Tuesday, June 16, 2009

イランの騒乱の原因とは/Class v. Culture Wars in Iranian Elections: Rejecting Charges of a North Tehran Fallacy by Juan Cole


 '都市のアッパーミドル層 vs 農民・労働者の支持層 ' なのか? イランの選挙に関して、在米「中東工作員」コールの禿頭ブログから

イランの選挙における文化 vs 階級の戦争:
「北部テヘラン」に対して宣告されたほら話の拒絶(6月14日 by ホアン・コール)


西欧メディアの記者たちがアフマディネジャドの勝利にショックを感じた理由は、彼らが北部テヘランの富裕層の地域に取材ベースを構えていたのに対して、イラン国民の多数派である農民や労働者達がアフマディネジャドを熱心に支持していたからだ、と評論家たちはいう。それは再び我々が、このグローバル・サウスと呼ばれる労働者階級中心の国で、アッパー・ミドルクラスの報道と期待感とに騙され、犠牲となったことを意味する。

そのような動きは存在したのかもだが、その分析はイランにおいては間違いだ、なぜならそうした分析は階級や物質的な要素に注意を払いすぎて、イランでの文化的戦争に焦点を当てていないのだ。我々は1997年と2001年に、すでにイランの女性と若者たちが、曖昧ではっきりしない文化大臣だったモハメド・ハタミと彼の第2次Khordad movement(ホルダッド運動)を背後で支持し、そして彼が大統領の座を得て…、2000年には議会を掌握したのを観てきた。

ハタミは1997年に、70%の支持票を獲得した。彼は2001年には数多くの競合者たちのなかで、78%の支持を得た。2000年には彼の改革運動が65%の議会議席を獲得した。彼はよい男だった、だが彼のことを組合運動の男、とか農民たちのスターだと言うのは不可能だ。

過去10年余りの短い期間に、イランの有権者たちは個人の自由の拡大に関心を高め、女性の権利拡大、そして文化的な表現の自由のより広範な合法化への関心を高めてきた(高級文化だけでなくイラニアン・ロックミュージックなどに関して。)しかし保守強硬派の過激なピューリタン主義は、人々の望みをすり潰した。

90年代末から2000年代の初めの改革派たちにとっての問題は、彼らが選挙で選ばれ、大統領職を押えたのにも関わらず、実質的にはあまり多くをコントロールできなかったことだ。重要な政府のポリシーや法的規則の決定権は、選挙で選ばれていない政府の宗教政治家達の手にあった。強硬派の神権政治家たちは、改革派の機関新聞の発行を差し止め、改革派の決めた法令を無効にし、社会的・経済的な改革を妨害した。ブッシュ政権はハタミが、彼の改革政策の実行による外交上の、また海外投資等の分野でのいかなる成功の手ごたえも祖国に持ち帰れないように彼を“干した”。そのようにして2004年の議会選挙では、文字通り何千人もの改革派の候補者たちが選挙から締めだされ、立候補を阻まれた。誰が立候補できるかに関してのこうした強硬派のリトマス試験によって、当然ながら強硬派ばかりの議会が生まれた。

しかし2000年には、強硬派が選挙民たちのわずか20%の支持しか得ていない、ということは明らかだった。
2005年までに、強硬派は改革を後ろへと押し戻し、改革派は不満げな表情をうかべて敗退した。彼ら改革派の多数は、彼らのなかの候補者で17%の票しか得ていないKaroubiを支持しなかった。彼ら改革派はしかし、強硬派で、ポピュリストであるマフムード・アフマディネジャドと、現実主義的な保守派の億万長者アクバル・ラフサンジャニの2者の中間の順位を得て逃げ切った。そしてその選挙ではアフマディネジャドが勝った。

アフマディネジャドの05年の勝利はしかし、改革派支持者たちが幻滅し、広範に選挙ボイコットをしたことにより実現した。つまりうんざりしていた多くの若者や女性は投票所には赴かなかった。

そのため、2001年に20%だった強硬派への支持率は、2009年には63%に達した。我々が仮定するのは、8年前に比べて、イランは都会的ではなく、文盲率も高まり、文化的な事柄への興味も低下してしまったのではないか、ということだ。我々は改革派が再度、選挙をボイコットし群れをなして投票日に家に留まっていたのではないかとも考える。
すなわち、これは北部テヘラン 対 南部テヘランの問題ではないのだ。ハタミが勝利したときは、北部テヘランでも支持を得ていたにもかかわらず、大差で勝利していた。

それゆえ、ムサヴィのスムースなアッパーミドル・クラス風の小わざに屈した我々に、罪悪感へのトリップをさせたいと考える傍観者たちは単に、過去12年間にわたるイランの歴史を無視しているのだ。それは文化戦争であり、階級戦争ではなかった。投票権を与えられた典型的なイランの有権者の男女が、保守派や宗教家たちに投票したというのは単純にいって真実でない。事実ムサヴィは実質的に2000年に選挙で勝利を喫した典型的な政治家達に比べてもより保守的だ。80%もの高い投票率のもとで、またイランでの都市圏の拡大、識字率の向上、強硬派の清教徒的保守主義との対決意識の拡大などからも、ムサヴィは現在進行形の文化戦争のなかで勝利をとげる筈だった。

アフマディネジャドが“little people(小さな人々)”のチャンピオンとして振るまったことも、必ずしも彼のポリシーが労働者や農民たち、労働者階級の女性たちにとって良いポリシーだった事を意味しない(そのような社会階級の人々の多くは、彼の政策がそうである事を知っている。)

それゆえ、この罪悪感のトリップを、ここで止めよう。第2波の Khordad運動はこの10年間のよりよいパートのための、勝利の連合のためにあった。その支持者達は彼らが前回勝利を得た時より8歳年をとった、しかしそれは若い政治運動だった。彼らが皆180度転回し、ハタミからアフマディネジャドに支持を乗りかえることがあるか?それは考えにくい。ハタミに群れをなして投票したイランの女性たちは、どこにも去ってなどいない、彼女らはアフマディネジャドの、女性に関する政策的立場には少しも関心を払っていないのだ。

BBCのニュース・インタビューのなかで、イラン女性センターNGOのメンバーである、Mahbube Abbasqolizadeは語っている、「アフマディネジャド氏のポリシーとは、つまり女性は家庭に戻るべきだし、そのプライオリティは家族であるべきだ、という考えなのです」…

*アフマディネジャドは彼の政府組織である、「女性の参加のためのセンター」を「女性と家族の事柄のためのセンター」へと改称した。

*アフマディネジャドは男性が妻に告げることなく妻と離婚していい、という新たな法律を提案した。さらに、男性は離婚後の妻に払う扶助料を今後、支払わなくてよいという法律を提案した。これに答えて、女性グループは100万人の署名キャンペーンを実施し、こうした方法に対抗した。

*アフマディネジャドは社会治安プログラムを実施し、このなかで、女性の服装を監視すること、女性が学校に行くには父親か夫の許可を必要とすること、そして大学に進学を許される女性の人数を限られた割当て数に絞る、QUOTA SYSTEMを導入した。


ミル・ホサイン・ムサヴィは改革派にとってもっともらしい候補者だ。彼らは彼と同じような人物を70%と80%の差で2,3年前にも選挙で選出した。我々は北部テヘランのビジネス・ファミリー(ビジネスマン達)の支持はうけてはいない。我々はそれよりも、全国民の少なくとも20%は存在する、強硬派支持の選挙民たち、唯一のイラン革命の継承者であると自称し、どの票が陽の目を見るかをもコントロールしている、そうしたグループによってこれまで支配されてきたのだ…
http://www.juancole.com/2009/06/class-v-culture-wars-in-iranian.html

Monday, June 15, 2009

ムサヴィと改革派の支持者/Tens of Thousands Rally for Mousavi in Tehran by Juan Cole


昨秋、J.コールのレクチャーをきいた…シカゴ中の中東情勢に関心のある市民が質問の列にならんでいた…でもいつも反米的なコールは、すっかり人をくったような喋り方がデフォルトなのだ!? 

