Wednesday, March 6, 2013

残忍な世界でのパラダイスへの切符─ムンバイの狙撃実行犯アジマール・カッサーブ、事件の4周年を前に処刑される- Ticket to paradise in a brutal world- By Praveen Swami


残忍な世界でのパラダイスへの切符─By プラヴィーン・スワミ (2012/11/22, The Hindu)

 急増するジハーディストの兵卒たちの背後に横たわるのが絶望にみちた田舎の生活だ、というこ─それはKasab物語が、より一層重要であることを理解させてくれる。

 彼Kasabのことを、世界が「ザ・ブッチャー」(屠殺人)と呼ぶようになったわけは、彼がカラシニコフの攻撃型ライフルで、55人の女や男や子供たち、ヒンズー教徒モスリムを至近距離から撃ったからではなく、その事件彼が南パンジャブ地方の恵まれないカーストに属していたことの証(しるし)となったからだ

   2008年11月26日にチャットラパティ・シバのターミナル駅を、その男が歩いていく姿を捉えていたTVカメラのモニター映像は、何百万人ものインド人た ちにとって悪の相貌となった。しかしそのイメージ、そのストーリーについては語ってはいない─少なくともその重要なポイントに関してはつまり、彼の悪がいかに 平凡なものだったのかというストーリーについては。 
Kassabは犯人たちの中で唯一生き残った

 銃を抱えたその男は、世界を変えるべく殺人を行ったのでもなく、復讐のためでも、名誉金のためでも、まして何かの「動機」に似たもののために行ったのですらなかった。彼は流血というものを…5番目のランクの取るに足りないその人生を、力やその代理(エージェント)というものに到達させることのできる、唯一の手段として(…奇怪に聞こえるかもしれないが…何らかの尊厳ある人生へと到達するための手段だと捉えて、殺人を行っていた。 カッサーブの人生にピリオドが打たれることも、彼とまったく同じような何千人もの男が存在するという事実を、変えたりしない─そのことは、彼のストーリーがより一層、重要であることを理解させてくれる。

貧困にすり潰される The grind of poverty

   Ajimal Kasabは、1987年713日にパキスタンのオカラ地方の小村ファリドコットで、土地をもたぬ小作人の一家に生まれた。パンジャビ州の、Kasabのカーストに属する7大部族は、 ラジャスタン州に住む彼らのライバルのカースト同様に、バッティ(Bhatti) またはコハール(Khokhar)という偉大な部族の子孫だと自称していたしかし彼らは、そのような特質の誤った末端にいた。Kasabの父親、Muhammad Amir Imanは、最後にはその村でスナックを売る手押し車を押し、dahi purisを売り歩いていた。彼の母親のNoori Taiは主婦で、彼女には他に4人の子供があった─29歳のAfzalと、26歳のRukaiyya Husain18歳のSuraiyyaと、15歳のMunirだ。

  南アジアの他の多くの家族らと同様、Imanの一家は、彼らの乏しい収入を長男の教育のために消尽したが、それは報われなかった。Kasabの兄、)Afzal Imanは初等教育を終えるとラホールにわたり、そこでYadgar Minarの近隣の長屋に住んで、肉体労働者として働いた。しかしImanの家族は、第4学年を終えたばかりの無関心な次男を教育する金銭的余裕がなかった。Ajmal Kasab 2000年に13歳でFaridkotにある公立の初等学校をドロップアウトし、年上の兄の許に移り住んだ。彼は何らかの職に落ち着くことはなく、FaridkotLahoreの間を頻繁に行き来していた。

Ajmal Kassab
   そして、Kasab2005年に家に帰った折に父親とはげしい喧嘩をした。「エイドの祭日のために新しい服がほしい、と彼は私に頼んだが、私はそれを彼に 買ってあげることはできなかった」、とIman氏は、カラチの新聞に対して語った。「彼は、怒って出て行った」。彼はもはやAfzalの家では歓迎され ず、半端仕事が見つかるまでの間、Syed Ali Hajveriの聖人の祠で過ごしていた。彼は肉体労働者として働き始め、2007年までにその仕事は、彼に一日に200ルピーの稼ぎをもたらした。

  Kasabには兄とは違って、大きな夢があった。彼はやがて、ラホールで軽犯罪者たちと一緒にすごし始めた。それらの友達のうち、Attockから移住してきたMuzaffar Lal Khanとともに、Iman武装をして強盗を働こうと決意した。2007年のBakr Eidの日に(と彼はムンバイ警察に語った)2人の男らは武器を買おうと、ラワルピンディのRaja バザールに行った。

もう一つの学校へ To a different school

   しかしその市場で二人の男はパンフレットやポスターを配るJamaat-ud-Dawaの活動家たちに出会ったそのグループとは、Lashkar-e-Taiba (LeT) の親組織である。数分間の会話の後、両人は彼らのグループに加わることを決めた彼らのイスラム主義の確信のためなどではなく、そのジハードの訓練が、彼らの犯罪者としての人生を助長してくれることを期待して。

  そのストーリーは、パキスタンのジハーディストの新兵募集の世界が拡大し続けていることを、少なからず物語っている。2009年のエッセイで、パ キスタンの学者Ayesha Siddiqaは、ジハーディストの新兵のリクルート活動を下支えする田舎の絶望というものについて書いている。「数年前に私は、ジハードに参加しようとし ている、Bahawalpurの近くの私の村から来た、若い少年らに出会った。私が彼らに、目を閉じて彼らの未来をイメージするよう頼んだときに、彼 らは謙遜気味に微笑んで、「僕らはあなたに目などつぶらなくても、僕らには何も見えないのだと告げられる」と語った。

