Sunday, August 30, 2009

“オバマケア”法案の危機と米国/Liberal Suicide March - By DAVID BROOKS

 
…「米国人に国民皆保険を!」…
オバマのヘルスケア法案の実現性に
保守派が日ごとに非難の声を高めているとか?

リベラルの自殺への行進 By デビッド・ブルックス(7/21、NYタイムス)

 共和党が、アメリカという国へのタッチ(実感)を失っていくのを見るのは興味深い。その党というのは、穏健派についても、スウィング・ディストリクト(支持党派未定、動きやすい選挙区)の代理人たちについても理解したり、共感したりすることのない、南部の保守派層によって率いられている。

 彼らは世論調査の調査員たちを彼らの党の集会に招いては、この国が彼らの後ろに熱狂的に付き従っているのだ、と納得させようとする。彼らは、彼らのインタレスト・グループ(利権受益団体や企業)によって支持され、そうしたグループの運動家たちや、党派主義のメディアからの喝采をうけている。彼らは国の資金を支持層の拡大のために費やし、その代わりにこの国を胸のむかつくような気分におちいらせる。

 民主党が、アメリカという国へのタッチ(実感)を失っていくのを見るのは、面白くない。なぜなら、そのプロットライン(あら筋)は全く同じだからだ。その党というのは、穏健派たちについて理解したり共感することのない、大都市や海岸地域の孤立した(狭量な)リベラル層に支えられている。彼らはお気に入りのcherry-picking な(何事にもいいとこ取りを好む)世論調査員たちを抱え、彼らの親しいメディアと運動家たちの繭に包まれ、支持票獲得のため借金を湯水のように使う計画に包まれている。

 このイデオロギー的な無謀なやり過ぎは、もはや、前回それが起きたときほどには成功していない。月曜日にWashington PostとABCニュースが発表した世論調査は、他の調査の結果と同じ結論をみいだしている──殆どのアメリカ人は、個人的にはバラク・オバマを愛しているが、民主党の政策への支持率はすでに急速にすべり落ちつつあるという。

 たとえば、オバマのヘルスケア(医療制度改革)政策の取り組みへの支持率は、4月の57%から49%へと急下降した。不支持率は、29%から44%へと上昇した。ごく最近の6月には、年収5万ドル以上の投票者たちがオバマの提案する医療制度改革案を、共和党のそれより21ポイントの差で支持していたが、いまや、それらの投票者たちは半々に分裂している。

 多くの無党派層は、今やオバマのヘルスケア戦略を認めていない。3月にはわずか32%の米国人が、オバマはオールドスタイルなtax-and-spend liberal(無闇な増税で財源を確保しようとするリベラル)だと思っていた。そして今や、43%の人がそう思っている。

 我々は、もはや、リベラルが自殺への行進(liberal suicide march)へと突き進む、初期段階にいる。しかし、そこには既に3つのフェーズがある──第1段階として、そこにはStimulus package(公的資金注入による経済刺激策のパッケージ)があった。あなたは、それは失業対策や不況下の経済への刺激のために構想されている、と思ったかもしれない。でも、民主党議員たちはそれを、7,870億ドルの借入金で彼らの愛玩するプログラムを行うための口実に利用した。その資金のわずか11%しか、本会計年度中には使われないだろう──プラグマティズム(実証主義)に対するイデオロギーの勝利、というわけだ。

 次に、そこには予算がある。財政赤字への穏健派の懸念を和らげる代わりに、その予算は、2009年から2019年にかけての政府による借金を11兆ドルに増大させると見積もられている。

 最後に、そこにはヘルスケア政策がある。Ann Coulter (極右派の有名女性コラムニスト)が民主党に投げつける陳腐な決まり文句はすべて、民主党のヘルスケア法案の件で壮麗に埋めつくされている。その法案は、ヘルスケア・インフレのコントロールには、ほとんど何の効果もない。彼らはマサチューセッツ州の医療制度改革法をモデルにしているが、同州のシステムは、詳しくいえば今やコストをコントロールできず縫い目からほころびつつある。彼らは(医療保険の)効果的な供給者には報酬を与えず、非効果的な供給者に対しての改革を行おうとしている。

 下院における法案では、連邦の財政赤字を最初の10年間に2,390億ドル増加させる、と連邦議会の予算事務所はいう。それはスモール・ビジネスに8%のペイロール・ペナルティを課すことによって墜落させる。それはアメリカの最高所得税率を、イタリアやフランス以上の高率へとつり上げる。ニューヨーク州とカリフォルニア州のトップ所得層は、所得の55%以上を政府の一つ二つの機関に支払わなければならなくなる。

 ナンシー・ペロシ(民主党・下院議長)への支持率はディック・チェイニーよりも低かったが、今やサラ・ペイリンよりもはるかに彼女への支持率は低い。それにも関わらず、民主党は彼女の政策の価値で日々を営もうとする──これは選挙民の景色が独立個人に支配される時代というべきだろう。

 この左がかった勢力の台頭を誰が止めるのだろう。1ヶ月前に、オバマは中道左派の連立を先導していくようにみえた。しかしその代わり、彼は首都キャピトル・ヒルの年老いた雄牛たちに対して、課題から課題へと譲歩を続けている。

 マキアベリは、リーダーは愛されると同時に畏れられるべきものだといっていた。オバマは民主党議長には気に入られているが、畏れられてはいない。ヘルスケア法案ではオバマはコスト・コントロールを主張した。しかし議長は彼の考えを無視した──彼らは、彼を畏れていないからだ。キャップ・アンド・トレード(Co2排出権の国際取引)では、オバマは大気汚染の排出権取引による相殺に反対した。議会は彼を畏れていないので、彼らによる法案をオバマに書きおくった。税制改革では、オバマはクリントン時代における最高税率よりも引き上げたりしない、と約束した。議長は彼を無視した──彼を畏れていないからである。

 そのことは先週、青色州の民主党議員たちへの課題を残した。彼ら、勇敢な穏健主義者たちは連邦財政の爆発をおし止めようとしている。しかし穏健派にはもともと、古参としての地位がない(彼らはSwingDistrictsからきたから)。彼らはつねに大抵、最後には古参リーダーの力に買収されてしまう。
 そして再び、我々はここにいる。新たなマジョリティ(多数派)はいつも、自分たちのもつ権限を過大視しがちだ…我々は前にもここに来た、そして我々はまたここにいる。 

http://www.nytimes.com/2009/07/21/opinion/21brooks.html?pagewanted=print

Thursday, August 20, 2009

パレスチナの謎の武装カルトグループ?/Jund Ansar Allah group was armed by Fatah operatives, Hamas claims


8月14日にガザで勃発した、
カルト系イスラム武装グループとハマスの戦闘… 
このグループとは何者だ
ったのか?

 この週末の流血で、ハマス民兵と治安部隊とそれに対するJund Ansar Allah(’神の従者の戦士達’)とが戦い、28名のパレスチナ人が死亡、120名以上が負傷した。グループのメンバー90名以上も逮捕拘束された。 グループのリーダーは金曜日の礼拝で突然、ガザ全域でのイスラム・カリフ公国の設立を宣言し、ハマスに対して、仮借のない口調で非難を行い、100名ほどの礼拝者たちを驚かせた。その後ハマスの民兵と警察官が周囲を包囲、彼らは自動小銃と迫撃砲によって応戦した。  
  この戦いは土曜日の朝に、リーダーのAbu Noor al-Maqdisi(Sheik Abdul Latif Moussa)と、シリア人側近(Abu Abdullah al-Muhajir)を含む数名の部下たちが逮捕されようとした際、爆弾のついたベルトで自爆したことで終了した…。 ハマス側の武装部門Izzadin Kassamのトップ・コマンダー、Muhammad al-Shamaliもこの戦闘で死亡、警官6名も死亡したという。

Jund Ansar Allahには、ファタハの工作員が武器を渡していた?(8/16、The Jerusalem Post)
 Jund Ansar Allahとは、ここ2、3年ガザに台頭してきた原理主義グループの一つだ。彼らはハマスによるガザの政府が、スーダンやその他のイスラム諸国のような厳格なシャリア法(盗っ人は両手を切断され、姦淫者は石打ちの刑などと定めるイスラム法)を実行していない、として非難した。彼らはアル・カイダを信奉すると称したが、アル・カイダとの実際の繋がりはないとみられた… 近年、ハマスが弾圧したパレスチナの原理主義グループには、他にAnsar Bet al-Maqdes, Tawheed and Jihad, Army of Islam、Jund Muhammadなどがある。 ハマスの高官はJ-Postに対し、Jund Ansar Allahはガザのファタハの元警官および治安担当者によって武器を供給されていた、と語った。西岸のファタハのリーダーたちが、ハマス政府に損害を与えるために彼らを利用していた可能性も排除できないという。

 ハマスによると、同グループは最近ハマスの名声を損なうべく、ガザ領内でカフェやヘア・サロン、Music Shopなどの幾つかの爆破を行い、また2週間ほど前にDahlan家の結婚式会場の爆破も実行した。〔*Dahlan家はファタハと関係の深いクランで、西岸のファタハのリーダーMohammed Dahlanは最近その中央委員会に選出された …同グループは、ガザ市内のインターネット・カフェのさらなる破壊を予告、海辺の人々がより質素な服装をすべきだと警告していた〕…ハマスによれば、同グループのメンバーは、殆どがモスクで勧誘されたティーンエージャーで、彼らは2002年のイスラエル軍の西岸でのOperation Defensive Shield による侵攻の後、「絶望感を爆発させて」、その行動を激化させた。

 死亡した彼らのリーダー Sheikh Abdel Latif Mousaは、ガザでも最も影響力のあったモスクの説教師の1人で、その金曜礼拝は何千人もの若者をひきつけていた。彼の人気の高さから、その信奉者たちは彼が自らを、ガザのイスラム・カリフ公国の支配者を名乗ることを願っていた。彼の主な主張とは、ハマスは余りに寛大で穏健になりすぎた、というものだ。彼は2年前に自分のRafahの私設診療所を放棄、反ハマスの運動に全生活を投じて信奉者の確保を試みた。彼らはハマスの度重なる警告にも関わらず、Rafah郊外のBrazil 地区のモスクを本拠地と定めた。
 このグループの解体と彼の死は、ハマスにとって顕著な勝利であり、何れにせよハマスのガザでの勢力が維持されることを意味する。
http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1249418612530&pagename=JPost%2FJPArticle%2FPrinter

ハマスとアル・カイダ系グループとがガザで激戦(8/16、The Observer)
  …サラフィストのグループ、Jund Ansar Allahはオサマ・ビン・ラディンの思想を奉じ、彼の言葉やテロリスト訓練ビデオをそのウェブサイトに掲載、ガザは厳格なシャリア(イスラム法)で支配すべきだ、と求めていた。同グループは6月初めに、Nahal Oz の国境地域でイスラエルへの攻撃を行い、トラックと馬に乗る10名ほどの武装兵士を動員し、その何人かが自爆用ベストを身につけていた。