ムサヴィを支持する何万人もの抗議者が、テヘランを埋め尽くす(6月9日 by ホアン・コール)

月曜日にテヘランで、最低に酷い出来事が起こった。
ウォールストリート・ジャーナルのFarnaz Fassihiによれば何万人もが、首都を12マイルにわたって横断する最も長い大通り、Vali Asrストリートに溢れたと推定された。そのシーンは、Fassihiに、1978年のシャーに対する大群衆の抗議行動を思い出させたそうだ!彼らは怒りのスローガンを叫び、古い、禁制の、ナショナリストや共産主義者の賛歌を歌った。彼らはアフマディネジャドを独裁者、専制君主だと呼び、攻撃した。

彼らの行動はムサヴィ自身によって鼓舞されていた:アフマディネジャドをなぜ専制君主と呼ぶのか、との問いに答えてムサヴィはいった、「なぜなら彼は法を遵守しないからだ、それならなぜ我々が彼をそう呼んではいけないのか?」イランの革命防衛隊は─(今回)彼らが過去に学生達のデモに対してしばしば行ったような、デモの群集に対する介入を断った。

ニューズウィークのMazier Bahariは、革命防衛隊がムサヴィを支援する、との方針を広範に決定していたと指摘している─ ムサヴィは1980年から1988年にかけてイラン・イラク戦争時に首相であった際には、非常にスキルの高い(卓越した)リーダーだったと多くの人が記憶している。革命防衛隊の彼に対する特別な忠誠心は、以前には、アフマディネジャドが継承した財産(資産)でもあった─そのことは、彼を、彼の牙を失った前任者のモハメド・ハタミ(イラン人は、スマートなナイスガイである彼を「柄(つか)のない短刀」と呼んだ─)とは異なる立場においた。もしもアフマディネジャドが革命防衛隊を失ったら、彼は選挙に勝利できる可能性においてとても無力になるだろう。
─ Bahariはいう、イラン政府の秘密裏の世論調査では、金曜日にムサヴィにとって雪崩のような勝利が起こる筈だった。(註:イラン人の世論調査は大抵信頼できない。)

金曜日のイランの大統領選挙は、この国では暫くみられなかったような熱情をかきたてた。キャンペーンでは幾つかの個人攻撃がみられた、また現職のアフマディネジャドは名誉毀損罪に繋がるような厳しい食物争奪戦(のごとき熾烈な戦い)を開始することで辛辣な批判に答えた。強硬派の宗教家たちが、法律的な意見やファトワ(宗教令)等を発して、右派の候補者に都合のよい投票所の備品の準備をしているといった噂が飛んだ。

2000年と2004年の米国の大統領選で田舎の「RED STATES」と都市の「BLUE STATES」が相い争ったように、イランのREDな田舎の地域はアフマディネジャドを支持し、またBLUEな大都市…タブリーズ、テヘラン、イスファハン、シラーズ…は、前首相のミル・ホサイン・ムサヴィを支持した。

この数夜のあいだ、都市で彼らの支持する候補者のために集まる群衆は、ほとんどカーニバルのような雰囲気を醸し出していた。また月曜日には、スタジアムに、同様にアフマディネジャドを応援する膨大な数の群衆が集まった。もちろん、ムサヴィ支援者の路上での集会は恐らく、そのスタジアムでのイベントに返答するものだったろう─そのイベントをムサヴィ支持者達は彼らに対決するためのイベントだと捉えた。

イランでは、ティーンエージャー達を含む教育水準の高い女性の世代は(現在、投票可能な年齢は18歳以上だ)ムサヴィの背後で彼に投票する方に転じたようにみえ、そして彼のためにパンフレットを作成していた。1978年にあったように、支持者の群れが月毎に、やがては日々増加していき、先週のような集会は月曜日の巨大な集会に花開いたといえる。

それはただの路上の群衆ではない。恐れを知らぬLAタイムスのBorzou Daragahi が暴いたことによれば、イスラム共和国のキーとなるエリート達が、プラグマティスト(現実主義者)なMusaviの支持に転じたという。最も重要なのは、Akbar Hashemi Rafsanjani、前大統領で億万長者(イランの議会とその宗教関係者による「上院 Guardianship Council」との間の紛争トラブルを解決した、便宜委員会Expedience Councilのリーダー)だ。ラフサンジャニは一連の大学を創立し、それらを彼はムサヴィの支援活動に対してオープンな状態においた。そして高度な電子ネットワークをもつくりあげたが、彼は同時にそれをムサヴィの「処分」にも使ったわけだ。おそらくこれがアフマディネジャドがイランで、選挙戦が終わるまで「Facebook」をブロックした理由だろう。

ある強固なアフマディネジャド支持者の宗教家、Misbah-Yazdiは、投票における不正はムスリム社会を守るためには許される、との法律的意見、あるいはファトワ(宗教令)を発したという。ムサヴィの支持者は、特に投票の不正に関して強く監視すると言明している。

先週、水曜日に行われたアフマディネジャドとムサヴィの間の白熱した議論のなかで大統領は、ラフサンジャニの家族が金融上の詐欺を犯したと訴えた。その家族のメンバーはこれに対して、侮辱罪での起訴によって返答している。同じ議論のなかで、ムサヴィはアフマディネジャドに対し、イランについて彼が世界のステージで風変わりで奇妙な声明を出すことや、核開発問題において非協力的態度をとることで、イランを笑いの種にしている、と面と向かい率直に批判した。ムサヴィは特にアフマディネジャドがホロコーストの犠牲になったユダヤ人の数を少なくいう、怪物的な傾向に関して怒っている。

アフマディネジャドは、議論の中で、ムサヴィの妻Zahra Rahnavard─よく知られた「イスラム的フェミニスト」が、学歴を詐称していると訴えた。その訴えに対し、イランのジャーナリスト達が「イランのミシェル・オバマになりたがっている」とする、そのもうひとりの改革派はそれをまた侮辱罪として起訴している。(彼女は夫の選挙戦に対し公的な支援活動を行ったが、これはイランでは稀なことだ)


あなたもご存知のように、この社会の表層の裏側にある個人的なアパートメントのなかでは、信仰心の厚い清教徒的な革命社会の表玄関(が標榜する建て前)が長きにわたり、その他のことがらの追求…ロックミュージックや、インターネット、そしてより健康的なアクティビティ(映画’シリアーナ’が始まるコカコーラ・パーティはBob Baerの想像上の産物ではないのだ─)といったものを放棄していた。しかし今回の選挙では、アフマディネジャドの分裂的人格が新しい個人的(私的)なイランを公的な場に初めて連れ出した、といえる。
http://www.juancole.com/2009/06/tens-of-thousands-rally-for-mousavi-in.html

Friday, June 12, 2009

ヒズボラがハリリを暗殺したのか?/New Evidence Points to Hezbollah in Hariri Murder

4年前のレバノン元首相暗殺について、"シュピーゲル"(ドイツ紙)がのせた新たな暴露記事は、 レバノンの選挙をひかえた先日、わざとリークされたのではといわれたが…

国際法廷の捜査のブレークスルー: ハリリ暗殺へのヒズボラの関与をさし示す新しい証拠 (5月23日、シュピーゲル)


<冒頭略>…2005年末、ドイツの検察官デトレフ・メフリスに率いられた国連認可の捜査チームは7ヶ月の捜査の後、ハリリ殺害の背後にシリアの治安勢力とレバノンの政府高官がいると発表し、追って4人の容疑者が逮捕された。しかし最終的な具体的証拠はなかった。メフリスの後任のベルギー人、ブランメルツのもとで捜査は滞ってしまった。