  ジ ハーディストの指導者Muhammad Masood Azhar Alviがコーランのジハードに関する4つの詩句を長々しく論じた教本、Fathul Jawwadによれば、田舎が彼らに与える機会というものを、ジハーディストたちは明白に理解していた。そのテキストは貧困な小作農民の聴衆に向けて 書かれていた。Azhar は書いている、「陽の光と水は作物のために重要で、それなくしては枯れてしまう。同じように、国々の生命は殉教者たちに負っている。国家の畑は、 最良の心と魂の血によってのみ潤される。」ジハーディスト運動は、パキスタンの腐敗したエリートたちが貧困層に約束することを拒む地上の楽園よりも、 もっとよい何かを約束し「我々が飛行機でこの世界を飛ぶとき、殉教者たちの魂は緑の鳥の体内に入り、再生のためのパラダイスへと入る」のだ、と約束す る。

 社会科学者のTahir Kamranはこう説明する「マルクス主義やリベラリズムのような代替的イデオロギーも持たず、または封建的な牙城に挑戦しうるような言語的象徴さえ持たないために…(彼らには)武装することが、それに対する数少ない対抗手段として残されている。」

Life in the Lashkar  ラシュカールでの生活
 
 ムンバイ警察の警察官たちはKasabを、彼が捉えられた数時間後に、はじめに病院のベッドの上で尋 問した。インタビューのビデオの中で、彼は何故ムンバイに来たのか、と尋ねられている。警察官は、彼の呟くような答えを聞き取れなかった。「シャバーブ (Shabaab)」。疑わしげに尋ねた彼は、その答えが、ムンバイの街角の会話で特殊な含意をもつ、ウルドゥ語の言葉だと誤解した。「君は女が欲しい ために来たのか?」「シャハダート(Shahadat)」ゆっくりと傷ついたテロリストは答えた。「殉教(martyrdom)。」しかし、さらに尋ね かけられたKassabは、それが何を意味するのかを説明できなかった。それは、パラダイス(天国)に関する何かだった。

   Kasab の世界観というものは、LeTの新たにリクルートされた者たちの「ラーニング・センター」であるMarkaz Taibaによって形成されていた。インドがカシミールで行ったとされる残虐行為に関するフィルムや、LashkarのチーフHafiz Mohammad Saeedらを含む説教者たちの荒々しい講義のフィルムが、彼にLashkarの運動を信じさせたその組織のプレゼンテーションによれば、イスラムの もっと偉大な栄光は彼にとって生命を捧げるに値するものだった。しかし、その捜査に参加した上級警察官がThe Hindu紙に語ったところでは、Kasabは、自分が影響を受けた思想的な冊子や、宗教的書物のタイトルをただの一つも思い出したり、その名を挙げたり もできなかった。彼はLeTの教義については何の理解もなかった。その代わりに警官は、ジハードの訓練キャンプの雰囲気が彼に、長らく人生において失って いた家族の感覚というものを与えた、と指摘した。

  パキスタンの支配下のカシミールでの、Lashkar の2度にわたる21日間の訓練に続く、Lashkarのベースキャンプでの思想教育のあと、Kasab2ヶ月間の休暇をとって家に帰った。彼は人生の殆どで彼が失っ ていた、彼のコミュニティや家族のなかでの尊敬を発見した。かつてはKasabのことが重荷と見なされていた場で、彼は自己充足的な存在とみなされそして 宗教的熱情の後光を宿していた。彼は、言葉を変えれば最後に、彼の家族が彼にそうなって欲しいと望んだ者になっていた。

  その年のその後の日々にKasabは、LashkarManshera近くのキャンプでの上級訓練のために選ばれたその組織がDaura Khaasと呼ぶコースのために。そして遂に彼は、そこでムンバイを標的とするfidayeenのユニットとしてマリン・コマンドーとナビゲーション訓練の特殊部隊となる11人の少数精鋭にすら選ばれた。

 Lakhviの最後の指示とはKasabはいったラッシュ時に列車の駅への銃撃を開始し、人質を取り、そして彼らを更なる指示を受けるテラスへと連れて行くことだった、と。それらの指示は一度も来なかった。Kasabと仲間の攻撃者、Muhammad Ismailは上層のフロアに上る階段を発見し損ねたそして警官たち(Hemant Karkareと、Vijay Salaskar およびAshok Kamte)によって行く手をさえぎられた。この3人の警官たちは殺されたが、Kasabは負傷して人質を取る計画は失敗した。


 LeTの司令官Zaki-ur-Rahman Lakhviはいまや、パキスタンにおいて、彼のこの攻撃への役割に関する裁判にかけられている…彼はKasabに、彼が犠牲になったなら、彼の家族に1.5 lakhルピーの報酬が与えられるだろう、と約束したThe Hindu が接触したパキスタンの信頼できるジャーナリストによれば、彼の家族はそれよりも多い額を受け取ったがしかしその運勢は大きくは変わらなかったという…The Hindu は、この情報を確認するための独自の方法を持ってはいない。

http://www.thehindu.com/opinion/op-ed/ticket-to-paradise-in-a-brutal-world/article4120451.ece?css=print

ムンバイの狙撃犯、事件の4周年を前に処刑される
http://www.bloomberg.com/news/2012-11-21/mumbai-gunman-kasab-hanged-on-four-year-anniversary-of-attack.html

Hang Ajmil Kassab! - 生き残ったKasabは、インドの一般大衆の憎悪の対象となった

Monday, February 4, 2013

エジプト各都市で、反ムルシのデモ発生/チャック・ヘーゲルの指名に関して Egyptian Cities Erupt in anti-Morsi Demonstrations By Juan Cole



著名な中東専門家のホアン・コール教授が…エジプト情勢と米国の状況の昨今のアウトラインを解説している。
 …エジプト大統領の、ムスリム同胞団のムルシ氏の最近の動きは、典型的なヒットラー独裁にむかっていると憤慨し… 警戒感をあらわにする人もいるが、本当なのか?