 …先にハマスのリーダーが発表した、反乱グループはみな「外国籍」だった、という情報と異なり、ハマスは今日の戦闘の死者にパレスチナ系シリア人がいた事を認めた(…ハマスの内務省スポークスマンは、パレスチナ系のシリア人 Khaled Banat 〔Abu-Abdullah al-Suri〕が戦闘における死者に含まれていたとする。) ハマスによれば、グループのリーダーSheikh Moussaは「精神的に不安定」だったが、Sheikh Moussaはどうにか何百名もの若者を勧誘した…彼らの幾人かはアフガニスタンやイラクのジハード戦士達のスタイルを模倣して髪や髭を長く伸ばし、同じような衣装まで身に着けていた。彼らのウェブサイトにはイスラエルへの攻撃準備の様子を撮影したビデオがあるが、多くは馬の背に跨る男たちによって運ばれ、弾薬は馬の背に積まれている─ それは彼らがグローバル・ジハードを唱え、パレスチナのナショナリズム闘争に焦点を当てたハマスには反対していたことを示す。馬の背に跨った作戦とは、イスラム帝国が世界を征服した時代を模倣したいという願いを象徴している…

 Jund Ansar Allahは、ガザから出現した最初の強硬派ジハーディストのグループではなく、またアル・カイダ系のグループがここで鎮圧されたのもこれが初めではない。昨年の、ロンドンのal-Hayat紙のインタビューによると、ファタハのMahmoud Abbas首相はハマスが、アル・カイダがガザに入ることを許している、と非難していた。不明なのは、ハマスがNahal Ozでの攻撃を仕掛けたグループの鎮圧に、なぜこんなに長く時間を要したかだ。ハマスは他のジハード組織が出現する度に、すぐに鎮圧してきた──例えばBBC のジャーナリスト Alan Johnstonを07年に誘拐したArmy of God(巨大なDogmoush 部族クランに属する組織)などだ。最近のJund Ansar Allah に対する動きは、大局的にはハマスの支配への努力の一環、少なくとも同グループによるハマスへの批判や、彼らによる武器隠匿とそのことの誇示などを排除することが狙いのようだ。

 ハマスと同グループとの紛争の根底にはより複雑な思想的、宗教的なものがある。…ハマスは、少なくとも思想的には、シャリア法の実施を人々に強要するよりも、自分たちがその模範例となることを信条にしているといい、ジハード主義者たちの、モラルは強制されるべきだとの考えとは異なる。しかし、より重要なのはおそらく政治的な外観の違いだろう。ジハード主義者のグループはグローバルなカリフ公国を暴力を通じてでも実現したいとしているが、ハマスはそれ自身の立場をパレスチナの紛争のみに限定した「レジスタンス」組織だとし、その為にイスラエルとの停戦の維持も受け入れる。ハマスはまた、アル・カイダの他の国での爆破事件も非難する──ハマスのスポークスマンSami Abu-Zuhari は、同グループは「思想的に後退」し、単独で行動していたのだと主張する。彼は「このグループは外部のいかなる組織とも関係がない」。「このグループの誰にも、法律を支配する権利はなく、そして法を尊重しないグループは治安当局によって対処される。」という。http://www.guardian.co.uk/world/2009/aug/15/hamas-battle-gaza-islamists-al-qaida
Who is Al-Maqdisi? (Asharq Al-Awsat)
http://www.aawsat.com/english/news.asp?section=1&id=17785
Profile: Jund Ansar Allah (BBC)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/8203239.stm
Video:Islamists killed after challenging Hamas - 15 Aug 09 (Al-Jazeera English)http://www.youtube.com/watch?v=rCaC7bHxj5o
 ハマスがこのグループの弾圧で示そうとしたのは、パレスチナの叛乱勢力に対する断固たる支配の姿勢、またアルカイダなどの反米過激派グループに反対する姿勢を米国や国際社会に示そうとした…(アルジャジーラ)

Wednesday, August 19, 2009

タリバンの支配するアフガン南部/Despite US troops, Taliban roam freely in south - By KATHY GANNON


タリバンが治外法権をしくアフガン南部地域は、
欧米が石油パイプラインを通せない、
最後の砦だとも いわれるが…?


米軍の駐留にも関わらず、アフガン南部をタリバンは自由に往来する - By キャシー・ギャノン (8/18、AP通信)

 タリバンにとっては、南部アフガニスタンの一地域だけの地方判事の任命権だけではもの足りない。地域住民が腐敗した政権への懸念に神経過敏になっていることを受けて、Helmand 県のMusa Qala 地方 の武装勢力は、地域の判事たちがわいろを受け取っていない、と証明するための委員会を設立した。そして、現政府の組織の多くの役人たちの場合と異なり…この仕組みは機能した。「ある判事がわいろを受け取ったことがわかったとき、タリバンは彼の顔全面を黒く塗って、樹にくくりつけたのだ」、とビジネスマンのEitadullah KhanはAP通信に語る。「そして彼は解放されるとすぐに、解雇された。」

 南部アフガニスタンは今年、米軍が2万1千名の追加兵力を派遣しようとする地域だが、その地は木曜日の大統領選および州議会選挙の合法性が、有権者の投票への参加率によって検証されるべき地でもある。
そこではまた、タリバンがその最強のインフラを整備している─武装兵士たちが存在するうえに、裁判官システムと、武装勢力の任命した地方首長たちが存在し、影の政府があるのだ。

 このタリバンの行政制度は、アフガン政府よりも腐敗が少なくより効率的なものとみられており、地方の住民は彼らの方をより好ましいとみる…または彼ら以外を認めることを怖がっている── それが、米国とNATOが求めている地域住民の対・反乱勢力の作戦への支持の獲得を困難にし、また選挙の投票率を上げるたいと望むアフガン人にもその実現を困難にしている。

 公けには、米高官たちはタリバンが影の政府を運営するほどの能力は持たない、という…彼らの脅迫の能力は認めていながらも。
「タリバンには、影の政府を運営する能力などない──彼らはそうした方法による作戦はとらない。彼らの行動とはこの国を、恐怖とテロで引き裂くことなのだ」、と米軍の下位士官チーフで米軍スポークスマンであるBrian Naranjoはいう。「我々は、彼らをアフガニスタンの民衆に対する脅威として深刻に捉えているが、しかしタリバンよりも人々の方が彼らに勝っていると我々は知っている。」

 米高官たちのなかには、タリバンが効果的にコントロールし、アフガニスタン軍の入れない"no-go" area(侵入不可地域)が存在する、と認識する人たちがいる。先月LAタイムスのインタビューで米軍の最高司令官、Stanley McChrystal大佐が語ったのも、「現実的にいって、タリバンに支配されている地域が存在する」ということだ。

 6年近く前、Mullah Mudaser師は、欧米軍兵士の死者の増加の陰にあった路肩爆弾(roadside bomb)の作り方を学んだタリバンの最初のグループの1人だった。
その当時、彼にはパキスタン国境を越え密かに潜入し、訓練のために隣国を行き来する必要があった。今日、彼は武装兵士たちをアフガニスタンで訓練しつつ、AP通信の記者とKandahar 市のど真ん中で羊のカバブの食事を取りながら会見することにも何の障害もない。

 Mudaser師は、タリバンが武器と弾薬、自爆用ベストをKandahar市近郊の幾つかの場所に密かに備蓄しているという──それは2001年の米国主導の侵攻以前に、タリバンの精神的・戦略的な本拠の地だったのだという。 アフガンでの10万人以上の米軍・NATO軍の駐留にもかかわらず、Kandahar市の住民は、タリバンの武装兵士たちが同市の北部と南部の近郊地域を何の咎めもなく通行し、(選挙へ行く者への)脅迫を記した「shabnamas…(または、夜の手紙)」を配布したり、女性の運動家や女子生徒たちを襲ったりしていると話す。

 武装勢力のインフラは田舎の方で最も強く拡がっている。タリバンは彼らがパシュトゥン族地域の田舎の65%を支配していると主張する(──この数字は確認のしようがないが)。Kandahar 県、Zabul 県、Helmand 県、Uruzgan 県及びNimroz 県では、武装勢力が数箇所の郡地域を支配する、と国連は述べている。
「田舎の辺境地域は政府の支配が難しい」、と国連高官Samad Khaydarov は爆弾防護壁と分厚いスチール製の障壁、そして数名の制服警官が警護するKandaharの彼のオフィスでのインタビューで、語った。「タリバンは特に数箇所の郡とその他の地域で、イスラム聖職者たちや部族の長老達の間に影響力がある。」
タリバンの厳格なイスラム教の裁判システムは、武装勢力の影響力の最もぎらぎらした証拠だ。

 Kandaharの隣のHelmand県では何千名もの英軍が駐留しているが、Musa Qala地区のタリバンは定期的な裁判の日程を組んでいる、とビジネスマンのKhanはいう。毎週木曜日に、村民は、もめごとの仲裁をおこなうタリバンの判事の前にたつ。
30歳のKhanはかつてはHamid Karzai大統領の支持者だったが、Karzaiの政府の腐敗に幻滅を感じたといい、タリバンの仕事を賞賛の言葉をちりばめて語る。
「タリバンはよくないグループだった、しかし政府の人間たち…こうした人間たちは今や泥棒で、殺人者だ」
Kandahar のZherai 地区のある大地主は、タリバンが彼の地域内を自由に往来し、そこにも裁判所を建てたのだと、彼は身の安全のために匿名を条件に語った。ある元政府の役人は 「いくつかの地域では、夜はタリバン、昼間は政府の役人が支配している。」と、これも匿名を条件に語る。「誰もタリバンから身を守ってくれはしないからだ」。
 米国とアフガンの政府関係者は、選挙を前に南部の治安確保にむけ奔走している。既に同地域の武装勢力が、投票するものは暴力にあう、との警告を発している。
米軍はHelmand 県のNow Zad地区で大規模な攻撃をおこない、タリバンを Dahaneh の街から一掃し、投票所の設置を可能にしようと試みた。

 アフガン政府と米国諜報部は、アフガニスタンのタリバンが隣国パキスタンにいくつかの拠点基地もつことを特定した。そこにはQuetta shura と呼ばれる10名の委員会(committee)があるという。Mudaser は、アフガニスタンでのタリバンのインフラは過去2年間の間に癒合・合体しつつある、と述べる。

 彼の出身地のZabul県では、反政府勢力の地域支配者は Mullah Ismailであり、Mudaserのボスの軍事的司令官はMullah Basharで─彼はタリバンの全国的な防衛大臣のMullah Abdul Ghani Baraderに報告の義務がある。2006年のタリバンの軍事司令官Mullah Akhtar Mohammed Usmaniの死後、Barader はタリバンの戦場での司令を発している。

 南部のパシュトゥン族支配地域の何十もの郡部では、タリバンが警察のチーフも任命しているとMudaserはいう。彼は彼の指揮下に120名のタリバンの部下がおり、何百人もの兵士に路肩爆弾の製造法を教授した。南部アフガニスタンでそうした多くの兵士の指揮権をもつ今、彼は彼のスキルを、パキスタンまで隠密に旅して教える必要はもうない。
 「今ではその製造法を知る者が何百人もいる。」 彼は、どのようにしてマーケットから材料を入手し、220パウンド以内のその材料を使って爆弾を作るかについて付け加えた。
http://hosted.ap.org/dynamic/stories/A/AS_AFGHAN_TALIBAN_PRESENCE?SITE=AP&SECTION=HOME&TEMPLATE=DEFAULT

Tuesday, August 18, 2009

タリバンとの和解への戦略とは?/Peace Talks With Taliban Are a Top Issue in Afghan Vote - By CARLOTTA GALL

大統領選を前にタリバンの脅迫テロが激化…
アフガンの政治家や米国は、タリバンとの和解戦略をどう描くのか?

