Thursday, August 15, 2013

トルコの春を制するのは、はたして…催涙ガスのキャニスターなのか?それとも、ヨーガなのか? Will gas canisters or yoga prevail in Turkish spring? By Paul Mason


トルコの春を制するのは、はたして…催涙ガスのキャニスターなのか?それとも、ヨーガなのか? By ポール・メイソン Will gas canisters or yoga prevail in Turkish spring?(6/8, BBC) 

イスタンブールでは、レセプ・タイープ・エルドアン首相が掲げた「デモを止めよ」との要求にもかかわらず、タクシン広場やその他の地域での反政府デモが続いている。

  私が子供の頃には、サッカーボールは皮革でできており─水に濡れたボールをヘッディングしたときには…少々ボーッとなるような、びっくりする感覚を覚えた瞬間…自分自身が飛ばされていたものだ。

 それはちょうど、私の頭にCSガスのキャニスターが当たった瞬間の感覚でもあった…もしも、ヘルメットを被っていればの話だ。 もしも、ヘルメットを被っていなかったなら…眼球も飛び出ていたかもしれず、あるいは、頭蓋骨が陥没していたかもしれない…そして、白いヘアネットと、大きなパットの付いた包帯のお世話になる。

 それは私が、タクシン救急病院のドクターをインタビューしたとき、彼がつけていたものなのだ─彼はドクターの白衣を羽織り、頭に白い包帯を巻いていた。彼は、CSキャニスターで頭を撃たれた誰かを治療しているさなかで、自らも弾に当たっていた。

   私も、弾の当たった誰かをビデオ撮影していた最中に、弾に当たった。しかし私は、ヘルメットを被っていたのだ。 「奴らは、人々をターゲットにしている」…と彼は言った。

 「彼らは恐らく、遠距離から撃っているようなのだ…だが照準器でクローズアップして、あなたに真っ直ぐ狙いをつけている─」  彼は、私に空のキャニスター(催涙弾の弾筒)の一つを見せてくれた─そして、その周辺には…怪我を負いながらも、そうしたキャニスターを沢山、土産物のようにぶら下げて歩き回る、多くの人たちがいた。

 私はその弾筒の端を、私のヘルメットの半円形の穴に差し込んでみた。その弾筒は、穴に完璧にフィットした。 人々の中には片眼を失った人や、頭部に重傷を負わされた人もいる。

 日中、あたりに催涙ガスのないときには、タクシン広場はフレッシュな顔つきの溢れる、若々しいモダニティのフェスティバルのような場所となる。 その広場の草地は、1メートルごとに…座ったり、占拠(スクウォット)したり、タバコを吸ったり、寄り添いあったり、昨夜の暴動の際の彼らの写真を眺めたり、お互いの体のアザをみせあったりする人々によって、覆われる。 人々が、あなたに近づいてきて、無料のビスケットや水のはいったボトルをとるように、とも要求する。

 そして、ここではレオタードを着た100人の女性がおり…彼女たちは、ヨーガのマス・フリー・セッションに参加している。向こうの方にはまた、「反資本主義のムスリムたち」。と書いたバナーの下に集う、ベールを被った女性たちもいる。

  私はこういう光景をすべて、以前にも見たことがあった─ギリシャのシンタグマ広場や、スペインのインディグナードスたちの集う場や、タハリール広場のロータリ―で。

  「トルコの社会は、宗教的ま保守派と、それ以外とに」、50対50に二分されている…そして、そこには、プラタナスの木々の間を隔てる悲しみの帷(とばり)…について、説明するような違いが存在している。」

  トルコでは、世俗的な、都会に住む、教育レベルの高い若者たちとは政治的マイノリティなのだ。 イスタンブールから車で3時間の小さな街である、アリフアトパサAlifuatpasaでは、トルコの春が発生することはない。 そこには、パン屋と、モスクと、そして…毛糸で編んだ帽子を被る、年輩の男性たちが腰を下ろし、昔話をしている茶房(ティー・ショップ)がある。

