Saturday, May 29, 2010

金銭的悩み、長い沈黙、そしてイスラムへの熱意/ Money Woes, Long Silences and a Zeal for Islam


5/1 のタイムズ・スクエアの車爆弾による爆破未遂事件から、わずか4日…
NYTが総力で集めた…容疑者ファイサル・シャハザドについての噂話…

金銭的悩み、長い沈黙、そしてイスラムへの熱意  
By JAMES BARRON and SABRINA TAVERNISE (5/5, The New York Times)
 


彼らの結婚は、見合い結婚だった:パキスタンの著名な家族の高学歴の子女同士が、共通の友人を通じてお膳立てしたものだ。彼は物静かな性格…;一方、彼女はパーティーで笑い声をあげるタイプだった。

6年前の、ペシャワールでの結婚式では、男たちと女たちは別々にダンスをし、また一緒にもダンスをした、”あの頃にしては珍しかった"、とゲストの一人は語る。"それはとても大きなパーティーで、カタールに住む彼らの家族の友人たちまで来ていた。”

彼らが米国に帰ると、彼の勤務していた化粧品会社エリザベス・アーデンで、同僚たちが小さなオフィス・パーティーを開いた。

その夫、Faisal Shahzadは、彼の妻Huma Mianの写真をコネチカット州スタンフォードの勤務先のオフィスに飾った。彼らは35マイル先、SheltonのLong Hill Avenue に27万3千ドルを支払って新居を購入した。
彼らが新居に移ってくる前から、彼女は妊娠していたのだ、と近隣の住民は回想する。

Shahazad氏が新たな1日の間に、車爆弾について捜査官に語った事によれば、彼は土曜日にタイムズ・スクエアを車で訪れたことを認め…また水曜日までの尋問では、カップルの共同の暮らしの詳細や、彼が過激な思想にはまっていった経緯への推測が浮かび上がってきた。コネチカットとパキスタンの両方で彼らを知る人々は、彼は過去2年ほどの間に変わったという─彼らの家族を知る者のいうところでは、彼は「金銭的なトラブル」に直面して以来、より控えめで物静かになり、宗教的になったという。

彼のあるパキスタンの友人はこういう──昨年、彼は彼の父親…退職したパキスタン空軍の上級パイロットのBahar ul-Haq… に対してさえ、アフガニスタンで戦うことを許してくれるように頼んだのだという。

Haq氏はいま70代だが、その時の会話をよく知る者によれば、彼は(息子の頼みを)頑固として拒み、そのミッションに許可を与えず…イスラムは男が妻子を放棄することを認めない、といって念を押したのだという。

彼の結婚式に参加したあるゲストは、ShahzadについてパキスタンからのE-mailで、こう答えた: "新婚の人間として…彼には過激派になったような兆しは全然なかったし、その手のことにおいては、彼は宗教的なタイプではなかった" ─だが過去2年の間に、彼は仕事を変えたり、2人の子供の父親として務めたりしていた挙句に、"より一層イスラムについて語るようになっていった" ─そのゲストは、車爆弾の未遂事件の後での身の安全を考慮して、匿名を条件に話した。

"不況が彼らに犠牲をしいたのだろうと思う"、と彼はE-mailのなかで書く。2008年か09年頃に、彼らの金の心配が明白になっていき、"Shahzadは経済的問題のなかで彼の道を見失っていった”。JPモルガン・チェイス銀行がSheltonの彼の家をフォアクロージャーを理由に差し押さえ、カップルはその家に衣類やおもちゃを残して、せわしなく出て行った。

2月には、Shahzad氏はコネチカット州のBridgeportに2ベッドルームのアパートを借りた。彼の大家は、彼の妻を一度も見たことはなかったという。Shahzad氏の家族の先祖の村であるMohib Bandaの出身の友人、Faiz Ahmadがいうには─彼が最後にShahzadを見たのは結婚式から1年半後だったが、何かがうまくいっていないと確信したという。Shahzad氏の感じは変わっていた ─独りで座り、余り喋ろうとしなかった。

彼は、"ソファーに腰掛けて完全に黙っていた、まるで心配事があるかのように、そして何か内面的な変化を経験しているかのように”、とAhmed氏はいう。"そして彼は、沈黙、さらに沈黙をし続けながら座っていた。その沈黙それ自体が謎だった。"

あるパキスタン人の男性に対し、Shahzad氏の家族の友人であるその知り合いの人物が語ったことでは─ 昨年Shahzad氏はその友人に会ったときに、友人の手に持ったウィスキーのグラスを…厳格なジハード主義者には典型的な、罪を裁くときのような目つきでじっと見つめていたという。

Shahzad氏は今30歳だが、よくあるフラストレーションの孤をたどり、加速的に宗教的になって行った果てに、暴力に行き着いたようにも見える。彼はパキスタンで生まれ育った…少なくとも3箇所の土地、カラチ、ラワルピンディ、そしてMohib Bandaに住む、特権的な家族により育てられたのだ─ 彼の父Haq氏とは…Ahmed氏によれば、"近代的な考え方をする、近代的な世代の人物のひとりなのだ″、という。

水曜日にインタビューを受けた家族の友人たちによれば、彼らはHaq氏が、パキスタン西部のDera Ghazi Khanの町(そこに彼の家族は小麦の農耕地を持っているが)に隠れているのだろう、という。 Shahzad氏の妻もまたパキスタンに居ると思われるものの、彼女の居場所はわかっていない。パキスタンの日刊紙Dawnは、彼女の父親がカラチで逮捕されたが、パキスタン当局には未だそれを確認できていないとしている。

Shahzad氏は4人兄弟の末っ子だが、軍事独裁者のZia ul-Haq(前大統領)がパキスタンの教育システムに厳格なイスラム思想を持ち込んだ時期より後に生まれた、新たな世代だという。同政権の頃には、同時に強硬派のモスクが資金や土地を与えられ、狭溢でしばしば宗派的な世界観を謳い上げて、若いパキスタン人たちに暗い覆いを投げかけていた。

(Shahzad氏の妻の)Ms.Mianは4人兄妹の長女としてコロラド州に生まれたが、夏休み時にはパキスタンに帰って過ごし、子供時代には、彼女のカタール在住の家族と一緒に住んでいた事もある、と結婚式に出席したゲストは語る。彼女の父親Mohammad Asif Mian氏は、コロラド州のColorado School of Mines in Goldenで1980年代に2つの修士号を取得し、4冊の本を書いているという。

ベストセラーとなった2002年発刊の彼の著書、“Project Economics and Decision Analysis”のなかでMian氏は、家族の忍耐とサポートへの謝辞に加え、こう記している─“コロラド大学のわが娘が、その名前を学長のリストに連ねたことに特別な感謝を捧げたい、このことは私の情熱に大きく貢献した”、と。

Ms.Mianとその姉妹たち、SabaとHinaは共にデンバー地域のカレッジで学び、2003,4年にはBoulderにあるコロラド大学のキャンパスのすぐ外側の家をシェアしていた。

Human Mianは2004年に会計学の学位を取った後に、すぐShahzad氏と結婚し、コネチカットに引越したが ─その地において彼は、Bridgeport大学のMBAコースで学んでいた。また、高度のスキルをもつ労働者に与えられるH-1Bビザの下でElizabeth Ardenの営業アナリストとして働き、売掛債権の管理と分析を担当していたと…MSNBCが入手した履歴書が物語っている。

″…彼女は赤ん坊のミルクや他の全ての物を買う必要があるのに、一人の収入のみでどうやってやりくりしているのだろうか、と自分はいつも驚かされた”と、Sheltonの近隣住人のBrenda J. Thurmanはいう。

Ms.Mianが2008年の末、あるいは2009年の初めに2ヶ月ほど家を留守にしていた際…Ms.ThurmanにShahzad氏は、妻は2人目の子供の出産のためパキスタンに行く、と語っていたという。数ヶ月のうちに彼女は戻ってきたが、彼らは荷物をまとめ、昨年の夏、再び家を出た。2006年にElizabeth Arden を退職したShahzad氏は、コネチカット州ノーウォークの財務マネジメント・サービス会社、Affinion社の顧客レポート・アナリストになった。