タリバンとの和解の討議、アフガン選挙のトップ・イッシューに─ By カルロッタ・ゴール (8/17、NYタイムス)

 アフガニスタンの大統領選の候補者が立場を表明する際には、タリバンとの和解の討議をいかに行うかは、避けては通れない。この戦いは終結させねばならない、という大ざっぱな合意はあるものの、Karzai政府がタリバンの反乱を鎮めるべく効果的に動いているかについては、議論が渦巻いている。Karzai大統領はこれまでしばしばタリバンとの交渉を口にしてきたが、具体的成果は少なかった。政府のタリバン武装勢力との和解プログラムはほとんど機能せず、サウジアラビアによる仲介も滞った。選挙実施のためのタリバンとの契約への努力はいまだ検証されない。そんな中で、オバマ政権は今、タリバンが拡大した勢力圏を取りもどすために、何千もの追加兵力をアフガンに派兵したところだ。

 世論調査では依然、首位候補とされているKarzai氏は、タリバンとの交渉を最も声高に叫ぶが…彼はもしも再選されたなら、伝統的な部族の会合を開いて、タリバンと、もう1人の反対勢力のリーダーのGulbuddin Hekmatyarを招待することを公約した。この2, 3週間の間に彼の政府は、タリバンの地方司令官たちに、部族の長老たちを通じてアプローチする、という政策のイニシアチブをとった。政府はまた、こうした部族に属する何千人もの若者を、政府の地方の警護部隊の一部として(選挙の安全な実施を第一の目的に)雇うことで部族社会を統御しようという働きかけを始めた。しかし Karzai氏の3大ライバル候補者たちは、彼はこうした公約を実行した実績がないと批判的だ。

 Abdullah Abdullah、 Ashraf Ghani、そしてRamazan Bashardostの3大候補もともにタリバンに反対するが、彼らもまた、もしも選出された場合には彼らとの和平実現を第一の課題とすることを約束している。候補者たちが提案する解決法は異なる:タリバンの上層部リーダーたちと包括的な和平交渉を行うか、またはミドルレベルのタリバン司令官たちや下級兵士たちとの交渉──それは過去7年間試みられたが、タリバン組織の武装人員数が膨れ上がり、殆ど成功しなかった戦術だが…──を引き離して実施するか、だ。

 最大の反対勢力、the National Frontの候補Abdullah氏と、前財務大臣のGhanil氏は、地域コミュニティや部族評議会を通じた草の根的なアプローチによって、政府に対し武器をとった人々の嘆きに語りかけることが第1のステップだ、という。「人々の支持を失えば、戦争には負けるのだ。」とAbdullah氏はインタビューで語る。Ghani 氏は、次のステップとしてまずは停戦し、その後に政治的なネゴシエーションをすべきだ、と主張する。彼は「これは簡単なことではない」、彼は報道陣へのブリーフィングで語る。「これはとても複雑で、困難なことだが、我々は相互信頼のための条件を設定する必要があるのだ。」

 国連のアフガン・ミッションの主任、Kai Eide氏は、ワイドレンジの働きかけによる政治的な解決策を主張するうちの1人だ。和平プロセス、または和解策と彼が好んで呼ぶのは、アフガンがタリバンを長年、支援していたパキスタンとの関係を改善したように、いかなる新たな政府であっても最重要課題とすべきことなのだ、と彼はいう。彼は、こうしたプロセスのグラウンド・ワーク(基本設計)は、来春に新たな戦いのシーズンが到来する前にその機先を制すべく、冬の間を通して実施されるべきだと述べる。彼はまた、この努力は米軍が思い描いているタリバンのローカルな司令官達との和解と再統合よりも、広範なプロセスであるべきだと述べる。「あなた方(米国人)は異なる見方をしている…あなた方は地方の県から県へ、地域から地域へ、ローカル・レベルでそれをやれると信じている。…私はそれができるとは思えない。もっと包括的なプロセスでそれを実行することが必要だ。」

 しかし、米国とNATOが望んでいるのは力による立場からの交渉だ、と外交官や米軍幹部はいう。「和解は重要だが、それは今、やることではない。」、カブールのある西側外交官は匿名を条件にこういった。「反乱勢力がもっと弱体化し、政府がもっと強くならない限りそれを起こすのは無理だろう。」

 独立系の政策研究グループ、Afghanistan Analysts Networkの共同ディレクター、Thomas Ruttigは最近のレポートのなかで、反乱勢力の多くの異なる小グループに対し、マルチ・レイヤーで(多層的な)コンタクトをとることを提案している。彼はアフガンの国内全域での長期的な和解プロセスを通じて、政府勢力から疎外されタリバンに合流した多くのグループに訴求し、30年にわたる戦乱の傷を癒すべきだ、と提案する。

 オバマ政権はこの件を進めるために小さな公の努力として穏健派タリバンとの対話を提案したが、アル・カイダと関係のあるグループとは一線を画すとした。「我々と我々のアフガンの同盟者たちは、アル・カイダを非難し、武器をすてるタリバンの支持者たちを、そしてアフガンの憲法を奉じながら自由で開かれた社会に進んで参加する人たちを歓迎する用意がある。」とヒラリー・クリントン国務長官は先月のスピーチで述べた。

 しかし批評家達は、タリバンに降伏を求めることは、本質的に何の結果ももたらさないという。政府を訪れたタリバンの少数の上級幹部たちは、政府と外国勢力に対しての大きな不信感を抱いており、それはタリバンの下級のメンバーたちの気持ちすらも阻んでいるという。それは彼らが、政府と外国勢力による部族リーダーたちや長老たちへの粗末な扱いを見てきた為だという。

 2005年に、和解プロセスのもとで政府を訪れたHelmand 県の主要な部族リーダー、Abdul Wahid Baghraniは、2001年に Karzai氏との間でタリバンの降伏についての討議をした。彼は今はカブール西部の家に住むが、その絶大な影響力にも関わらず政府から全く無視されているという。3ヶ月前に、彼の32才の長男Zia ul-Haqは、妻と運転手と共にHelmand県を旅行していた際に車の上に襲来した英国軍のヘリコプターによって殺害された。2人の西側政府関係者が銃撃について証言したものの、それは誤射であり、英軍はタリバンの上級ターゲットを捕える積もりだった、といった。「私の息子は武装したタリバンではない、彼は宗教的タリバン(神学生)だった、」と彼は言う。Talibとは宗教学校の学生の意味なのだ。「いかなる法的立場からいっても、市民の車を銃撃する事は許されないことだ。」

 息子の死にもかかわらず彼はカブールに残り、和解への討議を擁護しようとしている。彼は、タリバンのリーダーのMuhammad Omar師が和解不能の人物だ、と考えるのはまちがいだ、という。「それは、彼を知っている人々、彼とともに働いている人々の意見ではない。」 「もちろん、タリバンと和平を打ちたてるというのは不可能だ─彼らはアフガン人なのだ。」と彼は言う、「彼らが戦っている理由というのは、彼らには、和平を結ぶための機会を得ることができないからなのだ。」
http://www.nytimes.com/2009/08/18/world/asia/18taliban.html?hp

Monday, August 17, 2009

米国のアフガン戦略の大きな過ちとは?/Did We Take a Wrong Turn in Afghanistan?Absolutely. But it's far too early for despair.- By Christopher Hitchens


…選挙を前に、アフガニスタンの状況は刻々と変わっている?

オバマの新戦略の背後にあるものは?

我々はアフガニスタンで誤った方向転換をしたのか?絶対にそうだ、しかし絶望するにはまだ早すぎる ─ (7/16日、 By C・ヒッチンズ) 

 Rory Stewart *は、アフガニスタンの解放にもっとも知的に、情熱的に関わってきた人物の一人だが、彼がその7/9のエッセイ "The Irresistible Illusion" **で書いたことは注目に値する。我々のリーダーたちも共通に抱きがちな、この問題の描写を引用してみよう:

 ポリシーメーカーたちは、アフガニスタンを 反テロや、反乱勢力との対決、国家建設や 経済発展、というカテゴリーでとらえるが、これらは相互に強く関係していて、どんな組み合わせで組み合わせることも可能だ──国家建設のためにはタリバンを撃退しなければならない…タリバン撃退の為には国家建設を進めねばならない。経済発展なくして治安はない…または治安の確保なくして経済発展はない。タリバンがいるなら、テロリストがいる…もしも国家発展がないならテロリストは居すわり続ける─そして、ニューヨーカー誌にオバマが語ったように、「もしも政府の支配の及ばぬ地域があるなら、そこはテロリストの天国になる」…

 私はしばらくの間アフガニスタンを訪れていないが、しばらく前に、間違った方向転換がとられたという印象を逃れるのは困難だ。または…それがいかなる度合いだったにしても、幾たびか間違った転回があったのだろう… それは「麻薬戦争」における敗北、空爆への依存過多による一般市民への威嚇と被害拡大、国境地域の多くの地点をタリバンとそのパキスタンの支援者に譲ったこと、腐敗や汚職の検証や防止の失敗、そして今、誰もきわだった候補者のいない大統領の再選挙へとむかっているHamid Karzai の政府の無能力さ、などだろう…。

 Stewartは、米軍の「増派」戦略がこの状況をくつがえせる可能性は不確かなものだ、と指摘する。アフガニスタンには、多大な数の公衆に支えられた政治的(政党)グループはなく、カブールという都市にもバグダッドのような相対的な強さや、法的正当性もない。アフガンの部族グループには、スンニ派のイラク人グループの様にたやすく接触はできないし、彼らはスンニ派のようなレベルのグループの団結性(首尾一貫とした集中性)や法的正当性ももたない。こうした状況のなかでこそタリバンは反・ソビエトのムジャヘディンたちと最低でもある程度は匹敵する成功をなし得たし、イスラム教的信念の擁護者、外国侵略軍の敵として振る舞い、そして幾つかの地方の県や町々では実質的な政府も打ち立ててきた。