 アリフアトパサにおいては、女性たちは肌の露出度の高いトップスや、ヨガ・パンツをはくことはなく、実際のところ…彼女らは、頭の先からつま先までをベールで覆っている。

   ここでは、私のトルコ人のフィクサーが、地元の薬店主に頼んで、彼女らに私と話をしてくれるように、頼まねばならなかった─なぜなら、私には、それは許されていなかったのかただ。しかしその答えは、ノーだった。

  その近辺では、タクシン広場で起きていることへの、穏やかな怒りが湧き起こっていた。 「我々は、ベールを被ることに対する抵抗運動のなかで、暴力を使ったことなどない」、と一人の男が言う。 「奴らは、酔っ払いだ(They are drunk)」と、もう一人が言う。

  トルコのなかでも、Alifuatpasaは、エルドアン首相が戦おうとするいかなる選挙においても、勝利できるような…そうした街の一つだった。 イスタンブールでは抵抗運動はエスカレートして、動乱は、その数日目に入っていた。

  それは、穏健派の宗教保守派であるAK党の牛耳る、この街のような街から発生して、そしてまた、エルドアン氏が支持を得ているような街においても、起きている。

  「私は72才だ」、とある男が言う、「…これまでに、私の人生が、もっと良かったことなどない。彼らは、何のために戦っているんだ?」その、短い答えとは─トルコの社会が、50対50に分裂している、ということなのだ…宗教的保守派の支持者と、その他の支持者との間に。

   ─「その他」というのは、世俗派や、宗教的・経済的マイノリティたち、左翼主義者や、リベラル主義者、軍事政権を懐かしむ人々…などといった人々である。そのなかに は、ライバル・チームのシャツを着て、ライバルのサポーターたちと肩を組んでダンスを踊っているような、サッカー・ファンたち…(お互いの間では、何ら憎しみを抱い ていない、ということに…突然、気づき始めたような者たち)も、含まれるのだ。

  エルドガン氏の強みとは、社会の 中のこの世俗的なパーツが、古い政治的(political)な事業(project)に固執しているということ…、そして彼らが、分裂しているということだ。 そして彼ら(すべて)を、一つに連帯させるものとは…公園(再開発されようとしている、タクシン広場の)などではない…それは、ただのシンボルに過ぎな い。

   それは感覚(フィーリング)なのだ…あるトルコのライターが、こう書いたように…その社会のなかには、「モダンなものへの高まりつつある敵対心…」が、存在する、そしてエルドアン氏は、そのなかで(ゲームを)プレーしている。  それゆえに、政治的イスラム勢力の力は強い。

   しかし、フェイスブックや、ヨーガや、バリケード(を築く、抵抗勢力)の力もまた強い ─そして、最後にはそれは、片方の側が催涙ガスをいかに繰り出せるか、そして、もう片方の側がいかにそれを受け入れられるか、によるものなのだ。
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-22814291



タクシム広場フォトグラフィック・ツアーTaksim Square Photographic Tour (BBC)

http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-22795193
 

エルドアン首相、BBCはトルコを不安定化させるための陰謀の一部だ─と語る(6/26、プレスTV)

火曜日に首都アンカラでの議会演説で、エルドアン首相は外国勢力、国際的金融勢力とメディアが5月31日以来、同国を席巻している反政府抵抗運動に責任がある…それはトルコの台頭を阻もうとするものだ、と述べた。
彼は、外国メディア、特にBBCが挑発者たちを先導していると述べた。「当初から、ある人々が、国内的にも国外でも、抵抗運動を完全に罪のない正当なものだと…そして警察がシステマチックに力を行使している、と描写しようと試みていた」、とエルドアンは述べた。「トルコ国内の、特定のメディアが挑発者たちを先導している。そして外国メディアがそれらのオペレーションに参加している」

トルコの首相はまた、BBCSelin Giritをターゲットとして非難し、彼女が同国に対して陰謀を働いていると述べた。

そして同じ陰謀がブラジルに対しても行われていると述べた(トルコとブラジルは共に、IMFにすでに負債を弁済し終わっている、とも述べた)。

ブラジルでも過去2週間、何万人もの人々が何十ものデモを、来年のFIFAワールドカップで費やされる何十億もの金に反対して行っている。抵抗者たちは政府が健康医療や、教育、交通運輸を無視して金を浪費していると抗議した。



