Tuesday, April 12, 2011

NATO侵攻後のリビア Libya, after the NATO invasion By Mahmood Mamdani


NATO侵攻後のリビア By マフムード・マムダーニ (4/9, English Al-Jazeela)
 

 *写真:リビアのMuammar QaddafiとスーダンのOmar Al-Bashir. The Despot Index


 2010年の国連の人間開発指数(HDI)─それは健康や教育、所得額といった複合的な基準により評価されるものだ─では、リビアは世界で第53位に、アフリカでは第1位にランクされている。

 42年前に王が退位させられたときには田舎の後進国だったこの国は、今日ではモダンな経済と高い識字率を有する。この一つの事実は、カダフィが彼の支配の歴史的な正当性を主張するときの主な論点となっている。

 リビアに関して今日しばしばなされる議論は二分される: 一方の側は抑圧された(リビアの)人々との団結を強調し、もう一方の側はさらなる西欧世界との戦争への反感を含めて語られる。

 西欧の同盟国がリビアに飛行禁止区域を設定した直後にニューヨークタイムズは、米国東海岸にあるカレッジのリビア人の政治学教授の意見を掲載した。Ali Ahmida はカダフィの支配を、上述の今日の二つの議論を代表する二つの時期に分けて論じた─

若いカダフィの印象 Impressions of a young Gaddafi


 その最初の20年間…と彼は書く…革命は普通のリビア人に多くの便益を与えた; 広汎な識字率、無料の医療サービスや、教育、そして住環境の改善。特に女性たちは便益を享受し、彼女らは閣僚や大使、パイロット、判事や医師となった。政府は下流・中流階級からの広い支持を受けた。

[Ali Ahmidaの記事引用:しかし80年代以降に始まったものとして、過度な中央集権や、治安勢力がより抑圧的となり法の秩序が低下したことが、本来のポピュリズムの実験を損ねた。法廷や大学、労働組合や病院は弱まった。70年代には多くのペルシャ湾岸諸国などよりもリビア社会をより民主的にみせていたはずの、リビアの社会を形づくる市民組織は衰退し、または排除された。敵対的な国際情勢、そして石油収入の変動が体制への圧力を強めた。

 英雄崇拝の儀礼は汎アフリカ主義のイデオロギーへと変貌していった。それは暴力をも孕んで行った。度重なるクーデター未遂に伴い反体制分子は打ち据えられ、投獄された。治安勢力は中央・南リビアからの信頼できる親族や同盟者で固められていった。1990年代には経済制裁による犠牲で、ヘルスケアと教育が衰退し、失業率が増加、経済はより石油依存となり体制はより腐敗していった…](http://tinyurl.com/3r39ohv)
 

─(このAhmidaの論ずる)悪い傾向を代表する側とは、デマゴーグ的(扇動的)な政権が英雄崇拝の酒宴を催して、暴力をシニカルに擁護するといったものだ。度重なるクーデターの試みに遭遇した政権は、治安勢力を信頼のおける親族の人間、中央・南リビアからの同盟者たちで固め、このことが政府を同族的な管理体制へと変貌させた。

 私のカダフィに対する最初の印象は、数十年前に読んだMuhammad Haykal(ナセルの有名な報道官だった人物)の回想録に書かれていたことだ。

 Haykalは中国から訪問していた周恩来首相と(エジプト大統領の)ナセルが、国が催したレセプションの最中にかわした会話を回想している。

 軍服を着た若い男を指差して周恩来は訪ねた、あれは誰だ?と。…ナセルは答えた、何故だ?あれは丁度、リビアの王権を転覆(権力を掌握)したばかりのカダフィ大佐だ、なぜそれを尋ねる?と彼はいった。

 周恩来の、それに対する回答は忘れがたい:ああ、彼は今さっき私のところに来て私にこう尋ねた、原爆を購入するにはいくらかかるか、と!…この逸話はカダフィの、よく知られた常軌を逸した性質を集約している。

革命家に休息はない No rest for the revolutionary

 カダフィは彼自身を、反・帝国主義の戦士とみなしており、そのようにして彼はカダフィ・ブランドをアフリカ大陸でマーケティングしてきた。しかし実際にはカダフィの体制は、彼のリーダーシップに崇敬の念を捧げる者ならば、誰彼構わず取り立てた。

 彼の祝儀が与えられた者たちのリストは、雑多なものだ: カダフィがその初期の資金提供者だったウガンダのNational Resistance Armyから、反対者であろうと支持者であろうと鼻や指、手首を切り落とすその残忍さで知られた…シェラ・レオネのRevolutionary United Front 、彼がしばしば唯一の資金提供者であった民兵タイプのグループ…たとえばArab Legion(チャドとダルフールの遊牧性の武装民兵グループの傘組織)などがある。

 カダフィは彼自身を、アフリカの「解放」勢力のCEOとみなしていた。数年前、ウガンダ人たちが憲法を改正して大統領の2年の任期制限を廃止するか否かで論議していた時、カダフィは躊躇なくその国民的な議論に介入した。彼は、「革命運動家たちよ、リタイヤするな!」と宣言した。

 カダフィの西欧に対する関係回復は2003年に始まった。核開発施設を解体して、米国・英国やイタリアの企業 – Occidental Petroleum、BP や ENI といった–の開発付石油契約を招致するために、カダフィは西欧の集団に舞い戻って歓迎された。

 独裁者の外部向けの顔が反・帝国主義者から親・西欧にシフトしたとき、カダフィは米国主導の「テロとの戦争」に加わった。

 しかし、危機が到来して彼のパトロンたちが背を向けたとき、カダフィの元には軍事的反乱を振り切る核兵器もなく、国連安保理で彼とともに立って支持してくれる有力な友もいなかった…  (以下略:…Mahmood Mamdani is professor and director of Makerere Institute of Social Research at Makerere University, Kampala, Uganda)

http://english.aljazeera.net/indepth/opinion/2011/04/201148174154213745.html

アフリカ連合の停戦提案;NATOはミスラータとアジュダビヤを防衛 (4/11, ホアン・コール)

 4月11日、@feb17voicesのTwitterにはこうある:「カダフィ軍の集中的な攻撃ではスティール工場とガス貯蔵タンクの地帯に大きな被害が出たという… 多くの人はミスラータにスティール工場がある事を知らないかもしれない…この街でカダフィに対抗する「反乱勢力」の大半は労働者であることも。今や体制側は特に彼らの生活手段を破壊し、彼らの家族を爆撃している」(*@feb17voicesはJohn Scott-Railton に率いられ、リビア人にTwitterへの電話でのアクセスを供給している革新的なテクノロジー。同様に、エジプトでネット接続が遮断されたときにも人々にアクセスを提供した)

 これと同時に、アフリカ連合の3人のリーダーがトリポリにおける討議のために到着し、カダフィは少なくとも彼らの提案を受け容れると語った。AUのチームは、これまでカダフィと息子たちを温存するいかなるプランも拒否してきた暫定政府評議会との話し合いにベンガジに向かう。