 しかしその展望はあなたが想像するかもしれないほど、完全に暗くもない。私がアフガンの内陸部を訪れた際の経験では、私はタリバンが、かつてのムジャヘディン達が経験しなかった大きく不利な点をもっていることに気づかされた──彼らはアフガンにおいてすでに政権を打ち立てたことがあるが、それによって余り愛されてはこなかった。数え切れない多くの人々、特に女性や都市住民たちには彼らの醜悪かつ残忍で愚かな支配の記憶がある。多くのアフガン人は彼らから逃れるために国を出て、そしてタリバンが放逐された後にようやく帰国することができた。いくつかの宗教的・民族的少数派のグループもひどい迫害を受けたため、タリバンの新たな支配には服するとは思われない。Rory Stewartはこうも書いている:

 ハザラ、タジク、そしてウズベク族の人々は、1996年の当時よりもより裕福となり、社会的地位も固めてパワフルになったため、彼らの地域をタリバンが支配することに強く抵抗するだろう。アフガニスタンの国軍も効果的に力をつけている。パキスタンはかつてのように、タリバンを支持する立場にはもうない──こうした状況によって、タリバンが通常兵器による軍を結成して戦車や高射砲をカブールへの主要道路に設置していた96年当時のような活動を阻むにも、外国軍や外国機による支援は現在の我々の駐留規模よりもはるかに低レベルな数を要請すればすむだろう。

 Stewartや他のアナリストたちのいうことを正しく読んでいるなら、彼らはアフガニスタンで我々が善なるものの敵をせいぜい最大に利用している、と警告しているのかもしれない。このことは私に、ウェールズの偉大なラディカリスト、Aneurin Bevan が1950年代末のキプロス紛争のさなかに、英国の保守党員たちに語ったことを思い出させる──彼は英国政府がキプロスの基地を維持したいのか、あるいは島全体を拠点(基地)として維持したいのかを政府自身、分っていなかったように見える、と指摘していた──その喩えを敷衍するなら、我々は…我々自身がアフガニスタンの国と社会全体の運営を遂行するという責任を負うことなしに、アフガンでの出来事を我々の心からの願望に近い出来事のようにとらえる(感ずる)ことができないというわけだろうか?

 Stewartを、再び引用しよう:「軍の兵力削減と国家再建からの撤退は、完全なる撤退と見られるべきではない、電力や水の供給、灌漑、国民の健康や教育、農業政策、地方の発展などの善いプロジェクトは、継続することができる」 軍事的な前線では、アル・カイダをアフガニスタンから遠ざけ続けることはできる──たとえ代わりにパキスタンに追い込んだとしても (…今現在の状況と同様に…特殊部隊と空軍偵察機の使用によって。) もしも、どこか別の地域のタリバン系地方軍閥によって、タリバンに新たなる安全な天地が与えられても、我々はそれを、隣国を拠点とした「地平線の彼方からの兵力("over the horizon" forces )」を使って掃討することは、躊躇しない。

 問題となるのは…イラクにおけるぜい弱な失敗への批判をそらしたい、という懸念のなかで…(そして、アフガニスタン-パキスタン状勢が今現在より明るかった時点でそれを言い始めていたから) オバマは彼が今それを実現したい、と望めるよりも多くのことをアフガニスタンで行う、と約束していた可能性がある。そして我々は…NATO同盟軍がますます苛立つなかで…いまやアフガニスタンの治安維持のための巨大な、新たな軍事施策に、日々拡大するコストとともに身を投じているのだ。英国でさえも今、アフガンでの犠牲者の拡大と、常に後退し続ける政情の不安定さには、動揺を表明している。最後に、そしてイラクとは異なる点として、アフガニスタンには経済活動がない──(我々があまりに愚かに根絶やしにしようと頑張っている「インフォーマル(非公式)な経済活動」以外には)。それでも、絶望や無条件降伏にはまだ早い、多くのオプションがある…それについて語ることも考えることも可能であるべきだ…Stewartのエッセイはそれを語るよいスタートになる。 http://www.slate.com/id/2223056/
*:Rory Stewart (2003年、当時30歳のペルシャ語とアラビア語を少々話せる英国外交官だったStewartは、ヨルダンの英国公館に「職探し」に訪れ、突然イラク南部の地方官に任命され、イラン国境に近い湿地帯地方での赴任の経験を手記 "The Prince of the Marshes" http://www.slate.com/id/2146691/entry/2146692/  に描いた)
**:http://tinyurl.com/mkskkx

アフガニスタンの米軍司令官、アフガン市民を守るための戦略転換について語る (7.26 LAタイムス)  
 カブールからの報告。米国および同盟国軍は、アフガン市民の安全を守ることを焦点に、そのミッションを変更せねばならない─ たとえ、より人口の少ない離れた地域でタリバンが比較的自由に跳梁跋扈することを許したとしても、と米軍のトップ司令官。
 …同国駐留米軍部隊の作戦の洗い直しのために派遣されたStanley A. McChrystal大佐は、緊張の高まる戦争の方向性を転換する、彼の新たな戦略について語った。
米国国民の、犠牲者の数の増加に対して高まる懸念のなかで、大佐は来年までに成果を見せなければならない。「人々の誰もが見ている。私がいうのは米国とかヨーロッパの国々の人々だけをいっているのではない。タリバンも見ている、アフガニスタンの人々が我々を見ている。」と先月、司令官に赴任した大佐はいう。「彼らは我々の新しい戦略へのコミットメントについて診断する、彼らは我々の新戦略の解決法や、いかにして成功するかについて判断を下すだろう。」大佐はより一層の兵力増派の必要性については言及せず、彼の戦略とは反乱勢力を非戦闘員から隔てること、そしてアフガン政府の信頼性を増すことだと語った…

http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-afghan-interview26-2009jul26,0,5576419.story


Friday, August 14, 2009

ベイトゥラ・メスード死す?/Baitullah: Dead or alive, his battle rages - By Syed Saleem Shahzad

…Baitullah Mehsud将軍は、パブリシティやプロフィール写真の露出を嫌った …時にはジョーク交じりにカムフラージュの衣装をつけていたとか?

ベィトゥラが生きていようと死んでいようと、彼の戦いは続く─ By Syed Saleem Shahzad (8月8日、Asia Times)

 パキスタン、および米国の当局はいまや、パキスタンのタリバン組織のリーダーで、TTP(Tehrik-i-Taliban Pakistan:パキスタン・タリバン運動)の首領ベィトゥラ・メスードBaitullah Mehsudが、水曜日(8月5日)に南ワジリスタンの部族エリアで米軍無人偵察機の攻撃により殺害されたと、先を争って確認しようとスクランブル態勢だ。 「諜報部からの情報にもとづき我々は、Baitullah Mehsudの死亡を断定した。しかし我々は空爆で彼が死亡した事実を、さらに地上捜査で200%確認したい。」と、金曜日にパキスタンの外相Shah Mehmood Qureshiは述べた。

 TTPは、Baitullahとその第2夫人が8月5日の無人機の攻撃で死亡したと複数のチャネルで伝えているが、彼の葬儀は既に開かれ、その後継者は金曜日に指名されるという。首都イスラマバードのMehsudジルガ(部族評議会)の会合はこの報道に関してコメントしていないが、南ワジリスタンのMehsudの最大のライバルのHaji Turkestan Bhitniは、米軍がその首に500万ドルの懸賞金を掛けていたMehsudは死んだ、という。 30代半ばのBaitullahはパキスタンでの幾つもの武装攻撃に関わってきたが、2007年12月27日のBenazir Bhutto元首相 の暗殺にも関わったとされる。

 もしもBaitullahが死んだなら、タリバンは、彼らの組織とアル・カイダやパキスタン民兵、部族民兵、また特にアフガニスタンのHelmand 県のタリバン組織との間を結び付けていた大きな力を失うこととなり、その打撃は大きい。 長年にわたるタリバン指導者たち(2004年6月に南ワジリスタンで米軍の空爆により殺されたNek Mohammad、2005年6月パキスタン南西部Balochistan で治安維持軍との銃撃戦で死亡したAbdullah Mehsudを含む─)の後継者として完璧なリーダーだった彼の代任を見つけるべく、タリバンは必死の後継者探しを迫られることになる。


 過去1,2年間、この小柄で糖尿病を患いながらも大いにカリスマ的だったBaitullahは、彼自身の存在と、南ワジリスタン以遠の地域で、主として中央政府と対立する武装勢力の傘組織TTPの存在を打ち立てた。多くの人が彼をアル・カイダの指導者オサマ・ビン・ラディンよりも大きな脅威とみた。 2001年末の米軍のアフガニスタン侵攻に続く同国でのタリバンの敗走以後、同国に居た有力なアラブ人司令官たちはすべて、国境の向う側の南ワジリスタンに逃亡した。彼らはその後直ぐに彼ら自身の資力と思想を投じ、その同じ思想をわけあい同盟を組む新たな世代を育成した。それは数年を要したが、その成果はNek Mohammad からAbdullah Mehsud 、 Baitullah Mehsudに至る人材によって明白となった。

 Baitullah はアフガニスタンのタリバンの貧しい寄せ集め部隊の一兵卒から身を起こした。余り有名でない宗教者の息子だった彼は、マドラサ(イスラム神学校)をドロップアウトした。パキスタンのアル・カイダの首領Khalid Habibや、アル・カイダの最有力のトレーナーAbu Laith al-Libbiは、大志を抱く Baitullah を彼らの傘下にいれ、彼にオフロード車両や多量の武器を与えた。そして重要なことは、ウズベキスタン・イスラム運動の首領、Qari Tahir Yuldashevが彼の2500名の重武装兵力の指揮権をBaitullahに与えたことだ。Baitullahは、彼に最大の思想的なインスピレーションを与えたこのウズベク人と共に住んだ。

 2002年、当時の首相Pervez Musharrafの暗殺未遂事件以降パキスタンのジハード運動の外貌は武力鎮圧され、武装兵士たちは部族エリアに逃亡した。彼らの中での著名人物にはジハード戦士の主導者Qari Zafar 、また元カシミール・ゲリラの司令官であったIlyas Kashmiriがいる。 彼らは皆、有名なタリバンの司令官 Mullah Dadullahなどと共にBaitullahによって保護され、Baitullahはそうした活動の途上で、地域で最も影響力を持つ者となっていった。 2007年までにはBaitullah は1年に何百人もの男たちをHelmand県に送り、南西アフガニスタンで外国勢力と戦うタリバン主導の反乱勢力を力づける最大の貢献者となった。彼はまた、パキスタンでのアル・カイダのミッションのため傘下の部族の無法者を自爆テロリストの人材として送りこみ、アル・カイダからの資金供与をひき出した。