今週、ゴミの山が残された彼らのSheltonの家の外には、彼らの生活を物語る手掛かりが溢れていた。そこには裏面にアラビア語の文字が書かれたNairなるブランドの保湿剤の包みや、メイクアップブラシ、Japanese cherry blossomの香りのボディ用芳香剤、赤ん坊へのギフトと見受けられる包装紙やギフトバッグが残されていた…。

“Faisal, Huma and Alishaba”との宛名が書かれた封筒…その中にあるカードには、“あなた方の、新たな小さな女の子のお誕生おめでとう”、とも書かれていた。

どうやって、なぜ、どこでShahzad氏が過激な思想に染まったのかは定かでない。コネチカット州のパキスタン系米国人団体の設立者、Dr. Saud Anwarは、Shahzad氏の名前が車爆弾の関与者として浮かび上がるとすぐに、コネチカットのモスリムやパキスタン人たちのグループを戸別に訪ねてみたが、彼はそのいずれにも所属していなかったという。

しかしDr.Anwarは、Shahzad氏の大学時代のクラスメートとは連絡をとり続けていたのだという…パキスタン生まれのこのクラスメートは、メディアの記者に取材されたくないとDr. Anwarに語ったという…彼はこのカップルとずっと友人だったが、1年ほど前、Shahzad氏が変わっていたことに気づいた。

″彼は人柄が変わっていた…彼は以前より内向的になった”、とそのクラスメートは語った。″彼はより強い宗教的なアイデンティティに目覚めて、物事全てに対するより強い感受性や、より強い意見を抱いていた″─Dr.Anwarはそのクラスメートに、彼の変化は何らかの組織に関わったが故なのかと問うたが、彼が観るには、Shahzad氏は“自分で全てを勉強したようだった”という。

Mmohib Bandaの友人であったAhmad氏は、彼のこうした変化はカラチにルーツがあるだろう、と推測した─Shahzad氏の仲間の一人がそこで、火曜日の朝に、カラチの武装グループと関連があると思われるモスクで逮捕されたとパキスタン当局は発表した。

“疑問なのは、誰がFaisalをその道に誘い込んだのかだ”とAhmed氏は問いかける。“貴方の見た髭面のFaisalは、もう昔のFaisalではない。彼は貴方や、私と同じような人間であり、ハンサムでリベラルで、活動的な人間だったが”、と彼はいう。

パキスタンの情報相によるとShahzad氏は、過去7年間にパキスタンへ13回旅行している。彼の家族を知るあるパキスタンの役人によると、Shahzad氏のパキスタンへの旅行が短期的なものばかりだったなら、彼が原理主義化したはずはない─そうした旅は、結婚式などの家族的な用事に忙殺されがちだからだ。火曜日に提出された彼に対する犯罪容疑の申立書では、彼はこの2月に5ヶ月の旅行から帰国したという。申立て書ではまた、ワジリスタンで爆弾の製造方法について訓練を受けたという。

彼の家族のいま一人のパキスタンの友人、Kifayat Ali氏は、Shahzad氏を“エモーショナル”だったと評し、彼は子供時代にナイフを携帯していたという。彼はShahzad氏が、パキスタンのメディアの見出しを飾る陰謀説や反米的な毒舌記事に触発されて、米国の軍事行動に対する怒りを抱いたのではないかと推測する。

“一人の人間がアフガニスタンやイラクでの残虐行為を目にしたとする”とAli氏は語る、“こうした光景は、人々に影響を及ぼすものだ…”

MSNBC.comに水曜日に掲載されたレジュメでは、Shahzad氏は2001年半ば以降の5年間に、Elizabeth Arden社の3つの異なるポジションで働き、その後、Affinion社で3年間働いた。─Arden社において彼は、“貸倒損失金を47%削減”し、また、“損失分を250万ドル回復した”、と自ら記載している。Affinion社で彼は、“同社の上級顧客であるCitibankやBank of America、 Scotland王立銀行、Peoples Bank、US Bank、Wells Fargoその他、2つばかりの小さな顧客に対して、月々の契約で市場予測を提供していた”、としている。

Affinion社のスポークスマンJames Hart氏はいう、“そこには大分、レジュメのふくらましが見てとれる”、そしてShahzad氏は退社したときにも、“エントリー・レベルから少し、毛の生えた程度”の社員だった、という。

Elizabeth Arden社における前の上司のマネジャーによると、彼はその当時、同社で働く唯一のパキスタン人だったが、宗教的礼拝のための特別な取り計らいを頼んだことはなかったという。彼女が思い出すのは、9月11日にShahzad氏は他の社員たちと一緒に、オフィス内のラジオの周囲に寄り固まって、ワールド・トレードセンター・ビルへの攻撃に関する速報に耳をすませていた様子だという。

"彼はごくノーマルな人間だったと思う”、と彼女は回想する。"物事とは、いつでもそうなのではないかしら?こんな事をする人間とは常に、こんなことをするとは貴方が決して思わないような、ごくノーマルな人間なのでは?”
http://www.nytimes.com/2010/05/06/nyregion/06profile.html

Times Sq.の爆破未遂の事件発生直後にNYタイムスが集めたゴシップ記事のラストには、19人もの取材協力記者名のクレジットが…

*Shahzadの背景動機については、その後もいろいろ報道がだされたが、彼の動機は金銭問題や結婚のトラブル?

 (パキスタンでも以前から彼の何らかの関連のあったらしい者たちが逮捕されたが、Shahzadは訴追され罪が確定すれば終身刑の可能性もあるとか)

Sunday, May 2, 2010

「サウスパーク」の脅迫者は、ブルックリン育ちの元ハシディム?/Yousef Al-Khattab, Man Behind Virulent Islamic Website, Grew Up Jewish


「サウスパーク」の作者たちを脅迫した男のプロフィールを、地元ブログメディアが伝えている…
彼らの頭の中は、危ない内容が満載? 


悪意あるモスリムのウェブサイトの制作者、Yousef Al-Khattabはユダヤ人として育った─ By ビラル・ハイエ(4/23、ザ・ブルックリン・インク)

“editor 注 :当サイトはモハメッドを描いたサウスパークのアニメーターたちを「Revolution Muslim」が脅迫した際に、そのグループについて最初に報じ、彼らの創立者のAl-KhattabことJoseph Cohenのプロフィールを伝えた”

 「これが自分にとってのジハードなのか、どうかは分からない」、とYousef Al-Khattabはいう。「善を信奉し、悪を阻止するのが自分の義務なのだ」──ユダヤ教徒の間に生まれ、ユダヤ系の学校で教育を受け、ブルックリンのWilliamsburgにあるHassidic派のコミュニティや、ガザの入植地にも住んでいたことのある彼が達成したこの異様な状況… それは、彼が米国で制作しているウェブサイト“Revolution Muslim”に対し、全米のユダヤ人ブロガーやサイバー監視人たちからの激しい非難が集中するというものだった…。

 元の名をJoseph Cohenとして生まれたKhattabは、1998年にイスラエルのNetivotに滞在していた際に、ユダヤ人のチャット・ルームでUAEからきたというモスリムと出会い、その後にイスラム教に改宗したのだ、と述べている。宗教をめぐる彼らの交流は2年間続いたが、Khattabにとってその交流は彼がそれまで抱いていたユダヤ教への疑念を確信させることに繋がった…その後、彼は英訳版のコーランを読み、結果的にイスラム教徒として改宗した。その交流は彼の信じていた、ユダヤ教のラビたちはユダヤ人を従属的な立場に保ち続けるために、同胞たちを詐欺によって騙している、という考えを再確認させた…という。

 彼の妻と4人の子供たち(長子はその当時8歳)も、その後まもなく彼の後に続いて改宗した。

 Khattabはいま40歳でクイーンズに住んでおり、タクシー運転手をしているが、彼は毎日彼のウェブサイトと同名の組織の活動のなかで、資本主義やユダヤ教、イスラエルによるパレスチナ占領について非難している。頭を剃りあげ、口髭を短く刈り込み、ふさふさと顎鬚を生やしたKhattabは彼のウェブサイトで、流暢な英語とアラビア語で視聴者に語りかけては、不定期に更新されるビデオのなかで皮肉なウィットをきかせている。

