかみそり刃のボックス・カッターを持つモスレムといわれた実行者たちの全員を、72時間以内に──犯罪の現場検証もされない内に犯人だと特定できたのか?

3) なぜその19人のうちの一人の名前すら、事件当日ユナイテッド航空とアメリカン航空によって公表された乗客リストのなかに載っていなかったのか?

4) なぜ、FBIの最初の“オリジナル”リストに載っていた人名のうち8人は、別の国で生存していることが偶然にも判明したのか?

5) なぜ、信心深いジハード戦士だったMohammed Attaは、飛行機操縦のビデオ・マニュアルとユニホームと、彼の最後のメモを(自爆ミッションに向かっていると知りつつ)、彼のバッグの中に残したのか?

6) なぜMohammed Attaは、6つもの米国海軍の訓練基地のハブ(中枢地点)にあるOpa Lockaでフライト・シュミレーションを学んだのか?

7) なぜMohammed Attaのパスポートが、フライト・レコーダーの1つも発見できなかったWord Trade Centerの瓦礫のなかから、魔法のように見つかったのか?

8) 誰が、これらの4つの航空便から姿を消したこの─破壊不可能な──8つのブラックボックスを持っているのか?

9) 米国内で出ていた、テロの可能性を示す複数の非常警報(レッド・アラート)のことを想起すれば─前国務長官コンドリーサ・ライスの悪名高き2001年6月のメモを含めて─ コンピュータ制御の空路をはずれてレーダーの追跡から逃れていた4機のハイジャック機がなぜ、米国の上空を1時間半以上も自由に飛びまわれたのか?─そのときペンタゴンの防衛システムを作動不能状態にしたことは言うまでもなく?

10) なぜ米国空軍長官だったJames Roche はWTCに衝突した2機の旅客機(ニュージャージーのMcGuire空軍基地から7分しか離れていない地点にいた)の阻止すらも試みず、またペンタゴン(McGuire基地からたった10分の距離の)への衝突も阻止しようとしなかったか?Rocheにはペンタゴンに旅客機が衝突するまで75分間以上も時間があったのに?

11) なぜGeorge W.Bushはフロリダの学校で "My Pet Goat"(私の山羊さん)の話を繰り返し、シークレットサービスによって即座に“逃亡”させられなかったのか?

12) ブッシュは、どうやって最初の飛行機がWTCにぶつかったのをライブで見ることができたのか─彼があとで、そうと認めたように?彼はそれについての事前知識があったのか…それとも彼は超能力者だったのか?

13) ブッシュは彼とAndrew Card が、当初、最初のWTCへの衝突は小型機の事故だろうと思ったと言った。FAAもNORADも、そのとき既にそれはハイジャックされた飛行機だと知っていたのに、それは何故なのか?

14) 4機の異なる飛行機の自動発信応答装置(トランスポンダー)のスイッチが殆ど同時に、同じ地理的エリア(国の権力の中枢ワシントンからの至近距離)にありながらオフだった奇妙な状況がなぜおきたのか、そしてなぜ誰もペンタゴンまたは報道メディアに我先にコンタクトをとらなかったのか?

15) 国防長官のDonald Rumsfeldは、アンドリュー空軍基地には出動可能な戦闘機がなかったと当初、メディアで報道され、その後の訂正で─空軍機はあったものの高度警戒態勢にはなかった、とされた理由を説明できるか?

16) なぜ、ワシントンのDC Air National Guard が9/11にはAWOL(無断欠勤状態)だったのか?

17 ) なぜ、ニュージャージーのMcGuire空軍基地のジェット機が、7分以内にそれが遂行可能だったにも関わらず、2機目のハイジャック機がWTCに衝突することを阻もうとしなかったのか?

18 ) なぜAndrews 空軍基地の空軍機はたった16キロしか離れていなかったペンタゴンに衝突する航空機を妨げなかったのか?そしてその件で、なぜペンタゴンはその衝突の全貌のビデオを公表しないのか?

19 ) 多くの熟練航空機パイロットたち─米国の同盟国、エジプトの大統領・元戦闘機パイロットのホスニ・ムバラクを含めて─が暴露しているように…、よほど優秀なパイロットしかあのハイジャック機の行ったような複雑な飛行はできないといい、また他の人々は、リモートコントロール以外では不可能だという。つまりそれは、ハイジャッカーたちがそうした熟練技術に達していたことを意味するのか?

20) なぜ多くの目撃者たちが、WTCの2つのタワーのなかで何回もの爆発があったのを目撃し、その音も聴いたと誓って証言するのか?

21) なぜ、多くの名声ある建築家や技術者たちが頑固に主張するごとく─「ツインタワー」の史上まれな崩壊、そしてWTCの7号棟の崩壊(航空機が衝突したわけでもないのに)が、オフィシャルになされている説明ではまったく説明できないのか?

22 ) WTCの建築監督だったFrank de Martiniによれば、「我々はこのビルをもう一機の航空機の衝突に耐える強さに設計した」という。2機目の航空機は、タワー1をほとんどかすめただけで、大半の燃料は同タワーの外で燃えた。しかしタワー1は最初に倒壊した─1機目によって「大穴をうがたれた」タワー2が崩壊する大分前に。ジェット燃料はすばやく燃焼し、タワーの主柱の6本の鋼鉄製チューブを傷めるほどの2000度の高温には達しない(その柱はボーイング707の衝突によっても倒壊しないように設計されていた。)707はかつてボーイング757や767(実際に衝突した機種)より多くの燃料を積んでいたのだが。

23 ) なぜ、市長のルドルフ・ジュリアーニはWTCの瓦礫をリサイクルせず、即座に中国とインドに送ることを許可したのか?