日曜日に、エルドアンは、反政府の抵抗運動の波がトルコとブラジルで、その国を不安定化させようとの外国の陰謀によって、生じていると非難した。

「同じゲームが、ブラジルでもいまやプレーされている」、とエルドアンは言った。「シンボルは同じで、ポスターも同じだ、ツイッターや、フェイスブックも同じだ、そこにいる海外メディアも同じだ。彼ら(抵抗勢力)は同じ中央(センター)に率いられている。」

「彼らは、トルコで達成できなかったことを、ブラジルで達成しようと最大の努力をしている。それは同じゲーム、同じ罠、同じ目的だ」とエルドアンは付け加えた…。



BBCのトルコ特派員(ハッシュタグ@selingirit)はスパイだ、とエルドアン首相が非難…(6/24 CNN)

ISTANBUL, Turkey (CNN) -- Twitter has been the scene of a bizarre Turkish hashtag war 

Tuesday, August 6, 2013

グローバルな若者の叛乱が共有するシンボリズム Shared symbolism of global youth unrest By Paul Mason

;グローバルな若者の叛乱が共有(シェア)するシンボリズム 
 By ポール・メイソン (6/20, BBC Newsnight)

 (Photo:言語もタイムゾーンも異なるものの…トルコからブルガリア、そしてブラジルにおいても、抵抗運動が掲げるシンボルというものが、ますます、同一のものになってきている)

 ガイ・フォークス(Guy Fawkes)の仮面(マスク)(※)や、テントを張る行為、集団的な懲罰としての、催涙ガスに対抗するためのガス・マスクや、ヘルメット…。昨年、おこなわれた抵抗運動の場に現れ出た、国家権力への反抗…そして、集団的な抵抗の連帯を殴り書きした、手書きのサイン・ボード。…中核となっている抵抗者たちの、若々しさ。

 ─ 「これは、テクノロジーとソーシャル・メディアへのアクセスが整った状況のなかで、その人生や心理が形成されてきたような、最初の世代(ジェネレーション)なのだ」─。

イスタンブールのゲジ公園で─私は、学校に通う年齢のティーンエージャーたちが、毎日決まって午後になると小さなグループで姿をみせ、芝生の空隙を見出して占領して、宿題(ホームワーク)を始めるのをみた。

 そして、サン・パウロに現れでた光景も、また、これと同じようなストーリーを物語っていた。

 いずれの都市においても─ポスト・思想(イデオロギー)的な時代に生まれた人々は、彼らの…モダンな、不満を抱えた都市居住層のストーリーを語るための、シンボルを用いている─つまり彼らの国旗や、ローカルなサッカー・チームのシャツ…などだ─それがイスタンブールでも、サン・パウロにおいても、共通の”ミーム(meme)”となっている、というわけなのだ。

 しかし、その不満の原因とは何なのだろうか?

 私が、2011年に英国と南ヨーロッパにおける動乱を取材したときには、その答えとは明らかだった。若者世代の全体にとっては、経済的な約束が放棄(キャンセル)されている─おそらく、彼らは60代の終わりまで働かねばならず、大学を卒業する時点において、その一生が打撃を蒙るような借金も負わされる。

 そして、2009年に米国の学生たちも、苦情を述べて(※NYTに特集記事が掲載されて)有名になったように、彼らが卒業後に就職する際には、しばしば、大学時代にパートタイムで働いていた仕事と同じような仕事しか、得られなくなっている。私はギリシャで、土木技師の公的資格をもっているにも関わらず、レストランのウェイターをしている者に出遭った─私が、暴動の取材のなかで出遭ったそうした事実が、すべてを語っている…。

国家を迂回(バイパス)する

 アラブの春の場では─外部者の眼からは、それは異なって見える─それらの国々は、急成長する経済だからだ。リビアの場合、その国は目を見張るような急成長の中にある。しかし、そこであなたは、これらの動乱の波をユニークなものとなす、何かに突き当たる─その動乱を担う世代(ジェネレーション)は、テクノロジーとソーシャル・メディアへのアクセスが整った状況のなかで、その人生や心理が形成されてきた…最初の世代(ジェネレーション)なのだ。

