Monday, April 5, 2010

黒い未亡人(ブラックウィドウ)の謎掛け?/ The Black Widow riddle- By Pepe Escobar


3月29日、モスクワの地下鉄駅での自爆テロの犯人は、イスラム過激派の夫を殺された17歳と28歳の「黒い未亡人」だった─ <犯人が未だ特定されない3月末のコメンタリー> 

The Black Widow riddle ブラック・ウィドウ(黒い未亡人)の謎掛け- By ぺぺ・エスコバル (3/31, Asia Times)
 それは2人のチェチェンの「ブラック・ウィドウ(黒い未亡人)」だ── 黒い髪で、コーカサス系の顔立ち、25歳よりも若い。彼女らは、パキスタンのワジリスタンの部族エリアで、多くのチェチェン人やトルコから来たウズベク人と共に、Abu Hanifahに率いられたアルカイダのアラブ人によって訓練を受けてきた─中央アジアとコーカサス地方全域に、恒久的な大混乱をもたらそうというアルカイダの長期的計画の一部として。

 彼女らはパキスタンの部族エリアをバルチスタンに抜け、そしてイランのシスタン・バルチスタン県へと達した─アルカイダと、反テヘランのスンニ派グループJundallahの間の取引による恩恵を蒙りながら。イランからアゼルバイジャンには容易に抜けられるが、そこは既にコーカサスだ…そしてそこから南ロシアに出る。月曜日に、静かに2人のチェチェンの黒い未亡人…その匿名の者たちは、予告もなしに自爆テロ犯に身を転じ、そしてモスクワの地下鉄で39人を殺害し、64人を負傷させてshahidas(殉教者)となった。
 この身の毛のよだつ、Robert Ludlumのスリラーから抜け出たような陰謀計画にはひとつの問題がある。モスクワ-Af-Pakコネクションなど意味をなさないからだ。

俺が爆弾を作り、お前が自爆する

 「男の協力者(仲間)」という鍵はモスクワの地下鉄の監視カメラの証拠に支えられていた─当局は自爆テロに関与したと思われる男を特定した。もしも黒い未亡人たちがAfPak(アフガン又はパキスタン)で訓練を受けたのでないなら、明らかに彼女らはチェチェンで訓練を受けた。それはカリスマ的なイデオロギストである指導者、BuryatskyことAlexander Tikhomirovの仕業だった可能性がある。

 BuryatskyはロシアのFederal Security Service (FSB – 元の KGB)のコマンドーの手で、イングーシェチア共和国で3月2日に殺された。そのためこの2つの自爆テロは、復讐行為であった可能性もある。 Buryatskyは有名なDoku Umarov─何万何千人の支持者をもち、コーカサス北部を統合する首長国を実現してその支配権を握りたいと望む男─のNo.2だった。昨年、モスクワはロシア連邦の準自治領であるチェチェン共和国における対テロ作戦での勝利と、その終結を厳かに宣言していた。チェチェンのすべての反乱勢力のJihad戦士はもう墓石の下にいるようだ。

 いや、そんなに早く終わってはいない。先月、Umarovは全てのロシア人に向けたビデオメッセージで、「この戦争は彼らの故郷の地に帰ってくる」と警告を発した。そしてそれは起きた─モスクワの中心部で。そして故郷に帰ってくるのみならず、大胆にもLubyankaの地下鉄駅で─FSB本部の真下で起きた。

 クレムリンとFSBにとって、Buryatskyは2009年11月にモスクワとサン・ペテルスブルグを結ぶNevsky Expressの列車を爆破し、26人の死者と100人の負傷者を出した事件の首謀者; そして2009年6月の、自爆テロによるIngushetia共和国の大統領Yunus-Bek Yevkurovの暗殺未遂事件の首謀者だった。彼は30人の自爆テロリストを養成していた可能性がある。そのうち9人は既に死亡した。FSBは残る21人を死に物狂いで探しているが、彼らはロシア国内、おそらくモスクワそれ自体に居ると考えられている。

Shahidas(殉教者たち)の影絵芝居

 チェチェンの最初の”黒い未亡人"はLuiza Gazuyeva─彼女は夫を殺した犯人と信じていたロシアの軍人を2001年11月に殺害した。2001年遅くになっても未だに、悪名高いチェチェンの戦争領主Shamil Basayevは、Riyadus Salihin と呼ばれ、男女両方から構成されるShahidasの大部隊を組織した。Black Widow(黒い未亡人)たちは2004年まで一連の攻撃を行った。Basayevは、FSBによって2006年7月に殺害された。

 Alix de la Grangeはチェチェン在住のスイス人専門家だが、攻撃ラインをたびたび訪れてチェチェンの女性たちにインタビューをした。彼女は黒い未亡人たちがモスクワの自爆テロ犯人なら、彼女らは「明らかに狂信的な者たちによって薬を与えられ、操られていた。黒い未亡人たちは通常若く、夫や家族を殺され意気消沈しており、そして彼女ら自身に失うものは何もない。イスラム過激派にとって、彼女らを砲弾を抱える使い捨て要員とするのはたやすい。2002年のモスクワのDubrovka劇場での人質事件でもそうだったが、黒い未亡人たち自身はその計画には利害関係をもっていない」のだという。

 モスクワの爆破事件については、彼女らは「男の協力者(仲間)」によって遠隔操作で爆弾を爆破させられていた。しかしde la Grangeは、彼女らがパキスタンで訓練を受けたことはないだろうという。「彼女はそこに行く必要はなかった、彼女は自分のいる地域で必要なものは全て手に入れることができた。そしてチェチェンへの旅行は、国境での厳しい管理のためにとても困難だった」

 De la Grangが言うことは、2005年にジャーナリストのJulija Jusikが出版したLes Fiancees d'Allah〔アラーの婚約者たち〕という研究書の根拠となったのだが、それは女性自爆テロリストの家族へのインタビューで成り立っていた。黒い未亡人は基本的に絶望によって導かれており、アラーへの狂信的な崇敬などに導かれているわけではない。Jusikはまた、チェチェンの男たちはけして自爆テロリストにはならない、と書く。彼らは2001年の爆破事件のキャンペーンで、最初から女たちを用いた。彼女らが用いた爆薬は彼らによって製造され、輸送され、爆破されただろう…彼らはそれには気を使っていた。彼らは黒い未亡人たちを中毒状態(薬漬け、夢中)にさせた。そして彼らは、彼が託した爆発物をリモートコントロールで爆破したのだ。

 それがチェチェンの状況と、パレスチナやイラクの状況との違いの鍵だ。Diyala(イラクの県)では2008年に、16人以上の野心にみちたshahidaが逮捕されたが、彼女らのなくなった家族の男性メンバーの多くもまた自爆した者たちだった。そして米国では5年前に、ベルギー出身の白人女性、Jihad JaneことMurielが絶望からBaquba(イラク)で自爆テロを起こした。

 最初の女性による自爆テロは1985年に起きたものと信じられている。それは急進的イスラムとは何の関係もなかった。数知れぬケースのなかで、女性の自爆テロリストは世俗的だ─マルクス主義者の外見を装ったスリランカのタミール・タイガーや、トルコ領クルディスタンのクルド労働者党員などだ。

モスクワの隠された手
 モスクワはAf-Pakとは何のコネクションもない。アルカイダのゲームがKhurasanに首長国を作ろうとしていて(イランの地方県、Mashhadの西方地域でのように、)それが──再度言うが…中央アジアと東イラン、アフガニスタンの大半部分、そしてパキスタンの北部と西部を統合しようとしていた、といえども。

 FSBはアルカイダに言及せず──その代わり北部コーカサスでトランス・コーカサスの首長国を作ろうとしているジハード主義者たちをすぐさま、非難した。モスクワの地下鉄利用者たちが「コーカサスから来たテロリスト」のプロフィールには至極注意を払っていて、2人の黒い未亡人たちが如何なる疑いの念も抱かれないように、全身Dolce & Gabbanaで着飾っていたにちがいない──という事実に飛びつく者は、僅かしかいない。
 しかしそこには、もっと不穏な可能性がある。もしもこの事件がFSB自身の手で、虚偽の旗印の下に行われた作戦だっとしたら?

