Thursday, August 10, 2017

アフガニスタンのシルクロードに渦巻く、怖れと嫌悪 Fear and loathing on the Afghan Silk Road - By Pepe Escobar

アフガニスタンのシルクロードに渦巻く、怖れと嫌悪 
─アフガニスタンの再建を試みる者は、誰しもその仕事を中断せざるを得ない─
しかし、中国の「一帯一路構想」(BRI)の成功は、その進展しだいなのだ
By ぺぺ・エスコバル ( 2017/6/21,Asia Times)

新たなるシルクロード(New Silk Road)、またの名を「一帯一路」の計画 (Belt and Road Initiative、BRI)とは、ヒンズークシ山脈を超えることがあるのだろうか? 

そのゲームについた名前は、<向こう見ずさ>だ。たとえ、それがいにしえのシルクロードを跨ぐ戦略的な地だろうと…また実質的に、BRIの重要な結節点である中国・パキスタン経済回廊(CPEC)の500億ドルの計画に続く道であろうと─アフガニスタンはいまだに戦争の泥沼のなかにある。

2011年を忘れることはかんたんだ─カザフスタンとインドネシアで、2013年に習近平首相がBRI構想の開始を宣言する前でさえ、当時の国務長官のヒラリークリントンが、チェンナイ(*東インドの都市=マドラス)における彼女自身のシルクロード計画を称賛していた。国務省の描くビジョンがヒンズークシで一敗地に塗れたことは確かだ─なぜならそれは、戦さで疲弊したアフガニスタンというものを計画の根幹に想定していたのだから。

2017年のアフガニスタンでの状況の展開は、さらに失望を招くものだった。機能不全という言葉は、2014年の対立に満ちた選挙(*アフガン大統領選)から出現して政府と称しはじめた政権というものを、描写してすらいない。

2002年以来、米政権はこの、唖然とするような未完の「限りなき自由作戦Operation Enduring Freedom」(*)のために、7800億ドルを費やした。そこには完全に、何の成果もみられなかった─アフガニスタンで10万人の犠牲者が生じたこと以外は。(*2001年9月11日のオサマ・ビン・ラディンによるNYでの同時多発テロ犠牲者の報復を含む作戦として米が宣告した対テロ作戦名)

オバマ大統領による鳴り物入りの政策として、アフガン国家再建を目標に据えて行われた2009年の米軍兵力の増派は、予想通りの大失敗だった。GWOT(”グローバルなテロとの戦い”)の枠組みを海外緊急作戦行動(OCO)として再構築したこと以外に、それが成し遂げたものは何もなかった。そこではなにも「clear, hold, and build: 掃討し、押さえ、建設する」ことなどできなかった─事実上、タリバンは至る所に舞い戻っていたのだ。

鉱物資源が掘りたい?
それなら、タリバンに聞け

トランプ政権下の新たなアフガニスタン「ポリシー」とは、同国の東部に、何らの効果も得ることなくMOAB(Mother of All Bombs)爆弾を落とすことと、ペンタゴンの命じた、より一層の兵力の増派というものだ。「限りなき自由作戦」の継続は言うまでもない。

An Afghan policeman looks at the bloodstains of victims outside
  a mosque where a suicide bomber detonated a bomb
in Kabul, June 16, 2017
これは驚くべきことではないし─また、レーダーによっても、汎大西洋主義(*NATOなどの加盟国)の主な仲間の諸国でさえも関知できなかったことだが─中国政府のリサーチャーたちは昨今、北京で外国人らと会合して「アフガニスタンの再接続」をテーマに話し合ったのだという。

タリバン政権崩壊後の初代の駐カブール中国大使であったSun Yuxiは、2001年末に爆破テロで権力から追放されて、状況をこのように正確に要約した、「もしも、アフガンを通る道や、接続の可能性が閉ざされているのなら、BRI上の重要な動脈がブロックされているのも同然の状態で、この組織の体には多くの病気をもたらすだろう」と。

アフガニスタンを、如何に再接続し/再構築し/再建するかという課題は、北京のシンクタンクCentre for China & Globalizationなどにとっても眠れぬ夜をもたらす物質のようなものだ。

誰もが、アフガニスタンが最低でも1兆米ドル相当の鉱物資源─銅、金、鉄鉱石、ウラニウムや宝石類の上に鎮座しているだろうとの予測についてはご存知だ。だが、それをどうやって安全に掘り出せるのだろう?