 我々は、それが何をなすものか、を知っている─国家によるプロパガンダや検閲、政府と繋がる主流派(メインストリーム)メディアなどを、それはいとも容易く、迂回(バイパス)させるのだ。エジプトの国営TV局は、ホスニ・ムバラクに対する叛乱の第一日目には完全に、その信頼を失った。今月、トルコのTV局の各社も、その時と同様に、叛乱に関する報道をさし控えようとし…そのことに対する苦情の総攻撃に晒された。

 「警察の行動の効果とは、抵抗者たちが、暴力の画像を即座に世界に向けて発信できる能力というものによって、より拡大(誇張)された。」

 ─「しかし」、とある政治学の教授は私に言う、「そうした苦情を発する者たちの多くは、35歳以上の人々なのだ。若者たちはTVを観ない、そしていずれのケースでも、彼らはニュースで報道されていることなど、決して信じない」。

 ソーシャル・メディアは、抵抗運動の迅速な組織化を可能にし、抑圧へのすばやいリアクションをも可能にする…そして、彼らが成功裡に、主流派(メインストリーム)メディアや、政府の歪曲報道の(スピン・)マシーン(マシーン)を馬鹿げたものにみせる…プロパガンダ戦争を戦うことをも可能にする。

 同時に、それは、抵抗者たち自身が組織化する際の…比較的、「水平的(ホリゾンタル)な…」その構造をも強化するものなのだ。イスタンブールのタクシム広場では、60以上のグループが組織された。サン・パウロの抵抗運動の場においては…より一層一般的なパターンを通じて、数グループの組織化が行われ、それと並行して…人々の不定形なネットワークが存在した─そこでは、人々が彼ら自身…いつ、そこに加わり、そのバナーに何を書いて、そこで何をするか…を自由に選べるという状態だった。

 私がイスタンブールに到着した際には、金融マーケットの幾人かの連絡先(コンタクト)たちが、こう不思議がっていた─この地域は、この地球上でも最も急速な経済成長を遂げているというのに、一体、彼らはなぜ抵抗しているのだろうか?と─。

 路上に出てみれば、その答えは明らかだった。第一に、私が話をした教育を受けた若い人々の多くは、「富は腐敗したエリートたちの許に行ってしまう」、と苦情を述べた…その多くの者たちは、医師や、土木技師や、ドットコム企業に勤めるタイプであるにも関わらず、彼らには家賃を払う余裕すらないのだ…とも指摘した。

「完全に、普通の人々」 Completely ordinary people

 しかし、そこにはより大きな嘆きも存在した─彼らは、宗教的保守派であるAK党の政府が、彼らの自由を侵害していると、感じていた。あるトルコ人のファッション・ライター(もともと、革命分子では全くない)は、「モダニティに対して潜行的に拡大しつつある敵意("a growing, insidious hostility to the modern")」についての、苦情を述べた。

 そして彼らは、ゲジ公園における最初のテント・キャンプ(環境破壊に対する抗議運動)への、警察の重度の弾圧行為を、このun-freedom(非自由)のシンボルとみなしていた。

 ─「抵抗者たちは、政府が実際に何をしたのかよりも…何をする可能性があるのか、ということに怖れを抱いているようだ」─Caner Ozdemir Istanbul

 しかし先週ふたたび警察が、ヴィネガー(催涙ガスの刺激を鎮めるために用いる)を所持していたジャーナリズムを逮捕したことや、4人のジャーナリストをゴム弾で撃ったことなどが、バランスを欠いた行動だと非難され、事態をエスカレートするに至った。

 いずれのケースでも、警察の行動の効能とは…抵抗者たちが暴力行為の画像を世界中に即座に送ることのできる能力により、より一層拡大されていた…そして、30年以上にもわたって、「致死的ではない(non-lethal)(非・致死的な)」法律の執行をレポートしてきた、ベテランとしての私の印象では、CS(催涙ガス)やゴム弾、放水銃などの使用は世界中で、警察のやり方を「致死的に近い(near-lethal)(ほぼ致死的な)」方向へと、プッシュしているようだ…それは、非暴力的な意図のもとで街頭運動に出る抵抗者たちにとっては、ますます受け入れられないものとなりつつある。