エジプト各都市で、反ムルシのデモ発生 Egyptian Cities Erupt in anti-Morsi Demonstrations (2/3, Juan Cole)

この21日の金曜日には、何万人ものエジプト人たちが寒さや、アレキサンドリアやカナルゾーン(灌漑地域)での雨天にも関らず全国各地でデモを行った。カイロだけでも、Heliopolisのムルシの大統領宮殿の前には多くの群集が集結、モロトフ・カクテルを投げ込む若者たちもいた。主な都市における群衆が、新たな大統領選挙を要求して声を合わせて叫んだ─すなわち、ムルシの大統領辞任を求めて。
 彼らはまた、エジプトの「モスリム同胞団化」をも非難した。ポート・サイード(Port Said)では何千人もの人間がデモを行い、ムルシ政府の解散を要求したが、彼らの中には「ポート・サイード共和国」の独立を宣言する者たちさえもあった。

デルタ地帯の都市カフル・シーク(Kafr Sheikh)では25人のデモ参加者たちが、警察の使用した軍用レベルの催涙ガスによって負傷した。カフル・シークはテキスタイル産業の中心で、その産業の労働者たちが2006年頃以降には、デモやストライキを率いている。モスリム同胞団は社会的に保守派でビジネス偏重の傾向であるために、その体制は組合の利益には反しており、エジプトにおける多くの反対運動は組合労働者たちの怒りの表明という部分も多いようだ。

ムルシは昨年6月の選挙では辛うじて勝利を得たものの、この秋以降はますます独裁的にふるまい始め、彼自身の立場を裁判所の司法権限の及ばないものと規定し、原理主義的色彩のある憲法を制定しようと推し進め、世俗主義者や女性たち、コプト派のキリスト教徒たちを怯えさせた。ムルシは司法権を無視した彼自身の刑事免責への要求は取り下げたものの、いまだに高圧的にふるまっている。彼自身が概ね任命を行った、モスリム同胞団の支配する諮問委員会(上院のようなもの)は、下院議会を選出するのを待たずして、法律を制定しようとしている。
                       
   なかでも最悪な点とは、ムルシが、2年前の反ムバラクの革命の主要な牽引勢力であった労働者たちによる、賃上げと労働環境改善の要求を受け入れていないということだ。彼の憲法制定への試みでは、労働者を組織化して、単一産業分野ごとに一つの組合のみを認可しようとしている。あらゆる事のなかでも特に…2週間前に、ポート・サイードの20人のフットボール・フーリガンたちに対して、1年前の同市のスタジアムでの騒乱事件を誘発し、数十人を死亡させ事件での彼ら役割において、死刑を宣告したという事がある。この宣告の発された後には、地元の家族らが彼らの親族や子供らを助け出そうと刑務所に乱入して衝突が発生し、41人の死者を出した。

木曜日に、ムルシと世俗派、あるいは中道派の野党議員らとの間に、和解への会合が持たれたにも関らず、そこに和解の兆しはみられていない。
ムルシは、憲法を性急に成立させようと急ぐべきではなかったのだ。彼は大胆なジェスチャーを取ってみせて、彼に対するさらなる反対の動きを阻止したい…とも望んでいた。しかし、その代わりに彼は、革命の先頭を切っていた若者たち…昨秋までは同胞団との協力を進んで受け入れていた左派の若者たちを遠ざけてしまったのだ。

http://www.juancole.com/2013/02/egyptian-cities-demonstrations.html

エジプトは内戦の縁にあるのか?ムルシは非常事態法を撤回 (Juan Cole,1/30)

国防大臣のGen.Abdel Fattah al-Sisiは火曜日、もしもこの国で動乱が続くなら、エジプトは国家崩壊の危機に直面するだろう、と述べた。

怖れを知らぬCNNの記者Ben Wedemanは、エジプト警察のアンビバレントな心情についてレポートをしている。─彼らはムスリム同胞団の大統領から、抵抗する若者たちを弾圧せよ、との指令を受けた。そして彼は、なぜ、Ismailiaと、Port Said、そしてSuezの街が大統領の非常事態法と戒厳令の公布に逆らっているのかについて説明している。

Wademanは、さらに引退したGen. Sameh Seif al-Yezalにもインタビューを行っている。彼はal-Sisiの声明は国が内戦状態へとずり落ちて行くことへの警告だと解釈していて、al-Yezalは、それが現実的な可能性であると考えている。

そんななかでMuhammad Morsi大統領は、彼の命じた非常事態法と、運河の都市Suez、Port Said、Ismailiaにおいて市民の自由に制限を課する法令を撤回した─それらの都市では、1月25日の革命2周年以来、強烈な反政府運動が起きているのだが。

 Morsiはこれら3つの都市の地方知事たちに、非常事態法を実施するか否か、いかにそれを実施するか、あるいはキャンセルするかの権限を委任した。彼のスポークスマンは、それは平和的抵抗運動を停止させるよう意図したものではないという。

 3都市の民衆は、月曜と火曜の夜に大統領が命じた戒厳令を守ることを拒否し、政府の建物の前でデモを行い、サッカーを行った。Wedemanがレポートしているように、警察はそれを妨害しようとは考えていない。