 北京政府が抱く投資の安全確保上のジレンマとは、現在進行中のMes Aynak銅山のサーガによって華々しく描きだされているのだ。中国冶金科工集団有限公司は、2008年にカブールの南東40キロのその銅山を買い取った。彼らの投資とは、アフガンでも最大の海外からの投資プロジェクトである。タリバンはそれをこの先8年は攻撃しないことを誓約した。

そんななか、鉄道建設の最前線─それはBRIの鍵でもある─では、2016年に史上初の貨物列車が中国からカザフ・ウズベキスタンを経由して、アフガニスタンのハーラタンに到着した。その交易のフローとは依然として無視できないものだが、未だに定期列車の便は存在しない。

ロシアと中国が主導している上海協力機構(SCO)も、最終的にそこに加わった。その最近の頂上会議では、治安の「劣化」を警告しつつも─インドとパキスタン、そして今や全SCO加盟国による協力のもとで、SCOがアフガニスタンの「全アジア的」な解決を見出すための直接的な関与を行う、と宣言した。

The “Syraq” connection「シラク・コネクション」(*シラク:Syria+Iraq)

アフガニスタンとは、新疆自治区の隣人でもある─そして、同国の深奥の近寄りがたい一部の地域とは、ウイグルの分離主義者で、アルカイダとも繋がりの深い東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)の分子を匿っている(彼らが、ISISからは無視されているために)。
問題を更に複雑化しているのは、ヒンズークシ山脈を貫かねばならない新シルクロードというものが、究極、”Syraq(シリア+イラク)”の偽のカリフ公国(ISIS)の情勢というものに直接、関係せざるを得ないということでもある。

シリア・アラブ軍(SAA)は、イラク国境に向けて仮借なく進軍している。同時に、イラクの人民動員隊ユニットIraqi Popular Mobilization Unitsは、アル・ワリードでシリア国境に到着した。彼らのなかに我々は、米軍の姿を見かける─彼らはシリアで、al-Tanafを占拠している。しかし、ダマスカスとバグダッドの両政府は、al-Tanafの国境をイラク側から閉鎖することに合意した─このことは、米軍がヨルダンに戻る以外にどこにも行けないことを意味する。

ペンタゴンは、このことを軽視できずに賭けに出る可能性がある。ロシアの国防省は、こうした米軍勢力が、最後にはイラク軍とシリア軍部隊を邂逅させぬよう、高移動性迫撃ロケット砲システムHigh Mobility Artillery Rocket System (HIMARS)を用いるだろうともみなしつつある。

レバント地方を通ってBRIを延長すること─そして、古代のシルクロード同様に中国と地中海を陸路でつなぐこと─それは、中国政府にとっての絶対的命題だ。しかし、それにも関わらず─そのことはマイケル・フリン中将自身が(記録によれば)容認したとされる、究極的な事実に正面切って衝突する─つまり、オバマ政権が「希望的決断」を行って、ダマスカスの体制転換を促進するために、「Syraq」全土にわたってISISを「スンニスタン(スンニ派優勢地域)」に到達させることを目標に据えて、ISISを跳梁跋扈させるに至ったということだ。それを翻訳するなら─ISISにレバントのBRIを寸断させる、ということだ。

米国のディープ・ステート(諜報部門)の影響力あるセクターが、このプロジェクトを放棄していないのは確かだ。同時にトランプ大統領は、ISISとの戦いを放棄しない、とも宣言している。根本的な問いとは─シリア政府を撃ち、イランにいるその支持者たちを撃つという「サウド家の方針」が、米国でも優越性を獲得するか、という事だ。

