Saturday, May 30, 2015

ボルチモアの州検察官、マリリン・モスビーの巻き起こす政治的旋風 Baltimore State’s Attorney Marilyn Mosby Is an Instant Political Sensation


 
(※前項:我々は知っている:何がフレディ・グレイを殺したのか?」のつづき)


フレディ・グレイ事件の州検察官、マリリン・モスビーが市の動揺を鎮める (5/2, NYtimes)
 
(冒頭略)父や祖父が警察官だったMarylin J.Mosby米国の大都市で最年少の州検察官の職に就く少し前に、黒人男性に対する国の犯罪司法制度のあり方に対しては厳しい見方を抱いていた。モスビーは、10月に母校のアラバマのタスキジー大学において行ったスピーチで、こう述べていた「マイケル・ブラウンが路上で警官に撃たれてから、78日が経過した」、「そして、エリック・ガーナーがニューヨークで警官に窒息死させられてから101日がたちNYの検死官が、それを殺人だと断定してから54日が経過したがいずれのケースも告訴には至っていない。」.

金曜日の朝モスビーは、それらとは別の独立したペースで手続きを進めることを表明した。フレディ・グレイを死に至らせた警官たちを告訴するとの驚くべき声 明は彼女を、全米のスポットライトのもとに正面きって晒して、全米各地で黒人男性に対する扱いの改善を求めている者たちのヒロインに押し上げた。しかし彼 女が余りにも早く動き過ぎるといった批判や政治的アジェンダを追い求めているといった鋭い批判の声も、多くの都市から上がっている。
35歳のモスビーの公的な肩書とはボルチモアにおけるメリーランド州検察官だ彼女には自ら、その町の問題の多いエリアで黒人として育った、という経験がある。ボストンのドーチェスター地域の学生として朝5時に起床して、裕福な白人地域へと1時間のバス通学をしていた彼女は、そこでは唯一の黒人の子供だった。 

Mos
byにスポットライトが当てられたのは、その職務に就いて4ヶ月目のことだった。11月に、彼女は警察の誤った行為を告発するとの強い訴えを発した結果、現職のGregg L. Bernsteinを破って当選したのだ。彼女の支持者の一人であるTawanda Jones〔彼女は兄弟のTyroneが警察との暴力的な争いで殺害されていた〕は、金曜日の彼女の声明を聞いて落涙した。

だが彼女に批判的な人々は、Mosbyの立ち回りは政治目的によるもので、そのやり方は拙速に過ぎ案件の進捗を損なう可能性がある、とも批判する。Grayの死から2週間もたたぬうちに、彼女が素早く容疑を宣言したことはボルチモア市を驚かせ、市の内外の法の専門家たちをも驚かせたなかには、彼女が不穏な情勢を鎮めようという願いから行動したのではないか、との疑いを抱く人々もいる。
警察による、マイケル・ブラウンの射殺事件(加害警官のDarren Wilsonは、告訴を逃れた)に言及して、「ファーガソンの事件で(司法当局が)すべての事実や細かな証拠を検討するために、いかに長くかかったのかを想い起すべきだ」と、ボルチモアの前・殺人事件検事(homicide prosecutor)のIvan Batesはいう。「告訴するのは簡単だが、有罪にすることは困難なのだ。」http://www.nytimes.com/2015/05/02/us/marilyn-mosby-prosecutor-in-freddie-gray-case-seen-as-tough-on-police-misconduct.html?_r=0

Marilyn J. Mosby金曜日にボルチモアの警官らの告訴を宣言(By Gabriella Demczuk, NYTimes
 
冒頭略)彼女に、警察への尊敬の念がないなどと考えるべきではない。Mosbyは、金曜日に彼女の母親も、そして、父親や祖父も警官だったと述べた。彼女の祖父は、マサチューセッツ州の黒人警官たちの、最初の連盟創立メンバーだったという。そうした歴史にもかかわらず、彼女はインタビューで、彼女自身が警官になることは一度も考えなかった、とも語ったのだ。 彼女は、未来の夫に出会ったTuskegeeのカレッジを修了し、2005年に学位を得たボストンのロー・スクールも卒業した後に、Mosby氏とともに彼の生まれ育った地のボルチモアに住むことを決意した。その地はボストンよりも物価が安く、彼らは、Reservoir Hillのうらぶれた地域の、ことさらに砂利に覆われた地所に家を買った。 
 
