Wednesday, April 21, 2010

日本の輝かしい孤立は、危険を冒している?/ Japan’s splendid isolation may be at risk-By David Pilling


日本の気分を、敏感に洞察しているかのようなFTの記事なのだが?

日本の輝かしい孤立状態は、危険を冒している By David Pilling (4/14, Financial Times)

 世界は日本との恋が冷め、日本はその他の世界との恋が冷めた。日本マニア(Japanophiles…この国の効率性の高さや、素晴らしい料理、優美で繊細な美などに抱く、もっともなリリシズムの感情を膨らませている者たち…)との討論はさておき─最近、この国について語られていることは、眉を吊りあげさせたり、穏やかな…抑え気味のあくびをさせたりする。投資家たちは、日本という国は株主価値という概念の金科玉条〔企業は株主のものとの概念〕…を受け容れたがらず、その株価も90年代レベルの4分の1の好況を回復しつつあるというだけで、好況だ…と言いたがる様な国なのだ、とみている。つまりそこでは、関心が喪失している… たとえば、ある東京をベースとする株式ブローカーは、より多くの顧客が彼の投資ノートを読もうとするように、「日本」という言葉をその表題から削除しては、というアイディアを弄んでいた。

 それはそうと、確かに日本は、外部世界に対しては陰鬱で無関心な孤立感(detachment)をもって眺めている。日本は、彼らが自由な資本主義市場への、よりワイドな認識を持っていなかったことを立証されたと感じ、さらにその輸出依存型の経済が、見境いのないそのライバル諸国よりも一層、急激に収縮していることに失望を感じている。その国は、勃興する中国が、まもなくその世界第2位の経済大国の地位を奪うだろうことや、中国が随分前に外交的・地政学的な持ち札で日本に勝ったということを、神経質な諦めとともに認識している。日本は、その旧植民地ながらもその産業界が彼らに追いつき、グローバリゼーションによって起こされる変化への社会の順応性もより高いことが広く証明された韓国をすらも、幾分かの羨望をもってみている。

 国内では硬直した自由民主党からついに野党が政権を奪取してから、わずか8ヶ月が経過し、幻滅感が起きつつある。新たなる明治維新との期待さえ抱いた人々もいたそのことには、大した霊感はなかったことが判明しつつある。そこでは既に、「革命」のリーダーこと鳩山幸夫が辞任するのではという囁きすらある。経済的には、今週、インフレターゲット政策を志向する与党派閥が結成されたにも関わらず、国のリーダーたちは、宿命論的なデフレの受容れ論ばかりを好んでいる。本当に、15年前後にわたる継続的物価下落は、幾人かが予測したようにさほどの危機は招かなかった。しかし名目GDPの減少は日本経済の相対的な低落傾向を、さらに勢いづけている。

 そこには重要な反作用のトレンドがある。アジア全域に旧日本軍が跳梁跋扈していた時期以外には、日本はある意味で、世界に繋がって(プラグ・インして)いた時期は殆どなかった。しかしビジネス界はその未来は海外にある、との結論に達した。野村證券はグローバルな投資銀行となるべく、リーマン・ブラザースのアジアとヨーロッパ部門を入札で仕留めた。第一証券はインドの医薬品メーカー、Ranbaxyを大胆な(高額な、という意味で捉えて欲しいが)国際的な急襲によって獲得した。

 日本文化の海外での影響力は恐らく、これまでになく大きくなっている。東京は10年前に比べてはるかに国際化している。首都東京は、国際便の何本かが今や成田の原野の空港からより便利な羽田への発着に変わりつつあり、よりアクセスし易くなっている。
 
 それでもなお、多くの日本人は厳かな(風格ある)国力低下と気取った孤立状態(stately decline and genteel isolation…)という認識に、より安らぎを覚えるようだ。日本で最もよく売れている本の一冊であるThe Dignity of a Nation〔国家の品格〕は、子供たちへの英語教育をやめて、国際間の交易からも手を引くべきだと薦めている。そのような過激思想まではいかずとも、多くの人々は調子の狂った(不調な)世界からは隔絶されて… 富や社会的礼節を保つ僻地であって何が悪いのか、と問うている。

 確かに、そこにはいくつかのアトラクション(誘引力)がある。この国は、例えば国際的テロリズムからは手をつけられていない。鉄道駅やオフィス、公的機関の建物でのセキュリティーが殆ど不在なことは─、日本以後の世界にとっては─過ぎ去った昔への魅惑的な回帰のようだ。この国は貿易摩擦も顕著に避けてきた。最近のリコール事件が起こるまでは、トヨタはデトロイトの破壊の一途な追及に、実質上フリーハンドを与えられてきた。日本は、巨大な貿易黒字と米国側の赤字の堆積が続くなかでも、中国を襲ったようなバックラッシュは経験していない。仕事や貯金へのアクセスをもつ日本人にとっては、デフレさえもが恩恵となる。「我々は静かに我々の豊かさを楽しんでいるのだ」とある満足した顧客はいった。

 日本は、そして輝かしく安逸な─羨望さえも抱かせる─耄碌(もうろく)(splendidly comfortable – even enviable – dotage)へと滑りこんでいく。しかしそのシナリオには、少なくとも2つのリスクがある。一つ目は経済だ。20年に亘り日本は預金によって財政赤字を補填することができた。その状況は永久に維持できるものではないかもしれない、特に高齢化が進んで預貯金額が減少した場合には。その公的赤字の総額は─国内で認められている総額は─国民総生産の180%に近づいている。マーチン・ウルフは、英国政府は4ポンド使うごとに1ポンドの借金をしている、と警告した。これは日本では子供の遊びだ…200円使うごとに、政府が100円以上借金をしているこの国では。

 2つ目のリスクは地政学上のものだ。日本は、粗暴な近隣国に囲まれている。周囲を囲む殆ど全ての国々との間で領土問題を抱えており、それらの国の多くは戦前の日本の侵略への憤りを維持して(あるいは維持することが有利であると発見して)いる。日本の最強の同盟国である米国との現状のシーソーゲームの最近の原因は、海兵隊基地をどこに設置するかの問題だ。しかし底に横たわる摩擦とは、ワシントンが、東京が一食触発の危険な世界にフルに関わることには気乗り薄なことからくる、長期に亘るフラストレーションから生じるものだ。しかしこれらのいずれも、日本の輝かしい孤立状態が受け容れられないことは意味しない。だが、それがスムースには運ばないだろうことも確かだ。
http://www.ft.com/cms/s/0/fb85d0a2-47f6-11df-b998-00144feab49a.html

*筆者のPilling氏はファイナンシャル・タイムスの現アジア部門エディター、2002年1月-2008年8月まで東京支局長とのことだ 
(*この記事は日経新聞に あまりぴんと来ない和訳ものっていたようだ─タイトルは:「孤立の日本」にリスクはないのか)