 De la Grangeはいかなる攻撃の拳も緩めていない。「2002年のDubrovka劇場においては、その時点でのモスクワでの全ての管理体制が証明していることだが、41人のチェチェンのコマンドーが武器庫から武器や爆薬を持ち出して、警察やFSBの何のチェックも受けずに彼らが車輌で市内を静かに通過したことはありえない」

 偶然ならずも、ウラジミール・プーチン首相が2000年3月に選出されたときにも、殆ど同じ言葉を述べていた。「チェチェン人を、我々はトイレに流してやる」と。彼は彼の諜報機関に、テロリストを見つけるため「下水道をくまなく掃討しろ」と命じたところだった。ロシアで最良の賢明なる科学者たちが、自爆テロはプーチンが、コーカサスの全域─チェチェンのみならずIngushetiaやDagestanの両・共和国に対する抑圧にもターボエンジンをかけるための助けになるだろう、と同意した。
 ことは今や切迫したものになっている。水曜日に少なくとも地方の警察官をふくめた9人の人々が、不穏なるDagestan共和国内で2つの爆弾により殺された。BBCは一発の車爆弾がKizlyarの町の内務省とFSB治安機関の地方オフィスの外で爆発した、と伝えた。そしてこれに、同じ通りでの2つ目の爆弾の爆発が続いた。

 De la Grangeはこのようにいう、「彼〔プーチン〕の行く手にはこの国の強い男(実力者)を演じるステージがさらに2年間ある─テロから国民を救う男として─それは大統領であり続けるための必須の条件なのだ。それゆえこの攻撃は、FSBとプーチン自身の手で組織的に画策されたか、または実行を容易に(幇助)されたものだった可能性がある。チェチェンの反乱勢力の前ではかつてトラブルの多い同盟関係があったが、イスラム過激派とFSBは常にそれを注視してきた。いずれにせよ我々が見るには、モスクワでの犯罪はほぼ全面的にプーチンと、FSBにとって益するものとなる。

 それなら、黒い未亡人たちはロシアの諜報部のために働いて、死んだのだろうか?そしてこれらの黒い未亡人たちが、他でもなく…幽霊だったとしたなら?
http://www.atimes.com/atimes/Central_Asia/LD01Ag02.html


*これはちょっと陰謀説的な記事。
*上写真・犯人のうち、Park Kultury駅で自爆した17歳のDzhanet Abdurakhmanova
と 彼女の夫とされ、昨年12月にFSBに殺害されたイスラム過激派リーダー、Umalat Magomedov
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8600563.stm
(BBC)Doc Uramovのビデオメッセージの動画あり


*上記の陰謀説を裏付けるような記事がネットに掲載された:
燻るプーチン首謀説-モスクワ地下鉄爆破テロ
http://megalodon.jp/2010-0415-2020-16/www.excite.co.jp/News/magazine/MAG18/20100405/153/
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11409
 ロシアでのテロ報道は独特だ。記者発表は限定され、当局(多くはFSB)が影響力のある メディアにリークする。そこが発信源になって次々にメディアにキャリーされ「筋書き」ができる。 その一方、現場の独自取材や内部告発で筋を疑わせる情報が発掘されることもある。
 今回も現場に立ち会った警察関係者の情報として、解析された駅の監視カメラに実行犯に付き添う「スラブ系の2人の女」が映っていたことが明らかになった。スラブ系は白色人種で ロシア人が主。カフカスにも少数いるが、過去のテロ事件からみて筋書きへの疑念も浮かぶ。
 昨年11月に起きたモスクワ発の特急列車爆破テロでも、現場から逃走した「スラブ系の男」が警察に手配された。FSBはこの情報を握りつぶし、カフカス系テロ集団の犯行と断定。 北カフカス地域のイングーシ共和国でも掃討作戦で容疑者らを殺害、拘束したと発表した。 目撃されたスラブ系は「見届け屋」と称される工作員ではないのか。
 スラブ系に限らずテロ現場に諜報機関の工作員とみられる人物が介在した例は少なくない。02年にモスクワの劇場で起きた占拠事件では、犯行グループの中にテルキバエフという人物が いた。FSBの突入作戦の直前に現場から逃走。後に、ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ 氏のインタビューに応じ、「特務機関(FSB)から送り込まれた」と告白した。
 この人物はロシア有力紙の記者証を所持し、政界の実力者ロコージン議員の側近という別の顔を持つ。正体は武装勢力を揺動するため組織に潜入したFSB工作員だった。この告白の翌年、不審な交通事故死を遂げた。
 学校占拠事件でも、ただ一人拘束された実行犯のクラエフ服役囚の裁判で、複数の人質が 「犯人には明らかにロシア人とわかるスラブ系の女がいた」と証言した。しかし、犯行現場から女たちは忽然と姿を消した。
 FSBや軍参謀本部情報総局(GRU)の特務機関が直接、破壊活動に手を染めなくとも、工作員の揺動で「武装勢力によるテロ」という主張がまかりとおる。
 こうした工作活動に、政権中枢がかかわったことを明らかにしようとしたのが、FSB元職員のリトビネンコ氏と、前述のポリトコフスカヤ氏だ。
 モスクワなどで発生した1999年のアパート連続爆破事件では、当時のエリツィン大統領を補佐したしたプーチン首相が、チェチェン独立派の犯行と決めつけ、第2次チェチェン戦争の口火を切って求心力を高め、自ら大統領への階段を駆け上がった。
 だが、対テロ戦の裏で、事件は意外な展開をみせた。アパート爆破未遂の現場で地元警察に逮捕された「スラブ系の不審者」がFSB工作員である可能性が高まった。この事件で、「プーチンに権力を掌握させるためFSBが爆破テロを仕組んだ」と内部告発したのがリトビネンコ氏だった。
 同じく、プーチン氏と旧KGB派の「謀略」を批判的に報道し続けたポリトコフスカヤ氏は、06年10月に自宅アパートで射殺された。翌月、リトビネンコ氏も亡命先のロンドンで放射性物質を投与、毒殺された。いずれも特務機関の関与が指摘される。
 今回の地下鉄爆破テロで、プーチン首相は、「テロリスト」を下水道から引きずり出す」と啖呵を切った。アパート連続爆破事件のときに、「テロリストは便所に隠れても息の根を止める」と発言し、国民の喝采を浴びた過去を意識したのだろう。
 さっそく、プーチン首相はテロ対策を強化するための法改正を明言。 …

Sunday, April 4, 2010

タリバン指導者の逮捕と、パキスタンが求める「ストラテジック・デプス」/ 'Strategic depth' at heart of Taliban arrests By Shibil Siddiqi


*「Mullah Abdul Baradarだといわれる男」はトリックスターのような男の写真だ→ 

タリバン幹部の逮捕の"ストラテジック・デプス"(戦略的縦深性)とは? By Shibil Siddiqi (3/24, Asia Times、抄訳)

 パキスタンは最近、タリバンNo.2の司令官Abdul Ghani Baradar師と、クエッタ評議会 Quetta Shuraの多くのメンバーを含むタリバンの幹部たちを逮捕した。またパキスタン政府が攻撃対象とすることを嫌ってきたはずの、有力なHaqqani族ネットワークのリーダーMohammad Haqqaniを、無人偵察機の攻撃により殺害した。影響力のあるシンクタンク、Carnegie Endowmentなどの多くのコメンテーターたちはこれらの逮捕の裏にある動機の説明に苦闘しているが、しかし彼らはパキスタンがアフガンへの戦略を180度転換したのでは、と期待している。

 その逮捕とは、実際にはパキスタンの思惑のパラダイムの転換というにはほど遠いものだ。パキスタンのアフガニスタンへのアプローチは、2つの単語に集約される:"strategic depth”(戦略的縦深性)…それは20年以上にわたるこの国の戦略ポリシーの、聖なる目的だ。この"戦略的縦深性"は、パキスタンのアフガニスタンとの関係の中心の柱であり続ける。しかしながら、このコンセプトはパキスタンの治安組織からは、国内と海外の機会と脅威のバランスがスライドしたことに伴う成行きの帰結だと、再解釈されている。

