By ポール・メイソン (6/20, BBC Newsnight)
(Photo:言語もタイムゾーンも異なるものの…トルコからブルガリア、そしてブラジルにおいても、抵抗運動が掲げるシンボルというものが、ますます、同一のものになってきている)
ガイ・フォークス(Guy Fawkes)の仮面(マスク)(※)や、テントを張る行為、集団的な懲罰としての、催涙ガスに対抗するためのガス・マスクや、ヘルメット…。昨年、おこなわれた抵抗運動の場に現れ出た、国家権力への反抗…そして、集団的な抵抗の連帯を殴り書きした、手書きのサイン・ボード。…中核となっている抵抗者たちの、若々しさ。
─ 「これは、テクノロジーとソーシャル・メディアへのアクセスが整った状況のなかで、その人生や心理が形成されてきたような、最初の世代(ジェネレーション)なのだ」─。
イスタンブールのゲジ公園で─私は、学校に通う年齢のティーンエージャーたちが、毎日決まって午後になると小さなグループで姿をみせ、芝生の空隙を見出して占領して、宿題(ホームワーク)を始めるのをみた。
そして、サン・パウロに現れでた光景も、また、これと同じようなストーリーを物語っていた。
いずれの都市においても─ポスト・思想(イデオロギー)的な時代に生まれた人々は、彼らの…モダンな、不満を抱えた都市居住層のストーリーを語るための、シンボルを用いている─つまり彼らの国旗や、ローカルなサッカー・チームのシャツ…などだ─それがイスタンブールでも、サン・パウロにおいても、共通の”ミーム(meme)”となっている、というわけなのだ。
しかし、その不満の原因とは何なのだろうか?
私が、2011年に英国と南ヨーロッパにおける動乱を取材したときには、その答えとは明らかだった。若者世代の全体にとっては、経済的な約束が放棄(キャンセル)されている─おそらく、彼らは60代の終わりまで働かねばならず、大学を卒業する時点において、その一生が打撃を蒙るような借金も負わされる。
そして、2009年に米国の学生たちも、苦情を述べて(※NYTに特集記事が掲載されて)有名になったように、彼らが卒業後に就職する際には、しばしば、大学時代にパートタイムで働いていた仕事と同じような仕事しか、得られなくなっている。私はギリシャで、土木技師の公的資格をもっているにも関わらず、レストランのウェイターをしている者に出遭った─私が、暴動の取材のなかで出遭ったそうした事実が、すべてを語っている…。
国家を迂回(バイパス)する
アラブの春の場では─外部者の眼からは、それは異なって見える─それらの国々は、急成長する経済だからだ。リビアの場合、その国は目を見張るような急成長の中にある。しかし、そこであなたは、これらの動乱の波をユニークなものとなす、何かに突き当たる─その動乱を担う世代(ジェネレーション)は、テクノロジーとソーシャル・メディアへのアクセスが整った状況のなかで、その人生や心理が形成されてきた…最初の世代(ジェネレーション)なのだ。
我々は、それが何をなすものか、を知っている─国家によるプロパガンダや検閲、政府と繋がる主流派(メインストリーム)メディアなどを、それはいとも容易く、迂回(バイパス)させるのだ。エジプトの国営TV局は、ホスニ・ムバラクに対する叛乱の第一日目には完全に、その信頼を失った。今月、トルコのTV局の各社も、その時と同様に、叛乱に関する報道をさし控えようとし…そのことに対する苦情の総攻撃に晒された。
「警察の行動の効果とは、抵抗者たちが、暴力の画像を即座に世界に向けて発信できる能力というものによって、より拡大(誇張)された。」
─「しかし」、とある政治学の教授は私に言う、「そうした苦情を発する者たちの多くは、35歳以上の人々なのだ。若者たちはTVを観ない、そしていずれのケースでも、彼らはニュースで報道されていることなど、決して信じない」。
ソーシャル・メディアは、抵抗運動の迅速な組織化を可能にし、抑圧へのすばやいリアクションをも可能にする…そして、彼らが成功裡に、主流派(メインストリーム)メディアや、政府の歪曲報道の(スピン・)マシーン(マシーン)を馬鹿げたものにみせる…プロパガンダ戦争を戦うことをも可能にする。
同時に、それは、抵抗者たち自身が組織化する際の…比較的、「水平的(ホリゾンタル)な…」その構造をも強化するものなのだ。イスタンブールのタクシム広場では、60以上のグループが組織された。サン・パウロの抵抗運動の場においては…より一層一般的なパターンを通じて、数グループの組織化が行われ、それと並行して…人々の不定形なネットワークが存在した─そこでは、人々が彼ら自身…いつ、そこに加わり、そのバナーに何を書いて、そこで何をするか…を自由に選べるという状態だった。