 AUによる仲介の問題とは、彼らが反体制勢力にとって誠実なブローカーとは見られていないことだ。世界が注意を払わなかった内にカダフィは、石油から得た彼の財産(「彼自身の」と私は言いたい)を用いて、アフリカ諸国のリーダーたちから忠誠心を勝ち取って軍事介入するべく、彼の影響力を売り歩いた。国連のリビア介入を批判する者たちは、ダルフールやスーダンにおいては何故そのような人道的ミッションが行われなかったのかと問う─そこではブラックアフリカンのフール族のなかの分離主義者たちが、ハルツーム政府に忠実なアラビア語を話すブラックアフリカンたちに虐殺されていた。その流血沙汰は、そもそも、カダフィのチャドとスーダンへの破滅的な介入によって始められたものだ。現在のダルフール問題は1987年に、カダフィによって武装されたチャドから来たアラビア語を話す雇われ民兵たちが、ダルフールとの国境を越えて軍事ベースを作ったことに始まる。彼らがJanjawid ジャンジャウィードの先駆なのだ。常に地域の帝国主義者であり、破壊者であったカダフィは、その莫大な富を駆使してこの大陸に、彼の支配力を拡大させる武装民兵とゲリラたちを溢れされた。彼は南の隣国チャドの支配権を奪うべく、同国の北部地域で彼の部隊による暴力的な占領を続けつつも、成果のない年月を送った。

 彼自身の領土からは遠く離れてカダフィは、彼のテロリスト訓練キャンプthe World Revolutionary Center(ゲリラ訓練所)を通じて恐怖を拡大した。そこから輩出されたのは、ブラッド・ダイヤモンドに飢えたクーデター屋や戦争屋たち─(リベリアの内戦を起こした)チャールズ・テイラーや、シエラ・レオネのフォデイ・サンコーなどである。カダフィとテイラーはシエラ・レオネの戦争へと介入した。 (*チャールズ・テーラー:http://tinyurl.com/3twrmkd *アハメド・フォディ・サンコー:http://tinyurl.com/3egb3nc )

 何百万もの人々が、その一部はカダフィが自らの野望のために喚起したものでもある戦争で殺された─カダフィは自らの鋳型から、幾世代もの専制主義的で反抗的な革命運動家たちを生み出したが、彼らは彼のクライアントにもなった。莫大なオイルマネーがカダフィに西アフリカの政治体制における安定性を損ない、好き勝手にさせる自由を与えた。

 カダフィはアフリカ連合の経費の15%を負担し、実質的に多くのアフリカのリーダーたちを召使のように使っている。

 カダフィは、チュニジアのZine El Abedine Ben Aliに対する人々の革命には強く反対の立場を取った。もしも彼が力を取り戻し、彼の富を再び掌握したならば、カダフィは隣国チュニジアで目覚めつつある歓迎しがたい民主主義と法のルールを妨害し、そしてエジプトにも食指を伸ばすだろう。市民にむけて無差別に発砲するこの億万長者の連続殺人者と、億万長者のプレイボーイの息子達の末期的にナイーブな支持者たちは、「いや、カダフィはそんなことはしない」、などという。彼らはカダフィがこの30年間アフリカで何をしていたと思っているのか。彼が権力から放逐され、ベンガジの政府が議会システムを樹立できれば、リビアだけでなく全アフリカが大きな一歩を踏み出せる。

 報道メディアのヘッドラインは、カダフィがAUによる停戦と平和維持軍駐留の提案を受け入れた、と書いた。もしも彼がその戦車や重火器を撤収し、市民や街を無差別に攻撃することを止めるのならばそれもよい。実際的な戦争よりも、停戦から平和を確立する方がたやすいだろう。カダフィの血にまみれた過去と多くの殺人は、NATOにおける国連諸国による同盟とアラブ連盟が最大の監視を行うことで、彼が自らの領土をより拡大し、より多くの人々を殺すことの隠蔽する外交を行わないように求めるだろう。

http://www.juancole.com/2011/04/au-proposes-ceasefire-nato-protects-misrata-ajdabiya.html

*リビアの反政府派暫定評議会は、4/11に5人のアフリカ諸国大統領が提案した停戦への「ロードマップ」を完全に拒否…当初の概案も政府勢力が生じさせた死と破壊の後には既に受け容れられない、我々はカダフィと息子たちが政権から去ることを当初から求めていると声明。AUの提案は西欧にも警戒をもって迎えられ、英国のヘイグ外相は「停戦合意は国連決議の要請もフルに満たさねばならない」と語った。

Friday, April 8, 2011

「US -サウジ」のリビアに関する取引が露呈…反革命の甘い匂い The sweet smell of counter-revolution By Pepe Escobar


US─サウジのリビアに関する取引が露呈された Exposed: The US-Saudi Libya deal By ペペ・エスコバル (4/2, Asia Times Online)

 お前はバーレーンに侵攻しろ。そうすれば我々は、リビアのムアマール・カダフィの政権を成敗しよう。これが、簡単にいえば、バラク・オバマ政権とサウード家の間に交わされた取引のエッセンスなのだ。国連外交筋の2つの情報ソースがそれぞれ証言したことなのだが、国連決議1973号の趣旨、リビア上空での飛行禁止区域の案にアラブ連盟が「イエス」を発することと引き換えに…ワシントンがヒラリー・クリントン国務長官を通じてサウジ・アラビアに、隣国であるバーレーンを侵攻して民主的な抗議運動を弾圧するようゴーサインを出したというのだ。

 この件の暴露は異なる2人の、独立した外交官のソースからもたらされた─あるEUの外交官と、そしてBRICS諸国の外交官だ─それらは別々にあるアメリカの学者に対して、および当Asia Timesに対しても伝えられた。外交的な慣例によれば彼らの名前を明かすことはできない。片方の外交官がいうには、「これが我々が1973決議案を支持できないことの理由だ。我々はリビアとバーレーン、イエメンの状況は類似した状況とみなしている、そしてこの件に関し国連事実調査団のミッションの派遣を要請している。我々は、我々のオフィシャルな立場、つまりこの決議案の内容が不透明であり、おそらく好戦的な態度belligerent mannerによるものだったとの見方を続けている」

 Asia Times Onlineが報じたように、飛行禁止区域に関してアラブ連盟が全面的に支持したのは不可解な謎だった。その22カ国のメンバー国のうち、11カ国だけが決議案の投票に参加した。そのうち6カ国は湾岸協力会議(GCC)のメンバー国─つまり米国に支援されたペルシャ湾岸の王国・首長国─サウジ・アラビアがそのトップの国である。シリアとアルジェリアは決議案に反対した。サウジアラビアは他の3カ国だけを決議に賛成票を投じるよう「誘惑」すればよかった。

 翻訳すれば:アラブ連盟の22か国中、わずか9カ国だけが飛行禁止区域の決議案に賛成したのだ。採決は主にサウード家が、アミル・ムーサ議長(彼は次期エジプト大統領になるため、ワシントンにアピールする履歴書を磨くのに熱心だ)とともに率いた作戦であった。

 かくして、当初は偉大な2011年のアラブの革命(叛乱)が存在した。そして、その後は否応なく、アメリカ─サウジによる反革命がやってきた。

利益享受者たちは喜ぶ Profiteers Rejoice

 人道主義的な帝国主義者たち(Humanitarian imperialists*欧米勢力を指す)は大挙して、これは「陰謀である」という都合の良い解釈をとばすだろう─彼らはリビアで、ベンガジでの仮説に基づく虐殺を阻止したとして、きりもみ旋回しながら空爆をしてきたのだが。彼らはサウード家を弁護することだろう ─同家がペルシャ湾岸地域でのイランによる破壊工作(*バーレーンの反政府動乱)を押しつぶすことができたとして─ 明かにR2P("responsibility to protect"(*記事末尾参照)というものは、バーレーンの民衆には適用されなかった。彼らはポスト・カダフィのリビアを新たな…石油もたっぷりとある…人権のメッカ、として重々しくプロモートするだろう─アメリカの諜報機関の資産と、ブラックな軍事作戦と、特殊部隊と、危なっかしいコントラクター(民間警備会社)とによって、より一層完璧化されながら。