戦略的縦深

 軍事的なコンセプトでの"ストラテジック・デプス(戦略的縦深)"とは、現状の、あるいは潜在的にある戦いの前線と、人口や物流活動、産業活動や軍事的活動の集中する、中心地域との間の距離に関係している。そのような深みをもつことは、その国が当初の攻撃に耐えて、攻撃に対抗する軍事力を再結集することを可能にする。

 パキスタンの地理的な狭さと、主な内陸地域やコミュニケーション・ネットワークの存在が宿敵インドとの国境線に近いという事実は、"ストラテジック・デプス(戦略的縦深)"の欠如として、この国の軍事プランナーたちを長年悩ましてきたことを意味する。それは1946年に独立国家パキスタンが帝国の計画ボード上にだけ描かれていた頃にも、インド軍の一般幕僚General Arthur F Smitが、深い憂慮として定義したことだ。友好的なあるいは、(より好ましい)柔軟性のあるアフガニスタンの可能性とは、インドとの関係のなかで一層誇示されるこの"戦略的縦深"という考えのもとに、パキスタンの防衛と外交戦略の方向性を長らく牛耳ってきた想像力に乏しい軍の幹部たちにとってのマントラ(お題目)だった。

 しかしパキスタンはその早い時期には恒常的な国内での危機や国際的な孤立、外交戦略の混乱と軍事的な弱体性などに苛まれて、そうしたことは夢物語〔幻想〕だった。1950年代の終わりから60年代に"common defense posture(共同防衛の姿勢)"という言葉が、戦略的・思想的・宗教民族的な意味で持ち出されはじめた。しかしアフガニスタンはインドと強い同盟を維持し続け、ソ連の影響力の範囲にもあり続けた。

 '79年にソビエトがアフガンに侵攻し、即座に80年代にムジャヒディーンが表面上の勝利を勝ち取るまで、友好的なカブール政府の設立とは捉えどころのない考えだった。その後は、カブールのクライアント政府を通じた"戦略的縦深"は軍のオフィシャルなドクトリンとして受け入れられた。これは90年代の激烈なアフガニスタン内戦に火をつけて、パキスタン政府をして1996年にはタリバンが政権を樹立することをほう助させた… (中略…)

 …2001年9月11日の米国への攻撃に引き続く、米軍のアフガニスタン占領は、パキスタンによる第一の影響力喪失につながった。それはパキスタンのアフガニスタンとの関係に、多くの変化をもたらした。しかし、イスラム原理主義者のパシュトーン人〔=タリバン〕に支配された柔軟なアフガニスタンを放棄する、という考えは彼らにはなかった。米国の前線での同盟者の役割を再開しながら、パキスタンはタリバンといくつかの重要なつながりを維持し、NATO軍が撤退したときに彼らが最終的な勝者として残ることを見込んでいた。

 しかし、変化は醸成されていた。パキスタンの外務省はここ何週間かにわたり、カブールの「多元的な」政府の必要性について語っているのだ──パキスタンがアフガニスタンの政治の秩序についてそのような用語を用いて語るのは、これが初めてだ。しかし本当のプレーヤーたち──軍幹部の本部からそれが持ち出されたのはつい最近だ。
 2月1日に珍しく行われた記者会見で、パキスタン軍の総帥General Ashfaq Parvez Kiani(大将)は、刷新されたポリシーについてのヒントを提示した。「我々はアフガニスタンに"戦略的縦深"を求めるが、それをコントロールしたいとは思わない」、と彼は言った。「平和で友好的なアフガニスタンが、パキスタンに"戦略的縦深"をもたらすと考える」。

 タリバン化されたアフガニスタンを求めることを否定しつつ、彼は付け加えた、「我々はアフガニスタンに、我々自身がしてほしくないことを求めない」──その声明は、タカ派の軍部のチーフとしてのみならずパキスタンのリーダーとして前例のないものだ。大将はさらに、米国とタリバンの間を仲介する用意のあること(1月にNATO本部訪問の折にも同じ提案をしていたのだが)を繰り返した。

リアリティの転換

 少なくとも2つの関連した事項が、パキスタンの"戦略的縦深"への見方を転換させたのだといえる。一つ目は、タリバンがNATOよりも長くこの地で生き続けることは殆ど確実だが、彼らにとって、96年から2001年まで彼らがこの国を支配してきたときのような露骨な軍事的勝利は不可能になった、という遅まきながらの認識だ。

 それには多くの理由がある─ もっとも明瞭なことは、タリバンはもはや統一的な武装勢力ではなく、無名でもなく、前世代のタリバンたちのもっていた理想主義的な実体が再生した組織でもない。さらに、かつてのムジャヒディーンの司令官たちは多くのShades(警察関係の刑事、スパイなど)に自身の防衛のために実質的に投資してきた、その結果現状の体制(Status Quo)に現実的な権益を保持する状態になっている──ちょうど、アフガニスタンで非パシュトゥーンの少数民族(マイノリティ)のほうが今やより一層、政治的にも軍事的にも組織化されているのとも同様に。

 そしてタリバンが西欧やアフガンの近隣諸国に取り入ろう(入り込もう)としてきたこともありえない。彼らがパシュトーン・ベルト地域の外の非パシュトーン地域の中心や、北部アフガン地域に影響力を拡大しようという試みはすべて粉砕され行き詰まりに陥っているようだ──それはパキスタンを継続的に不安的化し、経済的にも血を流させるのだが。

 パキスタンのアフガン戦略の転換の原因としてもうひとつ見過ごされているのは、タリバンの勝利はパキスタンの治安勢力にとって、すでに望むべきものではないということだ。タリバンを権力の座に維持するための経済的、政治的、外交的なコストはあまりにも高価だ。またパキスタンは国内のイスラム原理主義反乱勢力と苦闘しながら、同時にアフガンでタリバンを自由にさせて、表面下に見え隠れするパシュトーンのナショナリストのスパイを放置するような余裕もない。

 「パキスタンにとって、国内で全開状態のイスラム原理主義勢力と直面しながら、アフガンの急進的イスラミストを支持するなどという戦略は意味をなさない」と、Stratforの中東・南アジアディレクターのKamran Bokhariはいう。「メロンを見つめていれば、カンタロープ〔マスクメロン〕でさえ色づいてきて見えるものだ」と、Bokhariは、タリバンがパキスタンの反政府勢力を危険を冒して物質的・思想的に支持していることを、ウルドゥー語の有名な格言で説明した。

 タリバンは依然、パキスタンにとってはアフガンに影響を及ぼすための主要な媒介物だ。しかしBokhariによれば、「パキスタンはもはや彼らに舞台で演じてほしくない」、彼によれば、パキスタンは初めて、アフガニスタンの非パシュトゥーン系勢力にチャネルを開いたのだという。そして彼らは同時にワシントンを通じて、タジク人主導のアフガン国軍(ANA)の訓練に関与を強め、これにますます成功裏に投資しているという─そこには、パシュトゥーン系のタリバンがアフガン国内で最大の政治的、軍事的組織だという事実がある─パキスタンはソビエト撤退後に模索した状況は達成できなかったとはいえ、指揮命令者のポジションを得られるかもしれない。

パキスタンによる逮捕を再考する

 パキスタン政府による最近のタリバン幹部の逮捕を考えよう:逮捕されたリーダー、Mullah Baradarは特に、パキスタンでは彼らの独立したアジェンダを持つと疑われていた。彼らはパキスタンの存在を迂回して、バックチャネルを通じ米国やカブールのカルザイ大統領、国連とも対話を持つと信じられていた。
 パキスタンによる逮捕はこうしたチャネルを突如、閉ざしてしまった。彼らは同時にパキスタンに、将来タリバンとの対話においてタリバンの代表者となりうる上層部リーダーたちをコントロールする能力を与え──あるいは必要な際には(パキスタンの求めに応じて)彼らを借り集めることができた。しかしこの逮捕は、米国とアフガン政府、そしてタリバンにとっての明確なサインなのだ──パキスタンは、自らの出席する場のない交渉のテーブルというものと共に在ることはできないことを、彼らに示した。