 そのサイトには、酷たらしい血、爆弾やパレスチナの子供たちの遺体を映した数枚のスライドショーやビデオ画像が掲載されている。あるビデオに付けられたキャプションでは、彼は視聴者に対して統一ユダヤ人協会(United Jewish Federationや、ルバビッチ派本部(Chabad Lubavitchのような組織の指導者たちとは何者なのか…を見出すように呼びかけ、「彼らの本拠地において対決せよ」と述べている─ただし社会的礼節を保った、平和的な態度で、とも付け加えている。(*ルバビッチ派:Brooklynを本拠とする、超正統派ユダヤ教Hasidismの世界最大の宗派)

 別の投稿では、Khattabは人々に…イスラエル軍との関係が取り沙汰されるスターバックスをボイコットするように述べ、そして人々に、大きなユダヤ系組織の指導者たちにはパレスチナ人のジェノサイド(と彼が呼ぶもの)の支持者としての責任を問うべきだ、と呼びかけている。

 Khattabは、米国政府にとって、単に言論の自由を駆使しているだけの彼のウェブサイトに問題があるわけはない、と言う。しかし、彼が「責任がある」と名指ししている人物たちにとっては問題があるだろう、とも言う。こうした人たちにはLubavitch派や、Yeshiva 大学が含まれる─彼はそれらの機関が、イスラエルにパレスチナ人と戦う為の兵士たちや、イスラエルを支持する人間たちを送り出していると言う。

 「我々の憲法には、ユダヤ人やユダヤ教を愛さねばならないなどとは書いていない」、と彼は言う。彼は大体、ユダヤ人とは近づかないようにしているが─しかし彼は、ユダヤ人が嫌いなのではなく、ユダヤ教、あるいはラビ的ユダヤ教と宗教的ユダヤ人が嫌いなのだ─と言う。Khattabは(彼の定義するところの)、正統派ユダヤ教徒(Orthodox Jew)と、フラム・ユダヤ(frum Jew*)が嫌いな理由を述べる:その理由のなかには、ユダヤ人がアンダーグラウンド経済をコントロールしている、との訴えも含まれ、また米国において合衆国憲法のなかで宗教と政治の分離が規定された理由も、それらのユダヤ人なのだと言う。*ラビ的ユダヤ教:Rabbanical Judaism(正統派、超正統派などの別称。ラビのユダヤ教)/*フラム・ユダヤ:フラムの子ともいう(英国金融界、ロックフェラー等との繋がりが深いとか)

 彼はレバノン生まれのRashid Bazというある移民が、Brooklyn Bridgeの近くでルバビッチ派のHasidimたちをを満載したバスの中で銃を発射し、16歳の少年を殺した1994年の事件を想起している。「Bazはそれを次なるレベルにもっていったのだ」、と彼は言う─「彼はたぶんルバビッチ派のことをわれわれよりも一層、よく理解していたのだ」 (*Rashid Bazの事件の動機は、レバノン内戦でのイスラエル人によるアラブ人虐殺への報復だったとか)

 彼のユダヤ教に対する憎しみにも関わらず、彼にとっては、その見解を尊敬しているユダヤ人たちも幾人か存在する…例えばNoam Chomsky や Norman Finkelstein…つまりイスラエルの外交政策や人権侵害への歯に衣着せぬ批判者、そして多くのユダヤ人はホロコーストの事実に乗じてこれを利用している、といった見解を提起している人物たちだ。

 彼の意見は、Chomskyのアナキスト的な議論とは異なるが、彼はChomskyが米国の“neo-feudalist” culture(新封建主義的な文化)を批判して、米国の真の姿を暴露していることには尊敬の念を抱いているという。彼が話をするユダヤ人たちとは、“Noam Chomsky的な信念”のなかにいる世俗的ユダヤ人に限られ…そうした人々は彼と同じ位、宗教的ユダヤ人を憎んでいるという。しかしもしも正統派のユダヤ教徒が彼のタクシーを呼んだなら、彼は公平さへの義務として、その人物をタクシーに乗せてやる、と言う。

 私立探偵で、サイバー監視員でもあるBill Warnerは、米国内のジハード主義者による数個のウェブサイトの情報をインターネット・プロバイダーや当局に流すことで、それらの閉鎖を助けたという─彼はKhattabのような人々は、自分たち自身は行動しないで、他の人間たちを暴力的行動に駆り立てるという。「中東にどのような問題があろうとも、彼はそれをNYのクイーンズに持ち込む」、「彼は人々に、何かをさせようとする。」

 私立探偵Bill Warnerは、Revolution Muslimのサイトにあるこの画像は、Chabad Lubavitchへの脅迫を表していると言うが…、Yousef Al-Khattabはそうした主張は馬鹿げている、という─それは、あなたが判断して欲しい─
 …Khattabは最近、Revolution Muslimのサイトにブルックリンのクラウン・ハイツのChabad Lubavitch(ルバビッチ派本部)の画像をのせ…そのキャプションのコメントで、これらの本部のmain temple(主要な祭殿)はどこなのか?と書いた…そして礼拝の時間にはそこが満員になると指摘した; またユダヤ教のお守り袋(talis bag)の画像を示して、イスラムの情報を蓄える素晴らしい場所だ、などと指摘した…Warnerはこの投稿は脅迫として信憑性があったので、NY警察が全力でシナゴーグを護るために動いたと言っている。

 自分の投稿コメントの中にルバビッチ派への脅迫があったなど、馬鹿げている、とKhattabは言う。「私は、彼らが一体どこからそんな考えを得たのかも分からない」、「ユダヤ人に対する脅迫などはない─彼らは、私をいくらでも攻撃できるのだ」

 ルバビッチ派の本部は、Khattabの投稿に対してとった彼らのリアクションや、警備対策のプロセスについて語ることを拒否した。しかし当サイトへの文書による回答で、Chabad.org のRabbi Motti Seligsonはこう言う:「全ての脅迫はシリアスなものではなかったが、安全が最優先の事項なので、我々は法の執行機関と緊密な連携をとり、全ての脅迫に適切に対処するよう、安全対策を講じた」

 Khattabは彼の憲法上の言論の自由の権利を認識していて、合法的範囲で彼のメッセージが行ける限りの所を熟知しているように見受けられる。彼は言う、合衆国憲法の修正第一項が彼に言論と表現と宗教の自由を与えているのだ、と。「我々には、それを望むなら、武装して私兵団を組んでもよいという、絶対的な権利すらあるのだ」

 Bill Warnerは違う解釈をする。「その男は狂人(lunatic)なのだ。それは言論の自由ではない。テロリズムを煽るとき、それは言論の自由ではない」、と彼は言う。彼はFBIとNY警察はKhattabの家を既に2,3回訪れており、彼のウェブサイトが閉鎖され、彼が逮捕されるのは時間の問題だった、と言う。

 Khattabは彼が監視下にあるのを知っていたし、警察も彼を2,3度訪れていた。しかし彼は逮捕されることを恐れていた。彼は祈り、エクササイズをすることを愛している〔これらは共に、刑務所でも継続できる〕、そして彼の脳が働く限り、彼は彼の意識について語りたいと言う。「私をつまみ出したいのなら、奴等は私の前頭葉にロボトミー手術でもするがいいだろう」、と彼は言う。

 NY警察とFBIは度重なる問い合わせにも関わらずKhattabが監視下にあるかどうかに回答をしていない。

 Warnerのような人々は日夜、彼のウェブサイトを閉鎖させるよう働いているのだ、とKhattabは言う─だが、彼らは成功しない─たとえ成功しようと、彼はすぐさまどこか別の場所にウェブサイトを再び設置するだろう…と。彼には良いウェブ・ホスティング業者がいて、Revolution Muslimは人種差別主義者グループではなく、ヘイト・オーガニゼーションでもないと理解してくれているという──誰がそのウェブサイトをホストしているのかをwhoishostingthis.comでさっと検索すると、それは米国で人気のある、Go Daddyによるものだ。Warnerによると、米国のウェブ・ホスティング業者はRevolution Muslimのようなグループに人気が高い…豊富なマルチメディアコンテンツを載せるのに便利なより高い解像度や、バンド周波数を提供しているからだという。

「これまでにも、共感してくれる人々を手紙を通じてターゲットにしてきたヘイト・グループが常に存在した…しかし今や、彼らのメッセージがより多くの人々から容易にアクセスできるようになった」とAnti-Defamation Leagueのニューヨーク地区ディレクター、Joel Levyは言う。Anti-Defamation LeagueはRevolution Muslimとそのサイトの存在を認識しており、そのサイトのメッセージには懸念を抱いてきたと彼は言う。*名誉毀損防止同盟( 略称ADL)とは米国最大のユダヤ人団体。反ユダヤ的な言論を監視する