国連の特別法廷は確かな事実を追求すべく、2009年の3月1日に開廷した。それはオランダの街Leidschendamに設置され、初年度だけで4千万ポンド(5600万ドル)の予算を与えられ、その51%を国連が、49%をレバノン政府が負担した。その法廷は最初の3年間で最初の判決を予定し、最高刑は終身刑となる。カナダ人のダニエル・ベルマーレ、57歳が主任裁判官に任命され、他の11人の判事はレバノン人。その人選は安全上秘密とされている。

同法廷は最初の公式の判決で4月に、メフリスにより逮捕されていた4人の容疑者の解放を命じた。それまでに彼らは既にレバノンの刑務所で3年以上服役していた。それ以降、Leidschendamの街は死んだように静かで、まるで捜査は今始まったばかりで、何も発表する事がないかのようだ。
しかし今や、捜査が新たに爆発的な新事実を得たらしい。シュピーゲルは同法廷に近い筋からこの情報を得て、その内部文書でも確認した。このハリリ事件はセンセーショナルな展開に発展しそうだ。レバノンでの集中捜査の示すのは新しい事実:つまりその恐るべき暗殺攻撃を計画、実行したのはシリア人ではなく、レバノンのシーア派の”神の党”ヒズボラの特殊部隊の仕業だったというのだ。
同法廷の主任判事ベルマーレと彼の判事達は明らかに、彼らが1ヶ月ほど前から発見していたこの情報の公表を差し控えている。彼らはいったい何を恐れているのだろうか?

シュピーゲルの得た情報によると、この事件の捜査が覆されたのは、サイバー刑事のもちいるシャーロック・ホームズばりの最新鋭テクノロジーを駆使した発見だという。何ヶ月もの苦難の捜査の中、ウィッサム・エイド隊長の率いるレバノンの治安部隊の秘密部隊が、ハリリの暗殺に至る日々、また当日彼をとりまいていた幾つもの携帯電話の番号を割り出した。捜査官達はこれらの携帯電話を"first circle of hell"(地獄の第一の輪)と呼んだ。

キャプテン・エイドの捜査チームは最終的に、8個の携帯電話を特定した…それらはすべて同じ日に北部レバノンの都市、トリポリで購入されていた。それらは暗殺の前6週間にわたり使用され、特に彼ら使用者同士の間でのコミュニケーションに使用された─ある一台だけを除いて…そしてそれらは暗殺の後は一度も使用されていない。
レバノンの主任捜査官、キャプテン・エイド、31歳はベイルート郊外のハスミヤで、2008年の1月25日にテロリストの攻撃によって殺害された。他の3人の人も殺されたこの事件は明らかに捜査の停滞を狙ったものだった。そして再び、ヒズボラの司令部が関わっている事の証拠を示す、レバノンの重要人物への攻撃が過去4年間に数十件も発生した。

ハリリの人気の拡大は、レバノンのシーア派のリーダー、ナスララにとっては茨の棘のようだった。2005年にその億万長者は、人気の面でその革命のリーダーを凌駕した。しかも彼は、その狂信的でスパルタ精神のヒズボラのリーダーが嫌う全てのものをもっていた: 西欧諸国との近い関係、国内の穏健なアラブ人のリーダーとしての顕著な立場、贅沢なライフスタイル、そしてシーア派に対抗するスンニ派の信仰者であるという点だ。ハリリは、ある意味でナスララを代替する人物といえた。

国連の前・調査委員会検察官のメフリスは、彼自身の懸念事項を抱いている。彼は彼自身の知識と信念に基づき、500人以上の証人を審問したが、いまや彼は初めからシリアが犯人との結論寄りで捜査をしすぎた、として批判されている。先日、解放された4人の容疑者のうちジャマル・アル・サイード(レバノンの元治安維持警察長官)は、捜査を誘導したとの容疑で彼を告訴、またメフリスの部下のゲルハルト・レーマンを脅迫の容疑で告訴したという。メフリスは告訴内容を否認、また現在、サウジアラビアに赴任中のレーマンはコメントを拒否している。
スポットライトを浴びているジャマル・アル・サイードは次期のレバノンの法務大臣への昇進が検討されている。
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,626412,00.html

今回の選挙では、ハリリの息子率いる親米派の「3月14日連合」が勝利をおさめたが…選挙前、ヒズボラの勝利の可能性を予測していたイスラエル紙がドイツ紙の記事にこのようにコメントした…

★ヒズボラがハリリ事件の検証への世間の注意を逸らすため、イスラエルを攻撃する?(5月26日、ハーレツ)


今回の6/7のレバノンの選挙でヒズボラと北部イスラエルの国境地域の緊張は高まっているが、イスラエルの諜報部では、今回ヒズボラが緊張をエスカレートさせる恐れはないという予測をもとに、状況を注視している。

中東の情勢はしばしば夏にホットになる。第2次レバノン戦争は2006年の夏に勃発し、’07年の夏の緊張の時期にはイスラエルがシリアの核施設を空爆した…それはシリアからの何ら返答を引き出さなかったけれども。今年、国際社会はイランの核開発をめぐって高まるイスラエルとイランの間の緊張を心配していた。

しかし、北部国境地帯の前哨地域では、イランとの間におけるよりもすばやく緊張状態が発火する恐れがあった。イランとの問題は新聞の見出しとなっていたがワシントンがテヘランと対話を試みている今後数ヶ月の間に何か起こるだろうとの予測はない。(それが起こるときだけイスラエルのイランへの軍事攻撃はありうるが。)

レバノンでは、これと対照的に目くるめく速さで事態が進展し、過去2週間だけでもレバノンでの「スパイ活動の連鎖」が発覚したと報道された。ドイツの新聞シュピーゲルは、国連による前首相ハリリの暗殺に関する特別調査委員会が、暗殺の影にはシリアでなくヒズボラがいた、との結論を出したむね報じた:ヒズボラの上官はイスラエルが同組織のリーダー、ハッサン・ナスララの暗殺を画策していたとし、それは地域の紛争を誘発することだと述べたという。
エジプトは同国内でのヒズボラの活動員の存在を報じ、イスラエルの国防軍は北部地域の緊張に対処するためにGOC の北部指令官Gadi Eizenkotの任期の一年間延長を考慮しているという。
イスラエル国防軍は来週、全土にわたる軍事演習を予定しており、これは幾つかの前哨地域からのイスラエルの都市へのロケット弾攻撃やミサイル攻撃を誘発する恐れがある。

ドイツ紙の報道は、イスラエルにとって完全な驚きとはいえなかっただろう。イスラエル諜報部は国連による当初の推測、つまりシリアが前首相の暗殺の背後にいるという予測を共有していたものの、別の見方もあった。暗殺の3年以上前、2001年末に軍事諜報部に提出されたレポートではハリリがヒズボラに暗殺されるとの予測をだしている。そして暗殺のすぐ後には、MIの高官が少数派の意見として、シリアはでなくヒズボラを疑えという意見書を提出している。

ハリリは日本からの盗難車のトラックに積まれた爆薬により暗殺され、そしてMIの高官の見方では地球規模のテロリスト組織をもつヒズボラだけが、ハリリの動静に関する精密な把握を含めてそのような高性能で金のかかる攻撃を遂行できたという。その高官は、その攻撃がイランの利益にも適い、ヒズボラはシリアに対してトラブルの原因を作ることにも利益を有するとの意見を述べている。

国連の上層部が事実を断定するまで、その報道が選挙の結果に大きな影響を及ぼす事はないだろう。ヒズボラはその話を、選挙の結果を左右するための「捏造だ」と呼び、そして永年のヒズボラの敵でもあるドゥルーズ派のリーダーWalid Jumblatt でさえも、これは外国機関が選挙の操作を狙った干渉行為に過ぎない、との説に同意している。

