Tuesday, June 28, 2011

彼はなぜBiなのか?…溜息。 Why Is He Bi? (Sigh) - By Maureen Dowd


彼はなぜBiなのか?(…溜息) By モーリーン・ダウド (6/25, NYTimes)

 彼は、そのように生まれついた。

バイ。

 両性愛者(バイセクシュアル)のことではない。超党派(バイパルチザン)のことでも、勿論ない。彼は、二元的な(バイナリーな)人間なのだ。

 我々の大統領は、同時に両方のサイドに立つことが好きなのだ。

 アフガニスタンでは、彼は米軍を撤退させたいと思いつつも、同時に、軍を踏み留まらせたいと思っていた。
 彼は兵力を増派しながら、同時に撤退も行った。彼は、「対反政府勢力counterinsurgency」の戦略には数が少なすぎるが…「対テロcounterterrorism」の戦略には多すぎる兵力をそこに残してきた…彼は二つの戦略を同時に行いたいようだった…我々の仕事は終わった、だが…我々はまだそこに留まる必要がある/我々の仕事は終わっていないが、去ることもできる。
 
 対リビアの戦略では、オバマ大統領は背後から状勢を指揮したいと思っている。彼はカダフィへの敵対心に関与しているものの、議会ではカダフィへの敵対心はもっていないのだといっている。

 国の予算に関しては、彼は支出を抑えたいと望みつつ、支出の増加も望んでいる。環境政策では、彼はエネルギー生産高を増やしたいと願っているが、油田の掘削には消極的だ。ヘルスケアの問題では、彼は国民の誰もが医療保険でカバーされてほしいと願っているが、ユニバーサル・ヘルスケア(国民皆保険)のシステムは推していない。ウォール・ストリートでは、彼はFat cats(金持ち)らを激しく攻撃するが、カクテル・パーティでは彼は、彼らのfat(脂肪)の一部を、彼自身への選挙資金として集金したがっている。

 政治の場では、彼は対抗勢力の人間と友だちになることを好むが、彼らのことをバッシング(非難)もしている。他の人々にとってバイ・パルチザンシップ(超党派であること)とは…彼らの元々の政治的アイデンティティを超越することを指すが、オバマ大統領にとっては…それは、彼自身がすべての他者の政治的アイデンティティを分かち合うことを意味する。彼は彼自身である、ということを除けば、いずれのサイドにも深く連携していないようにみえる。

 彼は、大胆な変革(change)という考えのもとに大統領へと選出された、しかし今や…オサマの捕捉と彼がパキスタンやイエメンで行った無人偵察機での作戦を除けば…彼はそれを安泰なやり方(彼にとっての)で遂行している。彼はいつもと同様に、政治的な責任を回避するが、政治的には完全に曲がりくねった態度を示している。
 
 クリントン夫妻による2008年の選挙キャンペーンを打ち負かすことのできた男(…それはなぜならこの国が、クリントン主義者たちの婉曲語法と詭弁から、逃れたいと願っていたからだ)…は今や、婉曲語法と詭弁の新たなるクリエイティブな地平線を切り開いているのだ。

 オバマは同性婚(gay marriage)の問題では「進化」を遂げているのだが─それは、女の子だったら、誰でもあなたにこう説明できるだろう…それは彼の人間関係恐怖症の、初めの兆候なのだと。

 恐らく、2012年の中間選挙戦に向けて走り出したいま、経済戦略や戦争戦略でのすべての悩みのタネに加えて、オバマは自身の党の内部のホモ嫌い勢力からの否認に、恐れを抱いているのだ。しかし彼は、彼が同性婚に気乗り薄である理由とは、彼のクリスチャン精神の表れだという説明を試みた…彼は滅多に教会に行くこともなく、世俗的人間主義者(ヒューマニスト)、そのものであるにも関わらず。