彼女は新居探しの道中を思い起してこういう「彼は築20年になる、屋根もなく、地面の真ん中から樹木の生え出た荒れ果てた空家を指さして、こう言ったのよ─”ここが、俺の住みたいところだって。」「そして、私はドラッグの青空マーケットや、路上のごみや、居並ぶ空家を眺めてこう言ったわあなたはクレージーだって」。

彼女は、2006年に州検察官のアシスタントとなる以前、ボルチモアの検察官オフィスで法務事務員として働いていた。彼女の被告人弁護をつとめるPettit氏は、彼女が頑固な、妥協しない性格だったと回想する。あるとき彼は、その行為が正当防衛だったと彼が信じている依頼人を、司法取引に応じさせようとしたという「私がみたものは、彼女が一寸たりとも譲歩などしない、という態度だったのだ」。

その後Mosby昨年、市の検察官に選出される前には保険会社Liberty Mutualの弁護士を3年にわたって務めた。彼女が民主党の予備選挙の場で、白人のBernstein氏に挑戦した際には、多くの人が彼女が敗北するだろうと予想したそして、彼女ははるかに多くの資金を投じたのだ、とPetit氏はいう。  メリーランド州のACLUの弁護士、Sonia Kumarは、家族にMs.Jonesのような警察官に殺された近親者を持つ)メンバーがいることはMosbyに票を投じるために〕投票に足を向けるか否かに。大きな影響を及ぼすものだと語る。  Kumarは、Mosbyに関して「彼女の行動とは、今日、彼女が誰なのかを示している」、ともいう。「何年ものあいだ、我々の市での、警察暴力による犠牲者たち(それは圧倒的に黒人である)は、愛する者たちのために正義を追い求めてきたものの、何も得られることがなかったこれは、歴史的な瞬間だ」。  

だが、Bates氏を含むMosbyの批判者たちは、彼女がGray事件のような複雑な案件を訴追するためには経験不足だ、とも指摘する。 警察の友愛会のボルチモア支部(Baltimore chapter of the Fraternal Order of Police)の長官である、Gene Ryanは、Mosbyが本件の利害に個人的な関わりをもっているとも非難する彼女は、Gray氏の家族の顧問弁護士だったWilliam H. Murphy Jr.の政治的支援をも受けていた、というのだ。彼は、彼女の夫の政治的な未来もまた、彼女と同様この件の行く末に左右されるだろうという。

金曜日にMosbyは、Gray氏の案件から手を引くべきだ、との勧告も拒否し彼女の夫に関して、「私は法を優先的に支持する。彼が、法律を作ってきたのだから」、と述べた。「そして、私は私の司法管轄地域における、いかなる訴追をも進める」と。

インタビューのなかで、彼女は市民と警察の間に長年、蓄積した緊張を見てきたといい、そのために困らされてきた、ともいう。ボルチモア市の戦争記念堂の前で行われた金曜の記者会見で、彼女は、ここ何週間かの出来事が彼女の心に強くのしかかっている、と明言した。
Mosbyの夫、市議会議員Nick Mosbyのインタビュー(Youtube)
https://www.youtube.com/watch?v=OWs2jTi16iI 
Baltimore City Councilman Nick Mosby tells Sky News he understands protesters' frustration 

Baltimore States Attorney Marilyn Mosby Is an Instant Political Sensation By Ben Mathis-Liley ボルチモアの州検察官、マリリン・モスビーの巻き起こす政治的旋風(Slate.com,) 

前半略)…35歳のMosbyは、検察官オフィスの仕事に選ばれこの1月に就任したが米国の大都市の、トップ検察官のうちで最年少とされる。ボストン生まれの彼女は、ボストン・カレッジの法学部に通う以前、アラバマのタスキジー大学の学生だった時期に、夫となるボルチモア・シティカウンシル(市評議会)の議員NickMosbyに出会った(木曜日には、彼自身もスターになりつつある、とNPRのラジオ番組によって報じられた。)彼女は、2006年から11年にかけてはボルチモアの州検察官のアシスタントとして働き、その後、リバティ・ミューチュアル保険会社の、「フィールド・カウンセラー」としても働いた。