 大方のエジプト人たちは、アルジェリアの過去の事例に比較されることへの憤りを抱いているが、それはDr. Morsiにとっては警告的な事例なのだ(チュニジアのムスリムのリーダー、Rashid Ghanoushiの場合の例と同じように)。1992年から2002年にかけて、15万人のアルジェリア人が、世俗主義者と原理主義者たちの間の熾烈な内戦によって死亡した。同じような分裂がエジプトにも生じつつあり、そして世俗派と穏健な宗教勢力が、ますますMorsi支配の正当性を拒絶しつつある。権力を競い合う2つの勢力というものは、内戦の原因となるものなのだ。

 Morsiはこのような両極化を、原理主義者の色合いに染まった憲法と、野党勢力を排除したムスリム同胞団政府の樹立によって惹き起こした─彼は、大きな票差で選出されなかったにも関わらず。彼の示している、徹底的な法令を発したり、同胞団の同僚を贔屓するという傾向は、彼が原理主義者のムバラクになりたいと望んでおり、真の民主主義的な本性を持たないのではないか、という怖れを生じさせている。 
http://www.juancole.com/2013/01/backs-emergency-decree.html

チャック・ヘーゲル、奇天烈な米国上院世界の袋叩きにあう? Chuck Hagel Mauled in Bizzaro World of US Senate (2・1、Juan Cole)
 
オバマ大統領による、チャック・ヘーゲルに対する国防長官への指名をめぐる上院での公聴会は、見るのも辛いものだった─なぜならそこには…馬鹿馬鹿しい行いと、見せ掛けの態度、独善的なKnow Nothing主義(Know-nothingism)と、アメリカの壊れたデモクラシーを支配している、困惑すべきリアリティからの乖離の光景が展開されていたからだ。まるでそれは、ネブラスカの平凡な男がサーカス小屋のフリーク(畸形)たちをけしかけているようだった…モラル的な小人の集団や、猫男のストーカーたち、性質の悪いロブスター・ボーイ(えび少年)たち、倫理主義者をよそおう狼男たちのような輩を…。

ヘーゲルが滅多に彼の立場を主張しなかったこと─しばしば、細かいことに拘泥した質問で方向を逸らされたり、時々はネオ・コン風のオーソドックスな教理を復唱したりなどして─を憂えた人々は、ワシントンにおいて重要なことは口先において積極的に調子を合わせることだ、と(…当人が、本当は何を信じていようと、どう振舞おうと)いうことを想起すべきなのだ。ヘーゲルは、彼が彼の(議会の)・同僚たちに押しまくられたかのように見えたことには、同意するかも知れない(彼らの面子と、彼自身の面子を守るために)。だが彼は、ひとたびその職務に任命されたならば、押しまくられることには同意しないことだろう。

テキサスのTea Party主義者、テッド・クルス(Ted Cruz)議員は─ 数年以内にテキサスが青色州(大統領選での民主党支持州)に転じたならば、彼はおそらくもうそこには居ないだろうが─ヘーゲルに対してFox News風の待ち伏せ攻撃を仕掛けた(http://www.huffingtonpost.com/2013/01/31/ted-cruz-chuck-hagel-_n_2592699.html)。彼は2009年にアル・ジャジーラがヘーゲルに核軍縮の件に関して訊いたインタビューの件を持ち出して、彼を刺激した。

インタビュー中のある時点で、ロンドンから電話をかけてきた人物が、ダブル・スタンダードについての憤りを表明した─他の国々はより厳しい基準のもとにあるのに、アメリカとその同盟国だけが国際法から自由である、といって(たとえば核兵器の所有や、その使用において)…その人物は、オマール・アル・バシール(スーダン大統領)が犯したダルフールでの戦争犯罪に関して国際刑事裁判所から訴追されても、イスラエルの指導者たちはパレスチナ人への戦争犯罪にも関らず、お咎めなしであるといったこと(*)からも、不平等に法が適用されていることは明白だと主張した。彼は怒りを吐きつづけて、スリ・ランカ政府がタミール・タイガーに対して犯したとされている戦争犯罪についての文句を言い、そして番組のホストは彼に対して、ヘーゲルにひとつ質問して終えるようにと頼んだ。ヘーゲルはそれに答えた際、電話の相手の論点には同意するといい始めた…私が思うには、ダブル・スタンダードがあった件については彼が同意していたのは明白で、彼はその後、アメリカとロシアが核軍縮の先導をきることによってそれを克服すべきだとも述べた。電話の相手には酷いアクセントがあり、彼が怒りつつ言ったことをヘーゲルが全て理解していたかは不明であったし、そのことからも彼がその相手に同意する必然性もより低かったといえる。クルスはヘーゲルが、スリ・ランカの件に関しても同意していた、と捉えたのだろうか?
 (* 2009年初頭のイスラエルによるガザ攻撃においては、イスラエル軍とパレスチナ武装勢力の双方に深刻な戦争犯罪があったとされ、調査を行った国連調査団はIDFも国際法に規定された人権法侵害で有罪に当たるとした。(コールはイスラエル元首相のリヴニ戦犯としてICCに告発されており英国に入国できないのではないか…と揶揄している

UN mission finds evidence of war crimes by both sides in Gaza conflict )

私はネブラスカ州出身の前・共和党上院議員のチャック・ヘーゲルには疑いもあり、私はアメリカの国内政治については殆ど全て同意する。しかし彼は、住宅都市開発省の長官に指名されたのではない、彼は防衛長官に指名されたのだ。そして、国防や外交政策については、ヘーゲルの見方は彼らに対して推薦すべき点が多くある。私は20044月に、ヘーゲルが委員を勤めていた上院の外交委員会の前で、イラクで叛起しているマハディ軍の件について証言を行った。その際の議長だったリチャード・ルガーとヘーゲルの両者が、その状況についての知識も豊富で、関心も深かったことに私は驚かされた。その他の人間たち、たとえばサム・ブラウンバックなどは、私の同僚のパネリストたち(そこに叛乱などない、と主張したネオコンのリチャード・パールなど…)に対し、殆どロボットのようにソフトボールを投げているに過ぎなかった。ヘーゲルはイラク戦争を容認することに票を投じた一人だったが、状況がどうなりつつあるかに関するアメリカの無知について、その時点でさえ疑問を呈しており、そしてブッシュ政権の後期においては、イラクからの撤退を主張する民主党の立場に賛成していた。ここに、ヘーゲルの指名に関するいくつかのポジティブなポイントがある:
 