ヒズボラはこの選挙で議席を得るだろう、そして次期の連合政権を先導するかもしれない。しかし国連の公式声明が出された場合、その結果の構図は塗りかえられるかもしれない。シーア派の一部有権者やライバルのシーア派の党、Amal,そして無党派スンニ派層、ドゥルーズ派やクリスチャンの有権者層も、Saad Hariri率いる反シリア連合に支持を転じ、投票する可能性がある…。

もしそうなれば、ヒズボラは、暗殺の件に関する人々の注意をそらすべく、イスラエルとの争いを激化させるかもしれない。それには前例もある:2006年に国内の武装解除への圧力のもと、ヒズボラは7月に国境をまたいだ侵攻作戦を行い、2人のイスラエル兵を誘拐拘束しそして第2次レバノン戦争を誘発した。

国防機関はヒズボラの勝利の余波として起こりうる現象に関し、さらに論議を続けている。しかし一方で、これはイランがもくろんで達成したことだともいえて、それゆえこれはネガティブな事態だともいえる。
また一方、もしもそんな作戦が必要になるなら、それはイスラエル国防軍のレバノンでの作戦に対する国際社会の圧力を軽減するかもしれない。
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1087985.html

(★関連記事
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/03/lebanese-split-over-hariri-tribunal-by.html

「ハリリ暗殺事件の特別法廷をめぐるレバノン人の分裂」)

Saturday, May 30, 2009

ブロンクスのモスク信者に強引な囮捜査が?/Informer’s Role in Bombing Plot

10日前、ニューヨーク・ブロンクスのユダヤ教シナゴーグの爆破を計画したとして、4人の男が逮捕された。 ─当局の囮捜査が1年前からモスクに集まる男たちを追跡し、
FBIの情報屋が、”Jihadist wannabes”たちににニセの爆弾を渡したというのだが?



シナゴーグ爆破の陰謀計画と、情報屋の役割 By WILLIAM K. RASHBAUM and KAREEM FAHIM(May 23, 2009 NYT)

誰もがその外国人のことを、“Maqsood” とだけ呼んでいた。彼はいつも、ニューヨーク州Newburghのモスクのパーキング・ロットで、彼のメルセデス・ベンツの座席に座り、金曜礼拝の終わるのを待っていた─そして彼は、若い男達に近づいた─とそのモスク-Masjid al-Ikhlas-の信者仲間たちはいう。
彼は、34歳のShakir Rashadaという男に、一緒にランチを食べに来ないか?と聞いた。また39歳のShafeeq Abdulwaliには、仕事の口があると提案した、たぶん彼の建設会社の仕事だったのだろう。38歳のJamil Muhammedには、彼に携帯電話とコンピューターを与える、と持ちかけたという。

そのパキスタン人の男は時々、モスクのイマーム(導師)のアシスタントに近づき、ミーティングを開くことを提案したり、モスクの寄金者たちの会合で買ったサンドイッチに、代金よりも多額な金を払ったりした。やがて、モスクの年配のメンバーたちは、彼が政府の雇った情報屋だと知るようになったのだ、とモスクのリーダーらはいう。その男の関心は、もっと年若い黒人のメンバーたちや、ビジター達に集中していたようだ、と彼らは言う。
「金の力で誰かに影響力を及ぼすことは、簡単なのだ。」と、そのモスクの長年のメンバーの Muhammed氏はいう。「特に、こうした刑務所帰りの男たちには。」

そのモスクのメンバーたちは、今ではMaqsoodが、NewYorkのユダヤ人センターを爆破しようとした陰謀の咎で今週、逮捕された4人のNewburghの男たちに関わりをもっていた政府の情報屋(government informant)だったことを信じている。政府当局は、その4人のうち何人かはNewburghのモスクを訪れており、また全員が以前刑務所で服役したことがあり、彼らは皆ユダヤ人を殺したいと願っていた、という。そして訴追者は、彼らが実際にNYの街に爆弾を仕掛けた積りだった─彼らの行動はFBIにビデオで録画されていたのだ、と主張する。

連邦政府が訴追したこの事件は、そうしたテロ計画の実行を望む男たちの願いを、より容易にする便宜を図るふりをした政府の情報屋(informant)の行為が中心となって動いた一件だ。そうした情報屋というものは、9月11日以降、州やローカルな当局によって立件された何件かのテロ攻撃計画においても、コンスタントな役割を占めていた。弁護人たちの側がコンスタントに試みているのは、彼らのクライアントたちがこうした情報屋の罠にかかった「dupe(騙されやすいカモ)」だったに過ぎず、もしこうした情報屋の挑発に乗らなかったら、そのような罪は犯さなかっただろう、と主張することだ。

だが、法廷でのこうした申し立ては決まって失敗する。陪審は明らかに、こうした情報屋の行為の影響によって常に犯罪的テロの計画が誘導されていた、というような申し立てには動じることはない─例えば、ニュージャージーのFort Dix基地で兵士達を殺害しようとした5人の男たちのケースや、マンハッタンのHerald Squareに爆弾を仕掛けようとしたクイーンズの若いパキスタン移民たちなどのケースでもだ。そして、今週の爆弾事件の陰謀に関する捜査で、この情報屋によるおとり捜査の罠(entrapment)への反論申し立ての弁護はやはり失敗した。

その情報屋の身元はマンハッタンで水曜日に出された裁判記録においては公表されていない。しかしその件に関するブリーフィングを受けた人物によると、男の名はShahed Hussainで、2004年にニューヨーク州Albanyのモスクで、ピザ屋のオーナーとイマーム(導師)がおとり捜査で訴追された件においても、証言者の中心となった男だ、という。

こうした男たちを弁護する側は、裕福な過激派のイスラム教徒だと名乗っていたHussainが彼のクライアントだった男たちを、パキスタン外交官をミサイルで暗殺する、という究極的に架空のプロットで誘導し罠にかけたと主張する。しかし州法廷の陪審団はこの2人の男に有罪評決を下し、15年の懲役刑に処した。

金曜日にNewburghのケースについて尋ねられたNY警察のコミッショナー、Raymond W. Kellyは、「良心のかけらのあるいかなる弁護士でも、これはentrapment(おとり捜査の罠)だったことを主張するだろう」、と答えた。
「議論は法廷でなされるだろう。だが法的には、おとり捜査を仕掛けられなければこうした犯罪には手を染めなかったとの証明ができない限り、こうした弁護は成功しない。」

政府当局側が提出した訴状では、この情報屋(informant)は単にこの4人の男の暴力的破壊行為の意志に助力を与えただけの人物だとしている。連邦当局は被告の1人James Cromitieがアフガニスタンでの戦争に対し憤りを抱き、米国に攻撃を仕掛け、そして後にはユダヤ人をも攻撃する意志を抱いていたものと断定した。その情報屋(informant)は彼らに対して、自分はパキスタンのテロリスト・グループと繋がりをもっていると語り、そして彼らに(彼らが信じるところの)爆弾とミサイルを与えた。

それらの男たちが、情報屋(informant)が接近するよりも前から本当に安全への深刻な脅威であったといえるのか、と訊かれたNYのFBIオフィスのチーフ、Joseph M. Demarest Jr.はいう、「その(テロ計画)は彼らの企んだプロットであり、彼らが進めようとしていたプランだ。我々は単にそれを容易にしただけだ。彼らは爆弾を欲しがった。彼らはスティンガー・ミサイルやロケット砲を欲しがった、私は彼らが欲しいものをそう呼んでいたと信じる。彼らは本物の爆弾だと信じた包みや鞄をブロンクスのシナゴーグの前に置き去ったのだ」

このCromitie氏の弁護人であるVincent L. Briccettiは、彼が Albany のケースでもHussain氏の役割に気づいていた、と金曜日にNew York Post紙で述べている。
「彼の行ってきたことについて我々は関心がある」とBriccettiはいう。