この1月の「Baltimore」誌のインタビューは…Mosbygが、法の執行官たちと、彼らの奉仕する地域コミュニティとの信頼の重要性について抱いている信念を論じたそれは、彼女が金曜日におこなった、力強く、時に雄弁でもある記者会見の場でも語られていたテーマだ。彼女は語った「ボルチモア市警組織の人々へどうか、6名の警官に対するこれらの告発というものが、警察全体へのものではないことを知って頂きたい。私は、5 代にわたる、法の執行官の家族出身だ。私の父は警官で、母も警官だった。叔父や、叔母にも数人の警官がいる。最近、亡くなった最愛の祖父は、マサチュー セッツの黒人警官組織の創立者の一人だった。私は、こうした警官たちの行動が、警察と検察官の重要な、機能する関係性にダメージを与える事があってはなら ない、ともいい得る我々が、今後も継続して、ボルチモアの犯罪を減らすべく協力しあっていくために。」  
 
そして彼女はその発言を「市の若者たち」にむけた言葉で締めくくった 「この街の若者たちへ私はあなたがたに代わって正義を追及するつもりだ。今がその時なのだ今があなたの時だ、我々は平和的で生産的な(抵抗の)集ま りを催して、来たりくる世代のために構造的でシステム的な変化をもたらすことを確実にしよう。あなたがたはその運動の前線にいる、そして若者たちとしての 我々の時とは、今この時なのだ。http://www.slate.com/articles/news_and_politics/politics/2015/05/marilyn_mosby_is_charging_six_baltimore_police_officers_with_freddie_gray.html
 

Sunday, May 10, 2015

我々は知っている・何がフレディ・グレイを殺したのか?We Know What Killed Freddie Gray And a police badge shouldn’t hide the truth.


我々は知っている:何がフレディ・グレイを殺したのか?─ そして、警察バッジは真実を匿せない

金曜日の朝、ボルチモア州検事 マリリン・モスビーMarilyn Mosbyは、フレディ・グレイFreddie Grayの検死官による調査結果を発表した。報告書は明快だった。彼を死に至らせた首の損傷とはほとんど、頸椎が切断されていたも同然だったがそれは、 手錠をはめられ、警察のワゴン車に乗せられた際に、十分な安全確保がされなかったことによるものだった。

レイは、手頸と足首とを手枷足枷で拘束されて、バンが西ボルチモアを走り回るあいだ車内にうつ伏せの状態で放置されていた。車の走行中には少なくとも2 の警官が、グレイの状態をチェックする任務にあったが、彼らは彼の呼吸ができないとの訴えに対しても、何もしなかった。彼による訴えと「急速に悪化」して いく状態にも関わらず、彼にいは何の医療処置も施されなかった。最後に、警察署に到着した瞬間に彼は、心臓発作を起こしていた。

だが、それだけではない。Mosbyによれば、逮捕そのものが違法だった。警察にはグレイを拘束する理由はなかった彼は武器すら所持しておらず、警官たち が彼のポケットにみつけたナイフはスウィッチ・ブレード(飛び出しナイフ)ではなかったため、メリーランドの州法の下でも、所持は合法だった。「グレイ氏 は何の犯罪も冒して」いなかった。
つまりは、グレイは警察によって誤って拘束されて、致死的な怪我を負わされた。もちろん6人の警官[Officer Caesar Goodson Jr.Officer William Porter Lt. Brian RiceOfficer Edward NeroOfficer Garrett MillerSgt. Alicia White]らはグレイが医療処置を受ける必要があったことを知っており、彼が死ぬか深刻な怪我を負う可能性がある、とも知っていたが、彼らは何ら行動しないことを選んで、彼の運命を決定づけた。Mosby彼の死因は殺人であると述べた。それはボルチモア警察が出したメディア向けのプレス・リリースによる主張つまり、グレイは自死した、という見解とは決定的に対立する。

かくしてMosbyのオフィスは、この件に関与した者全員の容疑を提出すると宣言したGoodsonの容疑とは、第2級醜行謀殺罪(または人命に対する酷薄なる無視)、未必の故意による過失致死罪、第2級暴行罪、車両による過失致死罪、職権乱用罪だ。Porterの容疑とは未必の故意による過失致死罪、第2級暴行罪、職権乱用であり、Riceもまた同様の容疑と誤認逮捕によって拘置した罪に問われる。Nero Millerは第2級暴行罪、職権乱用と誤認逮捕による拘置罪に問われる。Whiteは過失致死罪に加えて、暴行罪、職権乱用と誤認逮捕による拘置罪に問われる〕。彼らのすべてが休職処分を受け、逮捕状が発行されている。こうした変化とはボルチモア警察への決定的な反撃となる。