1.チャック・ヘーゲルは勲功ある戦争の英雄で、ベトナムでは歩兵部隊のリーダーとして二つのパープル・ハート勲章を得ている。彼は、戦争とは何かを知っている─それは、よくある(戦いもしないで戦争を論ずる)チキンホークたちが彼を、戦争心が欠けるなどといって嗤うこととは、相容れないことだ。ウィリアム・クリストルが軍服を着た姿という考え、そのものには忍び笑いをもらさずを得ないのだが、しかしここにはその影響力のある男がいる(それはなぜなのだろうか?)彼は、彼が愛さない戦争には出会ったことがないのだ。ヘーゲルは戦争を知っているだけでなく、歩兵部隊とNCOの立場からそれを知っている─将校たちの部隊の視点からではない。ヘーゲルは戦争と、それが何を達成できるかに対して慎重で、そして時を経るごとにより慎重になってきた─彼の手がイラク問題の解決でやけどを負ったことによって。この慎重さとは、国防長官として賞賛すべきものだ。

2. ヘーゲルはベトナム戦争の擁護者であり続けた。彼はイラクへの派兵に期限を設ける法案を提案してきたが、その法案は通らなかった。(多くのイラク戦争帰還兵たちは18ヶ月の兵役を複数回にわたり経験し、そして彼らの問題の多くは長期の兵役に起因していた)。彼は上院議員ジム・ウェッブの提案した、GIに関する法案の主な共同署名者だった─それは911日以降に兵役に就いた者たちへの、教育機会を拡大するものだった(その法案は立法化された)。多くのベルトウェイ内部の強硬派論者たちが政治的な目的で兵を用いようとしながらも、帰還兵たちへの戦争終了後の社会保障をカットしようとするのとは異なり、ヘーゲルはそのことに対し注意を向けているのだ。

3.ヘーゲルは長らく、中東において外交的解決の代わりに制裁を用いることに対し反対してきた─2001627日に、米国イラン人評議会(American Iranian Council)の会議において、リビアとイランへの制裁というものは、「我々を孤立化させる」と論じたのだ。

4.ヘーゲルは、米国がイラクのような国に侵攻して民主主義をうちたてようといった…ジョージ・W.ブッシュと彼のネオコンの男性主義(マスキュリズム)的なウィルソン主義に反対した。ヘーゲルは2006年に、「私の意見としては、あなたがたは民主的な政府というものを、そうした歴史や文化や民主主義の伝統の全くない国に押し付けて樹立させることなどできない。…我々は、そうしたファンダメンタル(状況的発生要因)というものに、常にコネクションを持っているとは限らないのだ」と述べた。
5.2006年の夏に、イスラエルがレバノンを空爆してQana10数人の子供たちが殺されたとき、ヘーゲルはブッシュ政権が停戦への要請を拒否したこと(すなわち、イスラエルの更なる軍事行動を支持したこと)を批判して、「両サイドの胸の悪くなるような殺戮は、いま終わらねばならない、この狂気の沙汰を止めるべきだ」、と述べた。
 (中略…こうしたヘーゲルのリベラルな立場に関する推奨項目は10項目続く…)
 
…ヘーゲルは指名され、そして上院によって受諾されるだろう。そしてそのプロセスは、米国政府のイスラエルとその米国におけるロビーとの関係にとってのターニングポイントとなるだろう。それは非常にポジティブな状況的進展であり、特に、パレスチナにおいてヨルダン川西岸地域の併合によっては生き伸びることのできないイスラエル自身にとっては、そうなることだろう。
http://www.juancole.com/2013/02/mauled-bizarro-senate.html

ホアン・コールがBizarro…というのも頷け…チャック・ヘーゲルの公聴会については、
保守派のコラムニスト罵詈雑言はひどかった…たとえば、このJennifer Rubinのコラム…
http://www.washingtonpost.com/blogs/right-turn/wp/2013/01/31/hagel-sinking/
 Hagel sinking

Neocons Press Hagel in Confirmation Hearings  Hagel was largely submissive to right-wing bullies, passing up opportunities to defend his own views ちらはリベラル・ウェブサイト

─右派のキョウリョクなイスラエル・ロビーとキリスト教原理主義者たちは、ヘーゲルの長官任命をゆるすのだろうか?

