エルサレムのシナゴーグ複合施設で、4人が殺害さる By Jodi Rudoren and Isabel Kershner(11/18, NYタイムス)
エルサレム発。イスラエル警察は─火曜日の朝に、銃とナイフ、斧で武装した二人のパレスチナ人が西エルサレムの超正統派ユダヤ人地区のシナゴーグ複合施設を襲撃して、朝の祈りのさなかの4人のラビを殺害した─と発表した。
現場での銃撃戦の末、警察は襲撃者を殺害したものの、警官一人は重傷。過去3年間でも最悪の、イスラエル市民への攻撃で、エルサレムでは2008年以来でも、最悪のものである。目撃者やイスラエルの指導者たちは…宗教的儀式の衣装を纏う人間たちを殺害し、祈祷書を血で染めた攻撃が、宗教的な音色を有 していることに震撼している。 「テフィリン(祈祷者のストラップ)を身につけて、タリット(祈祷用のショール)に包まれたユダヤ人が、血の海のなかに斃れた光景に、自分はホロコースト のシーンをみるような気がする」。宗教的危機対応チームのベテランのリーダーYehuda Meshi Zahavは いう、「それは祈りをささげるユダヤ人の虐殺だ…」、と。
Har Nof地域のコミュニティ・ライフの中心だったシナゴーグ複合施設への、午前7時の襲撃は、パレスチナ人との関係の緊張と暴力が高まっているこの時期、イ スラエルの安全の意識をも粉砕した。主に、旧市街の宗教的な聖地(イスラム教徒は「高貴なる聖地」、ユダヤ人は「神殿の丘」と呼ぶ)を巡る紛争に喚起さ れた、この襲撃によって…赤ん坊と兵士、国境警察の警官を含む6人が、Vehicularと、ナイフの攻撃で殺された。 4人の犠牲者とは全員ラビで、その1人は英国生まれだった…3人は米国生まれで─そのなかにはハシディム派の祝福された王朝の一翼、Moshe Twersky(59歳)も含まれていた。
襲撃犯たちは、従兄同士のOdai Abed Abu Jamal(22歳)と、Ghassan Muhammad Abu Jamal(32歳)であることを親族が確認した。彼らの動機とは、アル・アクサ霊廟(Al Aqsa Mosque) と岩のドームを擁する、崇敬される台地に対する脅威(…と彼らがみるもの)だった。イスラエルのネタニヤフ相は繰り返し、この敷地(非・イスラム教徒は訪 問できるが、オープンに祈祷はできない)よいうものの現状を変える気などない、と断言しているが─パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス大統領は、パレスチナ人たちにそのエリアを守る事を要請し…もしも、それがユダヤ人たちによって「汚染」されたならば「聖戦」を挑めよ、と警告している。
「彼らはこの行為(作戦)というものを、心のなかに燃える炎ゆえに実行した─彼らは抑圧と…抑圧と…抑圧…のもとにあり続け、それが熟したある瞬間に爆発がおきた」 「私はこの1ケ月間…これがネタニヤフの始めた宗教戦争なのだと言ってきた」、「それは、我々の望んでいる方向で終わりを迎えることだろう…」 ネタニヤフ氏は火曜日の攻撃を、アッバス氏とパレスチナ人の軍事部門ハマスによる、「扇動の直接的な結果」だと呼び「祈祷に訪れたユダヤ人が暴力的に殺害されて、蔑むべき殺人者らに排除された事には、鉄拳をもって応える」、と誓った。 米国の国務長官ジョン・ケリーも、また、この攻撃を「扇動の純然たる結果」と呼んだ。
ケ リーは、ロンドンでのネタニヤフとの電話会談後、「パレスチナのリーダーたちは、この事を非難すべきだ」、と述べた。「…彼らは他の人々に扇動された会話 から、彼ら自身の会話を区別する真剣な一歩を踏みださねばならない時なのだ─そして、この地域をこれまでとは異なる途に載せるため、必要なリーダーシップを 振るうべき時なのだ」、とも述べた。
アッバス氏はケリー氏の要求に応えて、昨今(緊張の)エスカレートのなかで攻撃を行った、すべてのパレスチナ人に対して彼の最初の非難を表明した。 彼はパレスチナの公式ニュース通信社Wafaで声明を発し、「我々は、どちらの側 によるものだろうと、市民の殺害を非難する」、と述べた─「我々は、エルサレムのシナゴーグにおける祈祷者の殺害を非難し、それがいかなるソース(源泉)に よるものだろうと、暴力的な行為を非難する」と。 だが、ガザ地域と西岸地区の一部では、攻撃の実行後に祝福がなされていた─パレスチナの他のリーダーたちは、聖地への脅威(とみなされるもの)や、最近エルサ レムで起きたパレスチナ人のバス運転手の死に対するレスポンスとして行われたこの攻撃を、称賛した。日曜の夜に首吊り遺体で発見されたバス運転手Yousef al-Ramouniの親族や友人は、彼がユダヤ人たちにリンチされたと主張しているが─イスラエル警察は月曜日の現場検証を通じて、その死が自殺だと断定していた。
ガ ザ市では人々が、空に向かって祝福の銃弾を放った。襲撃の直後にはモスクの拡声器から…神と、襲撃者に対する称賛が流れ出ていた。その後には甘いお菓子を 配る人々もおり、勝利の歌を歌いながら通りをパレードした。パレスチナのTV局は、ベツレヘムや西岸地区でも同じ様に歓喜の感情が爆発している状況を放 映した。