ツイッター上で巻き起こったリアクションとは全くの驚きに溢れていたが、それには大きな理由がある。警察が、犯罪容疑に直面したことは非常に稀なのだ。Washington Post紙は、近年の警察による暴力事件の統計をこう報じている2005年以降に発生した、何千件もの死を招いた狙撃事件のうちでは、わずか、54人の警官が訴追されたにすぎない」と。そしてメリーランド州では、警察権力による「正当化される殺人」が高率で発生しており、市民が死亡した場合でも、警官たちが犯罪容疑で訴追された例は2%以下なのだ。いや、グレイの死は狙撃による死ではないが彼らに対する容疑の提出とは従来のパターンへの挑戦ともなる。

警官らに対する容疑とは法に則ったものだ。人々はボルチモアのリーダー達が持つ視力というものは無視し得ない、ともいう。Mosbyとは黒人だ警察のコミッショナーのAnthony Battsも黒人で、市長のStephanie Rawlings-Blakeも黒人だ。こうして描写される代理人たちも、これまで、市に巣食う問題を解決してはこなかっただがFerguson ような都市のリーダーシップに比べれば、彼らがその選挙民たちとの間により密接な繋がりをもち、コミュニティーの動きに対してより一層の采配を揮う可能 性はある。抵抗デモや暴動や一般市民のあいだの不満(先週までに、ボルチモア市民の間でそれを耳にするのは容易だった)が渦巻いている、不穏さのただ なかで、警官らへの容疑取り下げが、危険を招くということを担当官たちは判っていた。

容疑が全うされる、との保証はない。シカゴでもRekia Boyd、という男性が銃に手をかけたと信じて人々の群れに向かって発砲して、Boydを殺害した非番の警官は、未必の故意による過失致死罪に問われたものの容疑は取り下げられたのだ。しかし、警察の暴力をめぐる問題が信頼性の問題であるなら、今回の容疑の提出とは、次の動きがどうなろうと重要だ。
ボルチモア市は、これらの警官らによる行為が誤てる行為だったのだ、と多くの言葉を連ねて述べた。Freddie Grayの生命が重要で、彼の死が起こるべきことでなかったならば、あなたのつけた警官バッジとは、あなたの負うべき責任を否定するものではない。
 http://www.slate.com/articles/news_and_politics/politics/2015/05/marilyn_mosby_is_charging_six_baltimore_police_officers_with_freddie_gray.html
 

How to Hold the Baltimore Police Accountable  
Editorial/ ボルチモア警察の信頼性を保つために (5/1, NYtimes)

今朝、ボルチモアの州検事Marilyn J. Mosby…Freddie Gray.に対する過失致死罪と職権乱用罪の容疑で警官たちを訴追するとのサプライズ・アナウンスメントを発した(中略)
Gov. Larry Hogan of Maryland
曜日に起きた暴動の只中で、メリーランド州知事のLarry Hoganは今週、州議会に提出する筈だった数件の議案への署名を遅らせることを強いられていたその議案とは、ボルチモア市のみならず、州全体におけ る警察の信頼性を改善して市民による監視を高めることを目的とした議案だった。警察の暴力によって暴動が誘発されたという状況のなかで、Hogan氏はこうした議案へと立ち戻って、それにできるかぎり早急に署名すべきである(中略)
 若い黒人青年、Freddie Grayの死が暴動を誘発してから数日間にボルチモア市が警察暴力が多くの人々の生命を奪ってきたという由々しき歴史を持っており、それが州政府と住民とのあいだの信頼も損ねてきた、という事実が広く知れ渡ってしまった。だが、警察権力に調査の手がはいらないのはこのメリーランド最大の都市に限ったことではない。メリーランド州の米国自由人権教会(The American Civil Liberties Union of Maryland)はこの3月に─2010年から2014年までの期間において、全米を対象に調査した報告書を発信した(後略)
  http://www.nytimes.com/2015/05/01/opinion/how-to-hold-the-police-accountable.html?_r=0



 