 


 




 

 
 
 

Thursday, August 16, 2012

彼らは神を信ずる:保守主義者のアメリカ例外主義と、信仰心の問題 In God They Trust: How the conservative belief in American exceptionalism has become a matter of faith. - By C. Hitchens


彼らは神を信ずる:
保守主義者のアメリカ例外主義への信条は、いかに信仰心の問題となったのか
By クリストファー・ヒッチンズ (11/21/2011, Slate.com)

 18世紀が終りを迎えた時期、いくつかの植民地(コロニー)からなる小さなグループが、苦難の末に巨大な帝国の足下からの離脱を果たした。その結果として生まれた国家というものは、おそらく、北西のチリとでも呼ばれる以上に大きなものではなかった─それは山々と海の間に挟まれた、単なるリボン状に連なる長い沿岸地域にすぎなかった…もしもそこに、急激に成長しつつある新・共和国(new republic)の影響力というものの余地を認める、植民地帝国同士の競合意識がなかったならば。そしてライバル帝国のうちの一つは、同国が深刻な財政危機に陥ったときに、新共和国に対してその領土を倍以上の規模へと拡大するに十分な領土を、叩き売りの底値した(*)この新たな領土というものはあらゆる面で豊かな土地であり、航行の可能な河川による広大な内陸盆地へのアクセスをも許した。こうした探索というものを通じてこのシステムは、最終的に別の大洋に面した海岸線の土地や、金のような望ましい鉱物の広大な埋蔵資源を有する土地を発見させるにいたった。そして、この地域のいま一つの巨大な土地─ 今日、アラスカとして知られる地域─ は、新共和国の代理人らに対して殆ど気まぐれ同然に売却されたのだ…今日、「石油」として知られるその莫大な埋蔵資源とともに(*1803年10月20日にルイジアナがフランスから15百万ドルで割譲された際、1エーカーあたりの売却価格は4セントだった。)

 そして、そうだ…思うに米国というものの側には何らかの、良き「運(luck)」、あるいはフォース(力、force)、宿命(destiny)とでもいうものが備わっていた、と言えるのかも知れない。そしてそうした運というものが確かに…平凡なリアル・ポリティック(現実主義的政治)よりも以上の何かがそこにある、と感じていた最も世俗的な建国の父たちのなかにもあったのだろう。たとえば、トーマス・ペインは、新たなエデンの園と、フレッシュな再出発の考えに取り付かれて(新大陸へとわたった)─そして、後の日にロナルド・レーガンに引用させた言葉─つまり、ヒューマニティは世界を再び最初から始めなおす力を発見したのだと私は思った…と彼が語った際に引用した言葉とは、トーマス・ペインのものだったのだ。

 もちろん、それがどんなエデンの園であっても、そこには蛇と原罪が存在したことだろう。少なくともアメリカの場合、トーマスペインはそれが何を意味するかのを、とても明瞭に理解していた。奴隷制という卑しき汚点(vile stain of slavery )はどこにでも存在していた、ちょうど綿花農場が生み出すとんでもなく高い利益率や、アフリカとの交易によっていとも簡単にもたらされる無給の労働力といったものが、新・共和国の理想をその端緒から堕落へと陥れたように。このような歴史的犯罪への報いは、不正な手段によって獲得された富の大半を、無駄に消尽させるような戦争へと導いた。一方では、その市民戦争は資本主義と、拡大主義的な国家の勝利を招いたのだが、やがて新・共和国というものはフィリピンやキューバ、ハイチ、プエルト・リコといった国々の名以外のもとにのみ残る帝国となった。

 そうした道筋において、Albert Beveridgeのような政治家が、「マニフェスト・デスティニーmanifesto destiny」の思想や、アメリカ人が世界を支配するための生得権をもつ、という思想(the natural right of Americans to a dominant role )を唱えたことは、避けがたかった。こうした思想のなかに含まれる自負心や、あるいはそうしたものの喪失といったことが、現今の大統領選のキャンペーンのテーマ(主題)であるべきだ、という人々がいる。候補者が待ち伏せインタビューに遭遇して、アメリカという国はより不運な者たちを導くべく丘の上で「輝く」かがり火のごとき、特別な模範的国家であると信じるか…それとも否定するか…などと質問されるとも予想できる。これよりもやや低位のスケールにおいて世論調査に回答する人々は、最近、彼らがこうした言葉に同意するか、しないかと問われた─「我々という国民は完璧な国民ではない、しかし我々の文化というものは、他の文化よりも優越なのだ」…といった言葉に。この、後半のポイントに関する最近の世論調査の結果では、アメリカ国民の半分をやや下回る人々がこうした、気の抜けた提案への賛同を示していた…(アメリカ人が)完璧だとか、優越だという声明に、最も多くの人々が票を投じるのかどうかは明らかではないのだが…。

 特にこれが忠誠の誓い(loyalty oath)のようにも見え始めたという意味では、私はこの根底に横たわる問いが、軽率だとか、愚かだとか…あるいはその両方だとして退けられるに違いないことだろうと思う。アメリカとは果たして、「神によって選ばれ、世界の模範(モデル)とされるべく、歴史によって信任された…」(chosen by God and commissioned by history to be a model to the world)ものなのだろうか?こうした問いに対して答えを持つように見える者は誰でも…たとえば、かつてGeorge W. Bushがそう見えた時があったように…ばか者のようにもみえる。そもそも第一、彼にとっての情報源とは何だったのだろう?そして、彼は歴史家としては、どの程度の人物だったのだろうか?長い目で見るなら、ローマ帝国を生き延びた者たち(サバイバーたち)のなかで、凍りついた、後進的な英国の島々がグローバル・システムを建設する次なる者の一員となるなどと予測したものは、ごく僅かしかいなかった…しかし、彼らはそれを証明した。そしてブリテン人、もしくはイングランド人たち…特にプロテスタントの原理主義的な者たちは、神が彼らの側にあるものと信じて疑わなかった。実際に、私はそれと同じ様な趣旨をもつ何らかの国家的神話をもたないヨーロッパの国々、というものを知らない。問題なのは…誰もが知っていることなのだが、こうした神話の数々がすべて正しいなどということが、同時的には成立しないとことなのだ。