 比較的小規模ではあるものの、(国家保安局の、論議を呼んだ新長官を水曜日に退任させるに至った)ブルガリアでの抵抗運動は、多くの国々の街頭運動の民衆を連帯させる課題(イシュー)に対する注意をさらに喚起した─それは貧困の問題ではない、と抵抗者たちは言う─それは腐敗であり、民主主義の欺瞞的な状況、小集団による徒党政治であり…経済発展の生んだ富を、獅子の分け前として独占するエリートたちの問題なのだ、と。

 端的に言えば─東ヨーロッパの人々が、共産主義よりも個人主義を選択した1989年当時と同様に─今日では、資本主義が…許容不可能なほど(レベル)のエリート支配、有効かつ、信頼性のある民主主義の欠如、抑圧的な警察…などと同一視されることが、見出されている。

 そして、この三年間の出来事とは、つまり─完全に普通の人々─その腹の底に、何らイデオロギー的な意図などをもたない人々が、それらへの抵抗の手段を見出した、ということを示している。


http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-22976409
 

(※)グイド・フォークス(Guido Fawkes1570413日(ユリウス暦) - 1606210日)、あるいはガイ・フォークス(Guy Fawkes)は、1605年にイングランドで発覚した火薬陰謀事件の実行責任者として知られる人物。ウェストミンスター宮殿内の議場地下の石炭貯蔵室を火薬の樽で満たす陰謀に加担、捉えられて拷問・死刑に処された。立派な髭を蓄えた赤毛の偉丈夫であったといい、ウェールズ方面では国王暗殺を試みた罪人として扱われるが、スコットランド方面では自由を求めて戦ったfolk hero(民間伝承の英雄)視される。ガイ・フォークスの仮面は、コミック作品を基にした2006年の映画『Vフォー・ヴェンデッタ』の主人公Vの仮面として世界的に知られることとなり、その後アノニマス、ウィキリークスのジュリアン・アサンジ、世界各国の「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」の活動にも用いられ、「抵抗と匿名の国際的シンボル」と認知されるようになった。



トルコでの動乱は5月下旬に、公園の取り壊し計画をめぐる小規模な座り込みから始まったが、
軽圧の弾圧ののち、より大きな反政府的な抵抗へと、スパイラル上に発展した。




Friday, August 2, 2013

Daughter of Destiny/Benazir Bhutto, 運命の娘/ベナジール・ブット、1953~2007 By Christopher Hitchens



(★このコラムは20071227日に、パキスタンでベナジール・ブット暗殺された直後に、クリストファー・ヒッチンズにより執筆されたもの)

Daughter of Destiny/Benazir Bhutto, 1953-2007.
運命の娘/ベナジール・ブット By Christopher Hitchens (12/27/2007, Slate.com)




 ベナジール・ブットに対する最も容赦のない批判者でも、彼女が尋常ならぬレベルの肉体的勇気を持っていたことは否定し難いものがあったろう。
 彼女の父親が、1979年にパキスタンの軍事独裁政権による死刑宣告を受け、獄中で臥せっていたときに…そして、家族の他のメンバーらがその国からの脱出を試みていたときに─彼女は、大胆にも、飛行機でその国に舞い戻っていたのだ …彼女の、それに続くジアウルハク中将(Gen Zia Ul Haq)との対立は、彼女が五年間にわたって刑務所で人生を費やすことを強いた。彼女はその経験を単なる…小さな、卑屈な男が彼女に負わせたことのように、一笑に付しているかのようにも見えた。