 火曜の夜にマンハッタンで開かれた集金のためのゲイ&レズビアンのガラ・パーティで、600名以上のゲストの4分の3から何百万ドルもの選挙資金を集めつつ、大統領は「ゲイ・カップルはこの国のすべての他のカップルと同様の法的権利が与えられるに値する、と私は信じる」と─この問題の決定権が各州に委ねられるとの立場を守りながらも宣言した。

 彼はニューヨーク州のカソリックの大司教、Timothy Dolanほどに酷くはない─木曜日に大司教は、今度は「ナショナル・カソリック・レジスター」誌のインタビューで再び、不機嫌そうに答えていた、「あなたはこの件が、これで終わりだと思うのか?今度は重婚者たちも、自分らの結婚する権利を主張し出すと思わないのか?今や自分の妹と結婚したいと思っている誰かが、"自分には、その権利があるのか?”などと問わないだろうか?要するにそれとこれとは、方針が同じじゃないのか?」

 大司教は、このように結論した…「次に起こることは、ご存知の通りこうだ。彼らは野球の各イニングには4回のアウトがある、と主張するだろう。これはクレージーだ」(彼は連邦判事の Scaliaのような口調になってきている)

 オバマの同性婚問題に対する消極性は、我々の知っている彼のプログレッシブな世界観と比べると、大いに、そしてわざとらしいほど一貫性を欠いている。そして最初の黒人大統領が金曜日の夜に、オルバニー(NY州議会)で同性婚の法案を通過させた(州知事の)Andrew Cuomoを…我々の時代の市民権運動における前線のリーダーとして、歴史に名を残させようなどとするなんておかしなことだ(*写真:Gay Marriage認可法案を成立させて大人気の、Andrew Cuomo NY州知事!)

 しかし大統領にとっては「非常に差し迫った緊急性」というものは、ゲイのコミュニティから小切手を貰うためだけに適用されるものであり、今こそ同性婚を認める時だ、と考えるすべての米国人のスピードに追いつこう、というものではない

「Don't ask, Don't tell(*"DADT"=軍における同性愛者差別撤廃のため…そのことを内密にすれば咎めない、とする連邦法…2010年同法の撤廃案が可決されたが現在は保留中、近く施行される)」のもとでは、オバマは今や大衆を率いてはおらず、大衆を追っている。そして、もっと悪いことには…変革への一陣の風に吹き上げられた若い、ヒップな黒人大統領は大胆さと希望(audacity and hope*オバマの自伝のタイトル)においては、二人ほどの老いた白人の保守派…Dick CheneyとTed Olsonにも後れを取っているのだ。
 (*Dick Cheneyの娘のElizabeth Cheneyは、同性愛者だと知られている。*Ted OlsonはBush政権前期の訴訟長官だが、退任後にカリフォルニアの同性婚禁止の撤廃に尽力した人物…) コミュニティ・オーガナイザーとして、オバマはその、感情移入のめざましい才能を進化させてきた。しかし今や、彼はそれを間違った方法で用いている。部屋の中のすべての人々の考え方を知るだけでは、十分ではない。あなたは部屋の中の誰が正しく、彼と共に立つべきなのかを決める必要があるのだ。リーダーとはmediator(仲裁者)やumpire(審判員)ではなく、convener(会議の議長)でも、facilitator(世話役)でもないのだから。

 Chris Christieが時々、そう言うように、「大統領は、姿をみせるべき」なのだ。

 すべての言葉の曖昧さで、オーバル・オフィスの男は彼のアイデンティティをシールドし、本当のバラク・オバマは誰なのかを覆い隠している。

 彼は、ゲイのコミュニティからインスピレーションを得るべきなのだ: いずれにせよゲイたちがすべきひとつのこととは…すべてのコストを支払ってでも、彼らとは何者なのかを宣言することなのだから。

 この国が直面している最も重要な幾つかの課題において大統領は、もう箪笥の中に隠れておらず、カミングアウトすべきだ。

http://www.nytimes.com/2011/06/26/opinion/sunday/26dowd.html?ref=maureendowd