Saturday, April 2, 2011

リビアの民衆をサポートせよ、だが武器は供給するな!Support the Libyans but Don’t Arm Them! 


NY市立大の社会学教授が、リビア情勢について寄稿している。米国の各大学の授業ではいま、このような議論が交わされていそうな気配がある


リビアの近隣地域に気を配れば (Looking after Libyan Neighborhood) By John Torpey (3/31, Informed Comment)


 多くの悪さと残虐行為が行われた後に、悪名高い荒廃した地域のこの悪質な麻薬王、トラブルメーカーに対して警察がついに動いた。その近隣において包囲された住民たちはこのところ勇敢に反撃しているが、彼らはおそらくその地でショーを上演している、火器の兵力に勝るギャング街の帝王には抗戦できないだろう。

 そのギャングスターとはもちろん、Muammar el-Qaddafで、麻薬とは石油のこと、そしてその近隣地域とは、アラブの中東だ。

 信頼をなくしたブッシュ政権時代の政策や行動から目を見張るようなシフトを遂げて、オバマ政権は、罪のないリビア人の血が多量に流されぬよう阻止するためのcoalition of the well-meaning(善意からでた同盟)に合流した。2003年にイラクに侵攻した、あの偽の「coalition of the willing(有志連合)」からは程遠く、カダフィ大佐に対抗するその軍事力同盟は、現実的に想像しうる、グローバルな努力にも近いものがある。
 
 国連安保理では何カ国かの反対も確かにあったものの、カダフィが彼の市民たちを虐殺するのを禁ずるための決議案に票を投じた。アラブ連盟─そのなかの何カ国をカダフィ大佐は過去に、不必要に侮辱してきたのだが─はリビアのアラブ住民を守るために外部勢力(*アラブ連盟ではUAEとカタールが国連決議による作戦に参加)を招いた。アフリカ連合諸国は、ロンドンで戦略を練るべく「コンタクト・グループ」のミーティングに参加してきた。地域的なプレーヤーとしてますますその重要性を増しつつあるトルコは、欧米諸国によるいかなる占領もこれに続かないことを再確認しながら、それを条件に同盟のプランに進んで同意した。なぜならこのような合同の軍事的意思決定から生じかねない複雑な状況にも関わらず、この作戦の「コマンド(司令)およびコントロール」はNATOに引き渡されているからだ。そして勿論、反対国の多くは外部的なサポートを弁護した。

 米国はこの戦場に軍事力を行使することのできるベストな存在なのにも関わらず、他の国々が主張してオバマ大統領も同意したのは米国が地上軍兵力を送らない、ということである─もしもその軍事作戦に「何週間かではなく、何日かでも」同国が巻き込まれた場合においてもだ─そして米国は全般的な意味で、この作戦の指揮ではバックシートに控えようとしている。勿論オバマは、米軍がもう一つのムスリム国家での作戦に巻き込まれることに対しては過度に口を閉ざし、そしてこうした他の国々がこれに関与することを決めた後になって漸く、米軍の兵力も善き動機のために用いられるということを認めた。

 わずか数年前の見方では、こうした行動全てが非常に目立つものだった。少なくとも金融危機が起こるまでは、メディアのインクの海は「米帝国」のキャラクターと(それが蒙った)偶発的な災難に関する報道で満ち溢れていたものだ。ローマ帝国と比べれば…第1帝国はその全盛期に彼らの知る全ての世界へと覇権を拡大した。そしてブッシュ政権はこれと競っていたようにも見受けられた─イラクに目をやれば、そこは同政権が民主的国家建設のファンタジーを実現するための遊び場のようでもあった。

 米国の軍事力は依然として、世界の残りの国々の軍事力の総体よりも大きな、過度のものである。しかしそれは主に、今現在、戦われているような種類の戦争とはあまり関係のない…テクノロジカルな問題である。かくして、他の富裕な社会とも同様に、米国は全て志願兵からなる兵力(徴兵制による大規模な軍隊ではなく)によってやっていける。今、戦われている戦争とはしばしば、「選択による戦争(War of Choice)となることが多い、なぜなら誰しもが、正常な意識を持っていれば米国を攻撃しようとは考えないからである。こうした戦争は、世界の多くの荒廃した地域での紛争や暴力を抑えるために行われる。

 どの近隣地域を選んで軍事介入するかが、利益に誘導されるものであることは、勿論だ。第1次湾岸戦争の間には、反対者たちは問いかけた、「クウェイトの主要な輸出物がもしもブロッコリーだったら、どうだったか?」と。彼らには一理があった。軍事力が行使されるいかなる状況についても、多くのハードな(厳しい)質問がなされるものだし、力の濫用への疑問には常に答えがなされるべきだ;海外での軍事介入というものは本来、自国自身への明確な、現存する危険性のある敵勢力に対峙している状況がなければ、疑念の持たれるものである。

 それでも我々はリビア情勢に関しては国際情勢の曲がり角を曲がってしまった。我々が未来の日々にこのことを回顧すれば、それは我々がブッシュ以前のインターナショナリズムの時代に戻ったこと、そして米国の外交戦略が第二次大戦後にその設立を助けた国際機関(の数々)に対し再度の貢献を図ったこと、と捉えられるだろう。同盟勢力は、市民の生命の大きな犠牲を避けたのだという善き動機を主張できる。過去における人道的な失敗の亡霊は、最終的には鎮められるだろう。

 現状における困難な事柄とは今、ここから、何をし始めるのかということだ。政権の交代は…皆がカダフィが政権の座から去ることを望んではいるとはいえ…米国政府のポリシーではない。我々は寄せ集めの、訓練のされていない、武器にも乏しい反乱軍に兵器を供給すべきなのだろうか?この種のステップは米国の海外での勢力の記録においても長らく、しばしば逆効果を生む歴史を刻んできた…ニカラグアのコントラや、オサマ・ビン・ラディンなどの例が思い出させるように。我々は現実として、この反乱勢力が誰であり、彼らが最終的に何を望む者なのかも知らない。この地域は既に米国製武器が満ち溢れている。反乱軍を武装させることはとてもリスキーな賭けにみえるが、しかし彼らをここに残して、カダフィの勢力が再結成され彼らをあちこちで打ち破るという状態に任せることも難しい。

 グローバル・ドメスティック・ポリシーとしては、恐らく─たとえリビアの人々がそれによって効果的に反撃できなくなるのをみて、我々自身も傷心におちいる可能性があろうとも、武器を多くの未知の勢力に受け渡すことを含むべきではない。我々がもしも彼らに武器を供給したなら、戦闘は彼ら同士のものというよりもより一層…我々自身のものと化してくる可能性があり、そしてそれは路上において逆効果な結果(バックファイヤ)をもたらすだろう。しかし同盟軍は、確実に諜報活動や後方支援、そして政治的支援をおこなうべきで、それによってこの地域の住民が、この地域を彼らにとって最も良いやり方でクリーンアップできるよう望みたいものだ。 John Torpey is Professor of Sociology at the Graduate Center of the City University of New York. http://www.juancole.com/2011/03/torpey-support-the-libyans-but-dont-arm-them.html     

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