1990年代半ばに、タリバンがアフガンのパシュトゥーン部族地域の戦争領主たちを追撃した際に地方の住民は彼らを支持した─なぜなら、彼らが道路や村々の安全を守ったからだ。彼らは、メッカにいる預言者の彼の敵との戦いを助けるために、天から来た天使のようにみなされた。

この「Syraq」の軍隊どうしの出会いとはとても重要だ、なぜなら、それは新シルクロードの鍵となる結節点を再編成する効果を生むからだ─つまり、テヘラン、バグダッド、ダマスカス、ベイルートといった、結節点となる都市の再編成を─。

「タリバニスタン」をめぐる私の旅(そのうちのいくつかはAsia Timesに書いている)において、私はタリバンが冷徹で、信仰心に篤く、道徳的で、ある種の重々しい曖昧さ(不明瞭さ)に包まれ、実質的に接近不能であるということに気づいた。
しかし、ヒンズークシ地域での、リニューアルされたグレート・ゲームの主な役者たちというのは、タリバンたちからは程遠い者たちだ。それは、「Syraq」のカリファテ(カリフ公国)が崩壊した後に、ディアスポラによって四散したジハード戦士たちなのだ。

ISISはすでに、イラクとシリアの隠遁地にいるジハード主義者たちをヒンズークシに向けて送りだしている。同時に、彼らは、多くの資金と武器を持つ数十名のパシュトゥーン人たち(=何千何万もの潜在的自爆テロリストの候補者たち)をも、活発にリクルートしている。

アフガン人以外にリクルートの対象となる新たな一団とは、チェチェン人や、ウズベク人、ウイグル人らを含んでいる─彼らには皆、ペンタゴンのMOAB爆弾でさえも入り込めない山間地域の景色に溶け込める優れた能力がある。

カブールの世俗化したアフガン人たちは、すでにアフガンが新たに再び変貌したカリファテの要塞になるのではないか、と恐れている。Islamic State Khorasan (ISK)を自称する者たちに対抗する救援部隊に加われるか否かは、SCO─中国、ロシア、インド、パキスタンが主導する─次第なのだ。さもなくば、ユーラシアの統一は、中央アジアと南アジアの交差点をめぐるすべての地域で生死にかかわる危険に遭遇するだろう。
 
http://www.atimes.com/article/fear-loathing-afghan-silk-road/


Thursday, August 3, 2017

サウド家に生じた白色クーデター?A coup in the House of Saud? By Pepe Escobar

サウド家でクーデターが起きた?
秘密は暴かれた─モハメッド・ビン・サルマンの昇格と、CIAのお気に入りだったナイーフ皇子の降格。それは、事実上の白色クーデターだった  By ぺぺ・エスコバル (2017/7/20, Asia Times)

アラブ世界で公然の秘密だったことは、もはや…米国においてさえ、秘密でも何でもない─モハメッド・ビン・サルマン皇太子 "MBS"の王位継承者昇格に伴い、先月サウド家に起きた深い<陥没>というものは、実のところ白色クーデター(*)だったのだ。(*White coup:王の命令による革命、クーデター)

一か月近く前に  [私は別のメディアeにも書いたが]、サウド家に近いある中東のトップ情報筋は私に、こう語った─「CIAは前皇太子、モハメッド・ビン・ナイーフ(Mohammad bin Nayef)の降格をひどく不快に思っている。モハメッド・ビン・サルマン(Mohammad bin Salman)はテロリズムを資金援助している。2014年4月に、UAEとサウジ・アラビアのすべての首長一族と王族が、米国にテロリズム喚起の責任を問われて排斥される寸前となったが─ナイーフ皇太子がサウジ・アラビアの政権を引き継いでテロを防止する…という約束のもとに妥協が講じられたのだ」。