Albany の事件での法廷記録によれば、Hussainは1993年ないし4年にパキスタンから米国に来た。彼は、色々な仕事を渡り歩き、いくつかのビジネスや不動産を所有するようになった。しかし2002年に彼はAlbany 地域の人々が違法に自動車運転免許を取得することを幇助して金銭を要求した、との容疑で訴追された。

国外追放を逃れるべく彼は政府への協力に同意した─始めはこの自動車運転免許の違法取得に関する囮捜査に協力し、そしてヘロインの密輸事件での囮捜査にも協力した。2003年にFBIは彼をより野心的な捜査に駆りだした。FBIはHussainに、彼らがテロ計画のサポーターではないかと疑っていたYassin Arefという男の意図を探りたいとし、そして最後には彼の友達であるMohammad Mosharref Hossainに、フォーカスを当てるよう依頼した。
連邦政府エージェントの与えた指示のもと、しばしば録音機を携えて彼は男たちに会い、そして彼らに対し自分は「ウェルシー・ラディカル(金持ちの過激主義者)」だと自己紹介した。最終的に連邦政府は今回、2人の男をミサイル入手のためのマネー・ロンダリング容疑、またたぶんその武器を用いてパキスタンの外交官を殺害しようとした容疑で訴追した。
Hussainは2人の男たちを訴追する法廷で長々と証言したが、被告の弁護人たちは彼を捜査活動に熱心すぎる政府機関の道具だったと描写している。

彼は2人の男たちに彼のゲーム計画を話すために会う際、その前には常にFBIのエージェントに会っていたと証言した。
「自分はエージェントのColl が自分に話した内容を、彼らにその通りに話した。」とHussain は、彼とFBIエージェント、そして2人の男とのかかわりに関する尋問で証言した。
「では、あなたは完全に、エージェントのCollが言った通りに行動したわけか?」と彼は弁護人に訊かれた。「その通りだ」と彼は答えた。

Hussainの弁護を、2002年のその逮捕以来2006年まで担当していたlawyerのJames E. Longは、この事に関するコメントを拒否した。ArefとHossainを訴追したAlbany市の連邦裁のattorney、William C. Pericakもまた、この情報屋に関するコメントを拒否した。しかし2人の男の判決の後、彼はいった、「これらの男たちがテロ攻撃を、実際に何%の確率で実行していたかは誰にも推測できないが、Albanyにテロリストがやって来た場合に彼らが協力した確率は100%だ。」
Maqsoodと呼ばれるその男は Newburghに現れるより前、まず始めに、近所のWappingers Fallsの Al-Noor モスクにアプローチしていた、とモスクのメンバーは言う。イマームとそして何人かの幹部メンバーはMaqsoodという男が2007年以来、散発的に礼拝に参加するようになっていたが、彼は派手な男で、いつも彼の不動産ビジネスや資産について自慢していた、と言う。彼は黒のメルセデスに乗りつねに1人でやってきた。

モスクの元会計係のZubair Zohaはその男に、有力な見込み客を探すため、モスクのメンバー全員のリストを見せて欲しいと3回にわたり頼まれたという。しかし彼は大概いつも無視し、払いのけてきた。
彼は2008年の6月ごろには来なくなった、とメンバーは言う。そしてその後、政府が法廷に提出した報告によれば、この情報屋はNewburghで、Cromitieと彼の仲間とのつき合いを始め、爆弾計画に繋がる一連の取引を始めた。

Newburghのイマーム、Salahuddin Mustafa Muhammadはその情報屋が彼のモスクを、レギュラーのメンバーたちとは何の関係もない陰謀計画に関係づけた、として憤っている。彼は計画を非難しているが、その情報屋が現れなかった場合にも、逮捕された男たちが同じ犯罪計画に手を染めたかどうかには疑問を表している。
Muhammad氏はMaqsoodという名の男に疑いを抱いた時、彼自身が違う行動をとっているべきだったかどうか、と自問している。「政府関係者が何かを仕組んでいるらしい時に、政府の機関にそのことをどうやって告げらたらいいのか?」と彼は問うている。
http://www.nytimes.com/2009/05/23/nyregion/23informant.html?hp=&pagewanted=print

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ブッシュ政権以来の対テロ捜査の過剰さが、いまも継続しているのだろうか? 


A BUNCH OF TERROR DUMMIES- HOW FBI DUPED BX. 'PLOTTERS' WITH DUDS (NYPost)
…al-Ikhlas モスクのメンバー達は、情報屋のShahed Hussain, 52才が長らく礼拝者たちをジハードに誘おうとしていたと証言する。「誰もが彼に近づかないよう距離を置いていた。自分達は James [Cromitie]さえもが彼に近付かないよう試みた、だが彼は聞かなかった」と29歳のAbdul Waliはいう。「彼は人々に仕事の口を紹介していた、彼は建設工事の仕事を紹介していたのだと思う。たぶん、彼はそうやって Jamesに近づいた…」
http://www.nypost.com/seven/05232009/news/regionalnews/a_bunch_of_terror_dummies_170636.htm


NYでテロ計画、4人を逮捕 FBIおとり捜査で発覚(日本語記事)
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2604488/4173435

Monday, May 25, 2009

オバマとグァンタナモ政策/Cheney Lost to Bush By DAVID BROOKS

オバマのグアンタナモ収容所閉鎖の決断などもやや足踏み状態にみえるこの頃─   
オバマ大統領の特別なお気に入りとなり、彼のオフィスにも呼ばれた?という保守派 liberalのD.Brooksが提灯記事を書いた‥


ブッシュに負けたチェイニー By DAVID BROOKS

この木曜日に、オバマ大統領とディック・チェイニーが共謀して神話のような話を宣伝していた。その神話とは、我々は過去8年のあいだ、'Bush-Cheney'流の反テロリズム政策の中で生きてきたが、今や我々は、それとは異なった'Obama-Biden'流と呼ばれる反テロリズム政策の時代にはいったとか、いうものだ。オバマもチェイニーも理解している通り、これは完全にいんちきな歴史の歪曲だ。

真実は、といえば、9月11日以降、我々は2年から3年にわたって'Bush-Cheney'のポリシーとも呼べる時代にあったのだ。米国は、見えない死角からの攻撃を受けていた。諜報機関の関係者たちは、彼らに向けられた脅威についてほとんだど何の理解もなかった。ブッシュ政権はそのために、およそ可能な限りの全ての手段を講じ、脅威を発見してそれを予防しようとしたのだ。ブッシュの仲間たちは、自分たちが法の定める範囲で行動している、と信じていたが、今では我々の多くが、彼らに道義的にも問題があり、非生産的な事ばかりやっていた、と気づいている。

'Bush-Cheney'のポリシーの時代はおそらく3年間続いた。ディック・チェイニーにとってそれは黄金時代だったのかもしれない。民主党員にとっては、それは確かに、共和党のやることの周りを永遠にうろつきまわっている時代だった。しかしそれはもう、ずい分前に終わったのだ。

2005年頃までに、'Bush-Rice-Hadley' 時代というべき時代が始まった。徐々に、その時代は開始されそして定着し、ブッシュ政権の何人かの高官たち─ …コンドリーサ・ライス、スティーブン・ハドレイ、ジャック・ゴールドスミス、そしてジョン・ベリンジャーを含んでいた─が'Bush-Cheney'時代の過剰(行き過ぎ)を乗りこえようとした。彼らは全ての戦いには勝てなかったし、法廷による裁定や、公衆の怒りにも突っつかれていたが、徐々にポリシー上における進化をしてきたのは明らかだった。