 地上における事実は変えられない、と彼らが何を言おうと─アメリカとサウジのダーティー・ダンシングの結果は目の当たりにみることができる。Asia Times Onlineは、既にリビアでの外国勢力による介入で誰が利益を得るかを報じている(参考: http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MC30Ak01.html)そのプレーヤーに含まれるのはペンタゴン…Africomを通じて…、そして北大西洋条約機構(NATO)、サウジ・アラビア、アラブ連盟のアミル・ムーサ、そして、カタールだ。このリストにバーレーンのアル・カリファ王家、また選任された武器契約業者、そしていつもどおりのネオ・リベラルの容疑者たち(彼らは新たなリビアでの資源ビジネス…水資源までも寡占化したいと熱心に狙っている)が加わる。そして我々は、リビアの石油・ガス産業の上を飛びまわる西欧のハゲタカたちに関してすら語っていない。 ここに露呈されたのは、オバマ政権の驚くべき偽善だ─人道的な作戦といいつつ北アフリカとペルシャ湾岸を巻き込む、粗野な、地政学的なクーデターを売りつける彼らの。ムスリム諸国でのもうひとつのアメリカの戦争の例として、それはまさに「動力的(kinetic)な軍事作戦」だ。 …(後略)
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD02Ak01.html

反革命(カウンター・レボリューション)の甘い匂い The sweet smell of counter-revolution By ペペ・エスコバル (4/8, Asia Times Online)  

 アメリカ国防省のロバート・ゲイツ長官は(今日)サウジのアブドラ国王と話すためにリヤドにいる。AP通信は世界のメディアに対し、彼らは「アラブの叛乱」について討議することだろうと報じた。そこにはその他の陳腐な言葉も浮かび上がってくる─「政治的改革」、石油生産、「イランの脅威」など…。しかし、ペンタゴンがこのタイミングでサウード家に会うことが示す言葉は、唯一つ、これしかない:「私は、朝の反革命(counter-revolution)の匂いが大好きだ…」とでも。

 そう、それはナパーム弾よりも偉大なる匂いだ。まるで勝利のような匂いがする。US─サウジによる反革命は、2011の偉大なるアラブの叛乱に対抗して楽々と勝利しつつあるのだ─ 。サウード家はエジプトのホスニ・ムバラクに対しても、最後まで権力の座に踏みとどまるよう望んでいた─それは、ワシントンにとっても同様だった…彼らは動乱勃発の当初、ムバラクの政権は「安泰」だという声明を出し、その後はオマール・スレイマン(拷問名人のシーク)に「秩序ある権力移譲」をさせることに賭けたが、その後、政権の崩壊が明白になって漸く、タハリール広場の民衆に唱和したのだ。

ワシントンが歴史の正しい側に踏み出すことを再び阻むかのように、サウード王家はそれ自身のプランで、King Fahd causeway(ファハド国王舗装道路)を通じて隣国に侵攻し、バーレーンの平和的な抗議の民衆の弾圧をおこなった。これはワシントンとの決定的なやりとりによる釘がしっかりと打たれたからこそ可能だったのだ;「我々(サウジ)は、リビアでの飛行禁止区域実施の決議にアラブ連盟の一票を入れさせよう;これと引き換えに、我々にバーレーンの始末をつけさせてほしい」(4/2の記事参照 http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD02Ak01.html)

 ゲイツとアブドラが今、複雑なる「US outreach(アメリカの手の及ぶ範囲)」(つまりこうしたアラブの独裁者が、市民を虐殺しつつ平気で立場を維持できること)や「政権交代」(つまり彼ら独裁者が、犬にくれてやりたいような他の国の為政者を陥れること)に関して討議をしているとを知るにつれ─ 時局の連結点というものが、ワシントン/サウード家が今や全ての前線(フロントライン)にあって─歴史の誤った展開面と、そして全てを操作する位置にあるのだということを、説き明かしてくれる。

 サウード家とカタールは今や、リビアの「transition(政情の推移)」を微妙に支配している。こうしたカタール─サウジの同盟は今や、イスラエル─サウジの同盟の鏡像(ミラー)でもある。サウード家はまた、イエメンの政情の推移も支配している─今や、バラク・オバマ政権は、アリ・アブドラ・サレハ大統領を犬の餌のように捨て去る決断をした(なぜなら彼が、彼の民衆を十分に殺害し、その平和的な革命運動を弾圧できなかったからだ)。かくしてサレハは今や、アメリカの「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」との戦争においては、価値のない「ろくでなしの男」になってしまった。イエメンの抗議運動(彼らは、サウジ人を信頼をしていない)が、腐敗した・親アル・カイダのAli Mohsen大佐(*)からの支持を受けていようと。アメリカCIAは、サレハの後継者を嬉々として受けいれようとしている。 (* Ali Mohsen大佐:Yemen軍の幹部で、政権の軍事アドバイザー。サレハ大統領の異母兄弟。3/21に他の将校らとともに反政府勢力を支持すると発言、大統領に叱責された。80年代のソビエト・アフガン戦争でイスラム過激派のリクルーティングに協力した)

 今や、北大西洋条約機構(NATO)よりもタカ派の強硬論者となったカタールは、それに応じた報償をも得ている。あるカタールの外交官は、アラブ連盟の楽観主義者の議長アミル・ムーサ(ムーサはエジプトの次期大統領などにグレードアップしたいと欲している)の後を継ぐはずだ。それなら次は何だ?カタール人がNATOの議長になるべきなのか?ううむ、彼らは2022年のワールドカップを買収するに十分な金ぐらいは持っていた。

 ゲイツとアブドラはまた、ペンタゴンのAfricom(*)の目を見張るような成功についても討議するかもしれない─それは2008年末に任務を始めたに過ぎないが、しかしすでにアフリカにおける、最初の大きな戦争に巻き込まれている。Africomの司令官Gen. Carter Hamが今やその戦争に関して、アフリカ連合(AU)の数十カ国のメンバー国に対し(彼らは当初、Hamが彼らの領土で指揮権をとることを決して望まなかったが)説明する必要があるなどと、誰が構ったりするだろう?ゲイツでさえも、リビアにおける戦争など、アメリカの外交戦略にとって優先事項とはいえないと認めていたのだ。(*United States Africa Command:米軍の、エジプト以外のアフリカ53カ国における軍事戦略の総司令部。本部はドイツ・シュツットガルドにある)

 サウジの新聞「Arab News」によるとサウード家の閣僚会議は、バーレーンのal-Khalifa王家によるサウジ人への謝意の表明 ─ サウジ人が賢明さとリーダーシップをもってバーレーンの内政に干渉し…バーレーンに侵攻し「バーレーンに平和と安定を取り戻してくれた」と彼らに謝意を表した感傷的な声明─ そのことに対する「返礼としての謝意を」表したのだという。そしてその後に、誰もがイランに対して非難を叫んだという。(*イランのシーア派がバーレーンのシーア派住民の抗議運動を誘導したとされる)

包括的になるべき時だTime to be inclusive

 バーレーンのカリファ王家は、彼ら自身の民衆を覆すことに絶対的に成功する。彼らがもしその国民の70%をペルシャ湾に投げ捨てて、そうして支配者の安泰を維持するならばの話だ。彼らは同国唯一の反体制的新聞- al-Wasat -を閉鎖して、王家支持派の新しいエディターのもとにそれを再開させた。