 Kianiの言葉によれば、「〔パキスタンの〕戦略的パラダイムは充分に実感すべきだ。」─米国人とKarzaiは共にパキスタンの影響力の最小化に努めてきた。しかしその関与する範囲の広さと深さ、そしてNATOによる占領と撤退への計画になくてはならないこと(不可欠性)から考えて、その努力は成功しそうにない。
 彼らによる〔タリバンの〕逮捕はまたタリバンに対して、アフガニスタンでの彼らによる反乱勢力の組織を(白紙委任し)自由に任せたりしないとの、シグナルも送った。そして彼らは、パキスタンの利益やリスクの完全な分断化を図る必要があった。タリバンに交渉を強要し、パキスタンはタリバンのもつ最大の財産…時間というものを取り崩しにかかっている。どんなゲリラ勢力もそうであるように、タリバンは短期的勝利よりも長期的な消耗戦を好む嗜好を示している。これがすなわち、最も成功する反乱勢力というものが恒常的には敗北を喫しながらも、最後には戦に勝つ…ということの理由だ。

 タリバンと米国の間の仲介者の役割を自身に強制しつつ、パキスタンは"戦略的縦深”の要請に応じた、ある種の交渉結果を形づくることを試みている。アフガンの他の民族グループとの共存を図ることは、アフガンのタリバンにバランスをすっかり喪失させて─彼らが〔パキスタンのタリバンや他の過激派たちとの連携を通じて〕パキスタンに侵入することを防ぐだろう。これによってパキスタンのタリバンを彼らのアフガニスタンの同輩から孤立させる。パキスタンの反乱勢力はこれまでより国境線を超えた活動ができなくなり、そして彼らは反乱勢力にも類似した状況の受け入れを強要させるだろうし、その他の勢力をも決定的に弱体化させ、また排除する結末を得られるだろう。

もう沢山だし、もう遅すぎる?

 パキスタンの極大化主義者の立場からの撤退は、歓迎すべきことだ。しかし彼らはその戦略的機構の沢山の動的パーツを動き出させようとしている。今日のアフガニスタンの民族グループ同士の不信頼は、彼らのパキスタンへの信頼のなさのみに匹敵する。パキスタンの最近の動きはただ──非パシュトゥーン系がずっと不審の目で眺めていたなかにおいて──パキスタンを、タリバンやパシュトゥーン族一般からもさらに孤立化させる。
 
 こうした要素は最終的には彼らによる、パキスタンの影響力を制限するという立場に基づいた充分な反抗として具体化するかもしれない。1980年代にもパキスタンが、将来のアフガン政府との交渉を拒否して過剰な手に出すぎたことも想起すべきだ。パキスタンは赤軍ゲリラの苦境も長引かせつつ、西欧諸国からの援助も延長させて可能な限りの最善の条件を引き出そうとしたが、ソ連の撤退とそれによる西欧諸国の(この地域での)利害喪失のスピードを予測し得なかった。彼らが今や、米国のこの地域の占領に対して同じミスを犯す可能性も懸念されている。

 イランやインド、そしてロシアが抱く、パキスタン及びタリバンに対する不信は…これら2者がアフガンに対する共通のプラットフォームを見出して出会ったときから拡大した。しかし米国、パキスタン、サウジアラビア、トルコの同盟が結託した脅しによる合意を結ばせ、米国は安定化の図られた国を後に残しアフガンから撤退するかのごとく装えるかもしれない。
結局、アフガンの安定とパキスタンの捉え所のない"戦略的縦深"性は引き続き、一方にはアフガンの多くの民族グループの、一方にはその手の負えない近隣諸国の存在するナイフのエッジの上に在り続けることだろう。それは困難な注文だ─
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/LC24Df03.html


パキスタンの態度に変化はない、最近の逮捕は単なる些細な戦略だ (3/25、rediff.com)
 …最近のパキスタンのタリバン上層部の逮捕は、彼らの戦略的転換を表しはしない。現実には、パキスタンは米国の撤退後により友好的な近隣諸国との関係を確保する交渉の主導権を握るためにこれを行った、とカーネギー財団平和研究所のAshley J Tellisは語る。そのドラマチックな逮捕は当初、思われたほどの目醒ましい出来事ではなかった─

 …そしてそれはアフガンの最終ゲームでの最大の敵が、アフガンのタリバンではなくインドであること、これをニュートラルにする必要性──への断固とした確信がその動機となっている。 

 そしてまたこれら一連の逮捕が米国の諜報部の動きに促された、という指摘は完全に偶然の一致に過ぎず(*註: CIAは昨今、無人偵察機でのワジリスタン地域の未曾有の空爆をおこなった)、パキスタンとの間で前もって熟慮計画された逮捕などではなかった、とTellisは指摘した─

 結果として、パキスタンでのタリバンのリーダー層の壊滅も起きてはおらず、パキスタンがその態度を「大転換」させたこともありえない、と指摘した。
http://news.rediff.com/report/2010/mar/25/arrest-of-taliban-leaders-just-pakistans-tact.htm
国連、ベナジル・ブット暗殺の調査報告書のリリースを延期(3/31, Dawn.com)

 …国連が任命した独立調査委員会は昨年7月に、2007年12月のブット暗殺についての調査を開始したが──彼らはこの水曜日に、国連の藩基文事務総長あてにその報告書を提出する期限となっていた。担当者のNesirkyによれば、その報告書は「今や完成して配布を待っており、公けに発表される予定がある」──しかし、藩基文事務総長も未だこれを読んでいない。また、この報告書をパキスタン政府に対するリリースを延期するようザルダリ大統領が要請したため、パキスタン政府には4月15 日以前に見せることはできない、という。イスラマバードの国連スポークスマンは、報告書リリースに伴う安全対策上の予防措置として、水曜日からパキスタン国内の全ての国連施設を3日間に亘り閉鎖することを国連が決定した、と発表した。
http://www.dawn.com/wps/wcm/connect/dawn-content-library/dawn/news/world/12-un+delays+release+of+bhutto+slaying+report--bi-05

Saturday, April 3, 2010

この2月、パキスタンでは〔タリバン指導者たちの逮捕〕/ In Pakistan, last February..


オマール師の側近、カラチにて逮捕 (要旨、2/16, rediff.com)

 カラチ郊外で、Omar師の2番目の部下といわれるMullah Abdul Ghani BaradarがCIAとISIの隠密の合同作戦によって補足された。Baradar師とは、911以前にオサマビンラディンの側近であった人物だ。
 ─NYタイムズはBaradar師の逮捕が、タリバンの単眼の総帥オマール師を含む、他の有力なリーダーたちの逮捕につながることを、米高官たちが期待していると書いた。
 米国の撤退後のアフガン国内での影響力維持のために、ISI内部にはアフガンのタリバンに秘密裏に資金や物資を援助している者が居ると米国側は信じている。パキスタン国内で、タリバンの指導者たちが比較的自由に行動できることは、長年CIAとISIの摩擦の種となってきた。ISIはタリバンの指導者の所在を詳しく知っているのに、CIAにそれを明かさない、との苦情をCIAは申し立ててきた。インターポールによれば、Mullah Baradar は 1968にアフガニスタンの Oruzgan県Weetmak村で生まれた… (以下略)
http://news.rediff.com/report/2010/feb/16/mullah-omars-close-aide-captured-in-karachi.htm

バラダル師の逮捕:ISIとアフガンのタリバンのハネムーン時代は終わった─(2/17, rediff.com)