その情報筋はさらに、私に─中東諸国の特定の地政学的グループの間で、その時期に広がっていた、という説をしつこく説いた─それによれば、カタールの若き首長Sheikh Tamim al-Thaniに対して、アブ・ダビ(*UAEの首都)の皇太子Mohammed bin Zayedがもくろんだ別のクーデターを、(UAEに居たブラックウォーターとアカデミ傭兵部隊[*]の協力のもとで)米国諜報機関が「間接的に」阻止したのだ、という。Zayedとは偶然にもMBSのメンター(導師)だったのだ。*共に総帥Eric Princeが率いる傭兵会社)

しかし、ドーハでクーデターが起きる代わりに、実際に起きたのはリヤドでのクーデターだった。その情報筋によれば、「CIAがカタールでのクーデターを阻止したが、サウジ・アラビア人たちは、CIAの選んだ人物で次期国王にもなる予定だった、モハメッド・ビン・ナイーフの降格でそれに応じた。サウジ人たちは恐れている。CIA(の手先であるEric Prince)がサウジにおいても傭兵部隊を王には向かわせるのが可能にもみえるなかで、王政はトラブルの最中にある。このことは、MBSによる防御的反応だったのだ」という。(*註)


今や、およそ1か月が経過して、NYタイムスの一面には、白色クーデターとリヤドでの体制転換の確認情報が溢れている─主に、お馴染みの「(米国の)現政権および前政権幹部の情報によれば」という、ただし書き付きで。


それは、突き詰めれば米国のディープ・ステートのコード=中央情報局が、信頼するパートナーで対テロ担当の元ツァールでもあったナイーフの追放にいかにひどく不快感を感じているかの再確認なのだ。その一方で、CIAはただ単に、尊大で経験も乏しく自信過剰のMBSのことを信用していない。

戦士にして皇太子のMBSは、イエメンとの戦争の指揮責任を負っている─そこには何千もの市民の殺害のみならず、悲劇的な飢餓と人道上の危機も生じさせた。もしも、それでは不足なら、MBSはカタール制裁というものの設計者だった─それには、UAEとバハレーンとエジプトが追随したが─いまや完全にカタール政府が、サウジとアブ・ダビの政府が実質的にでっち上げた法外な「要求」への譲歩を拒否したなかで、彼への信頼は喪失してしまった。

ナイーフは畢竟、カタールの封じ込めには反対していたのだ。


昨今、サウド家とUAEがすでにカタール政策に関しては撤回の道を辿っていたのは不思議ではない─米国の国務長官レックス・ティラーソンが地上にあって圧力をかけたからというよりも…主に米国諜報部による影芝居の活躍のお陰で─米国のディープ・ステート(諜報部門)はペルシャ湾地域での権益の安全を確保したわけだ─カタールのAl-Udeid基地をはじめとした権益を混乱に陥れないように。

向こう見ずな「ギャンブラー」


MBSはワシントンの政界では、いい古された「サウジ・アラビアは同盟国」というミーム(情報の遺伝子)のもとで、ベルベットの子供用手袋を嵌めさせてもらってはいても…あらゆる現実的な目的からみれば、最大の危険人物なのだ。

それはまさに、有名なBND(ドイツ諜報部)の2015年のメモがすでに述べていたことだ─その若き「ギャンブラー」は多くのトラブルを起こそうとしている。EUの金融業界は完全に震撼のただ中だ…彼の地政学的なギャンブルは、何百万の退職者の銀行口座を塵埃のなかに葬り去るかもしれない。


MBS kissing Prince Nayef in June 2017
BNDのメモは、サウド家がシリアでいかに征服軍(Army of Conquest)─それは基本的にジャブハット・アル・ヌスラ戦線(すなわちシリアのアルカイダ)のブラッシュアップ勢力で、Ahrar al-Shamの思想的な姉妹組織だ─の資金を賄っていたのかも詳細に物語っていた。