 人権運動家やジャーナリスト、ブロガーたちは姿を消した─あるいは、姿を消された。ビジネスマンと政権幹部たちは、ストライキを実施した労働者たちを銃撃しなかったとして脅迫された。もはや誰も、ツイッターやFacebookをやっている者はいない。混合的な居住地域に住んでいたシーア派の家族らは、検問所でとめられるたびに脅迫を受けるので、引越しをし始めた。人々は、暗号を使って電話口で話している。オバマ政権に関する限りバーレーンは、もはや存在すらしていない。

 バーレーンの7世紀の先祖にさかのぼれば、それはドバイの獲得物だった。ドバイは今年、4%の経済成長をした─アラブ世界の「動乱」に利益を得て。そしてアラブ首長国連邦(UAE)の人口は826万人に達しつつある─外国人労働者が流入しているが、その多くはバーレーンからだ。

 カタールとUAEは、リビアでのNATOの飛行禁止区域という信用詐欺における「有志同盟」の小さな、代表的でない国々だ。いまや英国人らはこうしたアラブの二つの模範的民主国家に、東部リビアの「反乱勢力」─有象無象の群集─を訓練するようにと「要請して」いる…そのため彼らは、何らかの停戦が交渉で達成されるまでの間は、この砂漠地帯に隣接する場所で、砂漠の砂粒にしがみついていられるだろう。

 翻訳すれば:「民間警備会社」は英国にとっての、いいビジネスだ─傭兵という形で…その中には特殊部隊の経験者もいる。彼らのサラリーはまもなく、カタールとUAE、ヨルダンによって支払われる…プレイステーションの王様 King Playstationに支配された国の、「治安軍のオフィサー」たちで溢れかえった国土で。このことは再度証明する─そこにはたった一つの…非国連決議1973…が承認した市街地でのゲーム:つまり政権交代 だけがあるのだと。

 2011年の偉大なアラブの反乱の行く末が、石油生産や、移民の流出、イスラエルとの関係性、政治的モデルとしてのトルコの引力、そして未来のアル・カイダのフランチャイズ、といったことに繋がるとは誰も予測できないだろう。しかしワシントンの国家防衛ポリシーがいまだに、オリエンタリストが抱く阿片への夢のごとく見えたり感じられる中では、我々はアラブ世界に対して、ローカルな買弁的な独裁者・専制君主を通じて関わることしかできないだろう。そんな阿片よりもずっとす早く、我々はもうそれに夢中になっているのだ。
 
 それなら何故、すべてを我々に併合しないのだろう?アメリカは、石油の豊富な51番目の州にも上手く対処できるだろう。経済刺激策の話をすればいい。米国市民たちは、彼らの税金の徴収のごとく、石油を入手できるだろう。いまや、仲介業者をカットすべき時だ。アラブ世界では、あの哀れっぽいアブドラやカリファ王家といった者たちよりも、オバマに対して答えることを誰が愛さないだろう?
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD08Ak01.html


*R2P:responsibility to protect
 「独立国家の主権は必ずしも特権ではないが責任であり、国家はその国民を、民族虐殺、戦争犯罪、人道に対する犯罪、エスニック・クレンジング(これらをMass Atrocity Crimes─大規模残虐犯罪と総称する─)から守る責任がある」との見地の元に…独立国家がこれを守れない場合、国際社会がその遂行を援助しなければならないとする考え。そのRtoPとは、国際社会にとってのノーム(規範)であって法ではない。国際社会は経済的、政治的、社会的手段によって現状の危機に対処し、外交的または強硬な手段、あるいは軍事介入をその最後の手段とし、犠牲となった人々の安全と正義の再建、大規模犯罪の起因の解明をはからねばならない…とする。
…ルワンダ虐殺が阻止できななかった際、当時のコフィ・アナン国連事務総長が嫌疑を唱えたのが端緒。2000年には、カナダ政府がInternational Commission on Intervention and State Sovereignty(介入と国家主権に関する国際委員会、ICISS)を設立、翌年に報告書「The Responsibility to Protect」をリリース。アフリカ連合(AU)は、これを組織理念にもりこんでいる。2006年には国連安保理が国連決議1674の一部として採択。2009年に国連事務総長藩基文が新たな報告書を発表し、これを更に推進させている。(出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Responsibility_to_protect

ウェブサイト:http://www.responsibilitytoprotect.org/

*3/7The IndependentのRobert Fiskによる記事
 …「アメリカはリビアへの武力介入長期化を必死に避ける代わりに、サウジにリビア反政府勢力への武器供給を求めてきた。もしもサウジが行えば、その武器がたとえ米国製であっても、ワシントンは武器供給の責任を問われない、唯一のアメリカのアラブ同盟国である。サウジもバーレーン同様に東部に反体制派のシーア派住民を抱えるが…バーレーンでの動乱とも呼応してQatif県には治安勢力が派遣され、全土で民衆のデモが禁止された。それでもシーア派は2万人のデモを計画、軍の発砲を防ぐため最前列に女性を並ばせるという… もしもサウジが、リビアに銃やミサイルを送れとのアメリカの要請に従ったなら、オバマ大統領はサウジ政権によるサウジ北東部シーア派住民の弾圧への暴力行使に、とても口を出せなくなるという…」 http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/americas-secret-plan-to-arm-libyas-rebels-2234227.html



バーレーンに侵攻したSaudi軍の戦車

Monday, April 4, 2011

ザ・イラク・エフェクト The Iraq Effect - By Christopher Hitchens


The Iraq Effect ザ・イラク・エフェクト By クリストファー・ヒッチンズ (3/28, Slate.com)

If Saddam Hussein were still in power, this year's Arab uprisings could never have happened. ─もしもサダム・フセインが未だに権力の座にあれば、今年のアラブの反乱は、決して起こらなかった─
 先月もっとも心を鼓舞したひとつのイメージ…〔シリアとリビアの独裁政治にたちむかって戦う市民たちの勇敢さと尊厳すらも凌駕した…そのイメージ〕とは、ホシュヤル・ゼバリHoshyar Zebariが、ムアマール・カダフィMuammar Qaddafi大佐の堕落した政権に対する強硬策の行使を呼びかけようと、パリを訪問したことだった。ここに、イラクの外務大臣だった人物で、アラブ連盟の新しい首長でもある彼が、ローカル外交の軸をワンマンな独裁者による政治に立ち向かわせよう、との尽力を行ったのだ。5月にはイラクがアラブ連盟サミット会議をホストするが、どのアラブ諸国のリーダーが自らの国の首都を離れてこの会議に参加する勇気があるのかを、見届けるのはとても面白く、大変示唆に富むだろう。こうしたすべての光景は、ゼバリが10年前に…彼の寄る辺のない民衆をサダムフセインの化学兵器の影響から保護すべく…一途に奮闘する亡命軍人だったことを記憶している我々にとっては特に、喜ばしいものだ。

 この─ 豊富な石油資源をもち、厳重に武装し、近隣諸国の内政へのトラック一杯分もの介入歴をもち、自国民に対する全面的な大規模抑圧の歴史をもつアラブの要石の国家〔リビア〕が、今だにサディスティックな犯罪者ファミリーの私的な所有財産であったなら…アラブの春がいかに最後まで行動を貫徹するどうかを誰が想像できるだろう?しかし、それが今現在の状況であるなかで、イラクという国をもうひとつの物差として初めから持っていることがどんなメリットを持つのかは…伺い知れず認知もしがたいことで、その影響の及ぶ範囲の計算すらも、不可能なことだ。そしてリビアをイラクと重ね合わせることによる影響も…同様に、しばしば見過ごされがちではあるが、一様にポジティブな影響を有しているだろう。