2003年以降、ベリンジャーとゴールドスミスのような者たちは、過剰な尋問手法を許した法的な決断に反対を挑んで戦った。2006年には、ライスとハドレイがKhalid Shaikh Mohammedを外国の秘密刑務所から連れ帰り、拘留者への扱いを平等化(標準化)すべく、試みた。2007年にはライスは、そのような尋問手法の再開への執行命令の支持を拒んだ。ブッシュ政権の2期目の全ての時期にわたり、政権の高官たちはグアンタナモ収容所の閉鎖の実現を試み、これと並行して諸外国の政府に対し収容者の受入れを求める訴えを発信しながら、上院議員たちに、収容者の米国領土内への移送の許可を求めた。(しかし、GITMO収容所の閉鎖が先決問題であり、その次に収容者をどうすべきかを考えるべきだ、とされた為に、それは実現しなかった。)
チェイニーとオバマは自分らがそうした方向性にはない振りをしていた、しかし「水責め(ウォーターボーディング)」の実行を止めさせたのはオバマ政権ではない。それは、2003年の3月にCIAディレクター達が開始したことの継承だったが、2004年にCIAの調査官による破壊的なレポートが作られた時よりも前だった。

チェイニーが、国土安全問題への(政府の)ポリシーの変更を非難したとき、彼は、オバマ政権を攻撃していたのではなかった。かれはブッシュ政権を攻撃していたのだ。木曜日のスピーチのなかで、彼は公衆を前に、ブッシュ時代のホワイトハウスで彼が何度も行っていたのと同じ議論の多くを繰り返していた…今や、ホワイトハウスの意思決定が益々それとは異なるものになっていた中で。

バラック・オバマの就任は、米国の反テロ戦略に大きな変化をもたらしてはいない。それはそのポリシーに対する公衆の信頼性に変化をもたらしただけだ。

まず最初に、この政権が、テロリズムを真面目に捉えていないという言い方はばかげている。オバマは、ブッシュ政権が末期に醸成していた戦略と同じく、アフガンへの米軍の増派を支持したのだ。彼はパキスタンでの無人偵察機の作戦をステップアップした。彼は反乱勢力と対決するために攻撃的な兵士達を推進し、国内での対テロ作戦では実績をあげた。

テロリスト容疑者の問題に対しては、ジャック・ゴールドスミスが、The New Republic誌のWEB版に“The Cheney Fallacy” (チェイニーの誤信)という記事を書いた。彼は広範な戦略のリストを作った─ グアンタナモ、身柄提出令状、軍事委員会、容疑者の移送、尋問、などなど…。彼はその多くのケースで、どのようにオバマ政権が、ブッシュ政権の末期に徐々に進化してきた戦略を受け継いで、それをプレゼンテーションしているかを示した。

オバマが持っていたもの、そしてブッシュ大統領が決して持っていなかったものとは、他の人々の意見を問題にする、ということだ。ゴールドスミスはその点を上手く記している:「オバマ政権とブッシュ政権の主要な違いとは、テロリズムに対するポリシーには関係がなかったが、むしろそれを如何にパッケージング(包括)するかということだった。ブッシュ政権は自らの足元を幾度も幾度も、撃ち続け、彼らの政策の合法性や有効性が損傷を受ける状態を招いた。オバマ政権はこれとは対照的に、そうしたこと(他者の意見)に集中的に焦点を当てた。

オバマはブッシュが最後に採用していたのと同じ多くの政策を採用している、そして彼はそうした戦略が米国と世界にとって信頼するに足るものに変えた。彼のスピーチの中で、オバマは彼自身の決断を、繊細さと一貫性とをもって説明している。彼は我々の抱える幾つかの問題は困難であり、そこには容易な解決法はないとしている。彼は米国人を大人として扱い、そして、彼らの尊敬を得たのだ。

私はオバマが、彼自身が利益を享受する戦略を創ったブッシュ政権の高官たちに対して、より丁重に、誠意を抱いて接して欲しいと願うだろうか?イエスだ。しかし肝心なことは、オバマは多くの、より穏健で、時がたつにつれてそれが検証されうる妥協的なポリシーを講じてきたのだといえる。彼はそれらを知性をもって保存(維持)し、改革した。彼はそれらを、説得性のある枠組のなかに収めた。そうすることによって、彼は、我々の安全さを以前より低いものにはしない。彼はそれにより、我々をより安全にしているのだ。
http://www.nytimes.com/2009/05/22/opinion/22brooks.html?pagewanted=print



video)Cheney's Rebuttal to Obama
http://video.nytimes.com/video/2009/05/21/us/politics/1194840413908/cheney-s-rebuttal-to-obama.html

video)Obama sets'New directions'on terror
http://video.nytimes.com/video/2009/05/21/us/politics/1194840413735/obama-sets-new-direction-on-terror.html

Sunday, May 10, 2009

イラクを不安にするバース党の残党…/Iraq Resists Pleas by U.S. to Placate Hussein’s Party - By Sam Dagher


昨今、イラクで再燃するテロの原因とは何なのか? 

イラクは米国が懇願するバース党との和解に抵抗する (4/25 NYT)

4月18日に、米・英政府の秘書官ユニットによる戦略交渉団(FSEC)がヨルダンに飛んだ。サダム・フセインの上級将官たち<2003年、バグダッドの最終攻防戦で抵抗を試みた司令官たち>に対して、故郷のイラクに戻り、新生イラク政府と和解するようにとの説得を試みたのだ。しかしイラク人の司令官、ラアド・マジード・アル・ハムダニは、彼らによる要請をすげなく拒絶した。
彼は、米国の仲介による対話が何年も中断していた後に、イラク首相ヌリ・カマル・アル・マリキは単純にこのことに関心をなくしている、との結論を出したのだという。

米国によるこの要請とは───ハムダニ氏は以前には報告されていなかったことがらを説明した…そのことはイラクの状況を安定化させるための最も大きな障害が何か、を物語っている。マリキ氏による彼の政権内の最も熱心な反対者たちとの間の和解への誓いは、昨今激化しつつある宗派主義(セクタリアニズム)や、既に沸騰状態にある政治的緊張にさらに火をつけ、昨今のシーア派に対する爆破テロの多発状態を誘発しているというのだ。

3月28日にマリキ首相のシーア派系政府は、スンニ派のある著名リーダーを、フセイン政権時にバース党の秘密武装部隊を率いていたとの容疑で逮捕した。1週間後に同首相は、40名以上の死者を出した車爆弾による爆破事件を共謀したとの容疑で、バース主義者を糾弾した。月曜日には彼は再度非難声明を出し、バース党は「頭の先からつま先まで憎悪に満ちている」のだと述べた。

それまでのマリキ氏の行ってきた国の再統合への努力は、ワシントンにとってイラクの政治的進展の具合を推しはかる最初のベンチマークだった。その試みとは、バース党の反対分子のうち──政治的な力を獲得する代わりに、暴力の行使は諦めることを望む者たちと、手に負えないような過激派分子(その多くが熱心な宗教信者の)とを分離することを目指した。
昨年早々にマリキ氏は米国の強い圧力の下で、イラク議会でバース党員の公職復帰への制限を軽減する法案を推していた。しかし、15ヵ月後の今もその法律はいまだ施行されていない。

マリキ氏の譲歩はイラクを再び多極化する危機を招き、厳しい戦闘によって獲得された現在の安定状態を損なう可能性がある。
火曜日と金曜日の爆破事件だけでも160人が亡くなった。これらの事件にバース党員が関わったとの証拠は何もない。しかし彼らとジハード主義者の反乱勢力が、この地域、特に昨年はとても静かだったバグダッドで協力関係を増しつつあるのでは、との恐れがひろがっている。

マリキ氏は、米国がフセイン政権時代の役人達(その多くがスンニ派)との和解を求めている圧力にもかかわらず、彼のトーンを変えた。
「彼は、過去のことに由来した感情や、恨みに完全に支配された政治家や宗教リーダーたちと何の変わりもない」と、ハムダニ氏は、彼がおこなった政府との対話に関する質問書への回答の中で、マリキ氏について語った。