 もしもBaitullahが死んだのなら、その後継者はパキスタンのタリバンのチーフとして、彼自身が手にしていたよりも一層巨大な一大勢力圏の支配権を継承するだろう。その新たな人物は同時に、パキスタン軍と対決する決戦に直面する… 同国軍はここ何ヶ月か、南ワジリスタンでの武装攻撃を準備すると同時に、Baitullahのライバルの部族民兵の武装を進めている。
米軍Central Commandの現チーフDavid Petraeus大佐はイラクで部族民兵勢力を武装化し、アル・カイダの外国勢力に対抗させることを発案した。このイラクでの経験は、2007年に駐カブールの英国大使Sir Sherard Cowper-Colesの興趣をそそり、彼は同じ作戦で、arbakai ─部族の長老の命に従って村々を守る部族のボランティア民兵たち─を組織化すること考えたが、…その作戦は失敗した。 同様に、パキスタンの治安維持組織はタリバンの打倒のために部族民兵勢力を武装化し始めた。しかし、彼らはタリバン殲滅の代わりに、宿命的に部族同士の抗争に火を点けてしまい、部族間紛争の亡霊の再来が招きよせられた。

 首都での会合 

 この過去5日間、Mehsud部族のメンバーはイスラマバードで、政情不安定な部族支配地域の平和を維持する合同コンセンサスを作るべく、会合を開いた。彼らはBaitullahの生死に関わらず、トップのパキスタン軍人たちや首相にも会い、彼らの現在の戦略アプローチが誤っていると指摘し、その説得を試みたいと考えている。 ジルガ(部族会合)のメンバーには前・議員や現職上院議員、部族の長老たち、国中に(戦乱により)離散している交易業者やビジネスマンたちが含まれている。 Haji Mohammad Khan Mehsudは、2004年(Baitullahの出現以前に)部族長老の権力削減という目的の一環として民兵勢力によって殺されたNawaz Khan Mehsudの息子だ。彼は、Baitullahと同じ南ワジリスタンMakeen 出身である。彼はAsia Times Onlineのインタビューに答えた─ 「我々はBaitullah Mehsudと共にはおらず、彼を支持してはいない。我々は、本当のターゲット以外のあらゆる勢力を攻撃のターゲットとするこの軍の作戦の意味が理解できない。」─ Haji Mohammad Khanは苦悩とともに語った。

 「Haji Turkestan Bhitni (*Mehsudのライバルだった)は我々の本拠の南ワジリスタンの出身で、Baitullahに代わるこの地域の新たな軍事的指導者だ。今やTurkestanの人々は Mehsud部族に対する恨みを晴らそうとしている。彼らはTank とDera Ismail Khanにおいて、親Mehsudの人々のすべての本拠の地域に武装勢力を送り、攻撃を実行するつもりだ。」「我々は、軍の高官たちに対して幾度も、我々はこれまでBaitullahと共にあったが、他所の地域で難民として暮らす気はないということを告げた。しかし高官たちは我々の要求には耳を貸そうとしない。Dera Ismail Khan と Tankでの少年たちをターゲットとした謀殺もまた、パキスタン軍が武装化したBhitni 部族の仕業だ。私は当局担当者に、この戦略によって誰が得をするのかと訊いた。もちろん、幻滅した我々の部族の少年たちはBaitullahに共感し、彼に協力することだろう。」とHaji Mohammad Khanは言った。

 パキスタン軍は、南部・北部ワジリスタン、および部族支配エリアに隣接する各都市で勢力を強めている。何週間にもわたり、ある地上作戦の実施が延期されているが、Pakistani Inter-Services の広報部 はまた、南ワジリスタンで近い将来に作戦行動の計画があることを否定している。パキスタン軍はここで、極度に困難な地域に直面し、また酷く敵対的なタリバンの支部組織は、予想に反して部族間の違いや互いの反目関係を脇において、統一戦線を組んでいる。
 このことに対する回答として、軍は部族民兵勢力をBaitullahに率いられていたMehsud部族にぶつけるべく武装している─ Baitullahは部族システムを壊し、それを実質的に、パキスタン全土で… 自爆攻撃の実行、また盗みや誘拐によって資金を稼ぐ武装ギャング組織に代えたのだ。

 昨今、パキスタンの治安勢力は超法規的にMehsud部族の者達を殺害し、その遺体は南ワジリスタンのBaitullahのもとに、「我々に逆らえば逆らうほど、お前たちは自らの部族の者の遺体を集めることになる」とのメッセージと共に送られた。(関連記事"Pakistan wields a double-edged sword”http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/KG18Df03.html  を参照。) だがそのような行為もBaitullahを怖気づかせることはなく、彼は即座に彼に逆らって立つ全ての者を処刑した── 最近ではQari Zainuddin Mehsud が暗殺されたのだ。

 Asia Times Onlineでは元・エンジニアでindustrialistに転じたHaji Mannan Mehsud に、何故Mehsud部族は、Baitullah Mehsudのグループに内部的アクションをとらないのかと質問した。「なぜなら、政府は不可解なポリシーをもっていて、彼らは我々を支持しないのです」と1995年に4千万ルピー(当時の米ドルで1千万ドル)を投資して南ワジリスタンでバター製造プラントを建設した Haji Mannanはいった。2008年にはその工場は、治安維持の口実のもと、軍によって破壊された。彼はこのことへの補償も受け取ってはいない。 Haji Mannanは続けた、「1999年以前には、国境には何の治安維持部隊も居なかった。それは必要がなかった。部族たちがパキスタンの国境地域の前哨部隊だったのだ。2000年から01年にかけて軍が我々の地域に到来し、部族兵力は彼らを助けて、彼らが必要とした全てのロジスティックスを支援した。Baitullah Mehsudもまた、911以降ですらも、彼らのガイド役だった。

 「今や状況は変わり、彼は米国かインドのエージェント(スパイ)だとして非難・追求されている。Baitullah Mehsudに関して、部族の長老たちは短い期間、相談を受けていたが、今や政府はライバルの部族を武装化し、彼らによるMehsudの部族の虐殺を幇助している…彼らがBaitullahと共にいようといまいと。」とHaji Mannanはいった。

 ジルガ(部族会合)に関して、上院議員 Saleh ShahはAsia Times Onlineに対し、未だに何の決定もなされていないと語った。 Baitullah Mehsud がプレデター機のミサイルで殺害されたかどうかの事実は近く公表されるだろうが、もし事実なら、パキスタンの混乱した部族エリアと国境をまたいだアフガニスタン側では新しいチャプターが始まるだろう。しかし、Baitullahの遺産は、パキスタンのタリバンと彼らのアル・カイダの同盟者たちに、なおもその戦いを続けさせることだろう。 (*筆者、Syed Saleem Shahzad はAsia Times Onlineのパキスタン支局チーフ)
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/KH08Df04.html
*写真はBaitullahの背に手を回すHakimullah Mehsud

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Pakistan Says Feud Kills a Top Militant (Mehsudの後継者選びで反目、トップの司令官が殺害さる)(8月9日、NY Times)

 8月8日、パキスタン政府高官によれば、アフガン国境に近い山岳地帯におけるタリバンのMehsudの後継者をめぐる話し合いの場で、前リーダーMehsudの若くてアグレッシブな側近であったHakimullah Mehsudが、後継者の地位を狙うもう1人の司令官Waliur Rehmanにより射殺された。Rehmanは負傷したともいう。Hakimullahの死が事実なら、タリバンにとってもう一つの大きな打撃となる。こうした内部抗争により、パキスタン北西部のアル・カイダがパキスタンのタリバンの方向性を定めるのに一層大きな影響力を行使する可能性が出る。同グループは、最近アル・カイダとの連携を強め湾岸諸国からの多くの資金を獲得していた。ワシントンの対テロリズム担当高官は、TTPの内部抗争は米国とパキスタン政府がこれに乗じれば、彼らの勢力を弱める機会をもたらすともいう──先の米国の無人偵察機による空爆攻撃では少なくとも、Hakimullah Mehsudもターゲットの1人だった。

 会合に出席していたBaitullahの義父は、反目するグループにより拘束されたとされる。パキスタン政府担当者は、この後継争いには今後、アフガニスタンのタリバン総帥オマール師の重要な部下、Sirajuddin Haqqaniが率い、アル・カイダとも繋がりの強いHaqqani部族のグループが介入してくる可能性もあるという。 南ワジリスタンでのこのSara Roghaの会合で2人の後継者候補は口論となったが、地元のMehsud部族がHakimullah を後継者に推すのに対し、外国から来た武装兵士メンバーはRehmanの方を好んでいた。外国勢力とパキスタンのタリバンは相互の依存関係を強めている。2008年のイスラマバードのMarriott Hotel の爆破犯は、アフガニスタンのMehsud部族の部分的支配地域でMohmand Agencyにより訓練されたアフガン人だったが、この爆破を計画し資金援助したのはケニア出身のアル・カイダのメンバー、Usama al-Kinniだったことも、その明らかな証拠である…。http://www.nytimes.com/2009/08/09/world/asia/09pstan.html?_r=1&sq=Mehsud&st=cse&scp=2&pagewanted=all

http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/7163626.stmProfile: Baitullah Mehsud
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1706680,00.htmlThe Face of Pakistan's New Taliban
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/20th/2009/06/17.html
国境地帯一の軍事指導者メスードは第二のビン・ラディンか(2009年6月17日)(*写真右側ベイトゥラ・メスード)


*その後、Mehsudの後継者選びに関する報道は錯綜… Hakimullah は重傷ながらも生存、リーダーを継いだという情報も出た─それに対しパキスタンの外務大臣は情報は疑わしいともいっている。次のリーダー決定までの繋ぎの偽情報なのでは、ともいう…。
Hakeemullah annnounced new leader – doubts linger

Saturday, August 8, 2009

ゲイツ教授「誤認逮捕」事件と憲法の人権条項・A Man's Home Is His Constitutional Castle - By Christopher Hitchens

ハーバード大学の著名な黒人学者で、オバマの旧友でもあるヘンリー・ゲイツ教授が、自宅の玄関前で、〔黒人であるがゆえに?〕「誤認逮捕」された…その後、大統領は、怒ったゲイツ教授と逮捕した警官を共にホワイトハウスの庭に招き、和解のビールパーティを催したのだが。

─この事件について、ヒッチンズがリベラルなコラムを書いていた

人にとって"自宅"とは、合衆国憲法によって権利を保証された自分の城だ
 
─ ヘンリー・ルイス・ゲイツJr.は「Bill of Rights (憲法の人権条項)」の立場に立つべきだ……だが、彼自身や、彼を逮捕した警官の「面目」の立場にたって、

主張をすべきではない ( 7月27日 By クリストファー・ヒッチンズ) 

 もしも、あなたが警官と対立したなら、あなたには幾つかの試せることがあるだろう──そしてまた、試せないこと…試さない方がいいこともある。先日メモリアルデーの日に、私がワシントンのベトナム戦没者記念式典に向け、タクシーを駆っていたときのこと…突然、警察の車が車の列を横切り、全ての車両を急に停止させたのだ─そこで、私は車の窓を開けて、何か問題がおこったのか、と周囲に尋ねて…そして、どのくらい止まり続ける可能性があるのかという質問を発した…私は、紐状のヘアスタイルをした、ネズミのような顔の獣のごときブロンド女から、「きい~っ」という叫びを浴びせられたのだ… 彼女はまるで、誰かを苛める瞬間というものを…その場所で一年もの間、待っていたかのようだったのだ(彼女は、私がその支払いを助けたはずの制服を身に着けていた)。