そのメモは、サウド家がいかにサラフィスト=ジハーディストによるテロを援助・扇動して武装させていたのか、を関連づけていた。そしてそのことはサウジ王国に…彼らが米国大統領のドナルド・トランプを同国に招いてレセプションの余興で)当惑を覚えるような剣のダンスの真ん中で踊るよう誘惑した後に…カタールをテロ国家だ、と自由自在に告発させるに至った。


MBSのカタール封鎖とは、アル・ジャジーラの報道を黙らせることとは関係ないが─それは、サウジのシリアでの敗北と関係がある─そして、カタール政府が(ノースドーム・サウスパーズの巨大ガス田からの液化天然ガスをヨーロッパに売るために)自らイランと同盟を組むベネフィットを優先して─「アサドは去るべきだ」という徹底抗戦主義者を捨てた、という事実とも関係するのだ。


MBSは─その病気の父君と同様に─ハンブルグでのG-20サミット会議をすっぽかした…カタール問題のはらむ当惑の重荷に耐えられずに─それは例えば、カタールの英・仏両国への投資国としての地位を考えれば、すべての責任を彼が負わされるからだ。MBSは「イラン内部での」戦争喚起をもくろんで、スンニ派対シーア派の激しい紛争の火種をターボチャージするとも約束した。

そして、さらにその先の道程にあるのは、MBSがいかにアラムコ石油会社のリスク満載の(民営化のための)最初の公募債の舵取りをするつもりなのか、という問いだ。


それは、アバヤで装った太ったレディ(サウジ王国の比喩)が歌を歌うまで
は終わりそうにない。http://www.atimes.com/article/coup-house-saud/

(*註:Sputnikのコラムで筆者はこうも書いている)

…その情報筋は付け加えた、「MBSは何処でも─イエメンでも、シリアでも、カタールでも、イラクでも失敗している。中国も彼に不満を抱く─彼が新疆地区でトラブルを喚起したからだ。ロシアも石油価格の低迷の影にいた彼に不満を抱いている。誰が彼に同盟するのか?唯一の同盟者は彼の父親だが、サルマン王は認知症で全く力がない」。

情報筋は頑固にこうも言った、「CIAがサウジ王国に反旗を翻す可能性は大きい」─それはトランプ大統領と米国のディープステートの一派の間の戦いが全く新たな段階に達したという事だ。 そうした謎解きには” Jared of Arabia”ファクターもある。カタールのクーデター未遂に関わった何らかのインサイド・プレーヤーがいたかどうかは、真面目に推測しようがないが…もしも、本当にそれが潰されたのなら…ジャレド・クシュナーならば内部情報を知っていたかもしれない─彼のコネクションを考えれば。

「 クシュナーは5番街666番地のビジネスで実質的に破産して、サウジの財政的援助を求めている。彼の義父のトランプでさえ、彼の窮状は救えない。だから彼はサウジの求める事ならばなんでもやるのだ…」

Wednesday, August 2, 2017

モハメッド・ダーランの擡頭と権力の正当性の争奪戦 In Muhammad Dahlan’s Ascent, a Proxy Battle for Legitimacy By PETER BAKER  

現在進行中ともいわれるダーランとの「ガザの権力分担」とは何なのか?─ 昨年(2016年11月)のNYタイムスの解説記事

モハメッド・ダーラン(*)の擡頭と、権力の正当性への委任状争奪戦(プロキシバトル)
By ピーター・ベイカー (2016/11/3, NYタイムズ)
  (*より正確には ムハンマド・ダハラーン)

モハメッド・ダーランの住む地は、パレスチナの彼の同胞たちが住む西岸・ガザの占領地帯からは1300マイル離れている。ここUAEのアブ・ダビの彼の広壮な屋敷には、豪華なソファと、丸天井にはシャンデリアがしつらえられている。無限に続く背後のプールの水面とは、その向こうに広がるぎらぎらと輝く水路へと注ぎこむかのようだ。