 Levyは同サイトは、特に誰かに対する明瞭な脅迫(それが警察の捜査の根拠になるような)をすることはなかったという。「彼らはときどき脅かすような、脅迫を与えるような言葉を使う、そのことには疑いはない」と彼は言うが、しかし「彼らはとても、とても用心深く、そして言論の自由の限界とは何かについてよく理解しているように見うけられる。そして、そのスレスレの事を試みるが決して限界を超えたりはしない」

 Revolution Muslim には548人の登録メンバーがおり─ そしてAlexa.comによると、世界中からアクセスがある。アクセスの多い国の上位3位は米国、シンガポールとイスラエルで、そのうち58パーセントは米国からのものだ。

 そのサイトのミッション・ステートメントによると、彼らのミッションとはイスラムの言葉を広め、Sheikh Abdullah Al-Faisal <BBCによれば、彼はその説教の中でユダヤ人とヒンズー教徒の殺害を訴えたので、2003年に英国で刑務所に収監され、2007年にはジャマイカに国外追放された> を支持することだという。

 Khattabはイスラム法、あるいはシャリア法が全世界に確立されればよいと願っている。彼は、彼の生きている間にそれが起きるとは思っていない、あるいは米国で始まるとは思っていない(ソマリアとスーダンは、より現実的なオプションの国だという)。しかしそれは、「いつか最後の日に、預言者 Isa (イエスキリスト)が現れ、十字架をぱちんと言わせて豚のごとき異教徒たちを殺し、そして唯一の選択肢とはシャリア法であるとされたときに」、それは実現するだろう、という。
http://thebrooklynink.com/2010/04/23/11041-yousef-al-khattab-man-behind-virulent-islamic-website-grew-up-jewish/

*上記の記事の後にAl-Khatab自身が投稿し反論しているようだ。
*中東学者のJuan Coleなど反ユダヤ的な人たちは、極右派のイスラエル入植者でもあったYousef Al-Khattabはユダヤ諜報機関員ではないか、などといっているが? 

*Yousef Al-Khattabと家族   
(右の写真は彼が2009年に出した子供向けの本"The Story of The Boy & the King"の表紙)  


*"Revolution Muslim"のサイトhttp://www.revolutionmuslim.com/

Thursday, April 29, 2010

サウスパークでも駄目?Not Even in South Park? - By ROSS DOUTHAT

サウスパークでも駄目? - By ロス・ドウザット (4/25, The New York Times)

 9月11日のテロの2ヶ月前、コメディ・セントラルはアニメ「サウスパーク」のなかで、“Super Best Friends” と題したエピソードを放送した─そのマンガの中では、口利きの悪いわんぱく小僧たちが、この世ならぬスーパーヒーローたちから構成されるチームに助力を求めていた。そのスーパーフレンドたちとは、すべて宗教的人物…:イエス・キリスト、クリシュナ、仏陀、モルモン教のジョセフ・スミス、タオイズムの老子…そして預言者モハメッドもまたターバンを被った「5時の影」として描かれており…「炎の力を持つイスラムの預言者(the Muslim prophet with the powers of flame)」と紹介されていた。

 そのころは、未だに寛大で受容的な時期だった。2006年になって、サウスパークのクリエーターTrey Parkerと Matt Stoneが、デンマークの新聞の掲載した(モハメッドを媚びへつらいなく描いた)漫画が世界中に暴動をひき起こした件をパロディーにし、さらにアニメ化しようと試みた際に、モハメッドの姿は米国のTVではもはや放映できないと気づいた。そのエピソードは放送されたものの、“スターの登場する見せ場”自体はブラックアウトされ、「コメディ・セントラルは預言者の姿を見せることを拒否します」、という告知のメッセージに置き換えられていた。

 ParkerとStoneにとって次のステップとは明らかに、我々がモハメッドの肖像を放送できない、ということ自体を茶化すことだった。2週間前、“サウスパーク”では“super best friends”のキャラクターたちを再度登場させた…だが今回は、モハメッドは決して顔を出さなかった。彼はU-Haulトレーラーの中に“現われて”、そして次には、マスコットのコスチューム(クマの着ぐるみ)の中に現われた。こうしたギミックに対し、ニューヨークを本拠にするウェブサイト、revolutionmuslim.comは「Parker とStoneは、2004年にイスラム教を痛烈に非難した故に殺されたオランダの映画監督、テオ・ヴァン・ゴッホと同じ運命を辿るだろう」、と予測した。これを書いたのは、アメリカ生まれでイスラム教に改宗したAbu Talhah Al-Amrikeeだが、彼は彼自身が彼らをテクニカルに殺害するという脅迫は述べなかった。彼の投書とそこに付されたテオ・ヴァン・ゴッホの遺体の写真は「…起こりそうな事の警告」だけだったという。 *U-Haul:トレーラー、トラックのリース業者 

 この受動攻撃的(passive-aggressive)な死の脅迫は、コメディ・セントラルからすばやい反応を引き起こした。先週、放映された続編エピソードでは、預言者の「出現しないことによる出現(non-appearance appearances、見えない出現)」は検閲され、モハメッドに関する全ての言及がビープ音でかき消された。過去の放映についての記録もまた、迅速に洗い落とされた─オリジナルの“Super Best Friends”エピソードはもはや、インターネット上でも見ることはできなくなった。

 ある意味で、「サウスパーク」を黙らせたことは、西欧の社会的機関がイスラム過激派の暴力の前に萎縮している、ということの、これ以上ない不穏な証拠だ。それはドイツのオペラハウスが、モーツアルトのオペラ“Idomeneo”の上演を、モハメッドの斬り落とされた首が出てくる、という理由で、一時的に休演させたことにも劣らず、不味い事態だ。またはランダム・ハウスが預言者の第3夫人を描いた小説の出版をキャンセルしたこととも同様だ。…またはイェール大学出版が、論議の的となったデンマークの新聞漫画を、それらデンマークの漫画の危機に関する本のなかに掲載することを拒否したこととも同じだ。…あるいはそれは、多様な西欧のジャーナリストたちや知識人、政治家たち─イタリアのOriana Fallaci やフランスのMichel Houellebecq、カナダの Mark Steyn、オランダのGeert Wildersも含めて─を法廷の前に…この、多分リベラルな社会だと思われる社会の「人権に関する裁判」の場に、引きずり出させるのと同じだ─イスラムに対する攻撃をあえて行ったとの咎で。

 それでも「サウスパーク」のケースにはなお、特に啓蒙的なものがある。それは単に、ライターや娯楽の演出家たちが突然、新たな超えられない一線を定められた、といったことではない。しかしそれは、イスラムとは我々が線を引ける唯一の場所だということを再度、想起させるのだ。14年にわたる放送のなかで「サウスパーク」が踏みつけにしなかった偶像は存在しなかったし、(セクシュアルな、ス*トロな、冒涜的な)ショックコメディーのノリで描かなかった物もなかった。さほど疲れ果ててはいなかった時期に、そのクリエーターたちはOscar WildeやLenny Bruceの正当な後継者のごとく、しばしば危険を冒しながら文化的な聖なる牛を切り身にさばいていた。

 それでもパーカーとストーンの最も激しい怒りはこのシーンの影にぼやけていってしまう。最新のヒット映画“Kick-Ass”で、11歳の少女が卑猥な言葉を吐きながら、ペドファイル(小児性愛者)の気を引くオトリのいでたちで、悪い男たちをばらしているこの国では、本当に宗教的に一線を越えるような逸脱(違反、transgression)など考えられない。我々の文化には、殆ど侵害できないタブーなどなく、我々の社会秩序ははじめに規範を設定することなど、広範に放棄している─イスラムが関わるところ以外では。そこでは、暴力の脅迫のもとで規範(standard)が設定され、自己保存本能と自己嫌悪がない交ぜになるなかで、受け容れられている。それは、デカダンス(堕落、退廃)というものの現れた姿だ:狂気じみた粗野さ(下品さ)が、「勇猛果敢にも」それ自体の価値や伝統を踏みにじり…それらを素早く、全体主義と暴力のもとにはじき飛ばすのだ。