首相が強硬な態度に回帰したことには幾つもの要因があるようだ。
1月の地方選挙におおける、マリキ氏の宗派を超えたリーダーとしての成功にも関わらず、彼の率いるダワ党は彼らの政治力掌握のためにはシーア派のパートナーが必要だと考えている。

そして彼のシーア派のライバル達(その多くがイランとの関わりを持つ)は、彼が最近、スンニ派の少数派の支持をも得てその立場を強めるために、バース党の全面的復権を画策していると非難している。
政治エキスパートは、マリキ氏は12月の国政選挙の前に仲間のシーア派を疎外する余力はないだろうと言う。

6年前に、イラクからのバース党員一掃を先導したシーア派の政治家であるアハメッド・チャラビは、マリキ首相のスンニ派の協力を求める現実的な努力にも関わらず、首相は未だにバース党、そして残忍な前政権と関係のあるすべてのものに対して、腹の底からの憎悪を抱いていると述べる。チャラビ氏がいうには、マリキ氏は米国による「イラクの、イランとの敵対的位置の強化(固定化)を図ることで、その国の統一を推し進め、イラクをアラブ世界の一端へと復帰させる」計画の一部としての、スンニ派の旧サダム防衛隊の部分的な復活計画にも疑念を示しているという。

これらの全てのことは、スンニ派のなかの和解推進論者たちを困惑させ、彼らのなかの強硬論者達を力づけている。ハムダニ司令官は、彼が単に旧サダム軍の将官たちと治安維持部門を代表しただけで、他国に亡命中のバース党幹部達の代理として交渉したことはない、という。(*参照: http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/invasion/interviews/raad.html )しかし彼はマリキ政府によるいかなる譲歩の動きも、和解への小さな一歩に役立つだろうといっている。

彼はこのことに、2ヶ月近く前にヨルダンのアンマンのシェラトン・ホテルで、米軍の追撃から逃れているフセイン政権の最後の旧高官で、イラクの反乱軍に資金を援助しているとみられるIzzat Ibrahim al-Douriの代理人たちに会った際に気づいたのだという。二人の男はハムダニ氏による旧バース党員たちの職業と財産権の復活/バース党への禁止事項緩和を求める申し立ての努力に賛同することを伝えるため、Douri 氏が彼らを派遣したのだと話した。ハムダニ氏はDouri氏のバース党リーダーシップにおけるライバルMohammed Younis al-Ahmedからの、さらに好意的なフィードバックも受け取ったという。彼は al-Ahmed氏と直接のコンタクトを持っているという。

しかし、政府のバース党主義者への姿勢の硬化は楽観的見方のかすかな光も消し去った。最近では、Douri氏はすべての反乱勢力が米軍とマリキ政府に反旗を翻すようにとのメッセージを流して彼らを喚起している。

ワシントンの見方では、融和の容易なバース党主義者たちとの和解は、Douri氏を信奉しているような過激派勢力を孤立させる可能性があるという。
そして彼らに対する恐れの感情に足枷をかけられたイラク側と(ワシントンでは)、根本的な見解の相違が横たわっているという。

マリキ政府の”和解委員会”の遊撃手でもあるKamal al-Saedi議員は、水曜日に「バース党主義者の考えることは、陰謀や密かな浸透、クーデターのことばかりで、危険だ」と述べた。
バグダッドの米国大使館はこの和解への話し合いへの、米国の関与に対する質問には回答を避けた。

しかし、ハムダニ司令官は、2008年の3月以来、彼とその仲間たち、そしてイラク政府の間でもたれたアンマンとバグダッドにおける殆ど全ての会合には、英米の関係者たちが参加してきたという。

チャラビ氏は2ヶ月前に、米国防委員会のシニア・アドバイザーであるDouglas E. Lute司令官代理がマリキ首相の側近から、バース党員に対する「リーズナブル」な約束を受け取ったという。
マリキ首相の和解問題のアドバイザーであるMohammed Salman al-Saadyは、こうした約束の事はきいていなかったが、マリキ政権がどの程度の和解を認めるかでワシントンとは根本的に見解が異なるのだと述べる。
Saady氏は、ハムダニ司令官と政府の対話は彼の多くの要求が政府と相容れないために停滞しているのだという。

「憲法によれば、バース党と交渉をもつことは超えられない一線だ。」とSaady氏は言う。しかし彼は政府が、旧バース党員の内、過去に犯したかもしれない罪への説明責任を認め、それらのとの繋がりを棄てる者たちに対しては和解交渉に前向きだと力説する。

北部バグダッドに隠れ住む旧バース党員はインタビューのなかで、もし政府が和解に対して真剣になるなら、憲法を改正し、バース党員の公職復帰の再開を試みることだろう──ソビエト崩壊後に共産党員におこなわれたように、という。
「憲法は聖なる書物ではない─それは改正することができるものだ」と彼はいう。

http://www.nytimes.com/2009/04/26/world/middleeast/26baathists.html?hp

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イラクの昨今の暴力再燃は、4月に米軍によってal-Qaeda in Iraqの"Abu Omar al-Baghdadi" が遂に本当に拘束されたからだとも…このBaghdadiの写真は本物だろう─この写真には真実味が!
http://www.albawaba.com/en/countries/Iraq/245762
Iraq government certain about al Qaeda leader arrest despite denial

Iraq's defense minister on Wednesday stated that the leader of an al-Qaeda-linked group was in custody, dismissing an online statement by the very man denying he was arrested.
According to the AP, Abdul-Qader al-Obedi told parliament deputies that the man captured on April 23 was Abu Omar al-Baghdadi, leader of the Islamic State in Iraq


彼の拘束に続いて多くのテロ事件が起こされ多数が犠牲になり、米英の軍人も漸く彼の拘束の真実性を確信したという 
http://www.guardian.co.uk/world/2009/apr/24/iraq-al-qaida-leader-captured-suicide-bombings
Iraq: dozens killed following al-Qaida leader capture

 反乱勢力のカリスマ、al-Baghdadiの拘束記事に対してあるアメリカ人がレスポンスを書いた… 

- 03:03pm May 16, 2009 GMT

re:"et al.'s legacy"

"LOOK at ya ... Yeah, take a look in the MIRROR... now tell me what you see... Another SATISFIED customer in the front of the LINE for the American dream

I remember when we was both out on the boulevard Talkin' revolution and singin' the blues ... Nowadays it's letters to the editor and cheatin' on our taxes Is the best that we can do Come on

Look AROUND... There's doctors down on Wall Street Sharpenin' their scalpels and tryin' to cut a deal Mean-while, back at the hospital We got accountants playin' GOD and countin' out the pills

Yeah, I know, that sucks ・that your HMO Ain't doin' what you thought it would do... But everybody's gotta die sometime and we can't save everybody ... It's the best that we can do ...WHAT ??