55歳のダーランが、パレスチナ人たちが未来の国家を思い描いた領土へと足を踏み入れてから5年になる。しかし、かつての有力者であり、亡命先では富豪となった彼は、パレスチナ自治政府大統領のマフムード・アッバスへの対抗からアラブ諸国リーダーたちが権力の移行を模索しているいま、この地域全体を跨ぐ陰謀の中心とみなされている。

イスラエル占領下の西岸では─心臓疾患を抱えて、後継者もない81歳のアッバスが、ダーランを支持する者ならば誰にでも激しい非難を向けている現在─日に日に、西岸地域自らがそれ自体との戦争状態を増幅しているようでもある。逮捕や、粛清、抵抗運動や銃撃戦(*ダーランが過去に行った)さえもが、波乱に富む過去を持つこの古い護衛隊員に新世代のリーダーたる正当性の獲得のための苦闘を強いる。

「私は知っている─アブ・マーゼンもその他の者たちも、ダーランの帰還を恐れているのだ」、とダーラン氏は言う─アッバスに関してはニックネームで、そして彼自身の名を三人称で呼びながら。「彼らはなぜ、恐れるのか?それはつまり彼が、この10年間に自分自身が何をしてきたかを知っているからだ。そして彼は、私がそれを知っていることを知っているのだ。」

パレスチナでは、ハマスが支配権を握った2007年にダーランがガザで治安部隊を率いていた際の、抑圧支配に関して彼を告発する人々がいる─そして、彼をイスラエルの手先だとみなす人々もいる。しかし、彼はアッバスにダーランの帰国を許すよう圧力をかけている、いわゆるアラブ・カルテット(エジプト、ヨルダン、サウジアラビア、UAEの4か国)にとってはお気に入りなのだ。

黒い髪に、ゆったりとした微笑み、1日に90分のエクササイズで無駄のない体形を保つダーランは、この地での最近のインタビューで精力的な魅力を振りまいている。彼は過去の彼自身の、情け容赦のない治安勢力リーダーとしての名声を否定して言う─私は危険な人物に見えるかな?─と、しかし彼はライバルを非難する時には非情になる。

失業が溢れている…とダーランは言う。学校や病院は絶望的な状態にあり、腐敗は蔓延している、アッバスはイスラエルの占領を終わらせることができず、ますます「独裁体制」を行使して反対派を弾圧している、と。

「これらの兆候とは、アサドの政権やサダムの政権が示していたものとも同様だ」と─シリアのアサドやイラクのサダム・フセインの名を挙げて、ダーラン氏は言う。「アブ・マーゼンがやったことは、権力のすべての残り滓を治安維持のマシーンに変えた、という事だ」。

ダーラン氏の声望の乏しさと、ガザ生まれのルーツが彼の西岸での人気獲得を難しくしていることを実感したアラブ諸国のリーダーたちは、静かに権力分担(パワー・シェアリング)の計画を練り始めた。それは、その他の人物、例えばヤセル・アラファトの甥のNasser al-Kidwaを次期大統領に据えて、ダハラーンとその仲間が彼のリーダーシップのチーム(指導層)に参加する、といったものだ。もう一つの可能性とは、マルワン・バルグーティだ─彼は民衆に人気のある人物だが、現在は殺人容疑でイスラエルで収監されている─ダーラン氏は、彼ならば支持できるという。

「私の言うことを書いてくれ─私は大統領に立候補したくはない」とダーランは言う、小さなパイプをふかしつつ、2時間の会話のあいだ英語とアラビア語をかわるがわる交えて話しながら。「このことは、明快になったかな?」

しかし、と彼は付け加える。「私は、どんなチームにでも参加する準備がある。私は兵卒になる積りだ。私は、何にだってなれる。ただしそこには、ヴィジョンと計画と、真のリーダーシップがなければならない。」