 長期的な視野による「宿命(デスティニー)」というものの思想は、アメリカの国力や威光の衰退、というものに対して抱かれる短期的な憂鬱感というものに、簡単には同化することはできない。これは不思議な事実だが、現今の政治的季節に、アメリカの力というものに対する疑念を最も抱いているのはアメリカの右翼なのだ。私は個人的に、これはおかしなことだと思う… それでもアメリカは再び、大いなる歴史的なシフトに対してそれ自身を正しい立場へと、どうやら据えなおしたのだ─つまり、アラブの春(the Arab Spring )に対して…しかし、その第一ラウンドにおいては、アメリカはそれを余りうまく、「読み解いて(解釈して)」はいない。そして未だに、共和党の(大統領選の)指名を求める候補者たちの大半の言動は気難しくて、不平に溢れたものがある。

 私はBernard-Henri Levyが、彼が反対したイラク戦争の初期にこのようにいっていたのを思い出す─アメリカは本質的にファシズムと、ナチズムに対して反対を唱えるという点においては正しい、そしてまた、さまざまな形態の共産主義に対して反対することにおいても、本質的に正しい、と。…それ以外の全ての彼の言い方はご大層な解説かあるいは、牛の糞のようなものだった。このようなことは、現今の状況においても当てはまるようにみえる…最近の、ビルマやヴェトナムの情勢に関しても、またそれと同様に、リビアとシリアの状況に関しても…だ。群衆というものは、そこにアメリカのスーパー・パワーがあることを喜んでいる…ただ単に、それがモスクワと北京の勢力との均衡を保つ、という面だけにおいて。おそらく、もしもホワイトハウスに居るのがオバマ大統領でなかったならば、我々の右翼たちはこの点をもっと素早く見出して、そして賞賛するのに違いない。

 古代の賢人は我々に、「驕り(hubris)」を怖れよと教え、そして聖書は自負心(pride)というものが生じさせる罪について教えた。私はいつも、アメリカの保守主義者たちが彼らの主張する歴史的な特殊性とするものについて、なぜもっと懐疑的にならないのかとの驚きを感じてきた。しかし、それを宣言することによって彼らは、とても悪い季節のように見えるものからの爆風に対して彼ら自身を再度、元気で奮い立たせようと試みているかのようにみえる。
http://www.slate.com/articles/news_and_politics/fighting_words/2011/11/how_the_conservative_belief_in_american_exceptionalism_has_become_a_matter_of_faith_.html

*ヒッチンズが昨年暮に亡くなる直前の、Slate誌の最後から2本目の コラム

Sunday, July 1, 2012

メキシコ人らによるサウジ大使の暗殺未遂と、イランの企みについてWhy the crazy Iranian plot to pay Mexicans to kill the Saudi ambassador isn’t so implausible.By C.Hitchens


昨年秋にメキシコ人ドラッグマフィア・メンバーによる
サウジ・アラビアの駐米大使暗殺未遂のおきた際に
故Hitchensが書いていたコラム─


なぜメキシコ人たちを使ってサウジ大使を殺害しようとのクレイジーなイランの企みは、
さほどあり得なくはないのか?
─彼らは次に何を考えるのか?
 By クリストファー・ヒッチンズ (10/24, 2011 Slate.com)

イラン・イスラム共和国の「クッズ・フォース(Qudz Force)」が、サウジ・アラビア大使の暗殺者を金で雇いつつそれを偽証するために、殺人のフリーマーケットに突入した…という、オバマ政権の主張の真実味を疑うことには、妥当な理由があるのかもしれない。しかし、この事件が明らかに、超現実的な風味や芳香を湛えているということは、その理由を形づくることにはなり得ない。我々は以前にも、ここに来たことがある…最近のすばらしい本がそれを思い出させてくれるように…そして我々は、テヘランのならず者たちの部隊に何の告発もなされていないことも知るのだが、それは一見、信じがたいことにも思われる。

 この、紛いようのない本の題名とは「ターコイズ宮の暗殺者たちAsassins of the Turquoise Palace 」というもので…その著者は亡命イラン人のロヤ・ハカキアン(Roya Hakakian…私は彼が友人であることを誇りにしたいが)である。その書は、1992年9月17日のベルリンでの殺人事件の落穂を拾って、そのディテールを述べている。その日その都市には、イラン系クルド人亡命者たちのグループが、社会主義インターナショナル 社会主義インターナショナル(それは社会民主主義の政党を結びつける傘組織だ)の会議に出席するべく滞在していた。代表団のチーフであったのはサデグ・シャレフカンディSadegh Sharefkandi…つまり、クルド人のディアスポラに高い敬意を抱いている人物だった。彼が、亡命者らや移住者ら(émigrés)の愛用していたレストラン、ザ・ミコノス(The Myconos)の席に着くやいなや、彼とその同僚たちは、マシンガンによる冷血な銃撃をあびた。そして、その殺害者は素早く姿を消した。

 動機や方法…そして、その機会に関する論議が間もなく始まったものの…それらはことごとく、政治的な派閥主義に関するパラノイア(偏執狂)的な内輪揉めの論争の泥沼へと嵌りこんだ。当初、明らかに名指しされていたのは、テヘラン(イラン政府)だったのだが、しかし、イランの政権とドイツの関係は良好であったがために、イランのムラー〔宗教指導者〕がトラブルに関与した、などと考えるのは非合理的だ、と論じられた。そして代わりに、クルド系の支流のグループ─トルコを拠点とするPKKや、あるいはクルディスタンの労働者党などに責任がある、という可能性が論じられた(あなたは、テヘランが今や、サウジ大使の事件に関する同様なおとりの情報についても、論議しているのだと気づくかも知れない…ハメネイ政権に反対するムジャヒディーン・ハルクや、その他のサークルの間を軽やかに出入りする陰の人物などについても言及しながら。