 最初のポイントとして、私はエジプト人とチュニジア人、そして他の抗議デモの参加者たちは、イラクの旗を振りながらそれを模倣すべく街頭に出たわけではない…と認める。(しかし、エジプト民主化運動の知的なゴッドファーザー、サアド・エディン・イブラヒムSaad-Eddin Ibrahim(*)は公けに、サダム・フセインの失墜というものを霊感の源として賞賛し、そして…レバノンの「春」の多くの初期のリーダーたちもまた、同様な言葉を用いてオープンに語っていたものだ)こうした寡黙さとは、とても理解しやすい…なぜなら、ゼバリ外相が賞賛したイラクの北部クルディスタン地方のことはおいても、そうした国の解放はその国の民衆たちだけでは完全になし遂げられはしなかったものだからだ。(*Saad-Eddin Ibrahim http://tinyurl.com/3o5um59 ) しかしこの点は、アラブ連盟自身が(彼らの内に)外部からの支援を得ることなく、国の内部から政権転覆されることに対して鈍感な政権が、いくつか存在する…と認めて以来…より一層の論議の的になっている。カダフィの政権はそうした政権の、特に際立った例であり、そしてサダムの政権もまた、シーア派住民とクルド系住民を繰り返し爆撃して毒ガス兵器で攻撃したことでも十分に証明されるように、そのような政権として悪名高いものだった。しかしながら、イラクには既に…初歩的で僅かばかりのものとはいえ、フリー・プレス(自由な報道機関)と、明文化された国家憲法があり、アラブの市民社会として最低限度求められる議会選挙のシステムも備えている。イラクは既に、ビン・ラディン主義者がその揺籃期の民主主義に対して投げつけた…火の試練をもくぐり抜けて、それを広汎に打ち破り、それらに対する信頼を奪った。こうした試練や経験というものは、メソポタミアだけにとって有用なものではない。

 リビアにおけるイラク・エフェクト(イラクの効果)とは:ここに英国の外交官で、カダフィの備蓄していた大量破壊兵器の〔欧米への〕引き渡しの交渉を助けた人物から私が聞いた話がある。彼はどんな意味でもネオコンなどではあり得ない(女王陛下の外交及び英連邦の事務所にはそのような人物はまずまれにしか居ないが)…そして彼は3つのファクターを強調した。

 第1に、そして現況では最低限、欧米は特に優れた諜報能力を持っているため、カダフィを彼の秘密のプログラムについて認知している内容をもとに悪魔化することができた。これに時を経るとともに更に累積的に加わっていったのは スコットランドの裁判所のロッカビー事件(*パンナム航空機爆破事件)への頑固なこだわりだった。(これを、自らに「王の中の王」(king of kings)というようなスタイルを当てはめるような人々からは不完全に理解される金言のごときスコットランドの法律と混同しないでほしい) (*参考記事:http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/09/lockerbie-more-evidence-of-cynical.html パンナム航空機事件・2)

 第3番目に、そしてこのタイミングでとても重要なことは、カダフィがサダム・フセインの運命を打ち眺めて絶望的な恐怖に陥った…ということだ。このことはビン・ラディンの多くの将官らに対して、私の多くの友人らが行った聴取尋問でも広く再確認されている。彼〔カダフィ〕は、結局のところ─国連ではなく─ ジョージ・W・ブッシュとトニー・ブレアとにアプローチした。かくして今、カダフィの備蓄していた兵器は、テネシー州Oak Ridgeの、鍵と錠に閉ざされた内にあるのだ (*http://www.msnbc.msn.com/id/4078175/ns/world_news/ )─その痕跡の要素によって、パキスタンのA.Q. Khan(A.Q.カーン博士…核兵器学者の「死の商人」http://www.globalsecurity.org/wmd/world/libya/khan-libya.htmを犯罪者と定義することに成功しながら─。しかし想定のし得る限り…彼(カダフィ)がそうなることを望んでいなかったと誰が言えるだろうか?

 しかし…彼の毒牙は抜かれても、カダフィは、薄汚れた迷惑者であり続けた。New York Timesが先週、brilliant dispatch(* http://www.nytimes.com/2011/03/24/world/africa/24qaddafi.html?pagewanted=all )でレポートしていたように、彼は西欧の石油企業に、彼自身がロッカビー事件に関して課せられていた150億ドルの弁償金の支払いを強いた、というわけだ。彼は彼の国民を搾取し続けた ─TVに写る民衆が皆、いかに貧しくみすぼらしいかを見てみるがいい─リビアの巨大な富を、個人的な名声を打ち立てるプロジェクトのために浪費しながら。彼のリベリア、ダルフール、チャドへの流血の介入では、もう1機の商用旅客機が爆破されて…今回のそれとは、フランス航空機だった(*http://en.wikipedia.org/wiki/UTA_Flight_772 )─もっと、ずっと以前に彼を戦争犯罪と人道に対する罪で告訴できていたならどんなによかったことか。サダム・フセインと同様に彼は、彼自身を言語道断で、かつヒステリックに「問題」として定義し、リビアの悲惨と地域の苦しみのfons et origo(本源)であると主張し続けた。それならなぜ我々は、恥ずかしそうに、我々は「彼の勢力を」標的にしてはいるが、彼自身を標的にしていないなどと装った主張をし続けているのか?

 英国では、例えば、この論議はこっけいで笑劇じみたプロポーションへと達した。先日、カダフィのバブ・アル・アジズヤの「コンパウンド(複合本部基地)」Bab-al-Azizya "compound" に到達して大損害を与えたのものが英国の巡航ミサイルであることは、誰も疑ってはいないが、しかしDavid Cameron首相は、いくつかの攻撃段階において、おそらく標的とされていたのは独裁者である可能性がある、と述べているのにも関わらず、彼の防衛参謀長Gen. Sir David Richardは「絶対にそれはない」と述べている、なぜなら国連決議がそのような非常時作戦を認めていないからだ。

 ワシントンでは、バラク・オバマ大統領が正当にもカダフィは「去るべきだ」と述べたが、しかしそのミッション自体は、市民を虐殺から守る…という目標の1つだと描写されている。ストレートな語り方、あるいは殆どテクニカルな軍事的説明においてさえもそうなのだ。もしも、指揮統制command and controlという言葉に意味があるのなら、彼らはリビア人たちを余りに長きにわたって指揮し統制してきた、泣き言を言う君主を確かに特定する。

 ホシュヤル・ゼバリは、長期にわたり北部および南部イラクをサダム・フセインの攻撃用ヘリコプターから守った「飛行禁止区域」の先例に関して嬉しそうに語った。しかし彼は、このことにおけるロジックが無情なものであることも完全に知っている。日々、サダムの地上勢力は、それらの航空機を銃撃した。日々、クウェイトとの停戦後合意はより一層すり切れ侵害されていった。日々、イラクは1人の専制君主の気まぐれの惨めな人質となっていることがより明白になっていった。

 現在直ぐにもなすべき仕事は、こうしたレッスンに習うこと、得られた知識を適用できるまでの時間を短縮すること、悪をその正しい名前で呼ぶこと、そしてカダフィに対し、彼自身の死か、あるいは彼の(亡命への)桟橋にたち現れるかの厳しい選択肢を示しつつ面と向かうことだ。彼がこのようなエピソード(状況)から、彼自身の権威の切れはしを維持して立ち現れることは、道義的にも考えられない、そして、そのことを大声で言わないことは、道義的にみても意志薄弱すぎる。ミッション・クリープ Mission creep(*)という、醜悪で不恰好な言葉が突然、それ自身の酷い意味を帯びてくる。アラブ連盟が5月に会合を持つ際には、彼らは自由なイラクの地において、リビアの新しい暫定政府を歓迎しなければならないのだ。そして我々は円を閉じる─そしてこうしたすべての勇敢な人々、旧体制ancien regimeの最も悪しき要塞を打ち崩そうとして倒れた人々の汚名を注ぎ、正しさを立証せねばならない。