 …私はしばしば、口を閉じているのが困難になりそうな事態にも遭遇するが、それをひと目見たときに私は、そのダメージを受けた生き物がトラブルを起こしたいとウズウズし…彼女に関わって何か裏手にまわってお喋りなどしたが否や、私は1時間でなく何日をも費やすであろう、と察知した。 (…彼女がこう叫んだのは、まるで気狂いじみていたと思う─ 「"Because I can! だって私ならかまわないのだ」「 Because I say so! 私がそう言うのだから、そうなのだ」…)憎しみで余りに熱くなったこの女性に─私は、問いかけることも、彼女の名札やナンバーを見るために充分に近づくことすらもできなかったのだ。この全ての事件が…特に、私の卑しくも低劣で受動的なる性質というものが、後日…それを思い返している間にも、私を悩ませて苛んだ─ しかし私には、それはできなかったのだ…あなたが理解してくれるのならそれを言いたいのだが…私はその後、そのようないかなる屈辱的な民族的記憶というものも、想い出そうとはしなかったし、勿論私はそのことを、最近までは、ほとんど忘れてしまっていたのだ。

 ─すると、より最近になって私は、夏の間を過ごすカリフォルニア郊外の木立の中を歩きながら、これから書こうとするエッセイについて考えていた。すると不意に、警察のクルーザー(パトカー)が、唸りを上げて近づくと、静かに私の隣に滑りこんできてライトを閃かせた。「What are you doing?"お前は何をしている?」…はっきり言って私は、これに、どう答えるべきか分らなかった──私はその週に、空港のセキュリティにも足止めされてうんざりしていた──私は、そんな求めに応じる気がしないことに気づいたので、突如こう答えた。「そのことを知りたいのは誰なのか?Who wants to know?」、私が歩き続けると、その声は訊いた、「Where do you live? どこに住んでいる?」「None of your businessそれはお前の知ったことではない」、私が告げると、その声は尋ねた、「What's under your jacket? そのジャケットの下にある物は何か?」…私は尋ねた、「What's your probable cause for asking? お前がそのように尋ねることの…probable cause(*)とは何なのか?」、私の心はもはや、わずかながらも保持している私の憲法上の権利に陶酔しかけていたのだ。すると暫くの無言の瞬間を経たのちに、その警官は、ほとんど訴えるような口調で…彼が私が不法侵入者か泥棒であるか否かを、どうやったら知ることができたのか?と問うた──私は、「You can't know that君には知ることはできない」、「for me to know and for you to find out. I hope you can come up with probable cause.  そのprobable causeを─私にとっては知らねばならないし、君にとってはそれを見つけなねばならない。私は君が、それを見つけるよう望んでいる」…といった。するとその車はゴロゴロと音を立てつつ私の横を過ぎ去り、そして去って行った。その運転手は間違いなく、事実の何らかのチェックに走ったと思われたものの、その後、戻ってはこなかったのだ。(*probable cause=米国憲法修正第4条に基づいての執行者が逮捕または家宅捜索、逮捕状の取得等を行うときに根拠とされる基準─また犯罪の容疑者に対しては陪審が犯罪が犯されたとの根拠とする基…)

 最初の事例において、私はそこに──誰もがみな気づくことだが、警察の力に加わることをどうにか許された…沢山の、ゆがんだ不適格者たちを発見したのだ。2つ目の事例では、私はよい警官が真夜中も更けてからでさえも彼の判断を行使できて、それを行おうとすること──たとえ”容疑者”の尻に喝を入れてでも?…を発見していた。しかし真面目に言って、もしも私が黒人だった場合、この2番目のような行動はできたのだろうか、あるいはそれを試みられただろうか、そんなことをする機会が与えられたのだろうか?"Skip"〔*ニックネーム〕こと、ゲイツ教授の問いとは、通常、そこに起こることはどんなことで、それ故に実際起こったことのうち何は不可能で、何は起こりえないか、という問いがあった。(ワシントン・ポストの黒人コラムニスト、コルバート・キングColbert I. Kingはかつて、両親から、几帳面に行動を律することが必要だといった考え〔need for punctuality〕を教え込まれた…という示唆的なコラムを書いていた。彼らの毎日のレッスンとはこうである─ もしもあなたが帰りが遅くなったら、あなたは走り出すかもしれないが…黒人の若い男が通りを走ったりすれば、目的地に達するよりも前に合法的に拘束される可能性が大きいことを忘れるな、というのだ。)

 私には、ヘンリー・ゲイツJr.教授が、自宅の玄関ドアを押し開けた場合に近隣の黒人の住民によって警察に通報される可能性というものがはっきりと想像できる。同様に、暴漢のような、あるいはは神経過敏な黒人警官が、その通報に応じる光景というものも容易く想い浮かぶ。そして私はその場合に、両者の間の誤解を解くのにいかに長時間を費やすかも予測できる。しかし、ゲイツ教授とはその子供時代のニックネーム("Skip")が部分的に表わすように、片足に障害をもち、細身で、物腰も穏やかなのだ。さらにまた、彼が警官に何を言おうが、それは彼自身の家のプライバシーのなかでの出来事だった。彼が、自分がその家の住人であることを明白に証明した後に、その家の中で手錠をかけられ、ダウンタウンへと連行されたのは、モンスター的な出来事の極みだ。大統領はこのすべての件について、口を噤んでいるべきだったのだが(彼は司法上の公平性の維持をその任務とする上級官僚で、我々の家庭の揉めごとを監督するマイクロ・マネジャーではないのだから)──しかし彼が、一度でも警察のやり方が「Stupid(愚か)だった」と述べたのなら、彼はその言葉に拘り続けなければならない…ケンブリッジ警察が痛ましくも、ご都合主義的な反応によって、虹色の陰影を拡げたことなどはものともせずに。それは合衆国の憲法であって、競合しあうコミュニティや、選挙区の塊りだけでの憲法であってはならず、それは市民が、自分の家とプライバシーの主権者であると規定するものだ。そうした自らの権利を守るために、人が礼儀正しく振舞わねばならない法的な必要性というものは、絶対、どこにもない。その権利は、ビールを交えた交渉で奪い去られるような権利でもない。

 人種や肌の色は、もしも考察されることがあっても、ここでは二次的な考察事項なのだ。私はかつて一度、ニューヨークのローワー・イーストサイドで、白人男性の強盗に出逢ったことがある。…私の証言にもとづいて地元の警察署がわざわざ見せてくれたのは、全て黒人ばかりからなる"前科者たち"のフォト・アルバムだった。そのようなやり方の馬鹿ばかしさは、中途半端に訓練された、文化的でない(警察官の)集団が、私が彼らに言ったことをどう信じるか…への無能力さを表すだけでなく、確実に、彼らの愚かしさ(stupidity )というものが、実際に罪のある人間たちが逃亡することを助けているのだ。ゲイツ教授はその主張を、Bill of Rights (合衆国憲法の人権条項)の立場によって発するべきであり、彼自身や、彼を逮捕した警官の「面目」の立場から発するべきではない。そして、もしも彼にそのような気持ちがなかったのなら、残りの我々自身もそういう態度をもって行動すべきではない。
http://www.slate.com/id/2223673/

Tuesday, August 4, 2009

現代米国の「人種教育」(2)/Racism Without "Racists" By Eduardo Bonilla-Silva


今日の米国は、「カラー・ブラインドな」〈肌の色には関知せず、平等を建前とする)社会、とされるなかで…(ラティーノの社会学者、エドアルド・ボニーラ・シルバは…却って隠蔽されがちな人種差別を「カラー・ブラインド・レイシズム(color-blind racism)」と呼んで告発する。…その意味とは何か?(’08年の米国のソシオロジークラスのテキストより)

「レイシスト」なき「レイシズム」

レイシズムというものに関連して、ここに不可解な謎が存在する。誰も、ほとんど誰しもがレイシストとみられたいとは思っていない;それなのに依然として、レイシズムは事実、堅固に存在し続けている。" (Albert Memmi, "Racism")

第1章: The Strange Enigma of Race in Contemporary America─ 現代米国の「人種」という不可解な謎

 今日の米国では、白人至上主義者の組織のメンバー以外に、「レイシスト」と呼ばれる白人は少ない。大半の白人は、「我々は人々の肌の色など気にしない、我々はその人たちがどんな人たちかを見るのだ── 肌の色とはもはや、マイノリティの人生におけるチャンスを左右する、主要な要素ではないのだ」、などという…醜悪な人種差別の「貌」がいまだに存在しているにも関わらず。 そして終いに、彼らは…ちょうどマーチン・ルーサー・キング牧師のように、「人々がその肌の色ではなく、その人格によって判断される社会」に棲むことを熱心に望む。もっとも辛辣なことに、大半の白人たちは、この国におけるいかなる「人種的問題」というものも、マイノリティ自身、特に黒人たち自身に責任があると主張するのだ。彼らは黒人たちが、「人種」にもとづく不必要で不和を促すような…アファーマティブ・アクションの様なプログラムを維持し続け、白人たちに何か批判されれば常に「人種差別」だ、と叫ぶことで、「Playing the race card(人種というカードを使っている)」と公けに非難する。そして大方の白人は、もしも黒人やその他のマイノリティたちが過去を思い出すのを止め、勤勉に働き、文句(特に人種差別への)をいうことを減らせば、すべての肌色の米国人は「一緒にやっていけることだろう」という。

  しかし、白人たちのそうした「誠実なるフィクション」にも関わらず、人種というものは、米国のほとんど全ての物事に影を落とす。黒人と、ダーク・スキンのマイノリティは実質的に、社会生活のいかなる分野でも白人に遅れをとっている。彼らは経済的に白人の約3倍も貧しく、白人よりも収入は約40%少なく、彼らの持てる資産の総体は白人全体の8分の1 しかない(註)。彼らはまた、白人よりもより劣る教育を受けている─人種的に統合された教育機関に通っていても。居住する住宅に関しては、白人の所有する物件に比べ、黒人の所有する物件の経済価値は35%ほど低い。黒人とラティーノは、住宅市場というものすべてに対してより少ないアクセスしかもっていない─それは、白人の不動産業者や住宅のオーナーたちが、その近隣地域に彼らが入り込むことを成功裡に、効果的に制限しているからだ。黒人たちは商店やレストラン、その他の商業的な取引においても、礼儀のない扱いを受ける。リサーチャーたちは、黒人層が車や住宅のような商品に白人よりも多くの金額を支払っている、との調査結果を提示している。最終的に、黒人とダーク・スキンのラティーノたちは、警察による「人種プロファイリング(racial profiling)」──高度に人種的区別の存在する犯罪法廷システムとも連携した──のターゲットであり、そうしたシステムが、逮捕・立件され収監される者たちや重罪で起訴され処刑される者たちの人種的割合における彼らの過剰性を保証している。
 