 専門家は、パキスタン政府とISIはCIAのBaradar師の逮捕を助けたことにより、オマール師の率いるアフガンのタリバンの信頼を失うだろうという(彼らはパキスタン軍によるTTP〔Tehrik-e-Taliban Pakistan〕とAl Qaedaへの攻撃を、常に批判してきた)Baradar師の逮捕は孤立した事件ではなく、パキスタン政府はこれまでに多くのタリバンの重要メンバーを逮捕し米国政府に引き渡してきた。しかしこの地域での国際的均衡は変化しつつあり、米国は「良いタリバン(穏健派)」との対話を進めると決めている。
 パキスタンの諜報機関と接触のあるBaradar師はカラチとやクエッタをしばしば訪れていた。(情報筋によれば)パキスタン政府は彼をオマール師に対するPawn手先として使い、原理主義者グループに亀裂をもたらそうと試みたが、その策略は失敗した─今回の逮捕はそのための結果だと考える専門家もいる。
 アフガンのタリバンは、元タリバンの大使であったザイーフ(Abdussalam Zaeef)を911の後にパキスタン政府が米国に引き渡したにも拘わらず、パキスタン政府に協力しつづけてきた。
 2003年にパキスタン政府はタリバンの閣僚Mullah Abdul Razzaqを逮捕したが、彼は2007年に逃亡に成功した。パキスタンの諜報機関はまた、旧タリバン政府の閣僚Mullah Obaidullah Akhundをも逮捕し、米国に引き渡した。
 2008年2月にパキスタンは自爆テロの教義を広めて恐れられるタリバンの司令官Dadullah Akhundの兄弟であるMansoor Dadullah司令官を、バルチスタンで他の5人のタリバンのメンバーと共に逮捕した…
http://news.rediff.com/report/2010/feb/17/baradar-arrest-the-isi-afghan-taliban-honeymoon-may-be-over.htm

パキスタン曰く:タリバンは'ハキムラは生きている'と繰り返す(2/10, rediff.com)

Hakimulla Mesudがカラチに治療のために向かう途中パンジャブ州で殺害されたとの報道に対し、パキスタンのタリバンTehrik-e-Taliban Pakistan (TTP) はHakimullahが治療や逃亡のためにトライバル・ベルトを出たことは一度もない、と否定した。

 先の報道ではHakimullahはカラチに行く途中、Multan市で殺害され、遺体はオラクザイ・エージェンシー(部族地域)に返されたとされた。しかし南ワジリスタンのLaddah地域を統率するタリバンのShamim司令官は(rediff.comに対し)、「Hakimullah Mesudは死んではおらず、部族エリアをでたこともない。“怪我をした”MesudがMultanを出て逮捕もされず、その遺体が同時にオラクザイに返されるなどということが何故ありえるだろう?」と述べた。
http://news.rediff.com/report/2010/feb/10/pakistan-taliban-reiterates-hakimullah-is-safe.htm

CIA長官、パキスタンでの秘密攻撃によりアル・カイダの土台はよろめいたと語る─ (3/18, Washington Post)

パキスタンの部族エリアにおけるアル・カイダへの激しい攻撃は、オサマ・ビンラディンと彼の高官たちをより深い隠遁に追いやり、彼らの高度な作戦の遂行を阻んだと、CIAのレオン・パネッタ長官は水曜日に語った─
…彼は、パキスタン政府との協同作戦の強化改善と、彼が「CIAの歴史上最も激烈な作戦」と呼ぶものが功を奏したと語り、それが「秘密の戦争」と呼ばれることを半ば公的に認めたといえる─
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/17/AR2010031702558.html?hpid=topnews

インドを忘れるなかれ!Don't Forget About India- Prime Minister Singh's visit was almost eclipsed by the silly Salahi storyーBy C.Hitchens



インドを忘れるな! シン首相の訪米はパーティー闖入者夫婦の馬鹿げたストーリーで殆どかき消された… (2009,11/30 By クリストファー・ヒッチンズ

 軽侮に値するサラヒ夫妻 (*先日の、オバマ大統領のホワイトハウスの晩餐会に招待もなく闖入し、メディアの注目を浴びた目立ちたがりカップル…)に関する報道は、ジャーナリズムを生業とする者の一員であることを、二つの意味で恥だと感じさせた── その一つ目とは、大量のインクや放送時間がこの、安易に報道可能な「突発ニュース」のストーリーに費やされて、多くの報道メディアがこのカップルに最初の「独占インタビュー」を請うことで、自らの尊厳を傷つけたことだ。そして、二つ目のより顕著な理由とは、米国を訪れた重要なゲストに対して重大な無礼を働いたことだ。グレシャムの法則のジャーナリスティックなバージョンにのっとり、ジャンク報道が真面目なジャーナリズムを駆逐して…そしてインドのマンモハン・シン首相の訪米は、この愚かなナンセンス劇で殆どかき消されてしまった。そんな事はいつ起きてもまずかっただろうが、しかしこの訪問とは、特に重要なものだったのだ。それは、イスラム過激派によるムンバイのテロ事件‥〔パキスタンだけが、幾人かの自国の人間をようやく法廷で裁き始めたばかりの事件〕から、一周年に程近い時期に起こった。我々は、アフガンの新戦略に関する討論が主要テーマとされる、ディスカッションの週に入っていたが、インドとインド国民に関する考察を、屑のごときパーティー闖入者のためになされた考察の100万分の1にしか割かなかっのだ。。

 月曜日にニューヨーク・タイムズが掲載した広範囲に及ぶ記事とは、火曜夜にオバマ大統領がウエスト・ポイント海軍士官学校で行ったスピーチの輪郭をなすものと思われる、外交筋からの深いバックグラウンド情報に基づくものだった。その明瞭なパラグラフには、このようにある:

 オバマ大統領の構想する、米国が派遣したアフガンの追加兵力部隊が集結した後に…いかに段階的に撤退していくべきかの計画案の、詳細なブリーフィングを受けた同盟国の政府関係者のひとりはこう言った─その構想では、アフガニスタンでの顕著な米軍の駐留が長期的なものになるという事が、明確化されていたと。その構想にはまたパキスタンに対して、米国がこの地域を諦めたりしないというシグナルを送り、米国の撤退した後にインドがその空隙(真空状態)を埋めることへのパキスタン人らの怖れを宥めようとの狙いもあった─

 そうした解釈が正しいのなら、それは最近、Stanley McChrystal司令官が発表したレポート〔…米国内在住の軍幹部たちが、アフガンにおけるインドの影響力について語っているもの〕の内容とも、一貫している。シン首相の訪問とは、この地域内での米国による戦略の'パキスタン化'の傾向の拡大が…賢明な、または正しい傾向であるかに関する活発な、オフィシャルな議論の機会であるべきだった。

 インドは911よりもずっと以前から、タリバンには反対し、北部同盟を支持してきた。そしてタリバンの敗走後には、国の再建に巨大な援助を行ってきた。同国、はこの地域での巨大な諜報ソースとして、それ自身がしばしば‥我々の戦う相手と同じ勢力の者達による、攻撃のターゲットとされてきた。その国民議会─多種多様な民族から構成される民主主義的な議会…Lok Sabhaは、2001年の秋に大掛かりな車両爆弾のターゲットとなり、また同国のカブールの大きな大使館は、タリバンとアルカイダの同盟勢力による特別な注視の対象となり…そして勿論、我々はムンバイでのテロを忘れるべきではないのだ。我々はインドの、インド亜大陸における巨大な経済・軍事力が、その定期的な選挙システムや、報道の自由、パキスタン国内のイスラム教徒とも同数に近い同国の)イスラム教徒がその元で暮らす世俗的憲法、そしてシリコン・バレーにまで進出して英語を話すビジネス階級の存在に伴われている、ことも忘れるべきでない。

 パキスタンという国は、その発端から「失敗」という呼び名で弄ばれてきたのだが、彼らにとってはインドを同じような言葉で語ることは不可能だ。インド国境、カシミール地方の前線の同国の駐留兵力は、大きな躊躇によってのみ撤退させられるだろう。…圧倒的に強力な、パンジャブ出身の軍人たちに支配された軍隊には、敵対という執着観念しかない。
この同じ軍隊はその次なる執着観念を隠そうとはしない…つまり、カブールにおける親パキスタン的な政権の樹立だ。(このような目的もまた、パキスタン人のアフガニスタンに対する、インドとの戦いにおける戦略的縦深性 "strategic depth”への願望からきている)
 アフガニスタンの最初のタリバン化、というものはそれ自体がパキスタンの諜報機関Inter-Services Intelligence、あるいはISIの公けのプロジェクトであったし、そしてCIAは過去8年間を通じてそれを容認し続け、またはいくつかのケースで、周知の事実を再発見し続けてきた:タリバンがパキスタンの同じ高度な諜報機関から、未だに隠れもない援助を受け続けてきたという事実を─