*ミッション・クリープ、終わりの見えない展開◆本来は米軍事用語で任務を遂行する上で目標設定が明確でなく当初対象としていた範囲を拡大したり、いつ終わるか見通しが立たないまま人や物の投入を続けていかなくてはならなくなった政策を意味し批判的に使われる言葉.
http://www.slate.com/id/2289587/pagenum/all/#p2

Hitchens poses with Kurdish Peshmerga fighters

Sunday, April 3, 2011

バラク・オバマは「隠れスイス人」なのか?Is Barack Obama Secretly Swiss?- By Christopher Hitchens


国連諸国による、対リビアの「飛行禁止区域」作戦への決議においてオバマ政権の態度は曖昧で後ろ手に回っていたと批判されたが


バラク・オバマは、「隠れスイス人」なのか?Is Barack Obama Secretly Swiss? By クリストファー・ヒッチンズ(2/25, Slate.com)
 
 それがどんなに意地悪な恨みがましい言い方であっても─共和党の新たな下院議長さえ今や、大統領はハワイ生まれで、一種のキリスト教徒だということに対して譲歩した。だからもう、この議論に関してはすべて終わるよう望もうではないか。もっと切迫した質問が今や、出しゃばりながらその姿を現しているのだ:バラク・オバマは、隠れスイス人なのか?という…

 私が、何を言いたいのかを説明させてほしい。中東の専制君主(*ムバラク)は今や、彼の権力の時がすっかり、本当に終わったということを知った。彼はそのことについて─ 彼のチューリッヒやジュネーブの銀行業者が、彼からの送金の受容れや秘密連絡への返答も止める代わりに、彼の資産を「凍結」し始め、その資産の規模や所在を彼が長年食い物にしてきた国の捜査官たちに暴露し始めた─そのときに知った。そして、まさにその瞬間に米国政府もまた、くだんの預金者のことを、正しく選ばれた国家元首であるとこれ以上認めないと宣言した。しかし時としてこの協調行動には、幾分かの「みすぼらしさ」がある。CIA長官のレオン・パネッタは、ホスニ・ムバラクが退陣することを、実際にそれが起きる1日前に米国議会で証言した。しかしCIAのすべてのご愛嬌とは、この機密情報収集が常に、すでに一般大衆に広まっている認識よりも何ビートか後れを取るという事実だ。一般的にはしかし、ホワイトハウスと国務省は彼らのストップウォッチをもっていて、スイスの座標に合わせたリアクションを見せる。

  それは単に公表された声明とシンクロして行われるだけではない。オバマ政権もまた、世界情勢における米国の重みが、スイスのそれと大体同じであるかのように振舞う。我々は事の進展を待つ。我々は用心深さを要求し、また抑制すらも求める。我々は国際的なコンセンサス形成を期待する。そして、スイスの銀行家たちがその乗り馬を替える方法には何か軽蔑すべきものがあるゆえに、ワシントンの政権がその影響を蒙るという状況のなかにも─そしておそらく、それがアメリカの無能さの体現に寄与するなかにも─何か軽蔑にあたいするものがみえてしまう。そのことを除けば、スイスには少なくとも冷笑的態度に徹するという言いわけがあるのだが、アメリカのポリシーはどうやらやっと、冷笑的でもあるがナイーブでもある、という状況に至る。

  このことは特にまた、リビアのケースでも明白となっている。何週間にもわたって政権はエジプトに関してためらいを続け、そしてその行動を─腐臭を放つ古い友人・自らの有効期限を越えて長生きをしすぎた同盟者と関わりつづけるのは困難だとの根拠に基づき─ 最も値の低く、動きの鈍い公分母のもとに修正し続けた。しかしその後に、Muammar Qaddafiの出番がきた…オールラウンドな悪臭を放つ厄介者というだけでなく、さらに長期的な敵として─かくして政権のためらいが、全面的に再開した。2月23日の水曜までには大統領が気持ちを和らげる(鎮静剤的な)発言をしたが、一般的にある「暴力」を非難しつつも、特にカダフィの名前を挙げなかった─世界中のすべての政治家や女性政治家たちがそれを口にしていたが、オバマだけは口にしなかった。そして彼の沈黙は打ち破る価値すらもなかった。彼女自身による数語の言葉をようやく口にしたヒラリー・クリントン国務長官の言葉を木霊のように繰り返しつつ、彼はただ、必要なものは国際社会の一致した意見であると、強調した─まるで、完全な統一見解がなければ何ひとつできないか、あるいはその試みすらできないかのように。そのことは残る全てのカダフィの同盟国たちに、自動的に拒否権行使(決議否認)をもたらした。それはまたアメリカの意見は、たとえばスイスなどの意見と比べてさえ最早、聞くに値しない、といった印象も強調した。クリントン長官はその後、他でもないジュネーブに派遣され、そこで国連人権委員会と会合を持った─すでにカダフィがメンバー国であることで絶望的に汚され、馬鹿げた実体と化していた委員会に。

 オバマの空虚なスピーチがなされたその時までに、寛大さで知られるアラブ連盟はリビアの加盟を保留にし、またカダフィ政権の数人の上級外交官らは、勇敢にもカダフィから離反した。彼らのうちの1人でニューヨークをベースにする人物は、(カダフィによる)市民に対する戦闘機の使用について警告し「飛行禁止区域」の設定を求めた。他の者たちは、航空機がカダフィの側にフレッシュな傭兵を運んでくることも指摘した。地中海では、米国は第6艦隊を展開させており、それはカダフィの空軍を難なく飛行禁止にする(地上に押しとどめる)ことも可能だった。しかし、待て!我々は今だにスイスの海軍本部から連絡を受けていない、彼らからのインプットなしにそれを遂行すれば、必ずや無分別だとみられるのだ。

 明らかにオバマ政権は、自らに関する次のような非難に対して少しは敏感になった: … a)再び、完全に不意打ちを食らった、b)明かに自分身のポリシーを持たない、 c)モラル的に中性的である… そして、その全ての弱々しさの形を最大化したような議論を持ち出した。もしも我々がより堅固な、またはもっと識別可能な立場をとっていたならば、我々のリビアでの外交スタッフは危険に晒されていたかもしれない、とも論じられた。言い換えれば我々は彼らが、もうすでに人質にとられているかのように振るまおうと決意したのだ。もっと力の弱い諸国の政府の多く─リビアにある外国大使館の数と同じぐらいに膨大な在留外国人の人口も擁する国々の─ は既にカダフィの犯罪的行動について非難し、そしてEUは制裁をも検討していたが、しかしアメリカ(火曜日までにそのスタッフを国外退避させるための船すらチャーターしていなかった)はまるで、カダフィ大佐に不本意ながらも拘束された囚人のように振舞うのを余儀ないと感じていた。私はこれまでの先例として、このような感傷的などんな「ドクトリン」があったかも直ぐに思いだせないが、しかしこのことがいかに将来、時間を稼ごうとするならず者国家にとって有用な先例を作ったかはたやすく見て取れる。我々を一人にして欲しい─ あなたの声すら上げないで欲しい─ そうしなければ、我々はあなたの国の大使館の安全性すらも、保証できない─(NATOの同盟国がカダフィに、明白にこう告げることは、今、 行なっても早すぎることではないのだ:「彼がもしそれを試みたならば彼は彼の王位を、また今にも倒れそうな彼の軍隊と、おそらく彼の価値のない生命をすべて1日の午後のうちに失うだろう」、と)