 幸運にも今日、全体主義を志向する者たちはたぶん、全てのアドバンテージを得るには余りに周縁の存在だ。今はワイマール帝国時代のドイツではないし…イスラムの過激な周縁的(フリンジ)勢力は、実体的な敵というよりも、未だにフリンジに過ぎない。そのことからも、我々は感謝すべきだ。なぜならもしも暴力的な周縁勢力がそれほど多くの萎縮や自己検閲を喚起できるならば、それは我々自身の制度のなかに充分な堕落があって、より強い敵がそれを破滅させられるかもしれない─ということを示しているのだろうから。
http://www.nytimes.com/2010/04/26/opinion/26douthat.html
CNNのビデオ
http://cnn.com/video/?/video/showbiz/2010/04/21/ac.griffin.south.park.threat.cnn

  





*Harlem Line(NYの郊外電車)からみたU-HaulのParking lot

Saturday, April 24, 2010

無神論運動?? - “Athiest movement” とは

*動物行動学者のリチャード・ドーキンズ教授(ヒッチンズとともにローマ法王の訴追を訴えた)は、英国で「無神論運動」 Athiest movementも創始… そのBus Ad(バスのメッセージ広告)は、当初は、福音派教会の宗教広告(街角によくあるメッセージ広告)に対抗して、英国コメディアン協会と共に出資、女性コメディアンとともに始めたとか… ネットで1台分$500といった広告料の出資を募る手法で協力者が拡大し、昨今欧州各国や米国にも賛同の波が広がっている…

→Seattleに登場したAthiest Bus Ad

オリジナルのLondonのBus Ad…2009年1月に800台ではじめたとか。当初のバス・アド広告に出現したメッセージとは"THERE IS PROBABLY NO GOD- Now stop worrying and enjoy your life"(おそらく…この世に神はいない-心配することなどやめて、人生を楽しもう)というコピーだった─
─(その後、現れたアドコピーでは、"Hitchens is probablly not God" という物もあったとか)

Thursday, April 22, 2010

カソリックの大いなる隠蔽:法王の全てのキャリアには、それ自身に邪悪の臭いがある/ The Great Catholic Cover-Up-The pope's entire career has the stench of evil about it-By C.Hitchens

カソリックの大いなる隠蔽 ─ 法王の全てのキャリアには、それ自身に邪悪の臭いがある─ By クリストファー・ヒッチンズ (3/15、Slate.com)

 3月10日、バチカンの祓魔師のチーフ(chief exorcist)のGabriele Amorth司祭(彼は、この困難な職務を25年間務めている)はこのように述べたという─ 「悪魔がバチカン内部で活動している」、「聖なる部屋々々の内に漂う "サタンの煙"について語るとき、それはすべて真実なのだ──最近、報告のなされている暴力と小児性愛のストーリーを含めて」─ これはおそらく、この聖なる教皇区のなかで、何か恐ろしいことが…勿論、進行中であることを追認したものと解釈されている──ほとんど取調べの審問に対しても、完全に物的証拠による説明がなされている。

 子供のレイプ事件に関する現在進行中の──まさに際限のないスキャンダルへのバチカンの継続的関与についてごく最近暴露された事項に関しては、数日後にHoly See(使徒座〔教皇庁〕)のスポークスマンが否定を装いながらも譲歩を示した。Federico Lombardi司祭(スポークスマン)は「それは明らかなことなのだが…」、「聖なる父、法王自身が性的虐待事件に関与していた要素が、あったのか否か、を見出すための試みがなされつつある」と語った…そして彼は愚かにもこう続けた、「それらの試みは失敗した」と。

 彼は二度、過ちを犯している。第一に、誰もそのような証拠を発見するための努力などする必要はなかった:そしてそれは表面化した…なぜなら、それは表面化せざるを得なかったからだ。そして第二に、このローマ・カソリック教会の最高位のレベルを巻き込んだ最悪なスキャンダルの拡大のプロセスは今、始まったばかりなのだ。だがそれは、枢機卿団が主キリストの地上の代理人としてその男を選任したときに、彼に、その当初の(オリジナルな)隠蔽作業への主なる責任が生じたことは、ある意味で避けがたいことなのだ。この"選挙"に票を投じた聖なる投票者たちの一人は、ボストンのBernard Law枢機卿──すなわち
〔児童を虐待した聖職者を再度任命していたにも関わらず〕、マサチューセッツの裁判所が彼の趣味に余りに寛大すぎる事が判明した人物だ‥

 ここには二つの…
別々だが、互いに関連しあっている事柄がある: その一つ目は、このモラル的な悪夢の一つ一つの事例に、法王の個人的な責任が問われるということであり、二つ目は、それらに伴うより拡大した違法行為や、恥辱や、不面目にも、彼のより全般的な制度上の責任が伴う点ということだ。この最初の事実とは、簡単に説明されることで、誰にもそれを否定できない。1979年に、11歳のWilfried F.という名のドイツ人少年が司祭に連れられ、山岳地に休暇旅行に行った。その後彼は、アルコールを与えられ、彼のベッドルームに監禁され、服を脱がされ、彼の告解をきく聖職者の性器を○えさせられた(なぜ我々は、我々自身がこうしたことを“虐待”と呼ぶことを制限するのだろうか?)この加害者の司祭は、当時の大司教(Archbishop)だったJoseph Ratzingerの決断により、「テラピーをうけるため」エッセンからミュンヘンへと転任させられ、そして、彼には二度と子供のケアはさせないとの保証がなされた。しかし、Ratzingerの代理人だった司教代理、Gerhard Gruberが、彼を「司祭の仕事」に戻させるのに時間を要することはなく、そこで彼はまもなく、再び彼の児童虐待のキャリアを再開した。

 これには無論、ふたたび告訴がなされたが、まぎれもなく…後にその申し立ての一部は取り下げられた──Ratzinger自身は、この2度目の事件の再発を知らなかったのだ、として──私はここに、ワシントンの前のバチカン大使館員で、子供のレイプ事件に関する申し立てへのカソリック教会の対応の怠惰さを早くから批判していたThomas Doyle司祭の言葉を引用したい…「ナンセンスだ」、と彼は言った。「法王ベネディクトはマイクロ・マネージャー〔最高経営者でありながら細かいことまで管理して、部下に裁量権を与えないタイプ〕だ。彼はオールドスタイルなのだ。その手の出来事については彼は必ず、すべてに関心を持ってきた。司教代理には、もっとましな言い訳を考えさせたほうがいい、明らかに彼は法王を守ろうとしているだけなのだ」

 これはよくある、菜園の野菜類のようなものなのだ… 米国の、オーストラリアの、そしてアイルランドのカソリック信者達がその子供達に対するレイプ、拷問、またそのことへの隠蔽──レイプ犯・虐待犯たちを教会区から教会区へ異動させることによる事実の隠蔽を──骨折り労苦のすえに包括的に暴露してきた、こうした人達にとってはお馴染みなことだ。これは最近になって、法王の実兄Georg Ratzinger司祭が行なった遅すぎた事実の承認のようなレベル…つまり1964年から1994年にかけて彼が経営していた聖歌隊学校における性的暴行事件について、彼は何も知らなかったが故に──今や彼は当時を想起し、そこで少年たちが手荒く扱われたことを遺憾に思う、と述べたというようなレベルの承認に過ぎない。