 この、"war on terror"(対テロ戦争)におけるパキスタンのエリート層への巨大な(米国政府による)資金補助は、かくして、一部は我々の戦っている相手の勢力への支援金に、また一部は、彼らに停戦の振りをさせる為の賄賂に用いられている。ところで、パキスタンの報道機関と教育システムの残り滓というものは、実質上、反米・反ユダヤ的なプロパガンダを大量生産し、その国民に、真の敵とは民主的で世俗的な西欧世界なのだと納得させるマシーンなのだ。そしてそれらの最上部にいるのとは、この国の「国民的ヒーロー」のA.Q. Khan博士…長年に亘って核のブラック・マーケットを政府の協力のもとで動かし、核分裂物質をリビアや北朝鮮のような国々と分け合ってきた人物だ。それでもオバマ政権は、この危機に対する戦略を述べる際、「Af-Pak」というような限定された愚かな略称から外に出ることはできていない。…そのように両国を対のものと見なし、インドを除外することで、政治的・軍事的プランナーたちは自らを視野狭窄に陥らせ、そしてこの地域で我々の大きな同盟者となるべき国のハートをも失望させている(他の目的でも…例えばますます見境いのなくなる中国に対する対抗勢力として、同国を据えるといった意味においても)

 喉をかき切り、学校を焼き払い、女性を石打ちの刑で殺すタリバンたちは、パキスタンとアフガニスタンの村人たちを深夜遅く訪問することで…ひとつの大きな心理的アドバンテージを得ている。「いずれ、アメリカ人とヨーロッパ人はこの地を去る」と彼らは言う、「しかし我々は、常にここに居続ける」のだと。…そこには幾らかの真実がある:この国で行われる議論の多くがいまや、"exit strategy“(撤退戦略)に関する議論だからだ。そして、彼ら(欧米人)のやってきた良き行いの全ても、他のNATO軍の兵力の殆どの非常時部隊らも、もう既にこの国を後にしているのだ。しかしもしも米国が、ニュー・デリーの勃興しつつある巨人と経済的、軍事的そして政治的な同盟を結ぶならば、我々は空威張りすることなく、この地域での我々の存在を長期的に揺るぎない、不変のものにすることができる。それはさらに一層、相互的な友好関係と共通した価値観によって支えられて、賄賂や甘言によって卑しめられることは少ないものだ。そして、パキスタンのエリート層は、どちらが彼らの本当の敵かを決めなければならない:タリバン-アルカイダ同盟か、それともインド-アメリカの同盟かを。そこにはこうしたタイトルの元で、より多くの議論すべき事柄があるのだが…しかし今はまず、この最新のタレクとミシェルのゴシップを伝える報道のスタジオに戻ろう…。
http://www.slate.com/id/2236951

Saturday, March 20, 2010

ヤマニをとるか?あなた自身の人生をとるか?Yamani or Your Life - A nasty attempt to coerce Danish newspapers into apologizing for the cartoons of Mohammed By C.Hitchens



ヨーロッパでは、宗教に対する論争が高まっている…ますます憤激を高めるコラムニスト?? 

ヤマニをとるか、それともあなた自身の人生をとるか?
─モハメッドの風刺漫画を載せたデンマークの新聞社に謝罪を強要した、彼等の不快な試みについて─ By クリストファー・ヒッチンズ(3/8、Slate.com)

 私は、これまでに私のデスクの上に舞いおりた書類の中で最もばかげた、不快なもののひとつを、いま読み終えたところだ。それはAhmed Zaki Yamaniという男の営むサウジアラビアの法律事務所から、スカンジナビアの新聞社グループに送られた手紙だ──ここにその主要なパラグラフを直接引用しよう:

<我々の法律事務所は、過去数ヶ月間にわたり──彼等が先祖として崇敬している預言者を、ターバンに爆弾を隠した自爆テロリストとして描いた絵画を…あなた方の新聞が再び掲載した、ということを知った預言者の数千人の子孫たちと接触してきた。

 預言者の子孫としてこれらの人々は、貴紙の風刺画の再掲載によって個人的に侮辱されように感じ、苦悩の感情に苛まれ、名声を奪われたと感じている。そのため、彼等は我々の法律事務所を雇い、私に貴紙と交渉することを依頼した…>

 そしてこのばかげた箇所── 7世紀の戦争領主にして説教師だった人物の子孫だと称する人々が、傷つけられた感情のために訴訟を起こす、という箇所に至る。たちの悪い(ぞっとする)部分は、その数パラグラフほどあとの部分だ:

 <…貴紙が、先述の条件を満たすなら、それはムスリム世界全般に対する尊敬と理解のしるしである、とみられるだろう。そして貴紙が、風刺画の再掲載によって引き起こした深刻な軋轢を解決することに寄与するだろう。お気づきの通り、この軋轢はいまだに、デンマークとアラブの利益に影響を及ぼしている──特に、沢山のデンマーク製品がいまだにボイコットを受けている中東地域で>

 この、2つ目の引用文に脅威と脅迫の要素を感じないでいることは不可能だろう。デンマーク人たちに対し…2005年にモハメッドをマイルドに風刺した絵画が最初に掲載された後におこされた、大使館の焼き討ちや暴徒による市民虐殺などの組織的でヒステリカルな報復を思い出させることは、難しくない。
 
 ここでは、ほんの僅かな背景の説明だけが必要だろう:
2008年に、狂信的な殺人者のセル(グループ)がこれらの風刺画を描いた者たちの殺害をもくろんだことが露呈し、そしてデンマークの大きな新聞社グループは、言論の自由への支持を表明すべく、連帯してその風刺画をふたたび掲載した。すると2009年の年明けに、あるソマリアの原理主義者が、74歳の漫画家Kurt Westergaardと、泊りにきていたその孫娘とが休んでいた家に侵入を試みて、彼ら2人の殺害にほとんど成功しかけたのだ。

 しかし、このような出来事すべてに対する謝罪が、攻撃をしかけた者や扇動者たちによってなされるよりも、彼等による犠牲者たちの側から発されるべきだ、とされたのだ。先月の下旬に、コペンハーゲンの新聞“Politiken”は、Yamaniの法律事務所の命じた条件に応じて、公式な謝罪を掲載することに同意した。
 
 Yamani はベイルートでの勝ち誇った記者会見で、この見下げ果てた決定を祝福し、彼が94,923人以上にわたる怒れる預言者の子孫の代理人だと称する、その奇怪な主張を繰り返して、ひとつの完全にばかげた声明と、過激な悪意のある声明とを発した:

 <我々の見解においては、すべての宗教的な偶像たち──聖処女マリアや、イエス・キリスト、モーゼ、そして(預言者やそのメッセンジャーたちと比較すべきではないが)…その他の非宗教的だがヒューマニティに貢献した偶像たち…すなわち、マハトマ・ガンジーや、ネルソン・マンデラ、マーチン・ルーサー・キング、ダライ・ラマ…また、イブン・シーナやイブン・アル・ハイザム、アルバート・アインシュタインといった偶像たちは、すべて尊崇に値し、侮辱や名誉毀損から守られるべきなのだ>

 このような歴史的レベルのクレチン病(奇形病)はまれにしか起こらないものだ。明らかにYamaniは、マハトマという称号が、ヒンズー教の宗教的な尊称ではなく単なるファーストネームだと考えているし、"ダライ・ラマ゛というのは世俗的な肩書だ、とも思っているようだ。そればかりか彼は、(貴方は、ここにユダヤ人の名前を投げ入れているのは、ご愛嬌と思うだろうが)、厳格なスピノザ主義者のアインシュタインが、ビッグ・バンや量子理論について述べた、その多くの誤った仮説によって風刺されることからも保護しようというのだ。彼は、そんなことについて何も知らないのは明白なのに、彼はそのような脅迫を暴く方法も知っているのだという:

 <我々は、風刺画を掲載したすべてのデンマークの新聞が、我々のクライアントの主張にそって、Politiken紙と同様の解決法を受け容れ、そして複数の司法的な訴追をうけて金銭的ダメージをこうむることを避けるために、謝罪を掲載することを望んでいる>

 もしもあなたが、Yamaniは超自然的世界と、粗野な物質的な世界のどちらをより信じているのかとあなた自身に問うならなら、その答えに達するのに手間は取らないだろう。あなたは彼がある意味で、暴力的破壊行為の記憶からの恐ろしい脅迫に対して、穏やかな推奨を行うことで、バランスをとっているのだと気づくだろう: Yamaniをとるか、あなた自身をとるか… との。

 しかし新聞とは、その掲載する内容が検閲や脅迫にさらされることはない、という法律や憲法の存在する物質世界のなかで発行されている。その同じ物質世界とは、祖父とその孫娘が、狂信的な殺人者から守られるという法の存在する世界でもある。我々はこのように苦労して得られた権利を、ほとんど神話的な人物──読むことにも書くことにも不安を覚え、朗誦することだけで(コーランを)伝承することを好んだような人物──との血縁関係を主張する、病的に興奮した人々のために受け渡すべきなのだろうか?