 ベナジールは1985年に、彼女の兄弟の一人、シャハナワズ(Shahnawaz)南フランスで不可解な状況のもとで死を遂げ、そしてもう一人の兄弟のムルタザ(Murtaza)1996年に、カラチの自宅の外で制服の警官によって射殺されるのをその眼で見た。それは、その有名な住所クリフトン通り70番地…において起きたのだ私はその場所を、198811月に、彼女に会うために訪れていた選挙キャンペーンの最終日に。そして私は、彼女がいかに勇敢なのかを、(じか)に見出していた。ボディガードたち全員を嘲りのもとに振り切って、彼女は、私と一緒に…一台のジープを駆って、カラチのスラム地域への身の毛もよだつツアーに出かけたのだ。彼女が車外に出て長演説を振るうべく、拡声器を手にしてジープの屋根の上に登るたびに…群衆が車を転覆できるほど、近くにまで圧し寄せてきた。

 翌日、パキスタン人民党Pakistan Peoples Partyは、大差で地滑り的な大勝利を収めて、彼女を、35才にしてイスラム教国で初の女性リーダーに選出した。 



彼女は、それに続く「再選任期(カムバック・ターム)」が終焉したときに─腐敗の容疑と、政治的陰謀の容疑による残念な混乱のなかで…ドバイへの金ぴかの亡命とともに、その任期を終えた。しかし彼女は、亡命というものが政治的な死の独自の形態になりうることを、明らかに理解していた。(彼女は、最近のMore(モア)でのエイミー・ウィレンツ(Amy Wilentz)による優れたプロフィール・インタビュー記事でも、そのことをよく語っている)アジアの他の二人のリーダーたち、すなわち、フィリピンのベニグノ・アキノ(Benigno Aquino )Benigno Aquinoや、韓国の金大中Kim Dae-jungらとも変わらず、彼女は、自宅に戻る危険性を冒すことが重要だ、と決意していたようだった。そして、今や、彼女は逝ってしまったまるで彼女が、アキノと同じ道を辿る可能性もある…と知っていたかもしれないように。

それが誰の仕業なのかを、誰が知るのだろう?それはもちろん、グロテスクだというしかない殺害は、ラワルピンディで起こるべきことだったパキスタンの軍エリートたちの要塞都市であるその都市の、フラッシュマンズ・ホテル(Flashman's Hotel)の、敷地内で。…まるで、彼女はウェスト・ポイントか、クァンティコ(※ワシントンDCにある、米海兵隊の訓練基地)を訪問する途中で、殺害されたかのようだ。しかし、その殺害による利益の享受者が、ペルヴェス・ムシャラフ(Pervez Musharraf)大佐であるというような、いかなるcui(クイ) bono(ボノ)分析 (※「誰にとって、どんな利益になるのか」の分析)─というものも、構築しようのないものだ。
最もありそうな犯人とは、アル・カイダ/タリバンの枢軸だといえる─おそらく彼らの、パキスタンISI(諜報部Inter-Services Intelligence.)の内部の、公然たる(または、陰なる…)多くの鳴者(シンパサイザー)たちの、何らかの幇助のもとにそれは1018日に、彼女の帰国を歓迎する車列が大型爆弾で破壊されたとき以来、彼女が名指しにしてきた相手だったのだ。

 彼女は、そうした繋がり(コネクション)というものを、よく知りうる立場(ポジション)に居たのかもしれない、なぜなら、彼女が首相であったときに、彼女はとてもアクティブな親タリバン政策をとっていたそれは、パキスタンのアフガニスタンに対する支配を拡張して、より一層堅固なものにし…そしてパキスタンに、インドとの長年の…カシミールをめぐる]紛争における戦略的縦深(ストラテジック・デプス)をもたらすべく…構想(デザイン)された、政策だったのだ。そして、そこにある事実とは、ベナジールの抱く疑いのない勇気というものが、そのこと自体へのある種の狂信性(ファナチズム)含んでいた…ということでもある。彼女は、近代の歴史上、いかなる女性政治家たちのなかでも最大のエレクトラ・コンプレックス(※亡父へのコンプレックス)を抱いていた。彼女は、その処刑された父親…魅力的(チャーミング)で無節操なズルフィカール・アリ・ブット Zulfikar Ali Bhuttoに関する記憶を、完全に神聖視していたのだ〔…彼はかつて "パキスタンの民衆は、核兵器を手に入れるまでは草を食んででも闘いを諦めない"と豪語した…〕(─彼はそのことではむしろ、予知能力を持っていた…同国は、今ではもちろん、核兵器を保有し、かつ、その何百万人もの住民は、自らをほとんど食わせられていないのから)。名目だけの社会主義者(figurehead socialist)、ズルフィカール・ブットとは、独裁的な日和見主義者だった。そして、彼の家族的な伝統とは、PPP(※パキスタン人民党)によって、実行に移されていたおそらく、ポピュリスト政党であるPPPというものは、内部ではたぶん、本当の選挙を行ったためしがなく…そして事実上、パキスタンの他のかなり多くのものと同様に、ブット家の家族資産(ファミリー・プロパティー)だった
  