Monday, January 12, 2015

各メディアるによ’パリの週刊誌テロ’へのコメント―The Charlie Hebdo Massacre in Paris 

(日本人にとって理解できない欧米紙コメントが氾濫した中で
比較的理解できるコメントを幾つか収集)*このblog記事は一時フランス人のアクセスが急増した
 The Charlie Hebdo Massacre in Paris 
事件に対する1/7のNYTのエディトリアル
フランスの風刺週刊誌、パリのCharlie Hebdoシャルリー・エブドに対する水曜日の暴力的なテロ攻撃は、フランスをひどく揺り動かした。しかし、フランス人たちは激烈な決意をかためて、彼らの自由を守るためにリアクションを起こした。12人の人々が殺害された2時間ほど後に、雑誌社のオフィスの外側でスピーチした大統領フランソワ・オランドの意志とは、きわめて明瞭だった─これは「表現の自由」への攻撃だ…それは共和国の精神spirit of the republicなのだ…と。
…中略…
 シャルリー・エブドのエディターやジャーナリスト、漫画家たちは論議を醸すことの喜びに耽って、神経を逆撫ですることを愛好していた…同誌のエディトリアル・ディレクターで(攻撃によって殺された)ステファーヌ・シャルボニエStéphane Charbonnierは同誌のトレードマークの風刺をトーンダウンさせよ、という指摘を受けてもすべてを鼻で笑って却下したのだ。彼にとって表現の自由とは、人の気分を害する(offend)権利を必要とするもの以外ではなかった。そしてシャルリー・エブドとは、平等な機会による攻撃者(equal-opportunity offender)でもあった─ムスリムや、ユダヤ人や、キリスト教徒─あらゆる流派の政治家たちは勿論─が道化じみた低俗なカリカチュアや、漫画の題材にされて、全てのホットなリンクボタンというものを歓喜とともにクリックさせた─

2006年にはシャルリー・エブドは、元々デンマークの新聞に掲載されて問題になっていた預言者モハメッドの漫画を掲載した。2011年に同誌のオフィスは重火器による攻撃を受けた─ゲスト編集者によるスペシャル・エディションを刊行した翌日に─。その特集では(預言者)モハメッドに、「シャルリー・エブド」という(誌名)を「シャリア・ロー(Shariah lawイスラム法)」という言葉のフランス語訳による言葉遊びのようにも呼ばせていた。同誌の水曜日(テロ事件当日)の号の表紙とはフランスの小説家、ミシェル・ウールベックMichel Houellebecqをからかったものだった彼の最新の作品といえば、2022年にフランスがモスリム国家となるというイマジネーションを描いたものだ。

人々のなかには、シャルリー・エブドが、イスラム原理主義者たちの怒りをあまりに頻繁に煽っていた、という者もいる─まるで、冷血な殺人がその雑誌を刊行した代価であったかのように。虐殺は、憎悪を動機としていた。テロリストの攻撃を避けるための方法が、テロリストたちが民主主義の基準を専制支配することに繋がる…など示唆することは馬鹿げている。 


また…いまこの時というのは─外国人嫌悪(xenophobia)を売り歩いているような者たちに、テロリストの言うがままになって全てのムスリムたちの名を汚させるべき時ではない。反移民・反ムスリムの恐怖心を焚きつけて、政治的な利益を得てきた国民戦線のリーダーMarine Le Penが、直ちに「イスラム原理主義」についての「否定と、偽善性」などを語って政治的アドバンテージを得るなどということがあるならばそれは恥ずべき事だ。 

2001年)911日の攻撃の直後にLe Monde紙の社説、こう宣言していた─「我々は皆、アメリカ人だ」、と。フランスでは「我々は皆、シャルリーだ」、「私はシャルリーだ」といった言葉が─シャルリー・エブドの犠牲者たちとの連帯を示す言葉としてネットを席巻しつつある。この攻撃は、すべての地における、言論の自由への攻撃なのだ。水曜日には、パリのアメリカ大使館がそのメッセージをSNSにも投稿した 

http://www.nytimes.com/2015/01/08/opinion/the-charlie-hebdo-massacre-in-paris.html

Why Charlie Hebdo attack is not about Islam
 シャルリー・エブドへのテロ攻撃とはなぜ、イスラム教の問題ではないのか By Mark LeVineUCLAの中東史教授) Al Jazeera英語版 