パレスチナ解放機構の中央委員会メンバーMustafa Barghoutiは、火曜日の早暁、アル・ジャジーラを通じて─シナゴーグ施設への攻撃とは「イスラエルの抑圧に対するノーマル(正常)なリアクションだ」、とも述べた。 ハマスのスポークスマン・Mushir al-Masriは、Facebookに投稿し、「我々の民衆と、我々の聖地へのシオニストの犯罪行為に対抗する新たな作戦とは、英雄的で自然なリアクションだ。我々は可能な手段を通じて、我々の殉教者たちの流した血への報復を行うことへの十分な権利がある」、と述べた。 パレスチナ解放人民戦線(The Popular Front for the Liberation of Palestine)のグループは襲撃を行った事を認めたが、イスラエル警察のスポークスマンMicky Rosenfeldは、 当局が未だに攻撃者らの関与する組織を捜査中である旨を述べた。 昨今、エルサレムで歩行者たちの群れに車を突っ込ませた二人の男や…神殿の丘でユダヤ教の祈祷運動のリーダーを射殺した男…そして、火曜 日の襲撃者たちとは、イスラエルの身分証明書カードを持つ、東エルサレムのパレスチナ人住民であり…イスラエル国内を自由に旅行することもでき、たびたびユダヤ 人地区で働いたこともあった。
Rosenfeldは記者会見で、「我々は、彼らが何故このシナゴーグを狙ったのか、彼らがこの近隣に詳しかったのかについても調べている」、と語った。襲撃から2時間以内には、数十名のイスラエル治安部隊の兵士らが…この襲撃者らの住んでいたと思われる、東エルサレムのパレスチナ人地区Jabel Mukaberへと乗り込み、彼らの家族の家と、オリーブ畑の丘に催涙ガスを撒き散らした。
親族によれば…襲撃者のうちの年少の男の両親と3人の姉妹、男兄弟一人が逮捕された…そして年上の男(彼は6歳、5歳、3歳の3人の子供があった)の妻と、母親、5人の兄弟たちもまた逮捕されたのだという。「私は、Odai とGhassanの英雄的な行為への敬意を表明する」、と従姉のHuda Abu Jamal(46歳)は述べた。
攻撃されたシナゴーグ複合施設における目撃者は、彼らがジーンズとTシャツを纏って、マスクはかぶらずに、内部で行動を暴発させつつ、アラビア語で「神は偉大なり」と叫んでいたという。
殺害されたのは(1997年に死去したハーバード大の学者で、ボストンの著名なラビだった)Isadore Twerskyの息子、Rabbi Twersky(1993年に死去した正統派の哲学者で教師Joseph Dov Soloveitchikの孫)に加えて…警察と地元メディアによれば…英国生まれで(6人の子の親の)Rabbi Avraham Shmuel Goldberg(68歳)、Rabbi Aryeh Kopinsky(43歳)、Rabbi Kalman Levine(55歳)だった。
Har Nof の静かな通りに面するKehilat Bnei Torahの 複合施設(それは数グループの祈祷のグループと、大きなコミュニティ・ホールを擁する)の攻撃では、少なくとも1ダースほどの祈祷者たちが負傷し、そのうちの数名は重傷 である。数名の住人によれば、その建物は東欧系ユダヤ人の生活の中心で、結婚式場や映画館、スピーチなどに使われる、人気のあるホールもある。
同シナゴーグで祈っていたYossef Pasternakは、イスラエル・ラジオに対して、朝の祈りの最中に銃声を聞いたと証言した。
「私が後ろを振り返ると、ピストルを持った男が、隣りにいる人々を滅茶苦茶に撃ちはじめていた」と、Pasternak氏はいう。「その直後に、肉切り包丁タイプのナイフを持った別の男が入ってきた。そしてその男もまた、盲滅法(ランダムに)周りに斬りつけ始めた」…Pasternak氏は、椅子の下に隠れたという。
Rabbi Shmuel Pinchasは─彼の13歳の孫も同様に隠れた…という。「彼が椅子の下に屈むと、彼の前に座っていた人物の血が彼に降りかかって、彼は気絶した」と彼は述べる。「人々は、祈りの真っ最中だったために応戦できなかった。シナゴーグは全方向の(出入り口が)閉ざされていたため、逃げ場がなかった」。
Har Nofに住む医師のJoyce Morelは、現場で背中を斧で打たれて、さらに銃でも撃たれた男性と、頭を撃たれた警官を治療した、という。もう一人の男性は足を滑らせて血の海のなかに転び、階段から転落して足を骨折していたという。
「近隣住民たちはことごとく、ショック状態だ」、とDr. Morelは述べる。「私の義理の息子は、そこで日頃からいつも祈っていたし、彼の父親もそこで祈り、私の孫たちもしばしばそこを訪れ、私の夫は毎日、道路を渡った向かいの場所で勉強している。そこは本当に、コミュニティーの心臓部なのだ」。
シナゴーグから数ブロック先に住むボランティアの救急医療スタッフAvi Nefoussiは、銃撃の終わる前に現場に到着していた。彼は、何人かの担架に乗った怪我人の避難も助けたのだという。「すると、不運なことに我々は、フロアにある何人かの遺体を目にした」。
その遺体の一つは、良く知っている顔だった。それはRabbi Kopinsky─Nefoussiが、個人的によく知っている人物だった…という。
その男性は他の人たちと同様に(結婚式のキャノピーや、時には葬式の覆いにも使われる)祈祷用の伝統的なフリンジのついたtallitを身につけていた。Nefoussi氏は、そのtallitを遺体にかけた後、その場を去った。
http://www.nytimes.com/2014/11/19/world/middleeast/killings-in-jerusalem-synagogue-complex.html?_r=0&module=ArrowsNav&contentCollection=Middle%20East&action=keypress®ion=FixedLeft&pgtype=article