Friday, June 8, 2012

エジプトの大統領選は、法と秩序 v.s. フーリガンの争い?Law & Order v.s. Hooliganism in Egypt?

 
ムバラク政権の前首相シャフィーク氏がエジプト大統領選で
上位の得票を得た理由は「法と秩序」?

エジプトの2010年代は、アメリカの1960年代の再演なのか(5/26, By Juan Cole)(抜粋)

エジプト大統領選の決選投票は今や自由公正党・ムスリム同胞団のMuhammad Morsiと、先の政権の航空相で、独裁者ムバラクの最後の首相でもあったAhmed Shafikの間に争われることが明白となった。この結末は二極化しているといえるが、エジプトの民主制への移行の試みが岩だらけの道だ、と約束しているようでもある。Shafikは金曜日の開票結果では3位だったが、同日のその後カイロとその他の地方票が開票され、さらに上位の得票数を得た…

この結果とは、エジプトの選挙民の間に強い「Law and order 法と秩序」への願望があることの表れだ。先日、私が論じた世論調査の回答者たちは、治安の問題を経済の問題よりもはるかに優先事項に挙げていた… Shafiqとは、まさに「法と秩序」的な候補者なのだ…そして、同胞団のMuhammad Mursiは彼よりもずっと、イスラム法の施行を約束する人間である。そのことをエジプト人たちはHooliganism…フーリガン主義で国を支配しようということだ、と解釈しているのだ…

2011年の革命の崩壊と、それに引き続いて警察が露呈した低いモラル、銃火器を使う機会の増加、そして、ムバラク政権が最後の日々に何千人もの犯罪者たちを刑務所から釈放したこと…これらはエジプトで犯罪が緩やかに増加している事に貢献している。エジプトは未だに、多くの西欧諸国の首都よりは安全なのだが、人々は長年、警察国家の下に住んでいたのだ…そこでは犯罪は少なく、公的な秩序が紊乱されることも少なかった、それなのに今、犯罪の波がおきているように見える。Detroit地域に住んでいたことのある私には、彼らのいう「犯罪の波」は笑いごとのようだが、しかし彼らにとってそれは問題なのだ。

皮肉にもエジプトにおける…社会的な混乱の後の「法と秩序型」の候補者への嗜好とは、1960年代にアメリカに起きたことの鏡像のようだ。カウンター・カルチャーの反戦運動の群衆と、公民権運動が南部の民主党員に与えたダメージが、Lyndon Johnson大統領の退陣の決意にも寄与した(ちょうどMubarakと同様に─)しかしこの主に若者による蜂起の後には、Richard Nixon と Ronald Reaganの勝利が引き続いて、そしてそれ以降の、国内政治における宗教右派の台頭をもたらしたのだ。David Horowitzのようなアメリカのラディカルな左翼が徐々に共和党の右翼や福音主義の宗教保守派と連携して行ったように、2011年の革命を支持した小説家のAlaa al-Aswanyのような人物も、この決選投票のために現れてムスリム同胞団への支持を表明している。多くの革命左派たちは疎外されているが、そのなかにはムバラクのクローンのような後継者でなければ誰でもいい、と投票する人々が居るかもしれない。

選挙の票の約5分の1は労働者寄りの左翼候補のHamdeen Sabahiに投じられた。彼の選挙田の一部はリベラルなムスリム候補者のAbdel Moneim Abou’l-Futouhにも投票し、アメリカ流の二大政党制による予備選では不可能なことだが、Sabahiは決選に臨む2人のフロントランナーの一人となった可能性もある。しかしエジプトのシステムはよりフランスのものに近く、複数の候補者が政治的なスペクトラムをめぐって争うのだ。エジプトでは、フランスの大統領選で起こったこととは丁度逆のことが起きた。フランスでは、最初に極右勢力が右翼のNicholas Sarkozyから票を奪い、そのため彼の決選投票における支持の大幅な低下を招いた。エジプトでは、中道派のAbou’l-Futouhがおそらく左派のSabahiの票を奪って、世俗派右翼の候補者と宗教保守派候補者を決選投票へと送り出すに至った…
(後略)
http://www.juancole.com/2012/05/is-the-egyptian-2010s-a-replay-of-the-american-1960s.html

*このコラムでふれている、エジプトのフーリガン主義とは?
これはこの2月にエジプト警察との大きな衝突事件のあったフーリガン(ウルトラ)について検証している記事─

エジプトの怒れるサッカーファンたちが深く政治に入り込む ‐ By ハムザ・ヘンダウィ (2/10, AP)

エジプトを支配する軍司令官たちは、新たな敵を獲得した─最近、軍部に政権からのステップダウンを要求する民衆運動に熱気を注ぎ、カイロの街で何日もの間警察と戦った怒れるサッカー・ファンたちの部隊だ。 Ultraとして知られ、長らくフーリガンだとみなされてきた彼らが、ますます政治的になってきている─昨年の革命の蜂起に始まり、先週のサッカーの試合において彼らは死者のでる暴動という一線を越えた。