(過去にアルジェリア、ビアフラ等の国々でフランス欧米諸国が行使した植民地政策に伴う何百万人もの虐殺─それが今日のボコ・ハラムのテロの淵源なのを欧米人は忘れている─欧米のイスラム世界への歴史的な罪をシリアスに論じて展開した挙句に筆者は論じる) 
前略)「ラディカル(急進的)なイスラム主義とは今日、ラディカルな資本主義のミラー・イメージとしての道を開きながら、暴力のみを用いて我々にショックを与える。何故なら我々自身がそれを解き放って…我々自身の名モラル的にも政治的にも目に見えない形長らく支持してきたからだ。 

世界の主要な大国は長年、ローカルな独裁者たち(彼らのイデオロギー的な傾向がどうあろうが─)おもねってきた。しかし石油や武器・金融・重工業の取引を通じて、何十兆ドルもの金を循環させながら、欧米諸国の政府とアラブの石油大国とが関係強化を図っている…現状というものは歴史上にも例のない状況だ。 

ネオ・リベラル主義とジハード主義とは実際、ハッピーな添い寝をする関係にある─イスラム原理主義者と、世俗的なフランス人の男がキスをしている「シャルリー・エブド」の有名な表紙とは、流行を追うヒップな者たちというよりも銀行業者を描写していたのかもしれない。※http://www.vox.com/2015/1/7/7507729/the-satirical-cartoon-cover-that-defines-charlie-hebdo(*2011年)

この両者とは急速に非・民主主義的な傾向へと傾いており─富や権力の集中を支持して、暴力や戦争を行使して操作可能なレベルのカオス(混沌)を維持している─それによって、彼らは石油価格を高値に保ち、素敵な武器や、さらに素敵な不動産などに石油マネーを循環させて、彼らの強みを発揮している。
 
世界のトップ武器商であり、「スーパー・パワー」石油会社の本拠の一つ「Total」としてフランスはそのダイナミズムの中心であり続けてきた。フランスの長期的クライアントの一つが、シリアのアサド一族だったことも驚きに値しない─アサド一族が、その国民の合法的、かつ正当な民主制への望みを拒絶したことが、恐ろしい内戦を生じさせて、その暴力と無法状態がアル・カイダのバージョン2.0というものを成長させる完璧な培養皿となった

従来からよく実証されつつ、今もなお継続する─フランス国内でのアラブ系モスリムやアフリカ系移民の広汎なコミュニティに対する、構造的なレイシズム─とは今もなお、「横行」している─それは、人々のおかれた貧困や、疎外が多くの犯罪や麻薬の問題、投獄や原理主義化を引き起こしている大都市郊外の貧困地域のみならず、パリの街角での大量虐殺をも引き起こしている。 左翼紙リベラリオンの最新号などの新聞が「ヨーロッパのリーダーたちは、この攻撃にショックを受けている…」などと書くときの彼らのナイーヴさには、許容しがたいものがある。

…ショッキング? 
ムスリムのあいだに東ナイジェリアやパリの東部で殺人やレイプ、略奪などを勝手放題に冒すサイコパスたちが生じたということは 「自由」や「平等」、「フラタニティ(友愛)」の故郷だった筈のフランスが何十億ドルもの武器を売り、そうした価値観とは正反対の国々に政治的・外交的サポートを与えていた事実以上にショッキングだとはいえない。(そうした国々といえば─例えば)米国は無人機で何千人もの市民を殺害して何万人もの人々を通常兵器で殺害しているが…それは彼らが敵だとの前提にするテロリストとも同様に非情なものだ…。イスラエルは1500人のパレスチナ人を米国・ヨーロッパの完全な黙認のもとに殺害した:あるいは、シャルリー・エブドを非難したイスラム諸国の政府のほとんど全てが(全て欧米の支持の下に)恒常的にアーティストや活動家たちを同誌よりもはるかに穏健な表現のために投獄したり拷問している。

レバノンの漫画家Karl Sharro Karl reMarks)は指摘する─シャルリー・エブドに対する暴力とは、イスラム自身に関するものではない─それは現今の世界のシステムに対するものだそれはイスラム教や他の信仰のシステムのなかに存在するいかなる誠実な価値観も(…また同様にリベラルな資本主義の価値観も)轢き潰すことに特に長けたものだ。過激な資本主義と過激な宗教というものは抑圧された者たちとの間にネクロポリティックス(※)を形作づくってきた…それは彼らのローカルな政府と欧米諸国政府のあいだのネクロポリティックス─それらが強要してきた抑圧と暴力のミラー・イメージのごときものだ※国家の主権や権力が人々の生命や生死を支配する関係 