 「Daughter of Destiny 〈運命の娘)」…とは、彼女が、自らその自伝に付したタイトルである。彼女は常に変わらない皮肉味もなく、当惑というものも全くみせない態度で振る舞った。彼女は私に、何と華麗に嘘をついたのだろう?私が思い出せることは の、トパーズ色の瞳から発される冷静な眼差しを向けながら言われたことなのだそれは、いかにパキスタンの核技術開発が、ただ、平和利用だけに目的を絞った文民的なものかということについて、だった。そして、彼女の莫大な腐敗への容疑や、彼女のプレイボーイの夫、アシフ・アル・ザルダリAsif Ali Zardariに関する歓迎されざる質問をされたときには彼女はいかに、正当な素振りで立腹していたことか?〈スイスの法廷は最近、ザルダリについては彼女の主張に反する事実を見出していたNYTのジョン・バーン(John Burns)は、1998年にその件についての優れた背景記事を書いている)。そしていまや、ブット一族による支配の二つの主な(レガシー)すなわち、核兵器と、力を得たイスラム過激派というものは、無視できないほどに互いに接近しあっているのだ。


 そしてこれが、彼女の殺害というものがそこまで、災厄であるとも捉えられる理由なのだ。彼女には少なくとも、タリバンとアル・カイダに関しては、真に考えを変えたとみなされるような…最低でも、幾つかの理由があった彼らに対抗する闘いの遂行に、喜んで助力するつもりになっていたという面において。

 彼女は、いくつかの記事によれば…彼女の、やや疑わしい夫とのコネクションを断ち切っていたのだ、ともいわれる。彼女は、パキスタンの民主主義の欠如と、ムラー(Mullah)に操られた狂信主義との間に、コネクションを打ちたてようとも試みていた。来たり来るかなり疑わしげな選挙戦の候補者たちの間でも、彼女は…原理主義者たちのサイレンのごとき呼びかけに対抗しようとする、大衆の訴えに近づく何かを有する唯一の候補者だった。
 そして最後に、彼女は 「安全性(セキュリティ)」への偏愛(フェティシズム)というものを放棄して行動し、そして、彼女自身の安全をも、尊大な態度で無視した。その勇気とは時に、より優れた動機(finer cause)にもふさわしいものだったが、彼女が解決したいとしていた多くの問題は…部分的には、彼女自身の創作によるものでもあったのだ─それでもなお彼女は、たぶん…彼女自身の宿命についての暗示(ヒント)というものを持っていたのだろう。

 http://www.slate.com/articles/news_and_politics/fighting_words/2007/12/daughter_of_destiny.html 



〔※フラッシュマンズ・ホテル(Hotel) ラワルピンディの三ツ星ホテル。ブットの自伝、「Daughter of Destiny」のなかでは、1978年に投獄中の父のズルフィカール・ブットに、Lahoreに投獄中の母親と共に面会に行くために、このホテルで警察の迎えを待っていたと回想されている。ベナジール・ブットが暗殺されたのはこのホテルではなく、同市内で、政治集会の多く開かれていたMurree Roadの公園Liaquat National Baghでのこと…。PPPの演説集会を終えて出る際に、トヨタ・ランドローバーのサンルーフから車の上に立って聴衆の歓呼にこたえていた瞬間に、自爆テロリストがちかづいて爆破された…。
ラワルピンディは、パキスタン軍の要塞都市であり、筆者のヒッチンズはこれをQuantico等の米軍基地の街に例えていた…〕