 さらにひどく深刻なのは、教会がJoseph Ratzingerを最高位に任ずる前に、彼がより大きなスケールで、正義の遂行の妨害に果たした役割だ。彼は枢機卿に昇進した後、「教理省(かつては宗教裁判として知られていた)」の担当者に任命された。2001年には法王ヨハネ・パウロ2世が、カソリック聖職者による子供のレイプ・拷問事件への調査を担当する自身の部門を設置していた。同年の5月にRatzinger は、全ての司教(bishop)たちに秘密の手紙を送り、そのなかで彼は司教たちに対し、ある犯罪の極端な重大性への認識を喚起した──しかしその犯罪とは、レイプと拷問を報告すること──であったそのような告発は…とRatzingerは詠唱するように語っていた…教会自身の排他的な司法権によってのみ対処すべきものだ、と。事件の証拠を法律機関や報道機関によって共有させることは絶対的に禁止される。そうした容疑は、最高度に秘密の方法によってのみ捜査され──永久的な沈黙によって抑制され──それらの厳重なる秘密は誰もが、聖なるオフィス(教皇庁)の機密とみなすべきで──「(違反者には)、破門の懲罰が課される…(斜体は筆者による)。未だに、子供のレイプや虐待に関与したとして破門された者はいないが、加害行為について暴露した者は深刻なトラブルにみまわれるかもしれない、という。そしてこれが、我々にモラルの相対性について警告を発する、教会のやっていることなのだ! (このLondon ObserverのJamie Dowardによる、2005年4月24日付のより驚くべき2つのレポートを見てほしい─)  http://www.guardian.co.uk/world/2005/apr/24/children.childprotection 
 聖職者たちを法から遮蔽するのみでは飽き足らず、Ratzingerのオフィスは自らによる私的な制限規則をもうけた。教会の司法権は…とRatzingerは書いた、「未成年者が18歳になった日から発効しはじめる」、そしてその後さらに10年間も(制限の期間が)継続する──と。Ratzingerとテキサスの教会を告訴した2人の犠牲者の弁護人であるDaniel Sheaは正確にも、この後者の規則が正義の遂行を妨げる、と描写した。「もし貴方が、事件の事実を知ることができないなら、貴方はそれを調査することはできない。もしもその事実を18年プラス10年間にわたり秘密にし続けることができたなら、聖職者たちはそれ(訴追)から逃れることができる」。

 この身の毛もよだつような訴訟一覧表の次のアイテムは、Marcial Maciel司祭──性的虐待は殆どキリスト教の典礼の一部だ、とすら唱えた過激な反動的団体「Legion of Christ」の創設者──に対する、長期的な訴追申し立てのリバイバルだ。この秘密教団の元上級メンバーたちは、彼ら申し立て人たちの主張がRatzingerによって90年代に黙殺され、無効にされたことを発見したのだ──まるでそれが、当時の法王ヨハネ・パウロ2世により、Maciel神父が「若者に効果のある指導者」と賞賛されていたお陰、だけでなされたかのように。そして今、この長期にわたる暗黒化(不明化)運動の成果をみるがいい。ローマ・カソリック教会は、最も不潔なる不正の隠蔽をかつてその任務としていた、ババリア出身の凡庸な官僚によって率いられているのだ…その男のその職務上の愚劣さとは、いまや彼が汚れた犯罪の波(連鎖)に個人的な責任、そして職務上の責任がある、ということを示している。Ratzinger自身は平凡な人物かもしれない、しかし彼のキャリアのすべてには邪悪のにおいがある──悪魔祓いの力では追い払えずにまとわりつく、システマチックな邪悪だ。今、必要とされるのは中世のまじないの呪文ではなく、正義の適用なのだ──それも、スピーディーな対応で。
http://www.slate.com/id/2247861/

Hitchens, Dawkins try for Pope's arrest
http://www.nationalpost.com/news/story.html?id=2790684&p=1

科学者のリチャード・ドーキンズと作家のヒッチンズは、今年9月に予定されている法王のロンドン、グラスゴー、コベントリー訪問中に英当局は法王を逮捕すべきだと主張、かつてサルマン・ラシュディやシェラレオネの国連法廷を弁護した敏腕弁護士 Geoffrey Robertsonに依頼していると発表──

*"God is not great"のヒッチンズと共に、司法当局にローマ法王の訴追を訴えたドーキンズは、英国の動物行動学者、進化論者──天地創造説やインテリジェントデザイン説などを強く批判している。
The pope should stand trial- By Richard Dawkins
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/belief/2010/apr/13/pope-prosecution-dawkins

Wednesday, April 21, 2010

日本の輝かしい孤立は、危険を冒している?/ Japan’s splendid isolation may be at risk-By David Pilling


日本の気分を、敏感に洞察しているかのようなFTの記事なのだが?

日本の輝かしい孤立状態は、危険を冒している By David Pilling (4/14, Financial Times)

 世界は日本との恋が冷め、日本はその他の世界との恋が冷めた。日本マニア(Japanophiles…この国の効率性の高さや、素晴らしい料理、優美で繊細な美などに抱く、もっともなリリシズムの感情を膨らませている者たち…)との討論はさておき─最近、この国について語られていることは、眉を吊りあげさせたり、穏やかな…抑え気味のあくびをさせたりする。投資家たちは、日本という国は株主価値という概念の金科玉条〔企業は株主のものとの概念〕…を受け容れたがらず、その株価も90年代レベルの4分の1の好況を回復しつつあるというだけで、好況だ…と言いたがる様な国なのだ、とみている。つまりそこでは、関心が喪失している… たとえば、ある東京をベースとする株式ブローカーは、より多くの顧客が彼の投資ノートを読もうとするように、「日本」という言葉をその表題から削除しては、というアイディアを弄んでいた。

 それはそうと、確かに日本は、外部世界に対しては陰鬱で無関心な孤立感(detachment)をもって眺めている。日本は、彼らが自由な資本主義市場への、よりワイドな認識を持っていなかったことを立証されたと感じ、さらにその輸出依存型の経済が、見境いのないそのライバル諸国よりも一層、急激に収縮していることに失望を感じている。その国は、勃興する中国が、まもなくその世界第2位の経済大国の地位を奪うだろうことや、中国が随分前に外交的・地政学的な持ち札で日本に勝ったということを、神経質な諦めとともに認識している。日本は、その旧植民地ながらもその産業界が彼らに追いつき、グローバリゼーションによって起こされる変化への社会の順応性もより高いことが広く証明された韓国をすらも、幾分かの羨望をもってみている。

 国内では硬直した自由民主党からついに野党が政権を奪取してから、わずか8ヶ月が経過し、幻滅感が起きつつある。新たなる明治維新との期待さえ抱いた人々もいたそのことには、大した霊感はなかったことが判明しつつある。そこでは既に、「革命」のリーダーこと鳩山幸夫が辞任するのではという囁きすらある。経済的には、今週、インフレターゲット政策を志向する与党派閥が結成されたにも関わらず、国のリーダーたちは、宿命論的なデフレの受容れ論ばかりを好んでいる。本当に、15年前後にわたる継続的物価下落は、幾人かが予測したようにさほどの危機は招かなかった。しかし名目GDPの減少は日本経済の相対的な低落傾向を、さらに勢いづけている。

 そこには重要な反作用のトレンドがある。アジア全域に旧日本軍が跳梁跋扈していた時期以外には、日本はある意味で、世界に繋がって(プラグ・インして)いた時期は殆どなかった。しかしビジネス界はその未来は海外にある、との結論に達した。野村證券はグローバルな投資銀行となるべく、リーマン・ブラザースのアジアとヨーロッパ部門を入札で仕留めた。第一証券はインドの医薬品メーカー、Ranbaxyを大胆な(高額な、という意味で捉えて欲しいが)国際的な急襲によって獲得した。

 日本文化の海外での影響力は恐らく、これまでになく大きくなっている。東京は10年前に比べてはるかに国際化している。首都東京は、国際便の何本かが今や成田の原野の空港からより便利な羽田への発着に変わりつつあり、よりアクセスし易くなっている。
 
 それでもなお、多くの日本人は厳かな(風格ある)国力低下と気取った孤立状態(stately decline and genteel isolation…)という認識に、より安らぎを覚えるようだ。日本で最もよく売れている本の一冊であるThe Dignity of a Nation〔国家の品格〕は、子供たちへの英語教育をやめて、国際間の交易からも手を引くべきだと薦めている。そのような過激思想まではいかずとも、多くの人々は調子の狂った(不調な)世界からは隔絶されて… 富や社会的礼節を保つ僻地であって何が悪いのか、と問うている。

 確かに、そこにはいくつかのアトラクション(誘引力)がある。この国は、例えば国際的テロリズムからは手をつけられていない。鉄道駅やオフィス、公的機関の建物でのセキュリティーが殆ど不在なことは─、日本以後の世界にとっては─過ぎ去った昔への魅惑的な回帰のようだ。この国は貿易摩擦も顕著に避けてきた。最近のリコール事件が起こるまでは、トヨタはデトロイトの破壊の一途な追及に、実質上フリーハンドを与えられてきた。日本は、巨大な貿易黒字と米国側の赤字の堆積が続くなかでも、中国を襲ったようなバックラッシュは経験していない。仕事や貯金へのアクセスをもつ日本人にとっては、デフレさえもが恩恵となる。「我々は静かに我々の豊かさを楽しんでいるのだ」とある満足した顧客はいった。

