Sunday, December 27, 2009
イランがアラブ世界への介入を拡大!…エジプトのメディアが警告? /Egypt Warns about Iran's Growing Interference in Arab World
イランとイスラエルの利害の微妙な一致はほんとにあるのか…
“アラブ世界ヘのイランの介入拡大を、エジプトのメディアが警告!” (12月18日、MEMRI)
エジプトの政府高官の声明や政府系メディアの記事は最近、イランのアラブ世界への影響力の拡大や介入の強化に対する批判を強めている。ホスニ・ムバラク大統領は冬の議会の開会スピーチで、「アラブ諸国間の問題に対するイランの介入について警告する。我々はエジプトを不安定化しようとする企みには反対する。それは、ペルシャ湾岸と紅海沿岸地域、そして中東全域の安全に関わるものだ…」と述べた。
エジプトの外相 Al-Gheitは、イランに対してアラブの支配地域のドメインで行動しないように要求した。なぜならそれが地域の不安定化のひとつの原因となっているからだ。明らかに、イランの拡大する影響力はイラクやレバノン、イエメンのみならず、北アフリカやアフリカの角地域のアラブ系諸国にまで及びつつある、と彼は述べた…
以下はこの問題について、エジプトのメディアが報じた記事の抜粋である…
「イランは紅海地域での戦略にフォーカスしている…」とRoz Al-Yousef紙─
Roz Al-Yousef紙の'Abdallah Kamal は書いた: 「今や、イエメンでのフーティ派の反乱へのイランの支援や、エリトリアのAssab港の反対側に位置する公海でイラン船舶からフーティ派への武器荷揚げの支援が進行中であることに、全ての注目が集まっている。イランはこの地域での恒常的な緊張状態の継続を望み、交易や石油の輸送を妨害し、アラブ諸国を一種の包囲下に置こうと狙っている。その目的にむけてイランは不穏な状態を喚起し、それに反対するアラブ諸国に爆発を起こさせることすら狙っている。」
「イランは数個の代理戦争を同時に手がけ、その全てがアラブ国家の安全を攻撃目標としている…長年のあいだ同国はヒズボラを通じて地中海地域に〔その影響範囲を拡大し〕、メディアや専門家が「シーア派の三日月地帯」と呼ぶものを作り上げようとしてきた。同国はそれをガザ地域のハマスとの連携みならず、その地で最も不安定な海上ルート・紅海地域にフォーカスした努力をも通じて拡大している。」
Kamalはそして、イランの資金で活動する数個の武装グループを挙げる──それらはフーティ(Houthis)、ヒズボラ、ハマスのみならずイラクのJaysh Al-Mahdi(マハディ軍)、Al-Qaeda in Yemen(イエメンのアルカイダ)も含んでいる。彼はイランがまた──アラブ諸国(特にイランとはポリシーが異なり、イランの影響力拡大の障害となる国々)の背中を後ろから刺すために──バーレーンのシーア派運動やエジプトのMuslim Brotherhood(ムスリム同胞団)、メッカの巡礼団体等の非武装組織にも資金を援助している、と述べる。
イランのもう一つの目標とは、アラブ諸国を弱体化し、それらの国々がペルシャの拡大と対峙するよりも、国内的な緊張状態に直面するよう仕向け…そして同地域でのシーア派の包括プランを推進することであり──特に政治的な次元において─そしてペルシャ湾岸からレバノンに至るシーア派の三日月地帯によりアラビア半島を包囲することである…そしてイラン革命をその地へと拡大し、それらの国々の安定性を阻害し、イランの繁栄を強化する運動を支援することだという…
「イランはイラクの選挙に対し破壊工作をしている…」とアル・アフラム紙──
エジプト国営アル・アフラム紙のエディターOsama Sarayaは書いている──「イランは、スンニ派とシーア派が交わした約束…すなわちお互いの(国々)を改宗させるよう試みたり、宗派間の隠れた敵がい心を利用したりしない…と取り決めた合意を破った。イランはこの地域の不安定な状況を煽り戦争を喚起してこの地域の国々を疲弊させ、アラブのさまざまな宗派やグループ間の緊張に付けこみ、住民たちを傷つけている。
もしもこれに同意しかねる人がいるなら、今やあちこちで立ち現れつつある状況に目をやらなければならない──イエメンで展開されはじめた(対イスラム過激派の)作戦行動や、いま丁度戦われているイラクの消耗戦での状況、またイランの都市での民兵組織による作戦などの現状を。
イランは米国による占領が始まって以来、イラク人を取り囲んでいるトラブルにおいて最大の役割を演じているのだ…」
「イランは、イスラエルに反対してはいない。イランはその地域(イスラエル)を、限定的な、または全面的な戦争の瀬戸際に押しやることに何の心の咎めもない、なぜなら彼らの国はその危険から遠く離れているからだ。そしてイランはまた、イスラエルを、アラブ諸国に対する攻撃の場に押し出そうとしている…