24 ) なぜ、ペンシルバニアで墜落した航空機の残骸は墜落地点から13キロ以内で発見されたのか?同機は実際に撃墜されたのか─チェイニー副大統領の命令によって?

25) アフガニスタンのパイプラインへの疑問──なぜ、米国大使 Wendy Chamberlainは2001年10月10日にパキスタンの石油大臣と電話で喋っていたのか?それは彼に、1990年代にタリバンによる道路通行料の要求に阻まれて放棄されていたUcnocal社のガス開発事業TAP(Turkmenistan/Afghanistan/ Pakistanでの)のビジネスが再始動したと話していたのか?(2ヵ月後に両国の間でそのパイプライン建設の合意が締結されたが)。

26) なぜ、前ロビイストでかつてブッシュのペットだったアフガン人のZalmay Khalilzadがアフガンに(米国のアフガニスタン大使として)赴任したのか?

27 )なぜ、パキスタンの前外相であるNiaz Niakは2001年の7月中旬に、米国はすでに10月までにOsamaBin Ladenとタリバンを攻撃すると語ったのか?その話題は、パキスタンの外交筋によれば、7月のジェノヴァでのG8サミットの場で秘密に語られたというが?

28) なぜ、当時駐イエメンの米国大使Barbara Bodineが、2001年7月にFBI捜査官のJohn O'Neill にAl Qaedaの資金供給に関する捜査を打ち切るようにと要請し──、その直後にO'Neill はWTCのセキュリティーに関する仕事に異動させられ、そこで彼が911に死んだのか?

28 )タリバンとパキスタンの諜報部(ISI)の関係を考えるに、そしてISIとCIAの関係を考慮した場合、いったいBin Ladenは生きているのか死んでいるのか?もしくは彼は、依然としてISIにとって、またはCIAにとっての価値ある存在なのか…あるいはその両方にとってなのか?

30) Bin Ladenは実際に2001年の7月4日に、パキスタンのクエッタからの空の旅の後、UAEのドバイのアメリカン・ホスピタルに入院して7月11日まで治療を受けていたのか?

31) Bin Ladenグループ は1980年代の対ソビエトのジハード戦の時代に、トラボラの洞窟(caves)をCIAとの緊密な協力のもとに作ったのか?

32) なぜトミー・フランクス将軍は、Bin Ladenが2001年の11月末にTora Boraに隠れていると確信できたのか?

34) なぜ、ジョージ・ブッシュはBin Laden Task Force(ビン・ラディン捜査タスク・フォース)を9/11以前に解散したのか?

35) なぜ、Bin Laden の偽造のホーム・ビデオ──彼がそのなかで9・11の実行犯だと“告白”する物──はそれが11月9日に制作されたたった2週間後の2001年12月13日に公開されたのか?それは本当にJalalabadで発見されたのか?(北部同盟も、米軍もまだそこに到達していなかったのにも関わらず?)誰が発見したのか?ペンタゴンはその最初の下手くそな翻訳版のあと、なぜ新しい翻訳版を出さねばならなくなったのか?

36) なぜISIのMahmud Ahmad主任中将は2001年10月8日、米軍がアフガニスタン空爆を開始した日に突然”退職”したのか?

37) Ahmadは9月11日の週にワシントンで正確には何の用事があったのか?(彼は9月4日にそこに到着しているが?)9月11日の朝、Ahmadはキャピトル・ヒルでBob GrahamとPorter Gossと朝食を共にした── 彼らは共に後に9/11 Commissionのメンバーとなったが、同委員会はこの2人のメンバーに関する調査をすっかり拒否している。Ahmadはまた、9月12、13日に国務省のRichhard Armitageと朝食をとり(パキスタンが”対テロ戦争”への協力について交渉していたとき)そして彼はCIAとペンタゴンの、全ての高級幹部たちに会っている。9月13日にはMusharraf首相が、Ahmadをアフガニスタンに送りタリバンに対しBin Ladenの引渡しを求めさせるつもりだと語っている。

38) ISIの内部の誰が、2001年夏にMohammed Attaに──インドの諜報部の主張によると…Ahmad自身の指示のもとで──10万米ドルを送金したのか? その人物とは本当に、ISIの工作員のOmar Sheikh…(BinLadenのITスペシャリストで、後に米国のジャーナリストDaniel Pearlをカラチで暗殺する作戦を遂行した人物…)だったのか?つまりISIは9・11に直接つながっていたのか?

39) FBIは、2001年の9月8日にニューヨーク市のヘルムズレイ・ホテルのHarry's Barで、Mohammed Atta とMarwan al-Shehhiに逢っていたという2人の影の人物について捜査したのか?

 ……以下略
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/KI11Ak02.html

*911の陰謀論を説く911Truth.Orgに熱心な人や未だにその疑問を論じ合う人は欧米のネット上でTruthersとかTroofersとか呼ばれている…この運動は2005,6年頃に盛り上がりを形成し米政府に再調査を要求したりした──このTrutherのサイトが、Escobarの上記リストの主なソースにもなっている。(疑問点がカテゴリー分けされていて、分かり易い─Van Jonesもこのサイトの声明に署名していたとのことで、解雇の理由にされた…)
  ↓
THE TOP 40(Tuesday, May 16 2006) - 

REASONS TO DOUBT THE OFFICIAL STORY OF SEPTEMBER 11th, 2001
http://911truth.org/article.php?story=20041221155307646

*Escobarは、翌週に幾問かの追加の問いをAtimesでさらに掲載している:
More questions on 9/11 By Pepe Escobar
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/KI18Ak02.html