水曜日にその親しい友人の大半を失ったシャルリー・エブドの元・エディター、Philippe Valは…「我々の国はもう二度と、これまでとは同じ国ではない」と嘆いて─フランスのムスリムのコミュニティに向かって虚無的なテロの災厄に対抗して「我々と共にあってほしい」と呼びかけた。しかし、ムスリムたちというのは…フランスというものの何に本当に属しているというのだろうか?そして少なくとも「パンと尊厳と社会的正義」(…今や、遠い過去となったアラブの春のキャッチフレーズを引用するなら)のほんの一かけらを与えてくれる近代性(モダニティ)にむかって…一体いかなる(どの)イスラムが彼らを力づけられる、というのだろうか?

 シャルリー・エブドが、我々に想い出させるのは現代世界の政治・経済・社会・テクノロジー的なカオスの度合いが増して、不快さが拡大するにつれ…何十年にもわたって我々の頭上に及んできたバックファイヤ(反動)だ

  http://www.aljazeera.com/indepth/opinion/2015/01/charlie-hebdo-islam-cartoon-terr-20151106726681265.html
 
シャルリー・エブドの最も有名な表紙は、同誌がなぜ重要だったのかを表わす(By Max FisherVOX.com
前略)そのなかのいくつかはイスラム原理主義をからかい─彼らはしばしば預言者モハメッドの肖像も掲載する─実際、そのこと自体が多くのムスリム(過激派だろうと、なかろうと)にとっての侮辱であり、深刻な宗教的違反行為とみなされている。 
しかしそれでもシャルリー・エブドとその代表的漫画作家(その多くが攻撃で殺害された)たちにとって、それを反・イスラムとか反・宗教的雑誌だと描写することや、それが「挑発のための挑発」を行っていたと描写することは酷い仕打ち(disservice)だといえる。
シャルリー・エブドの漫画家たちは彼らの漫画によって、その(雑誌の)主張のポイントを表現している。それは完璧に要約することができる─その最も有名な表紙の一つ201111月のもの)とは最初に目にしたときの印象よりも、ある種のより一層微妙な(subtle)要約が可能なものだ。そのタイトルとは「愛は憎悪よりも強し」だった。 

その表紙ではシャルリー・エブド(その雑誌は、耳の後ろに鉛筆を挟んだ一般的な男性スタッフの姿で描かれている)が、一般的なムスリム男性にキスをしているの背景とは、煙が燻り灰塵に帰したシャルリー・エブドのオフィスだ。 
そのコンテクストとはこうだ─同誌は(当時において)、最近「"guest-edited by Mohammed"(預言者ハメッドをゲスト編集者に迎えて編集した)」と称して、表紙にモハメッドの肖像の漫画を描き、そこには「あなたが笑い死にしないなら、鞭で100叩き」…というコピーを添えて内容ページにも、同様の記事を掲載していた。同誌にとってはそのような漫画の掲載とは初めてというには程遠かった。だがそれに対する返答として、正体不明の攻撃者がシャルリー・エブドのウェブサイトをハッキングし、オフィスを火器で攻撃した。 
同誌を批判したのはイスラム原理主義者だけではなかった。フランスの熱心な世派の政治家さえ、こう問いかけた─同誌の記事はやり過ぎだったのではないか?と。フランスの外相Laurent Fabiusはその漫画について、「これは本当に火に油を注がないためのセンシブルな、あるいはインテリジェントなものなのか?」、と問いかけた。 

それは、実際に、そうだった─シャルリー・エブドの主張のひとつは、こうしたタブーを遵守することが彼らの検閲の力を強化することになる、というものだった。さらに悪い事には、過激主義者たちが会話の限度を設定することを許すのは、彼らの前提に実効性をもたせて、奉ることにつながる…言論の自由と宗教は根源的に(元来)、対立するものだと(それは実際には、そうではない)といい…そして、そこにはイスラムと西欧の文明的な対立が存在すると(そこには、そんな対立はないが)といった主張を行った。 
しかし─そこにはまた、イスラム嫌いやレイシストたちの交わす論議もあった(特に、北部や西部のアフリカから来るムスリム移民たちへの憎悪が深刻化しているフランスにおいて)。