 もしも、この事態がさほど憎しみに満ちたものでなくて、彼等がデンマークの新聞の神経をすでに逆なでする事に成功していなかったなら、それはばかげた声明文として済んでいたことだろう。少し前にアイルランドでは、神の冒涜を禁ずる法律が制定され、同国で名誉を毀損され犯罪者扱いされていたローマ・カソリック教会だけでなく、すべての宗教信者たちを怒らせることが、犯罪だと断じた。同じような偽の全キリスト教会的な傾向は、ムスリム諸国が毎年、国連に対して、宗教に対する攻撃を違法とする国連決議を制定するように働きかけているなかにも見出される。信心(faith)というものが、すべての問題の解決になるという考えは十分ではありえない。そのような途方もなくばかげた主張が、いまやすべての問いかけ、すべての批判、すべての嘲りから逃れるべきものだとの要求がだされている。

 この動きは止めなければならない、それもたった今。すべての民主主義国家とその集まりは、First Amendent〔*米国憲法修正第1項、「言論の自由」の条項〕の条項に沿った法律を読み返しながら、宗教についてオープンな議論を行う権利を保証し、法律事務所や、その本当の先祖など厳密に証明できないような人々からの脅迫が不当なものだと否認しなければならない。
http://www.slate.com/id/2247256/
(写真は風刺画を描いたデンマークのcartoonist, Kurt Westergaard)
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/article6973966.ecePanic room saved artist Kurt Westergaard from Islamist assassin
…Westergaardは自宅に暗殺者が侵入したとき「Panic Room」にこもって命びろいしたが、5才の孫娘は連れて入る暇がなかったのだとか? 
http://en.wikipedia.org/wiki/Danish_cartoons
デンマーク紙 Jyllands-Postenのムハマッドの漫画掲載による騒動

Sunday, January 17, 2010

自爆テロリストとアラブ・メディア?…"JIHADIST CHARACTER".."From the Jihadist Blogger to Suicide Bomber"

 CIAのセキュリティ史上の最大の汚点、ともいわれたアフガニスタン、KhostのCIA基地の自爆テロ事件。
 アフガニスタン情勢を専攻する若い米国人学生を含むCIA職員10名の死者を出し、米国の諜報能力に大きな疑問符が!

 事件早々の翌日には「アル・ジャジーラ英語版」が犯人のヨルダン人内科医、Humam Khalil Abu Mulalal-Balawiのプロフィールを素早く掲載したと西欧メディアが報じた。Balawiがアル・カイダ系のネット掲示板やジハディスト・ブログの有名人で、アラブ・メディアにも知られる人物だったから…らしいのだが?
 自爆テロ犯の医師、Abu Mulalal-Balawiはヨルダンの諜報機関が、CIAに「信頼できる情報屋」として紹介していた。しかし実は、彼はパキスタンのタリバンと、アル・カイダにも雇われた3重、または4重スパイの貌をもっていた‥
http://english.aljazeera.net/news/asia/2010/01/2010197189398339.html
CIA attack 'revenge for Mehsud'

自爆テロ犯Humam Khalil Abu Mulalal-Balawi
  アラブ系の英語ニュースメディアはこうした自爆テロ犯の詳しい家族のインタビューを、即座に記事やビデオで掲載した‥Balawiの一卵性双生児の兄弟が居たが、その談話なども採られており西欧メディアはやや裏をかかれたような印象もあった。http://www.aawsat.com/english/news.asp?section=3&id=19433

Asharq Al-Awsat Visits Home of CIA Triple Agent 07/01/2010

 Balawiは、米国のCIAに緊密に協力しているヨルダンの諜報機関General Intelligence Directorateが、信頼できる情報屋と保証してCIAに紹介。CIAは彼をアフガンの基地に送り込んだ。医者という職業柄、彼はアフガンでアル-ザワヒリを探す任務を帯びていたという。
 イラクにおいて、アル・カイダの大物だったアブ・ザルカウィなどの居場所の特定や暗殺に多大な協力をしてきたのもこのヨルダンの諜報組織で、イラク開戦以来、米国から毎年何百万ドルもの資金援助を受けてきたという。
 アフガン・パキスタン国境地帯付近のKhostのCIA基地はアル・カイダ関係の情報の収集を目的としており、ヨルダンの保証付でアルカイダに入り込めるダブルエージェントとなれば、喉から手が出るほど欲する人物だったという。パキスタンのタリバンも事件後、この自爆犯は当初CIAがリクルートし、その後パキスタンのタリバンにもダブルエージェントとして働く提案を持ちかけてきた人物であることを公表した。http://www.nytimes.com/2010/01/05/world/asia/05cia.html?hp

Attacker in Afghanistan Was a Double Agent
 CIAのKhost基地の自爆犯Balawiが、犯行前にタリバンのニュー・リーダー、Hakimullah Mehsudと共に写っている声明ビデオのオリジナルは、西欧メディアには余り出ていないが見ものかもしれない。Hakimullahはこのビデオで健在が確認されたが、その後1月17日に空爆で怪我を負い死亡したとも、再び噂された(しかしその後再び声明ビデオ等も流され、彼は生きているようである)
http://www.youtube.com/watch?v=9F-VO1MAoX0&feature=player_embedded

Balawiの声明ビデオでは、この自爆テロが米国によるタリバンの前リーダー、ベイトゥラ・メスードの暗殺の仇討ちだとはっきり宣言。http://english.aljazeera.net/news/asia/2009/03/2009331171735191991.html
Obituary: Baitullah Mehsud

NYタイムスのThe Ledeブログは同ビデオのリンクを掲載した
http://thelede.blogs.nytimes.com/2010/01/09/from-jihadist-blogger-to-suicide-bomber/
From the Jihadist Blogger to Suicide Bomber

http://www.nytimes.com/2010/01/10/world/middleeast/10balawi.html?hp
Bomber Who Killed C.I.A. Officers Appears in Video


サウジの準政府系新聞Asharq Alawsatの女性コラムニストのDiana Mukkaledは、Balawiが911テロ犯のMohammed Ataと Zyad Jarrahに次ぐ、「大物自爆テロ犯」のようにも書いている。
http://www.aawsat.com/english/news.asp?section=2&id=19525
Al Balawi: After Ata and al Jarrah 
 彼女のコラムは、「イラクのアル・カイダの“butcher屠殺人”と呼ばれたAbu Musab al Zarqawiのような無謀な人物が出たおかげで、昨今の我々はアル・カイダの人気が無くなったのではと信じ込まされていたが‥今回の事件からみても、アル・カイダはいまだに彼らジハード願望のある若者に人気があるではないか」と論じる。
彼女は、「オンライン上の“JIHADIST CHARACTER”としても知られたBalawiによる爆破テロは‥米国の911以来のすべての努力の崩壊の一例であり‥“Mohammed Ata と Zyad Jarrah後の時代”を代表するものだ‥」などと述べる‥レバノンその他アラブ諸国でTVキャスターとしても知られるという彼女のコラムは比較的平明なトーンだが、アラブの人々の一般的庶民感情を伝えているかも知れないのだ。
* 写真右:Diana Mukkaled