 日本は、そして輝かしく安逸な─羨望さえも抱かせる─耄碌(もうろく)(splendidly comfortable – even enviable – dotage)へと滑りこんでいく。しかしそのシナリオには、少なくとも2つのリスクがある。一つ目は経済だ。20年に亘り日本は預金によって財政赤字を補填することができた。その状況は永久に維持できるものではないかもしれない、特に高齢化が進んで預貯金額が減少した場合には。その公的赤字の総額は─国内で認められている総額は─国民総生産の180%に近づいている。マーチン・ウルフは、英国政府は4ポンド使うごとに1ポンドの借金をしている、と警告した。これは日本では子供の遊びだ…200円使うごとに、政府が100円以上借金をしているこの国では。

 2つ目のリスクは地政学上のものだ。日本は、粗暴な近隣国に囲まれている。周囲を囲む殆ど全ての国々との間で領土問題を抱えており、それらの国の多くは戦前の日本の侵略への憤りを維持して(あるいは維持することが有利であると発見して)いる。日本の最強の同盟国である米国との現状のシーソーゲームの最近の原因は、海兵隊基地をどこに設置するかの問題だ。しかし底に横たわる摩擦とは、ワシントンが、東京が一食触発の危険な世界にフルに関わることには気乗り薄なことからくる、長期に亘るフラストレーションから生じるものだ。しかしこれらのいずれも、日本の輝かしい孤立状態が受け容れられないことは意味しない。だが、それがスムースには運ばないだろうことも確かだ。
http://www.ft.com/cms/s/0/fb85d0a2-47f6-11df-b998-00144feab49a.html

*筆者のPilling氏はファイナンシャル・タイムスの現アジア部門エディター、2002年1月-2008年8月まで東京支局長とのことだ 
(*この記事は日経新聞に あまりぴんと来ない和訳ものっていたようだ─タイトルは:「孤立の日本」にリスクはないのか)

Monday, April 5, 2010

黒い未亡人(ブラックウィドウ)の謎掛け?/ The Black Widow riddle- By Pepe Escobar


3月29日、モスクワの地下鉄駅での自爆テロの犯人は、イスラム過激派の夫を殺された17歳と28歳の「黒い未亡人」だった─ <犯人が未だ特定されない3月末のコメンタリー> 

The Black Widow riddle ブラック・ウィドウ(黒い未亡人)の謎掛け- By ぺぺ・エスコバル (3/31, Asia Times)
 それは2人のチェチェンの「ブラック・ウィドウ(黒い未亡人)」だ── 黒い髪で、コーカサス系の顔立ち、25歳よりも若い。彼女らは、パキスタンのワジリスタンの部族エリアで、多くのチェチェン人やトルコから来たウズベク人と共に、Abu Hanifahに率いられたアルカイダのアラブ人によって訓練を受けてきた─中央アジアとコーカサス地方全域に、恒久的な大混乱をもたらそうというアルカイダの長期的計画の一部として。

 彼女らはパキスタンの部族エリアをバルチスタンに抜け、そしてイランのシスタン・バルチスタン県へと達した─アルカイダと、反テヘランのスンニ派グループJundallahの間の取引による恩恵を蒙りながら。イランからアゼルバイジャンには容易に抜けられるが、そこは既にコーカサスだ…そしてそこから南ロシアに出る。月曜日に、静かに2人のチェチェンの黒い未亡人…その匿名の者たちは、予告もなしに自爆テロ犯に身を転じ、そしてモスクワの地下鉄で39人を殺害し、64人を負傷させてshahidas(殉教者)となった。
 この身の毛のよだつ、Robert Ludlumのスリラーから抜け出たような陰謀計画にはひとつの問題がある。モスクワ-Af-Pakコネクションなど意味をなさないからだ。

俺が爆弾を作り、お前が自爆する

 「男の協力者(仲間)」という鍵はモスクワの地下鉄の監視カメラの証拠に支えられていた─当局は自爆テロに関与したと思われる男を特定した。もしも黒い未亡人たちがAfPak(アフガン又はパキスタン)で訓練を受けたのでないなら、明らかに彼女らはチェチェンで訓練を受けた。それはカリスマ的なイデオロギストである指導者、BuryatskyことAlexander Tikhomirovの仕業だった可能性がある。

 BuryatskyはロシアのFederal Security Service (FSB – 元の KGB)のコマンドーの手で、イングーシェチア共和国で3月2日に殺された。そのためこの2つの自爆テロは、復讐行為であった可能性もある。 Buryatskyは有名なDoku Umarov─何万何千人の支持者をもち、コーカサス北部を統合する首長国を実現してその支配権を握りたいと望む男─のNo.2だった。昨年、モスクワはロシア連邦の準自治領であるチェチェン共和国における対テロ作戦での勝利と、その終結を厳かに宣言していた。チェチェンのすべての反乱勢力のJihad戦士はもう墓石の下にいるようだ。

 いや、そんなに早く終わってはいない。先月、Umarovは全てのロシア人に向けたビデオメッセージで、「この戦争は彼らの故郷の地に帰ってくる」と警告を発した。そしてそれは起きた─モスクワの中心部で。そして故郷に帰ってくるのみならず、大胆にもLubyankaの地下鉄駅で─FSB本部の真下で起きた。

 クレムリンとFSBにとって、Buryatskyは2009年11月にモスクワとサン・ペテルスブルグを結ぶNevsky Expressの列車を爆破し、26人の死者と100人の負傷者を出した事件の首謀者; そして2009年6月の、自爆テロによるIngushetia共和国の大統領Yunus-Bek Yevkurovの暗殺未遂事件の首謀者だった。彼は30人の自爆テロリストを養成していた可能性がある。そのうち9人は既に死亡した。FSBは残る21人を死に物狂いで探しているが、彼らはロシア国内、おそらくモスクワそれ自体に居ると考えられている。

Shahidas(殉教者たち)の影絵芝居

 チェチェンの最初の”黒い未亡人"はLuiza Gazuyeva─彼女は夫を殺した犯人と信じていたロシアの軍人を2001年11月に殺害した。2001年遅くになっても未だに、悪名高いチェチェンの戦争領主Shamil Basayevは、Riyadus Salihin と呼ばれ、男女両方から構成されるShahidasの大部隊を組織した。Black Widow(黒い未亡人)たちは2004年まで一連の攻撃を行った。Basayevは、FSBによって2006年7月に殺害された。

 Alix de la Grangeはチェチェン在住のスイス人専門家だが、攻撃ラインをたびたび訪れてチェチェンの女性たちにインタビューをした。彼女は黒い未亡人たちがモスクワの自爆テロ犯人なら、彼女らは「明らかに狂信的な者たちによって薬を与えられ、操られていた。黒い未亡人たちは通常若く、夫や家族を殺され意気消沈しており、そして彼女ら自身に失うものは何もない。イスラム過激派にとって、彼女らを砲弾を抱える使い捨て要員とするのはたやすい。2002年のモスクワのDubrovka劇場での人質事件でもそうだったが、黒い未亡人たち自身はその計画には利害関係をもっていない」のだという。

 モスクワの爆破事件については、彼女らは「男の協力者(仲間)」によって遠隔操作で爆弾を爆破させられていた。しかしde la Grangeは、彼女らがパキスタンで訓練を受けたことはないだろうという。「彼女はそこに行く必要はなかった、彼女は自分のいる地域で必要なものは全て手に入れることができた。そしてチェチェンへの旅行は、国境での厳しい管理のためにとても困難だった」

 De la Grangが言うことは、2005年にジャーナリストのJulija Jusikが出版したLes Fiancees d'Allah〔アラーの婚約者たち〕という研究書の根拠となったのだが、それは女性自爆テロリストの家族へのインタビューで成り立っていた。黒い未亡人は基本的に絶望によって導かれており、アラーへの狂信的な崇敬などに導かれているわけではない。Jusikはまた、チェチェンの男たちはけして自爆テロリストにはならない、と書く。彼らは2001年の爆破事件のキャンペーンで、最初から女たちを用いた。彼女らが用いた爆薬は彼らによって製造され、輸送され、爆破されただろう…彼らはそれには気を使っていた。彼らは黒い未亡人たちを中毒状態(薬漬け、夢中)にさせた。そして彼らは、彼が託した爆発物をリモートコントロールで爆破したのだ。