 ほとんどの白人が人種の差別はもはや存在しない、といっている国でのこのような極度な人種的不平等とは、いったいなぜ可能なのか?そしてより重要なことだが、白人たちは彼らの告白する「color blindness (肌の色への無関心さ・色盲なこと)」と、米国での「color-coded inequality(肌の色でコード分けされた不平等性)」との明らかな矛盾を、どうやって説明するのか?本書で私はこれらの2つの問いへの解答を試みたいと思う。私は、白人たちが強力な説明を発展させてきたことに関して議論したい─それは最終的には、彼らを今日の人種的不平等への責任、有色人種の地位に関するいかなる責任の嫌疑からも逃れさせる正当化となっている。

 こうした説明とは、私が「color-blind racism(色盲的人種差別)」と命名した新しい人種問題のイデオロギーから発している。この理論は1960年代の末に一貫性を獲得し、主流になったのだが─ ノンレイシャル(非人種的)な社会的ダイナミックスの結果としての今日の人種的な不平等を説明するものだ。「Jim Crow racism(ジム・クロウ法的人種差別主義)」が、黒人たちの社会的立場がその生物的・モラル的な劣等性の結果だ、と説明するのに対し、「color-blind racism」は、そのような安易な議論をすることを避ける。それに対し、白人たちは、マイノリティ人種の今日の社会的地位とは、市場原理(マーケット・ダイナミックス)の結果であり、自然に起きた現象で、そして黒人たちの文化性の限界に起因する結果なのだという道理を唱える。たとえば、白人たちはラティーノ人種の高い貧困率は彼らの弛緩した労働倫理(「ヒスパニックはマニャーナ、マニャーナ、マニャーナ…何でも"明日、明日、いつかそのうち" といって引き伸ばす癖がある」)の結果だとし、あるいは居住エリアの人種別の分離(segregation)とは、異なるグループ間の自然な傾向というもの…(「犬は猫と一緒に住めるだろうか?そうは思えない。ミルクとスコッチ・ウィスキーは一緒には飲めないし、ある種のものはミックスできないのだ」)の結果だとする。

 「color-blind racism」は、黒人その他のマイノリティ人種を人種的に"井戸の底(bottom of the well)" の地位に留めておくメカニズムが変化していくなかで、主流の考え方となった。私はこの本以外の場でも、今日の人種的不平等性は「ニュー・レイシズム」の実践のなかで <…それはとても微妙に制度化(インスティテューショナルに)のされた、明らかにノンレイシャル(非人種的な)ものではあるが>再生産されるものだ、と論じてきた。
人種的不平等が公然たる手段で行われていたJim Crow法の時代(たとえば、「ニガーお断り」と公言したり、投票所でのショットガンでの実力行使などもあった時代)とは対照的に、今日の人種差別は「見えるとも、見えない」手段によって実行される。たとえば居住エリアの人種別分離は、今日にも過去と同じくらいに存在しているが─それはもはや公然たる差別的な方法によっては行われない。その代わり、隠然とした方法…たとえば全ての売出し対象物件を表示しない、といった方法で、マイノリティーと白人が特定の居住エリアに誘導される─ より高額な賃貸料や売出し価格を提示したり、あるいはある物件を全く表示しないことによって─ こうした方法が分離的なコミュニティーを持続するための武器として選択される。経済的分野では、「笑顔による差別("smiling face" discrimination)」(主に、白人が大半のネットワークや特定の人種層むけの新聞上での、「今はお仕事はありませんが、どうぞまた後日チェックしてください」)といった求人広告の表示により、高等教育を受けた有色人種を低報酬の仕事や、限られた異動・昇進の機会しかない職に誘導することが、今やマイノリティをセカンダリー・ポジションに留まらせるための方法なのだ。政治的には、Civil Rights(公民権)の施行は、有色人種の政治参加のために多くの障害を取り去った。しかし、人種的なgerrymandering(勝手な選挙区の改定)、複数の選挙区での重複投票、(不公平な)決選投票や白人中心選挙区との恣意的合併などが地域の選挙で広範に行われ、また都市でのanti-single-shot devices (1人か2人の特定候補に集中して票を投じる事を許さない)などが有色人種を政治から締め出すためのスタンダードな方法となった。 銀行やレストラン、学校の入学アドミッション、住宅の売買取引においても、白人層の特権の維持は、人種的な差別が簡単には読み取れない方法で行われた。このようにして、color-blind racismの輪郭は米国での新たなレイシズムとして、非常に適したものとなった。

 Jim Crow時代のレイシズムと比較して、color-blind racismのイデオロギーとは"racism lite"(軽めのレイシズム)であるかのようにみえる。”Niggers"、"Spics"〔スペイン系アメリカ人〕 "Chinks〔中国人〕”といった露骨な呼び名を使うかわりに、color-blind racismは彼らをやんわりとotherize(異種化)する。(「これらの人々も、人間だ」)、神が世界に住まわせた彼らマイノリティが奴隷の位置にあると宣言する代わりに、それは彼らが、遅れた位置にある存在だと、なぜなら彼らは充分に勤勉に働かないからだとする、そして、異人種間の結婚を(ストレートな人種差別的価値観によって)悪しきものだとし、それを子供たちについての懸念や場所がらの問題、カップルに嫁せられる余計な重荷などから、「問題のあること」だとみなす。しかしこの新たなイデオロギーは、人種的序列維持のための政治的ツールとしては侮り難いものなのだ。Jim Crow法レイシズムが、公民権法制定前の暴力的で公然たる人種的抑圧システムを固定化すべく用いられたのと同様に、color-blind racismは今日、ポスト公民権法時代の隠然たる、制度化されたシステムのイデオロギー的な鎧(武装)として使われている。そしてこの新たなイデオロギーの美点とは、白人の特権の維持をファンファーレを鳴らすことなく、誰がその対象なのか、誰がその報酬を得るのかを名指しせずに、それを助けることなのだ。それは大統領をして「私はすべての人種的な多様性を強く支持する、高等教育における人種的多様性を含めて─」と言わせるが、同時に、ミシガン大学のアファーマティブ・アクション・プログラムが「不正」であり、白人に対して「差別的」なものであるという声明をださせる。こうして白人たちはその、人種的な利益を安全に保護するポジションを「レイシスト」と呼ばれることなく獲得する。color-blindness・色盲的人種差別主義のシールドによって保護され、白人たちはマイノリティへの怒りを表現でき、彼らのモラル・価値観・そして労働倫理を批判し、その果てには、彼ら白人たちが「逆人種差別」の犠牲者だと称する。これが、私が「レイシストなきレイシズム(人種差別主義者なき人種差別)」と呼んでいる、不可解な謎を説明するために、提示したい理論なのだ── (…後略)

*写真は:ニューヨークのプエルトリカン・デーにて(本文内容とは直接関係ありません!the 'photo' is not particularly related to the contents!)
*註: (Collins and Margo, 'Race and the Value of Owner Occupied Housing, 1940-1990' NY. Bard College, Aug.2000)
*Bonilla-Silva著:初版は1962年、第2版は2006年発行。

Saturday, August 1, 2009

現代米国の「人種教育」(1)/Rethinking the Color Line: Understanding How Boundaries Shift -Charles A. Gallagher


法律上では人種差別を認めないはずの米国社会にはなぜ、いまだに人種差別が存在するのか?

─オバマ政権も発足した、今日の米国の”人種教育”─大学ではいかに教えているのか?
 
カレッジのソシオロジーのクラス(人種関係論)のテキストから、C.ギャラガーによるイントロダクションを引用─)

Rethinking the Color Line: Understanding How Boundaries Shift (Preface) - By Charles A. Gallagher
──カラーライン(色による人種的区分け)を再考する:境界線はどう変化してきたのか?
 「Rethinking the Color Line」、というこの本のタイトルが、暗に社会学的に約束するものとは…今日での、人種と民族(race and ethnicity)という言葉の意味の探究であり─その意味が社会的、政治的、経済的、そして、文化的な力によって…どのように形成されてきたのか、を探ろうとするものだ。そうした意味では、これはとてもストレートな試みにみえるかもしれないが…しかし、そうではない。人種と民族(race and ethnicity)というものは常に、その意味が流動的で、曖昧で…意味の捉えにくい概念だったのだ。

 たとえば米国の国境線のすがたというものを…人種または、民族…というものの定義のアナロジーとして、ちょっと想像して欲しい。
  米国の国境線の概観や、その見取り図というものは一見したところ、人種や民族race and ethnicityと同様に、手際よく描いたり地図化したりできそうにもみえる。そう…それは我々が合衆国の国境をイメージできるのと同様に…道理にかなった、確実さをもって…誰かがブラックや、ホワイト、アジアン、またはアメリカン・インディアンであると規定できるということでもある。

 我々は、こうした人種的カテゴリーに人々を当てはめる─なぜなら、我々は肌の色や、髪の特徴、眼の特徴などの組み合わせに焦点を当てるよう、訓練されているからだ。
 我々は、個人個人というものを人種的カテゴリーに当てはめたあとで、決まって文化的なマーカーによって、さらに彼らを分類しようとする…すなわち彼らの民族的な…あるいは…先祖のバックグラウンドといったもので。例えば、もしもひとりの白人が部屋に入って来たなら、我々はその個人の人種を見ることだろう。彼や彼女が話を始めて、アイルランドなまりや、ニューヨーク市のアクセント、または南部の方言を使うことに我々が気づいたら。何が起こるだろうか?スーパーマーケットで我々の前に並ぶ褐色の肌の女性が、レジ係に話しかけており、そして我々が、彼女がジャマイカ人または英国人だと気づいた場合はどうだろう? 我々はまず最初に、肌の色で種類分けして、そして次に文化的なバックグラウンドで識別しているのだ。

 200年以上前に合衆国が建国されて以来、この国を定義する国境線は幾度も書き換えられてきた。1776年以前には米国が存在しなかったのと同様に、人種(race)という、今日理解されているような概念も、ヨーロッパ人が南北アメリカ大陸や、アフリカ、そしてアジアの一部を植民地化する以前には、存在していなかった。現在アメリカとして心理的に理解されている国の地図も、たった40年ほど前にできたに過ぎないのだ。その地図とは、1959年にハワイが50番目の州として米国領となってから以降につくられたものだ。それ以前には1803年にルイジアナがユニオンに買収され、そしてその後再び、ミズーリの割譲が1820年に行われ、その他の領土の受け入れも行われてきた─そして、我々はさらに、もしもコモンウェルスのプエルト・リコが55番目の州としてユニオンに入ることを決議するなら、心理的な地図を再び描きなおさねばならないことを思い出す必要がある。

 米国での人種と民族(race and ethnicity)という言葉の定義の問題は、米国の領土の形成と同じく、その概念の輪郭が与える意味が時間的経過のなかで変遷してきたものだ、といえる。2007年に白人(white)とみなされている人間は、米国の過去の歴史上では、black とかIrish、またはItalian、と定義されていた可能性がある。例えば19世紀と20世紀の境目の時期に、米国に到着したばかりのアイルランド系やイタリア系移民というのは、白人(white)とはみなされなかった。その頃、こうしたグループのメンバーは、米国の既存のいかなる人種的ヒエラルキーにも容易には属さなかったのだ。彼らは人種的なLimboに属していた─白人でも、黒人でも、アジア人でもないという─彼らの民族的バックグラウンド、つまりアイリッシュとイタリア系の移民を、主流派のグループとは識別させるような…その言語、文化や、宗教的信条─が、さまざまな意味で、彼らを人種的グループだと特定していた。