それは軍部による権力の移行への道のりの険しさが、いかにますます多くのエジプト人たちをアクティビズム(政治運動)へと駆り立てているかのサインだ…多くの人々が1年前にムバラクを引き継いだ軍人たちと、経済や治安の不安にフラストレーションを覚えている時期に。

Ultraのメンバーたちは、長年の独裁者ムバラクの政権を転覆させた18日間の民衆蜂起にも、また最近の警察との街頭での衝突にも大きな役割を果たしたことで信頼を得ている。彼らは最悪の衝突の起きた2011年2月2日、ムバラク支持者たちがラクダや馬の背に乗って現れ反対派を挑発した折にも民衆の蜂起の震源地タハリール広場の主な擁護者だった。

先週のサッカー暴動で74人が死亡した際には…その多くはカイロを拠点とするサッカーチームAl-Ahly clubを応援するUltraのメンバーだったのだが…この運動の一団の間にも大きな怒りを喚起し、そして多くの人々はUltraが今後街頭の反対運動により多くの人数をもって現れるだろうと感じた─軍部の支配に対して反対するにせよ、あるいはより革新的な政策の要求をするにせよ。

「彼らの反対デモへの参加は目だって増えることだろう」と、Ultraに関してアラビア語の本を書いたMohammed Gamal Bashirはいう。 「当局は彼らを敵視しているが、それは大きな間違いだ。彼らは情熱的だが、何も期待してはいない。彼らに政治的にレッテルを貼るべきでない。端的にいえば、彼らは抗争には参加しているが、彼ら自身が何らかの地位を得ようなどとは思っていない」
ムバラク失墜の4年前にUltraはほとんど毎週のようにエジプトのスタジアムで治安勢力と衝突し、しばしばむやみに逮捕、拘留され脅迫を受けていた。彼らの組織は何千人もの…失望した、失業中の、教育のない若者たちで膨れ上がって、彼らは彼らに未来の希望をもたらさない警察と政権を軽蔑していた…

死者を出した暴動以来Ultraは、独立系メディアや人権運動家たちからもムバラク追放の背後の革命家たちと理想を分けあう、真に勇敢な愛国者たちとして英雄視された。 「我々は正しいものを擁護する、我々は威張らない。我々は我々の行動によって名誉を得ようと思わない」とUltraのリーダーの一人はいう…彼は彼のファーストネームのSalahという名だけを出して欲しいという。

しかし彼らへの溢れる賞賛は、その運動の源が元々ライバルチームのサポーターたちや治安部隊ともすすんで衝突する獰猛なサッカーファンたちだったことを隠蔽する。2月1日のエジプトの歴史上最悪のサッカーに関わる暴動はエジプトで最も人気のあるサッカー・チームAl-Ahlyのホームの地中海岸の町ポート・サイードで発生した。その際はAl-Masryが3対1で勝利していた。

余りにも多くのAl-Ahlyのサポーターの死…死者は主に10代から20代の若い男性たちだが…そのことは先週ずっとエジプトの政治的アジェンダを支配し、新聞の一面ヘッドラインを飾り、数知れない陰謀説が渦巻いた。 人々の中には、治安勢力がAl-Ahly Ultraに彼らが昨年タハリール広場での反対運動と、それに続く反政府デモで目だった存在感があったが故に懲罰を加えようとしたという者もいる。

多くの運動家やコメンテーターらは、長い間の敵対関係とファンの暴力の歴史をもつ2つのサイドを対戦させるこの試合には試合前から多くのトラブルの兆候があったにもかかわらず、警察の怠慢や軍部の無策ゆえにこの事件が生じたのだと非難する。それは、何日もにわたり警察とカイロや国内各地の抵抗運動者たちの間で衝突の火花を散らせた。そして主にカイロで合計15名の死者が出た。

Ultraの憤激を煽ったのは、軍部のリーダーHussein Tantawiがこの悲劇についてメディアに語ったコメントで、「このような事件は世界のどこにでも起こる」といって軽視したことだ。多くの国民がさらに怒ったのは、彼が、人々がこのような事件を制止できなかったことについて苛立っている、と語った時だった─そのコメントは、エジプト人が法秩序を自分たちの手で守れといっていると解釈された。

Ultraは、エジプトの国民の中でも最も新しく、支配者の軍司令官たちに反対する最大の人口のセグメントだ。昨年10月には、ナイル河岸の国営テレビ本部の外で抵抗運動を行った27名の主にキリスト教徒たちが軍によって殺害された。ソーシャル・ネットワークに投稿されたビデオ・クリップでは、軍の車両が人々を轢いていた。12月にはカメラにとらえられた軍の部隊が抵抗運動の群集のなかの女性を殴り蹴りする映像が報道され、女性の内の一人は半裸にされていた。これらの2つの事件は大騒動を招き、軍人たちはムバラクと何ら変わらないとの批判を呼んだ。そうした怒りはムバラクの追放以降に、拘束した市民を拷問したり、軍事裁判にかけようと最低でも1万2千人の反対派等の市民を連行した軍司令官たちに対しても高まった…
http://newsinfo.inquirer.net/143309/egypts-angry-soccer-fans-are-deep-into-politics