イランはこの地域での外交的、または平和的な解決策には関心をもっていない。事実イランは、オバマの和平提案やパレスチナ国家樹立への提案をイスラエルが妨害することを助けてさえいる…なぜならイランはそうした和平提案が、その国益やその地域における彼らの未来への脅威だとみなしているからだ─
イランはそれは、アラブ人たちの死と彼らの国の崩壊によってのみ達成することが可能だと思っている…イランの影響は今やすべてのアラブ諸国…ペルシャ湾岸諸国や紅海沿岸諸国のみならず、アラブ系マグレブの諸国にまでも達している…」
「我々は今、イエメンとサウジアラビアの一部で、フーティ(Houthis)に対して起きつつある戦争がイランの資金と武器によって遂行されている、ということを忘れてはならない、そしてレバノンの政府というものは、イランがヒズボラを通じて常に拒否権の行使の脅迫を仕掛け続けるなかで、シリアとイランの合意によってのみ設立された、ということを…」
「我々はイランとアラブ諸国との関係を、そして〔アラブ+シーア派イラン〕と、〔アラブ+スンニ派イラン〕との間の関係を…それらの間に誠実な対話が求められる今、再び見直す必要があるだろう。我々は米国や欧州諸国によって推進されるイランとの対話に、我々の期待を懸けることは出来ない…今や協調的関係にあるアラブ諸国は、彼らの国におけるイランの影響力〔介入〕を阻止し問題の解決のためのプランを共に組むべき時なのだ…」
これ以外の記事でSarayaは、最近のバグダッドの爆破事件の背後にはイランがいると示唆した──それは、イラクで起きている政治的プロセスを押し止める目的でなされたものだ、と彼は言う。
「それは特にイランが…イラクからの米国の撤退計画を妨害して、イラクでの政治的プロセス進展を阻止しつつ、イランの核関連の危機に対して米国がより過激なオプションを取ることのないよう維持し続けることに利益があるからだ。
イランは、イラクの議会選挙を遅れさせることが米国のイラク撤退の引延ばしを保証する手段だと信じており、それが米軍の駐留延長へとつながり、結局米国のイランに向けたいかなる軍事行動も遅らせるものだ、と信じている…
(*MEMRIの英語訳による/MEMRIはイスラエル諜報機関の元出身者が設立した中東報道モニタリング機関だが、I/P問題では比較的客観的な記事を載せる…ワシントンに本部が存在し全世界に支部を持つとか)
http://www.memri.org/report/en/0/0/0/0/0/0/3853.htm
オバマ、「米国がこれ以上、イスラエルのイラン核施設への軍事攻撃を牽制し続けるのは不可能」と胡錦濤主席に語る (12/17、ハーレツ *要旨)
オバマ大統領は、中国の胡錦濤主席に対し、米国はイスラエルがイランの核関連施設を攻撃しないよう、これ以上牽制し続けることはできない、と語った。
オバマ大統領は先頃の北京訪問中に、イランがその核開発に関して西欧の提案を受け容れない場合、経済制裁を課すことを中国が支持するよう警告した。これを胡主席はオバマからの個人的なリクエストと受け止めたゆえ、中国はオバマの訪問の1週間後に早くもIAEAによるイランへの警告を支持することに同意した。しかし中国は制裁に関する政策は変えず硬い態度を維持している。
中国はまた、サウジアラビアが主導して中国に対して提唱している─イランへの石油依存を終わらせよとの要求さえも拒絶した─(それは中国にとって、イランへの制裁支持を可能にする条件ともなるが)
サウジアラビアもまたイランの核開発を懸念し、同国への国際的な制裁に対して前向きだが…同国は中国に対して、イランが現在供給しているのと同量の石油をより低価格で供給すると提案した。しかし中国はその取引を拒絶した。
オバマの訪中以降も、中国はイランへの制裁実施を拒否し続けている。イスラエル政府担当者は、「中国は西欧諸国の求めに対し制裁を行うのはまだ尚早だとし、はっきりしない回答をし続けているのだ」、という。
1月に国連安全保障理事会の持ち回り議長国が中国に交代することからも、中国の態度は問題だ。西欧の外交官は、もしもロシアがイランへの制裁を支持する場合、中国も支持する以外選択の余地はない、という。しかし、中国はフランスが同理事会の議長国になる2月までその討議を延期することができるという。
イスラエルの政府高官はロシアのメドジェエフ大統領について、彼は同国のラブロフ外相とは異なり、イランへの制裁に積極的態度を見せているのだ、と語った。
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1135730.html
*昨今のイラク・イラン国境の油田占拠事件についてTanaka Sakaiもこんな憶測をしていた──