 政府が、カダフィとその酷い息子たちに個人支配されたリビアとその民衆というものの継続を含む未来図をシリアスに思い描いたりしないのなら、それは純然たる、慎重さとリアルポリティークの問題だ─ それと逆の状況を想定させるような政策をとるためにも、原理原則などについて何も言うことはない、ということだ。リビアとは ─人口と地理の面からみれば─ 主に海岸国だ。アメリカには同盟国があろうとなかろうと、空軍力と、隣接海域での軍事力では誰にも引けを取らない。アメリカには人道援助物資と医療援助物資の大規模な航空機輸送と海上での輸送が可能で、それはじきにエジプトとチュニジアの国境沿いで必要になるだろうが、そしてそれは夢に見られたことすらない善意(グッドウィル)を買うことができるだろう。この国は、カイロとチュニスで起きた出来事における、ポイントの定まらない遅滞ぶりによる信用の失墜を埋め合わせるチャンスを得るだろう。この国はまた少なくとも、素晴らしいテーマにおいて偉大なスピーチのできる能力を示した大統領を持っている。しかしその代わりに、革命が決定された日々、重要なその形成期の日々のなかにおいては、我々は無駄なわめき声をあげるカッコー時計に耐え忍ばねばならなかった。
http://www.slate.com/id/2286522/

Saturday, April 2, 2011

リビア:西欧とアル・カイダが同じサイドに!Libya: the West and al-Qaeda on the same side

リビア:西欧とアル・カイダが同じサイドに!Libya: the West and al-Qaeda on the same side (3/18, The Telegraph)」

─アル・カイダとイスラム過激派の主導的勢力がリビアの革命勢力をサポートするとの声明は、西欧の軍事作戦がその思想敵の術中にはまるのでは、という怖れを引き起こした─

 ウィキリークスの公電内容と、独立系アナリストたち、そして報道記者たちは全て、カダフィ大佐の政権に反対する勢力のなかに─特にBenghaziとDernahの町に─イスラム主義運動のサポーターたちがいることを認めている。

 リビア出身のアル・カイダのリーダーAbu Yahya al-Libは1週間前に、反乱を支持するとの声明を発したが、カタールに本拠を置くムスリム同胞団と繋がりのある神学者、Yusuf Qaradawiは、カダフィ大佐の軍の側近らに、彼を暗殺してよいとのファトワ(宗教令)を発した。

 しかし批評家らまた、反乱の主要勢力は、隣国エジプトでもみられたような各種の社会階層にまたがる人々(Cross-section of society)─と同様の、リベラル主義者、愛国主義者、また政権の暴力による個人的被害にあった人、そして民主主義の原則を支持するイスラム主義者、などで構成されていると認めている。

 ウィキリークスの公電中、初めに2008年にデイリー・テレグラフが公開したものによれば、Dernahは特にアフガニスタンやイラクでのジハード戦士を養った土地であるとされる。

 「東部リビアの、失業した、社会的つながりのない、何も失うもののない若者たちがこうして、宗教の名のもとにある過激主義に染まることによって、彼ら自身を、何か彼らよりも偉大なもののために喜んで犠牲にする」、とDernahのビジネスマンは語ったと公電は述べている。
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/africaandindianocean/libya/8391632/Libya-the-West-and-al-Qaeda-on-the-same-side.html

アル・ハシディ氏はかつて、アフガニスタンで外国の侵略者と戦っていたことを認めた Mr al-Hasidi admitted he had earlier fought against 'the foreign invasion' in Afghanistan (3/25, The Telegraph)


 イタリアの新聞 Il Sole 24 Oreのインタビューによれば、リビア反政府勢力のリーダーの一人Abdel-Hakim al-Hasidi氏はかつて彼がおよそ25人の男たちを、イラクで多国籍同盟軍と戦わせるために、東部リビアのDerna地域でリクルートした。そして、彼らのうち何人かはいま、リビアで「Adjabiyaの前線で戦っている」という。 (*写真はAl-Hasidi氏)

 Al-Hasidi氏は彼の戦士たちが「愛国者で、よきムスリムだが、テロリストではない」と主張しつつも、「アル・カイダのメンバーたちもまた、よきムスリムで、侵略者たちと戦っている」と述べた。

 彼によるこの暴露は、チャドの大統領Idriss Deby Itnoが、アル・カイダがリビアの反政府勢力ゾーンで兵器庫を略奪し、武器(対空ミサイルを含んでおり、それはのちに彼らアル・カイダの聖域に持ち込まれた)を獲得している、と述べた後になされた。

 Al-Hasidi氏は、彼がかつて2002年にパキスタンのペシャワールで拘束される前は、アフガニスタンで「外国の侵略勢力」と戦っていた、と認めた。彼は後に米軍に引き渡され、そしてリビアで2008年に解放されるまで拘束されていた。 

 米国および英国の政府筋によれば、al-Hasidi氏は95、96年に数十人のリビア軍兵士を殺害したゲリラ攻撃を行ったLIFG(Libyan Islamic Fighting Group)の元メンバーであるという。 

 LIFGはアル・カイダの一部ではないが、米軍のWest Point士官学校が述べるには、2つの組織は、「ますます協力的な関係」にあるという。2007年に同盟軍がSinjarの街で捕捉した書類によれば、LIFGのメンバーはイラクでサウジ人についで2番目に大きな外国人の戦士部隊をなしていた。 

 今月早く、アル・カイダはリビアの反体制派をバックアップするための支持者を募ったが、彼らは同国を「イスラム的なステージ(段階)」に導くための祝福を先導する、と述べた。

 英国のイスラム過激派勢力もまたこの反体制勢力を支持し、非合法組織al-Muhajirounの元リーダーは、「リビアからのイスラム、シャリアおよびジハード」が、「イスラムとムスリムの敵を、アラーが彼らの友・日本人に対峙させて送った津波よりも、さらにひどく動揺させた」と述べた。 http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/africaandindianocean/libya/8407047/Libyan-rebel-commander-admits-his-fighters-have-al-Qaeda-links.html

アル・カイダの前リーダー曰く:反政府勢力には1000名のジハード戦士がいる Former Libyan Al Qaeda Leader Says There Are 1000 jihadists Amongst Rebels (3/30, Infowar.com)
 

 リビアのアルカイダに繋がりのある組織の前リーダーによれば、対カダフィの反政府勢力のなかにイスラム過激派の1000人のジハード戦士がいるという。それでもNATOはいまだに反政府勢力への武器供与を検討している。

 元ジハード戦士だが、2000年には自身のアル・カイダとの繋がりを破棄したNoman Benotmanは、およそ1000名のジハード戦士がリビアに居るとの推論をWashington Timesのインタビューで語った。彼はそうしたジハード戦士を「フリーランス・ジハーディスト」と呼ぶが、彼らはアフリカのテロリストのセルであるAQIM(マグレブのアルカイダ)の一部だという。

 …彼らは自らを反政府勢力のリーダーとは称さず、あえて民衆にまぎれて浸透し、人々の勢力を損ねないようにしている。Benotmanによると、彼らはリビアでの「イスラム国家設立」を望んでいるように見られるのを恐れている。 昨日ワシントンのキャピトル・ヒルでのインタビューでも同盟NATO軍の最高司令官James Stavridisが反乱勢力のなかでのこうした原理主義者たちの存在を認めた。これは米国諜報部による推定とも合致している。 http://www.reuters.com/article/2011/03/29/us-libya-usa-intelligence-idUSTRE72S43P20110329

*北東リビアで反政府ゲリラをリクルートしているのは、前にLibyan Islamic Fighting Group (LIFG)、と名乗っていたが、その後AQIM(マグレブのアルカイダ)と合体したグループであり、イラク戦争時にリビアから多量のゲリラ戦士をイラクに送っていたのと同じグループである、という(要旨) http://www.infowars.com/former-libyan-al-qaeda-leader-says-there-are-1000-jihadists-amongst-rebels/  

リビアの民衆をサポートせよ、だが武器は供給するな!Support the Libyans but Don’t Arm Them! 