だが、それはKidwa氏や彼と似た人物が、そうした取引の提案を受けいれるということを意味してはいない。別のインタビューで、Kidwa氏は(彼は外務大臣を含め、様々な外交上の役割を背負ってきたが)ダーランを否定してこういった、「私は、彼が帰還する可能性は少なくとも現在のところ、余り高くはないと思う」と。「橋が燃やされたなら、それを再建することはおそらく困難なのだ」。

今のところ出馬すべき大統領選の予定はなく、地方選挙も遅れたままだ。アラブ・カルテットの圧力を別方向に向けるために、アッバスは最近、彼をより一層支持する周辺諸国、トルコとカタールを訪ねた。彼は、ダーラン氏を戦略的に出し抜こうと、ハマスのリーダーとも膝を交えた。

「現在のアッバスによる鉄の権力掌握に対しては、ライバルの誰もが彼に真に逆らって立つことなどできない」と、ワシントンのFoundation for Defense of Democracies の研究員で、近く刊行予定のアッバスの自伝の共著者Grant Ramleyはいう。「彼は、いまや彼の王朝の黄昏の中にある。そして、敵の膝をへし折ることにおいてはこの地域でもっとも狡猾な政治家の一人だ。」

アッバスは昨今、自らのファタハ党内から彼のライバルたちを追放し、その他の者たちを逮捕した。火曜日にはまた、彼はダーラン氏の同盟者らを追い出すための動きと解釈される今月末の党会議の開催も宣言した。

緊張は、時には暴力沙汰を招く。先月には正体不明のガンマンが、Fadi Elsalameenの家族の家を60発の弾丸で狙撃した。アッバスに対してかなり批判的なFacebookページを設けているElsalameen氏は、ダーランとは国際的イニシアチブをめぐって共同作業をしたことがあるが、自分は彼の仲間ではないとも表明した。

そのことは、ダーラン氏が真のパレスチナ人ではない、という事ではない。米国のCampaign for Palestinian Rights のエグゼクティブ・ディレクター、Yousef Munayyerは、ダーラン氏は民衆のあいだでは信頼が薄いという。「この人物は、外国勢力がひそかに汚い仕事をやらせるために利用する、怪しげな(いかがわしい)タイプの人物(shady character)だし、彼自身がそれを進んで請け負ってきた」、と彼はいう。

ダーラン氏はガザの難民キャンプに生まれ、10代でイスラエルに対する暴力的な戦いに参加した。11回逮捕され、イスラエルの刑務所で5年間ヘブライ語を学び、後にはガザでパレスチナの治安勢力リーダーになった。

2000年にはキャンプ・デービッドで、ビル・クリントン大統領が和平交渉の仲介を試みたときにも現場に同席した。クリントン氏は回想録の中で、ダーラン氏がパレスチナ側の「最も前向きな」交渉者の一人だったと述べた。

だが、ブルッキングス研究所の副所長でクリントン政権の外交官だったMartin S. Indyk(*)は、ダーラン氏は米国人にはかってアッバスと敵対させ彼を脇に追いやるよう促したのだという。「彼はカリスマチックで、頭が良く、操るのが巧く、ラマッラ―の古いファタハの護衛隊勢力にとっては脅威なのだ」。 (*Indykは米国の右派ユダヤロビーと密接な関係をもち、キャンプ・デービッドの和平交渉を潰えさせたともいわれた人物)

ガザでは、ダーラン氏は捕虜拷問の告発を受けた部隊を指揮し、『ダーラーニスタン』と呼ばれる組織(場所)を作っていたといわれる。しかし、ハマスが支配権を握ったその時、彼が海外に居たことから、彼は戦いを放棄したとも噂された。彼は西岸に移り2011年までアッバスの内務大臣を務めたが─その際に、両者は贈収賄の疑惑に関するやりとりで対立し、ダーランはアブ・ダビに逃れた。