(「イランとイラクの油田占拠劇」~) 「…私から見ると、イスラエルに侵攻してもらいたがっているのは、むしろイラン上層部の方である。イスラエルがイランを空爆したら、世界的に、悪いのはイスラエルだという話になる。ヒズボラやハマスがイスラエルを攻撃する口実ができる。
中東大戦争になれば、イスラエルがテヘランに核ミサイルが撃ち込むかもしれないが、最終的にはイスラエルは敗北し、レバノン、シリア、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン、エジプトまでの中東の地中海岸地域のすべてが、イラン寄りの地域になる。間にあるイラクとトルコは、すでに親イラン的である。
オスマン帝国以来100年ぶりに、中東は欧米系勢力の支配下を出て、イラン・アラブ・トルコという3頭立てのイスラム勢力の地域に転換していくことになる。イランは、中東の英雄的存在になれる。イランのアハマディネジャド政権は、イスラエルからの攻撃を待っている観がある。戦争になれば、石油も大高騰する。米オバマ政権は、イランに対して強硬姿勢と譲歩を繰り返すことで、イランの立場を強化している。」
http://tanakanews.com/091219iraq.htm
*アラブ過激派へのイランによる資金援助の話は、保守リベラルな人やユダヤ系米国人が訴えるトピックの定番でもある。
イラン人の描くイラクのグランドデザイン/Iran's Grand Design for Iraq - By Amir Taheri
イラン人にイラクについて尋ねると、彼らは大抵こういう…
イラクは歴史的にも、イランの延長なのだ…
あるいはイラクとイランの間に境はない、という風に。
‥西欧で知られるアミール・タヘリでさえも遠慮なく述べている
「イラン人が描くイラクのグランドデザイン」 By アミール・タヘリ(11/13、Asharq Alawsat)
カルバラにあるシーア派第3のイマームHussein Ibn Aliの霊廟には、まもなく新しい門が完成する。その門とは、数十人のイランの職人たちが数年がかりで作り上げたもので、専門家がいうにはペルシャの手工芸品の傑作なのだという。
先週、イランのメディアが報道したそのニュースには一見、何ら目立ったものはなかった。ともかくその霊廟は、他のイラクのシーア派の巡礼の聖地同様、イラン人によって建てられ、彼らの寄付で何世紀もにわたり維持されてきたものなのだ。
しかし目立ったのは、イランの国営メディアがそれを報道するときに「国内ニュース」として報道したことだ。公営放送のIRNAは、そのニュースアイテムを「地方県のニュース」の部で放映した。
カルバラとは、しかしイラクの国内にある─イラクはイランの隣国とはいえ、90年近くにわたる独立国家だ。
多くのイランの支配層エリートにとって、その事実は明らかに認めるのは困難だ。彼らにとっては、国家の独立主権といったことには余り意味がない。
公的なイスラム聖職者(mullah)たち、例えばテヘラン大学の金曜礼拝の導師のアフマッド・ハタミ(Ahmad Khatami)などは「イラク」という言葉を一度も聴いたことがないかの如くよそおう。彼らにとっては、イラクとは"Bayn al-Nahrayn" (メソポタミア) または、 "Atabat al-Aliyat"(聖廟群)といったものだ。8年も続いて何百万人もの戦死者を出した戦争すらも、明らかに、彼らにイラクが独立国だと納得させはしなかった。
イラクを支配することは、1797年のKarim Khan Zandの逝去後にオスマントルコがペルシャの地から撤退して以来、イランのエリート層にとっての野望だった。
第1次大戦の終焉とスマントルコ解体の後、シーア派聖職者はテヘランのカジャル・シャー(Qajar Shah)に対して、イラクの「聖なる」いくつかの都市を併合するようにと説得を試みた。しかし、Qajar一族は…彼らが墓場へと至った歴史上の過程のなかで、そうした征服を夢見る立場にはなかった。
イラクが英国の援助のもとで独立国となることが一旦明白になると、聖職者はそのプロセスをボイコットし、イラクのシーア派を傍観的立場に留まらせようと決意した。
1940年代までには、イランのエリート層は独立国イラクという既成事実をどうにか受けいれた。1950年代には、二つの国は王族同士の結婚で姻戚関係を結ぼうとしたが…周囲が企んでいたシャーの娘Princess ShahnazとイラクのFaisal王との間の恋愛関係が十分に進展しなかった時、その試みは失敗した。
1960年代から1970年代の半ばにいたるまでイラクの政権は、彼らイラク人が (uruba) Arab人である…ことを強調してイランの影響を振り払おうとした。1968年から75年までに、100万人ほどのイラク人がイランとの関係を理由に追放された。代わりにバース党は、エジプトやパレスチナから移民した"純粋アラブ人”と彼らとを置き換えることを画策した。