そして─すなわちそれが、シャルリー・エブドの「愛は、憎悪よりも強し」という表紙が、同誌のしばしば誤解されるミッションやメッセージをよく捉えている、(まさにその)理由だった─そうなのだ、その二人の男たちの涎を垂らしたキスというのは、確かにどんな保守的なモスリムだろうと(たとえ、彼が同性愛者であっても)苛立たせる為のものだったろうが─それはまた過激主義とか非寛容な態度といったものよりも、ムスリムやイスラム自体が敵対者なのだといった考えに対する攻撃でもあった(とされた)。
攻撃から生き残ったシャルリー・エブドのスタッフ、Laurent Léger2012年に、CNNに対しこう語っていた─「目的とは、笑うことだ。我々は過激派たちを笑いたい─すべての過激派たちを。彼らがムスリムだろうとユダヤ教徒だろうとカトリック教徒だろうと。誰でも宗教信者でありうるが、しかし、我々は、過激な考えと行動というものは受入れられない。」

What is Charlie Hebdo? 
 
Charlie Hebdo1970年創刊のフランスの風刺週刊誌(1981年から1992年までは長期の休刊期間があった)で、あらゆる種類の対象(特に宗教─なかでも、特にイスラム教)をからかうことで知られている。 
誌名は"Charlie Weekly"の意だが、誌名の由来には2説ある。何十年も前に、Hara-Kiriという名の雑誌("a stupid and nasty magazine"というサブキャッチを付した)が、シャルル・ド・ゴール(元大統領)の死去を風刺して、そののち倒産した。同誌のスタッフのうち何人かがCharlie Weeklyをスタートし、彼らはCharlieという名がド・ゴールへのnodだとも語っていた(別のスタッフのなかにはそれを否定して、同誌が風刺漫画と共に掲載していたPeanutsの漫画のキャラクター、Charlie Brownの事だという者もいた)。 
 
シャルリー・エブドの編集長、Stéphane Charbonnierは今回の攻撃で殺害されたが─2012年には、同紙の位置づけを「左翼、世俗主義で、無神論主義だ」と語っていた。 
同誌はその挑発性と、汚らしい(raunchyな)漫画やイスラムに関連したカリカチュア(風刺画)で国際的にも有名になりそこにはモハメッドの肖像画も含んでいた。多くのイスラム教徒はそうした肖像化を深刻な侮辱、宗教的な攻撃行為と捉えた─シャルリー・エブドはこれを、彼をしばしば風刺画にすることによって否定したが、そのなかでは、少なくとも1回は彼をヌードにし、かがませているものがあった。 
しかし、その新聞はローマ教皇をもからかっていた(法王ベネディクト14世がコンドームを手にして「これは私の体だ!"This is my body!"」と叫んでいる漫画だ─そして他の漫画では、フランスの過激な極右政党、「国民前線」(党首のMarine Le Penを当時、反・ユダヤ的な暴言でニュースになっていたジョン・ガリアーノのファッション・モデルにし、バチカンの衛兵を抱擁させているというもの)、そして、最近ではフランス大統領のFrançois Hollandeをも風刺していた。 
同誌の発行部数は、週におよそ5万部だ(同誌よりも知名度の高いライバルの風刺メディア、Le Canard Enchaînéは、それに比べて50万部だ)─そして、しばしば財政的な苦闘状態にあった。201411月には、存続のための寄付を募っていた。

 
Counter Punch誌(筆者はムスリムの有名評論家、タリク・アリ)

Maximum Horror by TARIQ ALI
 (抜粋)
…シャルリー・エブドのフラタニティーを─我々は、それを忘れるべきでない…攻撃のあった日にはウールベック(Houellebecq)の風刺画を表紙にしていた。その出版の自由に対する擁護(それが惹き起す結果を無視した)というものは一つのポイントだが、自由放埓なイスラム嫌悪症の犠牲者となっている人々を、レギュラーにからかいの対象にしている風刺新聞を神聖化する、ということは(彼らへのテロを正当化するのと同じほど)愚かしいことだ。その片方が、他方を益することになるからだ…
 
(アラブ世界のネットを席圏していたというイメージ)