彼はエジプトで、アブデル・ファタハ・アル・シーシ大統領に協力してムスリム同胞団の反体制勢力を鎮圧し、ナイル河ダム計画に関してはエジプト、エチオピア、スーダン間の外交交渉役を担当した。彼はイスラエルとも建設的な関係(強硬派の国防大臣アヴィグドール・リーバーマンとの関係をも含め)を持つといわれる。

イスラエル政府関係者らは、ダーラン氏について一つでもポジティブなコメントを言うならパレスチナ人からの信頼を損ねるがために、彼に関するいかなる論評も避けている。しかし、Institute for National Security Studiesのディレクターで元イスラエル軍諜報部門チーフのAmos Yadlinによれば、同国政府もダーランによる工作を見守っているという。

「彼は、アブ・マーゼン以後の時代にとって面白いオプションだろう」、とYadlin氏は言う。「それは、彼自身ゆえに、というよりも、彼がアラブ世界に持っているとても良いコネクションのためだ」。
ダーラン氏は、リーバーマンには一度も会ったことはないと述べ、汚職に関する告発も拒否したが、ガザで暴力的な戦術を用いたことについては否定しなかった。

「私は、赤十字のリーダーではない」、と彼は言った。「誰も殺されたことはなく、命を失った者も一人もいなかった。しかし、そこにはもちろん間違いもあった。」

彼はまた、蓄財をしたことも認めた。「私が否定しないことは二つある」、と彼は言った。「私が裕福であること、私はそれを否定はしない─決して。そして、私が強いこと、私はそれを否定しない」。彼はこう付け足した、「しかし、私は常に、私の人生のレベルを高めるためにハードワークをし続ける。」

彼は、ガザと西岸地域での慈善事業を賄うために、彼自身の資金やアラブ諸国のパトロンから得た資金を使った。ガザの住民のなかには病気の親類縁者への助けを得るために、Twitterの#Dahlanというハッシュタグを用いて(資金援助を頼み出た)人々もいる。
妻との間に4人の子供を持つダハラーンは、彼自身について、決して休暇を取ることのないワーカホリックだと描写する。彼は私に裏庭を見せながら、それを来客に見せて自慢する以外にそこで過ごしたことはない、とも言った。

「私は、達成することが好きなのだ」、と彼は言う。「私は、達成することに夢中なのだ」。

https://www.nytimes.com/2016/11/03/world/middleeast/muhammad-dahlan-palestinian-mahmoud-abbas.html

*註:関連記事 http://www.pbs.org/newshour/bb/middle_east-jan-june03-palestinian_04-23/
Meeting of the Minds


*7/27には「ガザのハマス幹部と在UAEのダーランがガザ議会でテレビ会議を行った」とか
https://www.nytimes.com/aponline/2017/07/27/world/middleeast/ap-ml-palestinians-gaza-deal.html
Gaza Power-Sharing Deal Moves Ahead With Parliament Meeting
ガザ議会で初のこの会合には数十人のハマスの議員、ファタハの親ダーランの支持者たちも参加した。APのインタビューでは、ダーランはハマスとの権力分担交渉がイスラエルとエジプトによるガザ封鎖を緩和し、深刻な電力危機を解決、ファタハとハマスの内戦の犠牲者の多くの遺族に賠償することを目的とする、と述べた。
昨今、アッバスはガザのハマスを困窮させ、権力委譲を促す強硬手段を行使、ガザ駐在の自治政府公務員の給与を不払いにしてイスラエルに電力供給等公共サービスを停止させている。
万策の尽きたハマスはダーランに助けを求めた。ダーランはエジプトを説得しガザの小発電所に燃料を輸送させ、ラッファ検問所を9月を目途に開放し、アブ・ダビ支配層の資金を戦死者遺族への賠償に充てる。アッバスに忠実なファタハのスポークスマン、Osama Qawasmiは、木曜日の会合を「小さく、個人的で、臨時的な党派的利権を反映したものにすぎず、ハマスのこのレベルの関係性には憐れみを感じる」、といって否定した。


*写真は昨年取材時(悪相になり顔の凹凸が増えたダーラン?