 しかしながら、ミコノスにおける事件の、より一層シリアスな法医学的証拠が現れ始めるまでに、時間はかからなかった。アヤトラ・ホメイニの生命が衰えつつあった晩年の日々には、彼の体制への批判者や反対者らを、物理的に排除する為の特別な部門が設けられていた。それらの者たちは標的にされ、チェスボードから排除されるべき者たちだったのだ─彼らが、イランに住んでいようと、海外に住んでいようと。金は武器と同様に有用だった。汚れ仕事を喜んで請負う者たちにより、安全な住み処と偽のアイデンティティが供給されていた。ドイツ当局は徐々に、彼らの領土が…彼らが儲けのいいビジネスの相手としている悪夢の政権の手によって、何十名もの人間たちを移住させるために用いられている、ということに気づき始めた。

 ハカキアンの本には、何人ものヒーローが登場するが…その多くは、レジスタンスを生き永らえさせようとの考えのために、全てを危険に晒してきたクルド人や、イラン人の世俗主義者たちである。しかし、なかでもブルーノ・ジョスト(BrunoJost)には、特別な敬意を払わねばならない─彼はドイツ人の判事で、暗殺部隊の策謀を露見させるべく、全てを賭けた人物だった。Costa-Gavrasの ”Z ”という映画を観たことのある者なら、誰でも、完全にこのストーリーの虜になることだろう─それは、ドイツ・イランの間の交易関係や商業関係が、殆ど破廉恥なほどに温まっていた時に、公けになった事件である。イランの前・諜報大臣のAli Fallahianは、この親密な関係が、いかなる不都合な尋問というものも阻止するだろう、と考えた。しかしこの裁判は、どうにか最後には176人の証人を喚問し、喜んで証言しようとする者たちを脅しから守ることにも成功して、非常に精密な訴追を言い渡すことにも成功した。イラン・イスラム共和国はもちろん〔当然ながら〕その国内でも国境の外側でも、国家が後ろ盾となって殺人ビジネスを行っていることが露呈された。ドイツのみならずEU諸国も、彼らの大使をイランから呼び戻した。そして法廷の外には、真の正義が行われたことを、今や一度だけ目にした、喜びにあふれた何千名ものイラン人の民主主義者たちが集まっていた。私がそうであったように、読者たちにとっても、その時には涙を拭えなかったろう。私は、あなた方に是非、この本を手にするようにと求めなければならない。

 政府が犯罪的行為のために特別部門を維持している、という現象─は、イランに限ったことではない。ファイナンシャル・タイムズ(への寄稿)では昨今、マンスール・イジャズMansoor Ijaz が、パキスタンの諜報部Inter-Services Intelligenceのなかの「Section S」の存在を暴露した。時に「S-Wing」として知られる…そのオフィスの目的とは(パキスタン・ISIと)、タリバンおよびハカニ・ネットワークとの関係を維持するためのものだ…と、イジャズ(パキスタン系アメリカ人で、かつて一度クリントン政権のためにスーダンと交渉したことのある)は書いていた。5月にオサマ・ビン・ラディンが殺害されたすぐ後に、彼はホワイトハウスでの(オバマとの)会見を求める、パキスタンの大統領Asif Ali Zardariからの接触を受けた。この会合でパキスタンは、それまでSectionSの存在を否定していたにも関わらず…譲歩と引き換えにその閉鎖を申し出ようとしていた!それは、何よりもその方法によって、マイク・マレン総督(Adm. Mike Mullen)(オバマの前参謀チーフ)が─「ISIはアフガンの民衆のあいだの両勢力の側についていたと断定することも可能にさせたのだ。

 そして再び、ここには…純粋に息を呑むほど困惑させられるようなものは不在だといえる。我々はあなたを裏切ってきた…そして今、さらなる賄賂を貰ってでもそれを止めたいと思っている(フローベールFlaubertは、彼自身を売る喜びのために報酬を貰おうとする、酷く腐敗した銀行家を雇っていなかったか?)

 私はパキスタンの二重取引とは、ザルダリがこうして白状したことで改善したと思う。我々は白昼堂々と、国境を跨いでパキスタンが米軍とアフガニスタン軍へのダイレクトな爆撃を発したことの第一次証言をも読むことができる。我々はまた、考えられないほど傲慢なアシュファク・ペルベス・カイハニ(Ashfaq Parvez Kayhani将軍)〔パキスタンの軍服を着た総督〕が─Haqqani network は武装させておく必要があると述べたことも、そして…同盟諸国の勢力が秩序ある引継ぎと撤退を行おうととしている間でさえも(Haqqaniたちには)オフィシャルに報酬を支払い続けたい、といっていることも知っている。

 最後に、バーナード・ヘンリー・レヴィ(Bernard-Henri Levy)の著した、パキスタンの2005年5月以来の背信行為についての名高きタイムラインに言及して以降、私はそれをもっと容易にみつけられるようにして欲しいとのリクエストを数件受け取った─それはここで.読める。それは気落ちするほどの長い年月にわたって、米国議会を騙すことにとてつもない成功を収めてきた企みと…またアメリカからの援助金や、その戦略というものを操っていたことの記録だ。もう一度言うが、その主なるメソッドとは、パキスタンの政権が敵視して、戦っているとだけ言っていたタリバンとアル・カイダの人物らとの間で、彼らが抜け目のない取引きをしていた、ということだ。

 ここにこれらの事例から共通して学べる教訓がある。全体主義の、あるいはテロリストである敵が彼らの痕跡を隠せるほどに賢いものだ、とは考えないほうがよい。もちろん彼がそうすることに関心を持っているとさえ、仮定しないほうがいい。そのことの(…それを、あえて隠さないという)徹底した図々しさとは…当初の段階ではその戦略の一部であることも多いのだ。
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