NY市立大の社会学教授が、リビア情勢について寄稿している。米国の各大学の授業ではいま、このような議論が交わされていそうな気配がある


リビアの近隣地域に気を配れば (Looking after Libyan Neighborhood) By John Torpey (3/31, Informed Comment)


 多くの悪さと残虐行為が行われた後に、悪名高い荒廃した地域のこの悪質な麻薬王、トラブルメーカーに対して警察がついに動いた。その近隣において包囲された住民たちはこのところ勇敢に反撃しているが、彼らはおそらくその地でショーを上演している、火器の兵力に勝るギャング街の帝王には抗戦できないだろう。

 そのギャングスターとはもちろん、Muammar el-Qaddafで、麻薬とは石油のこと、そしてその近隣地域とは、アラブの中東だ。

 信頼をなくしたブッシュ政権時代の政策や行動から目を見張るようなシフトを遂げて、オバマ政権は、罪のないリビア人の血が多量に流されぬよう阻止するためのcoalition of the well-meaning(善意からでた同盟)に合流した。2003年にイラクに侵攻した、あの偽の「coalition of the willing(有志連合)」からは程遠く、カダフィ大佐に対抗するその軍事力同盟は、現実的に想像しうる、グローバルな努力にも近いものがある。
 
 国連安保理では何カ国かの反対も確かにあったものの、カダフィが彼の市民たちを虐殺するのを禁ずるための決議案に票を投じた。アラブ連盟─そのなかの何カ国をカダフィ大佐は過去に、不必要に侮辱してきたのだが─はリビアのアラブ住民を守るために外部勢力(*アラブ連盟ではUAEとカタールが国連決議による作戦に参加)を招いた。アフリカ連合諸国は、ロンドンで戦略を練るべく「コンタクト・グループ」のミーティングに参加してきた。地域的なプレーヤーとしてますますその重要性を増しつつあるトルコは、欧米諸国によるいかなる占領もこれに続かないことを再確認しながら、それを条件に同盟のプランに進んで同意した。なぜならこのような合同の軍事的意思決定から生じかねない複雑な状況にも関わらず、この作戦の「コマンド(司令)およびコントロール」はNATOに引き渡されているからだ。そして勿論、反対国の多くは外部的なサポートを弁護した。

 米国はこの戦場に軍事力を行使することのできるベストな存在なのにも関わらず、他の国々が主張してオバマ大統領も同意したのは米国が地上軍兵力を送らない、ということである─もしもその軍事作戦に「何週間かではなく、何日かでも」同国が巻き込まれた場合においてもだ─そして米国は全般的な意味で、この作戦の指揮ではバックシートに控えようとしている。勿論オバマは、米軍がもう一つのムスリム国家での作戦に巻き込まれることに対しては過度に口を閉ざし、そしてこうした他の国々がこれに関与することを決めた後になって漸く、米軍の兵力も善き動機のために用いられるということを認めた。

 わずか数年前の見方では、こうした行動全てが非常に目立つものだった。少なくとも金融危機が起こるまでは、メディアのインクの海は「米帝国」のキャラクターと(それが蒙った)偶発的な災難に関する報道で満ち溢れていたものだ。ローマ帝国と比べれば…第1帝国はその全盛期に彼らの知る全ての世界へと覇権を拡大した。そしてブッシュ政権はこれと競っていたようにも見受けられた─イラクに目をやれば、そこは同政権が民主的国家建設のファンタジーを実現するための遊び場のようでもあった。

 米国の軍事力は依然として、世界の残りの国々の軍事力の総体よりも大きな、過度のものである。しかしそれは主に、今現在、戦われているような種類の戦争とはあまり関係のない…テクノロジカルな問題である。かくして、他の富裕な社会とも同様に、米国は全て志願兵からなる兵力(徴兵制による大規模な軍隊ではなく)によってやっていける。今、戦われている戦争とはしばしば、「選択による戦争(War of Choice)となることが多い、なぜなら誰しもが、正常な意識を持っていれば米国を攻撃しようとは考えないからである。こうした戦争は、世界の多くの荒廃した地域での紛争や暴力を抑えるために行われる。

 どの近隣地域を選んで軍事介入するかが、利益に誘導されるものであることは、勿論だ。第1次湾岸戦争の間には、反対者たちは問いかけた、「クウェイトの主要な輸出物がもしもブロッコリーだったら、どうだったか?」と。彼らには一理があった。軍事力が行使されるいかなる状況についても、多くのハードな(厳しい)質問がなされるものだし、力の濫用への疑問には常に答えがなされるべきだ;海外での軍事介入というものは本来、自国自身への明確な、現存する危険性のある敵勢力に対峙している状況がなければ、疑念の持たれるものである。

 それでも我々はリビア情勢に関しては国際情勢の曲がり角を曲がってしまった。我々が未来の日々にこのことを回顧すれば、それは我々がブッシュ以前のインターナショナリズムの時代に戻ったこと、そして米国の外交戦略が第二次大戦後にその設立を助けた国際機関(の数々)に対し再度の貢献を図ったこと、と捉えられるだろう。同盟勢力は、市民の生命の大きな犠牲を避けたのだという善き動機を主張できる。過去における人道的な失敗の亡霊は、最終的には鎮められるだろう。

 現状における困難な事柄とは今、ここから、何をし始めるのかということだ。政権の交代は…皆がカダフィが政権の座から去ることを望んではいるとはいえ…米国政府のポリシーではない。我々は寄せ集めの、訓練のされていない、武器にも乏しい反乱軍に兵器を供給すべきなのだろうか?この種のステップは米国の海外での勢力の記録においても長らく、しばしば逆効果を生む歴史を刻んできた…ニカラグアのコントラや、オサマ・ビン・ラディンなどの例が思い出させるように。我々は現実として、この反乱勢力が誰であり、彼らが最終的に何を望む者なのかも知らない。この地域は既に米国製武器が満ち溢れている。反乱軍を武装させることはとてもリスキーな賭けにみえるが、しかし彼らをここに残して、カダフィの勢力が再結成され彼らをあちこちで打ち破るという状態に任せることも難しい。

 グローバル・ドメスティック・ポリシーとしては、恐らく─たとえリビアの人々がそれによって効果的に反撃できなくなるのをみて、我々自身も傷心におちいる可能性があろうとも、武器を多くの未知の勢力に受け渡すことを含むべきではない。我々がもしも彼らに武器を供給したなら、戦闘は彼ら同士のものというよりもより一層…我々自身のものと化してくる可能性があり、そしてそれは路上において逆効果な結果(バックファイヤ)をもたらすだろう。しかし同盟軍は、確実に諜報活動や後方支援、そして政治的支援をおこなうべきで、それによってこの地域の住民が、この地域を彼らにとって最も良いやり方でクリーンアップできるよう望みたいものだ。 John Torpey is Professor of Sociology at the Graduate Center of the City University of New York. http://www.juancole.com/2011/03/torpey-support-the-libyans-but-dont-arm-them.html