Monday, January 4, 2010

パキスタンはなぜ、アメリカを憎むのか?──それは我々が頼りだからだ Why Does Pakistan Hate the United States? Because it is dependent on us.-By Christopher Hitchens


パキスタンと米国の「病気な関係」を掘りさげるコラム
…でも、西欧人はいまいち他人の心を読みきれていないようでもある 

パキスタンはなぜ、アメリカを憎むのか?
──彼らには我々が頼りだからだ
 (12/21、By クリストファー・ヒッチンズ)


 副大統領を信頼しようではないか。彼は、本当に政治を楽しんでいるし…「彼が政治に尽力していない部分なんて見あたらないかのようだ」
 …私の同僚は、先週の水曜日の朝、彼についてなかば賞賛しつつこういった。我々二人は、バイデン副大統領がスカボローとブレジンスキ・チームによる主にアフガン問題に関するインタビューを終えた後…彼にコメントをのべるために、スタジオに入る時間を待っていた。

 彼はスタジオを去りながらも、我々と話をすべく立ち止まってくれた。この話題について喋ることのできるチャンスを失いたくなかった私は、彼に──なぜそのインタビューの中で、インドについては一度しか触れなかったのか、と尋ねた。すぐさまバイデンは、少数の良き政治家だけがマスターするトリックをもちいて…まるでその質問の内容とは、彼自身の考えていたアイディアのようなふりをして答えた…

 もちろん、と彼は言った───パキスタンがその最良の軍隊を、FATA*(パキスタンの政府公認の部族地帯)に駐留させているよりも、インド〔=我々の友〕との国境地帯に置き続けるのを好むことには、心悩まされているのだ、と…FATAでは、彼らはタリバンとアルカイダ〔=我々の敵〕と戦う可能性があるというのに。…彼はそして、私と握手を交わし、次の人間との握手へと移っていった。 (*Federally Administered Tribal Areas)

 その日の朝、新聞各紙が、パキスタン当局は彼らが、彼らにとっての重要な資産(asset)だと考えているアフガニスタンのタリバン指導者を捕らえることには何の関心も示していないのだ、と報じていた。新聞各紙はまた次の朝、パキスタン政府が米国の大使館員と他の要員に支給するビザの延長を拒否し、諜報情報の収集からヘリコプターのメンテナンスに至るまでのあらゆる事柄に、じょじょに麻痺が生じつつある、と報じていた。

 このことから、いくつかの質問が生じる。一つ目は:この地域の戦略の責任者とは誰なのだろうか?もしもハミド・カルザイ大統領に、悲惨な程にぐらついた彼の体制の状況に関して、厳しい言葉を語る必要があったなら、その言葉を伝える役とは副大統領の引き当て仕事だったろう。それ以外の時には、アフガン・パキスタン戦略という次元はおそらくリチャード・ホルブルックの監督の範囲だと考えられるが、彼は最近あからさまな不服のサインを示している。あるいはそのうち、国務長官のヒラリー・クリントンが、カブールかイスラマバードの滑走路の上に現れる可能性もある。または、それは国防長官のロバート・ゲイツかCIA、その他の幾人もの軍司令官たちの責任の範ちゅうかもしれない。彼らがもしも、"ライバル同士から成るチーム”なのだとしたら、議論のなかでお互いのポリシーの違いを明確化しても効果はないだろう。それはただ、(異なる見解どうしの)不快な応酬が続くだけの状態に違いない。

 次の質問とは、もう少し古い質問の焼き直しだ:なぜパキスタン人は我々を憎むのか?…我々はこれを泣き言のような調子で、"彼らのために我々が働いてやった後に…” などといいつつ、問いかけるべきではない、しかし何れにせよ、明らかにそれは難問なのだ。

 米国はパキスタンという国を、冷戦時代の同盟国として最重要視してきた。米国は彼らの軍隊が、常に政治の場に介入することも大目にみてきた。そして米国は多くの札束を費やしながらも、彼らには、余り多くの質問を投げかけなかった。米国は一般的にインドよりもパキスタンを好んできたのだが、その国は最近、危険なほどに“中立主義(neutralist)”の国だと看なされ、そしてバングラデシュ戦争の最中には、東ベンガルでのモスリムの民族虐殺に対して目を閉ざしてきた。ソビエトによるアフガニスタン占領時代には、米国はパキスタン軍とその諜報機関に対し溢れるほどの乳の恩恵を与え、彼らの側が核兵器を獲得することさえも許した。

 そして次の質問として、パキスタンのエリート層は、なぜ米国を憎むのかという問いに至る。彼らはそうする、なぜならば彼らは米国に頼っているし、未だに米国によって“買われて”いる。彼らは米国を、しばしば属国client statesとその給与支払人paymastersの間に生じるような自己嫌悪のようなものによって嫌っている。(貴方は同じような憤りを、エジプトの支配層の間にもしばしば感知することだろうし、時にはイスラエルの右翼政治家たちにも感じるだろう。)米国の施し物の受領者であるという彼らの救いがたく惨めなステータスの、過剰なる清算(overcompensation)という意味で、そうしたグループはしばしば、彼らの僅かに残るぼろ布のようなプライドを大げさに振り回すのだ。パキスタンでのその最も安全なはけ口とは、(米国からの)次なる補助金に一方の手を伸ばしつつ、イスラムの宗教的団結への敬虔なノイズを喧しく立てるというような、その国のオフィシャルな文化だ。パキスタン軍の将校たちは今や、公共の場で彼らの支配力をカースト制度のように持続し、彼らの不運な隣国アフガニスタンにも支配の拡大を試みるよりも、祖国の独立を護るほうを望むような態度を、気取った身振りで表わしている。

  このことは今でも、そしてそれは過去にも常に病んだ関係だったし、今や危険なほど病的なものになっている。そのような基本状況の上に、実効的で、信頼のおける、共に闘える同盟関係を見出すことは不可能だ。共産主義下の東ヨーロッパの工場労働者らはこう冗談を言った、“我々は働くふりをする、そして彼らは我々に支払いするふりをする”…と。パキスタンの例では、パキスタン人たちは彼らの軍隊の主な一撃を(我々との)共通の敵に向けて放つ…というふりをさえしないのだが、それでも我々は、無論、彼らに支払いを続ける。もしも我々だけがそれを知っているのなら、真の恥辱と軽蔑は我々が蒙るものであって彼らのものではない。

 このことは、我々がアジアに於ける長期的な同盟者がパキスタンではなく、インドなのだと気づくまでは、より不快で腐敗した、品位を落とすものになって行く。そしてインドとは、自己憐ぴんと自己嫌悪で燃え上がっているような国家ではない…なぜならインドは一度も、我々の植民地や属国だったことはないからだ。

 我々はニューデリーに、ひと月に15もの異なる代表団を…なだめ半分、苛め半分に…送る必要もない。なぜならインドとの関係はヒステリー感情や羨望 hysteria and envyなどに基づいてはいないからだ。そうとはいえ、ああ悲しいかな…、我々はこの世界最大の、世俗的で多文化的な民主主義の国に何らの代表団も送ることもなく、そしてその国のことは、(米国の外交ポリシーにおいては)単なるあと知恵のごとく言及されているだけだ…このことが変わるまでは、何も変わらないだろう。
http://www.slate.com/id/2239339/

Hitchens meets Biden?..


*12/15 NBCのinterview:Hitchens on Afghanistan, Palin
http://www.videosurf.com/video/hitchens-on-afghanistan-palin-103899853
ヒッチンズは、「パキスタン軍の主勢力が置かれているのは"Wrong border”だ」とバイデンがいった、といっている…また彼ら出演者はパキスタンが最近、ハカニ族勢力に対する攻撃を拒否した件について語っている…
(─上の記事のなかで友人と呼び、Biden副大統領へのインタビューを共に行ったとしているWashington PostのEugine Robinson記者と一緒にTV出演している)