ダウザットのコラムは、エジプトの現状に対するアメリカ人の心情をよく表している様だ
我々のよく知る悪魔 By ロス・ダウザット (1/30, NYタイムス)
世界がホスニ・ムバラク後のエジプトの運命について思案をはじめた今、アメリカ人はこのことを考えるべきだ:もしも、ムバラクが独裁者として30年間エジプトを支配していなかったなら、世界貿易センタービルは今でも建っていただろう。このことはムバラクの政権がずっとアメリカの不動の同盟国であって、我々にとっての反テロ戦略におけるパートナーであり、イスラム過激派の仇であっても、なおさら真実だ。あるいはより適切にいうなら、彼の政権がこれらすべてのものであるから真実だ。
ローレンス・ライトは、そのアル・カイダの歴史を描いた著書、″The Looming Tower” のなかで「アメリカの9月11日の悲劇は、エジプトの刑務所のなかで生まれた」と書いていた。ムバラクは、エジプトのムスリム同胞団の収監を訪ね、彼らに拷問や国外追放を課して、彼の国でイスラム革命が起きるいかなる可能性をも排除してきた。しかし彼は同時に、彼の国のイスラム原理主義者たちが過激化し国際化することをも助けてきた。オサマ・ビン・ラディンの第一の副官で、おそらくはアル・カイダの影の本当の頭脳、アイマン・アル・ザワヒリのような男たちをエジプトの政治の外に押し出し、グローバルなジハードのなかに追いやることで。
同時に、ムバラクのワシントンとの関係は、ジハーディストの抱く世界観にも常に正当性を与えてきた。彼の支配下のエジプトは、イスラエル以外のいかなる国よりも多額のアメリカドルをアメリカから受け取って来た。多くの若いエジプト人たち…政治的・経済的停滞の最中でも気ぜわしい彼らにとっては、彼らの独裁者を憎むことから、その独裁者のアメリカのパトロンを憎むことに転換するのはほんのひと飛びの跳躍でしかない。こうした跳躍をした一人の男とは、建築科の学生でMohamed Attaという男、つまり世界貿易センタービルにアメリカン航空の11便が激突したときコックピットにいた男だ。
これらの事実はムバラクの身に起きそうな失墜を、そしてアメリカにとって、彼の何十年もにわたるくすんだ抑圧的政権とのもつれ合いを終わらせることを歓迎する、よい理由のようにも聞こえる。だが不運にも、中東の政治がそんなに簡単だったことは一度もない。アメリカはムバラクを長らく支持してきた、なぜなら二つの相互に関連した怖れがあったからだ:それは新たなホメイニの出現と、新たなナセルの出現だ。この二つの懸念は今日でも完全に正当化されるものだ。
最初の怖れについては誰もが理解する、なぜなら我々は… 現在カイロとアレキサンドリアを席捲している革命ともよく似た自発的に起きた革命の余波のなかで、アヤトラ・ホメイニが1979年にイランに打ち建てた宗教的独裁政権と、今もなお共に居るからだ。
二つ目の怖れはそこまで共鳴しやすいものではない─何故ならガマル・アブデル・ナセルは今や40年間その墓のなかにいるからだ。しかし、ファラオの国が腐敗した政権を最後に倒したのは1952年であり、ナセルはその便益の享受者だった─そしてワシントンは彼が権力の座についた日のことを後悔している。
ナセルは、イスラム原理主義者ではなかった:彼は世俗的な汎アラブ主義の社会主義者であり、そのことが彼を歴史の最前線に押し出したようにみえる。しかし彼の影響下において、エジプトは中東政治を不安定化させるアグレッシブな勢力になった。彼のアラブ世界統一の夢は、レバノンからイラクにいたる大動乱とクーデターをもたらした。彼はイスラエルと二度の戦争を戦い、そしてイエメンへの破滅的な介入をした。彼の軍隊はその紛争で毒ガスを使用したと訴えられたが、これはサダム・フセインの行った国内戦略の陰鬱な予兆だった。そして彼による大陸間弾道弾の開発は、今日のイランの核開発をめぐる瀬戸際政策の衣装リハーサルのようで、その兵器開発計画の弱体化のためイスラエルが密かなキャンペーンを行うことでその類比も完璧だ。
ナセルについての記憶は… もしもムバラク後のエジプトが宗教独裁政治に陥らなかったとしても、それが未だにいっそう反米的な方向へと急激に傾く可能性が高い…と想起させる。アメリカにとっては、ムバラク時代のような静止的均衡状態(それがテロリズムの誘発を助けていたような状態)よりもいっそう、ポピュリズムとナショナリズムに支配されるエジプトがもたらす長期的結果の方が好ましいかもしれない。しかし再び言うが、その結果はこれまでよりも悪くなるかもしれない。どのドアの背後にも悪魔が潜んでいる。
アメリカ人は、このことを認めたくない。我々は外交戦略のシステムのなかに避難壕(refuge)を設ける:リベラル主義的なインターナショナリズムや、リアルポリティーク、ネオコンサーバティズム、あるいは不干渉主義、などだ。我々にはセオリーがある、そして現実がそれらのセオリーの後ろに一列に並ぶことを期待する。民主主義を支持せよ、そうすれば、安定状態はそれ自体の安定化に対して心を配る。干渉するな、そうすれば誰もあなたに干渉しない。国際的な制度組織が平和を維持するだろう。いや、バランス・オブ・パワーの政治がそれを行うだろう。
しかし、歴史は我々すべてを笑い物にする。我々は専制君主たちと取引したが、それはテロリズムの旋風という収穫をもたらした。我々は民主主義を推進したが、その結果、イラクからパレスチナに至る地域でイスラム原理主義者たちが力を得るのを見た。我々は人道的な介入に飛び込んで、そしてソマリアで流血の事態に遭った。我々は手を引き、そしてルワンダをジェノサイドが包囲するのを見た。我々はアフガニスタンに介入し、そこを後にした、そしてタリバンが権力を奪うのを見た。我々はアフガニスタンに介入してそこに留まり、罠に捉われ終わりの見えない状態となった。
遅かれ早かれ、セオリーというものは常に失敗する。世界はそこでは余りにも複雑すぎ、そして悲劇的すぎる。歴史は上昇する弧を描くが、多くの危機は未知というものに対して未知を秤にかけるよう要求し、相い競いあう悪魔のどちらかを選ぶよう要求する。
エジプト人が彼らの国の未来のための闘争を見ながら、我々の抱ける唯一の心の癒しとは、その選択がアメリカ人の行う選択ではないということだ。
http://www.nytimes.com/2011/01/31/opinion/31douthat.html?_r=1&scp=1&sq=Davils%20we%20know&st=cse
*エジプトの英雄ナセルのことをここまで悪くいうのは少し驚かされるが、西欧人の意見としてはよく聞かされる
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