私がイスタンブールに到着した際には、金融マーケットの幾人かの連絡先(コンタクト)たちが、こう不思議がっていた─この地域は、この地球上でも最も急速な経済成長を遂げているというのに、一体、彼らはなぜ抵抗しているのだろうか?と─。
路上に出てみれば、その答えは明らかだった。第一に、私が話をした教育を受けた若い人々の多くは、「富は腐敗したエリートたちの許に行ってしまう」、と苦情を述べた…その多くの者たちは、医師や、土木技師や、ドットコム企業に勤めるタイプであるにも関わらず、彼らには家賃を払う余裕すらないのだ…とも指摘した。
「完全に、普通の人々」 Completely ordinary people
しかし、そこにはより大きな嘆きも存在した─彼らは、宗教的保守派であるAK党の政府が、彼らの自由を侵害していると、感じていた。あるトルコ人のファッション・ライター(もともと、革命分子では全くない)は、「モダニティに対して潜行的に拡大しつつある敵意("a growing, insidious hostility to the modern")」についての、苦情を述べた。
そして彼らは、ゲジ公園における最初のテント・キャンプ(環境破壊に対する抗議運動)への、警察の重度の弾圧行為を、このun-freedom(非自由)のシンボルとみなしていた。
─「抵抗者たちは、政府が実際に何をしたのかよりも…何をする可能性があるのか、ということに怖れを抱いているようだ」─Caner Ozdemir Istanbul
しかし先週ふたたび警察が、ヴィネガー(催涙ガスの刺激を鎮めるために用いる)を所持していたジャーナリズムを逮捕したことや、4人のジャーナリストをゴム弾で撃ったことなどが、バランスを欠いた行動だと非難され、事態をエスカレートするに至った。
いずれのケースでも、警察の行動の効能とは…抵抗者たちが暴力行為の画像を世界中に即座に送ることのできる能力により、より一層拡大されていた…そして、30年以上にもわたって、「致死的ではない(non-lethal)(非・致死的な)」法律の執行をレポートしてきた、ベテランとしての私の印象では、CS(催涙ガス)やゴム弾、放水銃などの使用は世界中で、警察のやり方を「致死的に近い(near-lethal)(ほぼ致死的な)」方向へと、プッシュしているようだ…それは、非暴力的な意図のもとで街頭運動に出る抵抗者たちにとっては、ますます受け入れられないものとなりつつある。
比較的小規模ではあるものの、(国家保安局の、論議を呼んだ新長官を水曜日に退任させるに至った)ブルガリアでの抵抗運動は、多くの国々の街頭運動の民衆を連帯させる課題(イシュー)に対する注意をさらに喚起した─それは貧困の問題ではない、と抵抗者たちは言う─それは腐敗であり、民主主義の欺瞞的な状況、小集団による徒党政治であり…経済発展の生んだ富を、獅子の分け前として独占するエリートたちの問題なのだ、と。
端的に言えば─東ヨーロッパの人々が、共産主義よりも個人主義を選択した1989年当時と同様に─今日では、資本主義が…許容不可能なほど(レベル)のエリート支配、有効かつ、信頼性のある民主主義の欠如、抑圧的な警察…などと同一視されることが、見出されている。
そして、この三年間の出来事とは、つまり─完全に普通の人々─その腹の底に、何らイデオロギー的な意図などをもたない人々が、それらへの抵抗の手段を見出した、ということを示している。
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-22976409
(※)グイド・フォークス(Guido
Fawkes、1570年4月13日(ユリウス暦) - 1606年2月10日)、あるいはガイ・フォークス(Guy Fawkes)は、1605年にイングランドで発覚した火薬陰謀事件の実行責任者として知られる人物。ウェストミンスター宮殿内の議場地下の石炭貯蔵室を火薬の樽で満たす陰謀に加担、捉えられて拷問・死刑に処された。立派な髭を蓄えた赤毛の偉丈夫であったといい、ウェールズ方面では国王暗殺を試みた罪人として扱われるが、スコットランド方面では自由を求めて戦ったfolk hero(民間伝承の英雄)視される。ガイ・フォークスの仮面は、コミック作品を基にした2006年の映画『Vフォー・ヴェンデッタ』の主人公Vの仮面として世界的に知られることとなり、その後アノニマス、ウィキリークスのジュリアン・アサンジ、世界各国の「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」の活動にも用いられ、「抵抗と匿名の国際的シンボル」と認知されるようになった。
トルコでの動乱は5月下旬に、公園の取り壊し計画をめぐる小規模な座り込みから始まったが、 軽圧の弾圧ののち、より大きな反政府的な抵抗へと、スパイラル上に発展した。 |