Thursday, October 21, 2010

「神の党」はどのようにして、レバノン最強の勢力になったのか?/ How the Party of God became Lebanon's most powerful faction- By Christopher Hitchens

「神の党」はどのようにして、レバノンで最強の勢力になったのか<ヒズボラの進化> By クリストファー・ヒッチンズ (10/18, Slate.com)

 1970年代のなかばから末にかけ、レバノンでイスラエルとPLOが消耗戦を続けるなかで、長らく脇に追いやられていたレバノンのシーア派がみずからを再組織化していたとき、私は南レバノンから記事を書きながら、その地にイランの軍事勢力が目立たず存在していることを知った。
 
 それらの軍は、つねに神の代理人・シーア派の聖なる保護者を自認していたイランのシャー(彼のことを、我々は忘れがちだが)によって派遣されていた。

 そのころ私の気づいていた以上の先見の明をもってコメントするなら、彼らは彼らの故郷に早く戻って、ピーコックの如き王位を護るべきだったのだ。

 その当時はイランのどんな国家元首も、イスラエルとの国境が叫べば届くような距離にある多文化的なレバノンを全権大使として訪れ、その行路中ずっと歓迎の宴で迎えられることは、まったく不可能だった。しかし先週、マフムード・アフマディネジャド大統領はそれを、ほとんど努力することなしに行なったのだ。

 その核軍備への違法な探求がもたらす深刻な不都合をなんとか逃れつつ、国民を無慈悲に抑圧し騙してきた彼は、「神の党(ヒズボラ)」のパトロン(後援者)として、中立的なその領土にあらわれることができた、なぜなら、彼のイランの政権とヒズボラがイスラエル国家に対する態度を共有しているからだ…イスラエルによるすべてのアラブ人に対する辛辣な軽蔑や、“穏健派”のモスリム(イスラエルと妥協さえも考える)に対するイスラエルの辛辣な軽蔑に対抗する、その慈悲のない態度を分かち合っているからだ。

 ある意味で、ヒズボラとその後援者たちのよりドラマチックな進化の度合いは、わずか数年前との状況変化のなかにみられる。2005年の2月、レバノンの前首相ラフィク・ハリリが白昼に粉々に吹き飛ばされ、彼の暗殺にひき続いて、同国でのシリアの存在に批判的な態度をとりつづけた政治家・ジャーナリストたちが幾人も暗殺された。この犯罪性に対する民主的な国民の反発は大きく、ダマスカスの政権はその占領軍の撤退を余儀なくされ、そしてハリリの暗殺へのシリアのバース党の関与や、彼らの聖なるヒズボラの代理人、及びそのテヘランの代理人などの関与も指摘されていた事について捜査を行う(国連の)国際法廷が開かれた。私が思うには─(この時期には)サダム・フセインの凋落にはずみを得て、またこの法廷関連の国連決議へのフランスの支持にも助けられ、この地域での米国の名声がとても高まっていた。

 そして今、話の続きをみてみよう。レバノンのその他のすべての政党や、キリスト教徒からドゥルーズ教徒に至るすべて勢力のリーダーたちは、ヒズボラのリーダー・ハッサン・ナスララの名を聞いて震え上がった。一度は誇示されながら、長い休止状態に陥った国際法廷は、彼らの発見した事実がシリア、またはヒズボラにとって厄介なものだと判明したなら暴力で対処されるという、かなり確実性の高い脅しの先制攻撃を受けた。暗殺されたハリリの息子は、前に暗殺されたドゥルーズ党のリーダーKamal Jumblattの息子と同様に、雄鶏野郎のバシャール・アサド(シリア大統領:その家族がほぼ間違いなく彼らの首長を殺したはずの)に対して、最も品位を落とすようなやり方で「いい顔をする」、ことを強要された。そして、神の党は2つの拒否権を獲得した─ひとつは彼らが勝利していないいかなるレバノンの選挙をも拒否する権利、そしてレバノン領からのイスラエルとの次なる戦争を始めるタイミングについての拒否権を。

 何が、このきわ立った逆転をもたらしたのか?最初の原因は、イスラエルが賢いヒズボラの挑発行為(そうした反応を引き起こす狙いで、イスラエル兵たちを急襲して誘拐した事がほぼ確実な)に呼応して行った、2006年の愚かな介入行為だ。2つ目の原因は、米国の側がレバノンで明白な権益を失ったことだ。3月14日連合─ハリリ暗殺後に彼らが相互に連絡しあって蜂起した対シリアの勝利の日にちなみ名づけられた─は分裂し、セクト主義と無力さに後退した。そしてレバノンの慎重なる(賢明な)市民たちが、…シリアにこれほど近いイランに前核保有状態の地域的大国のように振るまわせ、屈辱をうけたワシントンにイスラエル・パレスチナの「和平プロセス」での予測された惨めな失敗ですべての努力を無駄にさせつつ、この新たな荒涼とした現実に適応を始めようとしない、などということがあるだろうか?

 この新たなリアリティの輪郭をThanassis Cambanisの本は気のめいるほどみごとに描いている。 その本、「A Privilege To Die」は、ヒズボラが何とかして、虐げられた党であると同時にこの地域の最も退化した2人の専制君主たちの傀儡にもなっていると、目覚しい筆致で描いている。ヒズボラのシリアとの共犯性、また彼らが罪のない者へのイスラエルの絶望的な反撃を促したことが(国際法廷で)さらけ出されて間もなく、私はベイルートを訪れ、自分らしからずも、この町の南方で行われたナスララの政治集会のひとつの規律ある熱気に印象を受けた。Cambanisはこのトリックがどのようになされたかを示した。貴方はそれを彼らの「ソフト」パワーと呼ぶかもだが、神の党は破壊されたスラムを再建し、社会福祉と教育をもたらし、そして子供たちを彼らのバージョンのボーイ・スカウト運動(今回は、殉教と復讐に捧げられた)にリクルートしていた。その「ハード」パワーにおいては彼らの達成を疑うような者には誰にも起こりうる状況というものを、コンスタントに肝に銘じさせていた。彼らは、その精通しているメディアを利用して、ユダヤ人へのスリリングな人種的・宗教的憎悪のメニューを提供させていた。そしてイスラエル北境の前線に位置するステータスで、すべての他の「穏健な」政権を、アラブとモスリムの名誉回復のために犠牲を払う気のない、卑怯な骨抜きの政権のようにみせかけ、それらの政権の怒りをかっていた。多くのスンニ派のアラブはヒズボラを憎み、嫌悪しているが、誰もがそれを怖れないわけには行かず、それゆえ尊重しており、そのことをナスララも最も重要なことだと捉えている。

 ギリシャ伝説ではAntaeusという名前の戦士が、地面に投げ飛ばされたときにさえ地球から強い力を得ていた。それを知ったヘラキュレスはこれを、レスラーとしての弱点を克服するために利用した。ヒズボラは死を愛し、敗北と災厄のなかから再び繁栄し、そして国家の中の国家という地位から急速に、かつて一度は中東で最もコスモポリタンで民主的だった国家の支配者になろうとしている。そんななかで、前のスーパーパワー(超大国)─ヘラキュレスではなく─はそれ自身がイスラエルの右派のなかの、一部の狂信者グループがちっぽけな土地強奪をしている卑しい一派の人質、笑いの種にされるのを許している。わずか数年前までは、このこともまたとても信じがたく、恥辱的で、許しがたくおもわれたにも関わらず。
http://www.slate.com/id/2271511/pagenum/all/