 それがチェチェンの状況と、パレスチナやイラクの状況との違いの鍵だ。Diyala(イラクの県)では2008年に、16人以上の野心にみちたshahidaが逮捕されたが、彼女らのなくなった家族の男性メンバーの多くもまた自爆した者たちだった。そして米国では5年前に、ベルギー出身の白人女性、Jihad JaneことMurielが絶望からBaquba(イラク)で自爆テロを起こした。

 最初の女性による自爆テロは1985年に起きたものと信じられている。それは急進的イスラムとは何の関係もなかった。数知れぬケースのなかで、女性の自爆テロリストは世俗的だ─マルクス主義者の外見を装ったスリランカのタミール・タイガーや、トルコ領クルディスタンのクルド労働者党員などだ。

モスクワの隠された手
 モスクワはAf-Pakとは何のコネクションもない。アルカイダのゲームがKhurasanに首長国を作ろうとしていて(イランの地方県、Mashhadの西方地域でのように、)それが──再度言うが…中央アジアと東イラン、アフガニスタンの大半部分、そしてパキスタンの北部と西部を統合しようとしていた、といえども。

 FSBはアルカイダに言及せず──その代わり北部コーカサスでトランス・コーカサスの首長国を作ろうとしているジハード主義者たちをすぐさま、非難した。モスクワの地下鉄利用者たちが「コーカサスから来たテロリスト」のプロフィールには至極注意を払っていて、2人の黒い未亡人たちが如何なる疑いの念も抱かれないように、全身Dolce & Gabbanaで着飾っていたにちがいない──という事実に飛びつく者は、僅かしかいない。
 しかしそこには、もっと不穏な可能性がある。もしもこの事件がFSB自身の手で、虚偽の旗印の下に行われた作戦だっとしたら?

 De la Grangeはいかなる攻撃の拳も緩めていない。「2002年のDubrovka劇場においては、その時点でのモスクワでの全ての管理体制が証明していることだが、41人のチェチェンのコマンドーが武器庫から武器や爆薬を持ち出して、警察やFSBの何のチェックも受けずに彼らが車輌で市内を静かに通過したことはありえない」

 偶然ならずも、ウラジミール・プーチン首相が2000年3月に選出されたときにも、殆ど同じ言葉を述べていた。「チェチェン人を、我々はトイレに流してやる」と。彼は彼の諜報機関に、テロリストを見つけるため「下水道をくまなく掃討しろ」と命じたところだった。ロシアで最良の賢明なる科学者たちが、自爆テロはプーチンが、コーカサスの全域─チェチェンのみならずIngushetiaやDagestanの両・共和国に対する抑圧にもターボエンジンをかけるための助けになるだろう、と同意した。
 ことは今や切迫したものになっている。水曜日に少なくとも地方の警察官をふくめた9人の人々が、不穏なるDagestan共和国内で2つの爆弾により殺された。BBCは一発の車爆弾がKizlyarの町の内務省とFSB治安機関の地方オフィスの外で爆発した、と伝えた。そしてこれに、同じ通りでの2つ目の爆弾の爆発が続いた。

 De la Grangeはこのようにいう、「彼〔プーチン〕の行く手にはこの国の強い男(実力者)を演じるステージがさらに2年間ある─テロから国民を救う男として─それは大統領であり続けるための必須の条件なのだ。それゆえこの攻撃は、FSBとプーチン自身の手で組織的に画策されたか、または実行を容易に(幇助)されたものだった可能性がある。チェチェンの反乱勢力の前ではかつてトラブルの多い同盟関係があったが、イスラム過激派とFSBは常にそれを注視してきた。いずれにせよ我々が見るには、モスクワでの犯罪はほぼ全面的にプーチンと、FSBにとって益するものとなる。

 それなら、黒い未亡人たちはロシアの諜報部のために働いて、死んだのだろうか?そしてこれらの黒い未亡人たちが、他でもなく…幽霊だったとしたなら?
http://www.atimes.com/atimes/Central_Asia/LD01Ag02.html


*これはちょっと陰謀説的な記事。
*上写真・犯人のうち、Park Kultury駅で自爆した17歳のDzhanet Abdurakhmanova
と 彼女の夫とされ、昨年12月にFSBに殺害されたイスラム過激派リーダー、Umalat Magomedov
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8600563.stm
(BBC)Doc Uramovのビデオメッセージの動画あり


*上記の陰謀説を裏付けるような記事がネットに掲載された:
燻るプーチン首謀説-モスクワ地下鉄爆破テロ
http://megalodon.jp/2010-0415-2020-16/www.excite.co.jp/News/magazine/MAG18/20100405/153/
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11409
 ロシアでのテロ報道は独特だ。記者発表は限定され、当局(多くはFSB)が影響力のある メディアにリークする。そこが発信源になって次々にメディアにキャリーされ「筋書き」ができる。 その一方、現場の独自取材や内部告発で筋を疑わせる情報が発掘されることもある。
 今回も現場に立ち会った警察関係者の情報として、解析された駅の監視カメラに実行犯に付き添う「スラブ系の2人の女」が映っていたことが明らかになった。スラブ系は白色人種で ロシア人が主。カフカスにも少数いるが、過去のテロ事件からみて筋書きへの疑念も浮かぶ。
 昨年11月に起きたモスクワ発の特急列車爆破テロでも、現場から逃走した「スラブ系の男」が警察に手配された。FSBはこの情報を握りつぶし、カフカス系テロ集団の犯行と断定。 北カフカス地域のイングーシ共和国でも掃討作戦で容疑者らを殺害、拘束したと発表した。 目撃されたスラブ系は「見届け屋」と称される工作員ではないのか。
 スラブ系に限らずテロ現場に諜報機関の工作員とみられる人物が介在した例は少なくない。02年にモスクワの劇場で起きた占拠事件では、犯行グループの中にテルキバエフという人物が いた。FSBの突入作戦の直前に現場から逃走。後に、ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ 氏のインタビューに応じ、「特務機関(FSB)から送り込まれた」と告白した。
 この人物はロシア有力紙の記者証を所持し、政界の実力者ロコージン議員の側近という別の顔を持つ。正体は武装勢力を揺動するため組織に潜入したFSB工作員だった。この告白の翌年、不審な交通事故死を遂げた。
 学校占拠事件でも、ただ一人拘束された実行犯のクラエフ服役囚の裁判で、複数の人質が 「犯人には明らかにロシア人とわかるスラブ系の女がいた」と証言した。しかし、犯行現場から女たちは忽然と姿を消した。
 FSBや軍参謀本部情報総局(GRU)の特務機関が直接、破壊活動に手を染めなくとも、工作員の揺動で「武装勢力によるテロ」という主張がまかりとおる。
 こうした工作活動に、政権中枢がかかわったことを明らかにしようとしたのが、FSB元職員のリトビネンコ氏と、前述のポリトコフスカヤ氏だ。
 モスクワなどで発生した1999年のアパート連続爆破事件では、当時のエリツィン大統領を補佐したしたプーチン首相が、チェチェン独立派の犯行と決めつけ、第2次チェチェン戦争の口火を切って求心力を高め、自ら大統領への階段を駆け上がった。
 だが、対テロ戦の裏で、事件は意外な展開をみせた。アパート爆破未遂の現場で地元警察に逮捕された「スラブ系の不審者」がFSB工作員である可能性が高まった。この事件で、「プーチンに権力を掌握させるためFSBが爆破テロを仕組んだ」と内部告発したのがリトビネンコ氏だった。
 同じく、プーチン氏と旧KGB派の「謀略」を批判的に報道し続けたポリトコフスカヤ氏は、06年10月に自宅アパートで射殺された。翌月、リトビネンコ氏も亡命先のロンドンで放射性物質を投与、毒殺された。いずれも特務機関の関与が指摘される。
 今回の地下鉄爆破テロで、プーチン首相は、「テロリスト」を下水道から引きずり出す」と啖呵を切った。アパート連続爆破事件のときに、「テロリストは便所に隠れても息の根を止める」と発言し、国民の喝采を浴びた過去を意識したのだろう。
 さっそく、プーチン首相はテロ対策を強化するための法改正を明言。 …