FOUR SCORE and a hundred and fifty years ago Our forefathers made us EQUAL as long as we can PAY ... Yeah, well maybe that wasn't exactly what they was thinkin'... Version six-point-oh of the American way

But hey we can just build a great wall around the country club To keep the RIFF-RAFF out until the slump is through

Yeah, I realize that ain't exactly democratic, but it's either them or us and And it's the best we can do

Yeah, passionely conservative ... It's the best we can do

Conservatively passionate ... It's the best we can do

Meanwhile, still thinkin' Hey, let's wage a war on drugs ... It's the best we can do

Hell, I don't know about you, but I kinda DIG this global warming thing..." (LISTEN) http://www.rhapsody.com/steve-earle/jerusalem "Amerika v. 6.0 (The Best We Can Do)" -Steve Earle

Sunday, April 5, 2009

タリバンがスワット渓谷掌握?/"Swat? Not! - Handing the Swat Valley to the Taliban was shameful and wrong." By Christopher Hitchens



Swat Vallayのタリバン明渡しは恥ずべき過ちだ (3月9日 By クリストファー・ヒッチンズ)

全くあらたな方法が我々の上にやってくることだろう ─ 反動的イスラム原理主義と対決しつつ、我々が「穏健な過激派」と「ほんとうに過激な過激派」とを分離できるならば。

つい2,3日前にも我々はバラク・オバマ大統領が「よいタリバンと、悪いタリバン」を区別しようとしていると、また英国政府が政党としてのヒズボラと、私兵(武装)部門としてのヒズボラは区別できるとしている、と聞かされた。ファリード・ザカリヤ(インド系ジャーナリスト)はこう述べた─ <こうした武装組織を阻止する最善の方法は、彼らに自分ら自身の方法でやりたいようにやらせることだ。なぜなら、彼らのシャリア法(イスラム法)施行への欲求は、彼らのグローバルなジハード(聖戦)への渇望と等しくはないし、部分的にそんな渇望を消しさることにもなるからだ>。

次のようなことの証拠について疑うのは愚かだ:アフガニスタンのカルザイ政権が長年にわたって「オマール師」の率いる狂信的な者たちと、地方に住む地元のタリバンとを区別してきたかどうか、とかいうことを。
いずれにせよレバノンではヒズボラは政党として選挙に参加し、その選挙の結果を遵守しているし、(また彼らは将来、イランとの対話の窓口になるかもしれない代理組織だ。)
イラクでのアル・カイダ系反乱勢力との対決での最初の成功は、アル・ザルカウィやオサマ・ビン・ラディンに敵対心を抱く他のスンニ派勢力を、賄賂で動かしたことで、もたらされた。来たる将来我々の同盟者になる可能性があるそのようなイスラム武装勢力を仲間と造反させるべく、拷問その他の超法規的な方法を行使することに私が反対した多くの理由のひとつは──それがそうした可能性を破壊しかねないからだ。

しかしこうした妥協策への誘惑には慎重であるべきだ。パキスタンでのタリバンとの和平実現への期待に基づく試みとして、同国政府は最近、肥沃で繁栄した近代的な渓谷の一地方…旧Swat公国を、過激な党と、特定の神を暴力的に信奉する人間たちに譲渡してしまった。ここはワジリスタンのように、この国の政府や典型的な辺境が何十年も貧しげに語られてきたような、人里離れ荒れ果てた部族地域ではない。そこは、首都イスラマバードから通勤圏内の近距離にある。タリバンはこの地で選挙に勝ったこともないし…もちろん最近の選挙の結果はその正反対だ。そして原理主義者がこの地の支配権をにぎり、文化的・経済的な忘却運動(音楽演奏の禁止、女子学校教育の禁止、中央政府発行の令状の非承認…)を開始して以降、Swat渓谷地方からは避難民があふれ出ている。(Jane Perlez と Pir Zubair Shahによる3月5日のNYTの優れた報告記事を参照**)。

これらのレポートによれば、既にぼろぼろに破綻したパキスタンの中央権力によるこの譲渡は、過激派勢力を鎮圧するどころか、彼らにより一層力をつけているという。この譲渡が署名されたとき名目上の交渉相手だったMaulana Sufi Muhammadは、より獰猛で年若い部族とその思想に関係があり、そうしたグループの中にはベナジール・ブットの暗殺や、何百校もの女子学校の焼討ち、パキスタン兵士たちの殺害、タリバン支配に敵対した地方の部族リーダーたちの殺害への関与が疑われる者たちがいる。そうした武装勢力が、いわゆる「停戦協定」が意図する停戦期間を守る充分な意思がある、ということも多くの人が証言している。パキスタン政府は平和を購う代わりに、何ら戦うことなく、その地域をより法外な要求を放つための根拠地にするかもしれない勢力に国家の中心の一部を明け渡したのだ。これはパキスタンの国家統一の崩壊などの来るべき悪夢の延期ですらない。すでにそのような分裂の一段階なのだ。

アフガニスタンとイラクではすでに、多くの強硬派のイスラム教徒が選挙で選ばれた政府の支持にまわり、虚無主義者たちに対抗している。またこうした議論に対して決然と武力を行使できるNATO軍、または連合国軍の勢力も駐留している。これはデビッド・ペトラエウス司令官がかつて頼りにし、今も頼りにしている「"awakening" (覚醒部隊)」のような運動の基盤条件としては、充分ではないが、必要な条件といえる。しかし、もしもそうした条件が整ってないからといって、行政的主権をもち戦略的にも重要な広範囲の土地を敵に引き渡すことが、そのようなプランの一部だったことは一度もないし、もしそれが行われたならば、災難というべきだろう。

ファリード・ザカリヤはNewsweekのエッセイのなかで、我々が最も懸念すべき超国家的なテロリスト・グループのなかにアフガニスタン人は一人もみあたらない、との完璧な観察を述べた(彼は、彼自身が気づいているよりも正しい。つまりお尋ね者のハイジャック犯になる可能性のある人間は、いまやアフガニスタン人よりも英国人である可能性がずっと高い。)しかし、この仮説の説得力は、現実にはそういう(国籍の)区別がつけにくいこれらの人間たちに区別をつけたがる矛盾のためすぐに朽ち果てる。
アフガニスタンの原理主義者たちがかつて権力の座にあったとき敢えて行ったことは、彼らの国をアル・カイダに安全な避難所としてさし出し、彼らに空港でも使えるパスポートなどの発行すら可能な内陸の一地域を提供したことなのだ。

これと比較可能な施設もいまや揃いつつある─そしてそれは、我々のかつての同盟者、パキスタンの文明化された一地区で、国内の物事の中心地にもずっと近い場所なのだ。

そのような国家政策の失敗と致死的な暴力拡大の間には、もうひとつの共生状態がある─ジハード戦士にのっとられた国や地方というものは、長らく維持される以前に、極度の貧困や後進性、残忍さの中に後退しがちな事だ。このルールには例外がない。我々には、獰猛な幻想家の一団が、文盲な民衆をたった一冊の本で支配しようとした国で何が起きたかを、再びデモンストレーションする必要はない。そうした失敗は誰が悪いのか?責任のあるMullahたちが自己批判を開始する事は絶対ありえないと、私には断言できる。その代わりに、すべての悪事は十字軍/シオニストの陰謀として非難され、欠乏性疾患と学習障害に苛まれた若い男達は、彼らのフラストレーションをより幸福な国々にいかに輸出するかを教えこまれる。こうして失敗国家がならず者国家になる。これが我々に、こうしたことが我々自身の社会のなかで起きてほしくないと願う、世の世俗的勢力、女性の権利グループ、選挙民グループとの連帯関係を維持しておくべき義務がある理由だ。

ぜひとも、現地の司令官たちの手によって──グループの分裂各派間の戦略的な合意を形成させ、彼らを互いに対抗させ、「分裂と支配」というルールを実践し、悪しき者たちを最悪の者たちにぶつけて競い合わせよう… ”それが戦争なのだ(C'est la guerre.)”。しかしどんな場合であろうと、独占的な暴力を、全体主義者や神権主義勢力に従属させてはならない。そうしたすべての理由から我々は、Swat Valleyのよき人々をタリバンへの従属と言論抑圧の下に陥れてしまったこの恥ずべき決断を── そして特に最悪なのは、それを何の戦闘もなく行った、ということについて長らく後悔すべきだ。
http://www.slate.com/id/2213246/


(**NYTの記事)
Truce in Pakistan May Mean Leeway for Taliban
http://www.nytimes.com/2009/03/06/world/asia/06swat.html?scp=1&sq=Jane%20Perlez%20%20Swat%20Valley&st=cse