長年にわたる敵対関係の後に(両国が)関係を修復した1975年の合意以降、 Shahはイランの存在感を貿易や巡礼、文化交流によって復活させようとした。
彼のアイディアはイラクの街々に、イランからの巡礼者や旅行者を溢れさせ、イラク経済をになう主要な要素としようというものだった。その計画は1979年にテヘランで聖職者達が政権を掌握したことで終わった。イランの新たな支配者アヤトラ・ルハラ・ホメイニは、イラクにおける単なる影響力を欲しなかった;彼は支配を欲した。ホメイニの野望は1980年から始まった戦争の引き金となった…サダム・フセインによって開戦された戦争ではあったが…アヤトラはその戦争を1988年まで引きのばした。
サダム・フセインの凋落はイスラム革命共和国に脅威と、そして機会を与えた。脅威とは、イラン以外に唯一、シーア派が多数派の国であるイラクが近代的な民主主義国家となって、ホメイニの国家モデルのライバルとなるという可能性だった。機会とは、旧イラクの消滅による真空状態をイランが埋めることで、イラクを支配する夢を実現できるという可能性だった。
イランによる現状分析では、イラクの状況からもたらされる脅威の部分は消えたという。イラクは米国その他の西欧諸国の長期的なサポートのもとでのみ民主主義を確立し、ホメイニ主義者のモデルを脅かすことができるだろうからだ。2008年にはイラク情勢が、西ドイツの1948年の状況に酷似していた。もしもその時に、欧米諸国が新興の西ドイツに対する援助を引き揚げていたなら、ソ連がその真空を埋めていたかもしれないのだ。
テヘランの政権の見解とは、現在のオバマ政権はトルーマン政権が1948年に西ドイツに積極的に関与していたほどには、イラクにコミットしていないだろう、というものだ。
かくしてイランは真空に入り込み、空隙を埋めようと準備している。そして、テヘランは異なる前線において前進を続けている。
過去5年の間にイラクにおいて何百ものフロント企業やビジネス事業がイランの資金によって設立された。イランによる"投資”はナジャフやカルバラで不動産バブルすらもひきおこした。バスラでは、2008年以降に新たに発された70%以上のビジネス免許は、イラン人に益するものだった、と報告された。
イランが出資し、コントロールを握る武装グループ──いわゆるMahdi軍を含め─は都市戦のための新たな武器と訓練とを受けた。何千人ものイランの諜報部員が2003年来、6百万人の巡礼者にまぎれてイラクに入りそこに居住している。
これまでイラン政府は、多くの聖職者たちがナジャフの重要な"howza"(神学校)を支配することに失敗してきたが─そこでは大アヤトラのアリ・ムハマド・シスタニ師のもとでイラクの主権の保証者(guarantors)としてふるまっている。
しかし、イランはイラクのために、新世代の聖職者たちを訓練してプロモートした…モクタダ・サドル(Muqtada Sadr)はその中の一人で、彼は何年かのうちにアヤトラに指名されるという希望のもとに、聖都Qomでの速成コースに通った。
政治の面では、イランはイラクのNuri al-Maliki 首相を追い出し、シーア派の宗派ブロックを2010年1月の総選挙で躍進させたいと願っているのだ。もしもそれに失敗するならば、その代案とは選挙自体を行わせないようにすることだ。
それは州制度と称して、8つのシーア派の主要県がイランの影響の傘下でグループ化されるという新たな状況を生み出すだろう。イラクの政治エリートたちは、すでに"イランの党”と、イラクの独立を支持する党とに分裂してしまっている。
聖職者たちのイラクへの冒険主義的ポリシーはイラン国内でも公の外交アナリストたちによる批判を呼んでいる。その議論とは、イラクを支配しようとすることは、イランが噛める以上のものに噛り付こうとしているというものだ。
イラン独自の利益のために必要とされるのは平和なイラクであり、そこでは多様な民族・宗派のコミュニティーが権力を分けあい、安定を生み出すべきである。現今の攻撃的な聖職者たちのスキームはイランとイラクの双方に、苦悩の嘆きだけをもたらすだろう。
http://www.aawsat.com/english/news.asp?section=2&id=18793
*アミール・タヘリはイラン生まれの保守派論客、イランの各紙で執筆後、ヨーロッパに在住する…。London Sunday Times、 Pakistan Daily Times、The Daily Telegraph、The Guardian、The Daily Mail、Asharq Al-awsatなどにイスラム過激派等に関しても書いており、CNN、BBCのコメンテーターもつとめ、西欧でよく知られているようだ。(「イスラム過激派」という本も書いている…)
*Asharq Al-awsatはLondonにあり、サウジアラビアの国営紙Arab Newsの姉妹紙だという