 それから1、2世代を経る間に、これらのIrish、とかItalian、と呼ばれる移民は、今日、白人(white)と呼ばれるグループに吸収されていった。彼らが、「非白人」または「人種的に曖昧」といったカテゴリーから…「白人」として認知されるに至ったその同化の速度とは、比較的素早かった。それは、米国史上の異なる時期においては、現在の最高裁判所の判事Antonin Scaliaや、上院議員Ted Kennedyの両親、または祖父母が、非白人のイタリア系とか非白人のアイルランド系、として認知されていたという事実でもあり、それは我々の人種的感受性にとっては奇妙で、ショッキングでさえもある。

 もしも誰かの民族的アイデンティティが人種的なアイデンティティに取って代わられた場合に、我々が社会学者に対して発する問いとは「なぜ?」という問いだ。
 米国の国土の形が時とともに変遷してきたごとく、人種と民族、というものの定義も変わってきた。あなたはあなた自身の抱く人種・民族といったものへの概念が、あなたの両親や祖父母の抱いている概念とは違っているなどと思うだろうか?人種とか民族が、今この特定の時代を反映しており、30年~40年の間にはまったく違うものになっていると思われたなら、あなたはそれをどう理解するだろうか?本書「Rethinking the Color Line」はここで、人種や民族の定義がなぜ、時とともに変わるのか、いかなる社会学的な力がそのような変化を起こさせるのか、そして次の世紀にはそうした分類は、どのように見える可能性があるのか─に関する理論的なフレームワークを提供する。

 ここでこうした例が示唆して、「Rethinking the Color Line」が意識的に探求するものとは、人種とか民族というものはが、社会的に構築された(socially constructed)概念だという事だ。…それが社会的に構築された…というとき、そうした(人種を区分けする)特徴、とは社会的、文化的な価値観に根づいているという事だ。人種や民族という言葉は社会的な構築物である─なぜなら我々がそれに、勝手に社会的な重要性を見出しているからなのだ。人種や民族とは文化的な価値観に基づくものであって、科学的な事実に基づくものではないのだ。

 重力の法則が働く瞬間を、考えてみてほしい。もしもあなたが、この本をあなたの机から落としたら、それは床に落ちるとあなた思うだろうか?勿論、そう考えるだろう。もしもあなたが、ブラジルか、南アフリカ、またはプエルトリコに住んでいるなら、あなたは同じことがあなたの本に起こると考えるだろうか?勿論だろう、なぜならあなたは重力の法則が全世界で共通だと知っているからだ。しかし、誰かが米国でBlackと定義される場合、その誰かはブラジルではWhite、 プエルトリコではTrigueno(中間)、そして南アフリカではColouredと定義されるのだ。重力の法則はどこでも共通だが、人種の区分けは時と場所によって異なる、なぜなら人種や民族の定義とは、その社会にとって価値がある、ないと定義された生物学的特長にもとづくものだからだ。それぞれの社会の価値観とは、それぞれの社会の経験してきた異なる歴史的な経緯や、文化的な状況、そして政治的定義づけに基づいており、そして人種と民族の概念は国と国との間で少しずつ異なるだけでなく、その国内部の国民の間でも少しずつ異なるものなのだ。

 例えば、米国の南部では社会的にも法的にもBlackとされた人物が、北部に移住した後にWhiteとして"容認"されることは珍しいことではない。人種という概念を定義付けるものは非常に不安定で、それは政治的な操作(マニピュレーション)によっても、たやすく変わるものなのだ。

 人種とか、民族的同一性、というものは、我々がそうだと定義する限りにおいて、文化的にも意味がある。言い換えれば、人種というものは我々がそれが存在する、と言うから存在するのだ。そして人種とか民族とかいう場合、その特徴とは、社会的なプロセスを反映している─つまりそれはこうしたコンセプトは違う方法でも想定できるという事だ。例えば肌の色や、顔立ちの特徴、髪の毛の質などをみるかわりに、我々は足の大きさで人種を区分けすることだってできる。靴のサイズが4から7の人は小人種、8から11の人は大人種、12から15の人はモンスター・フットの人種、といったように。こうした、より小さい足の人や、より大きな足の人は「Other」というカテゴリーの人種になるかもしれない。我々は同様に、眼の色、身長や、手の大きさ、あるいは鼻の高さでも人種のカテゴリー分けができるだろう。なぜなら人種の区分けに用いられた身体的特徴とは、勝手に選ばれたものであり、遺伝学的・生物学的・人類学的・または社会学的な何の根拠もなく、靴のサイズを人種の区分けに用いることも、まったくこうした現在用いられるシステムに代わるものとして有効なのだ。同様に、言語や宗教、国籍などを人々の区分けに用いるのと同様、人々が食べる肉の量や、人々のヘアスタイルによっても人種的な区分けを再定義することができるだろう。

 何が、こうした人種や民族というものの正確な定義付けを複雑化しているのか、といえば、それが常に変わり続けていることが原因なのだ。300万人のLatinoというものは、米国の国勢調査において米国の1人種グループとして区分けされているから存在するのか、それとも、Latinoとは(本当に)一つの人種グループなのだろうか?もしも現行の国勢調査の人種カテゴリーにおけるWhite、Black、Asian、American Indianという区分けが、Latinoとしての(人種的)経験を反映していないか、あるいはLatinoたちが非Latinoたちによっていかに認知されているかを反映していないならば、そこに「Brown(茶色)」といった人種カテゴリーが追加されるべきだろうか?…その新設される「Brown(茶色)」人種とは、ニューヨークのプエルトリコ系市民や、マイアミのキューバ系市民、サンディエゴ市のメキシコ系市民が当てはめられるべきだろうか?それは、なぜそういえるのか、またはなぜ、そうはいえないのか?我々は、メキシコ系アフリカ人の父親と日系アイリッシュ・アメリカンの母親から生まれた子供の人種は、どう定義づけたらいいのか?そのような問題に、人種や民族というものはどのように関わっているのか?

 1903年に社会学者のW.E.B.Du Boisが言ったこととは、「20世紀の問題とは、カラーライン(Color-Line)の問題だ」ということだ。それは21世紀のキーとなる問題のようにもみえる。Du Boisが年代に沿って記録したものとは程度やコンテクストがやや異なるが、それはいまだにカラーラインの問題なのだ。そのトピックまたは問題は、当初は人種や民族と関わりがあるとはみえなかったが、しかしより詳細な社会学的検証によれば、人種や民族が大きな問題となる場合のパターンjは、頻繁に出現する。人種や民族というものと…<誰がより良い教育や、適切なヘルスケアを受けられるのか、誰が貧困なのか、有害廃棄物の処理場はどこに建設されるべきなのか、誰が雇用され、あるいは昇進させられるか、または─どの人種・民族グループがより一層、死刑の宣告を受け、処刑されることが多いのか?…>といった事柄とのつながりをあなたはどう見るのか?人種と民族は我々の人生のすべての側面、相互に絡み合っているのだ…(後略)
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 Preface(同書の前書き)

 米国における人種と民族間の関係(race and ethnic relations)というときに、我々はそこに2つの国をみる。我々がメディアのなかで、我々自身をそう描きたい、と想像する国、そして我々が実際に住んでいるコミュニティだ。ポピュラーカルチャーにおいて人種がどのように描かれているか、一瞬でも思い出してみるとよい。テレビを点ければ、あなたはすぐに、白人、黒人、ラティーノ、アジア系が一緒にショッピングをし、食事し、働き、そして相互に交流し合う、人種の違いなどもはや意味のないファンタジー空間をみる。典型的なものは、Checkerのファストフードの広告だ。ヒップホップのジングルがBGMに流れるなかで、ドライブスルー・ウィンドウで車にぎゅう詰めになったヤング・アダルトたちがスナックを買おうとする。そこではもう、車内のグループが多様な人種の俳優によって構成されていることなど、目立ちもしない。若者マーケットに商品を売る新しい方法は、人種の境を超え、民族の境を超えている、ということのシックさだ。ハリウッド仕立ての米国の人種関係における、あなたのベスト・フレンドは常に異なる人種出身の人間だ。GapやOld Navy、またはPepsi などの製品を売るためには、多人種によるCMキャストはほとんど必須条件なのだ。このような人種的な涅槃(ニルバーナ)では、多様な人種のハンサムなミドル・クラスの男たちが、アッパーミドルのリビングでくつろぎ、フットボール中継やCoor'sビール・Domino Pizzaを肴にして、人の背中を大袈裟にたたきつつ、結束感と親しみを表わしあう。車のCMや制酸剤、スナックフードや炭酸飲料、ファストフード・レストランなどの広告が、くりかえし、(人種的に)統合され、お互いに同化した、美しく、肌の色に無頓着な米国、をみせる。こうして注意深く制作された人種的なユートピアやTVCMは、異なる人種の俳優たちが人種的にニュートラルな環境、たとえば、Chili'sやApplebee'sレストランのような環境にいるようすが描かれる。米国の、メディアにおける人種的「セルフ・プレゼンテーション」は圧倒的に、統合され、多人種的で、その多くの部分がColorblind(色盲的)なものに描かれている。メディア、とりわけ広告メディアは米国を一種の国際連合の再結成パーティのように描き、そこでは誰もが平等な社会的立場と平等な機会を享受し、全ての者はミドル・クラスなのだ。

 こうしたColorblind(色盲的)な米国の再現とは、人種というものが依然として人生の機会を左右する人種的マイノリティたちに関してはとても誤った表現をしている。例えば、米国の企業社会の人種的な多様性を思い出すとよい。トップ経営者層の上位ランクに顕著な動きがあるならば、人種的な障壁バリアがなくなったといえようが…エグゼクティブ層への進出率などは、非常に小さい。米国労働省のThe Glass Ceiling Reportでは、「"産業界フォーチュン1000社”と”フォーチュン500社"のシニア経営者層の97%が白人で、95~97%が男性だ、としている…米国の人種的マイノリティは、人口の30%を占めるというのに…。(後略…)

*…著者はまた、米国の上・下院など政界の議員数がマイノリティの人口比率や女性の人口比率をまったく代表していない、ということを挙げる。また、国勢調査による2060年の米国の人種別人口構成の予測では、マイノリティの数が圧倒的多数となり、白人は少数派となるとされる──この単純明快な予測をマスコミは把握しているにも関わらず、現在の人種問題による人種間の葛藤、矛盾、文化的集中度の高さによって生じる矛盾、といった社会問題をまったく無視している、と論じている )

*Gallagher による本書の初版は1962年、当翻訳は第3版(2007年発行)──このpreface、イントロダクションはこの講座全体の基本ライン。──